南三陸へ「菊作りは奥が深いです。脱帽、志津川菊!!」

小野寺さんの菊を見に南三陸へ行ってきました。

先日東北村催事の村民交流で小野寺さんの菊畑を手伝いに行った時に、お盆用菊は8月1日くらいから
切り始めると聞いたので、その切り前を見に行きました。切り前というのは切り時のこと。お盆の12日に
必要な菊はその10日前くらいに、蕾に花色が出たくらいで切ります。

その時の葉の状態、大きさ、花の状態, 使う道具、全部見たい、知りたい。

南三陸に行く度に毎回書きますが、何にも変わりません。風景はおんなじで、流された家の礎石や
積み上がったガレキが草に埋もれています。1年4か月も経つのに、何にも変わらないのはどーして?

菊畑は変わってました。前回見たのは東北村催事でみんなで小野寺さんの菊畑の手伝いに行った時ですが、
背丈が伸びて、出荷直前の姿にできあがってました。
やっぱり凄いね。!
私たちがやったら、なかなかこうはいきません。出荷に丁度いいように出来上がるなんて、運みたいなもんで
早くに咲いちゃったり、1週間も遅れて咲いてみたり。一色咲いたけど後は咲かないとか、アクシデント多発。   やっぱ、腕がいい、ってことはこういうことなんですねえ。
ほんとに、花も時期もぴったんこじゃないですか。!

葉っぱが小さくて花が大きい。これも素晴らしい。
うちのはどうだろう。葉っぱが大きくて花が小さいとか。それに時期が会わなかったら最悪です。

同じ高さで同じ花の咲きごろで見事に並んでます。

これは小野寺さんの菊畑の下にある大規模菊栽培者Oさんの菊畑。全体の菊の5分の1くらいだそうですが、
やっぱりプロ。何万本だかの菊がちゃんと切れるくらいに出来上がってます。凄いねえ!!
これを見ると、菊は復活する、と確信します。

名前はわかりませんが、菊の出荷に必要な大きな機械が運び込まれていました。

海山ネット代表よっちゃんや東北村の村民で一緒に作った棚もちゃんと活躍してました。

本格的出荷を前に、ハウスで花束を作る作業中の小野寺さんご夫妻。
お盆用の輪菊は、志津川菊として東京市場に出荷されますが、サイズが少し小さかったり、葉に少し傷があったり
するものは、花束にして近隣の町のお店などで販売されてました。震災前までは気仙沼で販売されていたのだけれど、今は気仙沼がそういう状況にはないので、海山ネットや東北村で販売を考えたいと思っています。

昨年の秋ごろまでは小野寺さんの菊栽培再開の決心はついていませんでした。
あまりにも何もなかったからです。今年の早春から自分で畑を耕し始めて、ほぼ半年、まだ量的にも元に
戻ったとは言えないけれど、復活されました。
この菊の花束の販売に、是非皆様のご協力お願いします。
うちで販売できる、という方がいらっしゃいましたらご連絡お願いします。

omochi@uminote-yamanote.net

 

 

 

 

 

 

 

 

アカリちゃん

初めてアカリちゃんを見たのは、鳴子温泉の高橋亭で、ロバート・キャンベル先生の最初の「読もう」の講座に出た時。アカリちゃんはお母さんと一緒に来ていて、つまんなそうに見えました。

その次会ったのは、鳴子温泉の御殿湯駅近くの喫茶店。
経済復興活動をやらねばならない、と決めて、新聞バッグを作ることになり、その作り方をどうやって教わったら
いいのかインターネットで探して高知県の(株)四万十ドラマに電話をかけてお伺いをたてました。

そうしたら社長の畦地さんが前例のないことだけど、こちらからインストラクターを連れて教えに行くからと、急遽
鳴子まで来てくださることになり、教室の会場を取ったり、新聞バッグインストラクターになりたい人を探したり。

そんな騒動の中で「新聞バッグを作るインストラクターになりたい人いませんか」と募集をかけたら、鳴子温泉避難中の女川の人たちと一緒に来てくれたのがアカリちゃんのお母さんでした。
喫茶店で初めてお母さんのayaさんに会った時、アカリちゃんはまだ小学生でした。南相馬を3月12日にバスで出て
以来中学生のお兄ちゃんとアカリちゃんとayaさんの3人が鳴子で暮らし、お父さんは新潟、大きいお兄ちゃんは
南相馬で暮らしているということでした。

