またもやの北海道(十勝)

北海道の旅の最後の日を書く前に、自分がダウンしてしまってドクター
ストップがかかる、というていたらく。

今回のドクターストップで、熱もなく咳もなく食欲も普通で自覚症状は
ゼロでも、体の中で何かが動いて突然病気になって現れる、ということが
あるのだ、とよくわかりました。用心、用心。
だいぶ元気になりました。

北海道に戻って、旅の終わりの日の最初の訪問先は、広尾町の大森ガーデン。

訪れるのは4度目です。
富良野のfcsの谷山さんのご紹介で、3年ほど前に伺ったのが最初で、
その時にはガーデンデザインや1000種を超える宿根草栽培では日本でも
第一人者でいらっしゃる大森氏にガーデンの隅々からナーセリーに至る
までご案内をいただき、そのご親切に心から感謝、恐縮しました。


東京から日高山脈の麓、十勝に来られて、最初は野菜の栽培から現在の
ガーデン経営に至るまでの数々の困難や、十勝の気候の厳しさなどを伺い
ましたが、そんなご苦労を少しも感じさない大森さんの温かいお人柄と
ガーデンの美しさに魅了された忘れがたい時間でした。


以来広大な畑のお仕事にもお忙しい大森さんにはなかなかお目にかかること
は叶わないけれど、今回もご子息のケンタロウ氏にご厄介をかけました。



大森ガーデンの美しさは言葉で語れるようなものではなく、ただ歩いて
花の美しさ、色の美しさ、木々の美しさを見るのみです。

駐車場がある前庭。

これは今回初めて見る前庭の作りですが、これがどのようなことになるのか
想像がつきません。植栽されているのは特殊なタイム一色。
春にはピンクの小花がびっしりと咲かせる這性タイムです。

広い2階にギャラリーを備えたcafe脇から始まる大森ガーデン。

手入れが疎かなところが全く見受けられない7月の大森ガーデン。

夏がだいぶ進んだ時期に来た昨年とは、盛りの花も庭の色も異なります。
無駄なものがない美しく整えられたガーデンですが、ここでは群れから
外れて飛んだこぼれ種もこぼれた場所でそのまま大きく育っています。
整えられているけれどのびのびとして大雑把。育てる人の温かさを感じます。

大森ガーデンではお庭を見るだけではなく、1000種類を超える宿根草が
栽培、販売されていてこれも必見。

我が家ではケンタロウ氏にお願いして送ってもらった白樺が、鉢の中
でスクスク育っています。もちろん他の花々も。



大森ガーデンを心ゆくまで楽しんで、次は十勝千年の森。

十勝千年の森は、大森ガーデンのように個人経営ではなく、千年の森の
創始者、運営者である十勝毎日新聞社が、大量の紙を使う新聞社が
植樹をして森を造っていけば、カーボン(二酸化炭素)をオフセット
(相殺)できるという構想のもとに、1000年後の未来に遺す財産と
して作られている広大な森には、メドウガーデンやアースガーデン、
キッチンガーデン、ファームガーデン、と4つのガーデンがあります。


人なつこいヤギが遊ぶファームガーデン。農の庭。


どこまでも緑波打つアースガーデン。大地の庭。
広がりの先がどこまで続くのかわかりません。

キッチンガーデンの小さなカフェでソフトクリームを食べるのが毎回
立ち寄る度の楽しみです。
例年ならここでは中国語が聞こえないことがないのに、閑散として
静まっています。


いつも時間が押して入らないままだったメドウガーデン、野の花の庭。
を初めて歩くことにしました。
踏み込んですぐにこれは!?と驚愕、感動・

細い小道の」両側に植えられた背の高いグラス。背丈も株も花も巨大な
クリーム色のスカビオサ(西洋マツムシソウ)。
そのグラスとマツムシソウの間をびっしりと埋めるアルケミラモリス。
その有様は、まるでアルケミラモリスが原。
アルケミラモリスは夏一期咲の宿根草ですが、一株一株増殖させていく
性質であり、この黄色い小粒の花の種を振りまいて増やせる花ではない。
のに、どうしてこういうことができるのだろう。

ところどころに配置されている丈が高い大株、同系色のスカビオサが
見事に場を締めているという素晴らしさ。世界有数のガーデンデザイナー
ダン・ピアソン氏の設計だと思いますが感服しました。


その先を進むと、こちらはやはり同系色のコレオプシスデージー。
こっちもまるでコレオプシスデイジーが原。
これも植えてほうっで置けば年々増える花だけど、それにしてもここまで
にするにはどう栽培するのか。
私などにはどう考えてもわかりません。



本当に素晴らしいものを見せてもらいました。
決して忘れられない目にも心にも焼き付けた千年の森のお花畑の風景。



最後の訪問先は紫竹ガーデン。

もう90歳をいくつか超えられたと思いますが「紫竹おばあちゃん」の名で
親しまれている園主紫竹あきよさんが作られたお庭です。
昨年の5月にに訪れた時には、白樺の真っ白い樹々の下をびっしりと埋めて
色とりどりに咲きそろった球根の花々がとても見事でした。







でもことしの夏は花園のお花があまり良い状態ではないではなかった。
また来年、訪れようと思います。
人気ものの紫竹のおばあちゃんにも是非お元気でいていただきたい。



今年の夏もいい旅ができました。
また秋に。
それまでに新型コロナが少しでも落ち着いていればいいのですが、、、。






またもやの北海道(帯広)

