わた

去年の初夏に初挑戦した綿の栽培は、あえなく失敗に終わりました。
がっかり。残念無念。

タネは東松島コットンプロジェクトの赤坂社長から頂きました。
「ワタは素敵だから地域のみんなで楽しめるから岩出山でもコットン植えて
くださいよ」とお願いしたら「何言ってる。ここだけでも手いっぱいだ」と
あっさり断られて自分でやれと手渡されたのはギリシャから来たタネ。

普通の白いふわふわのワタの中に張り付いたように入っている採りにくい種
ではなくて、きれいな青色にコーテイイングされた蒔きやすそうな種。

なのに高温で発芽するその種を、気温が低いから、雨が降るからとぐすぐす
引き伸ばしてようやく6月初めに蒔いたら、時間不足だった。日照不足だった。
気温不足だったのでしょう。

花が咲いて、実を結ぶまでは行ったのだけど、台風で根こそぎ倒れ、倒れた
ままで枝で大きく膨らんでいる綿の実はとうとう弾けないまま冬を迎えました。
白いワタは見えるけど、弾けないので出てこないという状況。
なんか新しい土地でがんばったワタに申し訳ない心境です。

ワタというのは、その幼苗期はほんとうに小さい。そしてちっとも成長しない。
ところが温度が上がるにつれてどんどん成長してどでかくなるのです。
正直東松島の切り開いた山の土地でがんばって根を張る細枝のコットンを見て
いた目には、岩出山の畑で育つコットンは木のように大きくなって、これで
いいのかと不安でした。

そして夏遅くに花が咲きました。
大きくて艶やかな芙蓉のような花です。ピンク、黄色、といろいろ。

この花が実になってワタになる、ということになっています。

ここまではできたのね。
ところがその先が進みませんでした。
待っても待っても白いふわふわのワタは見えているのだけど出てこない。

東松島のワタはこんなふうになります。

そしてこんなふううになって

こんなふうになります。

機織りの加納さんがワタでの糸紡ぎを教えています。

地域の楽しみになるどころか、地域の人からみたら何やっているのかわからない
無用の長物のような横倒しのワタの木。

赤坂社長とは大震災後に初めてお会いしました。
津波で大きな被害を受けた荒浜の塩害の農地にワタを植えてチームで栽培する
東北コットンプロジェクトを定着させ、東松島の山地を切り開いて東松島
コットンプロジェクトの整備にとりかかろうとされている時でした。

私はとあるミーティングに新聞バッグを販売したくて参加し、東北コットン
プロジェクトのことを知りました。

東北コットンプロジェクトの目的として
「服を着ることが、農家の支援になる」と謳われています。

新聞バッグの活動を続けてきて、「特別なことは続かない」と常々思う私は
この目的の言葉に深く共感しました。

東北コットンプロジェクトの目的は、

「津波被害で稲作ができなくなっている農地にコットンを植え、農業を再開
 してもらうこと。

 アパレル関連企業と共に東北コットンを使った新事業を創造し、東北に
 安定的な雇用を生み出すこと。

 「あなた」のいつもの暮らしを被災地につなぎ、無理なく、継続的に農家を
 応援できる仕組みをつくること。

それが私たちの約束です。」とあり、それは新聞バッグも同じです。

その約束は今も守られ、東松島の綿畑は年々面積を広げ、春のタネ蒔き、秋のワタの収穫祭と充実したプロジェクトを展開しています。

赤坂社長は綿のみにとどまらず、その地形を利用した観光農園の整備を
進められ、綿畑の隣はハーブ園(ここのハーブは大変育ちがよくしっかりした
ハーブです)、そしてラベンダー園(何千本あるか忘れました)、が第1第2
とあり、果樹園、オリーブ園、そして売店も春になるとオープンします。

1日遊べる東北の新しい観光地です。
ラベンダーが咲く時期には是非おでかけください。

と赤坂観光農園の宣伝をしたところで、わたしのワタに戻ります。

このまま置くのは勿体無いので、実だけを採って温泉熱乾燥機にかける。
乾燥したら実が弾けてふわふわのワタが出てくるのではないかなあ、
と思うのですがどうだろう。

歴史的に思えば、アメリカ南部やその他の暑い地域で盛んに栽培された綿花
にとって、日本の東北の気候はかなり厳しいはず。ここでの栽培はたぶん
北限といえるのではないかと思います。

今年は早めに5月にはタネを蒔いて再び挑戦してみます。
真っ白いふわふわのワタを目指して。



ふわふわのワタ作りを目指して。

 


2020年はじまり。

あけましておめでとうごさいます。
本年もよろしくお願いいたします。

とはいえ、あっという間にもう5日。

元旦の朝は、まずは外に出て一番最初に出会ったのが、道路をのんびりと
横切るでっかい1匹のイノシシ、ということで始まりました。

2020年のはじまりがイノシシとの出逢いなんてちょっとショック!