その時もアカリちゃんは超つまんなそうで、お母さんから、どこそこで遊んでらっしゃいと言われて外に出かけて
行ってもしばらくすると戻ってきて、前より更につまんなそうで私は早く話をやめようと焦りました。

それからは時々海山ネットの販売などでお母さんと一緒についてくるアカリちゃんと会いました。メキメキメキメキ
背が伸びて、南相馬から転校して最初はいやだった学校にも馴染み、吹奏楽でコンクールに出たり、冬には
クロスカントリーの協議に出たり、楽しく学校生活を送っている様子がayaさんの話から読み取れました。

そして今度の長野。

お母さんのayaさんとアカリちゃんはワンセットで考えなければいけないので、新聞バッグインストラクターとして
ayaさんに長野に来てもらう以上、アカリちゃんにも来てもらわなければなりません。でも車1台に大人が7人
乗って子供はアカリちゃん一人。この頃大きくなって前とはずいぶん違ってきたな、とは思うけど、道中長いので
具合悪くならないかなあ、つまんないだろうなあ、と心配でした。

ところがアカリちゃんは一番狭い後部座席のその後ろにお母さんと一緒に座って文句ひとついう訳でもなく
終始明るくて元気で、感心安心しました。

そして着いてエムウエーブでの販売が始まったら、復興手拭いを頭にしっかりと締め、東北村の物産や
海山ねっと商品のよっちゃんなんばんや私のあられなど、本気ムードで販売するではありませんか。
驚いた!
同じく販売方主戦力である南三陸タカちゃんの娘であり、今はよっちゃんなんばんスタッフでもある年齢が近いノンちゃんの傍にいて、ノンちゃんの口上をしっかりと聞きおぼえ、お客さんが来るとほとんど同じような言葉で
以って商品の説明をするのです。

ノンちゃんがいない時「大丈夫かなあ」と近寄ってみては、アカリちゃんの真剣さに邪魔をしないように
後戻ったりしてました。

最初の日の夜は、偶然にもよっちゃん奥様みっちゃんとアカリちゃんの誕生日が同じ日だとわかり、みんなで
お店の人も御客様も一緒になってお祝いをしました。
翌2日目の販売では、アカリちゃんは一日、持って行ったポン菓子を「うまいッス」と食べ食べ、昼食に誘っても
絶対に行かず販売に専念してました。男の子みたいにさっぱり系のアカリちゃんが、前日、版画家の岡澤
さんと一緒に選んだ木の実のネックレスをしていてくれたのが嬉しかった。

アカリちゃんの唯一の望みはキーホルダーをお土産にたくさん買うこと。

ですが、帰りの車は到着時間が午前3時4時という深夜便なので、開いているお店を探して、片端から
サービスエリアやパーキングエリアに寄りました。どこも開いてなくて最後に柏崎の米山SAでゲット。
大人全員で安堵しました。

次は11月最初の四万十での新聞バッグコンクール。新聞バッグ作りでは大ベテランであるayaさんには是非
行ってもらわなければなりません。当然アカリちゃんも一緒です。
昨年のコンクールの時のように被災地と非被災地の心模様の違いに愕然としたりすることなく、しっかりした
デザインのしっかりとした新聞バッグを作って賞をもらいたいと思います。
アカリちゃんも作ってくれないかなあ。アカリちゃんの面白キャラを全開にして。

 

 

 

 

 

有備館

昨日は仙台で東北村総会、今日は朝一で高知県(株)四万十ドラマの畦地社長が新幹線古川駅で途中下車
してくださっての、新聞バッグ事業の新展開の始動のお話し。

東北村も新聞バッグ事業も国の予算が入った大きなプロジェクトなので、だからこそおろそかにすることのない
ようにしっかりみっちりやっていきたいと思ってます。が、怖いのと期待と半々。

夜は夜で長野へ行く前大変お世話になった酒蔵一ノ蔵のYマーケティング室長にお礼を言うため、事務所へ。
今日事務所も月1で行なわれている、若い人やこれから何かやりたいな、と思う人たちが集っておしゃべり
するしゃべらナイトを開催中。回を重ねるごとに人数が増えて、広い駐車場に車が入らないほどの大盛況。
よかったね。KJさん。甘ーいとうもろこしありがとう。

今日はこの間からきっちり行っておこうと思っていた有備館に行ってきました。

ずいぶん昔のことですが、本庄睦夫の「石狩川」という本を読んだことがあります。作者の本庄睦夫はこの本が
刊行されてから2か月後に34歳で病没したとのことですが、明治初期、仙台から北海道の当別に入植した元
士族たちの苦難と不屈の魂が描かれたこの小説は深く心に残りました。

