高齢者自動車講習

2週間近くも疲労+風邪で寝込み、大事な大事な東北新聞バッグプロジェクト会議直前にどうにか
起きられるようになって重要会議を終え、ふと気づけば免許の更新日まであと僅か。

70歳を過ぎた今回の自動車免許の更新は、まっすぐ免許センターに行けばいいのではなくて、高齢者講習というものを受けなければならない。らしくて、夫が亡くなる前に講習案内みたいな葉書をもらった記憶はあるのだけれど、どこを探してもない。

「ないんです」と免許センターに問い合わせたら、高齢者講習は自動車教習所でやります、ということで
予約して今日は朝から何十年ぶりかの自動車教習所での講習を受けました。

何やるんだろう?と緊張しました。いくら「試験じゃないから」と言われても昔の教習所で警察官上がりの
威張った教官から、「あんたが免許とっても6か月以内には死ぬよ」などと罵倒されながら、教習を受けた
悪い記憶がよみがえります。

でもまあ、今の教習所も教官も優しいこと!、親切なこと!
時代は変わったんだねえ!!

受講者は6人。全員70歳を過ぎた人ばかりだけれど、午後も高齢者講習はあって、80代、90歳の人だって見えるそうです。車に乗らなければ自立して生きていけない土地柄だから、やれる間はやるしかないんだよねえ。

で、何をやるのか。

勉強とかやるのォー、全部忘れちゃったよ。と内心不安でしたが勉強はなかった。3時間のうち1時間は
目の検査。普通の視力検査ではなくて、動体視力とか暗いところでどれくらいの時間で目が慣れるか
とかの老人用の検査。
次が子供のゲーム機のようなほんものではない車に乗って画面を見ながらアクセル踏んだり、ブレーキ
踏んだりして、私の運転の安全性とか確実性とかみる検査。

安全性とか早い反応とかを見る前に、機械に手馴れない失敗が多くて笑っちゃって緊張が途切れます。
歳をとるっていいですねえ。70歳も過ぎれば自分に確たる自信がある人なんていないので、人が失敗
しても自分が時間がかかっても「そんなもんだろうなあ」と全然誰も凹まない。

そして最後が実技の講習。何十年も前に本免受けた時と同じように1台の車に教官と高齢者教習生が
3人乗って、次々運転を変わりながら教習コースをグルグルグルグル。
「あッ、あーーッ、これ本免なら、これで終わり。正面衝突!」と教官。
「えーーッ、あ、オレ止まらなかったな。自動車教習所に来たの初めてだからな」
昔は家で練習して、免許だけ教習所でとる人はいくらでもいましたからねえ。

高齢者講習の内容を知りたい人もいるかと思って詳しく書いています。

なんやかやと笑っている間に3時間の高齢者講習が終わりました。

私はまあまあまだ普通です。止まれ標識とかではよく確認してる、って誉めて頂いたけど、でもこれは
私が注意深い性格なのではなくて、身体に染みついた危険確認信号なのです。

 

私が免許を取得したのは30数年前、神奈川県川崎市の向ヶ丘で。路上教習コースは交通量の多い
246号。その後市川に引っ越して、練習場所は東京湾岸道路。前後左右トラックに挟まれながら
の練習でした。
痛風を患い、スーツ姿で運動靴を履いた夫を毎朝首都高速を走って虎の門病院に送り、その後青山の
オフィスに送り、また首都高速を戻って自分の仕事場に行ってました。子供の病気のために東京の
済生会病院に行ったり、違う病院に行ったりしているうちに、だんだんどこでも走るようになってしまった。
そして事故になりたくないので、止まれ標識や表示の確認には敏感になりました。

もしここで免許をとって、こののんびりとした田園の中の道を毎日走っていたら、私の危険信号は
もうちょっとのんびりしているのかもしれないです。

 

高齢者講習が終わったので、早速免許の更新に行きます。
これまで5年5年で更新してきたけれど、これからは3年くらいがいいのかもしれない。
自分の状態がわかるから。
最後にこれまで知らなかったこと。
あの枯れ葉マークとかいう高齢者の橙色と黄色のマーク。あれは初心者から高齢までという四葉の
マークに変わっていたんですね。知らなかった。

これから高齢者がどんどん増えて、病院の駐車場なんかが四葉マークで埋まっているところを想像
したらおかしくなってしまった。
75歳を過ぎたら是非ともマークをつけてくださいと言われました。

ともあれ安全運転に徹して、75歳を迎えられるようにがんばりまーす!