野付半島に入ってみるとけっこう距離が長い。

ここも来るのは2度目だけれど、こんなに距離が長かったか。

ところどころで目に入る『ナラワラP』の立て札。これがなんなのかさっぱり
思い浮かばず、見事にかつて来た野付半島を忘れ果てている。

細くなったり広くなったりする道路を車止めのある終点まで。ここから先は
30分ほどの歩きでトドワラ地帯まで行けるらしいけれど、先の工程が長い
今回は断念。

終点の駐車場に車を置き、辺りの風景を見渡したところで
「あ、シカ!」とSちゃんの声。
そこにあるのはシカの姿ではなくてシカの角。草むらから黒い小枝のように
何本も突き出ているのは雄ジカの角なのです。
周りにもたくさんいる鹿も重そうで立派な角をつけた雄ジカです。

ここに来て「ナラワラP」が何かが判明。
この野付半島というところは、海水に侵食された樹木が立ち枯れて白骨化
したような木々が立ち並ぶ風景が有名なのだけれど、「ナラワラ」がミズナラ、
「トドワラ」がトドマツが海水に侵食されたところだとわかりました。

侵食は今も進んでいるために、中央を走る道路の両側には白く立ち枯れた
木々や塩を吹いたような白い干潟や湿地などの不思議な光景が見られます。

そしてこんなところにも少ない地面にしがみつくように咲くハマナス。

全長26キロメーターに及ぶ日本一長い砂嘴であるこの野付半島を、私は
白骨のような木々を観光資源にしているところかと思っていたけど、
そうではなくて明治の初めから開拓、開発された古くからの歴史がある
半島なのだと今回知りました。

野付半島ネイチャーセンターに行けば、この半島独自の動物や植物などの
さまざまな展示とともに、野付半島の歴史が説明されています。

私が驚いたのは、この地またはこの地以外の土地でたくさんのこどもを
取り上げた助産婦さんの歴史、そして紹介展示。
厳しい環境の開拓地で、自らも多人数の子を産み育てながら、国を護る拓く
源であるこどもたちの出産を手助けする助産婦や保健婦を職業とする女性
たちが、こんなにもたくさんいたのかと、ひとりひとりの写真を見ながら
その業績の偉大さに頭が下がりました

旅先の土地で地域文化の展示はよく見ることがあるけれど、お産婆さんの
歴史の展示というのは初めてで、そういう企画そのものにおおいに感動
しました。




野付半島を出て、別海町、標津町、中標津町などを通り抜けながら目に
入ってくるのは、いかにも北海道らしい広大な牧場や定規で仕切ったような
畑が広がる大農業地帯。遠くに連なる防風林。



この北海道の農地で見かける防風林は前から気になっていたのだけれど、
中標津町に入って、330度(30度は山)の角度でこの農業地帯と地平線を
眺望できるという開陽台に立ち寄ったら、そこの看板に書いてありました。

格子状防風林。北海道自然遺産。
明治の開拓時に農地や人々の生活をまもるために180m幅の林帯を3300m
間隔で配置したもので、木の種類はカラマツ、トドマツ、雑木。
農地を風や雪から護り、もちろん人の暮らしや道路も護るという重要な
役割を持った防風林で提唱したのは開拓顧問のケプラーさん。

しかし遠くから見るとわからないけど、幅が180mもある林帯は野生動物の
棲家や移道路にもなり生態系保持にも役立っている、と読んで、大変に納得
しました。


格子状防風林は大きすぎて空からしか見られない景観だとのことで、
その片鱗を中標津町の開陽台展望台から望めます。

「あ、アリみたい」
望遠鏡を覗いたSちゃんの言葉の先に見えるのは、広大な牧草地にツブツブ
小さく見える乳牛。ゴロゴロしてます。


展望台の2階カフェの看板メニューは地元特産の蜂蜜ソフトクリーム。
ソフトクリームの蜂蜜を食べてしまったら、牛の帽子を被ったおじさま
スタッフが奥から出てきて、大サービスで再度蜂蜜をかけてくれます。





次に立ち寄るのは阿寒湖。
ここではカムイコタンに行ってみたい。
と思って寄ったのですが、残念ながら、「アイヌの古式舞踊」や「コタンの
人々が演じる人形劇」などが見られるアイヌシアターはお休み中。


というより、北海道では観光名所の阿寒湖もほんとに人が少なくて、
アイヌ芸術の木彫品やお守りなどが並ぶ民芸品のお店にも人影がなく、
観光客として申し訳ないような気さえします。


ひとつふたつお店に入って、アイヌ模様のマスクとコロボックルを買いました。
お店の方から紹介されて、阿寒温泉の宿「鶴雅」に行き、静かで重厚な
ギャラリーで、阿寒湖畔に住みつき、たくさんの作品を遺された瀧口政満氏
の心洗われるような彫刻に出会わせてもらいました。

このお店の店主さんは未だ熊を見たことがないのだそう。
この私が家の近所で4匹もツキノワグマと出会ったのに、ヒグマはよほど
用心深くて森の奥から出て来ないのかしら。

阿寒湖に来たはずが、結局阿寒湖は見ずじまい。
後で気付けば鶴雅は阿寒湖畔の宿。ちょっと外に出て歩けば湖畔に出られた
ものを、まったく気付かず惜しいことをしました。


もうひとつ瀧口政満氏2代目のお店が民芸品店の中にあったのに、それも
気付かなかった。
いずれにしろ、アイヌコタンは一晩泊まってゆっくり歩いて、アイヌ文化に
触れ、楽しみたいところでした。また来たい。




寄り道は阿寒湖を最後にして一路帯広へ。
最後の夜は帯広泊まりです。

ずいぶん長い道のりを走って帯広に入り、いったんホテルで休んでから、
いざ夕食に夜の街へ。帯広の夜はもうこれで4度目。

休んでいるところも多くなかなかよい呑み食い処を見つけられずにウロウロ
歩いてやっぱり最後は居酒屋へ。

入るとなんと入り口で検温。
居酒屋で検温は初めてで、まったく大変なことです。コロナは。
店内はカウンター席と仕切られた客席がいくつか。案内されたのは
カウンターでカウンターの中は女将さんらしき女性。

入店者があるたびにカウンターの中から手を伸ばしてまずは検温、次は
お酒を作ったり料理を出したり、そしてまたお客さんに検温。

ひとりの客が帰ると、スタッフが座席の裏表からカウンターの隅々まで
消毒液で拭きます。釣られて私も臨席のお客が気になってきます。
お酒を飲んで、料理を食べてはいるものの、その感染防止の緊迫感で
何を食べたのかどんな味だったか、記憶にございません。



最後の1日は十勝のガーデンを訪ねます。






またもやの北海道(羅臼ー熊との共存)

北海道の話からちょっと外れますが、
昨日、歯医者に向かう途中、農協をちょっと過ぎた辺りで、黒い生き物が
2匹田んぼ側の藪から出てくるのを発見。なんと、これが仔熊!

