S君のこと、熊のこと

毎週日曜日の朝は、近所に住む新聞バッグインストラクターの黒田さんがお餅仕事の手伝いをしに来て

くれます。海山の仕事以外に自分の本業がある黒田さんと私は、この時間が大事な情報交換の場。

何があっただとか、今度講習をやるだとか、そんな話をするのですが、その中で、

先日の海老名の中学校の修学旅行で新聞バッグの講習をやったS君から、ブログにコメントがきたよ、

その後メールでやりとりして、「楽しかった。またいつか行きます」と言ってくれてたよ、と報告したら、

「そうですってねえ!そういうの、ほんと嬉しいですよねえ!たった一人でもそういうこと言ってくれたら、

やった甲斐ありますよねえ!」と私と同じことを言って喜びました。

 

このことについて少し書いておこうと思います。

修学旅行で新聞バッグという話をJTBの方から伺ったのは、大震災の翌年の夏でした。

よっちゃんと二人でお話を聞きました。

JTB教育事業部、つまり修学旅行担当の方からのお話だったのだけれど、その頃お金が得られる仕事

として新聞バッグを作っていた私たちには今ひとつ意図が読み取れなかった。その後もJTBさんのお話を

何度か聞くことがあり、その年東北で行われたJTBさんの社員研修では私たちの新聞バッグ講習も体験し

ていただきました。その年は小バッグを作り、その翌年に行われた社員研修では、私たち海山も本気ムード

になって、どうせなら営業仕事に使ってほしいと、大バッグを作ってもらいました。

そして一昨年、修学旅行で新聞バッグをやってみようか、と企画を立てられている先生とお会いする機会

を得ました。その時には新聞バッグ作りの説明をし、その翌年、夏休みを利用して東北視察の途中で

寄ってくださった先生方数人にはドイツ語新聞紙で大きいバッグ作りに挑戦して頂きました。

修学旅行で子供たちに体験させるのだったら、まず自分たち大人も作ってみたらどうでしょう。それで

楽しかったらきっと子供たちも楽しいでしょうから。

 

そんなふうに思っての提案でしたが、先生方は全員とても素敵な大バッグを作られ、「楽しかった!」

と言っていただきました。

そして今年がやってきて、6月に修学旅行の本番講習でした。

「楽しかった」と言ってもらえるかどうかの勝負どころでした。

 

総勢200人という数に圧倒されて、道具のこと、講習のこと、気がかりなことが多く、決して満足の

行く出来ではありませんでした。それから暫くして、その中の一人S君から「ありがとう、楽しかった、いい思

い出になります」と言っもらえるなんて想像もしていなかったので、ほんとうに嬉しかった。

 

これまでたくさん講習をしてきた中で、ブログにコメントをくれたり、メールをくれたりする人はいません。

S君は200名の中のたった一人、もしかすると1000人に一人、2000人に一人なのかもしれません。

その自分の思いを発信しようとする行動力、文章から読み取れる考え方の正しさ、そして自分の思いを

きちんと伝えられる文章力、に感心しました。どの力も人との関係を現実に築く力だから。

いまどきの中学生はどんなふうなのかな、と思っていたけど、とても心強かった。

 

S君はいつか大人になったらまた会いに来てくれるそうです。その頃までには東北がもっともっと元気に

なっていたらいいのですが・・・。

 

そして別の話。

きのうのよっちゃんのブログにもあったけど、熊、クマ、仔熊。

ついにうちの前にも熊出没の立て札が・・・。

ここに越してきた時、駐在のセーノさんが「ここは熊出るけど、ここの熊はいいクマだ。悪さはしない」と

言ったけど、やっぱり小熊がいるとそうはいかないからねえ。

熊のコッコ(子供)が多いみたいで今年の夏は用注意です。

 

 

 

 

 

 

 

鳴子温泉食楽市

6月22日

前日東京から帰ってその後お餅仕事。翌日曜日はちょっと多目のお餅仕事。

さすがに疲労気味なんですが、よっちゃん夫妻も新聞バッグ大量発送の後は、休む間もなく鳴子峡で開催

される食楽市に参加している、というので孫連れで黒田さんに運転してもらって鳴子峡へ。

紅葉の名所、鳴子峡は今は緑が美しい季節です。

場所が広いので並んだテントが小さく見える。

 

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だいぶ顔見知りが増えてきたお店の中に「オリガミ」の看板を見つけました。

