アフリカの友人

5月の初めくらいに、知り合いからナイジェリア人のjejeさんが、自国の
コロナ封鎖で帰国できなくなっていることを聞きました。

jejeさんはある大学に於いての科学的医学的分野の研究者。
1年の任期を終えて5月下旬頃には帰国、という話を聞いていたのですが、
世界で猛威を振るうコロナ禍で帰れなくなったそう。

で、帰れなかったらどうなるの?
いつ帰れるの?

飛行機は飛ばず、帰国で経由するヨーロッパ諸国のコロナの状況では
その知り合いもjejeさん自身も「さあ?」というばかりで先が読めません。

ただじっとしているのもなんだからと、時々時間があるときに、うちの花の
畑や庭の手入れなどを手伝ってくれることになりました。

jejeさんは30代前半。奥様と2歳半の男の子を自国に残しての長期
日本滞在の研究者なので、頭脳明晰、きっと社会的にもエリートの地位
にある方に違いありません。そんな人に畑の手伝いなどやってもらっても
いいのしら、という私の逡巡をよそに、jejeさんは鳴子から電車に乗って
時折り我が家を訪れてくれるようになりました。

これまでアメリカ人とかラオス、カンボディア、フィリピン。いろんな
国の人たちとの関わりはあったけれど、アフリカの人は初めてです。

言葉は、というとjejeさんの国の公用語は英語。なぜかというと、
ナイジェリアでは部族数が520以上もあり、言語の数が多いので公用語は
英語ということです。が、jejeさんが話すUK英語は私の耳には尖って
聞こえて聞き取りずらい。そしてまたjejeさんの英語を聞いていると
ナイジェリアという国が、イギリスの統治から独立してまだ60年という
歴史を想起させられます。

それにしても私はナイジェリアという国について何も知りません。
それどころかアフリカ大陸についてもまったく無知。
jejeさんと親しく接するからにはと改めて調べてみると、西アフリカに
位置するナイジェリアは人口2億。これにはびっくり。
「アフリカの巨人」と言われる経済大国。

jejeさんとは教会で知り合って半年くらい経ちますが、実に物静かで
シャイで優しく徹底したレディファースト。車で彼を寮まで送ったり
したこともあったのに、あまり話したことがなかったのは、彼が
まったく日本語を話さない人だからです。

普通日本に来て1年もいれば大抵の人は日本語のいくつかは話すように
なるでしょう。でも彼にはその気配はまったくない。
なぜ話さないの?と訊ねてみたら、はにかんで笑うだけでした。

そのjejeさんと農作業をやることになるのです。
ただでも言葉の壁が厚いうえに、畑だとか草刈りだとか耕運機だとか日常
会話とはかけ離れた農作業現場で、何をどう伝えればいいんだろう、と
私の頭は戦々恐々。

それでも一緒にいればなんとかなるものでまず第1日目。

筍を掘りました。筍ーバンブーシュート掘り。

山のように筍を掘ってもらって、お昼はまだjejeさんが食べたことがない
というバンブーシュートナポリタンパスタ。

2度目に来てくれた時には畑つくりをhelpしてもらいました。
言葉は伝わっているのか伝わっていないのか分からないんだけれど、
以心伝心、年寄りの頑張りに一肌脱ごうと思ってくれたか、jejeさんの
力強いhelpで作業はどんどん捗り、例年ならずるずる遅れる畑作りが
早々に仕上がりました。

春の花が終わり、夏本番を前にして、これから菊やアスターなどの盆花の
定植作業が始まるのですが、jejeさんのおかげで、いつでもOKという
状況になりました。ほんとうにありがたい。

アフリカの人との会話ができるせっかくの時間。
食べ物だの人々の暮らしのこと、子供達の教育のこと、研究のこと、
訊ねたいことは山ほどあるのに、難攻不落の言葉の壁。

jejeさんが来てくれた日は、私の頭のなかは1日英語が駆け回り、夜は
体も頭も疲労困憊。
なのですが、若い人の力添えは心から有難く、jejeさんが来てくれる日は
お昼に何を食べてもらおうかしら、と考えるのも楽しみになりました。

アフリカに友人ができた気分です。
もっと若かったら、いつか遊びに行くね、ときっと言ったと思うけど、
さすがにそれはなくなりました。でも孫たちに希望を繋ぎたい。

先日の話。
jejeさんに、ナイジェリアにはいくつもの野生動物保護区があるよう
だけど、象はいる? ライオンは?と訊いたら「いないよ」と。
えー? じゃあ何処にいるの?と訊いたら、「zoo」だと。

zooって動物園じゃないですか。


農作業時、「ここには熊や鹿やイノシシが出てくるから、独りで作業
しないでね。熊や鹿やいのししがいつでもいるから、林の中から枝が
折れる音がしたらすぐに逃げてね」などと
身振り手振りを駆使してjejeさんに我が畑の危険野生動物の出没に
ついての注意などしたのだけれど、もしかすると、jejeさんは私たち
よりずっと都会人なのかも、と大笑いでした。

