TOHOKU SHINBUNBAG PROJECT

朝からのJTBさん新聞バッグワークショプが終わると、古川駅へ。
はるばる四国高知の四万十から、復興庁支援プログラムとしてTOHOKUSHINBUNBAGPROJECTのワークショプ
のために大崎までやってきてくださった四万十チームの方々と再会しました。

昨年10月こちらから出向いた新聞バッグコンクール以来です。

メンバーはPUROJECTリーダーの畦地履正氏。四万十川にある道の駅とおわ社長。
日本のトップデザイナー、梅原真氏
歌手のうーみさん
ファシリテーターのスペシャリスト畠中智子氏。よさこい踊り日本一。
ファンドレイジング担当、智子さんのご主人の畠中洋行氏
昨年の7月畦地さんと一緒に鳴子温泉まで来て新聞バッグの講習をしてくださったインストラクターの黒田さん。

東北村のメンバーも合流して南三陸に向かいました。

海山ネットで新聞バッグを作ろうと決めて、初めて四万十の新聞バッグを見、その新聞バッグが販売されて
いるという道の駅とおわのパンフレットを見た時、「四万十の中流から考え方を売る」と言うフレーズにしびれました。
なんという斬新な、思い切った言葉の選び方かと。考え方を売る、なんて聞いたことない。

その言葉を書いたデザイナーが梅原さん。だと思う。

今日はその梅原真氏の地域にあるものを見直し、考え方をデザインするプレゼンテーションを受けられるのです。
海山ネットをやっていてよかった!!

会場は歌津の平成の森。南三陸で一番大きな仮設住宅があるところです。
TOHOKUSHINBUNBAGPUROJECTは、新聞バッグの生みの親である四万十チームに協力していただいて、
海山ネットと南三陸で立ち上げた被災者によるNPO、県南の企業さん、が3者で協力して新聞バッグ
活動の市場を拡大しましょうというプログラム。

プレゼンテーションは素晴らしかった。恰好よかった!
そして畑中智子さんのファシリテーションは大変手馴れていて解かり易く、取りこぼしがなく素晴らしかった。
日本中飛び回っての地域興し、町興しのエキスパートならではです。                           昨年高知に行った時、四万十までの道のりにある小さな古い町にも町興しの手が入って、住民の気持ちが入っていることが読み取れて感心しました。

 

3時間のワークショップが終わったら、建物の外に菊の師匠の奥様ムッチャンが寄ってくれてました。
南三陸でこうしてみんなで顔を合わせるのは楽しいです。

帰途、海山ネットの新聞バッグインストラクターケイコさんシンコさんの仮設住宅に寄りました。
四万十の方々に教えていただいた新聞バッグが作成されているところをお見せ。できるチャンスです。

ケイコさんたちが作った新聞バッグにサインもしていただきましたよ。

 

夜は古川に戻って歓迎、交流会です。
昨年は気難しい方に見えた梅原氏が、食事もお酒も会話も楽しまれる気さくな方と解かってほッとしました。
これからいろいろ教えを乞いながら、新聞バッグを広げてゆけたらいいな、と思います。そして是非とも
東北に行った甲斐があった、と言っていただけるような活動にしたいです。

それにしても暑いねえ。
畑の白菊もピンク菊も立ったまま日に炙られて焼けてきました。
野菜も花も危機的状況になりつつあります。
雨がほしいーーッ

 

 

 

 

 

JTB関東の皆さまと新聞バッグワークショップ

朝からの新聞バッグワークショップに備え、早起きしてお餅の仕事を終わらせて、鳴子の公民館へ。
何回かやって少しは慣れたとはいえ、やっぱり多人数に新聞バッグの作り方を教えるのは、代表よっちゃん、
事務局KJ、先生のあやさん、私、オールメンバーで緊張しまくります。

「新聞バッグの作り方を知ってもらって、それがどう展開するのか?」
「新聞バッグの中味が大事なのよ」
「だから、だから、みんなよくなるのがいいんでしょ。JTBさんも私たちも、お客さんも東北も」