春仔というのか、まだ危険もなにも知らないちっちゃな仔熊で、停めた私の
車の周りで、あっちにいったりこっちにいったり道路で遊んだり、なんとも
可愛らしい。

母熊が近くにいるはずだから車外には出られないけど、集落内のことでさて
どうしようと思案。作物を食べられたとか畑に足跡を見たとかだったら
見過ごすけれど、怪我人が出ては困るので、友達の農家の由美さんに
「仔熊がいるからなんとかして」と連絡して歯医者に急ぎました。

そしてまた今日の昼時、帰宅途中でもうちょっと大きい熊に遭遇。
今度は危険を学んでいるようですぐに森に入っていきました。
またもや思案。騒ぎたくないなあ。熊の親子が死ぬのも嫌だし、人が怪我
するのも嫌だ。今までに怪我した人をふたりも見てるから殊更そう思います。


ウトロの居酒屋で見た「あなたとヒグマの共存のために」という冊子を
思い出しました。
ヒグマが生息する北海道では、根底にその思想があってのヒグマとの
付き合いだろうけど、この地域にいる熊との付き合いは生活圏が重なり
過ぎて難しい。
親子が森に戻ってくれるのを祈るばかりです。




さて4日目の北海道。

旅の間は改めての朝食はありません。

朝は北海道の地元コンビニ、セイコーマートで熱々の大きなお握り(塩鯖や
塩鮭など北海道の美味いもの入り)やちくわパンなど買って車中食。

北海道に来始めた頃は、セブンイレブンやファミマに寄っていたけれど、
今ではすっかりオリジナル食品を作って頑張るセイコーマートファンです。


世界自然遺産である知床峠を越えて小1時間で半島の反対側の羅臼へ。
ウトロや羅臼はこれまで見た富良野や美瑛などとは全く違う、また他の
面での北海道の感じさせられる土地柄です。


羅臼に到着するや否やN君はメイン道路(海辺にそう道路)をもうこれ以上は
道がないというどん詰まりの相泊地域までまっしぐら。何かと思えばもう
5年越しに入りたいと思っていた日本最東端の相泊温泉に入りたいのだそう。

空は灰色、空との間も見えない海も霧が巻く灰色で、晴れていれば見える筈の
北方の島国後島も船の影もまったく見えません。

道沿いの家々は、道路から一段低く浜に建てられた番屋で、家屋の際まで
引き上げられた船をところどころで見かけます。海は近く波が洗い。
ここは漁師の仕事場。冬を見たわけではないけれど、季節をとおしての暮らしや
仕事の厳しさを感じさせらる佇まいです。


もうこれ以上先には行けない相泊地域。この先はヒグマが住む場所。


相泊温泉の立派な看板がありました。

そして温泉は、というと、、、。

えー!
この温泉、どんなことになっているの。
女の人も入れるのか。脱衣場の期待はしないけど、せっかくここまで来た
のだから、いざ、まあ、とにかく、、。

この蛸壺のような丸い石はなんだろう。足場が悪いし降りにくい。
加えて波しぶきを被りそうに波が洗い。

温泉は男用、女用に板で仕切られていました。夏場だけらしい。当然脱衣場
はなし。


大変率直な相泊流入浴心得。

男湯からは、念願のお湯に入れたN君の歓喜の悲鳴が聞こえてくるけど、
しかしこのお湯もの凄く暑い。5秒と足を浸けていられない。
ほんとに不思議。こんなに寒い土地で波打ち際からすぐのところになんで
こんなに暑いお湯が沸くのでしょうか。

女ふたりは熱過ぎるお湯に足先だけを浸けては出し浸けては出しして温泉
気分を味わいました。

ここに来るまではN君の執着を笑っていたけど、いやあ、もうこれは病みつきに
なりそう。行けるものなら最南端も最北端も入ってみたくなりました。



羅臼の町に戻って純くんの番屋(ドラマ北の国からの純君)で食事をと
思ったら、残念ながらお休み。今だけなのかこのコロナの状況でずーっと
お休みなのかわかりません。



ちょっと倒れそうに傾いだ純くんの食堂。
中はきれいです。

羅臼の道の駅は風や雪に大丈夫なようにこんなふうになっていました。

カニだの昆布だのの海産物を売っている店内はかなり広い。

羅臼を出てお昼に食べた蕎麦や丼はホタテが満載。


食事をする度に思うのですが、入る店入る店、客と客との間が仕切られていて
一度も3蜜の不安を感じませんでした。

午後は野付半島へと向かいます。

またもやの北海道(ウトロまで)

2日間楽しんだ富良野を出て道東へ。

南富良野から狩勝峠を越え(霧で絶景が全然見えず)、新得町を経て、
また峠を越え、然別湖の湖畔を眺め、延々走って糠平湖へ。

樹林から時折り顔を覗かせるのは蝦夷シカ。
昨年もう少し遅い時期に来た時には、逆側の大雪山から走ってきて、
北海道で最も標高の高い三国峠で休憩。まだコロナもいなくてログ
ハウスのcafeでコーヒーを飲んだりソフトクリームを食べたりした
けれど、今回はそんな場所もなく走りっぱなしでタウシュベツ橋梁
まで来ました。