 

 

 

 

 

 

 

本気なの!

人間、自分で意識して「本気出すぞ!」と自分を鼓舞する、というのはあんまり信用ならないし、長続き
するかどうかも自分でもあてにならない。

でもこれから本気ださなきゃならない、「四万十発東北経由新聞バッグコンクールinニューヨーク」は、
最初その話が出た時は「ヘェーッ??!!」てなもんだったけど、会議が進むごとに、その中にある
人として、そして世の中の在り方として重要な課題が含まれていることに気付かされて、これはほんとに本気出さなきゃいけないんだ、という気持ちに駆られます。

でもそのためにはこの歳まで生きてきて蓄えた知恵や勇気や力を総結集してコトに当たらなければ・・・。
私だけではなくよっちゃんも四万十チームも同じです。

という気持ちを腹にすえての真剣勝負の会議でした。
やること、考えること多すぎて頭がパンクしそう。

なんてたって、大震災がご縁で知り合うことになった、日本の一流の方たちが本気出しているプロジェクトに
メンバーとして加えさせて頂いているのだもの。

真剣で楽しい会議、そして恒例の懇親会。話も楽しい。飲んで食べるのも楽しい、けれど、本気満々の東北新聞バッグプロジェクト第3回目会議の午後でした。

DSCF1268

明日も朝から会議です。

 

 

 

 

 

 

 

 

に大事な時間

朝、5歳孫の「バーチャンの車で行く」との思いつきの要望で、そんなら私が、と栗原の幼稚園までドライブ。

朝出て行くことはあまりないけど、山も空も雲も木々の色もキラキラと金色に輝いてまあー、きれいなこと!
雨降ったのかなあ。栗駒山方向に虹が立ってます。

寒くなってきたんだねえ。子供たちもダウン姿が多くなって、ただ一つだけのみんなお揃いの黄色い帽子がそれぞれの冬の帽子に変わってきました。目立つのは兎とか熊とかのお耳がついた動物の頭の帽子。
栗原の子はほんとにみんな元気いっぱい。私も動物頭の帽子を買ってあげよう。みんな手袋もしてます。
幼稚園に行くのは楽しくて、娘が「幼稚園の送迎はもっと大変かと思ってたけど全然苦じゃないわ」というのがよくわかります。子供らを見てるとほんとに見飽きない。

 

この地に越して来た時には、冬と雪が怖くて、一番高いチェーンまで買ってきたんだけど、冬車にチェーン
つける人なんていませんでした。11月の終わりくらいの、もう雪降るかなあ、という時期になるとみんな一斉に冬タイヤに替えます。そして、春はもう雪は降らんだろう、という時期になると夏タイヤに替えます。

このタイヤの交換だけで、20センチくらいまでの積雪なら平気で車を走らせます。

娘の車の冬タイヤがパンクしそうだ、とガソリンスタンドで言われて、由美さんに相談したら、由美さんのご主人のススムさんが、自分が行ってやるから、と大事な時間を3時間半も使って(牛がいるのに)、知り合いのタイヤ屋さんまでタイヤを替えに行ってくれました。

申し訳なくて身が縮みました。でもススムさんは全く気にしてなくて、「タイヤはまだ大丈夫だよ。前のもまだ
使えるから。そんなところでガソリン入れるな」と言い置いて帰ってゆきました。

こうして私たちは何かといえば、集落の人たちのお世話になって暮らしています。

明日は第3回目の東北新聞バッグプロジェクトの会議。
どうやったら東北新聞バッグコンクールをニューヨークで開催することができるか、というとても大事な会議です。

先日、デザイナーの梅原真氏に、さんまを入れる新聞バッグにさんまが入ったデザインの下絵のようなものを見せていただく機会がありましたが、私はデザインというものの凄さ、奥行きの深さに改めて感じ入りました。凄いなあ、と思った。