道具を持って机の間を動き回りながら、普段話しとけばいいような話をあーだ、こーだと言いながら準備
をします。

8時半開講。

みなさん男の方ばかりで、折り紙みたいなことはあまりなさったことないと思うのですが、それでも
がんばっていただきましたよ。

社員の研修も、外に出てこういう形でやっていただくのは嬉しいです。
東北に来て、復興商店街でお買いものして、宿泊してだけよりも、新聞バッグでもなんでもいいので
地元の人と交流しながら研修をする。
そしてその体験がその後のお仕事に活きるというようになればうれしいのですが。

 

中国の方の時は時間がなくて、作り方を端折らざるをえませんでしたが、今回は1時間の時間いっぱい
新聞紙から作っていただきました。本体が出来上がったら次は取っ手まで作ります。

思わぬ時に災害が起こって、家や仕事をなくすようなことがあったら、何にもなくったって手と体が残ったら
こうやってモノを作って生きてけますよー、と私たちは新聞バッグを作ってます。
新聞バッグが出来上がると、みなさん、バッグは何かを入れるもんだと思ってしまいますが、そんなことない。
本体だけを作ってじゃがいも入れたり、壁にピンで留めてハガキや手紙を入れたり。
バレンタインの時には外国の色のきれいな雑誌を使ってチョコレートを入れる小さなかわいいバッグを作り
ましたよ。
子供さんのいらっしゃる方は、子供さんのカードや文房具を入れるお洒落な新聞バッグを作ってください。

JTBのみなさま。大崎を訪ねて下さってありがとうございました。

 

 

 

 

 

JTB関東社員研修事業の皆さま大崎来訪

いつだったかだいぶ前、大崎観光公社の早川氏がJEB東京の方を事務所に連れてみえたことがあります。
教育事業、(つまりは修学旅行)を担当されている方々でした。                               その時に来られた3人の方と短い時間でしたがお話したのでしたが、帰り際「この次は社員研修で来たい
と思う」と言って帰られました。

3人の方はみなさんそれぞれに大変熱心に私たち海の手山の手ネットの話を聞いてくださり、JTBといったら
旅行のことしか知らない私にも、今たくさんの問題を抱えながら再生しようとする東北の姿を何かのかたちで
担当する関東の子供たちに見せたい、関わらせたいと感じていらっしゃるのが伝わりました。

でも半信半疑。ほんとにそうなるとは思ってなかった。

朝東京を発って、お昼を南三陸のホテル観洋でとり、さんさん復興商店街、被災地現場をみて4時半、
大型観光バスで御一行様50人が到着。そのままバスに乗り込んで鳴子温泉へ。

海山ネット代表よっちゃんと私とでバスの中で海の手山の手ネットワークの活動と新聞バッグの話をしました。

よっちゃんも私もお話ししたいことは同じです。
新聞バッグは新聞で作ったモノを入れられる袋です。でもただ袋だけではなくて中身がたくさん詰まってる。
「それは新聞バッグの作り手である海の手さんたちの思い。仮設暮らしの生活のリズム。新聞バッグを作って
得られる報酬。新聞バッグを通じて作られる人と人との繋がり。心の繋がり。新聞バッグに入れて販売する
地域の物産。地域の再生。東北の再生.etc」
新聞バッグに詰まった物語に耳を傾けてください、と。

そしてここで出会ったご縁を一回きりではなく、どう繋いでいくか、どうぞ一緒に考えてください、と。
ただ研修に来て視察にきて、お買いものをしていただいて、それで終わり、というのはつまらないもの。

明日は早朝からワークショップです。
良い出会いにしてゆきたいです。

 

猫も昼寝に困る日中の暑さですが、うちの居候シロリンは涼しげな場所を見つけて「涼しいニャー」とゴロン。

いいなあ・・・。うらやましいこって。何度言っても言い足りないくらいアッツーーーイ!

 

 

 

手拭いの一生、花の一生

連日の猛暑、酷暑はあと1、2週間続くそうです。

毎朝毎夕切っている畑の花々も土の乾燥で、畑に植わったままぐったりしています。
切ってすぐに水切りしなきゃいけない過酷な状況にあります。かわいそうに。

畑に水をやればいいようなもんですが、広いし、土が乾き過ぎて湿りにくいし、花を切って売ってしまえば
終わるんだからと思うと水をいれるのも躊躇します。
それにお盆の花を売る時期のピークはもう過ぎているので、売るのも楽ではないのです。
他の花と組み合わせるとか、量を多くするとか、お客様に買って頂くには工夫が必要です。