世界のコロナも少しずつは落ち着いてきているのかどうか。
まもなく帰国の日取りも決まるでしょう。

ツーマッチワークだと私たちの老体を気遣ってくれるジェジェさんの
help にもう少し頼って、畑の準備を終わらせたいと思います。

jejeさんに感謝。
今度はいつ来てくれるのかな。
うまいことしたもので、jejeさんとのやりとりを仲立ちで、英語が得意な
若者オサム君が引き受けてくれています。オサムくんにも感謝です。








女川にお魚買いに

畑の桜が咲いて散って、

うちの山桜が目立たぬように咲いたかと思うと、あっという間に舞い散り、

ようやく新緑、筍の季節。

雨が少なかったせいか、他所より遅いなと感じていた筍がドカスカ出始めて、
2、3日置きには筍掘ってあちこちに送る日々。

連日頭を捻る筍レシピにも飽き、ふと思いついて新鮮なお魚を求めて女川に
行ってみることにしました。

我が家から人気も車気も少ない県道、農道を、田植えが終わったばかりの
水田を見ながら走ってほぼ1時間ちょっとで石巻へ。
そこから震災以降に作られた新しい広ーい道路を20分も走れば女川に
着きます。

1年半ぶりくらいの女川。

どんなふうに変わっているだろうと期待しながら行ったのですが、大震災後に
若い人たちの感性で作られたというお洒落な観光スポットハマテラスはまだ
コロナ休業の最中でした。

人がいない。

人がいないと言えば、4月初めから富良野の「風のガーデン」で仕事中の友人
N君から送られてきた富良野の観光地の写真。

毎夏たくさんの観光客で賑わう富良野の六花亭カンパーナの現在はというと、

なんか恐ろしいほどに人がいない。
今の状況が少しよくなって規則が解除されたにしても、すぐさま観光客の
数が増えるとは思えない。
この状況は改めて観光に依存する町の存亡を考えさせられます。

プリンスホテル及び、周辺の観光施設が6月末までクローズされている
野生の動物と手入れするスタッフのみの静かな風のガーデン。
送ってもらった写真から。

富良野から女川に話を戻すと、
前に来た時には大工事中だった港の風景が激変してました。
痛々しさが影をひそめ港周辺は公園のようでした。

コロナが去ったら(去ることはないと思うけど)、女川はどうなるのか。
豊穣な海の資源は人を呼び寄せ、お魚を買いに来る人は戻ると思います。

いろいろな意味での災禍からの復興というと、海と山ではスピードも質も
全く違うということを農村に住んでみて実感させられます。

有名なマグロ料理の明神丸でテイクアウトのまぐろ丼を海風に吹かれながら
食べ、オープン中の少ないお店をぶらぶらと見歩き、最後にお魚をたくさん
買って女川を離れました。

帰途、石巻の私たちの洋裁と機織りの先生、加納さん宅に寄り道。

私たちに教える小さいものも作るけれど、大作に挑む先生。

この大幅の布を6メーター半も織るのだって。
その執念、信じられません。

楽しい1日でした。
また明日から直売所の店番と洋裁の自粛の日々に戻ります。

マスク協奏曲

確定申告に行ってきました。

まあ、今年の状況では日にちを伸ばしてもいいらしいけど、とりあえずは
締め切りの4月15日ということで。

例年行き慣れている町の支所ではもう受け付けてないということで、あまり
行きたくない古川の本庁へ。

ちらほらやってくる人もいるけれど空いてる。
受け付けてもらって、まもなく印刷された書類を手渡されて、親切にも来年
用の申告書類まで用意して頂きました。
「来年からは内訳書のみ書いてきてくれたらいいですよ。添付書類は持って
きてくれればいいから」と笑顔を優しい言葉を添えて。

凄いね。
控除の方が多くてまともに収入になっていないのもあるけど、歳をとれば
とるほど後期高齢者扱いでありがたい。
助かります。来年分まで気が楽になった。
仕事を辞めなかったら(辞めてないけど)、来年も行きます。