 

明日は梅原氏のお話しも聞けます。一刻一刻を大切にお話しを聞いてこようと思います。

 

海山のお仕事も大きな仕事が入ってきそう。
人は「そうかあ?」と思うかもしれないんだけれど、私は新聞バッグはまだ伸び代があると思っています。
今度の新しいお仕事にはデザインが必要。
がんばってみんなで悩んで悩んでそこの商品に必要な新聞バッグのデザインを考え出したいなあ。

 

 

 

 

 

 

いい時間

昨日からやっとお餅をつき始め、売り始めました。一昨日の夕方、久しぶりに近所の食品スーパーに買い物に行ったら、従業員の方が現れて「どーしたのォ、お客さんが心配してるよ」

4キロくらいも痩せて寒くないようにスカーフでぐるぐる巻きにしているのに、よくわかったなあ、と思って。

でもほんとに有難いこと。がんばらなくちゃ、と時間をかけながら今朝はゆっくり時間をかけてお餅を作って
道の駅まで持って行ったら、これが全然売れないんだなあ。明日まで置いたら硬くなるからと、閉店前に
とりに行ったら、なんと、値札の日付が11月14日になってた。今日は25日でしょうが。

売れるわけない。売れたら困る。
まあ、のっけからとんでもないですねえ。気を付けよう。

 

海山ネットを発足させてから、何かとお世話になっている大崎観光公社の元代表H氏が新しくお仕事を始められることになったので、今日は時間があるうちにとうちに寄ってくださいました。

クロダさんにも来てもらって楽しい時間を過ごしました。

H氏はもともとは角田市出身で、今は塩釜住まい。問わず語りに大震災の時にどこでどうしていたか、という
話になって、「私たちはやっぱりいろんなもの見てしまって深く傷ついちゃったんだねえ。元には戻れないね」
私はこの頃つくづくそう思います。大災害とはこんなもんで回復はできない。無理だわーって。

東京あたりでは南海トラフだかなんだか言ってるけど、この災害はなってみなきゃわかんない、って。
どんなに深く傷つくか。外側の話じゃなくて、心の問題。だからこそ楽天が優勝したらあんなに涙こぼしてみんなで喜ぶんです。ハードばかりに集中してたら理解できない話だよね。

Hさん、仙台までパレード見に行ったそうです。23万人だもんね。あの狭い町で。私も見たかった。

Hさんが帰られた後、あやさんがやってきました。その後由美さんもやってきました。

それからぜんざい食べながらおしゃべり大会。
いつも思うことですが、由美さんの感性に私はよく感心します。
人様へのお土産に新聞バッグに何を入れて送るか、と考えて、由実さんはこの町の名物竹細工を思いついたそうです。

それで私は今まで忘れていたけど、勿論由実さんも私も、この集落の大抵のお母さんたちは、篠竹を細く割いた竹で竹籠を編めるんです。竹籠を編めるんだから、あけびの蔓や藤蔓なんかの籠も編めます。お餅ついてない時は籠編んで売ってたわ。思い出した。ミカン入れるくらいの竹籠だったら何個も何個も作ったわ。

 

そうか。竹籠も布ぞうりも編めるよねえ。豆腐もいっぱい作ったわ。過去にいろいろ作ったもの思い出して
もう1回やろうか。今やらなかったら、なくなっちゃうよね、と燃えました。

 

楽しいいい時間でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

復活の兆し

やあーーーー!!