旧国鉄士幌線で使われたコンクリートアーチ橋梁群のひとつである
タウシュベツ橋梁は、上士幌線が廃線になったあとダム建設で湖底に
沈み、水嵩が少なくなった1月頃から湖面に姿を現し、増水する6月
頃からまた湖底に沈む「まぼろしの橋」と言われる橋梁です。

去年は水も橋梁も見えていたけど、さて今年は沈んでいるのかな。

増水してないね。

水が少ない。展望台から遠くに眺める橋梁はまだバッチリと姿がありました。
近くに行くには申請が必要。ヒグマとバッタリ、ということもあるので
散策はなし。

糠平湖から元に戻る道の途中で「東大雪自然館」に寄りました。
東大雪の自然や生態系の展示も素晴らしかったけれど、それより入り口で
まずは検温。次いで名前と住所を記入させる、というコロナ対応にびっくり。
こんなに人が少ないところで。
万全ということはないにしろ、ここまで対策をとる姿勢に感心しました。
夏休みに入ると人も増えてくるだろうから。



足寄の町の道の駅、銀河ホールで一休み。
足寄町は歌手松山千春氏の生まれ故郷。松山千春一色に彩られたホールから
朗々と流れる名曲「大空と大地の間で」を聴きながらの昼食。
張りのある声もいいけど、いかにも北国の生まれらしい力強い歌詞もいい。
元気をもらって、網走に向かいます。

網走に向かう途中の斜里長町で通りかかった通称「天に続く道」。

北海道にはこういうまっすぐまっすぐの道は多いので、道内違う場所にも
天国に行けそうな道が他にもあるのかもしれません。





網走に行ったら網走監獄に行ってみたいな、を思っていたけど、
近づいたら急に行きたくなくなった。
北海道開拓に力を尽くした受刑者たちの監獄での厳しい生活の跡
を観て、珍しいか、想像したいかというと、そんな気持ちには
なれそうにないので止めました。


ずいぶんな距離を走ってきて、ついに見えた海。オホーツク海!

左にオホーツク海、右には広大に広がる濤沸湖。その間に広がる
細長い砂丘の真ん中を国道と鉄道が貫くこんな地形は珍しいの
ではないか、と私的には思うのですが、その雄大な景色は言葉で表せ
ないほど美しく、車窓から言葉もなくみとれるのみ。

砂丘をびっしりと埋める緑は小清水原原生花園。
30年ぶりの再訪です。

右オホーツク海、左濤沸湖。
大きすぎる風景。何枚撮ってもうまく撮れない中からの1枚。


まだ7月の中旬で、花盛りだろうと期待してきた原生花園は、残念ながら
花の盛りを過ぎてました。残り咲きのピンクのハマナス、黄色やオレンジの
スカシユリ、エゾキスゲ、ナデシコやノコギリソウなどが海風に揺れて
いました。ああ、クロユリを見たかった。

海辺へと続く遊歩道。

ここの砂は鳴き砂である、という大きな看板を見つけて、砂浜を
ゆっくり歩いたり踏みしめてみたり跳び上がってみたりするけど、
いっこうに砂は鳴らず。

しかしオホーツク海はなんという茫漠たる海なのか。海の向こうを
想像し、流氷が寄せる海と雪に埋もれる浜辺を想像し、流石の騒々しい私も言葉
をなくし海を眺めて立ち尽くすひとときでした。

濤沸湖側に咲くノハナショウブ。

原生花園を離れて知床半島ウトロへ。


日が落ちる前に到着したウトロは、「ここからが世界遺産」という
看板を見たのみで町の様子はわからず宿泊所へ。

港では大きな建物が大きな工事をやっているようで、観光船も出る
ようだけれど、町中の建物の数は少なく静かな佇まいです。

今夜の宿はホテルとは趣が違って、ドミトリー形式。つまりは男性用
大部屋と女性用大部屋に、昔風で言うならお蚕棚のようなベッドがあり、
部屋に入るのも暗証番号を打つという形式ですが、年寄りの私は勘弁して
もらって、寝具とテレビのみある個室をあてがってもらいました。

初めてのSちゃんは嬉しいー!と喜んでいるけれど、この曲者の暗証番号を
忘れて出入りもままならない自分を想像すると恐ろしい。
大部屋はSちゃんひとりで誰もいませんでした。

さて、夜の食事は? というと食堂は1軒も開いてないらしい。
なんとか食べられるのは夜7時に開く居酒屋のみと聞いて、7時に出かけて
行きました。
慣れない土地での居酒屋。おそるおそる扉を開いて紫煙うずまく店内に
車を駐める場所は?と声をかけると、橋のところ。グーグルで調べて、と
意外な返事が返ってきて「?」。 え、もしかして不親切?

もうなんとなく腰が引きかけるところを踏ん張って(踏ん張らないと夕食抜き
になる)店内に。カウンターには寛ぐ地元の女性男性が3人ほど。
カウンター内で料理を作るのは男性ひとり。
旅の3人は奥の席へと案内されました。




旅情というのはこういうもんだと思います。
日常とは全然違う雰囲気。聞こえてくる言葉。海に関わる地元の人たち。
暫くして入って来たのは背中にギターを背負った男性がひとり。ギターを
弾いて唄うのかと思ったら唄わなかった。
そのうち扉から高倉建でも現れそうな気配の北の酒場なのでした。

しかし長かった。
7人もの呑んだり食べたり話しかけたりする客の、相手をしながら動き回って
料理をするのはマスターひとり。
そこを分かっていながら美味しそうなメニューに幻惑され、いろいろ頼んで
手間をかけて、2時間近くも北の酒場に居座った夕食でした。