午後はひと月に2回やる洋裁教室。
こんな状況でも石巻から先生が来てくれるので、マスクをつけて換気を
しながらなんとか続けています。

が、教室の始めのうちは、服作りはそっちのけで、マイマスク作成。
自分が不自由なく持っているので、マスクがそれほど手に入りにくいとは
知らなかったのですが、お餅屋の私に(洋裁もやっている)マスクの
注文がきたり、残りを道の駅に持って行くとすぐに売れてしまう。

という状況で、時間をとってマスクを作ることにしました。

簡単そうだけどそう簡単でもない。


マスクを作り始めるたら、あちらこちらから布が集まり始めました。
これは東北大震災の時と一緒。
敬虔なクリスチャンのM子さんが多量に持ってきてくれたのは、普段には
あまり見ることがない用途が見えない真っ白な布。
しばらく考えて、教会で使う白い布だとわかりました。
こんな珍しい布にも出会います。マスクにしていいのかしら。

マスク時間が終わったら洋裁の時間。

考えて考えて、やり直してやり直して、先月からの続きのチュニックと
羽織ジャケットがやっと出来上がりました。
ちゃんと脇ポケットもつけたけど、そのポケットが逆さについてるという
斬新なデザイン。


今回はどうにか教室を開いたけれど、次はできるのだかどうだか。

呼吸器疾患を持病に持つ私は、どうせどこにも行けないので、直売所に
篭って花を売りながらマスクを作ります。

うちの庭に咲く春の花です。

ヒメリュウキンカ

ヒメツルニチニチソウ
イチゲ

ハナニラ

そしてあちらこちらに群生するたくさんの水仙

コロナには関係なく、庭には春がきています。

野菜のかんそう

コロナコロナで明け暮れている毎日ですが、
朝、お餅の出荷で道の駅に行く途中で鳥の喧嘩に遭遇。

最初カラスが揉めているのかと思ったら、闘っているのは雄の雉でした。
闘いは白熱していて私の車が近づいても全然どかない。
県道17号線の左車線。闘いは右車線に移っても止まない。
次には藪に入って飛び上がってぶつかって飛び上がってぶつかって、これは
どうなるのかと見ていたら、ついに勝負あり。
負けた雉は、飛ぶんじゃなくて、道路を駆け走って逃げて行きました。

しかしいつでも思うんだけど、雉ってなんで飛ばないで歩くんだろう。

全然違う話ですが、昔山に登っている頃、飯豊山の本山小屋のおじさんから
乾燥したごぼうと人参の煮物をご馳走してもらったことがあります。
本山小屋に登るには、丸1日かかり(私は違う登山口から二日がかりで本山
小屋に到着していました)、長い行程、夏の間の食料を背負って運び上げる
には、乾燥できるものは全部乾燥するのだとおじさんは言ってました。

乾燥した野菜の煮物の美味しさは、今も忘れられません。

また話が違うのですが、昨年友人の農家の由美さんからどっさりキクイモを
もらいました。体にはいいらしいけでど、キクイモは名前はイモだけど
芋にあらず。キクです。そのキクの花が3メートルにも成長して花を咲かす、
というのを聞いて、植える気にならず、やはり友人の農家のクリちゃんに
栽培を任せました。

そして収穫時期にとれたキクイモの量の凄さ!
1株でもスーパーのピンクのカゴいっぱいになるくらいの途方もない量。
みかけは生姜みたいで凸凹していてなかなか切りつらい。でも体によい
のだからなんとか消化しようよ、と思いついたのは乾燥。


凸凹の土をきれいに洗って、指まで削りながら必死にキクイモスライスを
して洗って乾燥機に入れて乾燥させたら、見事キクイモチップみないに
なりました。なかなかオツな味でポテトチップみたいに食べられます。

キクイモが終わったら乾燥が止められなくなり、次に思いついたのがネギ。
「なんでこんなに植えたのかわからない」と植えた本人が首を傾げるくらい
広い畑に広がったネギを半日がかりで抜いて、指に包丁だこを作りながら
ほぼ1日かけて刻みまくって乾燥機にかけたら、こんな乾燥ネギになりました。
刻んだネギは100キロくらいあったかもしれない。

次はパセリ。
パセリの乾燥はほんとうに色がきれいでびっくり。

乾燥してもこの青さは変わりません。
乾いたら葉だけにして瓶に入れれば、スープやハンバーグの具などに長く
使えます。




だんだん面白くなって来年はヤーコンを乾かそうとクリちゃんと相談。
葉も茎も芋も入れて乾燥させてお茶にする。たぶんボケ防止になるんじゃ
ないかと儚い望みをかけて。

というわけで、今日はパセリやレタスなどの苗を買ってきました。

長引くコロナ。この先どう収束するのかしないのか全く見えないので
ひたすら家にいて、家でできることを楽しみながらやります。

そして花が咲いたら花の乾燥。
ラベンダーやマリーゴールド、アナベルや柏葉アジサイ。夢が膨らみます。




直売所の4月

聞き覚えのある囀り。

見上げると道の駅のいつもの場所にツバメが来てました。
一昨日はみかけなかったから、昨日来たのかな。

地震があろうがコロナがあろうが、人間世界のできごとには委細かまわず、
その時期になったら遠い国からやってくる。
出たり入ったり忙しそうなツバメを見上げながら、穏やかな気持ちになります。


