KIITOデザイン・クリエイティブセンター神戸で新聞バッグを販売します。

今日は記念すべき日というのもヘンだけど、海の手山の手ネットワークとしては、これまでなかったことが

初めて為される日です。

東北新聞バッグプロジェクト第2弾、2013年版は、海山ネットが関わっているのは変わりませんが、

去年とは一緒にやる仲間が違って陸前高田と気仙沼の皆さんと一緒に新聞バッグを作ります。

今日はその陸前高田で催す新聞バッグインストラクター養成講座の第1回目です。明日は会場を気仙沼

に移します。

 

本来ならプロジェクトの主催者である四万十チームから1名、東北新聞バッグを作っている海山ネットから

1名のインストラクターが出て、新聞バッグと初めて接する陸前高田の皆さんに新聞バッグの作り方を

講習することになっているのですが、生憎海山ネットのインストラクターである、クロダさんもあやさんも

時間がとれません。

そこで初めてですが、南三陸歌津のけいこさんに陸前高田と気仙沼での先生役をお願いしたところ、

行ってくれることになりました。

 

今日はその当日です。

初めてで9時から5時まで、新聞バッグを作ったことのない人に大、中、小と3種類の新聞バッグを教える

のは大変なことなので、どうだろうか、と気になって仕方ありません。

私たちが2011年の大震災の後の7月に、四万十から来てくださったクロダさんやジョウトクさんから

鳴子の公民館で1日かけて新聞バッグを習った時には、頭の中がめくるめきました。一応修了証は頂いた

けど、まー、全然覚えられなかった。

こんだけ覚えられないものを、たった1日で教えてくれるんですもの。教えるほうも大変だと思います。

 

仮設住宅の中で新聞バッグを作るだけではなくて、その技術を仕事として、けいこさん達が他の皆さんに

教えるという仕組みを作れたらいいな、と思っています。

 

そして新しいニュース。

神戸は目ぬきの三宮にある元神戸製糸検査所。

そして現在は平成24年の夏に誕生したKIITOデザイン・クリエイティブセンター神戸で海の手山の手の

新聞バッグを販売していただけることになりました。

どんなところかな?

と調べてみたら、デザイン都市、神戸のシンボルであり、創造と交流の拠点として誕生したデザイン・

クリエイティブセンター神戸、とありました。

KIITOがシンボルマーク。

コンセプトはみんながクリエイティブになる。そんな時代の中心になる。とありました。

同じく被災した都市、神戸で、東北で作った新聞バッグがどのような形で見てもらえるか楽しみです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

頭の体操、ボケ防止

もう週末です。あッという間に1週間が過ぎてしまう。

夫はいないのですが、いないからと、しみじみいない状況を考えている間もなく時が過ぎます。

週末は出荷するお餅がウイークデイよりぐんと増えます。

これまで二人でやっていた仕事を一人でやるには、早く起きるか工夫をするか。

クロダさんも「手伝いますよー」と言ってくれるし、娘もうちにいる花担当もお餅を手伝ってくれて

います。

でも夫からは「手伝ってもらってはいけない。手伝いには責任が伴わない。お金を払って仕事

としてやってもらわなければいけない」と常々言われてました。

 

朝、5時半には起きて、限られた部分だけ手伝ってもらって、後は全部自分でやりますが、これが

だんだん深みにはまる、というか前にはやらなかったことまでやってしまう。

 

夫が生きている時には今作っているよりもっと少ない数を、もっと遅い時間までかかって作って

「ダメだ。明日からはもっと早くやろう」とか毎日のように後悔していたのが、今は「えッ、まだこんな時間」

というくらい早くに出来あがってしまう。

 

その替わり、朝から頭の中は、あれしてこれしてと段取り考えて、「頭の体操」状態。これまで1時間で2個

やっていたことを3個も4個も一度にやってしまって、早く仕事を終えようとがんばります。

 

いいんだか悪いんだか。

なんのためにがんばっているのかよく解からないんですが、これが頭の老化防止、ボケ防止になっている

だろうことは実感しています。

 

もし私が前に住んでいたような都会の住宅地で暮らしていたら。                                                                                               誰かと話したいなあ、と思って友人に電話をして、相手に用事があったりしたら、もう電話をかけにくく

なって、一人でお線香ばかりあげているかもしれません。子供のところには行きたくないし、町に買い物

に出ても、楽しくもなんともないと思う。

だから忙しく日が過ぎていくことは、ありがたいことです。

 

明日は日曜日。今日土曜日よりももっと忙しい。

休んでも減らしてもいいんだけどなあ、とは思うものの、直売所に行って、お客さんとお話ししたりすると

休むのも減らすのもタイミングが難しい。

 