帰りぎわには「時間かかってすみません。観光ですか?」とマスターから
暖かく声をかけてもらって嬉しい気持ちになりました。
グーグルにはびっくりしたけど、いい。グーグルでもヤフーでもいいけど
元気でお店を続けてほしい。


明日は羅臼から知床半島を廻ります。行けるところまで。

また長い1日になりそうです。









またもやの北海道(富良野)

富良野2日目は富良野を廻り、その後東川町旭川の先、東川町へ
というスケジュール。
遠慮したのだけれど、fcsの谷山さんのご厚意で、車を出してもらって、
スタッフのすいちゃんにまで出てきてもらって、という贅沢な1日となり
ました。

その前に再度、趣味ではない食べ物の写真をもう一枚。
これ、ホテルの朝食です。
今回の旅程でただ1回だけ食べるチャンスがあるホテルの朝食ですが、これ、
大変においしい。

大きなホテルなどのバイキングの朝食よりも、量、質ともに私の好みに合う
ということでもあるのだろうけど、野菜は当然としてベーコンが特に美味しい。
厚くて柔らかく、今回一緒のSちゃんも、ここの朝食は美味しいですねえ、と
褒めることしきり。

感心して、サーバー役の支配人の方に北海道の農業についてお話を聞かせて
もらい、大変楽しい朝食時間となりました。

富良野巡り第一番目は、現在のN君の仕事場でもある風のガーデンへ。

倉本聰脚本で2008年に放映されたドラマ「風のガーデン」の舞台として
作られたガーデンは、12年経った今では木々も花もしっかりと大きく
なりみっしり茂って見事な景観のお庭になっています。


新型コロナの影響で6月末まで閉園されていたので、花々は最盛期だけれど
人の姿はまばら。

客観的にみれば、ガーデンは、デザインした空間(庭)に花や樹木を
その生態に合うように美しく植栽する、というものですが、数ある北海道
のガーデンを巡ってみると、それぞれにコンセプトがあり個性が違う、と
いうことがわかって興味がつきません。

「風のガーデン」は、花々は太く大きく、草などの邪魔ものは見事に取り
除かれカッチリと仕立てられたお庭です。春の球根から秋の紅葉まで
どの季節に訪れてもいつも美しい。

4月の初めはまだ雪の中なのに、たった3ヶ月あまりでここまで育つ
植物のパワーの凄さ。

次は丘陵一帯を埋める葡萄畑に囲まれた六花亭カンパーナ。
言わずとしれた北海道の銘菓、六花亭が富良野で経営するお土産&cafeの
お店。葡萄が実っていない今は葡萄棚の緑の中のカンパーナ。
ここもやはり人影はまばらで緊張感が緩みます。

広いテラスから臨む山々と富良野の町。連なる山々の名前は何度聞いても
覚えられません。十勝連峰?

そして次がいよいよ今が盛りのラベンダー見物。
ラベンダーは富良野中どこにでも咲いてはいるけど、なんといっても
老舗は富田ファーム。
例年ならラベンダーも凄いけど観光客も凄いという富田ファームですが、
行ってみたらなんと、、、。

えーっと驚くばかりに人が少ない。喜ぶべきか悲しむべきか。
こんな富田ファームは初めて。だけど花を愛でるには絶好のチャンス。
来年もこうだったらほんとうはよくないんだろうけれど、こうであってほしい
ような複雑な気持ちで、眺めるラベンダー畑でした。

北海道に来ていつも思うのは、草だらけで放置されている土地を見かけない
ということ。うちの近所にはいくらでもあるんだけど。

冬になると雪で覆われるスキー場なども、夏になるとラベンダー以外の夏
の花々、色とりどりのマリーゴールド、サルビアなどが植栽されて見事な
景観を作っています。

そしてこういう花々を見るといつもながらむくむくと湧き出す疑問。
高温発芽、高温育苗で、低温ではなかなか大きくならないマリーゴールド
やサルビアが、なぜこの寒い土地で2、3ヶ月でこんな姿にできるのか。
ハウスで加温?といっても辺りにはメロンやスイカのハウスが見えても
花苗の育苗ハウスみたいなのは見えないのだけど。どうなっているんだろう。
実に不思議で仕方がない。

そしてこれだけの花苗の需要。春や夏にタネを蒔いて、花壇の花を栽培
してもお盆が過ぎて秋には作った苗の売り先に苦労する花苗栽培当事者と
しては、こういうところで花を作れば楽に食べていけるのでは、などと
あらぬ方向へ考えが走ります。

パッチワークのように美しい美瑛の段丘の畑を見ながら旭川を通過し、
東川町へ。


旭川から車で20分ほど。旭川空港から7キロという立地の大雪山の麓に
広がる東川町は「写真の町」「大雪山の伏流水で上水道がない町」
「外国人の日本人学校がある町」「移住者で人口増の町」等々、その
ユニークな町づくりが面白く、再度訪れたいと思っていた町です。

前回来た時に興味を惹かれたのが町の株主制度。町の株主になってこの町
を応援するという制度ですが、今回は早速町の中心部にある図書館の窓口
で手続きをしてもらい、晴れて株主になりました。
株主になると町づくりに参加させてもらえて寄付金はふるさと納税。
この町産のお米ももらえることになりました。新米が楽しみ。

なにをする、というのでもないけれど、町つくりに工夫を凝らし、元気よく
人口を増やしている町に関連するのは、こちらも元気をもらえて楽しい気持ち
にさせてもらえます。

最後に連れて行ってもらったのは、N君お勧めの北の住まい設計舎。
町外れのずいぶん奥まったところにある設計舎は、これがびっくりするほど
お洒落。ランチをとれるcafeあり、パン工房あり、ショップでは北欧の商品
が販売されてました。

そこで見つけたのがなんと北欧製の糸と布。
気仙沼のマルティナさんの毛糸のように鮮やかな色とりどりの毛糸は、夏
真っ盛りの今は買う気持ちにはならないけれど、日頃から探し求めている
布には目が眩みました。