他の切り花を作る人は、だいたい次の作物のタネをまくので(白菜とか、ブロッコリーとかの秋蒔き野菜)
売れない花を長々と置くのはやめて抜いたり、水をやらずに枯らしたり、耕して土に漉き込んだりします。

ところが私はそれができない。
抜くのも枯らすのもできなくて、花が咲いている限り咲き過ぎた花をとったり、短い花は花束にしたりして
粘りに粘る。そしてもうこれ以上はできないというところで、ようやく諦めて処分します。

疲れるんだけれどやめられない。                                                売りたい、というんじゃないんだけど、タネから蒔いて育てた花だから、花は花として終わらせたいというか
そんな気持ちがあるみたい。私は農家ではなくて花の栽培者だからかしら。

 

イタリアのミラノで手作り雑貨のお店を経営している日本人女性今さんは、お店で時々モノに関わるお教室を
開くそうです。今人気があるのは風呂敷講座。もともとは買っていただいたアフターサービスで始めた
ということですが、なかなか人気があるそうです。それで手拭い講座も開きたいと。

頭に巻くのも数パターンあるし、ペットボトルを包んだり、あずま袋に縫ったり、子供の服を作ったり。
最後は雑巾、はたきにまで形を変えながら長いこと使ってあげる「手拭いの一生」を尊重すること。
そんな日本文化を知ってもらおうと思っているけど、日本にいる時には意識したこともなかったので
お母様が笑ってる、とメールを頂いたことがあります。

「手拭いの一生」

いい言葉だなあ。

私も「花の一生」を尊重したいのかもしれないです。
そのおかげで、毎日暑い暑いといいながら汗ダラダラで畑で花切りをやっているわけですが。

 

今日の初挑戦。
海山ネット事務局KJの次男さんは明日結婚式。引菓子用アラレの注文を頂いて、心をこめて作りました。

このアラレは毎日搗くお餅の残りを薄く切って乾燥させて、乾いたら揚げて仕上げます。
うちのお餅は、青豆塩味、黒豆塩味、ごま砂糖味、に季節限定でよもぎのお餅に枝豆のお餅。なので
アラレの中味はそのお餅のミックスです。

先日からよっちゃんなんばんを入れて餅を搗くという新製品開発をやりまして、そのよっちゃんなんばんコラボ餅
も薄く切ってアラレに入れました。これは好評です。
また新たにカレー味というのも作ったので、これはカレーだけのアラレでいこうかと考えてます。

おめでとうございます。寿マークも入れましたよ。
末長くお幸せにネ!

 

 

 

 

連日猛暑

花を切るのは朝と夕方。
朝はすっきりとして気持ちがよいのだけれど、夕方は暑い。

アッツーーーイ!!

この雑木林でぐるりと囲まれた畑だから、夕方4時ごろここいいると、風が通らなくてすごく暑い!
この花々を毎日毎日切ってますが、減ったような気がしません。

千日紅は10月終わりに霜が降りるまで咲いてますが、ことしはたくさん作ったのでドライフラワーにして
新聞バッグのお供にすることになっています。

長いこと雨が降らないので畑はカラカラ。 雨がほしい。
花が終わったところから耕して野菜のタネをまく時期なんだけれども、遅れてます。

猛威を振るった雑草も刈ったら後が伸びなくなってきました。暑いけど夏も終わりももうすぐです。

田んぼの稲が黄色くなってきました。

今年のお米の収穫は早そうですよ。

暑いけど、明日も花切りがんばります

 

 

 

 

アウシュビッツ強制収容所の番組を見て

毎日暑いです!
眠たくても必ず5時に起きてすぐ畑に花を切りに行きますが、その時だけは涼しい、というか起きたばっかりだから
身体も楽、空気も爽やかで「やっぱ仕事は朝がいいね!」と思うのですが、だんだんトーンダウン。
また日が陰り始める4時から畑に行って菊やアスターを切り始めますが、昼間の暑さが残っていて、終わって帰ると
ヘロヘロです。あーーーー、雨、降って欲しい! 全然雨が降らない。

 

