またもやの北海道(ウトロまで)

2日間楽しんだ富良野を出て道東へ。

南富良野から狩勝峠を越え(霧で絶景が全然見えず)、新得町を経て、
また峠を越え、然別湖の湖畔を眺め、延々走って糠平湖へ。

樹林から時折り顔を覗かせるのは蝦夷シカ。
昨年もう少し遅い時期に来た時には、逆側の大雪山から走ってきて、
北海道で最も標高の高い三国峠で休憩。まだコロナもいなくてログ
ハウスのcafeでコーヒーを飲んだりソフトクリームを食べたりした
けれど、今回はそんな場所もなく走りっぱなしでタウシュベツ橋梁
まで来ました。

旧国鉄士幌線で使われたコンクリートアーチ橋梁群のひとつである
タウシュベツ橋梁は、上士幌線が廃線になったあとダム建設で湖底に
沈み、水嵩が少なくなった1月頃から湖面に姿を現し、増水する6月
頃からまた湖底に沈む「まぼろしの橋」と言われる橋梁です。

去年は水も橋梁も見えていたけど、さて今年は沈んでいるのかな。

増水してないね。

水が少ない。展望台から遠くに眺める橋梁はまだバッチリと姿がありました。
近くに行くには申請が必要。ヒグマとバッタリ、ということもあるので
散策はなし。

糠平湖から元に戻る道の途中で「東大雪自然館」に寄りました。
東大雪の自然や生態系の展示も素晴らしかったけれど、それより入り口で
まずは検温。次いで名前と住所を記入させる、というコロナ対応にびっくり。
こんなに人が少ないところで。
万全ということはないにしろ、ここまで対策をとる姿勢に感心しました。
夏休みに入ると人も増えてくるだろうから。



足寄の町の道の駅、銀河ホールで一休み。
足寄町は歌手松山千春氏の生まれ故郷。松山千春一色に彩られたホールから
朗々と流れる名曲「大空と大地の間で」を聴きながらの昼食。
張りのある声もいいけど、いかにも北国の生まれらしい力強い歌詞もいい。
元気をもらって、網走に向かいます。

網走に向かう途中の斜里長町で通りかかった通称「天に続く道」。

北海道にはこういうまっすぐまっすぐの道は多いので、道内違う場所にも
天国に行けそうな道が他にもあるのかもしれません。





網走に行ったら網走監獄に行ってみたいな、を思っていたけど、
近づいたら急に行きたくなくなった。
北海道開拓に力を尽くした受刑者たちの監獄での厳しい生活の跡
を観て、珍しいか、想像したいかというと、そんな気持ちには
なれそうにないので止めました。


ずいぶんな距離を走ってきて、ついに見えた海。オホーツク海!

左にオホーツク海、右には広大に広がる濤沸湖。その間に広がる
細長い砂丘の真ん中を国道と鉄道が貫くこんな地形は珍しいの
ではないか、と私的には思うのですが、その雄大な景色は言葉で表せ
ないほど美しく、車窓から言葉もなくみとれるのみ。

砂丘をびっしりと埋める緑は小清水原原生花園。
30年ぶりの再訪です。

右オホーツク海、左濤沸湖。
大きすぎる風景。何枚撮ってもうまく撮れない中からの1枚。


まだ7月の中旬で、花盛りだろうと期待してきた原生花園は、残念ながら
花の盛りを過ぎてました。残り咲きのピンクのハマナス、黄色やオレンジの
スカシユリ、エゾキスゲ、ナデシコやノコギリソウなどが海風に揺れて
いました。ああ、クロユリを見たかった。

海辺へと続く遊歩道。

ここの砂は鳴き砂である、という大きな看板を見つけて、砂浜を
ゆっくり歩いたり踏みしめてみたり跳び上がってみたりするけど、
いっこうに砂は鳴らず。

しかしオホーツク海はなんという茫漠たる海なのか。海の向こうを
想像し、流氷が寄せる海と雪に埋もれる浜辺を想像し、流石の騒々しい私も言葉
をなくし海を眺めて立ち尽くすひとときでした。

濤沸湖側に咲くノハナショウブ。

原生花園を離れて知床半島ウトロへ。


日が落ちる前に到着したウトロは、「ここからが世界遺産」という
看板を見たのみで町の様子はわからず宿泊所へ。

港では大きな建物が大きな工事をやっているようで、観光船も出る
ようだけれど、町中の建物の数は少なく静かな佇まいです。

今夜の宿はホテルとは趣が違って、ドミトリー形式。つまりは男性用
大部屋と女性用大部屋に、昔風で言うならお蚕棚のようなベッドがあり、
部屋に入るのも暗証番号を打つという形式ですが、年寄りの私は勘弁して
もらって、寝具とテレビのみある個室をあてがってもらいました。

初めてのSちゃんは嬉しいー!と喜んでいるけれど、この曲者の暗証番号を
忘れて出入りもままならない自分を想像すると恐ろしい。
大部屋はSちゃんひとりで誰もいませんでした。

さて、夜の食事は? というと食堂は1軒も開いてないらしい。
なんとか食べられるのは夜7時に開く居酒屋のみと聞いて、7時に出かけて
行きました。
慣れない土地での居酒屋。おそるおそる扉を開いて紫煙うずまく店内に
車を駐める場所は?と声をかけると、橋のところ。グーグルで調べて、と
意外な返事が返ってきて「?」。 え、もしかして不親切?