北欧の布って、お国柄なんでしょう。大変に幅が広い。日本の夏用布の倍
くらい幅広。そのうえ値段も高くない。
ということで、日々縫い物に夢中のSちゃんと私は、遠方に来ていることも
忘れて北欧リネンの布を数メートルずつ購入。嬉しいけど重かった。

富良野に戻って夜は、今回の旅のハイライト。大事な用があります。

これまで手放すことができず大切に持っていた、木彫家だった母の遺品の
木彫の道具を富良野に託すことにしたのです。

私の母は子供を成人させた50代の初めから90歳で亡くなるまで、寝ても覚めても絵を描きデザインをし、木を掘り続けた人でした。小さいものは小皿から手鏡
まで。大きいものは大小のレリーフ、テーブルから壁まで留まることなく木を
彫っていました。教職を終えた父が母を助け、二人三脚の作品作りをして
いましたが、86歳で福岡から宮城の私のもとに来て6年を過ごし、ふたりは
同じ日に亡くなりました。

大量に遺した彫刻刀や鑿などの道具をどうするか、が私の終活の大問題だった
のだけれど、富良野で素晴らしい木のお人形を作っておられる高木誠さんが
引き受けてくださることになり、安堵しました。

嫌なお顔をせずに受け取ってくださった高木さんは、父が研いだ刀の刃を見て
「まだ40年は使えるよ」と言ってくださった。
高木さんのお人形作りで、母の道具が少しでも役にたってお人形が生み出され
れば、「こんなところで私の刀が」と喜ぶ母の顔が目に見えるようです。

長い間ひっかかっていた任務をこんな形で終えることができて、久しぶりに
お会いする谷山さんや太田さんとの食事もお酒も美味しかった。

ほんとうに楽しい1日でした。










またもやの北海道(その2)

旧岩出山藩士が艱難辛苦に耐えて、北の大地に新天地を求め作り出した
石狩の町、当別。
町の佇まいは今私が住む岩出山のお城周りの町なみを彷彿とさせるものが
ありますが、訪問したいのは当別駅舎の隣にある赤煉瓦のふれあい倉庫。

倉庫といっても直売所ですが、そこにもう長年親しくさせて頂いている
狩野菊恵さんがいます。
時々岩出山にみえた時にお会いしますが、今回はこちらからの突然の
訪問で「ウヒョー!」と驚いてくれました。

ひと時期は新聞バッグを販売して頂いたこともあり、岩出山名品よっちゃん
なんばんや佐藤農場の梅干しなど取り扱って頂いています。

しばし歓談。
昼食は北海道名物、ふれあい倉庫名物のスープカレーを食べて大満足し、
次の目的地富良野へ。

北海道に来て、車の窓から外を見ていつも目に止まるのは住宅のお庭。
住宅の形はそれぞれにまちまちのデザインなのだけれど、お庭が広くても
狭くても、刈り込んだ松が植えられ大石小石が置かれた日本庭園作りの
お庭が大変多い。

今では本州の家の庭作りではまず見られなくなった日本的な庭の作りが
なぜ北海道にはこれほど多いのか不思議な気持ちがします。植木屋さん
もお仕事があっていいのかもしれないけれど。

富良野では新聞バッグや倉本先生の舞台「屋根」の誘致でお世話になった
cafeくるみ割りの浦田ご夫妻をお訪ねしました。

ご夫妻は「くるみ割り」に「暮らしのステーション」という活動拠点を
置かれて毎年素晴らしい活動を続けられています。

昨年は大人も子供も老人もみーんな一緒に「森に分け入る」という
ワークショップの開催中で、たまたま訪れた私は富良野高校の生徒たちと
一緒に並んで富良野高校の美術の先生のお話を聴く幸運に恵まれました。


陽が傾きかけた夕方、陽が落ちる前の共済農場、麓郷の展望台へ。

例年ならラベンダー最盛期のこの時期、富良野はどこに行こうと中国の
観光客や日本の観光の人々でいっぱいなのですが、やはり人影もなく
静かです。

一面の麦の畑

野生化して群れ咲くルピナス。

沈みゆく夕日。共済農場の夕暮れです。

食べ物の写真を撮る趣味はないのだけれど、夕食をとった居酒屋の卵焼き
には驚きました。

でっかいよ〜! 食べきれない〜。





またもやの北海道(その1)

どうしてもやらなきゃならない用事があってまたもや北海道に行くことに
しました。昨年9月に行って以来だから10ケ月ぶり。

4月に富良野での舞台「屋根」を見に行くつもりだったのだけれど、コロナ
で果たせませんでした。
正直今回も厳しいといえば厳しい。

防御99%のマスクをつけて仙台空港まで行ってみると、想像していたよりも
ガラガラ。人と接触する機会もなさそうな状況でした。

が、飛行機の中は想像していたのとは違って、後ろは見えないけれどほぼ
満席。1席ごとにシートを空けることもなく私の横のシートも埋まった
けれど、札幌空港までのほぼ1時間みな押し黙ったまま無事に到着しました。

外国人、特に常なら満杯のはずの中国の旅行者たちの姿がまったく見えない、
この時期なのに日本人観光客の姿もまばらな新千歳空港ロビー。

シーンとして静かなこんな新千歳空港は初めてです。

迎えに来てくれたN君の車で、エコロの森へ。
今回は縫い物、機織り仲間のSちゃんが一緒に来ました。

エコロの森は北海道のガーデン界を代表するナーセリー(苗屋)だと思い
ます。
私はここのガーデンまでの通路に植栽されたロサ・ルゴサ、日本名で
ハマナスに魅せられてなんとか手に入れたいと思って来たのだけれど、
昨年来た時とはだいぶ様子が違ってました。