夫が生きている時、抗がん剤治療をした後のしんどそうな様子を見ながら、「やらなくてもいいんだよ。

私がやってもいいんだよ。休めば?」とよく言っていたけれど、、その都度、ちょっと気を引かれる様子を

見せながらも、結局「休まなくていいよ。ちょっとの時間だから。オレが搗くわけじゃないんだから」

とお餅つきを休まなかったことを思い出します。

 

 

身体の動きを留めることもそうだけど、まあ、頭のほうも体操しないよりもしたほうがいい。

なにせ、物忘れが激しいので。

さて、まだ午後も早いけど、今から餡子をふた鍋煮ます。それから餅を搗きます。

なんかわからんけれど、がんばろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

落花生

朝起きたら、夫の仏前に何か見慣れぬものが皿に入れて置いてありました。

なんだろう。小っちゃい茶色のじゃがいもみたいな物体。傍の小さいお皿にはかぼちゃと里イモの
煮付けも。枝豆も置いてある。

あー、わかった。夜のうちに隣りから娘の婿さんが来て置いていったのだと。茶色の見慣れぬ物体は
落花生の煮たのでした。落花生の生とか煮たのは、この辺ではほとんど見かけぬ食材なので、
見た時は一瞬わからなかった。

彼は野菜作りが好きで、おまけに研究熱心なので、うちの敷地のあちこちで何やらかにやら作っている
ようだけど、私は何を作っているか知りません。だから突然落花生が出てくるとびっくりする。

 

その朝、直売所のバックヤードで落花生の話で盛り上がりました。

落花生はタネを蒔いて普通に苗は上に向かって育つけど、途中で下に向かって伸びてゆき、地中で
実をならせる不思議な植物。
「地面の下でなっているから台風が来たって心配ないよね」
「転作にいいんじゃない。大豆みたいに採った後豆にする大変さがないもの。全部ひきぬいてくるくる
輪にして畑に棒立てて、ここの棒掛けの稲のように干しとくの。時々引っくり返してよく乾燥させてから
ゆでるとかするの。殻ごと炒るのは機械がなかったら大変」

田舎暮らしを目指して、千葉県船橋市の近くの元牧場の貸し農園で畑仲間と落花生を作ったことが
ある私は、ちょっとだけ落花生のことを知っています。タネ蒔いて育てて採って、干して炒るまでやったこと
あるけど、人間だけいぶされて真っ黒けになって、落花生はなかなか。パリっとして「美味しい!」という  具合にはいきませんでした。もう1回やる?と言われたらNO。

でもここでみんなで作るにはいいかもしれない。

 

家に帰って、今度は隣町の幼稚園まで孫のお迎えに。

今日の空と雲のきれいなこと。いくら見ても見飽きません。

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孫が通う幼稚園。

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右側が小学校。幼稚園と組み合わさっています。プールも一緒。

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この裏は広大な運動場になっています。素敵な小学校。

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幼稚園の後はピアノのレッスンに古川へ。孫はピアノが大好きなのです。

 

夕方家に戻るとなんとまあ、夫のかぼちゃも里いもも枝豆も、家族の中で一番夫がかわいがっていた
老犬チビが食い散らかしてました。
落花生は、美味しくなかったらしく、吐き出してそのまま残ってた。

チビは国道4号線で車に撥ねられて片目が出てしまっていたホームレスの雑種の犬です。娘が助けて  動物病院に運んだのだけれど目は助からなかった。奇跡的に、身体に損傷がなかったので、行く先に  困って我が家に来ました。

既に我が家には黒いラブラドールが2頭もいて、遠慮がちなチビを夫が自分専用の犬のように可愛がり、
チビも一番夫になついていました。今何歳かはわからないけれど、残った片方の目も見えなくなり、耳も
聞こえない人間でいうなら要介護のようなおばあさん犬です。
夫が亡くなったからがっかりして、ちょっとは」弱るのかと思っていたら全然弱らない。

食欲旺盛で食べることだけが1日の仕事のチビは、夫の仏壇周りから離れません。仲良しだからいいよね、
と食べたんだろうけど、犬が吐きだすんじゃ、落花生もなんだかねえ。
私も食べてみたけどまずかった。若過ぎるんじゃないかなあ。

 

 

 

 

 

秋刀魚

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今が真っ盛りの西洋朝顔、ヘブンリーブルー。

西洋朝顔は日本の朝顔とは違って昼間も咲くので、日中華やかです。茎が何メートルにも伸びて
長い間咲いています。

今日は、長男の嫁さんから「早く行ってくださいよ」と、行く場所を番号順に並べて書いてくれた紙を持って
自分が世帯主になる手続き、つまりは未亡人になる手続きに行きました。

