明日から富良野

少し寒気が緩んで昨日今日はいい天気。

明日から富良野へ行くので、この1週間、家族や友人へのクリスマスプレゼントを
選んだり発送したり、合間に留守の間の大量の正月用餅つきやら材料の買い物やら
でばたばたでした。

クリスマス会も忘年会も終えて、まあまあ安心して富良野に迎えます。

明日は午前中に新千歳空港に着いたら、まっすぐに富良野に向かい、午後はみっちり
3時間の富良野groupコミュニケーションワークショップに参加します。
場所は富良野塾。

もう今は真っ白に雪に覆われているだろう富良野塾の佇まいを思い浮かべると、夏は
緑の木立の中で冬は厚い雪の中に埋もれるように眠っていた富良野塾の建物が今目を
覚ましかけているような、そんな感じがします。

翌土曜日の午後は倉本先生の今年最後の講演を聴く時間。

同行するのは今回はよっちゃんではなく、野田君、オサム君。
今年から始めた注連縄作りで忙しいよっちゃんに代わって、富良野に行くことになりました。

新千歳で高知大学の優秀な女子学生、サキナちゃんとアヤネちゃん、そしてその師である
佐藤洋子先生と合流し、黒田さん、私を加えた7人は一路富良野へ。

といいたいところだけれど、レンタカーの運転手を務めてくれるはずの野田君が今日になって
足を捻って捻挫。
我が家では我が家全体のお湯を賄ってくれているエコキュートが故障。私がいない間に治して
くれることになっているけれど、今でよかった。要注意、要注意。

慣れない雪道、誰も怪我などしないように無事に戻って来たいと思います。

 

 

クリスマス音楽会

今朝は強烈に寒くて、車のドアがバリバリに凍って開きませんでした。
マイナス5度くらいか。

午前中は正月用仕事の買い物をして、帰って新聞バッグ発送、夜はパーシモンで
クリスマス音楽会の反省会。

第1回柿の木クリスマス音楽会は17日日曜日の夜に開催。

「開店して1年以上経ったのだから、来てくださるお客様にお礼の意味もこめて
クリスマス会でもしたら?」

商売気の薄いパーシモンのオーナー夫妻に提案したのがはじまりで、クリスマスといえば
普通はライブなんぞをやるんだろうけれど、楽曲cafeのパーシモンでは料理も音楽も
持ち込み手作りでやろうということに決めました。しかしやったことないので手探り状態。

料理は持ち込めるけれど、音楽は?

パーシモンに居座るどーんとでっかいステージ用ピアノは、若マスターの信君が弾くのでOK。
いざとなれば我が家の3年生の孫にも常連の学校の先生にも弾いてもらうということでクリア。

ギターは2人いて、オサム君とマスター。マスターはもう70歳間近だけれど、
一関の自宅までギターをとりに行って参戦。喫茶店仕事そこのけの練習が始りました。

あと、できればパーカッション、ということでこれはドラマーのよっちゃん農場、よっちゃん
みっちゃん夫妻にお願いすることに。
名づけて「柿の木バンド」の発足。

それからの「柿の木バンド」の練習は凄かった。
時間がある限り、お店が閉ってから、10時、11時まで仕事帰りに集まってセッション開始。
中心にいるのは信君のピアノ。それに合わせてマスターのギターとオサム君の弾き歌い。
選曲は4曲。少年のような声で歌うオサム君の声は日を追うごとに大きくなり高くなり
良い仕上がりを見せてきたところで、打楽器カホン参入。

音楽を聴くのは好きだったけれど、日々の練習を聴くうちに、楽器を合わせることの楽しさ
(自分は何も弾けないけれど)、打楽器の重要さなど、これまで知らなかったことが少し
づつ解るようになり、やはり聴くだけよりも参加の重要さを実感。ただそこにいるだけでも。

そして迎えたクリスマス音楽会。
お客様はお店に入るだけ目いっぱい。
持ち込み料理でカウンターはいっぱい。

柿の木バンドの演奏は?

出番を作ってもらってピアノ伴奏をする小3の孫。
皆さんに3番まで歌ってもらって感動!