車を停めてイノシシの横断を待ちながら、「これはほんとに散歩とか
できないな。ジョギングの人とか襲われていたらどうしよう。
棒など車に常備しているほうがいいのかな、熊スプレーはイノシシにも
効くのか」とかなり真面目に考えた元旦の朝でした。

今年の冬は全くと言ってもいいくらい雪が降らず元旦の風景はこんな感じ。

遠くに白鳥がいるのですが、写真が暗くて見えない。

昨年の暮れは新聞バッグのオーダーが多く、大晦日までお餅の仕事と、
たくさん残っている葉牡丹の寄せ植え作りとで相当ジタバタしました。
が、早め早めに黒豆煮たりきんとん作ったりして、正月恒例、鰤入り
博多雑煮と3段おせちはなんとか製作完了。

3が日に入ってようやくゆっくりできました。

2日目はこれも毎年恒例、集落の新年会。
自治会の総会をやり、お雑煮とお寿司で新年を祝いながら、この地域から
選出の2人の県議と1人の市議のお話しを聞きます。
今年のお話は台風19号で大きな被害を受けた鹿島台の農業、そして
住民のみなさんの生活再建について。暮らしの再建のほうはなかなか難儀
だけれど、底力がある農業者の回復は早いだろう、とのことで胸が明るく
なりました。

重要課題は増える一方のイノシシ対策。
とにかく一人でも多く狩猟の免許をとってほしい。とのことですが、
当のイノシシもとても用心深く、話を聞いていると笑いごとではないんだけど
イノシシの賢さに思わず笑ってしまいそう。今年も智恵比べです。

3日は宮城柳津虚空蔵尊に初詣。
この虚空像尊は全国に三箇所しかないのだそうで、寒空の下、長ーい列を
作って参拝を待つ人々を見てびっくり。止めようかと思ったけれど並びました。

東北でもこんなところがあるのね。

ついでに石巻の私たちの機織りと縫い物の先生、加納さん宅に寄って初めて
間近に大漁旗というものを見せてもらいました。

加納さんはこの大漁旗や鯉のぼりを自分の作品に使うのだけれど、海上を行く
船で翻る大漁旗しか見たことがない私はその大きさにびっくり。

しかしこれはハサミで顔なんか切ったら夢見が悪そう。
目出度いものというのは、そういうものなんですね。

昨日までゆっくりして、今日からお餅(お餅は暮れから今日までずーっと
作っています)以外の仕事はじめ。

これまでの葉牡丹に春の花、ジュリアン、アルメリアバレリーナ、チェッカー
ベリー、ヒメリュウキンカ、など混ぜ込んで寄せ植えを作りました。

青山学院大学図書館、自治体国際化協会、東京大学の先生方から暮れにお送り
頂いた新聞紙の整理に、縫いかけの服の仕上げももうそろそろはじめねば、、。

本年もよろしくお願いいたします。


もうすぐクリスマス

師走も後半に入って、本日ようやく免許更新なりました。
免許を持ってる人ならわかるけど、免許センターでの更新の受付時間は毎日
午前に1時間、午後に1時間なのね。
で、午後の部の1時前に行ってみたら、4つくらいある受付窓口はどれも20人
以上並んでの長蛇の列。検眼のところも写真とるところも同様で、その全体の
5分の4くらいが高齢者。えらい時代になりますよー、これから。

免許更新のために1年間違えて早々と昨年初めに白内障の手術を受けて、今年の
本番になったら後発白内障で見えなくなってまた手術を受けて、ようやく検眼を
通過するという綱渡りのような免許更新だったけど、3年後はどうなることやら。

認知症テストがOKで運転能力がOKでも、加齢で視力が弱るという落とし穴。
なかなか難問ではあります。


東京に行ってきました。
版画家の岡澤加代子さんとのご縁繋がりで、東京国立市の暮らしのアートギャラリー「もえぎ」さんで、新聞バッグフェアをやっていただくことになりました。
12月11日から22日までの10日間。

初めて歩く国立は樹齢100年も200年をも想わせる大きな樹木が大通り沿いに
立ち並ぶ緑が多いお洒落で美しい街でした。アートギャラリーは一橋大学の
すぐお隣りの閑静な住宅地の中にあります。
ギャラリーには作家さんたち手つくりの器や雑貨も展示されています。
お近くの方、是非お立ち寄りくださいませ。
クリスマスギフトを新聞バッグに詰めて、とオーナーさんのお勧めです。

帰りには、わざわざ世田谷から出て来てくださったフリー刺繍家の天野寛子先生
とご一緒して渋谷から青山学院大学までの坂道を歩きました。
もう80歳になられる天野先生の足の速いこと、足取りの確かなこと。日頃の鍛錬
が明らかに読み取れる先生の歩調に遅れてはならじと、汗ばみ胸弾ませて
歩いたら、翌日は下半身筋肉痛で歩くのも難儀しました。
恐るべし、天野先生。

青山学院大学では大震災以来長年に渡ってお世話になっています。
大震災の翌年、突然「新聞紙がご入用ではありませんか」と国際政治経済学部から電話を頂き、「教授から言われた。教授は奥様から」という説明とともに、
すぐ遅れて図書館からも連絡が入り、以来長年に渡って新聞バッグを作る
海外の新聞紙をご提供頂いています。海の手山の手を支えてくださる応援の手
です。