けっこう時間かかった。

町の役場に行って、年金事務所に行って、病院に支払いに行って、とあちこち行ったら夕方までかかり
ました。
生まれて初めて世帯主になりました。世帯主といっても一人だけど。世帯に私は一人なんだけど、
世帯主全部の住民票が必要だとのことで、へーえ、そういうもんなのか、となんだか、よくわからんことが
多い。

嫁さんが書いてくれた紙頼りで、そのとおりに動いていたら、役場の係長さんが覗き込んで「凄いですねえ」

「凄いでしょう。係長さんと同業なので、実に詳しく忘れもののないように書いてくれてます。有難いことで」

年金をもらう前に一度行ったことがある年金事務所。あれから5年以上は経っているわけですが、
変わった。雰囲気がフレンドリーというか、職員さんがにこやか。変わる原因はいろいろあったと思うけど 廊下ですれ違っても「こんにちわ」という具合で、雰囲気は無愛想よりもフレンドリーのほうがよいので、よかったです。

これが都会なら人の数が多くて、順番待つのも大変なんだけれども、ここが田舎のいいところで、
混んでません。あまり待たずに手続きが終わりました。

診断書をあまり見たことなかったけど、今日よく見てみたら夫の病気は転移性の多発性肝臓がんだった。
多発性だったのかと、初めて分かります。
死ぬ、生きるという話は二人でよくしていましたが、70歳過ぎたら「どうやって死ぬかをよく考えるけど」
と言ったら、「うまく死ぬというより、人間はこうやって生きているのかという実感のほうが強いよ」と言って
ましたっけ。

平成22年の発病。市の検診で見つかりました。
がんになっても手術を受けても、全然悔やむこともなく病気の話もせず、普通に暮らしていましたが、
がんになってからのこの4年は、どのときよりも具体的に体が生きる、人が生きる、という事実に向き合った時間だったのかもしれない、と今思います。

 

 

道の駅の直売所に行くと生産者の仲間がいます。
「あなたにあげるんじゃないよ。だんなさんにあげて」とサトーさんがいんげん豆をくれました。

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二人で野菜を作って二人で収穫して、ご主人が軽トラを運転して、奥さんが助手席に乗って、いつも二人
一緒のサトーさんご夫婦。85歳くらいになられると思います。直売所に来ると、足が悪い奥さんは椅子に
座って私たちとおしゃべり。だんなさんは野菜をずらーっと空いているところに並べて値札貼り。

私はいつもなんだかんだと売り物野菜をもらってばかりいます。せっかく作ったんだから「売って」と言うと、必ず「そんなことは言うもんじゃない。黙ってもらうもんだ。真山の人間は」と言われます。真山というのはサトーさんや私が住む集落。

いつまでも元気で長生きしてほしいご夫婦です。

 

南三陸では漁ができないので、北海道で秋刀魚船に乗っているショーエイさんから送られてきた初物の  秋刀魚。

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奥さんのたかちゃんが届けてくれました。

青いウロコがピカピカしています。
マグロを獲っていたショーエイさんがどんなに張り切って秋刀魚船に乗っているんだろう、とショーエイさんのいかにも海の男らしい風貌が目に浮かびます。

 

オトーサンがいないので、自分で3枚におろして骨もとって、5歳孫にも食べさせました。
仏前にもあげました。                                                     「オトーサン、ショーエイさんの秋刀魚だよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

川渡温泉で講習&贅沢な祭りー万葉祭ー

夫がいなくなって手薄なんですが、お彼岸ということもあって作ったお餅はよく売れます。

5時に起きてお餅仕事をして、終わるとすぐに川渡温泉へ。

今日は以前からお申込み頂いていた三本木のパン工房「青い虹」さんの学校時代の方が集まる
恒例の会とのことで、お仲間の方10人に新聞バッグを作って頂くことになっています。

場所は川渡温泉の二宮荘。

これがほんとうに分からないところにあって探すのに苦労しました。小さな川渡の温泉街を探す
こと20分。これはもう「ダメだ」と思って、町の中の東京屋という小さい雑貨屋のようなお店で
聞きました。老婦人が二人出て来られて丁寧に「川がふたつあるから向こうの川。信号左に曲がって
森林組合の裏」と教えてもらって、そのとおりに行ったつもりが、稲刈りの車と鉢合せ。また教えて
もらってその通りに行ったつもりだけど、ギブアップで先に行ったよっちゃんに国道まで迎えに出て
もらってやっと到着しました。川はふたつじゃなかったよ。もっとあったけど、よくこんなに分かりにくい
ところを教えてくれたものだと思います。

