雪の年末

昨日から雪が降り続いていて今朝は積雪10センチほど。たぶん朝の外気温は-7、8度くらい。
気温が低いので雪はサラサラのパウダースノウ。風が吹くとパーッと飛んで辺りが見えなくなる。

という状況だけれど、私の仕事は餅屋なので、雪降りしきる中、道の駅へ正月用餅を出荷に行く。
昨日も一昨日も感じたことだが、年末の28、29日だというのに、お客様が少ない気がする。
もっというならお正月前の賑わいが薄いというかないというか。

「なんでだろう?」と思わず口に出したら、出荷者の一人が「人が少なくなったからねえ」と
答えてくれた。そういえばそうだ。昨年まで毎年お会いしていた石巻などの海の方の方たち
のお顔を見ていない。
本当にとんでもない年だった。来年は少しでも今年よりよくなって、またみなさんが道の駅に
来てくださる日を心待ちにしたい。

午後から注文のお餅を持って三本木のパン工房「青い虹」さんへ。
「青い虹」さんは先月の全国発酵サミットでお会いして以来、時々お会いしてお話をうかがう
機会ができたが、パンやクッキーのことについては何を聞いてもすぐさま明快な答えが返って
くるパン作りのプロの方である。
闘病中の私の家族のために、無塩、無脂肪、全粒粉で天然酵母使用という、どう聞いても
まずそうなパンを作ってくださるようお願いしたら、おいしく食べられるようにとずいぶん長い
時間をかけてくださって、希望どおりのおいしい病人用パンを作ってくださった。

お餅を持って行ってフランスパンをいただき、ご友人であるイタリア在住のアサクラさんの
お砂糖が入っていないオレンジのジャムをつけて食べた。食が進まない夫も「おいしい」
と言って食べました。

相変わらず雪はしんしんと降り積もっています。
今デッキの手すりの積雪10センチくらい。
明日の朝20センチ以上にならないことを祈って(雪かきしなければならないから)今日は
終わります。

 

うーみさんのリサイタル その2

うーみさんのリサイタルに行った話の続きです。

うーみさんは可愛らしい若い女性です。 小柄。 声はちょっとハスキー。声量は大。
性格はたぶんとても優しくてエネルギッシュ。そしてちょっぴり天然っぽいかも。
その小柄なうーみさんが歌の合間に、突然立ち上がってみんなに言いました。

「私、こんなに小さいでしょ。でもこれでバスケットの選手だったの。学生の時バスケットの推薦で
大阪に行ったの。そしたらね、試合に出て飛び上がった時相手チームの選手と空中で衝突して
頭から落ちたの。頭にも首にも障害が出て、自分で自分のことを何んもできなくなっちゃたの。

一旗揚げるつもりで大阪行って逆に何にもできなくなっちゃったんだよ。今でも全部よくなったわけ
じゃない。でも先の希望も見えなくなっている時に、出会わせてもらったのが音楽だったの。
キーボードたたいて指のリハビリでしょ。歌を歌って元気になっていったの。
歌はいいよ。力をもらえるよ。だからみんなこんな時だけど一緒に歌を歌って元気になろう。
私は何度でも来るよ。桜の花が咲く頃に。あれ?2月の復興市来るんだった。あれ、1月もだ。
あははははは。ずーっと来るんだった!!」

 

次のお話し。
「私ね、夏リサイタルやってる時置き引きで荷物ぜーんぶ盗られたの。家の鍵も車のキーもお財布も
カードもぜーんぶだよ。ショックだった。がっかり落ち込んでたら、ここ来て言われたの。
”荷物くらいいいじゃん”って。
びっくりしたあ。そうか、そうだよなあ。みんなほんとすごいなあ、って思ったの。」

この話でみんな大笑いでした。

そして最後に
うーみさんは南三陸町志津川の防災庁舎で命の限り町民の避難を呼びかけて津波にのまれた
防災放送の担当職員だった遠藤末希さんのことを
「絶対に忘れてはいけない人」として遠藤さんに贈る「あなたに」という曲を作りました。
前夜の南方のトルティーヤでのリサイタルの時に(吹雪で私が行けなかった時)、初めて披露し
たそうです。
その席に遠藤さんのご両親がみえて大変喜ばれたとのこと。そしてここでもみんなで聴かせて
いただきました。あの人、この人、涙を拭いながら聴いていました。

 

CDは来年2月に発売されます。
うーみさんは南三陸の津波被災者50人と深くたくさんお話をして、その本を出版します。それも来年です。

うーみさんのリサイタルに行って私が思ったのは、有識者とか国だの町だのの偉い人が、束になっても
できないような大きな事をうーみさんは一人でやっているということでした。
だってみんなを見てればわかるもの。みんなうーみさんが大好きで、うーみさんが来るのを「待ってるよー!」
と叫んでました。一人でこれだけの人の心を動かすなんて、ちょっとやそっとでできるものではありません。
そしてもうひとつ驚いたのは、こんな短い間に南方の仮設住宅にはNPOが立ち上げられてました。

