行ってきました、北海道!

ほんとにほんとに不思議なご縁で、何かに導かれるように北海道に行ってきました。

目指すは北海道、当別町にある㈱ロイズコンフェクトふと美工場。

私が住む町岩出山町と北海道、当別町は姉妹都市であり、私が毎日出荷する道の駅には、世界に

店舗を展開するロイズチョコレートを販売するコーナーがあります。

この度ご縁ができて、ROYCE’チョコレート×海山新聞バッグの物語が始まることになり、よっちゃんにとっては初めて、みっちゃんにとっては20年ぶり、私は7年ぶりで北海道に足を踏み入れることになりました。

今北海道は一番いい季節です。暑くもなく寒くもなく玉ねぎ、じゃがいも、とうもろこし、野菜、メロン、収穫物もいっぱい。よっちゃんは蟹を食べて、じゃがいもを買って帰る、と張り切ってます。

さて、快晴の千歳空港に降り立ってびっくり!

右見てもROYCE’、左見てもROYCE’、ROICE’の看板だらけ。駐機中の飛行機のボーディングブリッジの横っ腹にもROYCE’。北海道ではロイズは超有名な会社なんだと理解しました。

ふと美工場に向かう前、空港内のロイズ直営店にお邪魔してみました。

と、ここは、このチョコレート売り場は想像を絶するチョコレートワールド!

超かわいくてポップでこんなチョコレート屋さん見たことありません。

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よっちゃん、みっちゃん、私は、スゲー!、凄ーい!!、すげー!!!の連発。
30回くらい言ったかもしれない。

チョコレートの原料、カカオの木。

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このカカオの木の実をどんなふうに使って、どんな歴史があって、今の甘ーい、食べればニッコリ笑顔になるチョコレートになったのか。チョコレートの嫌いな人ってあまりいませんからね。

最初はカカオの実をすりつぶした液体でした。おいしいものではなかった。それから・・・それから・・・?
チョコレートに関するミニ博物館のようにチョコレートにまつわる品々、そしてその歴史が展示されてます。

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向かいのショウウインドウの中では機械がぐるぐる回って、チョコレートを作る工程が見られるようになってます。

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チョコレートワールドを堪能した後、ロイズ本社とふと美工場へ向かいます。

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石狩川に沿った田園に中に建つROYCE’ふと美工場。

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これからこのご縁を大切にしていいお仕事をしてゆきたい、と思っています。

 

夜は札幌市内で席を設けていただいての会食。

社長、取締役、次長のお三方には大変よくして頂いて、よっちゃん、みっちゃん、と私、ビール、ワイン、お酒をせっせと飲んで思いのたけをお話させて頂きました。

会社で用意して頂いた代行車で宿泊先のホテルに向かう途上での運転手さんの話、

「ロイズの社員で会社の悪口を言う人はいないですよ。みんな良い会社に入ってよかった、と言います」

 

凄い、凄いばかり言っていた1日目は終わりました。

明日は当別の歴史を探ります。

 

 

 

 

 

 

 

追悼 米倉斉加年氏の死を悼む

直接には全然存じ上げない。一度お電話をして奥様とお話したことはあります。

亡くなった母の幼馴染がその頃の大河か朝ドラか、同じドラマに出演されていたので、幼馴染の住所と

電話番号を聞くためにお電話をしたのでした。

それよりも米倉氏は、私が12歳の時からずーっと仲良しの友だちのご主人の大学時代の大切な

お友だちでした。その友人のだんな様がガンで亡くなってから後、米倉さんと奥様から折りに触れては

よくして頂いている、と友人から聞いてました。

春に福岡に戻った時に、「米倉さんがご病気なんだ」と聞いて、私も夫を亡くして間がないので、ああ、

また一人と気落ちしました。

あまりテレビドラマなどにはお出にならないようにお見受けしていたのですが、今年になってあるドラマ

のヒロインの祖父役でおみかけしました。お顔もやつれていないし、体格もしっかりと見えたので、ああ、

大丈夫なんだ、と嬉しく思っていたのが、今日の突然の訃報。

さっき友人に電話をしてみたら「病気ではなく大動脈瘤の破裂なんだって」と。友人の落胆を思うと、私も

胸が痛みます。

 