これはもう川渡温泉とはいえないね。ほぼ東鳴子温泉との中間。でもうろうろうろうろしたおかげで
200円で深夜まで温泉に入れる藤島旅館しかしらなかった川渡温泉がこんなに広くて奥深く、いろいろ
素敵な場所があるのだと初めて知りました。
前から一度行きたいと思っていた石割桜も見つけました。

やっぱり、迷うもんですねー。いいこといっぱいだけど遅れに遅れました。

今日の講習担当はクロダさん。
クロダさんのインストラクションでみなさんそれぞれに、イギリスのフィナンシャルタイムズで素敵な大
バッグを作成されてました。遠くにお住まいの方もいらっしゃるけれど、みなさん全員東北出身の方
ばかりだとのことでした。

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以前は初めてだから、ということで小のバッグを教えていたのですが、この頃は考えを替えてちょっと骨が折れますが、まず大バッグに挑戦してもらうことにしました。そのほうが物が入るので、作った方も張り合い
が出るようです。

作り終って解散の前に、ここで目玉が・・・。
お仲間の一人が東京から新幹線で運んで来られた韓国太鼓を実演披露してくれました。

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今は日本でも稲の収穫の時。このチャングはやはり豊年の時などに演奏されるそうで、張りのある
音が美しい動きが激しい太鼓でした、初めて見たけど素晴らしい!!!

さっそくよっちゃん奥さんみっちゃんが挑戦。

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みっちゃんは座ってますが、足は踊って両手の動きは違うんだから難しそうー。
この太鼓でみんなで阿波踊りのように踊るんだそうです。

 

いったん帰宅して、クロダさんと孫を乗せて、隣町一迫町の森の中の風の沢ミュージアムで催される「火と土の祭-万葉祭」へ。

風の沢ミュージアムといっても公のミュージアムではなくて、どこかの都会の方が、総面積の半分を森林が
占めるという隣町一迫町の古い農家を購入して、周囲を丁寧に整備されて彫刻の展示などのイベントを
年間を通じて催されているところです。

うちから20分もかからず行けるのですが、なにせ山と田んぼだけあって標識がないところなので、1回は行ったことあるのだけど、場所が全然思い出せない。ついでに「火と土の祭」というのもなんのことだか
わかりません。が、行きたい理由はただひとつ。夕方6時から始まる津軽三味線を三味線好きの孫に
見せたい。

明るいうちに着いたので、久しぶりの風の沢を散策することができました。

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素敵な襖絵。

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ギャラリー。有名な方の作だと思うけどわからない。

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これってトイレの部屋にあるんですよねえ。
陸前高田の松原の松で作られた像。

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野焼きなどが行われるイベント会場へ。

2年前に来た時にはなかった広大な広場が建物の奥の森の中にできてました。
広場の周りにはいくついくつものテントが張られていて、焼きそばだのトン汁だのの出店がたくさん並んで
ます。テーブルもたくさん、椅子もたくさん。都会では考えられない実に贅沢な空間。

この純農村の奥まった場所にしては相当数の人が集まっています。
火が凄い。周り中、松明が赤々と燃されていて、森林が多いからだかなんだかびっくりするほどふんだんに
薪が燃されています。

だんだん私は驚いてきました。凄い規模だよ。これは・・・。よっぽどお金がなきゃできない。

私たちが見るのは七頭舞からです。勉強不足でどこの地方の伝統芸能が解からないのですが、衣装の
舞も美しい。

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次のプログラムは小松豊年獅子踊り。

だんだん暗くなってきましたが、この火の輪の中を一頭の獅子がくぐり抜けます。

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イベント場所をステージに移していよいよ津軽三味線です。
ステージの上には何十枚もの畳が敷いてあります。

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三味線の演奏者は秋田出身、白石在住の小野さんと言う方でした。アンコールもあったし、観客からのプレゼントもあった。プレゼントのビニール袋の中味はじゃがいもとみょうがだった。

次は太鼓演奏。

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この時、原発事故の前は南相馬で太鼓を叩いていたというあやさんがアカリちゃんと一緒に駆けつけて
きました。クロダさんもあやさんも私もいて、いないのはよっちゃん夫婦なのですが、今日はよっちゃんちは
稲刈り。農家にとっては秋の最も大事な仕事なので、よっちゃんのぶんまで拍手喝采。

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次のプログラム、八鹿踊りまで見て私はお餅搗きのため帰宅。

この後、盆踊りと南部神楽があったそうですが、あやさん、アカリちゃん、クロダさん、孫だけ最後まで見物して帰ってきました。

 

感想。
なんと贅沢なお祭りなんでしょうか。驚きました。
来年も必ず見ます。

 

 

 

 

 

 

 

私の場所

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稲田が黄金色に替わりました。ぼつぼつ稲刈りが始まっています。鳴子の山々を望んで・・・・。

 