この頃戦後67年で、戦後とか戦時中とかのテレビ番組が多いですが、ドイツのアウシュビッツ強制収容所を
日本人のガイドが案内してくれるという番組を見ました。

奥の奥まで案内してくれて、すごいなあ、人間ここまでやれるのかと思う。私はまだ行ったことないけれど、これは
行った方がいいなあ、見るべきだなあ、と思う。私もうちの4歳も、大きくなったら。

 

髪の毛ばっかりの部屋。金髪が目立つ。あまりにもたくさんの髪の毛に衝撃を受けているところに髪の毛で作った
何層にも重なった絨毯が出て来て見るだけで言葉を失くす。次、子供のおもちゃの部屋。一人一人の子供が大切に
していただろうおもちゃやお人形の山。そして子供の靴の山。大きな大きな山。この靴の向こうには一人一人の子供がいるんだよなあ、と思ったとたん、ダメだ、涙する。

そこでふっとふたつのことが思い浮かんだというか考えたのです。

昨年、高知県の四万十ドラマから「新聞バッグコンクール」のお誘いがあった時、私たち海山ネットのメンバーは、
7月から新聞バッグを作り始めて10月ではさほどの自信はないのですが、置かれたシチュエイションがあまりにも
特異であることから、歴史的な新聞バッグを作って賞を貰うんだ、と張り切りました。

この機会に支援していただいた全国の皆様に感謝の心を表したいと、新聞バッグに詰めるメッセージは「感謝」として海の手メンバーの一人一人が自分で選んだ新聞を使って新聞バッグを作り、四万十に送りました。

 

そしてコンクールの日にはよっちゃん、奥さんのみっちゃん、そして私の3人で飛行機に乗って四万十に出向いたのです。コンクールは廃校になった美しい学校で行なわれていて、たくさんの新聞バッグが展示されてました。
震災関係の新聞バッグはひとつの部屋に集めて展示されていました。それができるまでの日々のことは、短いようでもいろいろな出来事を越えてのことだったので、ズラリと並んだ新聞バッグを見た時には「おう、やっとここまできましたね。みんながんばったねー」と思わず涙が出ました。

 

ところが、その後の懇親会で隣に座った人、後ろの人などから「あの教室に入れなかった」「見れなかった」「私たちを忘れないでと叫んでいるようだった」との声が。
びっくりしましたねえ。なんで? みんなで一生懸命作ったのだから見てくださいよ。教室に入ってくださいよ、と
思ったのですが、そこではたと被災地の中にいて、それが当たり前だと暮らしている私たちは被災地の悲惨が日常になってしまって麻痺しているんだ、と気づかされました。

アウシュビッツを見ていて、そうなんだ。悲惨の度合いは違うが同じようなことなんだなと思いました。

何かの技術者だったために、アウシュビッツで殺されずに生き残った人に「どんどん人が殺されていくことにどう思ったか」と尋ねたら、その答えは「慣れた」ということでした。

福島のこともそうです。自分たちに何の落ち度もないのに、、飯館村のように自分の家に帰るのに鉄条網で帰れないというような悲惨の中に取り残されて、それが生活だと慣れるしかなくて暮らしている人たちを、そうでない人達はどう理解するのか。逆に悲惨の中で暮らしている人たちも、悲惨がない暮らしがどんなものだったか想像が及ばなくなる。お互い自分の生活の範囲しか見えていないから。

東北に住む私たちが福島の向こうには国境線のように線がある、と感じてそんな話をよくしますが、そういうことなんだな。

 

それともうひとつ感じたこと。

いじめの問題は深刻だけど、日本の学校の修学旅行で韓国など連れて行かなくて、アウシュビッツとか原爆ドームとかに連れて行けばいい、と思いました。人が我を失くして行きすぎれば、こんなことまでやるんだ、と。
あの靴の山を見ればおもちゃの山を見れば、「人をいじめてはいけないよ」と百万言言うよりも、よほど感じるところが
あるでしょう。

平和はありがたいことだけど、長年の平和は、人を平和に慣れさせてしまう。
アウシュビッツの番組を見て、そんなことを考えた夜でした。

 

 

 

東北村&日高くるくるネット&海の山の手ネットワーク、海山教室の夕べ

田舎郡東北村と埼玉県の日高くるくるネットの催しに、海の山の手ネットワークのメンバーも加えてもらって第2回目の海山教室開催。鳴子温泉の旅館で晩御飯を食べながらお話しをしました。