福岡出身で、素晴らしい俳優であり、格調高い絵を描かれる方でした。

心よりご冥福をお祈りいたします。

 

 

 

 

 

明大付属中野中学校、高校のみなさんと・・・。

22日

明大付属中野中学、高校の生徒のみなさんに新聞バッグを作ってもらう日。
と一口に言ってしまえば簡単だけど、みなさんが今日を迎えるまでには、長い日数と先生がたやJTBの
Mさんの思いのこもった手数や気持ちがかかっています。

今回東北に来てくれたみなさんは応募してくれた中学3年生15人と高校1年生15人だそうです。そのスケジュールを見て驚きました。着いた日から南三陸に入って全部流された志津川の町を徒歩で歩き、さんさん商店街を視察し、震災を受けた人の話を聞くというハードなもの。ホテルに入ってからも、グループディスカッション、振り返り、と寝るまで全てが勉強みたいなもので、驚きました。

新聞バッグ作りの当日の午前中は、南三陸戸倉での船に乗っての養殖体験、それから2時間近くかけて
山側に来て新聞バッグ体験というのですから、疲れて眠くなるよねー。ということで、私たちはできるだけ
楽しく新聞バッグを作らなくっちゃ、と考えてます。

よっちゃん農場のインターン生3人は、今日は午前中はトマト農家での研修。ということなので、午後は
新聞バッグ作りのお手伝い要員かたがた新聞バッグを一緒に作ってもらいます。

新聞バッグ作りに必要な道具や新聞紙、資料などは、黒田さんが万端整えてくれました。

会場は、思い出深い鳴子公民館。

私たちが、新聞バッグを作ろうと思い立って、四万十から来てくださった畦地社長、黒田さんに初めて
新聞バッグ講習の作り方の講習を受けたところです。9時から5時まで1日かけて大、中、小のバッグの
作り方を必死の思いで教わったけれど、覚えられなかった。あれから3年、もう5万枚くらいの新聞バッグ
を折ってきているのだから、1枚1枚の積み重ねというのはバカにならないです。

午後1時から体験講習始まりのはずが40分遅れて到着。
新聞バッグつくりの前にはよっちゃんが1時間お話をします。
海山の始まりから目標、これからのこと等々。

なぜか黒板に日本地図を描くよっちゃん。アメリカ大陸まで入ってます。
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これまでの講習で1時間のお話というのはなかったのですが、この大切な1時間、よっちゃんは立派に
役目を果たしてくれました。お話が終わって先生から
「高橋さん、お話が上手ですねえ」とお褒めの言葉を頂いたし、私もこれまでで最高のお話だったと
思いました。

黒田さんがメインインストラクターを務め、あやさん、よっちゃん、奥さんのみっちゃん、私のアシスタントで
新聞バッグ制作開始。今回は時間を充分頂いているので、みんな上手に折り進むことができました。

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今夜は鳴子泊まり。そしてまた明日22日は道の駅で再会です。

体験講習が終わった後は、名物カレーライスを食べに全員で道の駅に移動。が、残念、時間が遅すぎて
カレーはなくなっていました。仕方がないのであるもの食べ放題、アイスを食べケーキを食べして終了。

 

23日は朝9時前、道の駅に集合。

社長にお願いして、大震災当時の道の駅のお話などをしていただくことになりました。もう忘れてしまった
けれど、道の駅では311当日から1日も休まず営業し、海のほうから逃げてきた方たちに1日500食の
炊き出しをずいぶん長い間続けていたように覚えています。ガソリンがないので、道の駅にあるディーゼル車1台を循環させて社員や野菜を運びましたが、我が家はその中継地点でした。

「日本一売り上げが多い道の駅を目指すのではなく、日本一お客様に来てもらえる道の駅を目指したい」
とは社長のお話ですが、いいこと言うなあ、と感動。

昨夜ホテルに入ってから、みなさんで書いたという感想文と中学生代表、高校生代表からお礼をお手紙
を頂きました。みなさん、ありがとう。
道の駅の駐車場で大きく手を振りながらお別れです。「また来てね!」と心から思います。

インターンさんたち3名&よっちゃん夫婦が岩出山ハムに視察に行くというので同行させてもらいました。
ハム屋さんは知っているけれど、中を見るのは初めてです。
大変よく売れてるハムで炭火で焼くスペアリブがおいしい。

