よっちゃん、みっちゃん、テレビに生出演!

雨が降り続いています。

東北は雨が少ない地方と思いますが、珍しくこの2、3日は1日降ったり、間をあけて降ったり。
土が濡れるので畑仕事ができない日が続いています。

さっきのニュースでは岐阜で土砂崩れ。40人が孤立とか。昨日は九州で川が氾濫してましたし、
青森では竜巻じゃないですか。もうすぐ収穫の時期を迎えるりんごがひどい状態でした。

雨、強風、竜巻、地震、日本中どこで自然の災害が起きるか予測ができない日々ですね。

今日、よっちゃん農場代表、海の手山の手代表のよっちゃんが(ちなみによっちゃんというのは彼の
名前ではなく、亡くなられたお母様の名前です)、東北元気です!!というテレビに出ました。

彼は声が大きくて闊達な青年ですが、別の面で考え深く純粋でナイーブな人物でもあります。
だから緊張すると上がり性。伴侶のみっちゃんはどんとこい!のしっかり奥さん。

ほとんど仕事でいない昼間の番組ですが、今日は特別。雨も降ってることだし、家族みんなで見ました。
画面に出て来たよっちゃん夫妻は、東京の版画家オカザワさんが作ったお揃いのティーシャツを来て、
トレードマークの手拭いを肩から垂らし、正式の時には何時も履く紺色のモンペパンツ姿、裸足に
ぞうりでした。最高です!!ティーシャツの柄はとうがらし、肩の手拭いも唐辛子柄(オカザワ作)
手に持つ新聞バッグの中味はよっちゃんなんばん! でした。

番組の中心人物アパッチケン氏、中本氏との会話も自然で普段のとおり。落ち着いてよく笑い、
番組の最後に前から憧れていた首のタオルをとって「ほっかむり」というのを遂にやってみせてくれ
ました。きっと中本さんが許してくださったのでしょうが、彼がやりたがっているのを知っている私は
「やった!!」と嬉しかった。

おいしいよっちゃんなんばんダレがきちんとおいしく見える楽しい番組でした。
東北6県だけの放送らしいから全国通津浦々とはいかないけれど、でもきっとお客様がどっと増える
ことでしょう。

13日から行って出店予定の長野の大人の文化祭でも放送で取り上げて頂けるかもしれないので
よっちゃんなんばんも新聞バッグもきちんと用意をして行こうと思います。

よっちゃん、みっちゃん、よかったねえ、最高でしたよ!!

 

元の生活に戻ろう

一昨日うかがった東北ろっけんぱーく。                                           今度の日曜日に、海山ネット代表のよっちゃんが新聞バッグを持っていくというので、             急遽他の用事を取りやめて事務所に向かいました。

新聞バッグは新聞バッグだけで販売するのではなく、私たちの思いをこめたカードやタグを小さく
作り上げて、取っ手に吊るしています。それを作りにいきました。

今日は事務局のKJは不在。事務所にいるのはNPOのスタッフ二人と、海の手山の手ネット事務の
chieちゃんと私についてきたうちの娘とあやさん。                                    NPO法人大崎地域創造研究会の事務所に、海の手山の手ネットワークという自営業3人が集まった     任意団体が一緒にいさせてもらっているので,時々海山ネットもNPOと間違われたりします。

海山ネットはNPOではなく、ただの3人の個人の集まりです。

あやさんは昨年の3月12日に南相馬を出て以来鳴子温泉で避難生活をしている海の手山の手の
ベテラン新聞バッグインストラクターであり、私たち山の手からすると彼女は海の手さんです。
あやさんのご主人と長男は南相馬、次男は新潟、あやさんと娘のakariちゃんは鳴子温泉で暮らしています。生活を支えるために午前と午後ふたつの仕事を持ち、時間がある限りで新聞バッグを折ってくれてます。

私が感心するのは、彼女の暗い顔を見たことがないこと。全く自分に非がない理由のために自宅に
帰れなくなり、家族離散の生活を余儀なくされ、その生活を支えるために働ける限り働かなきゃならない
日々であるにも関わらず、いつも明るく前向きで面白い。そのうえに仕事は確実。研究熱心で新しい
アイデアで新聞バッグを開発します。「こういう人こそカッコイイイというんじゃないかなあ」と私は       あやさんのことを思っています。

あやさんと娘との午後のひと時、あやさんはこう言ったそうです。
「時々南相馬に変ってみんなに会うと、私だけのうのうと暮らしてほんとに申し訳ないなあ、と思う」と。
私も福島の人と会ったり、話を聞いたりすると、置かれている環境がほんとにお気の毒で、なんとも
いえない気持ちになります。