お餅の出荷を終えたあと、午前中は畑でワタの片付け。
ギリシャから来た綿の種をもらって、張り切って種を蒔き、真っ白な綿を
収穫することを夢見て4畝も植えつけたのでしたが、植え付けが遅かった。
雨が多すぎて温度が上がらなかった。
などなどの理由で、綿の実はついたけれど、中のふわふわの白い綿を取り
出せず、失敗。借りた畑が肥沃だったのか、木のように太く大きく育って、
片付けも重労働。

傍らの畝の草もきれいにとって、新しい芽を出した北海道産宿根草を日向
に出してやりました。大きく育ったら珍しい畑版ガーデンになるのかも
しれません。


午後は直売所で仕事。

運営者がいなくなった農産物直売所を仲間4人で借りて昨年4月にオープンした
家の近くの直売所。
役目としては直売所なので、由美さんの野菜を置いたり、アイスやお菓子や
ジュースなどを置いたりはしたのでしたが、ついでに始めた洋裁と機織りの
教室。それにALTのリー先生の英会話クラス。

気がつけば、普通に寄ってくれるお客さんよりも、洋裁をやりたかったり
機を織りたい希望者が増えて、いつの間にか直売所というよりも工房の
様相を呈してきていました。

あれから1年。寒かった冬が終わり、そろそろ直売所としての品揃えも準備
するべき時期なのだけれど、新型コロナの現状でとても普通に開けるという
気持ちになれません。

1か月に2回の洋裁、機織り教室とはいえ、
ミシンの使い方さえ忘れ、どこから手をつけてよいのか訳が解らなかった
洋裁の実力も凄いことに、こんなジャケットも作れるようになりました。

機織りもみんな実力をつけました。
マフラーもショールも裂織りバッグも販売できるほどの量を織って積み
重なっています。

が、ここにきて春の服も作りたいけれど、最重要で急ぎ必要になったのは
マスク。春から夏のためにとここ1年、やたら買い込んだ布が役に立つ、と
いうか役にたたせざるを得ないというかでどんどんマスクに変貌して
ゆきます。

服用の布がまさかマスクになるなんて、2ヶ月前には想像もしないことでした。


でも今はそんなことはいってられないので、少しずつでもマスクを作ります。

今年の春の直売所のオープンは、新型コロナがもう少し落ち着いてから考えます。
お花だけは販売しています。

こちらも人間世界のできごとには委細かまわず、いつもの春のとおりに咲き
揃いました。

真山にお出かけの際は、ぜひ直売所にお立ち寄りください。

肺炎

久しぶりのブログ。
ひと月ほどお休みしている間に世の中は大きく変わってしまって、今はコロナ騒ぎの真っ最中になってしまいました。

「日本の報道はぬるいから。今のうちにマスクを買っておいたほうがいいですよ」
中国滞在が長かった友人のN君から電話があったのは1月末。「ええ〜、ほんと?」と半信半疑。でもせっかく言ってくれたのだから買っておこう、とN君の
用意周到さを笑いながら、まだその頃はよりどり見取りだったマスクを大量に
買い込んでから2ヶ月も経たずして、こんな状況になろうとは想像もしませんでした。

後日談があって、次にはまたもやN君から「トイレットペーパーとかティッシュとか買い置きできるものは買っといたほうがいいですよ」と言われ、まだドラッグストアに山積みだったトイレットペーパーなどをまとめて買ったその日の夜には、その山積みがすっかり空になったと知ってほんとびっくり。

それから時が進んで今は世界で新型コロナ旋風が大荒れの状況。

特にイタリアの酷さには胸が痛みます。

コロナに罹ってもすぐには病院に行けずに、待機と言われた10日を苦痛の中で自宅で過ごし、虫の息になってから病院に運ばれ、家族にさよならも言えずに亡くなっていく、たぶん年老いたであろう人々に思いを馳せるだけで胸が痛みます。