オリガミだって。何作るんだろう。仕事を終えてやってきたあやさん、黒田さん、私の新聞バッグ組は

好奇心に駆られてオリガミテントへ。

かわいらしい箸袋でした。

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紙を折る、という作業をみると、なんとなく手を出したくなります。

DSCF1840着物の襟のように紙を2枚重ねにして箸袋を折ってしまったあやさんの手技に、お店の人が「あらあ、

気がつかなかった! 素敵ねえ」と感心しています。

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のんびりした午後。

バルーンで刀を作ってチャンバラしながら帰りました。

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新幹線で・・。

普段、新幹線でも飛行機でも、座席の予約をする時には通路側をとります。窓際は押し込められたようで

苦手です。

先日東京に行った時、朝9時発の「はやて」は通路側の席がなく、とれたのは3列席の真ん中。

当日車内に乗り込むと、私の予約の席を挟んで窓際の高齢の紳士と通路側の中年の男性とが談話

中でした。前からのお知り合い同士というよりも新幹線に乗ってから話始められた様子。でもせっかくお

話が弾んでいるところなので、「お席を替わりましょうか」と通路側の男性と席を入れ替わりました。

 

とてもお話が楽しそうな窓際の紳士は次から次へと途切れずお話をされ、隣りの男性は相槌をうちながら

聴いておられます。紳士のお話の仕方は性急で、時々咳き込むのではないかと心配になります。

と、仙台に到着した時に、中年の女性が席の横に立ちました。

「そこは私が予約した席ですが・・・」

お話全開の紳士の席です。ダブルブッキング?

「仙台からとったんですが・・・」と女性。

 

「えーッ、仙台?ここ仙台ですか。降りるんだ!」

我に返った紳士がそう言ったとたんに3人総立ち。男性は紳士を通路に押し出し、私は荷物を降ろして

もらって、さあ、と出口に向かおうとしたその時、紳士は通路で昏倒。椅子の肘かけでしたたかに頭を打た

れたみたいです。でも起き上がってこられたので、そのまま抱え出すように出口へ。

もう時間ギリギリ。

ホームに降りた男性が戻ってこれるだろうか、と心配でしたが、閉りかけたドアに身体を入れて押し開いて

戻ってみえました。車掌氏に叱られたそうです。

ハラハラドキドキの大騒動の一幕でした。車窓からホームで丁寧にお辞儀をされる紳士の姿が見えました

がけっこう強打された頭がその後どうなのか心配です。

 

前席のネットに藤澤周平の文庫本を入れたまま、クロスワードに戻られた男性とぼつりぼつりお話を

しました。窓際の紳士が「先生」と呼ばれていたので私も先生とお呼びします。

最初東京の方かと思っていた先生は、宮城の方でした。沿岸被災地や県や市の事情について実に

お詳しい。

大震災後から年に何回か沿岸部の保育園への慰問をなさっているとのことで、その活動はこの先もずっと

続けていくそうです。それならばと、私も以前からの懸案だった支援金(福岡の友人が年金の一部を続けら

れる間と送り続けてくれてます)の行方を先生に託すことにしました。少額ですが。

 

最初の2年ほどは貧乏の極みだった海の手山の手ネットワークも、たくさんの方の応援でお仕事を増やして

もらって、なんとか自立してやっていけるようになっています。

海山ネットワークのお話もして、お別れする前に手持ちの新聞バッグを差し上げると、「もらうばかりという

わけにはいかないから」と冊子をくださいました。

 

文武両道の実力ある某県立高校のパンフレット。開くと冒頭に先生のお写真が・・・。なんだ、校長先生

じゃないですか。

新幹線のハプニングで校長先生とお近づきになりました。学校をお尋ねするときには、先生が嗜まれる

お抹茶をたててくださるそうです。

これをご縁に先生や生徒さんたちとも、よいご縁ができればいいな、と思います。

 

学校といえば、今日はうれしい出来事がありました。

先日震えるような思いで講習をした、海老名の中学校のsato君からブログへのコメント、そしてメールを

頂きました。「楽しかった。バッグを大切にしています。良い思い出になりました」と書いてくれました。

最初にJTBの方から修学旅行に新聞バッグを、というお話を頂いてから3年。JTBの方への講習、先生方に

も新聞バッグを作ってもらって、やっと本番を迎えたのですが、満足のいく出来ではありませんでした。

 

楽しんでもらえただろうか、と不安だったのですが、「楽しかった」という感想をもらって本当に嬉しかった。

Satoくん、ありがとう。来てくれてありがとう。新聞バッグ作ってくれてありがとう。また来てくださいね。

 

 

 

 

 

 

 

終了!!・・・それから・・・。

17日。

間間でざーざー雨が降る中で最終検品&発送。

こういう時、よっちゃん奥さんのミッチャン、あやさん、ほんとに頼りになります。

数かぞえてたらすぐに解らなくなる私とは違って、まず間違わない。

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こうして緑会さんにご注文いただいた今回分1800枚の新聞バッグの検品、発送は全て終了しました。

よかったーーーあ!  ホッとした!!