でも何にもできないので「東京での原発再稼働反対のデモに行きたい。けれどお金がないので行けない」と娘に言ったったそうです。「私も行きたい。でもお金がないからいけないね」と娘も言ってました。

いつも元気なあやさんの心の中には、子供のためとは言いながら自分だけ避難してきているという
負い目があるのでしょう。

「原発はいらないよ。元の生活にもどろう」
あやさんが最後に言いました。

元の生活に戻ろう。                                                       原発の前の生活に、事故の前の生活に。時間がかかっていいからそうしたいものです。

 

東北ろっけんパーク

仙台駅近くのクリスロード商店街にある「東北ろっけんパーク」に行ってきました。

東北ろっけんパークとは。東北復興交流ツインステーションと謳ってあります。

私もうかがうのは初めてですが、東北村のM氏に付き添って頂いて、新聞バッグをお店に置かせて
頂きたいとお願いに行きました。

店内は広く2階までがパークということですが、そこには被災された方々やサポートする人たちが出会って
交流して、復興のために作った物を販売したり、宣伝したりできる場。なのだと受け止めました。

海山ネットとしてはまさにこれまで出会いたかった人であり、場所です。

新聞バッグはこれまで売ったことがない、皺加工した新聞バッグ。「もじゃぐり」とネーミングした新聞
バッグを持参しました。新聞はジャパンタイムズとイギリスの薄赤色の新聞紙ファイナンシャルタイムズ。

どんなもんかなあ、と心配しながら6、7個持っていったのですが、ありがたいことに、「素晴らしい!」と
お褒めの言葉をいただきました。よかった、ホント!

全部の新聞バッグを居合わせた方々に見本としてお渡しすることができました。
これから新聞バッグに今制作中のタグをつけ、東京で海山を応援してくださっている版画家オカザワさん
デザインのハンコを押し、完成したらろっけんパークの店内に並べます。

合わせて、福島在住の方の矢竹のお箸や箸袋(お扇子も入れられます)、梅農場の梅の木のお箸や
ダンゴウオやワカメやサンマや唐辛子柄の復興手拭い、手拭いで作った子供のアッパッパなど
製品にしてろっけんパークを訪れる方々に見て頂きたいと思います。

 

昨年から1年間、たくさんの方々の支援を頂きました。
そのご支援を支援として続けて頂くのではなく、自分たちの製品に作り上げて、この場所から
この被災地から、この東北から、発信、販売していこうじゃないか、というのが今の海の手山の手ネットワークのがんばりどころです。

頂く支援を支援のまま続けて頂くのでは、どこまで行っても次の段階へ進めない、と海山ネットなりの進化のステップを今進み始めたところです。

震災から1年4か月。
町の復興のほうはどうなっているのか、止まったままのような、どこが進んでいるのかわからない状況
ですが、人の復興、みんながまず元気になって仕事を持ち、手仕事で経済の底上げをしよう、を目標
とする海の手山の手ネットワークは、またこのろっけんパークで新しい人と出会い、新しい場面を拓いて
ゆきたいと思います。

サポートして頂いている皆さんにここまで一緒に歩んで頂いて、本当に感謝しています。
みなさんありがとうございました。これからもよろしくお願い致します。

 

 

 

閖上被災地支援オペレーション

1-7丁目まで壊滅。死者、行方不明者1000名という大きな被害を受けた宮城県名取市閖上地区。

そこで定期的に閖上地区被災地支援オペレーションという支援活動を続けておられる方がいる。

前回のオペレーションのちょっと前、友人からかなり多量の支援用衣類が送られてきて、その衣料
をどうしようか、と考えてたまたまネットで見つけたのがこの支援活動でした。 続きを表示

南三陸へー志津川菊生産再開のお手伝い

今日は以前から企画されていた東北村村民交流の第2回目です。

南三陸で実施したいということだったので、私の菊の先生の小野寺さんの菊栽培のお手伝いを
お願いしました。女性は菊の下葉かきとか、脇芽摘みや草むしりなど、男性はハウスの屋根ビニールに
日よけをかけることと、ハウスの固定が今日のお手伝いの内容です。

現地、歌津の駅前で(現実には駅はありません。駅の跡)10時集合。

南三陸町歌津駅です。駅下は駅舎の跡。初めて来たとき、ここに移動式のトイレがあったので
歌津に来たことがない私は、初めからこんな景色なのかと思いました。
今、線路はありません。