そして津波などの自然災害ではなく、救けるべき命を救けられない医療従事者の
無念の想いや悲しみに思いを馳せるとこれもまた心底胸が痛みます。

新型コロナをインフルエンザのように言う人や騒ぎ過ぎだと言っている人が私の
知り合いの中にもいたけれど、コロナは肺炎でインフルエンザとか風邪とかとは
まったく違う。新型コロナウイルスにやられて気道や肺が炎症を起こして呼吸ができなくなる病気なのです。
若くて元気で軽く済む人はいいけれど、重症化する人は徹底的に重くなる怖い肺の病気なのです。

なんで私にそんなことが言えるかというと、私は10年ほど前に間質性肺炎と診断されて入院しました。間質性肺炎は助からないと知ってはいたけど、それよりも発熱と具合の悪さでそれどころではなく、気管支鏡を含むさまざまな検査を受けて、お医者様の手厚い治療で死ぬことなく退院させてもらいました。

若い時に2度ほど風邪から肺炎を起こしたことがきっかけになり、風邪をこじらせると肺炎になるという肺炎癖がついてしまっていました。その結果の間質性肺炎でしたが、熱も高いけど呼吸が苦しい。おまけに薬が合わないと、いったん下がった熱がまた上がるという怖い経験をしました。

だからマジに私は肺炎になりたくないので、コロナにも罹りたくないのです。
どんなに苦しいか知っているから、どんなに先生方が治療に手をかけてくださるか分かっているから。

ということで、日々の暮らしにもコロナ対策はしっかりしてマスクは外したことはないし、町に出ることもなく、人にもあまり会いません。

なのに、先週の金曜日に、10年来すっかり忘れていた病変が、、、。
日頃から風邪もひかず、身体中痛いところはなく、薬もサプリも飲んだことがなく、仕事に洋裁に新聞バッグにと動き回る78歳に病変が、、、。

肺炎は嫌なので、仕方なく病院に直行。
たぶん、と疑ったガンではなく、10年前から私の中で生き続けている何かの菌が
また活動し始めたようで、これから長きに渡る投薬治療が始まることになりました。

10年前も抗生剤を1年近く飲み続け、挫折。途中で止めちゃったので、またやりなおしの治療です。これは若い時に肺炎を何度か患ってからの置き土産のような病。


歳をとってからでもこんなことになるので、新型コロナはわけがわからないウイルスによる肺炎だ、ということをわかって予防してほしい。

いつ下火になるのか予測もつかないけれど、イタリアでイランでアメリカやその他の国で、呼吸ができない苦しみの中で亡くなる人が出ないようにと、心の底から祈ります。

いつか丸森へ

星野さんは311大震災の後に、よっちゃん農場当主の高橋君の知り合いで、
岩出山や近辺の町で食事を提供するお店を作りたいと、物件を探されている
ときに1、2度お会いしたことがあります。

岩出山では適当なお店がなく、その後に仙南のほうで大変クオリティが高いと
いう評判の洋風料理やクリームチーズのお店を出された、という話は口伝てに
聞いたけど、残念ながら食べに行く機会はありませんでした。
時折り岩出山の食料品スーパーで星野さんのクリームチーズを買って食べて、
丁寧な作りに感心したりしてました。

その星野さんが3年前から丸森町の阿武隈川のほとりでカワカフェというcafeを
開かれました。
よその土地から移り住んでカフェをオープンさせて軌道に乗せるというのは、
本当に大変なことであろうと、星野さん同様、県外からの移住者である私は思う
のですが、でも新たなカフェという分野でもあの実力できっと成功されている
のだろうな、と想像してました。

その星野さんのニュースをFBで知ったのは昨年10月の台風19号の時です。
台風19号の丸森町の被害はひどく、テレビなどの報道で見ても直視できない
ような惨状で、これは311の時と同様の大被害。回復するのには半端では
ない時間がかかる、と私たちはこちらで胸を傷めたものでした。

台風から1週間が経った頃、大阪の松葉氏から「支援をします」と連絡を頂き
ました。

松葉氏は311大震災の時に、松葉氏が関わっておられるゴルフ倶楽部のコンペ
の賞金を支援にと申し出てくださり、そして現金よりも新聞バッグのご注文で
というこちらのあつかましいお願いにも快く応えてくださり、100数十枚の大
バッグを2年も続けてご注文くださった大変恩義のある方なのです。

以来年賀のご挨拶などはしていますが、その松葉さんからまたもゴルフコンペの
賞金をとご連絡を頂いたので、迷わず丸森町の星野さんをご支援くださるよう
お願いし、快諾していただきました。

カワカフェは流されなかったものの、営業できない日々を避難中の丸森町の
みなさんに汁物の炊き出し提供で大奮闘中の星野さんへの一助になれば、松葉
さんも喜ばれることだろうと思います。