一関からみえた古川さんのピアノは、人を楽しませるエンターテインメントピアノ。

生バンドで歌うみっちゃん。

即興でサババンド、パーシモン、よっちゃん農場新商品YOSCOのコマーシャルソング
が出来上がりました。

クリスマスソングを歌い、プレゼント交換を終えて終了。
楽しかった、と帰って行かれるお客様の笑顔が有難かった。

そして今日の反省会はしっかりと足りないところを反省して、次は春の柿の木バンド
コンサートを目指します。

新しい楽器歓迎、演奏する人、歌う人、踊る人、聴くだけの人、岩出山の人、鳴子の人、
そのほかの方も大歓迎。みんなでジャジーな夜を・・・・。
歳が明けてからの練習開始。聴くだけの私は楽しみです。

 

 

プレゼンテーション

雪、雪、大雪。

12月の半ばにもならないのに、時ならぬこの大雪。

早朝から降りはじめた雪は、どんどんどんどん積もって10時頃には20cmくらい。

お餅は搗いてつくって出る用意はしたのだけれど、車を下の道路まで出すことは出せる。
でも帰りに登ってこれない。ということで結局出荷を諦め家ごもりに。

夜は川渡温泉でミーティングがあるのです。
それまでになんとか止んでほしいという私の願いは虚しく、しんしんしんしん雪は降り積もり、
家を出る頃には20cm超え。
行くことは行ける。でも夜9時過ぎになるだろう帰りはどうやって帰ろう、とひたすら除雪車
が来てくれることを願いながら、川渡温泉へ。

 

川渡温泉のcafeカガモクさんでは、毎月1回カレーの集いをやってます。
集まった者の1人が作ったカレーを作って食べながら鳴子、岩出山のモノ、コト、ヒトのことを
語り合いましょう、という会で今回が4回目。

前々回から、鳴子温泉在住のメディアマン野田さんが提唱したブレストミーティングをやること
になり、前回は大崎市の町起こし協力隊員として中山平で漆塗り職人修行中の佐藤君のプレゼン
を聞きました。大変面白かった。
途絶えかけている漆職人という仕事をさまざまな勉強をしながら師の元で一人前の漆職人になって
自分の仕事にしていこうという佐藤君の熱意がよくわかりました。

今回プレゼンターを務めるのはなんと私。目的は6月に催した富良野groupコミュニケーション
ワークショップをもう一度やりたい、続けたいというのが主眼で、カレーを作ってくれるのは上條さん。

この雪だもの。誰も来ないんじゃない?
という予測は外れて、それなりに人々は集まってくれました。
焼き芋用のお芋をいっぱい持って週末そば屋のはがさんが現われたのでびっくり。

1人でプレゼンをやるのは不安だけれど、黒田さんと上條さんに手伝ってもらって、今年6月に行った
「富良野な日」の講演とコミュニケーションワークショップがいかに素晴らしかったか、
を伝えるつもりなんだけれども、富良野という遠い土地でやっているワークショップを見たことも
聞いたこともない人たちに、伝えることの難しさを痛感しました。

富良野のことを話すためには海山ネットワークの新聞バッグに触れねばならず、今では日本中、世界
のいくつかの国にまで広がっている新聞バッグに触れれば話はあちこちに脱線し、を繰り返しながらも
参加の方たちに助けられて、今の時代に必要とされている企画だと言ってもらえてひと安心しました。

5年後でもいい、10年後でもいい。
何時の日か、これから廃校になる小学校の校舎を使って、町の人みんなで、ワークショップやったり
市民劇場やったり、音楽やったりできるようになったら嬉しいのですが。

雪降りよりもカチンコチンに凍った道路を気にしながら帰ってきたら除雪が終ってました。
よかった、帰れて。

 

 

 

 

 

 

追悼ミサとバスレー画集

毎年6月になると東京の友人と誘いあって訪ねていた那須トラピスト修道院の
友人、グリーリ・栄子さんが亡くなって1年が経ち、東京四谷の聖イグナチオ教会
で行われた追悼ミサに参列してきました。

今年の6月には訪ねるつもりだったから、「帰天されました」という突然に訃報に
衝撃を受けました。

私のブログで俗世界では知ることのできないグリーリさんの消息をお知りになりたい
方もいるだろうけれど、栄子さんの死を口に出したくなくて口を噤んだままでした。
が、今日のミサで、ようやく栄子さんが自ら望んで神様に導かれて御許に行ったのだと
納得できました。

良いお家に生まれ育って音楽や文学の才能に秀でていた栄子さん。会う時は何時も
笑顔でエネルギッシュで、尼僧の姿になっても華やかさを失わない方でした。

普通の世界におられる時は数冊の著書を出し、著名な音楽評論家であるご主人とともに
世界の舞台で活躍された栄子さんは、ご主人とご子息を亡くされた後に修道院に
入られることになったのだけれど、その時は70歳。
70歳で修道院に入るのは実は困難なことなのだ、と神父さまが述懐されていました。