新聞紙を頂くだけではなく、クリスマスカードや青山大学構内の美しい銀杏の写真をお送り頂くなど大変ご親切にして頂いています。
前から一度お礼に伺いたかった願いが叶いました。

もうすぐクリスマス。
大きな大きなツリーが図書館前のお庭に飾られていました。

その日はおばあさんたちの原宿と称される巣鴨泊まり。
翌日はとげ抜き地蔵尊にお参りし、次は下町シリーズ、柴又帝釈天。
駅前で寅さんとさくらちゃんの銅像に出迎えられて柴又散策となりましたが、
お店に真っ赤の下着がたくさん売られているのにびっくり。
何を意味するんだろう。
これを着るとお金が儲かるとか健康維持とかポックリ死ねるとか…..。

そしてもうひとつ。
富良野の元富良野熟生、高木誠さんの人形展が同じ日にちになったので寄りました。高木さんのお人形たちは去年にも増して魂を打ち込まれたように繊細に
精緻に輝いていました。


最後にお知らせを。

12月18日から大阪の梅田阪急デパート4階婦人服売り場で松井美緒さんの
ポンプアップストアが始まります。

美緒さん抜粋の素敵なお洋服だの暮らしの道具などが並びますが、加えて
海の手山の手の新聞バッグも販売して頂けることになりました。
松井美緒さんが店頭に18日、21日、22日。
そして21日と22日の2日間、1日2回松井美緒新聞バッグワークショップが
行われます。

サポートはわがよっちゃん農場のみっちゃんです。
お近くの方、遠くの方、松井ご夫妻フアンの方、みっちゃんフアンの方、是非
是非お立ち寄りくださいませ。

同窓会

近頃急に目が見えずらくなっておかしいなと思っていたら、後発白内障に
かかってました。白内障の手術を受けた人の1、2割が発症するということで
治ると聞いてひと安心はしたけれど、この状況の中で昨日は3度目の高齢者
講習。
認知症検査はあるけれど目の検査はないと思って臨んだら、ばっちり目の
検査があって四苦八苦しました。言い訳三昧したけれど全然ダメだった。

認知症は無事通過。見なさいと言われた絵を一生懸命に見て覚えたら、2日
経っても頭の中に絵を描いたように離れなくなった。今でもソラで言える。

福岡のことを少し。
今回の福岡行きはふたつの同窓会に出席するのが目的でした。
ひとつは自分が卒業した高校の同窓会。まともに出るのは卒業してからこの
60年で2度目。自分がいたクラスが何組だったかさえわからない。

311の大震災の際にクラスのみなさんには大変お世話になりました。顔も名前
さえ覚えていないクラスの皆さんから多額のお金の支援を受けて、新聞バッグ
作りを始めることができました。そのお礼を直接言いたい。

もうひとつは、私が福岡に戻った時に始めてくれたテニス仲間の同窓会。
昔々私が高校生の頃、学校には硬式テニス部がなくて、毎日授業が終わると
福岡の東のほうにあるローンテニス倶楽部に電車で通ってました。
同じく学校に硬式テニス部がない男子校生も通っていて、総勢8人。
仏教学校の女子学園生ふたり、キリスト教男子学院生6人。毎日一緒に練習
し、帰りは喫茶店に寄ったりちゃんぽん食べたりして一緒に帰ってました。

人生の役目を果たしたものばかりが集うとこんなにも楽しいのか、と思える
ほど楽しい。そして8人のうち2人は亡くなったけど生き残っている6人が
みな元気なのがとても嬉しい。

20代半ばで福岡を離れてしまった私以外はみな今もテニス現役。
ひとりはウオーキングで2万数千キロも歩き、ひとりはゴールドコースト、
ハワイをフルマラソンで走り、全員頭もまだまだ大丈夫。
次の再会が楽しみです。

福岡の空港はたぶん全国一、市街地にある飛行場ではないかと思います。
飛行機を降りて到着口から外に出たらそのままエスカレーターで地下に降り、
地下鉄に乗れば6分、二駅目が博多駅。市の中心部の天神まではあと10分も
かからず大変便利。いいのだか悪いのだかわからないけど福岡はそういう街です。

若い人が多く外国人も外車も多く、活発に経済が動いている感じが強くする、
東北の静かさとはまったく違う煩雑で賑やかな都会です。

福岡から戻ってみると、東北はやたら暖かく、畑に霜はおりず花は健在で、また
も花切りの日々に戻りました。


浦安から来た息子と一緒にこの秋初めて見る鳴子峡の紅葉。

11月半ばの潟沼の紅葉。

鳴子の森。

目の再手術が終わり、無事視力復活。
なんとか免許証がもらえそうです。
一昨日は78歳の誕生日。いつまで運転ができるのか。


今年の秋は

11月3日。早朝お餅の加工場の前で聞き覚えのある鳴き声が、、、。
コウコウコウ、今年初めての白鳥。
日の出前の鉛色の空を白鳥が9羽飛んで行きました。いよいよ冬が目の前。