ご主人のお話によれば、元々は完全なお米を作る農家で(それでお宅が田んぼのど真ん中にあるのだと 納得。以前から変わったところにあるな、と不思議に思っていました)、46歳でハム屋さんに転職されたそうです。何時も思うのですが、ものを作る人の話は実に面白くて興味がつきません。

インターンさんたち3名はこれから石巻に向かい、その後帰京するとのこと。
ほんとに泊まってもらってよかった。イスラエルのノアさんも、マイちゃんもツカちゃんも会えてよかった。

こうして海山は次から次へと新しい人とご縁が繋がってゆきます。
楽しい4日間でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

くるみちゃん畑とバーベキュー

日々はこうして過ぎていきます。速いこと速いこと!

20日

お餅作りを手伝ってくれるというので、ノアさんも早朝に起床。日本名はお持ちなのだけれど、イスラエル人のお医者さまと結婚され、ユダヤ教徒になられてお名前がノアさんと呼ばれるようになったそう。

 

20年も勤めた大使館を辞めて、日本に戻って2年間、食糧学院に入って栄養士になるための勉強を
なさるなんて凄いねえ! 簡単にはできないことだと思います。当地にインターンで来られても、よっちゃんちのとうがらし、豆、うちのお餅に米、何にでも興味を持って実に意欲的。黒田さんちに宿泊の若い二人も
含めて、こういう若い人が、日本の食糧庫と言われる東北の農業に目を向けて、なぜ農業が衰退
するのか等々、現場を見て体験して感じて考えてくれたらほんと、心強いです。

 

今日はよっちゃん農場で納豆用大豆くるみちゃん畑で作業とのこと。天気は快晴、カンカン照り。
昼過ぎ、他の用事も合わせて、黒田さんと孫と一緒にクルミちゃん圃場まで出かけてみました。
家周りにはクルミちゃん畑らしきものはないので、遠くにあるんだろう、とは思っていたけど、この畑の
環境は凄かった。

 

うちの畑も他所のことは言えないくらい森に囲まれているけれど、よっちゃん農場クルミちゃん畑はさらに
奥。どうみても熊、狸、カモシカ、ハクビシンなどの動物の遊び場という感じ。
この暑さの中で3人は大豆の葉っぱに埋もれて作業中でした。

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よっちゃんの腰にぶら下げた熊除けの鈴。

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こんな可愛らしい鈴じゃ間に合わないと思うんだけどなあ。

ラジオ鳴らさなきゃ危ないよ。

 

晩御飯は黒田さんちで焼肉パーティ開催。
家で大急ぎで明日のお餅の仕込みを終わらせ、孫と一緒に参加。

家の中。ワイン、ビール、野菜にお肉に玉子、焼けるものは何でも焼いて盛り上がってます。

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家の外。
男一人のよっちゃんは、蚊を除けながら焼き焼き係りに専念。

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明日は明大付属中野中学校、高等学校生が、東北研修旅行の新聞バッグ講座に来てくれる日。
よっちゃんが生徒さんたちに海山ネットの話をすることになっています。
どんな話をしてくれるのか楽しみ。

今日も充実した1日が終わりました。楽しかった!

 

 

 

 

 

 

イスラエルのはなしを聞く

よっちゃん農場初、インターン生3名受け入れの流れで、我が家でもその中の生徒さん1名の宿泊を
受け入れることにしました。

黒田さん宅では2名。どちらも若いお嬢さんです。

我が家にみえたのは、見かけもバイタリティもバリバリ若いノアさん、56歳。

イスラエル在住の日本人の方です。

20年以上のイスラエルの大使館勤務を辞められて、2年間日本に一時帰国し、東京食糧学院で食品栄養学の勉強をされているお母さん。

ここでイスラエルの今の状況をこと細かに聞けるなんて思いもしませんでした。

昨日、今日の暑いこと!