70歳まで普通の世界で生きた者が、若い時分から沈黙の世界で生きてきた人々とともに
修道院の中で暮らすという、その心のうちは察することもできないけれど、栄子さんは
いつも「でも私の居場所はここなのです」という言葉で締めくくられました、と、それも
神父さまのお言葉でした。

お昼だからかガランガランとなり続ける聖イグナチオ教会の鐘。

栄子さんとはこれでお別れです。
良い出会いでした。

 

中央線の電車の中で、娘へのクリスマスプレゼントを何にしよう、とぼんやりと考えて
いる時、クレール・バスレーの画集を欲しがっていたことを思い出しました。
検索していて、目に入ったのが吉祥時にあるお花屋さんに画衆がある、と。
なんで本屋じゃなくてお花屋さんなのかはわからないけれど、とにかくそのロビニエという
お店がある吉祥時の駅に50年ぶりくらいに降り立ちました。

わあ、変わっちゃった!
駅の前の横丁はまだ健在。大きなビルが立ち並び、お洒落なお店が軒を連ねていて。
この雰囲気、今は最も若者たちに好まれる町なのではないかと・・。現在田舎者の推察ですが。

駅前からかなり歩いた通りの奥にその目立たないけれどとてもお洒落なロビニアはありました。
ロビニアとはフランス語でロバの木のこと。壁に大きなバスレー作、ロバの木の絵が架け
られています。店の置かれたお花は数は少ないけれど、クオリティの高さは抜群。そのへんの
お店には見られない珍しい色合いの花が置かれています。

訊ねてみたらクレール・バスレーさんの画集は出回ってなくて、フランスからこのお店に
送られてくるとのこと。3巻の画集が発刊されているけれど、第1巻、第2巻はもうない。
手に入れられそうなのは第3巻のみ。その第3巻も問い合わせなきゃわからない、ということで
もう勢いで、7,8センチの超分厚い画集を注文。高そうだけど、来たら来た時のことで。

 

友人とふたり、吉祥時をふらりふらり、楽しい散策でした。

 

 

 

りんごを買いに。

1年に1度、新聞紙を送ってくださる相手方にお礼を贈ることにしています。

古い新聞紙を溜めて贈って頂いているので、お礼はこの土地の生産物がいいかなと・・。
そんなことで、昨年は直売所の優秀な若手農業者ゆーじ君の甘ーい玉蜀黍だったけど、
今年の夏は雨続きで玉蜀黍とタイミングが合わず、りんごを送ることにしました。

わが町岩出山の林檎は少し時期が過ぎたので、一関に本宅がある千代さんの案内で
岩手県藤沢市りんごの園へ。
東北に住んでみると、りんごの産地は有名な青森だけではなく、青森から福島まで
さまざまな土地で栽培されていることがわかります。

岩手県はとてもとても大きくて山や緑が実に美しいところだけれど、昔西のほうから
逃れてきキリシタンが隠れ住んだという藤沢は、山また山また山。
岩出山では保存住居以外にはほとんど見られなくなった茅葺屋根の人家が、軒先に洗濯物
が干されて、そこここに見られます。

目的はりんご園だけれど、ついでに以前から行きたかった藤沢町の大籠キリシタン殉教公園に。
キリシタン殉教公園は江戸時代のキリスト教の布教とキリスト教を信じるキリシタンの殉教の
歴史を伝えるために作られた公園、というくらいが私の知る範囲だったのだけれど、
その地に刻まれた傷ましい歴史を忘れさせるような美しい公園でした。

300人以上の殉教者を悼みながら登る300段の階段の先には真っ青な空。

敬虔なクリスチャンである、花の山の登山家、田中澄江氏、作家の加賀乙彦、遠藤周作氏の
碑が建てられています。

階段を登り上がったところにあるカリヨン。

そして今日の目的、船越保武氏の彫刻が置かれたクルス館に到着しました。
が、休館日だった。残念、船越氏の像は見られません。

それにしても待っててくれたようなこの青空。

キリシタン殉教教会。

こんな山の中にりんごの木があるの?というような山の奥まったところにある大きなりんご園。

10種類ほどのりんごを全部味見してみて、味がわからなくなり基本に戻ってコンテナで購入
したのは来年まで保存がきくという「ふじ」。
りんごは寒いところに置けば来年まで充分保存できるそうです。

藤沢から一関に向かい、一関のコーヒー屋さんで休憩、日暮れて岩出山に戻りました。

これから新聞紙のお礼状を書き、コンテナりんごを段ボールに詰め替えて、7年間
近くも新聞紙を送り続けてくださる青山学院大学、その他に送ります。
喜んでいただければいいな。