長々と寝込んでました。

こんなにベッドに寝たまま起きられなくなるのは15年ぶりくらい。歳の割には元気だと言われて、自分でも

その気で調子に乗って、夫亡き後も「大丈夫、大丈夫」とお餅仕事に海山仕事にがんばってたつもり

だったんだけれど、そうはいかなかった、という顛末でした。

人間、精神も肉体もそうタフじゃないんだ、ってよく解かりました。娘夫婦や由美さんにずいぶん世話に

なりました。由美さんなんか、忙しい仕事の合間を縫ってほぼ毎日様子を見に来てくれてたけれど、

年とって、こんなところに住み着いて由美さんみたいな人に出会うなんて、ほとんど運命的な出会いじゃ

ないか、と思います。

たぶんこの先ずんずん歳を重ねていっても、生かしてくれて死なせてくれるんだろうなあ、と確信します。

 

寝ている間に誕生日を迎えて、娘夫婦や由美さんからお祝いをしてもらいました。由美さんはあちこち

出かけて行った先から、絵蝋燭だのお菓子だのお土産に買って来てくれて、張り切ってオトーサンに

「絵蝋燭だよ。きれいでしょ」と蝋燭に火を灯して、花瓶の百合の花燃しちゃった。「あーーッ、百合が

燃えた」って・・・。寝てても笑いが絶えません。

 

毎日お天気がよくて、山々の木々の葉が琥珀色に変わりました。葉が落ちる前の今の時期が私は1年で

好きかもしれない。銀杏の葉だけが真っ黄っ黄です。

この調子で少しずつ起きよう。

こうしている間も新聞バッグはたくさん使って頂いていて、お客様に感謝しています。

またよろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

沈没!

遅ればせながら、仙台の河北新報本社で催された「かほくNEWSCAFE」に行って来たので、そのご報告。

朝のうち、娘の具合は悪いは孫君は熱出すはで病院に行ったり戻ったりして、仙台に到着したのは午後
3時過ぎ。それでもみんなががんばった現場を見てよかったと思います。

初めて見る河北新報本社ビル。震災後からずいぶんお世話になりました。

DSCF1266

1階フロアのとても目立つ場所でワークショップをさせていただきました。

DSCF1264

DSCF1261

DSCF1260

この大きな新聞バッグを作るために、黒田さんはどんなに大変だったかわかります。

皆仕事を持っていますが、夕方帰宅してそれから作るんだもの。大変だったよねーー、と感謝しつつ感動しました。ご覧になる皆様に喜んで頂ければという一途な気持ちでがんばれるのだと思います。

DSCF1262

今日はたまたま仕事が休みだったので、朝7時前には鳴子の奥から仙台に向けて出発してくれたインストラクターのあやさん。丁寧に丁寧に楽天優勝の新聞バッグつくりを教えています。

DSCF1267

そして連日のイベント続きの間にどこに時間があるのかと思うくらい忙しいよっちゃん。それでもこんな発信ボードを3種類も作ってくれました。

ただただ、みんなのがんばりに感動しました。
河北新報社様、そして畠山さんにお礼を申し上げます。

ここまではなんとかやれたのだけど、あとは熱が出てダウン。

今日は仕事のお餅屋もやれませんでした。これまでの緊張と疲れが出てきたようで、今日行った穂波の郷クリニックの三浦先生が「葬儀の後しっかりしていたのも普通。今へとへとになっているのも普通」と言って
頂いて、ワオーンと泣きたい。

思いに体がついていかないのが悔しい。でも動けないので休みます。沈没!!

 

 

 

 

 

「かほくNEWSCAFEまつり」2013

明日11月9日(土曜日)は、仙台河北新報本社に於いて、「かほくNEWSCAFEまつり」が開催されます。

開催の趣旨は、新聞の活用法、楽しみ方を実際に見て、触れて、学べるばを作るということで、

海山ネットワークもよっちゃん農場とともに出展させて頂くことになりました。

新聞バッグを作り始めて2年半。

さてせっかく頂いたこの貴重な場と時間をどんなふうに活用するのか、

張り切ったよっちゃんの妄想は頭の中を飛び回り、そこに付き合おうとする私たちは右往左往。

河北新報さんには新聞バッグの作り初めからずいぶんお世話になっています。

で、この真剣なミーティングの結果、

DSCF1258

海山ネットワークの新聞バッグ作りは、初めは河北新報さんから頂いた新聞で始まり、途中から新聞記事が
リアル過ぎるということで、英字新聞に切り替え、今は両方使うようになりましたが、その過去、現在を
新聞バッグの展示で表します。