昨日は国道を車で走っていると、飛んできたトンビがフロントガラスの真上で
咥えていたものが重かったのか、ドサッと茶色の何かを落としました。
踏みたくないよッと思ったんだけど、真ん前で落とされると困る。

そして道の駅での出荷を終えた帰り道、午前11時頃なのに、うちの近所の建設屋さんの前の田んぼではイノシシが7、8頭藪から出てきて遊んでました。

もうまるで動物王国だ。

気温と追っかけっこの秋の仕事がようやく終わりました。
畑いっぱいに咲き続ける花を霜が降りる前に切ってしまおうと大奮闘の日々。
明日から福岡に行きます。週の終わりに福岡から戻る頃には、きっと霜が降りて
花は全滅のはず。そしたらもうしようがないと諦められるはず。

畑のビフォアー&アフター。
このおかげでやたら忙しい秋でした。

中学校での新聞バッグのお話が終わったら、河北新報本社で大学から中学校まで
の先生方に新聞バッグワークショップを開催。NIE活動の一環として行われた
ワークショップはみなさんに喜んで頂いて良い時間だったけれど、私が感心した
のはわが海山新聞バッグインストラクター。

黒田さんも南相馬からバスで来てくれた上条さんも、大震災以来ワークショップインストラクターをやってきてくれたから、二人がタッグを組むと「あ、うん」の呼吸。時間が短かろうと大バッグであろうと、全員に必ず完成させるという
気合いがみなぎっていて、ふたりともとてもかっこいい。

そして次に来たのが台風。
毎回毎回土砂振りの雨の度に土砂崩れに怯えている私だちではありますが、
阿武隈川が氾濫した丸森町の被害にはほんとうに背筋が寒くなりました。
これはもう大震災の時と同じ。もとには戻れない痛切な大被害。ほんとうに
お気の毒で、農業を辞めざるを得ない方々が出るだろう、と胸が痛みます。

以前にお金での支援を申し出ていただきながら勝手にも、お金ではなくお仕事
にして頂けないかと厚かましいお願いをし、たくさんの新聞バッグの注文
をくださった大阪の松葉さんから、再度「支援を」とのご連絡を頂きました。
私どもは今はなんとか落ち着いているので、丸森町で炊き出しを続けている
知り合いにご支援を、というお願いにも快諾を頂き、あらためてご縁の深さを
実感させられました。ほんとうにありがたいです。

そして大震災後に東北への修学旅行で新聞バッグを教えた神奈川県の海老名
中の生徒だった佐藤陸君からも、社会人になる前に東北でボランティアを
したいと申し出がありました。これも新聞バッグが結んだ縁。ありがたいし、
陸君の記憶の中に海山の私たちがいることはとても嬉しいことです。

10月の終わりには、松井美緒さんが突然、インストラクター講習を受けたいと
東京から来てくれました。
新聞バッグインストラクターになるには、大バッグ、中バッグ、小バッグを
全てマスターしなければならないので、なかなか大変です。でも美緒さんは
見事な仕上がりで、三種類の新聞バッグを1日でマスターし、これから自分が
仕事をされる場でワークショップをやってくださることになります。
とても楽しみです。

脱プラだからかエコだからかこの秋は、新聞バッグの注文が相次ぎ、てんてこ
まいの心境。
でもとりあえずどの仕事も中断して帰郷してきます。

もうひとつ、地元中学校での新聞バッグ作りは進み、生徒たちが作った新聞
バッグが文化祭を飾りました。


新聞バッグを作るお仕事をつくった話

北海道編からちょっと外れて、ここひと月ほどのニュースのいくつか。

突然にびっくりすうようなことばかり起こって、その都度驚かされます。

1ヶ月半ほど前、突然地元の岩出山中学校の斉藤みか先生から連絡があり、
お会いすることになりました。
斉藤先生はNIE(Newspaper In Education)アドヴァイザー、つまりは
学校教育に新聞を取り入れるという活動をなさっていて、地元で新聞バッグ
と作る活動をやっている海の手山の手のことを知ったので、一緒に活動
できないか、というお話を持って来られたのでした。

大震災以来もうまる9年近くも新聞バッグを作って販売するという活動を
海の手山の手はやってきたけれど、数多い企業やその他の団体との連携は
あっても地元の学校との連携はなかった。

新聞バッグを通じて中学生や高校生と接することができたのは、首都圏から
東北震災地区に修学旅行にやってくる生徒たちに新聞バッグワークショップ
をやったという繋がりのみでした。

そういう形以外に学校と連携をするのは大変難しい。
のだけれど、なんと前触れもなく憧れの地元の子供たちと接する機会が
突然差し出されてまずはびっくり。

その前にNIE活動がどんなものだかを知るために、中学校で定期的に行われて
いるというNIEワークショップに参加させてもらうことにしました。

参加者はこの学校や違う学校の先生がたのみ。小5の孫はいるけど大昔に
我が子らが中学生だった時以来中学校に足を運んでいない私は、勝手が違って
緊張。居心地悪い。

そしてこのNIEなるもの。白鵬大学の渡辺裕子先生が考案された言葉の貯金箱。
日々の新聞から自分がすきな言葉や心にひっかかる言葉を選んで「チャリーン」
の掛け声とともに言葉の切り抜きを貯金箱に入れ、台紙に貼って自分なりの
言葉を書き加えたりイラストを描いたりしてみる。