 

そして昨日21日には東京の新宿文化センターまで、新聞バッグのその後の行方を見に行きました。

大ホールで行われるみどり会さん(みどり会さんはメンバー会社159社の三菱東京UFJ銀行系

ビジネスグループです)主催の第26回グリーンコンサートに於いて招待のお客様全員に私たちが

作った新聞バッグが手渡されることになっています。

 

到着したのは開場前ですが、ガラス扉の向こうにうず高く積み上げられた新聞バッグが見えたとたん

逃げ出したいような心境に襲われました。が、容赦なく時間は過ぎ、開場です。

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入場されたお客様は、みたこともない新聞バッグを突如渡されて驚かれたことでしょうが、みなさん

珍しげに翳したり広げてみたりでご覧になってます。

開演前に光栄にも新聞バッグの作者として海の手山の手ネットワークのご紹介をしていただきました。

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今日演奏されるのは、大林組コーラス部の合唱。

三菱東京UFJ銀行コンサートバンド、東京グリーン交響楽団の演奏、です。

ほんとうに久しぶりに生で聞く演奏会。楽しみというよりとまどうような気持ちでご招待頂いた前方の席で

聴かせて頂いたのですが、いやいやいやいやー凄かった。感動しました。

 

三人の子供の部活で吹奏楽コンクールには何度も行っていたのだけれど、、大人の吹奏楽は初めて。

銀行のコンサートバンドだから銀行の方々なのでしょうが、私ごときが言うのもなんだけど、合奏もソロも

実に素晴らしくて感動しました。隣の男性が何度も「凄いでしょう、レベルが高いでしょう。ボクは好き

なんですよ」と私に共感を求められていましたが、素直に納得。

 

そして宮内庁式部職樂部の常任指揮者である北原幸男氏のリストの交響詩とドボルザーク 交響曲9番

「新世界」全楽章の演奏もほんとうに素晴らしかった。

 

バンドのアンコール演奏の後、大林組コーラス部とコンサートバンドと会場が一緒になって、歌を歌ったとき

に「そうだ、東北にいる私たちにはこういう場面が欠けてるんだ。こんな弾けるような場面がないんだ。」と

いう思いが胸にわきあがりました。一生懸命働いて、先の見えない不安をあーでもない、こーでもない、と

考えて、また一生懸命働いての連続です。楽しくないことはないけれど、こういう弾けるような楽しさはない。

 

このコンサートにはみんなで一緒に来たいです。みどり会さんの新聞バッグ作りはまだ道半ば。後半も

お客様に喜んで頂けるような新聞バッグを作って、お客様も新聞バッグも私たちの仲間も一緒に会場に響

渡る演奏を聴き、唄える機会があったらいいなあ、と願います。

 

私の席の周りのお客様から、新聞バッグが素晴らしい、よくできている、と声をかけていただきました。

このような機会を与えてくださったみどり会の皆様がたに心から感謝申し上げます。

ありがとうございました!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

終了!!

大量発送が終わったら、これまで溜めに溜めた書類仕事とか片付けとかあれこれやろうとか、まあ

楽しみではあったんですが、でもやっぱそういう具合にもゆきません。

今日はお昼前から、海山営業部長よっちゃんが村長を務める東北村の新しい企画(温泉×新聞バッグ)

と新聞バッグinN・Yの打ち合わせ。途中から仕事を終えたあやさんも参加して力が入った意見交換を4時

間。さすがに家に帰ったらへろへろ。

 

新しいスタイルの「よっちゃんなんばん」ですよー!!

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さて、元に戻って6月12日はまたもや近所の地区公民館で今度は10人態勢で新聞バッグ検品作業。

毎回、よく集まってくれるものだなあ、と感心、感謝します。

さすが10人というのは作業が早い。11日のたった2人とは違って早い段階で1000枚以上の発送が

完了しました。あと440枚は17日に発送します。力不足の分は四万十にお願いして助けてもらいました。

しかし、間々でドドーーッと前触れもなく降ってくる雨!スコールのような。

新聞バッグには雨は大敵なので、大雨となるとほんとうに気を遣います。

しかし、ここまで終わってよかった、よかった。

 

今日に戻って、夕方から古川へ。大量発送した新聞バッグがお客様の手に渡る場面に立ち合うために

土曜日には東京に向かいます。新幹線の切符を買ってきまーーす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

終了!!