もうなんとなく腰が引きかけるところを踏ん張って(踏ん張らないと夕食抜き
になる)店内に。カウンターには寛ぐ地元の女性男性が3人ほど。
カウンター内で料理を作るのは男性ひとり。
旅の3人は奥の席へと案内されました。




旅情というのはこういうもんだと思います。
日常とは全然違う雰囲気。聞こえてくる言葉。海に関わる地元の人たち。
暫くして入って来たのは背中にギターを背負った男性がひとり。ギターを
弾いて唄うのかと思ったら唄わなかった。
そのうち扉から高倉建でも現れそうな気配の北の酒場なのでした。

しかし長かった。
7人もの呑んだり食べたり話しかけたりする客の、相手をしながら動き回って
料理をするのはマスターひとり。
そこを分かっていながら美味しそうなメニューに幻惑され、いろいろ頼んで
手間をかけて、2時間近くも北の酒場に居座った夕食でした。

帰りぎわには「時間かかってすみません。観光ですか?」とマスターから
暖かく声をかけてもらって嬉しい気持ちになりました。
グーグルにはびっくりしたけど、いい。グーグルでもヤフーでもいいけど
元気でお店を続けてほしい。


明日は羅臼から知床半島を廻ります。行けるところまで。

また長い1日になりそうです。









またもやの北海道(富良野)

富良野2日目は富良野を廻り、その後東川町旭川の先、東川町へ
というスケジュール。
遠慮したのだけれど、fcsの谷山さんのご厚意で、車を出してもらって、
スタッフのすいちゃんにまで出てきてもらって、という贅沢な1日となり
ました。

その前に再度、趣味ではない食べ物の写真をもう一枚。
これ、ホテルの朝食です。
今回の旅程でただ1回だけ食べるチャンスがあるホテルの朝食ですが、これ、
大変においしい。

大きなホテルなどのバイキングの朝食よりも、量、質ともに私の好みに合う
ということでもあるのだろうけど、野菜は当然としてベーコンが特に美味しい。
厚くて柔らかく、今回一緒のSちゃんも、ここの朝食は美味しいですねえ、と
褒めることしきり。

感心して、サーバー役の支配人の方に北海道の農業についてお話を聞かせて
もらい、大変楽しい朝食時間となりました。

富良野巡り第一番目は、現在のN君の仕事場でもある風のガーデンへ。

倉本聰脚本で2008年に放映されたドラマ「風のガーデン」の舞台として
作られたガーデンは、12年経った今では木々も花もしっかりと大きく
なりみっしり茂って見事な景観のお庭になっています。


新型コロナの影響で6月末まで閉園されていたので、花々は最盛期だけれど
人の姿はまばら。

客観的にみれば、ガーデンは、デザインした空間(庭)に花や樹木を
その生態に合うように美しく植栽する、というものですが、数ある北海道
のガーデンを巡ってみると、それぞれにコンセプトがあり個性が違う、と
いうことがわかって興味がつきません。

「風のガーデン」は、花々は太く大きく、草などの邪魔ものは見事に取り
除かれカッチリと仕立てられたお庭です。春の球根から秋の紅葉まで
どの季節に訪れてもいつも美しい。

4月の初めはまだ雪の中なのに、たった3ヶ月あまりでここまで育つ
植物のパワーの凄さ。

次は丘陵一帯を埋める葡萄畑に囲まれた六花亭カンパーナ。
言わずとしれた北海道の銘菓、六花亭が富良野で経営するお土産&cafeの
お店。葡萄が実っていない今は葡萄棚の緑の中のカンパーナ。
ここもやはり人影はまばらで緊張感が緩みます。

広いテラスから臨む山々と富良野の町。連なる山々の名前は何度聞いても
覚えられません。十勝連峰?