やってみるとなかなか楽しくて決められた一定時間をつい忘れそう。
やりながらついつい前の人ともしゃべるし、出来上がれば笑います。これは
新聞バッグを作る時と同じ。そしてこの「コトチョキ」の場合は、新聞を読む
ことから言葉の語彙が増え漢字は覚え考え、国語力は上がる。NIEは大変素晴
らしい活動だと感心させられました。

進行役の渡辺先生のお話は大変楽しく、そしてまたこの活動を中学校全体で
取り組んでいるという校長先生のお話も耳新しく、誘って頂いたお陰で楽しい
体験ができました。

このNIE活動の一環として、近々に河北新報本社でNIE活動に関わる
先生方に新聞バッグワークショップをやってほしい、という要望があり、
了承しました。そしてもうひとつやってほしいことがある、という要望も
頂きましたが、ワークショップはよほどの人数でない限りはやれないこと
はないのでそれも了解しました。

そして数日後、もうひとつのほうの次第ができたということで取りに行き、
封筒を開けて中の次第を見て仰天。血の気がすーーーっと、、。
2度目の大びっくり。人の話をちゃんと聴かないからこういうことになる、
と後悔しきり。どうしよう。この歳にして久しぶりの大困惑。

新聞バッグワークショップの依頼ではなく、中学校の「志の時間」の講師。
つまりは私が中学校の全生徒と先生方の前で講話をするという話で、そんな
ことこの私ができる訳がない。どうしよう、どうしよう、と気持ちがウロウロ
する間に2、3日が経ち、もう日がないのに断れば先生が困られるだろう。
ほんと、どうしよう、と悩みに悩んだのち、もうやろう!と腹を括りました。
やるなら後ろを見ない。勢いで突っ走る!

講話の題。
一応は道徳の時間なので、「新聞バッグを作るという仕事を作った話」
大震災後、津波で家やお仕事を失って鳴子温泉に避難してこられた沿岸部の
方々が一番望んだのはお仕事をすることでした。地震の被害だけで津波の
被害を受けなかった私たちは海の人たちと一緒にお仕事作りをすることに
し、津波で失った機械ではなく、手で作れる仕事として、
縫い物の仕事、お花を植える仕事、そして新聞バッグを作って売る仕事を
考えました。どの仕事も9年近く経った今も続いていますが、新聞バッグ
を作る仕事は、新聞バッグを通してこの岩出山の外に住むたくさんの
人たちと知り合い、たくさんの土地のことを知り、アメリカやイタリアなど
世界の国々まで繋がりを広げてくれるお仕事でした。

というようなお話を脂汗、冷や汗が流れるようなど緊張でようやく終えた
後、生徒会長が進み出て挨拶をしてくれました。
「僕は小学校まで世界は平和だと思ってました。が、今のお話で決して
平和ではないことがわかりました」
「お礼に、、、」と。
白いハチマキを占めた体格のいい男子生徒が10数人、女子1人、バラバラバラ
と進み出たかと思うと、太鼓がドドドンドドドン、、、
3度めの大びっくり! ほんと、びっくりした!
頭真っ白、直立不動の私の眼前で全校生徒一丸になっての応援エール。
フレーーーッ、フレーーーッ、リヨウコーーッ
フレーーーッ、フレーーーッ リヨウコッ

2百数十人の子供たちから自分の名を連呼されるなんて長い人生で初。
びっくりしましたわ。どこ見ていいのかわからなかった。
でも何か言わねばならないと、
「ありがとうーっ、背筋が伸びました、寿命が伸びました、ありがとう!」

ほんとにありがたかった。
得難い経験でした。
11月始めには学校の授業で新聞バッグを作ります。

山の花園

旭川で私が行きたいのは旭川動物園と山全体がガーデンだという紋別町の
「陽殖園」。
この「陽殖園」というのが知る人ぞ知る日本一変わったガーデンというか、
70歳を半ば過ぎた男性がひとりで60年の歳月をかけて作り上げ、今もなお
造り続けているという山の中にあるのではなく、ひとつの山を全部利用して
作っているという花園なのです。

何かの雑誌でその山の斜面をピンク色に彩るエリカの群落を見て以来、一度
は行ってみたい、見てみたい、とは思うものの、紋別は富良野から遠く離れた
オホーツク海に近い町。その上に花咲く季節が限定されているので旅程を
立てるのが難しく、憧れるけれど行けない私にとっては幻のようなガーデン
なのでした。

