今日の道の駅周りの白鳥の声は凄かった。コウ、コウ、カア、コウ々々・・・・・。
白鳥ってあんなに大きな声で鳴き交わしながら飛ぶ鳥だとは知らなかったけれど、今日の白鳥の飛び立つ
数の多さから、さてはいよいよ本格的北帰行かと、カメラを持って追いかけたら、田んぼにおりてご飯を食べ
るのでした。なーんだ。田んぼの際から離れられない私のような暇な生産者はいないと思うけど、離れ
られないのです。鳥とか動物とか私は1日見てても飽きないのかもしれない。
後ろ髪を引かれつつ、本日ほっかぶり市開催中の国道沿いの酒饅頭とお蕎麦屋の老舗、花山太衛門さん
へ。 毎月第3土曜日に開かれる売り手買い手が全員手ぬぐいを被るほっかぶり市で、私は天然酵母で
パンを作る青い虹の、J子さんに会うのが楽しみなのです。フランスパン、人参パン、ライ麦パンなど買
うのも合わせて楽しみ。たくさん買って冷凍しておきます。
先日バッハホールの演奏会でタキシード姿でチェロの演奏をした早川さんは、今日は早川さん曰くの
本当の姿で手ぬぐいほっかぶっての演奏。どっちもホンモノだ!
そしてこの日、この時間を利用して、会いたい人、会わなければならない人と、お昼のお蕎麦を食べながら
歓談、雑談。今日はこれから有機農業を目指す古川のM江さんとそのお母様。もう構想はしっかり固まって
いて第一歩が始まっています。有機農業とはなんぞや。私も本当には知らないので一緒に学ばせてもらい
ます。
古川での新聞バッグ講習を終えて、黒田さんと講習に参加した石巻の折り手さん、Kさんも合流しました。
Kさんのご主人は今は退職されたけど、元は漁師さん。獲った魚を利用して、長年農薬を使わない有機農
業で野菜を栽培されてきたけれど、その畠が津波で流失。津波が去った後に残ったのは厚く堆積したヘド
ロ。 ところが新しくそこで作った畠では、これまでに増して立派な野菜が育つようになった。
ヘドロが肥料の役目を果たしたのだろうか。そしてご主人は酵母菌を自分で作ってパンを焼いている。
というお話をKさんはしてくれました。
当のKさんはご主人手作りの工房に2台の大きな機織り機械を置き、糸をを紡ぎ、染め、機を織り、織った布
を服に仕立て、バッグを作り(自分で紡いで織ったのよ、という娘さん二人のウエディングドレス姿の写真を
見せてもらったけれど、人間離れしたこのこの根気には脱帽。長く裾引くウエディングドレスの布ですよ!
ほんと、びっくりした)、そして夜の空いた時間には新聞バッグを作るという、モノ作り三昧の生活をなさって
ます。これほどなんでもかでも自分で作っちゃうご夫婦は少ないと思うけど、近いいうち、パンができる頃に
有機の畠を見に行こうと思います。
そして今日の最後の仕事は、お隣りの加美町へ。
加美町在住のIさんが作ってくれた新聞バッグの取っ手部分の規格が何の手違いか合ってなくて、100にも
及ぶ新聞バッグを返却しなければならなくなりました。特注品なので、受け取るわけにはいかないけれど、
返却します、というのは何よりつらい。 時々こういうことが起こります。
説明してお詫びしたら、たくさん時間を使って一生懸命に折られただろうIさんは、内心の衝撃を抑えて
嫌な雰囲気を全く見せずに気持ちを納めてくれました。そして、近々行われるイベントで「使っていいです
か?」と。
こういう展開は何より嬉しい。詳しいプログラムを見せてもらったそのイベントはいかにも楽しそうで、私も
見せてもらうことにしました。
このひと月気がかりだった返却をやっと終えました。せっかく作ったのに、ダメだと言われたらそりゃあ
ガッカリするよねえ。でも止めよう、なんて思わないでほしい。
ほっとして安堵の目で見る加美町宮崎の田園風景の美しいこと!夕暮れ時のうす雲の中にぽっかりと
富士山型の小さい独立峰、薬来山が浮かんでいます。
たかだか新聞紙で作る新聞バッグ。でも教えるほうの黒田さんもあやさんも、作り方を習って新聞
バッグを折る人も、新聞紙の選び方、折り方、ノリの付けかた、ひとつひとつに時間をかけて真剣
なのです。根底にあるのは、新聞バッグといえどお金を頂く商品だもの。完成度を上げなくちゃ、と
いうモノ作りの姿勢であり基本です。