そしてつい先日、今度は星野さんが再開されたお店カワカフェを、丸森町の
皆さんの憩いの場に、県外のお客さんを丸森町に呼べる場にしようと、クラウドファンディングを立ち上げられたことをFBで知りました。

またもやの大奮闘。


松葉さんにはご支援いただいたことだし、私たちも何かをと思っていた矢先、
東京にインストラクター講習に出たよっちゃん農場の奥様みっちゃんがその
講師料の一部を「海山」に残してくれたことから、そのお金を柱に私の周りの
おばちゃんネットワークに広げてクラウドファンディングの最終に参加しよう
と思い立ちました。

が、これが思ったよりも大変で、その理由はおばちゃんネットワークは強力
なんだけどスマホなどには縁がないガラケーネットワークなのでした。

映像は送れず、フェイスブックなんてなんのことやら、クラウドファンディングを説明するのも時間がかかる。大変真面目で真摯な星野さんのFBの文章を
そのまま印刷したらA4で8枚にもなり、これでは誰にも読んでもらえない。

ということで最後に思いついたのがお手紙形式。


星野さんの文章をパソコンで無理やり3枚に押し込んで打ち直し、おばちゃん
ネットワークに持って行ったら、あ・ら60、あ・ら70のおばちゃん10人、
お手紙は飛ばし読みでも、何も言わず聞かずお金だけはしっかり出してくれ
ました。
さすが強力おばちゃんネットワーク。信頼だけで繋がる心強い仲間です。

明日はクラウドファンディング最終日。
ぎりぎりで間に合い明日の朝一で振り込みます。


そしておばちゃんたちは、カワカフェが落ち着いたら、みんなで丸森町に遊び
に行こう。カワカフェにピザを食べに行こうという約束をしました。

春の日の目標ができました。楽しみです。

それから時間がおしたのでおばちゃんは10人に止まりましたが、まだ声を
かければ強力してくれるおばちゃんはいます。
私も参加するわ、という人、声をかけてください。

みんなで丸森町に行きましょう!



わた

去年の初夏に初挑戦した綿の栽培は、あえなく失敗に終わりました。
がっかり。残念無念。

タネは東松島コットンプロジェクトの赤坂社長から頂きました。
「ワタは素敵だから地域のみんなで楽しめるから岩出山でもコットン植えて
くださいよ」とお願いしたら「何言ってる。ここだけでも手いっぱいだ」と
あっさり断られて自分でやれと手渡されたのはギリシャから来たタネ。

普通の白いふわふわのワタの中に張り付いたように入っている採りにくい種
ではなくて、きれいな青色にコーテイイングされた蒔きやすそうな種。

なのに高温で発芽するその種を、気温が低いから、雨が降るからとぐすぐす
引き伸ばしてようやく6月初めに蒔いたら、時間不足だった。日照不足だった。
気温不足だったのでしょう。

花が咲いて、実を結ぶまでは行ったのだけど、台風で根こそぎ倒れ、倒れた
ままで枝で大きく膨らんでいる綿の実はとうとう弾けないまま冬を迎えました。
白いワタは見えるけど、弾けないので出てこないという状況。
なんか新しい土地でがんばったワタに申し訳ない心境です。

ワタというのは、その幼苗期はほんとうに小さい。そしてちっとも成長しない。
ところが温度が上がるにつれてどんどん成長してどでかくなるのです。
正直東松島の切り開いた山の土地でがんばって根を張る細枝のコットンを見て
いた目には、岩出山の畑で育つコットンは木のように大きくなって、これで
いいのかと不安でした。

そして夏遅くに花が咲きました。
大きくて艶やかな芙蓉のような花です。ピンク、黄色、といろいろ。

この花が実になってワタになる、ということになっています。

ここまではできたのね。
ところがその先が進みませんでした。
待っても待っても白いふわふわのワタは見えているのだけど出てこない。

東松島のワタはこんなふうになります。

そしてこんなふううになって

こんなふうになります。

機織りの加納さんがワタでの糸紡ぎを教えています。

地域の楽しみになるどころか、地域の人からみたら何やっているのかわからない
無用の長物のような横倒しのワタの木。

赤坂社長とは大震災後に初めてお会いしました。
津波で大きな被害を受けた荒浜の塩害の農地にワタを植えてチームで栽培する
東北コットンプロジェクトを定着させ、東松島の山地を切り開いて東松島
コットンプロジェクトの整備にとりかかろうとされている時でした。