 

福岡や東京から沿岸被災地向けのお仕事をもらっても、どこへ持っていけばいいんだろ、と困っていた
私はうんと気が楽になりました。これからはお仕事もらったら、「だれかお仕事できる人いますか」と
NPOに持ってゆけばいいのです。
うーみさんは雪の中、温かい高知に帰られました。立派な女性だと思いました。
CDを買って聴いてくださいね。車を運転しながらCD聞いてると明るいうーみさんがそこにいるようです。

うーみさんのリサイタル

きのう吹雪で行けなかったうーみさんのリサイタルに行ってきました。
昨夜はレストランでのリサイタルだったけれど、今日は登米市南方にある南三陸の方たちの仮設住宅。
昨日とはうって変わってお天気は晴れ。
行く道の両側の田んぼに雁や白鳥が降りているのが見られます。

久しぶりに見る南方の仮設住宅は、全戸の玄関口に風除室が取り付けられてました。
以前は箱型の建物に扉があって、それが玄関口だったから雨や雪が降ったら大変だったと思います。
家から出たら軒がなくてそのまま外という感じだったから。
でもどうせ付けるのだったら最初から付けてくれていたほうが、暮らすに便利だっただろうし、
お金もかからなかったんじゃないか、と思いました。

 

仮設住宅の集会所は人がいっぱい。年配の方が多いです。赤ちゃんや子供さんもチラホラ。
設えられたテーブルを前に、みなさん、サンタクロース風の赤い服を着たうーみさんの唄を
楽しんでおられました。
飛び入りで仮設居住者の方のカラオケ風独唱というのもあり、お父さんたち歌が上手なので
驚きました。

うーみさんとお話しする機会はこれまで何度かありましたが、歌を聴くのは初めてです。
ちょっとハスキーな声で「テネシーワルツ」を歌ってくれたのですが、昔私が若い頃に聞いた
江利チエミの声によく似てなつかしかった。
うーみさんは歌も素晴らしいけど、トークがとても素晴らしい。感心しました。

 

とてもいいお話を聞きました。
明日、そのお話をご紹介します。

雪のクリスマス

とうとう真冬が到来。
この2、3日嫌になるような気温が低い日が続いています。
おとといは夜から朝にかけて15センチくらいの積雪で、もっと続くのかなあと思っていたら
昨日は温度が上がって雨が降って溶けてしまい、改めて今日の午後から雪。

今夜は登米市南方のトルティーヤというレストランで、高知の観光大使、歌手のうーみさんの
リサイタルが行われるので行くつもりにしてました。なのに夕方4時頃から強風が吹いて
先が見えない地吹雪状態。夜帰ってくるのは危険だからやめろ、という家族の意見で断念しました。
でも明日南方の仮設住宅で再度行われるリサイタルには行きます。
行って先だって福岡の80歳になられるキルトのA先生とそのお仲間の生徒さん達からクリスマスに
間に合うようにと送られてきた手作りマカロンコインケースを仮設の子供たちにプレゼントしてきます。

マカロンコインケースはまだこの辺りでは目にしたことがない小さなかわいい布で作ったまん丸い
コイン入れです。サンタやトナカイの絵柄のかわいらしいケースには、先の希望がみえますようにと
50円玉を入れてくれてました。

一緒に参加して荷造り、運送を担ってくれている友達が、「けっこう作るの大変なのよ」と
言っていましたが、福岡の私の友達のおばさんたちの「元気でいてね。よいクリスマスを」という
心を届けてきましょう。

それにしてもうーみさん、温かい高知県から、この冬になってからの一番の寒波の時に来られて
びっくりされたことでしょう。せめて高知に帰られる明後日まで、これ以上荒れませんように。
じゃないと飛行機が飛ばなくなってしまうかもしれないから。

 

世田谷ボロ市

東京世田谷で四百数十年の歴史があるという世田谷ボロ市で、新聞バッグと布の小物を販売させていただきました。といっても海の手山の手メンバーが自ら参加したのではなく、たまたまお知り合いになった、震災後気仙沼で炊き出しのボランティアをなさっていた東京のチームワンネス代表の大谷さんと事務局の大島さん、そして才能あるリメイクデザイナー川上かおるさんに朝から夕方まで販売していただいたのでした。

 

販売場所のブースを使わせてくださったのは認定NPO法人リブ・フォー・ライフ美奈子基金さんです。リブ・フォー・ライフでは来春、白血病の子供さんたちの本を出版するための基金を募集しています。

首都圏在住中は世田谷近辺に住んでいたこともありますが、ボロ市というのは知りませんでした。世田谷線、世田谷駅で降りてからは人の渦でした。毎年30万人からの人出があるのだとか。たくさんの出店がある中で東北支援の看板や垂れ幕が多く目に付きました。

 