 

10年余りまえ、今私が住む町岩出山に初めて来た時、藩主伊達家の学問所である有備館に行きました。
有備館は栗原の内陸地震の時に被災し、その傷が癒えないうちに昨年の大地震に合い、完全に倒壊してしまい
ましたが、私が行った時には、壁に当別開拓の版画が掲示されていて、岩出山から当別に開拓に向かった
説明がなされていました。その説明を読んで私は感動しました。
この時代にありながら、なんと合理的で、ち密で、偉大な開拓史であることかと。第1陣、第2陣、第3陣まで
募集して連れて行って、成功させるんだもの。そして生き長らえて男爵の称号までもらうなんて。

でも本庄睦男の「石狩川」とは結びついていなかったんです。

ここに越してきて、この物語は岩出山藩主伊達邦直が士分をはく奪された家臣を心配し、私財を投げ打っての
北海道開拓の物語であったのだと初めて知りました。


越鳥南枝の碑。これよりこの地を離れ当別に向かう別れと決意の言葉が書かれています。
下に並ぶのは第1陣、第2陣、第3陣で当別に向かった人たちの名前。

有備館は城山の下にあります。

 

有備館入口。今は入館費は無料です。

今有備館は再建中です。

どれもこれも木は大きくてホレボレします。

涼しげですが、今日はそれなりに暑かった。

そしてこれが私が前からほしかった版画集。

このような偉業が成し遂げられた岩出山伊達家の学問所、有備館。

たくさんの方に来て見て感じていただきたいですね。

 

 

 

 

 

いじめの問題に思うこと

朝、テレビを見ていて思いました。いじめの問題。
コメントする役目の元検事だかの男性が、「今のように警察が介入することはよくないと思う」
「教育委員会や学校がその役目を果たしていけるようにするステップであるべき」と言っていましたが、
聞いていて私は、ウーンと思いましたね。

被害を受けた生徒はきちんと被害届を出し、正式に警察はその形をうけて、乱暴した子供はその罰
を受けるなり、その後は保護観察になるなり・・・、と言っていましたが、それって理想じゃない?元検事さんの仕事頭の。

現実に警察に届けたとして警察がすぐに動くかというと、いじめられた子供もまるで何かしたみたいに質問攻め
に合い、ある程度の罰を受けて保護観察になったとしても、その子の家庭環境によっては、保護観察も
名前だけ、ということも多いんだよ、ってことをこの元検事さんは知っているんですかねえ。
その間も子供は震える心を抱えて家にいたり、居心地の悪い思いをしながら学校に行ったりしてるのよ。
法律の仕事をする人は証明とか立証とかに重点を置いたものの言い方するけど、それは仕方のないことだけど、でも渦中にいる人の想いが置き去りになっていることを忘れないでほしい。

そんなに簡単なことではないから、親は怖いのを我慢して必死で子供を守ろうとするんだよ。
先生も学校もあてにならない。教育委員会なんて日頃付き合いないから思いつきません。警察に届けたら
倍返しの報復がくるかもしれない。と怖いけど、自分の子供も守りたいし、次の被害者も出したくない。

子供を守ろうとすることが、逆に子供を追い詰めないかと怯えながら、でも子供を守りたいが故に親は
迷いながら警察に届けるの。簡単に理屈でコメントしないでほしい。

 

子供が暴行を受けて警察に届けようと決心し、学校に行って校長に会ったら、うちの子供の学校の校長は
「あー、もう学校でも手が付けられなくて困っているので、警察でも教育委員会でも言ってくださいよ」と言ったね。
不良グループに取り囲まれて今度の奈良の女子生徒のように、机を蹴ったりこづいたりされた時に
学校に行って担任の先生に会ったら、「いつもカミソリ持っているんですよ。保護観察なんだけど、家には
おばあさんしかいないのでねえ」と先生は言ったね。

子供は死なず大きくなったから私の場合はもういい。
何年も何十年もこんなことが続いている。だんだんやることが残忍になってきている。
乱暴される子も乱暴する子も両方が幸せに成長できるように、理屈ばっかり言ってないでもっと真剣に考えて
ほしいもんです。

 

 

 

 