私はとあるミーティングに新聞バッグを販売したくて参加し、東北コットン
プロジェクトのことを知りました。

東北コットンプロジェクトの目的として
「服を着ることが、農家の支援になる」と謳われています。

新聞バッグの活動を続けてきて、「特別なことは続かない」と常々思う私は
この目的の言葉に深く共感しました。

東北コットンプロジェクトの目的は、

「津波被害で稲作ができなくなっている農地にコットンを植え、農業を再開
 してもらうこと。

 アパレル関連企業と共に東北コットンを使った新事業を創造し、東北に
 安定的な雇用を生み出すこと。

 「あなた」のいつもの暮らしを被災地につなぎ、無理なく、継続的に農家を
 応援できる仕組みをつくること。

それが私たちの約束です。」とあり、それは新聞バッグも同じです。

その約束は今も守られ、東松島の綿畑は年々面積を広げ、春のタネ蒔き、秋のワタの収穫祭と充実したプロジェクトを展開しています。

赤坂社長は綿のみにとどまらず、その地形を利用した観光農園の整備を
進められ、綿畑の隣はハーブ園(ここのハーブは大変育ちがよくしっかりした
ハーブです)、そしてラベンダー園(何千本あるか忘れました)、が第1第2
とあり、果樹園、オリーブ園、そして売店も春になるとオープンします。

1日遊べる東北の新しい観光地です。
ラベンダーが咲く時期には是非おでかけください。

と赤坂観光農園の宣伝をしたところで、わたしのワタに戻ります。

このまま置くのは勿体無いので、実だけを採って温泉熱乾燥機にかける。
乾燥したら実が弾けてふわふわのワタが出てくるのではないかなあ、
と思うのですがどうだろう。

歴史的に思えば、アメリカ南部やその他の暑い地域で盛んに栽培された綿花
にとって、日本の東北の気候はかなり厳しいはず。ここでの栽培はたぶん
北限といえるのではないかと思います。

今年は早めに5月にはタネを蒔いて再び挑戦してみます。
真っ白いふわふわのワタを目指して。



ふわふわのワタ作りを目指して。

 


2020年はじまり。

あけましておめでとうごさいます。
本年もよろしくお願いいたします。

とはいえ、あっという間にもう5日。

元旦の朝は、まずは外に出て一番最初に出会ったのが、道路をのんびりと
横切るでっかい1匹のイノシシ、ということで始まりました。

2020年のはじまりがイノシシとの出逢いなんてちょっとショック!

車を停めてイノシシの横断を待ちながら、「これはほんとに散歩とか
できないな。ジョギングの人とか襲われていたらどうしよう。
棒など車に常備しているほうがいいのかな、熊スプレーはイノシシにも
効くのか」とかなり真面目に考えた元旦の朝でした。

今年の冬は全くと言ってもいいくらい雪が降らず元旦の風景はこんな感じ。

遠くに白鳥がいるのですが、写真が暗くて見えない。

昨年の暮れは新聞バッグのオーダーが多く、大晦日までお餅の仕事と、
たくさん残っている葉牡丹の寄せ植え作りとで相当ジタバタしました。
が、早め早めに黒豆煮たりきんとん作ったりして、正月恒例、鰤入り
博多雑煮と3段おせちはなんとか製作完了。

3が日に入ってようやくゆっくりできました。

2日目はこれも毎年恒例、集落の新年会。
自治会の総会をやり、お雑煮とお寿司で新年を祝いながら、この地域から
選出の2人の県議と1人の市議のお話しを聞きます。
今年のお話は台風19号で大きな被害を受けた鹿島台の農業、そして
住民のみなさんの生活再建について。暮らしの再建のほうはなかなか難儀
だけれど、底力がある農業者の回復は早いだろう、とのことで胸が明るく
なりました。

重要課題は増える一方のイノシシ対策。
とにかく一人でも多く狩猟の免許をとってほしい。とのことですが、
当のイノシシもとても用心深く、話を聞いていると笑いごとではないんだけど
イノシシの賢さに思わず笑ってしまいそう。今年も智恵比べです。

3日は宮城柳津虚空蔵尊に初詣。
この虚空像尊は全国に三箇所しかないのだそうで、寒空の下、長ーい列を
作って参拝を待つ人々を見てびっくり。止めようかと思ったけれど並びました。