東北といえど、今日の気温は30度以上。その暑さの中で、食品をルーツから知るために
畑に入って唐辛子の実を収穫したり、焼き方体験をしたりで奮闘中です。

明日は新聞バッグ講座のお手伝いも少ししてくださるそう。

明日は明大付属中野中学校、高等学校の生徒さんたちに新聞バッグ作りの講習をします。
がんばってきます。

 

 

 

 

 

 

 

大雨と動物

朝起きると音をたてて降る雨。

わあ、ついにここも豪雨? このままこの調子で降ったらどこかが落ちるわ、と不安になっていたら、10時頃には止んで晴れました。よかった!

久しぶりの晴れ。は嬉しいけど蒸し暑いこと、蒸し暑いこと。
でもどうにか中途半端になっていた庭の片付けを終わらせて、出たゴミを車いっぱい積んでクリーンセンターに運んで行ったりしたら、へとへとに疲れました。暑いのはこたえます!

どこもかしこも雨、大雨、豪雨、洪水で大変ですね。

大震災の後、大雨が降ると地震で亀裂が入った敷地のどこかが崩れるんじゃないかと恐ろしかったことを
思い出します。
一度だけですが、長雨の後で畑の一角が崩れ落ちたことがあります。気づいた近所の方から、出先に「崖
が崩れてます」とお電話を頂いたんだけど、田舎に住んだことがないので全然ピンと来なかった。

忘れそうになっているところを夜思い出して見に行ったら、道路に近い畑の一角が斜面に生えている木や潅木ごと崩れ落ち、落ちた大量の土砂は道路を埋め尽くしていて、びっくり仰天。重機に入ってもらって業者
にお願いしてなおしてもらいましたが、時間もお金もかかりました。

時間やお金がかかるのも嫌だけど、それよりどこが落ちるのか解らないのが怖い。
大量の雨や長雨は緊張します。もういい加減であっちこっちで降り続く大量の雨が止んでくれることを祈り
ます。

 

今朝、どんどんどんどん、と勝手口の扉を叩く音。朝早い時間にみえたのはうちの上の家の人。
「くまが出ました!」
ああ、遂に!。ここに来た頃には、熊情報は聞いてもこんなに近くで聞くことはなかったのに今年に夏は
たて続けです。ついこの間は向かいの家の男の人が怪我されて治ったばかりだし、そこらへんに居るのかなあとは思っていたけど、この別荘地もねえー。
「下までは降りてきませんよ」と言われたけど、間、家3軒、100メーターくらいしかないのに。来るでしょ。

昨日から雨で伸びまくった草や木を草刈機で払ってます。チェーンソー買って来て枝も切らなくちゃ。
熊は追い払えなくても、せめて姿が見えるようにしておかなくちゃ。
ブルーベリーは狐に、プラムは鳥に、2本の大木のヒメクルミはリスに。ぜーんぶ食べられて、人間の
口には入りませんでした。
そういえばこの間は夕方道路を車で走っていると左側の藪からでっかいカモシカが出てきて急ブレーキ。
とことこと道路を横切って右の藪に入って行きました。

あっちこっちで大雨も増えたけど、動物も確かに増えてると思う。
どんな理由でこんなことになってきてるんですかねえ。知りたい!

 

 

 

 

 

 

 

温泉街のお盆

茄子、ピーマン、じゃがいも、トマト、などなど、どっさりもらったので、今夜のおかずは茄子揚げだ、
サラダだ、と準備に入ったところで、「お中元だよー!」と由美さん來宅。

値段が高すぎてうちではまず口には入らない高級牛肉をどっさり頂きました。

「市場に行って来たの?」
一般にはない不穏な質問。
由美さんちでは肉牛の飼育をしています。だからお肉を頂く時には牛の市場に行ってきたのかなあ、と。
最初に頂いた時には、ちょっとショックだったけど、もう慣れました。当たり前だ、と思うようになりました。

牛肉を頂いたことに感謝して、即刻献立変更。
新聞バッグの検品に来てもらっていた黒田さんも一緒にお肉、野菜をいっぱい焼いて大焼肉パーティ開催。

翌13日はお盆の入り。

夏休みを利用して、東京の中学校の学年主任の先生とお嬢さん、JTBのI氏が来訪されることになり、   今日は、朝のお餅仕事が終わった後は、そのまま南三陸へ。

ちょっと行かない間に、盛り土だらけの志津川の道路事情は大きく変わってました。盛り土の上には、新しい立派な道路が開通し、盛り土と同じ高さから45号線までの急カーブの下り坂を矢印に導かれるままに下ると、行きたくもないところに出てしまった。