コロナの影響、つまりは観光客が来なくなったことの影響もあるのかも
しれません。
9月に時間不足で見ることができなかったガーデンに初めて足を踏みいれ
ました。

あまりこまこま手を入れず自然に任せたかのようなガーデンの花々、木々。

私が好きなロサ・ルゴサ。

ここの薔薇はほんとうにほんとうに美しい。ここに在る年数を感じ
させられます。

受付の前の棚に置かれたガーデンに今咲く花々。
瓶に挿された花と添えられた札を見れば花の名前がわかります。
こういう知らせ方があるのだと感心しました。

出立する前の1週間あまり雨が降り続けだった東北を離れて北海道に来て
みると、雨の気配もなく薄曇りの空模様。
明日も明後日もたぶん雨は降らないのでしょう。

本来ならラベンダーが最盛期のこの時期、観光客の喧騒で沸き返っている
はずの北海道は、静かで緑あふれる印象です。
本州の日々がどこかへ行ってしまって、違う国に来ているような、、、。


エコロの森を出て岩出山の姉妹都市、当別町に向かいます。

アフリカの友人

5月の初めくらいに、知り合いからナイジェリア人のjejeさんが、自国の
コロナ封鎖で帰国できなくなっていることを聞きました。

jejeさんはある大学に於いての科学的医学的分野の研究者。
1年の任期を終えて5月下旬頃には帰国、という話を聞いていたのですが、
世界で猛威を振るうコロナ禍で帰れなくなったそう。

で、帰れなかったらどうなるの?
いつ帰れるの?

飛行機は飛ばず、帰国で経由するヨーロッパ諸国のコロナの状況では
その知り合いもjejeさん自身も「さあ?」というばかりで先が読めません。

ただじっとしているのもなんだからと、時々時間があるときに、うちの花の
畑や庭の手入れなどを手伝ってくれることになりました。

jejeさんは30代前半。奥様と2歳半の男の子を自国に残しての長期
日本滞在の研究者なので、頭脳明晰、きっと社会的にもエリートの地位
にある方に違いありません。そんな人に畑の手伝いなどやってもらっても
いいのしら、という私の逡巡をよそに、jejeさんは鳴子から電車に乗って
時折り我が家を訪れてくれるようになりました。

これまでアメリカ人とかラオス、カンボディア、フィリピン。いろんな
国の人たちとの関わりはあったけれど、アフリカの人は初めてです。

言葉は、というとjejeさんの国の公用語は英語。なぜかというと、
ナイジェリアでは部族数が520以上もあり、言語の数が多いので公用語は
英語ということです。が、jejeさんが話すUK英語は私の耳には尖って
聞こえて聞き取りずらい。そしてまたjejeさんの英語を聞いていると
ナイジェリアという国が、イギリスの統治から独立してまだ60年という
歴史を想起させられます。

それにしても私はナイジェリアという国について何も知りません。
それどころかアフリカ大陸についてもまったく無知。
jejeさんと親しく接するからにはと改めて調べてみると、西アフリカに
位置するナイジェリアは人口2億。これにはびっくり。
「アフリカの巨人」と言われる経済大国。

jejeさんとは教会で知り合って半年くらい経ちますが、実に物静かで
シャイで優しく徹底したレディファースト。車で彼を寮まで送ったり
したこともあったのに、あまり話したことがなかったのは、彼が
まったく日本語を話さない人だからです。

普通日本に来て1年もいれば大抵の人は日本語のいくつかは話すように
なるでしょう。でも彼にはその気配はまったくない。
なぜ話さないの?と訊ねてみたら、はにかんで笑うだけでした。

そのjejeさんと農作業をやることになるのです。
ただでも言葉の壁が厚いうえに、畑だとか草刈りだとか耕運機だとか日常
会話とはかけ離れた農作業現場で、何をどう伝えればいいんだろう、と
私の頭は戦々恐々。

それでも一緒にいればなんとかなるものでまず第1日目。

筍を掘りました。筍ーバンブーシュート掘り。

山のように筍を掘ってもらって、お昼はまだjejeさんが食べたことがない
というバンブーシュートナポリタンパスタ。

2度目に来てくれた時には畑つくりをhelpしてもらいました。
言葉は伝わっているのか伝わっていないのか分からないんだけれど、
以心伝心、年寄りの頑張りに一肌脱ごうと思ってくれたか、jejeさんの
力強いhelpで作業はどんどん捗り、例年ならずるずる遅れる畑作りが
早々に仕上がりました。

春の花が終わり、夏本番を前にして、これから菊やアスターなどの盆花の
定植作業が始まるのですが、jejeさんのおかげで、いつでもOKという
状況になりました。ほんとうにありがたい。

アフリカの人との会話ができるせっかくの時間。
食べ物だの人々の暮らしのこと、子供達の教育のこと、研究のこと、
訊ねたいことは山ほどあるのに、難攻不落の言葉の壁。

jejeさんが来てくれた日は、私の頭のなかは1日英語が駆け回り、夜は
体も頭も疲労困憊。
なのですが、若い人の力添えは心から有難く、jejeさんが来てくれる日は
お昼に何を食べてもらおうかしら、と考えるのも楽しみになりました。

アフリカに友人ができた気分です。
もっと若かったら、いつか遊びに行くね、ときっと言ったと思うけど、
さすがにそれはなくなりました。でも孫たちに希望を繋ぎたい。

先日の話。
jejeさんに、ナイジェリアにはいくつもの野生動物保護区があるよう
だけど、象はいる? ライオンは?と訊いたら「いないよ」と。
えー? じゃあ何処にいるの?と訊いたら、「zoo」だと。

zooって動物園じゃないですか。


農作業時、「ここには熊や鹿やイノシシが出てくるから、独りで作業
しないでね。熊や鹿やいのししがいつでもいるから、林の中から枝が
折れる音がしたらすぐに逃げてね」などと
身振り手振りを駆使してjejeさんに我が畑の危険野生動物の出没に
ついての注意などしたのだけれど、もしかすると、jejeさんは私たち
よりずっと都会人なのかも、と大笑いでした。