仕事再開2日目。

きのう行かなかったもう一つのスーパーマーケットにも今日は行きました。

昨日行ったスーパーマーケットの担当者の方には、夫の病状が悪くなってから、これこれの事情で販売用の籠がほったらかしになってますが、しばらく行けません。よろしく、と電話でお願いしておいたのですが、 こっちのほうは電話もせずほっぽらかしたまんま。

 

売り場に毎日空っぽの籠を置きっぱなすというのは、生産者としてはあるまじき態度。             だから連絡しておいたのですが、昨日行ってみたら私のお餅入れの籠には、ちゃんと他の方のお菓子を 申し訳のように、からっぽにはしてないよー、というくらいに入れてありました。有難かった。
私が持って行ったら、その方のを戻して、品物を置きなさい、ということです。

 

でも今日のほうは全然連絡していない。ほんとのほったらかし。                           ないよねー。私の籠はもう片付けてあるよねー。でもせっかく持って来たんだからどうやって置こう、と考えながらお菓子売り場に行くと、盛りだくさんのお菓子の中に空っぽの私のお餅の籠が中に手拭いまできちんと敷いて私の名札付きで置いてありました。

 

ずーっと10日間も混んでるお菓子の中で空っぽの籠を置いておいてくれたんです。

狭い町だから、従業員の方が「あれ、なんで来ないんだろう」と思い、他の従業員に訊いたかもしれない。そして誰かが国道にたくさん出てるうちの通夜、葬式の看板見て「だんなさん、亡くなったみたいよ」と言ってくれたのかもしれない。

私は感動しました。これが都会なら、いや都会じゃなくても都市近郊の小さい町の直売所やスーパーマーケットなら、他の人にとって替わられます。

この町にはそういうことが少ないです。でも10日だから。それもうんともすんともなく黙って休んだのだから、
退けられても当たり前なのに。

我が家の手作りのお餅は毎日米を磨いで、豆を煮て、小豆のあんこを作ってという手作業なので、たくさん
はできません。だから注文を頂いても多量の時はお断りするし、我が家の販売は道の駅の直売所が
本拠地なので、他のところには少ししか出していません。

 

それでもこうして私の場所がちゃんととってありました。
嬉しいことです。

これまで二人で作ってきたお餅の仕事が突然私一人になりました、まあ、夏頃からはオトーサン一人では
苦しいだろうから私がメインになろう、と習い覚えてはきましたが、それでも亡くなる8日前までは夕方は
完全に一人で搗いていました。

相当進んでいると思われるガンも、飲み薬の痛みどめで済むくらいだからと、合間合間にベッドに戻って  休んではまた餅つき現場に戻って全部搗いてました。「えー!、もう搗いちゃったの、というくらい手品の
ように早かった。

いなくなってこうして一人で搗いてみると疲れます。2日作ったら1日休もうかしらと思うくらいだけど、
でも私の場所が用意してあるのだから、やっぱり疲れない程度にはがんばらないとね。

おもちの出荷が終わってから、鳴子の玉子屋さんのところまで、店主のご夫婦とあやさんに会いに行き
ました。
あやさんは通夜も葬儀も大車輪で手伝ってくれたけれども、夫を見舞いに来てくれた時、まさに夫の
命が尽きようとする時だったので、「えらいところに来ちゃった」と大慌てに慌てていたのを覚えています。

玉子屋の武さんと奥さんとあやさんとしゃべっていたら、元気回復してきました。
明日から2連休。別口の注文もあるので、午後いっぱい、一人でお餅を作ります。

 

食事の支度の心配はありません。
今日も貰った!!!

すごいたくさんのアスパラガス。

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そしてみょうが。
そして今年のひよこが育って生んだ卵をたくさんもらいました。
「ぼくは卵から生まれたの?」と凄い質問をする孫の所望で鉄板焼きなど作って全部食べます。

家の周りに今たくさんあるホップ。

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昔、この集落の人たちはホップで一儲けしようとみんなで挑戦したのだけれど、失敗したそうで、その名残
りの花です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お餅屋仕事再開

初七日が終わって、もうお彼岸なのでお餅屋のお仕事今日から再開。

道の駅の直売所に10日ぶりくらいに行くと、「お客様がまってたよー」と従業員から言われました。

毎土曜日にわざわざ仙台から来て「冷凍しとくんだ」と2個入りパックのお餅を4個も5個も

買ってくださるお客様がいます。だから私も週末が近くなると「行かなきゃなあ」と落ち着かなく

なります。

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10日も休んで買ってくださるお客様がいるのかしらと思ってたけど、9時から始めて11時にはほぼ売れ

ちゃいました。やっぱりオトーサンの餡子の味は強いです。

 