この新しい道路、どうなっているのか全然解らない。先生とIさんとのの待ち合わせ場所は、防災庁舎なのです。高い道路から防災庁舎は見えているのだけれど、封鎖されて近づけません。今日はお盆だし、是非ともお線香を上げて帰りたいのだけれど、どうやって行くんだろう。

急遽待ち合わせ場所を震災後初めに建って今もあるセブンイレブンに換え、先生、娘さん、JTBのIさんと合流して、歌津の仮設住宅へ。

お盆の忙しい時期で本当に申し訳ないのだけれど、(けい子さん宅は先日亡くなったおじいさんの初盆です)、無理を承知でお願いしたら、新聞バッグインストラクターのけいこさんもしんこさんも快く集会所まで出てきてくれました。

しんこさんには、先日作った新聞バッグの規格にあっていない分を返品します。時間をかけて作った新聞バッグ。返されるの不本意だと思う。でもしんこさんは全く嫌な顔をせず、「いいの、いいの、商品だからね」と受け取ってくれました。。私はこういう時、心から震災後にこの仮設住宅の海の仕事の方々と知り合いになれてよかったなあ、と思うのです。町場の人はこうはいきません。いろいろ出てくる。

新聞バッグのお仕事話が終わったあとは、先生とこの海のお仕事の方たちとのお話合い。
先生もIさんも宮城県沿岸部に来られるのは初めてだそう。
「どうですか?感想は」と伺うと、
「テレビなんかで見るのとは全然違う。衝撃を受けています。10年後がどうなっているのか、なんて想像も
つきません」

私も同感。何度も何度も南三陸に来ているけれど、3ヵ月後であれ1年後であれ、今の大工事の行く先の
姿は全然見えて来ない。仮設の人たちに聞いても「わからない」のだから、誰が解っているんだろう。
この間久しぶりに来たよっちゃんが、「なんかグッチャグッチャに噛ました感じですね。金だけは大掛かりに
かかっているという気がする」と言いましたが、なんか的を得た言葉に感じます。

けいこさんから先生にもIさんにもそれぞれにお土産のワカメを頂きました。                    帰りに、道を探して防災庁舎に寄ってから、一路今夜の宿泊場所、鳴子温泉へ。

日暮れ時の鳴子の温泉街には迎え火が焚かれていました。通りに面したお店の前では思い思いの形で 迎え火が焚かれ、仏さまのお帰りを待つかのよう。こんなにたくさんの迎え火を一時に見るのは初めてです。

先日行った玉子屋さんの前では店主の宮本氏が火の番をしてました。

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迎え火の通りを歩く浴衣姿のお客様

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先生に伺った大切なお話はこの次に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

チョコとこけしと新聞バッグ

雨が降り続いています。まだ台風の影響下ではないので、風はない。

お盆の帰省時期、台風の通り道にある九州や四国では、ノロノロ台風のおかげでずいぶん不安、ご不自由な時間を過ごされていることでしょう。被害が少ないことを祈ります。

 

朝1で、道の駅より電話。 私たちの道の駅で店舗展開中の北海道のチョコレートメーカー「ロイズ」。    昨日から当地にみえられているロイズ社長にもしかするとご挨拶の時間を頂けるかもしれないということで、よっちゃんともども急ぎ道の駅へ。

先日、道の駅社員のロイズ本社訪問の際に、チョコから始まった海の手山の手ネット物語の顛末と
3年間続けてこられたお礼のお手紙を社員に託したところ、ご丁寧なお返事を頂きました。予想もしない
お返事を頂いたうえに、お返事を頂戴した翌日には社長ご本人にお目にかかれるなんてほんとうに
意外なことで、また嬉しいことでした。

大震災以降、ロイズチョコレートさんにはトラックいっぱいほどもたくさんのチョコレートを被災地の支援に
頂いたうえに、その後も何度かに渡って大きなご支援を頂いています。新聞バッグもいずれ使っていただけるお話もうかがったので楽しみです。

社長が興味をもたれた鳴子のこけしを道の駅社員がお土産にお送りするというので、私が代理で、鳴子
こけしの話を聞きに駅前老舗喫茶玉子屋さんへ。店主の宮本氏はこけしとビートルズ博士なのです。