過去は、その折々に作った新聞バッグを展示、そして現在は楽天優勝の河北新報で大きい新聞バッグを
ご来場のお客様に作って頂くことにしました。

 

楽天優勝の新聞は河北新報さんから提供されます。

どーそ、みなさん。楽天優勝の新聞バッグほしいなあ、と思われるかたは是非明日、河北新報社の会場までお越しください。そして「かほくNEWSCAFEまつり」とお楽しみください。

 

 

 

 

 

 

ちょっと休憩

この3連休、毎日毎日あまりにお天気がよいので、1日1ぺんは外に出てお日さまに当たらなきゃダメよー、というような強迫観念を感じます。

そうだ、そうだ、せっかく暖かくて風もない冬の前の貴重な外遊び日和だから、孫を連れて近くの化女沼に
行ってみました。化ける女の沼、と書いてケジョヌマと読みます。
ラムサール条約指定地なのかな? この辺り一帯の川や沼は白鳥や雁の越冬地ですが、この化女沼も
そうです。

まだ白鳥は姿を見せず、マガンは飛来しています。

DSCF1247

場所が広いので子供の大きな遊具がありますが、ちょっと難易度が高いので5歳には苦しいかも。

でもやっぱり「ボクはやりたいから」とおっかなびっくりで挑戦中。

DSCF1243

前回来た時には梯子状の階段に恐れをなして滑るのを断念した滑り台。

最初は「バーチャンも一緒に」というので私も滑ってみたら、初めて見るローラー式滑り台で、滑った後は
お尻が熱くなって痒くなる。そういう滑り台でした。
「バーチャンはもういやだ」と言ったら、一人で滑りました。何回も滑ろうとするので「お尻から煙が出るよ」と
行ったらやめた。

DSCF1248

遊具遊びが終わったら沼へ。

DSCF1250

ヨーイドン!と自分で仕切って走って行っちゃった。追っかけるのも息が切れます。
なんであんなにいつも走っているんだろう。

DSCF1251

やっと沼まで辿り着きました。けっこう大きいんだねえ。
東北自動車道の長者原サービスエリアの隣接地域です。

DSCF1252

上まで上がったかと思うと、立ち入り禁止柵を乗り越えて水辺に下りた16、7歳の少年たちに思いっきり
声を張り上げて、「立ち入り禁止だよーー!」「入っちゃいけないんだよーー!」叫ぶ叫ぶ。

びっくりして思わず孫の口を抑えたくなったけど、がまんしたらやめない。
「入ったらいけないんだよーー!」の連呼。
下に下りたほうも驚いて全員振り返って見上げています。

よっぽど心配だったんだね。

いいお天気のまま、ちょっと休憩が終わりました。

ジャージーソフトクリームを食べて帰宅。

 

 

 

 

 

 

 

楽天優勝!!&農協まつり

楽天優勝しました!
ほんとに良かった!  感動しました。

普段は野球見ません。でも楽天はチームができて9年目にしての優勝だから、私がここに越してきて
2年後にできたチームです。最初の頃、誰でも知ってることだけど、ほんとに弱くて感心するほど毎回
負けてばかりでした。

熱心に試合を見ていたわけではないのですが、私が興味深かったのは、東北の人たちが楽天を
我が地元チームとして負けても負けても球場まで出向いて応援し続けること。

私は生まれ故郷の福岡を20代の半ばで離れて以来転勤族でした。夫の勤務の都合で北九州、神戸、
大阪、名古屋、東京、福岡と3年越しくらいで引っ越していたので、地元に対する愛情みたいな感情は
持ったことがありません。気持ちに残るのは住み易かったか、もう住みたくないかくらい。

30代の後半からはほぼ東京近郊で暮らしてきていますが、それでも地域住民という感覚は持ち合せ
ませんでした。

それが変わったのは、ここ東北に来てから。

ここの人たちはほんとに自分たちの在所であるこの東北が大切なんですね。今の時代でも仙台より先に 行ったことがないという若者にもよく出会いますし、就職も東北を出たがらない。それがよーく解かってきました。と同時に自分もこの美しい東北地方がとても大切になりました。