オトーサンのガンは前立腺がんの手術から始まって、大腸がんで手術、転移して肝臓がんで手術。

その間にもちっちゃい手術などで、お餅仕事ができないことがあったから、その都度紙に材料目方など書い

てもらって冷蔵庫に貼り付けて私が替わりに作りました。

その材料の量の細かいこと!さすが、元システムエンジニア。後に営業に転じましたが、一緒に働いて

いた人なら、「ああ、彼らしい」と納得するのでしょう。

砂糖343グラム、小豆521グラムなどなど、どうしてもこの1グラムはなんなんだ。豆1粒、砂糖ひとつまみ

になんか意味あるの?なんて面倒くさがり屋の私は思ってしまう。でもそうやって、今お客様から「餡子が

おいしい」と言っていただく夫手作りの餡子ができあがっていったのだと思います。

毎日毎晩3時間くらいかけて翌日の餡子を煮てました。

 

道の駅を終わってもうひとつの出荷場所のスーパーマーケットに行ったら、少ししか出していないのに

従業員の方からお客様が「待っていたよー」 と。
もう一人の男性従業員が「あの餡子は美味しい。おれ、餡子フェチなんですよ」と言ってくれました。

 

もともとはコンピューター会社の社員です。退職してお餅を作って餡子を作って直売所で販売して

お客様から「おいしいよ」と言ってもらえるなんて本当に幸せなこと。

 

しかし、本日は苦労しました。

午前中用事で外出して、3時頃に帰り、家の前の直売所に明日のお餅のための餅米を買いに行ったら

閉まってました。あわてていつもお米をお願いしている農家さんに電話をしたら、稲刈りの最中とかで

ダメ。思いつく限りのお米のあるところに全部電話をかけてみたけど、9月の終わりのこの時期に昨年

刈り取ったお米が残っているということはほぼありません。

万事休す、明日はお餅は作れない、と諦めかけたところに、農家さんから電話が入って残りのお米5袋

を用意してくださるとのこと。大急ぎでとりに行きました。

 

この辺りの女性はみなさん、ほんとに力持ちで、30㎏入りのお米の袋をみな持ち運ぶんですよねえ。

私の力では押しても引いてもびくともしない。

ちょうど居合わせた黒田さんと二人、家の前の直売所のコイン精米所まで運んだはいいけど、

お米の入れ場所は間違うわ、なかなか動かせないわで二人で四苦八苦したあげく、めでたく精米して

持ち帰りお米を洗いました。

オトーサンがいないから、えらい大変!

でも明日もがんばります。

 

畠に敬老会用の花を切りに行ったら、まだ枯れないで背丈を伸ばして咲いてました。

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たくさん切って、誰もいない由美ちゃんちの勝手口の前に置いてきた。

 

 

 

 

 

 

なぜなぜ問答

これも忘れないように書いておこう。

亡くなった夫がよく言っていた言葉があります。

「なぜなぜ問答をしたほうがいいよ。そしたらホントの答えが出て来る」

夫がそう言うのは、物事が自分が思ったように進んでいなくて、「なんでこうなっちゃうのー」と

愚痴る時。考えるんだけど答えが出ない時。物事の経過を分析しきれなくて、うまくいかなかった

原因を自分以外のせいにしようとしている時。

そんな時に「なぜだー?」「なぜだー?」を積み重ねて繰り返せ。そした理由が探せる、と言って

ました。理由が探せたら冷静に動けるって。

現実に、私が夫に誰かのことを愚痴って「何故そう思うんだ?」

「あの人のその行動が嫌だったから」と答えて「なぜその行動が嫌なんだ」と訊かれ続けていったら

頭に来て「もういい!もう言わないッ」と怒っっちゃうのが常なんですが、夫は上司の方からいつも

「なぜだー、なぜだー」と言われ続けていたのだそうです。

 

この話を書いていたら、今郵便屋さんがきて、当の上司の方からのお手紙を運んできてくれました。

本当に偶然です。普通はお年賀状の行き来しかありません。会社の何方かがご連絡してくださった

のだと思います。

お手紙にはこう書いてありました。

 

IBM・JSC時代、特約店新事業が無事スタートできましたのは、彼の企画力、努力の賜物と思っています。

彼には感謝しています。と・・・。

 

夫が亡くなって寂しいでしょうと、よく言われますが正直あんまりよくわからない。

周りに人の出入りが多いのと、自分の友人たちが連れ添った伴侶を失くしても雄々しく生きているのを

見ているし、何より宮城という震災被害の大きい土地に住んで、南三陸、石巻、女川と大きな被害を

受けた方々と常々の交流がある日常では、自分の寂しい悲しいは我慢できる範囲だと思う感情

があります。

 