こけしは木のお人形さん。伝統工芸品であるこけしにまつわる物語は昔からあるのでしょうが、こけし人形はお土産にもらうくらいで詳しいことは何も知りません。宮本氏に案内されたのは温泉街の奥まった場所にあるこけし工房桜井。
こけしを作る工房に隣り合ったお店にはたくさんのこけしが並んでいます。こけしをじーっと見つめる宮本氏
がこれ、と選び出してくれたのは、大きくも小さくもない一体。

系統は岩蔵型。総理大臣賞や全国こけし祭りで最高賞を受賞した同型のもので、よいものを選んで頂き
ました。お店に戻って、コーヒーと宮本氏特製のシュークリームを頂いて帰宅。

 

帰ると、名取にある老人健康施設なとりの作業療法士、大内さんが、今日開催している、入所者、通所者 参加の新聞バッグコンクールの写真を送ってくださってました。

なんと、参加者、34名。新聞バッグは作らないでも、作った新聞バッグに墨書される106歳の入所者が
おられます。先日は長方形の新聞バッグが焼酎入れになっていて墨で「焼酎」と大暑されていました。それをきっかけにお習字教室も開かれるようになったとか。
新聞バッグで飾られた窓辺の楽しいこと。何より、施設のお年寄りに、これだけ熱心に新聞バッグを作り方を
教えて、お年寄りの楽しい時間を作られる大内さん始めスタッフの方々の暖かいお気持ちにうたれます。

英字新聞もにぎわいにとお送りしましたが、役にたったかな。

めまぐるしい、そして、賑やかな1日でした。

 

 

 

 

 

 

新聞バッグ東京会議

東京に行って、「暑い、暑い、この暑さはなんなんだ。東北へ帰ろう」と帰ってきたら、翌日から暑いこと、
暑いこと。激暑で、猫のシロリンも年寄り犬チビもグターッとしています。

とにかく風が抜けるところなら、場所構わず。
勝手口の外でごろん。。邪魔だーー!

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さて、東京での話し。東北新聞バッグプロジェクト会議。

四万十ドラマご一行&海の手山の手&在ニュヨークで現在帰国中の新聞バッグインストラクターHさん、&いろいろとお手伝いくださったり、とにかく何かやっているから見てみようという企業さま等々にご参加頂いて、東北新聞バッグtoニュヨークの会議が行われました。

会議の場所は、四万十ドラマの畦地社長とパソナ本社森田氏のご縁で度々使わせていただいている新丸ビル14階のパソナ本社会議室。私たち海山だったら絶対にお願いするのも憚られる立派な会議室です。

待ち合わせは新丸ビルの外のカフェ。
新丸ビル外カフェは以前はなかったと思うけど・・・。今東京ではカフェが流行りらしいです。
カフェから見る東京駅丸の内出入り口はいい感じでした。

DSCF1961 さて、会議は。

いつ、ニューヨークのどこで、どんな形で東北新聞バッグiの展示をやるのか。費用はどうするのか、というような話し合いは何度も続けられているのですが、時間が経つうちに、ニューヨーク、高知、カリフォルニアなどなど内容は大きく変化し大きく膨らみ、変化のスピードも速くめまぐるしい。梅原真団長の話を一言も聞き漏らすまいと全神経を集中させる3時間でした。疲れた。

写真を撮るゆとりもなく、やっと撮ったら半分片付いていた。

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会議の後は、毎回楽しみの懇親会。八重洲のお店で2時間楽しんだ後は、森田さんのご好意で、首からぶら下げたカードがなければ出入りできない、新丸ビル内の通称森田ラウンジへ。

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ここでも会議の続きのような話が続きます。大震災後、新聞バッグを教えて頂くために四万十の方々と初めて出会ってから3年。何度も顔を合わせるうちに、なかなか噛み合わなかった居場所の違いも、感覚の違いも徐々に徐々に理解できるようになって、誤解を恐れずに本音でお話できるようになりました。