試合が終わった後で息子から
「田中が投げるなんて星野監督の頭がどうかしたのかと思ったよ」と電話がありましたが、違うんだよねえ、
それは愛する地元を持たない東京近郊住民の感覚なんだよ。

スタジアムで雨に濡れながら必死の声援を送り続ける大観衆、グラウンドで死闘をくり広げる選手たち、  スタジアムの外や東北のありとあらゆる場所で、そして被災地の仮設住宅の集会所で固唾をのんで激戦を見守る被災者の方々も、みーんな想いは同じ同志なんだ、と思いました。

負けないで一丸になってがんばるんだって。生きることも復興も試合も。

いい試合も見せてもらいました。おめでとう!! 楽天。

そして今日のもうひとつの初体験は農協まつり。

由実さんから「農協まつり来ないの?私午後に踊りっこやるから見にこない」と電話がきて、孫と一緒に
由実さんの「踊りっこ」を見に行くことにしました。

今日の農協祭りは風もなく好天に恵まれて最高の秋日和です。

DSCF1222

DSCF1226

私は農協のこと、よくわからないんですけど、孫は楽しそう。

歌手の方の歌が始まりました。この舞台はトラックなんですよ。びっくりしたー! 初めて見ました。DSCF1233

そういえば今朝は小野寺防衛大臣もみえたとか。

今は大崎市長が・・・。

すごいですねえ。歌手の方の音頭に合わせて観客全員で手を振ります。

DSCF1238

初めて来てみましたが、農協祭りというのは規模大きいんだなあ、というのが正直な感想です。
面白かった!!

 

 

 

新聞バッグコンクールネット中継

いやー、今日はびっくりしました。

一昨日よっちゃんからメールがきて、四万十新聞バッグコンクールがネット中継されるので、私も一緒に
ということのようだったけど、さっぱり事情が読めていませんでした。

昨日も今日も快晴。
鳴子温泉紅葉狩りは真っ盛りの大盛況。国道47号線も裏道も車でいっぱい、道の駅もいっぱい。
朝は4時に起きてお餅作って、という状況なので、新聞バッグコンクールのネット中継の話も今日のどこかで聞いておけばいいや、と思ってました。

どうせ新聞バッグコンクールは明日なのだし・・・。

 

ということで、お餅仕事を終え、近所のお店にないプリンターのインクを古川まで買いに出て、夕方5時過ぎ、よっちゃん宅に行ったら、みっちゃんが新聞紙スカーフを被って「早く、早く、始まってますよ!」

なんのことやら。

家の中では同じく新聞スカーフを被ったよっちゃんが座卓にパソコンを置いて正面に座り、「早く早くここに
座って」と隣の席を指すではないですか。

思わず「何やってんのォ!なんでそんなもの被ってんのォ」と声を出して、ハッとネット中継と気づきました。
「高橋さん、こちらで画面に映ってますよ」と智子姉さんの声。

今日だったんだ。四万十新聞バッグコンクール。

早く早くったって、外では車の中で、孫も娘も待ってます。
ということでそうそうに退出してきましたが、後でよっちゃんは大変意義あるネット中継だった。自分の思いを
伝えることができた、と四万十の皆さんに感謝していました。

 

新聞バッグコンクール。あやさんやあかりちゃん、南三陸からも出品しましたが、「どうだっただろう、何か
賞を貰えたかしら」と賞をもらうことを楽しめる気持ちになっていることが嬉しいです。

一昨年は畦地賞、昨年はグランプリを頂いてます。いくらなんでも今年もなにか、というほど世の中甘くないことはよく知っているけど、明日は結果を知りたいな。

 

次のほっかぶり市、海山ネットのワークショップは布のようにもじゃくった新聞紙ほっかぶりをして参加したい
ものです。これから寒くなる時期。新聞紙はあったかいしね。

 

四万十のみなさん、ありがとうございました。