穂波の郷クリニック

昨日、今日、べつにお天気はよくないのにむし暑いこと!
それなのに我が家では全員風邪をひいて、私は喉が痛いので午前中に穂波の郷クリニックへ。

穂波の郷クリニックは在宅ケア部門がある病院です。
大震災後、海の手山の手ネットワークの始まりである梅農場での250人の梅の花見では、クリニックの主である三浦先生は私の願いを断らずに午前中の診療を終えるとスタッフと一緒に梅農場に駆けつけてくれました。
そして大きな声で被災者の真ん中に立ち、避難所での生活の注意をされました。けっこう長い時間だったので
終わった後「お疲れでしょう」と言ったら真剣な顔で「まだ言い足りない」とおっしゃったことを覚えています。

病院ではないような受付窓口の雰囲気です。

これは在宅の患者さんたちと一緒に催された七夕祭りの写真。

昨年の大震災以後、この壁には三浦先生やスタッフの方たちが毎日、午前中の診療が終わった後診察に向かわれる石巻、南三陸、女川、気仙沼、その他の被災地で撮った写真がいっぱい並んでました。
片道1時間半も2時間もかかります。それでも欠かさず毎日、土曜も日曜もなく被災地に赴き、俯瞰するトンボの
ような目で心や体が傷ついた人を見つけては、手当てをしたり、入院をさせたりなさってました。在宅の患者さんも
たくさんいらっしゃるので、ずいぶんお疲れのようでしたが、長い日々被災地の診療を続けておられました。

今は七夕祭りになって・・よかった! でも今日も午後から先生は在宅ケアの何人もの患者さんの往診へ、スタッフは南三陸の患者さんのところに行ってましたよ。

私はお薬をもらって安心して、今日は本格的に畑で草むしりを。
すごい草です。

田舎では夏は毎日草刈です。刈っておかないと、動物が自分の遊び場だと思いそうなので。
今日、誰かの畑のトウモロコシを熊が食べたと聞きました。怖い!とは思わないんだけど、人の作物だとなんかこう笑いたくなるんですね。熊ばっかりは笑うしかない。どうにも撃退の方法がないので。
道の駅の生産者仲間のKさんは「俺は必ず爆竹鳴らすよ」と言うのですが。爆竹はセブンイレブンにあるそうです。

私はまだ爆竹は鳴らしたことないけど、ありったけの声を出したり、ラジオを大音量でかけても、3段の畑の
トウモロコシを3回に分けて熟したところを見計らって全部食べられました。私は熊の食べ残しを拾って食べました。
というわけでトウモロコシは作りたくても作れない作物です。

この草の中でもアガバンサスはけなげに大株になって咲いています。

オミナエシがこんなに大きくなりました。

お盆を待つアスター群ですが、ちと育ちが悪い。

菊だの千日紅だのの切り花です。

これからハボタン、パンジー、ビオラの出番になります。お正月用ハボタンのタネはもう蒔きました。
ハボタンはこんなに早く蒔きます。これからパンジー、ビオラのタネ蒔きが始まります。花の生産者は
こうして1年中、種を蒔いてはポット上げをしています。

汗どろどろになって今日の作業が終わりました。また明日も草むしり。暑くなりませんように、お願い!

 

 

「私の中の東日本」

今朝、道の駅で、混雑した中でお客様に声をかけられて「??」
どなただったっけ? 見覚えあるようなないような。 わからん。

「あのー、どなた様でしたっけ?」
「たねの森の紙です」と言われて、ビックリ!!あーー、埼玉の東北応援隊の紙さん。
でも埼玉にいる人がなんでこんなところに。それも朝から。
横にはにこにこした奥様が。3歳のお嬢様と1歳に満たないコータロー君も一緒でした。
3月の新宿高島屋の東北村催事でお会いして以来です。

「よっちゃんちに行きました?」
「行ってないです。きのうは鳴子に泊まっていました」
ということだったので、私のナビでよっちゃんちにご案内することにしました。

よっちゃんは今日はこれから飼いたい犬とのお見合いの日なので家にいるはず。

紙さんは埼玉県で「たねの森」という無農薬、無化学肥料のタネの店を経営されています。
タネは自家採取のできる固定種だけを取り扱われている珍しいタネ屋さんです。
それだけではなく、昨年の東北大震災の後すぐに東北応援隊を立ち上げられて、東北沿岸部の被災した町を
次次に訪れて被災からの回復の応援をし続け、それは今も続けられています。