私は仕事を終えてからなので到着はお昼近くになりました。

ものすごくいい天気。真っ青な空の下で見る被災地は、空、海、緑の美しさと現場の光景の
荒々しさとの落差が激しく、痛々しくて目を背けたくなります。

不思議に思うのは、いったんきれいになっていた被災の跡にガレキが徐々に徐々に増えてきている
感じがすること。きのせいかな?と思うのですが、よっちゃん奥さんみっちゃんい聞いたら「なんか、
なかったところにまたあるような、そんな感じが・・」と言うので、そう感じるのは私だけでは
ないようです。

今は岩出山在住のショーエイさんに訊いたら「そうだよ。海から上がるのがだんだん増えてくる」
ということでしたが、やっぱりこれはここの人しか分らないことなんだなあ。

かつてここに町があった頃、海からアザラシが現れ、しばらく滞在した。アザラシの名は「うたちゃん」
青い橋はうたちゃん橋。流されませんでした。その向こうが国道45号線。最初に見た時下の土台
しかなかったので、国道とは全然思わなかった。今は繋がりましたがまだ走れません。

ここに銀行とか商店とかぎっしり町並みがあったそうです。
夏草が生い茂った元歌津の街の跡。

歌津の駅の横にある山の木々。

津波にやられた山の木々は全てこのように茶色に枯れています。

到着すると、作業はほとんど終わってました。

日よけを被せ終わったビニールハウスと葉欠きが終わった菊畑。

食事が終わってから、小野寺氏の要請で今日作った棚の贈呈式。

贈呈式が終わったら定位置に設置して、みんなの芸術的センスが爆発!

ダンゴウオの手拭いあっぱっぱを着てくれているノンちゃん。嬉しいです!

小野寺さんのハウスのお手伝いが終わったら、Y仮設住宅の恵子さんのお宅へ。
お宅といっても仮設住宅ですが、集会所でワカメだのイカだの魚だのの料理を作って待っててくれました。

出されたもの食べて、いっぱいしゃべってから新聞バッグ体験です

みんな1個づつ作って、お手伝いのために取っ手をいっぱい作って終了。

今日は、わかめの収穫のお手伝いだったり、これから先の菊の手入れだったりのボランティア
交流の始まりの日。みんなこれから先も来てくれるそうです。

どうでしたか?みなさん楽しかったですか?また南三陸に行ってくださいね。

 

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中国国家行政学院公務員の方々とともに新聞バッグづくり

今日は中国から県内被災地を視察に来られているこ国家行政学院公務員の方々42人に新聞
バッグの手ほどきをする日です。
といっても公務員の方に新聞バッグを作って頂くのが主眼ではなく、残った手で残ったモノを利用して新たなモノを作り出そうという海山ネットの復興プロジェクトを、新聞バッグを通して伝えたいというのが目的なのですが、伝わるかどうか。

公務員の方々は既にたくさんの視察、研修を終えられてこの新聞バッグつくりが最後のプログラム
だということです。

8時過ぎに集合して準備中です。きのうのうちから準備万端整えたはずなのに、肝心の名札を
作り忘れて、急遽、新聞で制作中。

一行42人。将来の中国を担う若手の方や学者さん、裁判官もいらっしゃるようです。みなさん、中国語
だけではなく、英語も話されます。

こちらは日本語オンリーで、間に通訳に入っていただいてのご挨拶になりましたが、通訳さんの
一生懸命のお仕事ぶりを見て、中国語はちょっと無理だけど、せめて英語はもっとまじめに挨拶だけでも
できるようにしておくべきだった、と反省しました。

高橋代表と私の面白味のない挨拶に続いて、海山ネットの事務アルバイトのTちゃんが「ニーハオ!」
どっと座を和ませてくれました。次には南相馬のKMさんの「ニーメイハオ!」みなさん、こんにちは。
ドッと笑いがこぼれてさらに座が和みます。
「よくいらっしゃいました」とか「よく被災地へいらしてくださってありがとう」とか伝えたいことはたくさん
あるのですが、全然言葉がわからないので、何にも言えない。

でも新聞バッグを折る手仕事は中国も日本も共通です。
私たちインストラクターが6人いるので一人1班7人受け持ちです。不思議なものでアッという間に
自分の受け持ちの班に必死になっちゃうのですよ。上手に作って欲しい一心で日本語、英語
滅茶滅茶に駆使して一人一人に作ってもらいます。