左から埼玉県の「たねの森」代表の紙さん、海山ネット代表&田舎郡東北村村長のよっちゃん、
東北村事務局マッチャンです。

「たねの森」代表の紙さんは、昨年の311の大震災以降、東北応援隊を結成され、沿岸部の各地を
何度も何度も訪ねてはいろいろな形での被災地応援をしてこられました。その何度めかの時、
岩出山に寄ってくださって、梅農場でお会いしてからのご縁です。

また紙さんは、エネルギー自給やライフスタイルの見直しを考える集まり、日高くるくるネットの代表でもあります。

今回は1日目は福島、2日目は南三陸を見て、その後に鳴子温泉に到着されました。

日高くるくるネットのメンバーの方たちはみなさん逞しくて赤ちゃんも小さい子供さんも一緒でした。
赤ちゃんがはいはいして行ったりきたり、ちっちゃいお姉ちゃんは駆けて行ったりきたりする
今回の海山教室は、初めての体験ですが、みなさんの福島や南三陸を見て体験しての感想は意見は、
聞いてよかったです。

この子供たちすごいなあ。
埼玉県から東北自動車道で福島まで、長時間を車の中で過ごして福島で一泊して、翌日は
南三陸まで行って夕方鳴子に到着という大人でもうんざりするくらいの長時間ドライブなのに
1歳2人もちっちゃいお姉ちゃんもお兄ちゃんたち3人も全員、疲れなどものともしないくらい
機嫌がよく元気なのには驚きました。

きっとお父さんお母さんがしっかりしていらっしゃるんだね。

長時間ドライブに備えて車の中には紐を張って洗濯物が吊るしてありました。
移動の時はおんぶ紐でお父さんやお母さんの背中におぶわれてました。                         こうやって機会あるごとに大人も子供も一緒になって旅をしたり、勉強会をしたりしていたら
子供たちはきっと自然を大切にする、世界は広いと理解する大人になっていくでしょう。

10時までいろいろなお話しをして散会。
みなさんは温泉に入って長時間トライブの疲れを癒し、私たち近所組は帰宅です。

大震災から1年半以上が経って、町の被災そのものはなーんにも変わらないねえ、という実感があります。

でも被災した人たちの内面は、仮設住宅に入って、何らかの仕事に就けたとしても、入った時とは違う重さ厳しさが、じわじわと増してきていることを感じます。

 

 

 

 

 

報道写真家、渡辺菊次郎氏の言葉

毎朝5時から花切ってます。切っても切っても咲いてきます。もう花に溺れそうです。

うちの4歳のTaiのミニミニ菜園。
一応本人が好きな野菜は、かぼちゃ、枝豆、トマトなど揃っています。タネまきの時から見てるので、このかぼちゃは
自分ので、タネを蒔いたからできたんだ、とわかってます。畑にはTaiのスイカが転がっています。
美味しそうに見えないので、大人は採りたがりません。タネを蒔いて野菜を育てて、食べ物は自分で作れると
体感してくれたらいいと思ってます。

そういえばガサガサ探検隊の隊長の中本賢氏は、獲れたザリガニやタニシの説明をする時、「ザリガニは食えるんだぞ。覚えとけよ。何かあった時には食えるからな。タニシも食えるが、夏は病気になるから食べてはダメ。冬は食べられる。覚えとけよ」と子供たちに説明してましたっけ。

 

今日はこれまで知らなかった報道写真家を知って大変感動しました。
反骨の報道写真家として知られる福島菊次郎氏。
広島の原爆の被災者の写真を長く撮り続けられたほか、一貫して政治や公害や福祉などの社会的問題をライフワークとして写真を撮りり続け、ジャーナリストとして文章を書いてこられた方。

その方を今朝のテレビで見ました。

お歳が91歳で、40キロにも満たない痩身、13歳の愛犬のロクと共に、月10万円ほどの原稿料収入で
暮らしておられるのだそうです。
国の悪口言って、年金はもらいたくない、と。

菊次郎氏の仰る一言一言に感銘を受けました。

「戦後67年。原爆を落とされて約70年経って、今度は福島で事故が起きた。70年経っても日本は何も
変わっていない。変わっていないことの恐ろしさ。1枚の写真くらいでは何も変わらない。これからも変わらないだろう。