そして次がいよいよ今が盛りのラベンダー見物。
ラベンダーは富良野中どこにでも咲いてはいるけど、なんといっても
老舗は富田ファーム。
例年ならラベンダーも凄いけど観光客も凄いという富田ファームですが、
行ってみたらなんと、、、。

えーっと驚くばかりに人が少ない。喜ぶべきか悲しむべきか。
こんな富田ファームは初めて。だけど花を愛でるには絶好のチャンス。
来年もこうだったらほんとうはよくないんだろうけれど、こうであってほしい
ような複雑な気持ちで、眺めるラベンダー畑でした。

北海道に来ていつも思うのは、草だらけで放置されている土地を見かけない
ということ。うちの近所にはいくらでもあるんだけど。

冬になると雪で覆われるスキー場なども、夏になるとラベンダー以外の夏
の花々、色とりどりのマリーゴールド、サルビアなどが植栽されて見事な
景観を作っています。

そしてこういう花々を見るといつもながらむくむくと湧き出す疑問。
高温発芽、高温育苗で、低温ではなかなか大きくならないマリーゴールド
やサルビアが、なぜこの寒い土地で2、3ヶ月でこんな姿にできるのか。
ハウスで加温?といっても辺りにはメロンやスイカのハウスが見えても
花苗の育苗ハウスみたいなのは見えないのだけど。どうなっているんだろう。
実に不思議で仕方がない。

そしてこれだけの花苗の需要。春や夏にタネを蒔いて、花壇の花を栽培
してもお盆が過ぎて秋には作った苗の売り先に苦労する花苗栽培当事者と
しては、こういうところで花を作れば楽に食べていけるのでは、などと
あらぬ方向へ考えが走ります。

パッチワークのように美しい美瑛の段丘の畑を見ながら旭川を通過し、
東川町へ。


旭川から車で20分ほど。旭川空港から7キロという立地の大雪山の麓に
広がる東川町は「写真の町」「大雪山の伏流水で上水道がない町」
「外国人の日本人学校がある町」「移住者で人口増の町」等々、その
ユニークな町づくりが面白く、再度訪れたいと思っていた町です。

前回来た時に興味を惹かれたのが町の株主制度。町の株主になってこの町
を応援するという制度ですが、今回は早速町の中心部にある図書館の窓口
で手続きをしてもらい、晴れて株主になりました。
株主になると町づくりに参加させてもらえて寄付金はふるさと納税。
この町産のお米ももらえることになりました。新米が楽しみ。

なにをする、というのでもないけれど、町つくりに工夫を凝らし、元気よく
人口を増やしている町に関連するのは、こちらも元気をもらえて楽しい気持ち
にさせてもらえます。

最後に連れて行ってもらったのは、N君お勧めの北の住まい設計舎。
町外れのずいぶん奥まったところにある設計舎は、これがびっくりするほど
お洒落。ランチをとれるcafeあり、パン工房あり、ショップでは北欧の商品
が販売されてました。

そこで見つけたのがなんと北欧製の糸と布。
気仙沼のマルティナさんの毛糸のように鮮やかな色とりどりの毛糸は、夏
真っ盛りの今は買う気持ちにはならないけれど、日頃から探し求めている
布には目が眩みました。

北欧の布って、お国柄なんでしょう。大変に幅が広い。日本の夏用布の倍
くらい幅広。そのうえ値段も高くない。
ということで、日々縫い物に夢中のSちゃんと私は、遠方に来ていることも
忘れて北欧リネンの布を数メートルずつ購入。嬉しいけど重かった。

富良野に戻って夜は、今回の旅のハイライト。大事な用があります。

これまで手放すことができず大切に持っていた、木彫家だった母の遺品の
木彫の道具を富良野に託すことにしたのです。

私の母は子供を成人させた50代の初めから90歳で亡くなるまで、寝ても覚めても絵を描きデザインをし、木を掘り続けた人でした。小さいものは小皿から手鏡
まで。大きいものは大小のレリーフ、テーブルから壁まで留まることなく木を
彫っていました。教職を終えた父が母を助け、二人三脚の作品作りをして
いましたが、86歳で福岡から宮城の私のもとに来て6年を過ごし、ふたりは
同じ日に亡くなりました。

大量に遺した彫刻刀や鑿などの道具をどうするか、が私の終活の大問題だった
のだけれど、富良野で素晴らしい木のお人形を作っておられる高木誠さんが
引き受けてくださることになり、安堵しました。

嫌なお顔をせずに受け取ってくださった高木さんは、父が研いだ刀の刃を見て
「まだ40年は使えるよ」と言ってくださった。
高木さんのお人形作りで、母の道具が少しでも役にたってお人形が生み出され
れば、「こんなところで私の刀が」と喜ぶ母の顔が目に見えるようです。

長い間ひっかかっていた任務をこんな形で終えることができて、久しぶりに
お会いする谷山さんや太田さんとの食事もお酒も美味しかった。

ほんとうに楽しい1日でした。










またもやの北海道(その2)

旧岩出山藩士が艱難辛苦に耐えて、北の大地に新天地を求め作り出した
石狩の町、当別。
町の佇まいは今私が住む岩出山のお城周りの町なみを彷彿とさせるものが
ありますが、訪問したいのは当別駅舎の隣にある赤煉瓦のふれあい倉庫。