雨が降りそうな、でも降らなさそうなはっきりしないお天気が続いています。

蒸し暑い。庭(とういうようなもんじゃないけれど、山だけど)の木の伸び方が凄ましい。1年に50センチは

伸びているんじゃないかしら、と思うくらい縦にも横にも年々でっかくなります。山の木なんだからしようが

いんだけれど、夏になって鬱蒼とした緑を窓から眺めていると、やっぱり「どうしよう」という不安が頭を

もたげてくる、ということは自然はやっぱり人間より生命力が旺盛である、ということなんだなあ・・・。

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越してきた時50センチくらいの鉢植えだった煙の木(スモークツリー)。今では3メートルくらい。

半分くらいに伐っても2、3年すると元に戻ります。花束なんぞに入っているので、こんなに樹生が

強い木であるとは知らなんだ。

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さて、話を元に戻して

6月11日。

近所の地区公民館の一室を借りて、黒田さんと二人で午後から車満載の南三陸分の新聞バッグの検品。

けいこさん、一人で600個も折るなんて普通だったらちょっと考えられない制作力なんですが、これが、

きれいなんですよ。けいこさんの仕事を見る度に、こういう突出した人がいるから、海山は続いたんだなあ

と思います。

そのけいこさんでもたまには糊が剥がれていたり、取っ手がずれていたりするのがあるから検品します。

想像していたとおり、夕方5時になっても半分くらいしか検品できませんでした。

 

いったん家に戻って、明日のお餅仕事の仕込みをして、夜7時から会議が始まる地区館に戻ってみると、

黒田さんがたった一人ポツネンと検品をしているではないですか。げっそり疲れた顔をして!

「えーッ、まだいたの」

間で梱包し終わった大きな大きなダンボール箱4個口、ヤマトに運んだそうです。ほんとうにお疲れさま。

ということで私は会議現場と検品現場を行ったり来たり。なんてこった!

 

翌12日はみんなに来てもらっての検品になります。

 

 

 

 

 

終了!!

6月10日 新聞バッグを回収に南三陸へ。

お天気は霧雨。久しぶりにどんよりと曇り空の下の防災庁舎に寄ってみました。

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3年前よりも置かれているものが少なくなって小ざっぱりとして、木彫りの仏様が2体並んでいます。

前の容器でお線香を立てられるようになってます。

時々車が入ってきます。車を降りた人は、お線香を上げないまでも仏様の前で手を合わせる方

がほとんどです。日本人っていいなあ、と思います。防災庁舎を背景にポーズをとる人はいるかもしれない

けれど、私はまだ見たことはないです。

防災庁舎の赤さびた鉄骨の上のほうの部分は、ジュウジュクジュクジュクとたいそう賑やか。スズメが

盛んに出たり入ったりしているところを見ると、スズメのお宿になっているのではないか、と思います。

霧雨に煙る庁舎の向こう側。

まだなんにもありません。

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さんさん商店街にも寄ってみました。さすがに誰もいない。

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防災庁舎を後にして新聞バッグをとりに歌津へ。

今日は新聞バッグを作った当人たちはお留守です。私が大好きなおじいさんとおばあさんがお留守番。

お茶っこのんでけ、と言われたので上がってお茶を頂いて、記念に写真を撮らせてもらいました。

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おじいさん、おばあさん、元気でいてくださいね。

おじいさんとおばあさんに手伝ってもらって車に積み込んだ新聞バッグの量!

これ、このとおり。

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もう何にも入らないくらい新聞バッグがぎっしり。全部で700枚くらいあるはずなんですが、それにしても

よくまあこんなにたくさん作れたもんだ、と脱帽します。

 

石巻も回るつもりだったけれど、疲れたので帰ることにしました。扉を開けると新聞バッグがなだれ落ちて

くるので、買い物もせずまっすぐ帰宅。

翌11日は黒田さんと検品します。そして翌12日に第1回目の発送予定。

11日の夜は会議の予定も入ってます。がんばろう。

 

 

 

 

 

 

 

雨、雨、雨、あめ

雨が降り始めて4日目。

今日は日中、少し曇り空が明るくなる時間もあったけど、夜になってまた降ってます。

三菱東京UFJ銀行のビジネスサポート企業「みどり会」さんからの大量の新聞バッグ注文の締め切り日が

近づいてきて、足りない、ということもあるかもしれないので、私も他の仕事は全部やめて、この2、3日

は時間をみつけてはせっせせっせと新聞バッグ製作に励んでます。

久しぶりなので、肩が凝る。背中が痛い。なんてことも言ってられないので、最終発送日の16日までは

くだくだ言わず思わずがんばるべし!