でも変わらないだろうけれど、知ってもらいたい。真実を知ってもらうために自分は写真を撮り、1枚でも
見てほしい。」
「自分はまだ現役である。余命1年。1年生きたらまた余命1年」

私はこういうことを言う方を今まで知りませんでした。
これまで何も知らずにいた人を、ある日突然知ることになる。その生き方を、その思想を。
時間がなくてほとんどテレビを見ないのですが、朝のニュースと夜の報道番組は見ます。そのおかげで
こういう方を知ることができるのだから、テレビってありがたい!と珍しく思いました。

 

明日は埼玉のくるくるネットさんとのワークショップ。このところお盆で海山ネットはちょっとだけ静か
だったのですが、明日からやることが盛りたくさんになります。がんばります。

 

 

 

 

 

第1回ガサガサ探検隊in岩出山

俳優のアパッチけんこと中本賢さんが岩出山で企画してくださった第1回目「ガサガサ探検隊」に参加しました。
海山ネット代表よっちゃんがテレビの番組で中本氏とお知り合いになったことから、はじまった「ガサガサ探検隊」

何をするのかというと、田んぼの用水路の中に入って、昔私が子供の頃川の中でやったように足でガサガサ
として魚を追い出すんだそうです。
今回の獲物はザリガニ。スルメで釣るそうだけど、私は昔もっと違うもので釣った覚えがある。

参加するのはうちの4歳tのTaiです。私は保護者として参加。
朝9時、岩出山の町中を流れる江合川に集合。その後現場に向かいます。

どこでザリガニ釣るのかと思ったら、47号線沿いの田んぼの水路だった。こんなところにザリガニいるの?と
思ったらいましたよ。たっくさん!

最初は子供がいない、と言っていたのが、なんと24、5人もの子供が。
久しぶりにこんなにまとまった数の子供たちを見ました。私がこの地に住み始めた頃は私の集落の小学校の生徒数は50人くらいだったのに、今は全校生徒数35人ですって。この町には同じくらいの生徒数の小学校が4校あります。その他に分校もあったけど閉鎖されました。

ザリガニが釣れました!

Taiは蛙は捕まえられるけど、ザリガニを触るのは初めてです。

はじめは裸足になるのも嫌がりましたが、ザリガニを見ると裸足も忘れておっかなびっくりザリガニを掴みました。
一回持ったら後は強気です。

たくさんのザリガニ、どじょう、タニシ、タモロコ、蛙3種類などなど収穫多量で、今度は川遊びのため江合川に
移動します。

まずはみんなライフジャケットをつけて川に入る準備をします。
次に全員そろって中本さんの指示どおり川の中に入ります。

Taiも生まれて初めて入る川の中にけっこう物怖じせずに入ってゆきます。
小さいTaiのお世話をしてくれているのは、岩出山のひよっこ隊長、タマゴ屋さんのユージ君。
ありがとう、ユージ君。「俺は川には入らないよ」と言っていたのに、志を変えて、Taiと一緒に川の中へ。

みんな川で泳いでます。泳げる子も泳げない子もライフジャケットつけて。

町に川はあるけど、鮎を放流する水がきれいな川だけど、子供たちが江合川で泳ぐのは初めてだと思う。
みんな楽しそう!
私は黒ラブラドール2頭を連れてきて、この川で泳がせていました。懐かしい思い出です。

超人見知りだけど、事象にはけっこう物怖じしないTaiもさすがに泳げず、水の中で棒立ちになっているところを
中本氏が抱いて水の中に。いい体験だね!

Taiにはお姉さんのお友達ができました。KHBのマリちゃん。
Taiはマリちゃんが大好きで離れたくありません。マリちゃんも石でダム作りをしてつきあってくれました。

バーベキューで昼ごはん。ザリガニ焼いて食べてる子もいましたよ。
昼ごはんが終わると中本賢さんが今日のガサガサの成果と関連するお話しをしてくれました。

今日捕まえたのは107匹。ここにいる生き物の生き物の種類の0.3パーセントくらいだって。

こんなにたくさんの生き物がいるこの自然があることを、「皆さん、誇りに思ってください」と中本氏。
ほんとに私もそう思います。
中本さんもよそ者、私もよそ者。他所からくるとこの土地の価値がわかります。
でもよそ者の私たちが解かるだけではなくて、この土地の人にこの土地の価値を知ってほしい。
失くしてしまってはほんとにもったいない豊かな自然に恵まれた土地です。