でも思いがけずこういうお手紙が舞い込んでくると、しみじみと、「よかったねえ、オトーサン、山田

さんが誉めてくださっているよ」とほんとうに嬉しい。

 

山田さま、お教えいただいた「なぜなぜ」は、夫から受け継いで私が問答してまいります。

長年のご親切心より御礼申し上げます。ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人として忘れてはいけないことー初七日にー

先週終わった夫の葬儀では、いえ、葬儀だけではなくて夫の死の前後に起ったさまざまな事柄には

人として忘れてはいけないことがたくさん詰まっていたように思います。

人が死ぬという生の終わりの凝縮された時間だから、磨ぎ澄まされたようにその人の生きた証がその短い

時間に滲み出てくるのかもしれません。

 

もう今日は初七日です。

72歳の私のボケかけた頭では、ここ10日ほどの間に起った、私が「人として忘れてはいけない」と思う

大切なことをあっという間に忘れそう。

ここでオトーサンが生きているなら、いつものように、「今度のお葬式でさァ、私思ったんだけど」と夫の記憶

装置と分析力を利用させてもらうんですが、いかんせん居ないもので、自分なりの努力をして忘れないよう

にしておこうと思います。

 

このブログは海の手山の手の私のつぶやきでもあるけれど、都会で生まれて都会でしか暮らしたことのな

い都市型人間の夫婦が、退職後の人生を、まったく見ず知らずの東北の田舎に移住して、どう生きて

どう終わろうとしているかが行間に詰まった記録のようなものでもあります。そしてその都会からきた田舎で

の暮らし方を全く知らない私たちを、集落の人たちがどのように受け止めてくれたか。

 

今書かなかったら忘れそう。

 

今日は初七日でした。

お盆に御参りするお墓にも家の中の仏壇にも全く縁なく育った私は、初七日とか法事とかには参列した

ことがなく、今日の夫の初七日も何をするのか、どういう意味があるのかわからない。

 

夫が亡くなっていく間も亡くなってからも、常に我が家に気を回してくれている近所の由美ちゃんが、

朝早く「仕事が入っちゃったよー」と駆け込んできました。由美ちゃんは10何頭の牛を飼っていて、広く

米も作っていて、トマトも作る専業農家の奥さんでいながらヘルパーさんです。

夕べからいろんな準備をしてくれていたらしく、重箱その他に御馳走を詰め込んできました。うちには

ないたくさんの座布団も持ってきた。

これが由美ちゃんが朝作った法事用の御馳走です。おいしそー!!

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ご飯はきのう拾った栗で炊いた初もの栗ごはん。

「えー、うちまだ落ちてないよ」と言ったら、由美ちゃんちのは彼岸になる栗なんだそう。
へー、そんなのあるんだ。

お約束の時間は9時ですが、その15分も前に、由美ちゃんちの近くにある真昌寺の和尚様が、自分で車を

運転してみえました。

みんなが揃うまでにちょっと時間があるので、和尚様のお話しを訊きました。

「ガンを患った私の友達が40代の半ばに仏門に入り尼さんになったのですが、修行が大変だったというのです。お坊様の修業とはどんなことをなさるのですか」という私の質問に対して

「ご飯を作って食べて片付けて掃除をしてご飯を作って食べて掃除をする普通の生活が修行です」

300人分の食事を1週間作り続けることもあるけれど、その生活をしていて解かってくることがあります。
病は口から。口から出るものは災い。

「病は気から、ではないんですか?」

「病は口から。口から入るもので病になる。良薬は口に苦しというでしょう。気はひとつの要素です」

ちなみに和尚様は曹洞州のお寺のお住職で作法は禅宗、とうかがいました。

以前に私の両親が二人一緒に亡くなって和尚様に送っていただいた時にも、「50年間に初めてみたいなできごとだ」と仰って、集落のやり方を押し付けず、「どうしたいか、やりたい形をいいなさい」と何度も訊ねて
くださいました。今度も同じでやりたい形でいいのだからと、ここの集落では火葬が先なのですが、告別式
の後に火葬という私たちのやり方を集落の皆さんに説明してくださいました。

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畳のない洋風の家に座布団や応接台を持ち込んできての初七日です。DSCF1076

たまたま今日が休みだったということで、参列してくれた道の駅のオープン当時からのお友達。
鳴子の奥の中山平でブルーベリー園をなさっているお母さんが、この辺りの女性たちがそれぞれの家の味
で作る「紫蘇巻」と作ってくれました。