できあがったバッグにサインをしてくれてます。大崎がんばれ!と言葉を添えて。

その文字の達筆なこと。中国の名前は漢字だから読める、と勝手に思い込んでいた私は、
サラサラサラと行書のように草書のように書かれた漢字を見て、「へえ、こんなふうに書けるんだ!」と
驚きました。

公務員の方々は母国語の他に英語を流暢に話し、グループのどの方も立派な文字を書かれます。
日本人は勉強しないなあ、と反省。

東京の版画家オカザワさんが今日のためにと、忙しい中を4、5日で「いろはにほへとちりぬる・・・」
のハンコを作ってくれました。できあがった新聞バッグに自分の名前の頭文字のハンコマークを押したら
楽しいんじゃないかと作って頂いたのですが、時間ギリギリで到着したのが今朝。

そのまま出したら、ハンコの文字は押さなかったら裏文字になるので、探すのに大騒ぎ。
文字を裏側から見て探すってなかなかできないもんですねえ。
通訳の方から「努力して頂いたのはとてもよくわかるのですが、これはちょっとなくてもよかったかも・・・」
と言われてしまいました。お騒がせしてすみませんでした。

はい、出来上がりました。

謝々。私のほうがお礼を言いたいです。

みんなにこやかで友好的な方々でした。
作り終えて2台のバスで帰途につかれるみなさんを旅館の外でみんなでお見送りしました。

大変面白かったし、よい経験をさせていただきました。この歳になって、中国の女性たちに囲まれて
写真をとってもらう日が来ようとは想像したこともなかった。「なんか涙ぐみそうになるわ」と言ったら
よっちゃんが「俺もですよ」と。

この経験で、外国との交流はパーソンtoパーソンというのがまず基本なんだなあ、ということ。
人と人との交流から始まってそれがやがては国レベルになるというのが理想なんだなあ、と。
そういうことを思いました。

この想いがどんなふうに発展していくのか楽しみです。

 

 

鳴子の森のおいしい地帯

日が長くなりました。日が長くなると遅くまで外仕事ができるので、嬉しいのだけれど、朝5時から暗くなる夜7時半くらいまで動いていることになり、帰るとドーッと疲れが出ます。

今朝は道の駅でNPO法人大崎地域創造研究会のスタッフ二人、KちゃんとNちゃんと待ち合わせ。
二人の今日のお仕事は大崎の観光スポットを掘り起こす、ということなので、鳴子温泉の喫茶店
「玉子屋」さんに用事がある私が案内することになってます。

鳴子温泉の御殿湯駅近くの「玉子屋」さんは以前にはロバート・キャンベル先生に文学講座の度に
お菓子を御馳走になったところ。今は南相馬から鳴子に避難中のKAさんの勤め先。

KAさんが少し知ってるという中国語を紙に書いてもらった後、お店のご主人のお許しを得て、4人で
おしゃべり。今日の大崎タイムズ(大崎市のローカル新聞です)には、明日お会いする中国からの
公務員の記事が大きく載ってました。お店の奥様が私たちのために、ご近所の新聞までもらってきて
くださった。

次に案内するのは本来なら私が時々行く森の中の喫茶店「ライム」なのだけれど、木曜日はお休み。
なので、私もまだ一度も行ったことのない少し先の喫茶店のような食堂のようなお店に行くことに
なりました。

車を停めて改めて看板をよくみると森林総合案内所だった。通りがかりにはいつも見ているのだけれど
入るのは初めて。

外見のログハウス風とはちょっと違って中は相当ローカルチック(?)。
壁にはメニューがいろいろ書いてあります。が、おばさんが出て来て「ラーメンと冷やし中華」
と言った直後に「冷やし中華3つ」とおばさんが自動的に発言してオーダー決定。
顔を見合わせながらテーブルにつくと、おばさんが「ふき」と「みず」とお皿をふた皿運んで来てくれました。

これがおいしい!!ふきはつくだ煮風甘煮ですが、ほどほどに出来上がっていて大変おいしい。みずは辛子醤油で和えてありますがこれまた大変うまい!!