東北でもこんなところがあるのね。

ついでに石巻の私たちの機織りと縫い物の先生、加納さん宅に寄って初めて
間近に大漁旗というものを見せてもらいました。

加納さんはこの大漁旗や鯉のぼりを自分の作品に使うのだけれど、海上を行く
船で翻る大漁旗しか見たことがない私はその大きさにびっくり。

しかしこれはハサミで顔なんか切ったら夢見が悪そう。
目出度いものというのは、そういうものなんですね。

昨日までゆっくりして、今日からお餅(お餅は暮れから今日までずーっと
作っています)以外の仕事はじめ。

これまでの葉牡丹に春の花、ジュリアン、アルメリアバレリーナ、チェッカー
ベリー、ヒメリュウキンカ、など混ぜ込んで寄せ植えを作りました。

青山学院大学図書館、自治体国際化協会、東京大学の先生方から暮れにお送り
頂いた新聞紙の整理に、縫いかけの服の仕上げももうそろそろはじめねば、、。

本年もよろしくお願いいたします。


もうすぐクリスマス

師走も後半に入って、本日ようやく免許更新なりました。
免許を持ってる人ならわかるけど、免許センターでの更新の受付時間は毎日
午前に1時間、午後に1時間なのね。
で、午後の部の1時前に行ってみたら、4つくらいある受付窓口はどれも20人
以上並んでの長蛇の列。検眼のところも写真とるところも同様で、その全体の
5分の4くらいが高齢者。えらい時代になりますよー、これから。

免許更新のために1年間違えて早々と昨年初めに白内障の手術を受けて、今年の
本番になったら後発白内障で見えなくなってまた手術を受けて、ようやく検眼を
通過するという綱渡りのような免許更新だったけど、3年後はどうなることやら。

認知症テストがOKで運転能力がOKでも、加齢で視力が弱るという落とし穴。
なかなか難問ではあります。


東京に行ってきました。
版画家の岡澤加代子さんとのご縁繋がりで、東京国立市の暮らしのアートギャラリー「もえぎ」さんで、新聞バッグフェアをやっていただくことになりました。
12月11日から22日までの10日間。

初めて歩く国立は樹齢100年も200年をも想わせる大きな樹木が大通り沿いに
立ち並ぶ緑が多いお洒落で美しい街でした。アートギャラリーは一橋大学の
すぐお隣りの閑静な住宅地の中にあります。
ギャラリーには作家さんたち手つくりの器や雑貨も展示されています。
お近くの方、是非お立ち寄りくださいませ。
クリスマスギフトを新聞バッグに詰めて、とオーナーさんのお勧めです。

帰りには、わざわざ世田谷から出て来てくださったフリー刺繍家の天野寛子先生
とご一緒して渋谷から青山学院大学までの坂道を歩きました。
もう80歳になられる天野先生の足の速いこと、足取りの確かなこと。日頃の鍛錬
が明らかに読み取れる先生の歩調に遅れてはならじと、汗ばみ胸弾ませて
歩いたら、翌日は下半身筋肉痛で歩くのも難儀しました。
恐るべし、天野先生。

青山学院大学では大震災以来長年に渡ってお世話になっています。
大震災の翌年、突然「新聞紙がご入用ではありませんか」と国際政治経済学部から電話を頂き、「教授から言われた。教授は奥様から」という説明とともに、
すぐ遅れて図書館からも連絡が入り、以来長年に渡って新聞バッグを作る
海外の新聞紙をご提供頂いています。海の手山の手を支えてくださる応援の手
です。

新聞紙を頂くだけではなく、クリスマスカードや青山大学構内の美しい銀杏の写真をお送り頂くなど大変ご親切にして頂いています。
前から一度お礼に伺いたかった願いが叶いました。

もうすぐクリスマス。
大きな大きなツリーが図書館前のお庭に飾られていました。

その日はおばあさんたちの原宿と称される巣鴨泊まり。
翌日はとげ抜き地蔵尊にお参りし、次は下町シリーズ、柴又帝釈天。
駅前で寅さんとさくらちゃんの銅像に出迎えられて柴又散策となりましたが、
お店に真っ赤の下着がたくさん売られているのにびっくり。
何を意味するんだろう。
これを着るとお金が儲かるとか健康維持とかポックリ死ねるとか…..。

そしてもうひとつ。
富良野の元富良野熟生、高木誠さんの人形展が同じ日にちになったので寄りました。高木さんのお人形たちは去年にも増して魂を打ち込まれたように繊細に
精緻に輝いていました。


最後にお知らせを。

12月18日から大阪の梅田阪急デパート4階婦人服売り場で松井美緒さんの
ポンプアップストアが始まります。

美緒さん抜粋の素敵なお洋服だの暮らしの道具などが並びますが、加えて
海の手山の手の新聞バッグも販売して頂けることになりました。
松井美緒さんが店頭に18日、21日、22日。
そして21日と22日の2日間、1日2回松井美緒新聞バッグワークショップが
行われます。

サポートはわがよっちゃん農場のみっちゃんです。
お近くの方、遠くの方、松井ご夫妻フアンの方、みっちゃんフアンの方、是非
是非お立ち寄りくださいませ。