そのガーデンに今回はND君が連れて行ってくれるというので、「陽殖園」
訪問はまさしく私の今回の旅のハイライト。

と、その前にとND君が連れて行ってくれたのが、ND君がガーデン研修前に
トムラウシ山から旭岳を縦走した折に、降った旭岳の麓で偶然出会った町、
東川町。

ND君が移住したいと思うくらい気に入ったというので、ちょっとだけの時間
で立ち寄りましたが、まさにこの小さな町は、人が住む、暮らす、子供を
育てる、または私のような移住者にとっては理想郷のような町でした。

旧小学校を利用して作られた町の交流文化施設、セントピュア。
見事にモダンに造り変えられていて、今は日本語学校やコミュニティセンター
として利用されています。たまたまその日は外国語学校の卒業式らしく、
正装した外国人男女明るい笑い声が廊下に響いていました。

隣に置かれたセントピュア2は広々とした大きな図書館。
ここもまた豊富な蔵書に、「写真の町」を宣言したこの町の写真の歴史に
北欧と提携研究されたこの町の生産物のモダンな家具の展示等々、ユニークな
町づくりの工夫が随所に読み取れ、移住者や観光客が増え続けているという
実態が頷けます。若い家族の移住者が多いのか、保育施設ももんがの家の
園庭には数多い子供たちに色とりどりの帽子が見えました。

上の写真は図書館内部。株主制度があって私でもこの町の株主になれるらしい
らしいのでなってみようかなあ。

しかし、私がなにより驚いたのは、この旭川近郊の車窓の光景。大穀倉地帯。
北海道の大地は広く、稲田も広大で、9月も半ばというのにそして日本一
寒いらしい旭川近郊なのに、稲田は早くも真っ黄色に色づいて圧倒的な
迫力をもって目をよぎります。とにかく広い!

お昼を過ぎてようやく陽殖園がある滝上の町に到着。
道の駅はあるけど、食堂はなく他に食事ができるところは1軒くらいしかない
ので訪問する方はご用心。

いざ、憧れの山のガーデンへ。

なるほど。山の花園入り口の看板も普通とはちょっと違っている。
受付におられたのはご当主の高橋武一さん。
14歳からひとりで山に花を植え続けてきたというちょっと得意な生き方とは
裏腹に、至ってにこやかに出迎えて頂きましたが、背後には
「花の名前を訊くのは2個まで」
「作り方は訊かないこと」
「山のなかのものは一切持ち帰らない」との大書した注意書きが、、。

ガランガランとなる大きな鈴が5、6個ついたベルトを腰に巻きつけ
(要は大きな熊鈴)、山中案内地図をもらい、何やら緊張して山の中へ。


通路を赤く彩るのはベルガモット。
ここはやっぱり山です。地図を見ても迷う。

今は9月半ばで花は咲き残りの季節。案内図を確かめながら歩いていられる
けれど、花全盛期の頃に来たら花に見とれて道に迷いそう。
と笑っていたのは道半ばくらいまで。最後のほうはほんとにわからなく
って出口に辿りつけるのか不安になりました。

池には睡蓮や河骨が。

目指すエリカの山にやっと出逢えました。感動!

しかし、ここのエリカはばかでかい。普通園芸店で見かけるのは20センチほど。
大きくったってせいぜい25センチくらいなのに、山の斜面に植えられたエリカ
も山道沿いのエリカも50センチほどには育って見るからにでっかい。

エリカだけではなくて、この山の花園の植物は植栽した園芸種でもものすごく
大きくて、山に植えるのと山じゃない平地に植えるのは何故こうも大きく
なり方が違うんだろうと不思議。何が違うんだろう。

ここ数年憧れていた陽殖園にやっと行けて感動。
武一さんからは、今度は泊りがけでゆっくりおいで。と言っていただいた
けれど、ほんとに今の元気が続いたら、是非また来てみたい。その時は
オホーツクの海辺まで行って、ハマナシを見てみたいと新たな希望が
湧きます。

また大穀倉地帯を眺めながら戻って旭川泊まり。
翌日は旭川の上野ガーデンから糠平湖を通り幕別まで行きます。
延々と運転してくれるND君に感謝。

ローズヒップの庭

2日目は富良野。
8月も半ばすぎともなれば、美しかったラベンダーももう盛りを過ぎて、花を
刈られた盆栽様の姿になり、大賑わいだっただろう観光客の姿も少なくなって
静かさを取り戻したように見えます。が、やっぱり暑い。
お天気は晴れ晴れ、富良野岳や十勝岳の山容は美しく、歩くには最高の日和
なのだけれど、温度と湿度が高いのと強い日差しで暑い。

最初にお訪ねしたのは喫茶くるみわりの浦田ご夫妻。奥様のみやこさんは
くるみわりを拠点に展開されている「暮らしのステーション」の活動のひとつ
である「ふらのみらいらぼ」のプログラム「まぜてまなぶ」の森・ひと・アート
緑のプロジェクトに参加中とのことでその会場へうかがうことに。

「まぜてまなぶ」は大人もこどもも年齢や立場を超えて繋がり、自分たちが
生活する地域を楽しみながら作っていこうとする素敵なプロジェクトで、
その実践現場は富良野の深い森に分け入り、感じたひらめきや感動を描いた絵や写真の展示会でした。みやこさんに会いに行って、絵を描いた富良野高校の生徒や先生とのギャラリートークにも参加せてもらえました。