夜に電話をしてきてもらったすぐ上の別荘地の仲間であるNさん。最初の頃は時に話をする程度だったの
ですが、今ではみんなご近所が大事になって、参加してくれています。

背中を見せている千葉君は、南三陸戸倉まで夫と一緒に最後の釣りをした時には、二人で車に乗って
ほぼ1日二人で話をして、つききり付いて夫の釣りの世話をしてくれました。釣れたのはたった1匹だったけど、夫は以前のように自分でさばいて、自分で煮つけてきれいに食べてしまいました。千葉君が1日中、
ほんとに真剣に真剣に夫の体調に気配りしていた様子を私は忘れないと思います。

 

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こんなふうな初七日でしたが、夫はとても嬉しいと思う。

 

東京にいたらたぶん、こんなお葬式はしなかったし初七日もお葬式と一緒に済ませたり、という形を

とったと思います。でもここにいたから思いもかけず、普段の日々を一緒に過ごすみんなと一緒に

初七日を終わらせることができました。

 

私が楽しいというのもなんだけど、49日は子供たちも帰ってくるというから、夫が喜ぶような楽しい

49日にしようと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

六次産業化の仕事

台風一過で、今朝から真っ青な空が広がっています。

当地に台風が来るまでの雨や風が強かったので、どれほど木や花が倒れることかと覚悟していましたが

背の高い鶏頭とやたらに枝が伸びたスモークツリーが折れたくらいで終わりました。でもあちこちでたくさん

の犠牲が出て心痛みます。

 

葬儀の時のことを少し書きたいと思います。

私が住む集落に新栄建設という建設会社を営む三浦さんという社長がおられます。

この地に移住してきた12年前、毎年正月2日に集落の集会所で行われる新年会に家族全員お招き

頂き、部落の皆様に紹介してくださったのが最初の出会いです。

その時みえていた集落の方々から「よーくこんな田舎に来てくれましたね」と言っていただいたことが

鮮やかに記憶に残っています。

 

3年ほど経って、福岡に住んでいた私の父親と母親が私を頼って宮城に来ることになり、敷地の一部

を削って両親が住む離れを建てました。その時に山が崩れるようなことがあってはいけないからと、

法面工事をお願いし、それはそれは丁寧なお仕事をやって頂きました。

 

当地では12月の終わり頃から雪が降ります。だいたい20センチくらい。車で出入りするにはさほど

困ることはないのですが、時々それ以上降ることがあって、そんな時には別荘地の少ない住民で

力を合わせて雪かきをしていたのですが、みんな歳をとって自力雪かきができなくなってきました。

その頃から市の仕事で県道の除雪をなさっている三浦社長が、仕事の合間に別荘地の私道にまで

上がってきて除雪をしてくださるようになりました。

 

3年くらい前には、いよいよ除雪が苦しくなって、「ここにはもう住めないんじゃないかなあ」と思っている

ところに、市のほうから15センチ以上の積雪の場合には除雪車が入ります、と三浦社長からお話しが

ありました。

せっかく住んでくれたのだから、住み続けられるようにと三浦社長自ら、そして当時の区長さんが

市のほうに陳情してくださっていたのだそうです。

三浦社長や区長さんや近隣の方々の助力があって初めて、私たちのような都会の人間がここで

不安もなく暮らさせてもらっているのだ、と常に感謝しています。

 

亡くなった夫は三浦さんのことが好きで、何かあるとお話しをしに行ってました。個人としての自分よりも

社会人としての自分を優先させたい夫は、ここで何をすれば集落がよくなるのかなど、三浦さんとお話し

するのが楽しかったのだと思います。

 

葬儀の前日、三浦社長から実は「葬送の言葉を読みます」ということで、お話しする時間がありました。

その時に知ったのですが、なんと三浦氏は昨年秋に仙台メトロポリタンホテルで行われた仙台銀行

ビジネスクラブの講演会に仙台銀行のお客様として来られていたとのこと。

仙台銀行さんからは新聞バッグをたくさんご注文頂いて、そのうえ、ホールの入り口前にはここぞ

とばかり、たくさんの新聞バッグを展示した中で、ウロチョロする私を見かけられて、こういうことに

関係していたのかと大変驚かれたとのことでした。

 

「葬送の言葉」の中には私とともに海の手山の手ネットワークの最大の理解者であった夫のことが

入っていて、「俺は見ているだけで何もしていないのに」とこそばゆかったと思います。でも夫が1日も

休まず続けたお餅を作る仕事を「ここではなかった六次産業化としての仕事」と仰って頂いたことは

「値段が安いお米をできるだけ買って、加工、販売を工夫しなければお米は売れない」と言っていた

夫の言葉と一致して、大変光栄に嬉しく思いました。ありがとうございました。

 

もう明日は初七日です。早いものです。

穏やかな明るい陽射しの中にいて、「痛い?」「苦しい?」とドキドキしていた日が嘘のようです。

オトーサンのために買う食材はないけれど、お花をたくさん買いに行ってきます。