取り返しのつかない大災害で何もかも失って気づかされたのは新しい価値。一人では何もできない。   何より大事なのは人と人の繋がり。みんなで力を合わせれば、大きな仕事ができるということ。
楽しくてビールを飲んでワインを飲んでいい気持ちで酔っ払ったよっちゃんは、思わず梅原デザイナーに
今取り組んでいる納豆作りの話ついでに「パッケージデザインをお願いします」と言ってしまって、梅原さんから「いいよ」と快諾を得ました。

言ってしまったよっちゃんもびっくり。聞いた私たちもびっくり。
納豆作りは大変です。豆は高温栽培。気温が高くなってから種を蒔き、暑いさなかに倒れないように土を寄せ、雑草を抜き、実がつき始めたら、虫と動物との闘いです。ちょっと油断したら端からカラスや狸、カモシカから食べられちゃうからね。
収穫したら、畑で自然乾燥させ、莢から豆を取り出し、選別して初めて納豆になるという工程を踏みます。

でも、今年はよっちゃん、張り切らざるを得ない。

素晴らしい会議でした。次は9月。それまでたくさん考えて良いアイデアを持って次回の会議に臨みたい。飛行機が苦手でニューヨークになんか絶対に行かない、と思っていた私が、「睡眠薬飲んで眠って行こうかなあ」なんて時々思うようになりました。

「その気にさせる」会議というのは、やはり凄いもんだ、と感心してます。

 

 

 

 

 

 

紙の創作展

3日間東京に行ってきました。

暑かったー!! 特に駅から出た時の熱気。こりゃなんなんだ、というくらいに暑かった。
比べれば東北の暑さなんてかわいいもんです。朝夕は寒いくらいだもん。

濃密な3日間でした。1日目は東京新丸ビル14階にあるパソナ本社の会議室をお借りしての四万十+海山
会議。これはもう大がかりで簡単には書ききれないくらいの密度濃い会議だったので次回に。

翌土曜日は、静岡県、三島の佐野美術館で開催中の吉澤章氏の創作折り紙作品展へ。またもや山形で一緒に遊んだ年寄りともだちと忘れものを補い合っての二人旅です。

東京から三島まで1時間。夫の勤務が東京になってから、ほとんど乗ることがなくなっていた山陽新幹線に
ずいぶん久しぶりに乗りました。ウン十年ぶりかもしれない。東北新幹線より少々古びた感じだったけど、
まず後ろの男性が、次には横の男性が、そしてもう一人が、私のまわりの男性3人がタバコを吸い始めたのでビックリ。「こだま」はまだ禁煙はないの?それとも私が喫煙者に乗ったのか。

吉澤章氏は、一生を折り紙を折ることに捧げた折り紙の作者であり、折り紙をオリガミアートとして世界に広めた方です。
一昨年の春、東京自由が丘の産経カルチャーセンターで新聞バッグ作りの春講座を受け持った時に、教室にみえた桜井さんというオリガミを折られる方とお知り合いになり、今回のオリガミの創作展に誘っていただきました。桜井さんはもう亡くなられた吉沢先生の最後の生徒さんだったということです。

 

佐野美術館は緑と湧水のお庭の中にありました。

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このペンギンの親子みてください。母親のうつ向き具合、子ペンギンの母親を仰ぐ顔。ほんとにこれが紙か、と信じられないような魂のこもった動物たち。

先生は紙に向かう時に、1枚の紙に向かって深く頭を垂れて手を合わせ、祈られます。それを折り上げるまでに2、3度繰り返される。紙で折られた動物も生き物も、手先、指先、尻尾の先まで命が吹き込まれたような作品の数々でした。見せて頂いてよかった、と心から感銘を受けました。

 

お庭の食堂でお蕎麦を食べてから、三島の町を散策。とても暑いのですが、三島は富士山からの伏流水
がそこここを流れる湧水の町でした。

水べりに降りるとそこはひんやりとした散策路になっていてどこまでも続き、子供も大人も水辺で遊んだり
涼んだり。これほどの水に恵まれるなんて、なんと羨ましい環境!!

DSCF1976子供たちは水の中でキャアキャアワアワア、ドッジボールの最中。

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向こうの木々の中でも、キャアキャア子供の声とジャボジャボみずの音が聞こえていました。

三島は湧水の町でした。暑かったけれど、私も水の中に入って、足湯ならぬ足水を楽しんできました。