次はくるみわりにお邪魔してご主人のよしさんにコーヒーを淹れて頂いて
ゆっくりお話ができました。ご主人はジェロントロジー「老人学」をベース
にした暮らしのあり方を考え具現化する「暮らしにステーション」の代表
をされていてラベンダーの知識が深く、お話しする度に大きな刺激をもらい
ます。久しぶりにおふたりに会えて、新しい刺激をいただきました。

次に日本ではふたつとは見られられない特別なお人形を作るお人形作家の
高木さんの作業場にうかがったらあいにくお留守。

あとひとり、お会いしたかったのは、以前にお世話になった彩香の里ラベンダー園のくどうみちこさん。でもラベンダー園の最盛期が終わり、札幌の自宅に
お帰りだと聞いて、訪問を諦めました。

富良野の町散策は、ここで時間切れ。次は風のガーデンへ。


ガーデンに入る前に久しぶりに森の時計で遅いランチ。いつも観光客で満杯なのが珍しくガラガラ。
カウンターの向こうの窓から見える急斜面の緑が気になって、ちょっと質問して
みました。
「あの斜面は草を刈るのですか?」
「いえ、刈りません」
刈るわけないよなあ。山だもの。いつも草刈りばかり気にしている私の心情から
出たバカな質問でした。

しっかりお腹を満たして、閉園間近な風のガーデンへ。
5月に来た時には雨が降っていて寒くて花も咲いてなくて、球根の花の中から
エゾエンゴサクを探し出して満足して帰りましたが、夏の終わりの今回は草も
花も伸びて伸びて、かわいらしいという風情ではありません。逞しい草木。


周囲の森の木々はうっすらと黄色味を帯びて、早初秋の気配。なのに気温が
高く暑い、というのがなんとも解せません。

人気がなくなった風のガーデンゾーンを通り過ぎて、倉本先生監修の薔薇の庭へ。この薔薇の庭は、様々な名札付きの薔薇が植えられた薔薇園様式とは全く違っていて、名も知らぬ大きな薔薇の木々の間を巡って歩いて楽しむお庭です。
とても珍しい貴重なお庭だと思います。

そしてなんとこの薔薇のお庭は、赤い花のような薔薇の実がいっぱいのローズ
ヒップのお庭に変身していました。

私が知ってる限りで、こんなにローズヒップが美しい薔薇のお庭はここだけです。それと私の家にもあるハマナスの実がトマトのように真っ赤で大きいなんて
全く知らなかった。そして北海道のお庭はハマナスがとても効果的に利用されて
いるのも瞠目。お勉強になりました。

次にND君がヘッドガーデナー張り付きで修行している野の花の道へ。
これはこの後で行く陽殖園でも言えることなんだけれど、もともと自然の原野に
人の手を入れて、自然の野のように作り上げるというのも力技。
自然のままの野草をそのままに人の手がかかった花苗を植え込んで行く作業は
かなりの重労働であろう、という私の推察そのままに、久しぶりに見るND君の
顔はほっそり変化してました。「痩せたね!」とご挨拶。

やっぱり北海道は美しい。
どこを歩いても緑と風が体に染み込むようです。

ガーデン修行の後は必ず十勝の温泉でひとっぷろ浴びるND君を待って、東京から戻るSIちゃんを迎えに旭川へ。
上富良野で名物の焼肉を食べるということになったけど、上富良野が焼肉の
町だとはこれもびっくり。嘘だあ、と思っていたけど、ほんとに上富良野の町に
入ると軒並み焼肉屋さん。

小樽は海鮮で上富良野は焼肉で北海道はなかなか極端ではあります。
明日は旭川へ。






ワインとベリーとナチュラルガーデン

北海道に来ました。
今度は少し長くて5日。同行者は知人の女性ふたり。
目的はいろいろあるのですが、まず第1日目は余市に行くことになっています。

が、出発時点で前夜からの台風襲来で飛行機が飛ぶのか、飛ばないのか。
空港まで行く新幹線と電車が動くのかどうか。先行き読めないまま、とにかく
空港までは行くしかないと新幹線の駅まで行ったら、恐れたような風雨はなに
もなく、何事もなく電車は動き飛行機は飛び、お昼前には新千歳空港に降り
立ちました。

その頃、関東では被害がひどかったようで、千葉では今も停電中とか。
この暑さで電気系統が何も動かないとは、お気の毒でなりません。一刻も早い
回復を願います。

出迎えてくれたN君(2週間ほど前から富良野の風のガーデンでガーデニング
の研修中)の車で一路余市の仁木町へ。
途中小樽の海鮮屋さんで昼食。小樽の名物は海鮮どんぶりなのだそう。
来たことあるのに全然知らなかった。立ち並ぶ店々の中でも最も有名らしい
海鮮屋さんで焼きたて熱々のでっかいほっけを頂きました。