 

それにしても全部で6000枚、というのは凄い数字です。年に何回か緑会で催すコンサートの招待客に

配られるそうですが、新聞バッグを折る側にとっては、この先も仕事があるって有難いことだなあ、と

と感謝しています。

今日も石巻で新聞バッグを折りたいという人がいう人が現われて、機織り工房で練習していった、という

連絡がきました。災害住宅が建つとか高台移転の話がまとまる、とかというニュースを聞くと、なんだか

復興が進んでいるかのように聞こえますが、その面は進んだかもしれない。でも仕事を得るとか生活が

元のレベルになるなどということになると、3年の経過くらいじゃどうにもならんことが、沿岸部に行って

みたら解ります。

 

新聞バッグを折りながらラジオの国会中継を聞くともなく聞いていると、ある議員が東北の被災地のことを

言っているのが耳に止まりました。

「東北はモノヅクリの先進地になるし、子供たちは大丈夫。あちこちの学校で入学式とか卒業式とかよばれ

ることが多いが、子供たちは復興は自分たちが荷う、と言っています」

 

そうなんだよなあ。大災害で破壊され尽くした自分たちの町と傷心の大人を見た子供たちは、自分たちが

復興の力になる。と宣言している場面はテレビや新聞でよく見聞きします。

 

片や修学旅行で長崎に行った横浜の中学生の幾人かは、被爆地の証言をする被爆者に「死に損ない」と

揶揄する。たぶん先生にも止められないし、叱られても彼らは反省しないだろうな、と都会でこどもを育てた

私は思います。豊かな生活が生んだ子供たちの心の歪み。

 

因みに私のおばも長崎の被爆者。閃光で傷められた目が年をとるほどに視力を失い、今はほとんど見えな

いらしいけれど、お友達に助けられて86歳の今も働いています。目は見えないけれど、なんだかやたら元気

で、私に言う口癖は「働きなさい。苦労は人を強くするんだからね」

聞いている私はエーーッてなもんですが、まあ、確かに苦労が人を強くする、というのは真理だろうとは思う。

働けなくなったら、被爆者の老人ホームに行く、と心を決めているようです。

 

雨と新聞バッグ作りで外に出ていないので、気持ちはのんびり、話は脱線という具合になりました。

明日は気合を入れなおして、石巻、南三陸へ新聞バッグの回収に行きます。石巻で迷子になるんだろう

なあ、ともう不安。

 

 

 

 

 

 

 

風化しない友達

東京は大雨らしいけど、東北は梅雨入りしたのかな?

このところずーっと続いていた暑いくらいの晴天が止まって、昨日から大雨じゃないけど霧のような雨が

降ってます。

海山の営業部長よっちゃんちでは怒涛のような(悪夢のような)竹の子仕事がやっと終わったようですが、

放射能の数値が去年とさしたる変化がなかったうちの竹の子は出番なし。

よっちゃん家とわたしのうちが遠くはないところにあっても放射能というのはこういうものらしいです。

だから311の話は首都圏辺りでは風化とかなんとか言われてますが、私たちの生活は風化も何も関係なく

変わらず終わらずなんだよねえ。

ともあれよっちゃん家の竹の子仕事の重労働は傍から見ても息苦しいようでした。

採るだけではなくて茹でるのが大変。一回一回火を熾して薪の火で茹でるのですから。

 

6月1日。午前中竹の子堀りに竹の子茹で。午後から海山のミーティング作業に出て、ぶっ倒れている

よっちゃん。  暑いうえに火で炙られてほぼ熱中症状態。

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こういう時、自分が海山の代表でよかったなあ、と思います。

よっちゃん農場のとうがらし生産作業に販売、宣伝、広報仕事。海山の代表仕事に実践、宣伝仕事では

とても身体も心ももちません。私は高齢者なので、海山のとりまとめ仕事はやるけど、実践は体力的に

無理。若い人にやってもらってなんとか保ててます。私も手仕事である自分の本業、お餅屋をやりながら

(お菓子の許可があるのでそのうちお菓子も作りたい)分相応に海山をまもっていこうと考えています。

 