5時に終わってから自由が丘に移り、駅前の居酒屋「あわい」で気仙沼の内海ご夫妻にお会いしました。仮設住宅で福っころというフクロウの飾り物を作っていらっしゃるそうでした。
15、16日の2日間で福っころも新聞バッグも布の小物も完売しました。寒い中ブースで立ち続けてくださったチームワンネスの皆様にはお礼の言葉もありません。
また1月15日、16日に世田谷ボロ市は開催されるそうです。

戻ってきて新聞バッグ制作者の南相馬のKさんにボロ市のことを伝えたら
「なつかしいなあ!!」
えッ、ボロ市知ってたの。と言ったら「学生時代寮があってボロ市でバイトしてたんですよ」
なんだ、南相馬から来て今は鳴子温泉で新聞バッグ作っているKさんだけが、ボロ市を知っているなんて不思議な巡り合わせですねえ。

福岡と世田谷ボロ市

夏以来久しぶりで郷里福岡へ行ってきました。

大震災以来福岡の友人たちからはほんとうにたくさんのご支援をいただいています。今回の福岡行きは海の手山の手ネットワークの用事ではなく、私の学校時代からの親友のご主人の病気見舞いでした。が、なんと福岡の目ぬき通りのお洒落なお店で大きなお仕事をいただくことになったのです。

人と人とのご縁というのは何の脈絡もなくこんな風に始まるのかと驚いてしまいます。たまたま通りかかった素敵な和装のお店で経営者の方とお話ししました。マカロンとか匂い袋とか布地の組み合わせが美しい小さながま口や色の美しい和手拭いなどが並べられた店内で、経営者のFさんは裁縫仕事をなさってました。ピンクがかった藤色の小さい格子柄の上っ張り姿で。デニムの上っ張りもあります。ちょっとお値段は張りますが、とても着やすそうでお洒落で動きやすそうで私も欲しくなりました。でも注文がいっぱいで全部予約済みなのだそうです。

「宮城から来ました」と少しお話する中で、そのお店の縫物仕事を南三陸の海の手さんにやらせていただくことになったのです。きのうは早速歌津の小野寺さんに会って、新しい仕事の話をしました。制服を縫っていたという元縫製工場勤務だった海の手メンバーは作務衣も縫ったことがあるそうです。よかった!!

こんなふうにして、まだ東北のお仕事状況が整わない間は、東北以外のところで、被災した方々のスキルを利用していただけたらとてもありがたいですね。

 

瓶用新聞バッグ

今朝、道の駅に行ったら南相馬のKさんから新聞バッグが届いてました。南相馬のKさんといっても今は鳴子に避難中です。Kさんは新聞バッグインストラクターで、このごろ新聞バッグのいろんな形の注文があるので、とみに腕前があがってきました。基本はマチ付きの四角い形で大、中、小。そのほかトートバッグ風、とかA4の書類入れに丁度よい形とか。

今日の新作は、なんと今度取扱いを検討してくださっている宮城の酒蔵一ノ蔵さんに合わせたお酒の瓶入れ新聞バッグ。1本入りと2本入り。いやあ、かわいい!英字というのがまた逆の発想で面白い。

お酒も清酒だけじゃなくて濁り酒とか変わった形の瓶のお酒。そしておつまみも横に添えてあったら、例えばナッツとかあったらもっと楽しい。南三陸や松島の乾燥牡蠣とかホタテとか。それからワインもきっと合うと思います。今日の新聞バッグは緑濃いアフリカのぶどう畑の写真の記事がメインなので赤ワインが似合うかも。

明日から福岡です。瓶用新聞バッグも持って行きます。

15日は世田谷に行ってボロ市を見てきます。お世話になるチームワンネスのみなさま、気仙沼仮設の方々、NPO団体リブフォーライフの方々にお会いするのが楽しみです。

世田谷ボロ市

いろんなことがいろんな形で起こります。

高知県四万十へ行った際にお会いした歌手のうーみさん(なんとうーみさんは大震災後単身南三陸で30数回ものライブというのかリサイタルというのかを行ったのだそうです。今度は被災者の方と一緒の本も出版します)のご縁で津山のゆうこさんと知り合い 続きを表示

嬉しいこと

我が家で園芸の仕事を手伝ってくれているOさん。午前中は介護の仕事をして、午後うちに来て夕方まで種を蒔いたり、ポット上げをしたりの花作りの手伝いをしてくれるようになってもう4年ほどになる。そのOさんがこのところ寒さが厳しくなってからの仕事上がりの時間が遅い。 続きを表示

違う国みたい

3・11の地震後、交通量の多い幹線道路や路肩まで落ちて道路の形を留めないような道路は早めに修復されたが、うちの周りの道路(県道)や、市道のような2番手の道路の修理は今、寒くなってから一斉に行われている。その範囲たるやもの凄く広い。壊れているのは毎日見て知っていたけど、こんなに、壊れていないところはなかったのかと呆れるくらい、道路工事だらけだ。

うちから出て東西南北どちらに向っても広範囲に舗装が剥がしてあるところ、 続きを表示