余市は北海道一の果物生産地。それにテレビドラマ「まっさん」のニッカ
ウイスキー。だけれども今回の目的は仁木ヒルズのみ。
仁木ヒルズは、仁木町の豊かな自然を利用して作られた滞在型のワイナリー。
葡萄畑、ワイナリー、ナチュラルガーデン、などが組み合わされた複合施設
で、まだ未完成のようだけれど、そのロケーションは大変雄大で素晴らしい。

トウモロコシの皮の屋根を被った薪。
そして横にはたわわに実をつけたプルーンの木が二本。
地面には熟したプルーンがごろごろ。なんと豊かな、、、。

次は、余市といえば前から一度は見てみたかったアリスファームへ向かいます。
ご当主は藤門弘さんで夫人は宇土巻子氏。昔私が若かった頃、そのカントリー的
ライフスタイルに憧れて本だの雑誌だのでよく見ていたアリスファーム。

たしか羊がいて、その羊毛で編んだセーター類や宇土巻子さんが作る焼き菓子
や果樹を栽培されていたような。

寒い土地で育つブルーベリーやハスカップ、カシスなどのベリー類の農場。


羊ではなくヤギのグー君とチョキ君

北海道に来てまだ初日。
販売用のベリーの木を買うのは諦めて、アリスファーム特性のセーターを2枚
購入。一路富良野へと向かいました。2時間余のドライブ。どこへ行くのも
遠いこと遠いこと。これが北海道です。

これで北海道第一日目を終了。
そして今日1日目の感想はというと、全然爽やかでも涼しくもなくて、9月半ば
の北海道は実に蒸し蒸しして暑かった。なんなんでしょうね。

菊と直売所とロボットの夏

夏休みが終わりました。
実に忙しい夏だった。

まずロボットその後。
宮城大会で優勝したのはいいけれど、その後は練習練習練習の日々。
前から予定していた夏休みのお楽しみの旅行などは完全にできなくなって、
宿題をやり終えるのがやっと。

全国大会は宮城大会で競技したプログラミングとはまったく違って、新しい
プログラミングを決められた日までに提出しなければならず、またロボットも
現地で時間を与えられての組み立て、という地区大会とは違う苦労を味わう
ことになりました。

離れ離れに住むチームメンバーが仙台に集まっての練習は、親子ともども
かなりの負担であり、またロボット人口が低い宮城から強豪が揃う全国大会に
出場というのはかなりハードルが高い挑戦。それでも勝利を諦めずチームを
壊さず、大会会場の神戸に遠征して今日帰ってきました。

さすがに全国の壁は厚く、入賞には至らず、世界大会会場のハンガリーに行く
夢は潰えたけれど、東北とは全く熱量の違う全国大会に出場できたことだけ
でも本当に得難い経験をさせてもらいました。来年はカナダだそうでまた新しい夢が見られそう。

この春に借り手が撤退した我が家の近所の農産物直売所を仲間4人で借りて
直売所を始めることにしました。隣りは食堂で歴史的には10年以上前からある
のだけれど、食堂の経営者でもある直売所の家主さんが直売所運営をやめて
からかなりの時が経ちます。

花だけはお願いして置かせてもらっていたのだけれど、直売所となれば花以外
にも何かを売らなければ家賃が払えない。とはいうものの当面は売るものが
なく、2年前から続けている洋裁、機織り教室の先生にお願いして、手作りの
婦人服や布の小物さなどを置いてもらってスタート。
店番は私。

と、ついでだから洋裁、機織り教室も移動させ、以前から続けていたリー先生
の英会話クラスもここでやることにしました。

お客さんは来ません。見事に。でも暑くなってアイス類やジュース、お菓子や
ラーメンなど揃え、仲間の由美さんの野菜もできて洋裁や機織りの生徒さんが
がやがやするようになると、「何やってるんですか」と覗きに来る人が増えて
きました。草刈り部隊にトラックの運転手さんたち、保育園帰りにアイスを買い
に来る親子づれさん等々。とともに「ズボンの裾上げは」など、考えたことも
ないニーズが増えてきた。

地域の直売所ってこんなものだったんだ。言うなら地域の便利屋さんなんだ、
と得心。
コーヒー置いてほしい、という人もいて、思案中です。

そして花。これはもう今も忙しさが続いています。
もうずいぶん離れていた花栽培を今年の春から始めて、最初のお盆。
毎日毎日菊に追われて、直売所で花に埋まる日々。
注文を受けて、花を切って結束して配達に行き、直売所に戻って花を売ると
いう多忙な日々となりました。地域の中でもまだ顔を見たことがない方々が
「あら、こんなところでお盆の花売ってるのぉ」と寄ってくれるのが嬉しい。

菊に埋もれてロスアンジェルスタイムズで新聞バッグを折る黒田さん。

私が花束を作る間は店番してくれて大変助かりました。
畑に花がある間は忙しさが続くけれど、でももう高い空に秋の気配を
感じます。
次はお彼岸。お彼岸が終わると菊は一段落。
花と直売所と洋裁とロボットの夏が過ぎようとしています。