今日の嬉しいできごと。

十数年前、50代の頃、夫が定年退職をしたら広ーーい緑いっぱいの田舎で暮らしたいと夢想した私は

田舎でのコミュニケーションツール?、または暮らしの足し(になるかどうかわからんけれど)陶芸を4年ほど

学びました。その時の陶芸の仲間が今でも311後の私を気にかけてくれて、毎年今頃の時期にたくさんの

花を贈ってくれます。たぶんその友達のまた友達が花の生産に携わっているのだと思いますが・・・・、

見事なバラと向日葵。

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この友達は大震災後の半年近く、毎月私に活動のためのお金を送り続けてくれました。新聞バッグの販売

だけで、 少しの収入しか得られない海山は、贈ってもらったお金でパソコンを買い、復興市に赴く旅費の

足しとして遣わせてもらってすこしづつ形を整え、今があります。

余談だけれど、私がここに超して12年、彼女のうちの近くにある世界のコーヒー豆屋のコーヒー豆を

今も送り続けてくれています。

風化しない友達。

紫がかったやさしいピンクのバラと向日葵を眺めながら、有難いなあ、とほのぼのしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

修学旅行体験講習本番

泣いても笑っても待ったなし。

ついに海山にとって初めての修学旅行生200名に新聞バッグの作り方を教える日になりました。

日頃から新聞を折る人には見境なくアシスタントを頼んで、来てくれたのは15名。田植えだ、仕事だ、

と忙しい中、よーく集まってくれたものだと感謝。

この2、3日、本番に向かって半徹夜でがんばってくれる黒田さんや日頃は超元気な顔に疲労がみえる

あやさんには、そのがんばりと真面目さに感動すら覚えていたのですが、ここにきて集まってくれた

みんなの顔をみて心の中でウルウルするほど、有難いなあーと思っていました。

200名に15人では一人担当何人、と計算すると不安になるので、組の前半分、後ろ半分に分けて担当。

それにしても今日のアシスタントたち(私の集落のおばさんたちが入ってますが)の元気のよいこと。

これだけの人数じゃどうみたって足りないのですが、気迫と俊足でがんばりまーす!

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生徒たちが到着しました。

200名は壮観。これは凄い仕事を引き受けたもんだ、と全体を眺めて言葉がない。

はい、私の担当の子供たち。

どうしてもこの短い時間に新聞バッグを完成させて持って帰ってもらおうと思うものだからこの班以外の

子供たちの顔を全然見てません。全体についてなんて何にも書けない。何にも見ていない。

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始まってみればふたつの舞台上の工夫を凝らした実演は見る者しか見ていないし、自分の手元の新聞を

切ったり貼ったりでせいいっぱい。

それにしても要領が悪い。「あなたたち、工作をやったことあるの?」と聞いたら小学校の時以来、物差し

使ったり鋏使ったりすることないそうです。それじゃダメでしょう。子供たちがダメなんじゃなくて、デジタル

ばかし頼っていたら危機存亡の折り、自分で何か作らなきゃならなくなっても何にも作れないよ。日本の

教育の問題。モノつくりの時間を作ったほうがいいんじゃないの、なんて余分なことまで考えます。

そしていよいよ時間が足りなくなった後半戦はアシスタント全員、勿論私も、全員に作り上げた新聞バッグを

持って帰ってもらいたいがために、教えるほうも必死なら作るほうも必死。何が何だか解らなかったと

思いますが、とにかく全員完成しました。あーー、よかったあーー!!

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私はこの班の生徒たちの顔忘れないよ。特にsato君。

この写真見てきっと懐かしく思い出すと思います。

昨日までの農家民泊の記事が載った地元新聞大崎タイムズを人数分預かりました。来年の卒業式までに

みなさんに贈る新聞バッグを作ります。

中学生200名の新聞バッグ講習は準備段階の気持ちが大変でした。できるかな、できるかな、と不安

だったけど、蓋をあけてみれば、準備をしてくれたみんな、新聞バッグを作ってくれたみんな、そしてこの

壮大な貴重な場と時間をくださったJTBさん、学校の先生方、観光公社さんに感謝の気持ちでいっぱいです。

私たちにできるかたちの手作りの修学旅行受け入れでした。感動と大きな可能性とたくさんの課題を

もらいました。

みなさん、ありがとうございました。