私が住み始めてから10年余り。人はどんどん少なくなり、休耕田も増えました。
どうしたら人が増え子供が増え生産力のある町を取り戻せるか。
こうやってガサガサ探検隊に参加して、中本賢さんのお話しを聞いていたらヒントが見つかるかもしれません。

楽しい1日でした。Taiにとっては最高の1日だったと思います。

さて、この次2回目は秋。今度は魚ではなくて何かを捕まえるみたいですよー。
Taiも、もう少し大きくなって参加します。

 

 

 

 

 

 

 

 

宮城の花事情

お盆になりました。

東北の各地から首都圏や県外に出て行った人たちが帰省して、いつも静かなこの町にも車が増え、
人が増え、短い期間だけど一気に賑やかになります。

私がこの町に住んで初めての夏、初めてのお盆にびっくりしたこと。
それはどこのお店にでももの凄いたくさんのお盆用の花束が並ぶことです。お盆前の11日、12日頃には
女の人も、男の人までも、買う時に指折数えながら、5束も6束も人によっては10束でも買って行く。
ということで、今、道の駅でも近所のスーパーマーケットでも盆花満載です。

これをほんとにみなさん、どんどん買って行く。凄い勢いで花が無くなり、私たち花を栽培する者は
畑で必死で花を切って補充する。

ここにもともと住んでいればびっくりするようなことではないのかもしれないけれど、長年東京近郊に
暮らしてそんな光景は見たことないので、一人の人があんなに花束買って何するのだろう、とびっくりしたし、
不思議でした。

東京のサラシーマンが、勤め帰りに花束を5つも6つも買うのなんて見たことないですもの。
まあ、電車でも困るしね。

以前から花を作っていた私は、花のお師匠さんから「宮城県は全国でも1、2といわれる花の消費地なんだよ」とは
聞いていたけど、実際に眼にして「ほんとなんだ」とは思ったけれど、何するのかわからなかった。

で、住むにつれてわかりました。
自分の家のお墓だけではなくて、親戚とか周りのお墓にもお花を供えるらしい。というのは今でも事情がほんとに
わかっている訳ではないので、自信を以っては言えないのですが、亡くなった夫の両親のお骨を預かって
頂いている納骨堂にも、どなたかが花を飾りトマトや果物などを供えてくださっているのです。

こんなところですから、納骨堂には夫の両親以外誰も入っていません。集落の人はみなさん檀家でお墓を持ち、
草刈りなどもしてお寺を護っておられます。
夫の両親のお墓は都会で自分たちで買った霊園にあったのですが、宮城からは遠く、長男である夫が故郷に戻る
気持ちがないので、どうしたものか、と集落の和尚様にご相談しました。

和尚様は先取の気風に富んだ方で、「いずれこういう時が来ると思っていた。先のことはわからないのだから
お墓のことは後で考えればよい。自分のほうで納骨堂を作って預かりましょう」と言っていただきました。
今我が家ではまだお墓は作っていないけど、お盆には納骨堂の観音様にお花を供えます。私が行く頃には
花入れはギュウギュウで入らないことが多いのですが。

13日の今夜のお寺は、道路からお寺まで上がる全部の階段にろうそくの灯りが灯されます。
何年か前の13日の夜、迎え火が炊かれたお寺の前を通りかかると、真っ暗な中で階段の上から下まで、
風でゆらゆら揺れるろうそくの灯りが続いているのを見て、胸の中が温かくなりました。

仏様が道に迷わないように。お参りの人たちの足元が危なくないように。

東北地方は、ご先祖様を大変大切にする土地柄なのだと思います。
周りの人に「みんながあんまりたくさんお花を買うからびっくりした」と言うと、びっくりする私に相手がびっくり、
というくらいに、ここでは当たり前のお盆迎えですが、もう盆茣蓙に供物を置き、帰省した家族との団欒が
始まっているのでしょう。

沿岸部でご家族を亡くされた方には、悲しみを新たにするお盆だと思います。
私たち海山ネットの活動も一歩一歩しか進めませんが、少しずつ進みながらみんなで元気になっていきたいですね。