倉庫といっても直売所ですが、そこにもう長年親しくさせて頂いている
狩野菊恵さんがいます。
時々岩出山にみえた時にお会いしますが、今回はこちらからの突然の
訪問で「ウヒョー!」と驚いてくれました。

ひと時期は新聞バッグを販売して頂いたこともあり、岩出山名品よっちゃん
なんばんや佐藤農場の梅干しなど取り扱って頂いています。

しばし歓談。
昼食は北海道名物、ふれあい倉庫名物のスープカレーを食べて大満足し、
次の目的地富良野へ。

北海道に来て、車の窓から外を見ていつも目に止まるのは住宅のお庭。
住宅の形はそれぞれにまちまちのデザインなのだけれど、お庭が広くても
狭くても、刈り込んだ松が植えられ大石小石が置かれた日本庭園作りの
お庭が大変多い。

今では本州の家の庭作りではまず見られなくなった日本的な庭の作りが
なぜ北海道にはこれほど多いのか不思議な気持ちがします。植木屋さん
もお仕事があっていいのかもしれないけれど。

富良野では新聞バッグや倉本先生の舞台「屋根」の誘致でお世話になった
cafeくるみ割りの浦田ご夫妻をお訪ねしました。

ご夫妻は「くるみ割り」に「暮らしのステーション」という活動拠点を
置かれて毎年素晴らしい活動を続けられています。

昨年は大人も子供も老人もみーんな一緒に「森に分け入る」という
ワークショップの開催中で、たまたま訪れた私は富良野高校の生徒たちと
一緒に並んで富良野高校の美術の先生のお話を聴く幸運に恵まれました。


陽が傾きかけた夕方、陽が落ちる前の共済農場、麓郷の展望台へ。

例年ならラベンダー最盛期のこの時期、富良野はどこに行こうと中国の
観光客や日本の観光の人々でいっぱいなのですが、やはり人影もなく
静かです。

一面の麦の畑

野生化して群れ咲くルピナス。

沈みゆく夕日。共済農場の夕暮れです。

食べ物の写真を撮る趣味はないのだけれど、夕食をとった居酒屋の卵焼き
には驚きました。

でっかいよ〜! 食べきれない〜。





またもやの北海道(その1)

どうしてもやらなきゃならない用事があってまたもや北海道に行くことに
しました。昨年9月に行って以来だから10ケ月ぶり。

4月に富良野での舞台「屋根」を見に行くつもりだったのだけれど、コロナ
で果たせませんでした。
正直今回も厳しいといえば厳しい。

防御99%のマスクをつけて仙台空港まで行ってみると、想像していたよりも
ガラガラ。人と接触する機会もなさそうな状況でした。

が、飛行機の中は想像していたのとは違って、後ろは見えないけれどほぼ
満席。1席ごとにシートを空けることもなく私の横のシートも埋まった
けれど、札幌空港までのほぼ1時間みな押し黙ったまま無事に到着しました。

外国人、特に常なら満杯のはずの中国の旅行者たちの姿がまったく見えない、
この時期なのに日本人観光客の姿もまばらな新千歳空港ロビー。

シーンとして静かなこんな新千歳空港は初めてです。

迎えに来てくれたN君の車で、エコロの森へ。
今回は縫い物、機織り仲間のSちゃんが一緒に来ました。

エコロの森は北海道のガーデン界を代表するナーセリー(苗屋)だと思い
ます。
私はここのガーデンまでの通路に植栽されたロサ・ルゴサ、日本名で
ハマナスに魅せられてなんとか手に入れたいと思って来たのだけれど、
昨年来た時とはだいぶ様子が違ってました。

コロナの影響、つまりは観光客が来なくなったことの影響もあるのかも
しれません。
9月に時間不足で見ることができなかったガーデンに初めて足を踏みいれ
ました。

あまりこまこま手を入れず自然に任せたかのようなガーデンの花々、木々。

私が好きなロサ・ルゴサ。

ここの薔薇はほんとうにほんとうに美しい。ここに在る年数を感じ
させられます。

受付の前の棚に置かれたガーデンに今咲く花々。
瓶に挿された花と添えられた札を見れば花の名前がわかります。
こういう知らせ方があるのだと感心しました。

出立する前の1週間あまり雨が降り続けだった東北を離れて北海道に来て
みると、雨の気配もなく薄曇りの空模様。
明日も明後日もたぶん雨は降らないのでしょう。

本来ならラベンダーが最盛期のこの時期、観光客の喧騒で沸き返っている
はずの北海道は、静かで緑あふれる印象です。
本州の日々がどこかへ行ってしまって、違う国に来ているような、、、。


エコロの森を出て岩出山の姉妹都市、当別町に向かいます。