最初は不安そうだったKちゃんが「冷や中華楽しみになってきた」
私もです。
そして運ばれてきた冷やし中華。具がいっぱい。量もいっぱい。そして3人揃って「満足!」というくらいに
おいしい。食べ終える直前のタイミングで今度は頭にバンダナを巻いたおじさんが入れたてコーヒー
を運んできてくれました。だい満足でした。

ここにはまた来たい。来た時とはうって変わって「ごちそうさまー。おししかったでーす!!また来まーす」と
ニコニコで帰路につきました。

彼女たちは見どころ探索を続け、私は種苗屋の営業さんが来るので家へ。暑くなる今からの花のタネを
探すのはなかなか面倒です。秋まではコスモスなど少数の花しかないんだもの。

明日は早朝から鳴子の旅館に行きます。中国の方たちをお会いします。大変過密なスケジュールを
こなされているので、明日は無理にならないように、楽しく面白く、短い時間ですがご一緒できるように
務めたいと思っています。

 

 

 

 

株主総会

今日は私が出荷しているあ・ら・伊達な道の駅の株主総会。

当地に越してきた翌年、町に道の駅ができることになり、その最初の募集の時にほんのちょっぴり
ですが、株を買い、株主になりました。

将来大きな儲けの良い会社になって株の配当があるだろう、なんて見越して株を買ったのではなく、
退職する前、ある会社の役員であった夫が、地域住民の生活の向上のために建てられた道の駅だから、
将来安定した運営がなされるためには、みんなが株を持って道の駅の一員であるという意識を
持つことが大事だ、と言ったので「そうか」と思って買いました。 続きを表示

栗駒山

今日は快晴です。ねらい目の日。
栗駒山の頂上付近に雲が見えません。こんな日の午前中じゃないと山に行っても眺望絶佳とはいかない
ので、道の駅での出荷を終えるとまっすぐ栗駒山へ。

栗駒山は秋田、岩手、宮城の3県に跨る山で標高1627.4メートル。冬は雪が深いので、まだ雪がまだらに
残っています。

栗駒山には湿原が多くあります。今日はニッコウキスゲが最盛期の世界谷地へ。

世界谷地には第1湿原と第2湿原とあるのですが、岩手、宮城内陸地震が起きてから、歩けるのは
第1湿原だけです。昨年は地震で来れず、その前は内陸地震後の修復ができていなかったので、前回
歩いてから5年ぶりくらいになるのかもしれません。

今はニッコウキスゲとワタスゲが咲いていました。ところどころでレンゲツツジも見られます。

木道の下の水芭蕉。
九州生まれの私は一生のうちで水芭蕉という花を見ることがあるんだろうか、などと思っていましたが
水芭蕉は湿地へ行けばけっこうみられる花で、水の中でもものすごくでっかくなって咲く全く神秘的でも
儚げでもない丈夫な花でした。

 

世界谷地の後はちょっとだけいわかがみ平へ行きました。

まだ雪が残ってます。曇っていたら寒いのですが今日は快晴なので寒くない。

下界を覘いてみるとパノラマのように雄大な景色が広がっています。

そして最後に、広大な地滑りで山容が変わってしまった荒砥沢ダム周辺に新しく作られた道路を通って
深山牧場へ。ここから見た栗駒山の美しいこと!

仕事を終えて1時間も車で走ればこんな美しい風景の中にいられることが、東北に住む素晴らしさです。
久しぶりに歩いて足も腰も痛くなったけど、やっぱり歩くっていい!。
ブナやナラ、ダケカンバの新緑が美しい原生林のフィトンチッドをいっぱい浴びて帰ってきました。

 

夕方、海山ネット事務所へ。

一昨日ワークショップで福島へ行った事務局のKJが「行きと帰りで景色の色が変わってしまったわ」と
ショックを隠せない様子で言いました。

福島で暮らすお母さんや子供さんの現在の厳しくつらい状況を聞いてきての言葉です。
「東電の幹部社員は福島に来て住んでほしい」
そんな言葉があったそうですが、そう言いたい気持ちはよくわかります。

ほんとに現場に行かなかったら、何が起こっているのかはほんとにはわかりません。沿岸被災地や福島の
近くにいる私たちでさえ、忙しかったり疲れていたりすると安きに流れそうになる。

やっぱり現場にいかなきゃねえ。テンション続かないわ、ということで、30日には畑のお手伝いに
南三陸へ。そして病が癒えた新聞バッグインストラクターをお見舞いに女川へ、タイの刺繍を見に
石巻へ、新聞バッグの用事で福島へと、計画をたてて行こうと思っています。

 

 

めでたし、めでたし!

またまた、また性懲りもなく拾ってしまいました。
お金じゃありません。犬です。男の子のコーギー犬。

今朝出荷に行った先の駐車場脇の道路にまるまると太ったコーギーがいました。
車が通って今にも轢かれそうですが全然気にしてない様子。胴体が長くて足が短い体型なので
車からはウロウロしているのは見えません。 続きを表示