世界のコロナも少しずつは落ち着いてきているのかどうか。
まもなく帰国の日取りも決まるでしょう。

ツーマッチワークだと私たちの老体を気遣ってくれるジェジェさんの
help にもう少し頼って、畑の準備を終わらせたいと思います。

jejeさんに感謝。
今度はいつ来てくれるのかな。
うまいことしたもので、jejeさんとのやりとりを仲立ちで、英語が得意な
若者オサム君が引き受けてくれています。オサムくんにも感謝です。








女川にお魚買いに

畑の桜が咲いて散って、

うちの山桜が目立たぬように咲いたかと思うと、あっという間に舞い散り、

ようやく新緑、筍の季節。

雨が少なかったせいか、他所より遅いなと感じていた筍がドカスカ出始めて、
2、3日置きには筍掘ってあちこちに送る日々。

連日頭を捻る筍レシピにも飽き、ふと思いついて新鮮なお魚を求めて女川に
行ってみることにしました。

我が家から人気も車気も少ない県道、農道を、田植えが終わったばかりの
水田を見ながら走ってほぼ1時間ちょっとで石巻へ。
そこから震災以降に作られた新しい広ーい道路を20分も走れば女川に
着きます。

1年半ぶりくらいの女川。

どんなふうに変わっているだろうと期待しながら行ったのですが、大震災後に
若い人たちの感性で作られたというお洒落な観光スポットハマテラスはまだ
コロナ休業の最中でした。

人がいない。

人がいないと言えば、4月初めから富良野の「風のガーデン」で仕事中の友人
N君から送られてきた富良野の観光地の写真。

毎夏たくさんの観光客で賑わう富良野の六花亭カンパーナの現在はというと、

なんか恐ろしいほどに人がいない。
今の状況が少しよくなって規則が解除されたにしても、すぐさま観光客の
数が増えるとは思えない。
この状況は改めて観光に依存する町の存亡を考えさせられます。

プリンスホテル及び、周辺の観光施設が6月末までクローズされている
野生の動物と手入れするスタッフのみの静かな風のガーデン。
送ってもらった写真から。

富良野から女川に話を戻すと、
前に来た時には大工事中だった港の風景が激変してました。
痛々しさが影をひそめ港周辺は公園のようでした。

コロナが去ったら(去ることはないと思うけど)、女川はどうなるのか。
豊穣な海の資源は人を呼び寄せ、お魚を買いに来る人は戻ると思います。

いろいろな意味での災禍からの復興というと、海と山ではスピードも質も
全く違うということを農村に住んでみて実感させられます。

有名なマグロ料理の明神丸でテイクアウトのまぐろ丼を海風に吹かれながら
食べ、オープン中の少ないお店をぶらぶらと見歩き、最後にお魚をたくさん
買って女川を離れました。

帰途、石巻の私たちの洋裁と機織りの先生、加納さん宅に寄り道。

私たちに教える小さいものも作るけれど、大作に挑む先生。

この大幅の布を6メーター半も織るのだって。
その執念、信じられません。

楽しい1日でした。
また明日から直売所の店番と洋裁の自粛の日々に戻ります。

マスク協奏曲

確定申告に行ってきました。

まあ、今年の状況では日にちを伸ばしてもいいらしいけど、とりあえずは
締め切りの4月15日ということで。

例年行き慣れている町の支所ではもう受け付けてないということで、あまり
行きたくない古川の本庁へ。

ちらほらやってくる人もいるけれど空いてる。
受け付けてもらって、まもなく印刷された書類を手渡されて、親切にも来年
用の申告書類まで用意して頂きました。
「来年からは内訳書のみ書いてきてくれたらいいですよ。添付書類は持って
きてくれればいいから」と笑顔を優しい言葉を添えて。

凄いね。
控除の方が多くてまともに収入になっていないのもあるけど、歳をとれば
とるほど後期高齢者扱いでありがたい。
助かります。来年分まで気が楽になった。
仕事を辞めなかったら(辞めてないけど)、来年も行きます。

午後はひと月に2回やる洋裁教室。
こんな状況でも石巻から先生が来てくれるので、マスクをつけて換気を
しながらなんとか続けています。

が、教室の始めのうちは、服作りはそっちのけで、マイマスク作成。
自分が不自由なく持っているので、マスクがそれほど手に入りにくいとは
知らなかったのですが、お餅屋の私に(洋裁もやっている)マスクの
注文がきたり、残りを道の駅に持って行くとすぐに売れてしまう。

という状況で、時間をとってマスクを作ることにしました。

簡単そうだけどそう簡単でもない。


マスクを作り始めるたら、あちらこちらから布が集まり始めました。
これは東北大震災の時と一緒。
敬虔なクリスチャンのM子さんが多量に持ってきてくれたのは、普段には
あまり見ることがない用途が見えない真っ白な布。
しばらく考えて、教会で使う白い布だとわかりました。
こんな珍しい布にも出会います。マスクにしていいのかしら。

マスク時間が終わったら洋裁の時間。

考えて考えて、やり直してやり直して、先月からの続きのチュニックと
羽織ジャケットがやっと出来上がりました。
ちゃんと脇ポケットもつけたけど、そのポケットが逆さについてるという
斬新なデザイン。


今回はどうにか教室を開いたけれど、次はできるのだかどうだか。

呼吸器疾患を持病に持つ私は、どうせどこにも行けないので、直売所に
篭って花を売りながらマスクを作ります。

うちの庭に咲く春の花です。

ヒメリュウキンカ

ヒメツルニチニチソウ
イチゲ

ハナニラ

そしてあちらこちらに群生するたくさんの水仙

コロナには関係なく、庭には春がきています。