その何度目かで岩出山に寄ってくださり、梅農場で初めてお会いしました。以後東北応援として
紙さんの地元で行われる青空マーケットなどで私たちの商品を販売してくださったりして、私たちはずいぶんお世話になりました。これからもなります。
それだけではなく、先日、よっちゃんがテレビで神さんを見たと驚いてましたが、東京で原発反対のデモにも参加されています。

東北応援隊だけではなく、自分たちの足元の暮らしを見つめて地域循環型の暮らしを進める日高市民の会
「日高くるくるネット」を発足され、自然エネルギーの勉強会や菜の花プロジェクトなど精力的に活動されています。
まだ小さいお嬢ちゃんもコータロー君もこんなご両親に育てられて、きっと地球や地域を大切にする心優しい
大人になることでしょう。紙さんファミリーにお会いすると「希望」という文字が思い浮かびます。

 

もう一人、新しくお知り合いになった方がいます。
書いとかないと時が経ったら、今日のことは忘れてしまうかもしれないので書いておきます。

大分市にある独楽喫茶風じん雷じんの経営者であるIさんから、ご支援のお金が送られてきました。
「私の中の東日本」のお金だと記されていました。
「私の中の東日本」とはなんでしょう。本だろうか。そういうグループがあるのだろうか。
知りたくて、お礼のメールを差し上げる時に訊きました。
そうしたらお答えいただきました。

「私たちがご苦労されている被災されたかたがたへの思いを忘れないために名づけたテーマです」
昨年は手持ちの絵画、コーヒーなどを販売してその売り上げを寄付したけれども、、今年は売るもの
がないので7月7日のお店のオープン記念日から1週間の売り上げを寄付いたします。とありました。
ご病気のご家族を介護しながらのお仕事だということです。

なんといったらいいのか。こんな方がいらっしゃるんだ、と震える気持ちになりました。
滅多なことではそんなことはできません。

そんな貴重なお金はいただけませんとお返ししたいと思いましたが、
震災直後、海山代表のよっちゃんと梅農場のS副代表と3人で初めて顔を合わせた時、遠くの友人知人から
送られてきたお見舞金を「壊れた壁を治してどうする?それがなんなんだ?お金は回そう。回して活かして
経済回復の元にしなければ」と話し合った時のことを思い出しました。
その時隣町鳴子温泉に避難してきていた沿岸部の方たちは手拭い1本持たなかった、と言っていましたから。

大切なお金は大切に活かして使わせていただきます。
風じん雷じん様、心からありがとうございました。

 

 

 

山百合&長野で

涼しくても、いや、寒くても(昨日、今日は涼しすぎて寒い)夏です。
山百合が咲いてきました。

この町の町花は山百合。1、2輪咲いても道いっぱいに香りが充満するのでクンクンクンクンしたくなります。

大盤振る舞いで咲いています。

今朝、道の駅に行ったら裏の大駐車場ではドッグショーをやってました。犬を連れてきた人たちの車や
かなりたくさんのテントがあったから、今日来てくださったお客様が車を停めるのに不自由されたかも
しれませんね。

葉物が少なくなってきました。夏野菜の真っ盛りです。道の駅の店内の隅っこに立って、じーっと店内を
見回すと、茄子、きゅうり、トマト、いんげん、かぼちゃ、ズッキーニと夏野菜のてんこ盛りが見えてきます。

まあちょっとあまりにもたくさん採れるものだから、どうしたって余り野菜というのが出るのね。これを1日
置いたらお客様に新鮮野菜を食べていただくために販売棚から引くんです。生産者がすぐ取りに来れれば
問題ないけど、来なかったら廃棄ということになります。

それがどうも目によろしくないんですね。目にすると、いやいやいや、バチが当たりそうだという気になる。
ひと工夫もふた工夫もする必要がありそうで、これから考えます。

さて、長野です。

宴が終わっての一夜の宿は「ふじや」という旅館でした。創業以来300年という建物は新しいけれど佇まいは
古き良きものを残した素敵な宿でしたよ。お花がいっぱい。ご飯はピザでお腹いっぱいなのでなし。私は
のんちゃんと相部屋でいっぱいお話しをしました。

この宿からピザを食べたラ・フォーレまでふらふらみんなで歩く街並みの素敵なこと!!
足袋屋さんだとか、提灯屋さんだとか、足踏みミシン屋さんとか。飽きない。全然飽きない。
明日の朝は絶対に散歩に行こうね、と口だけは威勢よかったのだけれど、現実には沈没でした。

ここはあんずの里から3キロ。しなの鉄道屋代駅のすぐ近くです。

そして帰ってきてわかったのは、このあんずは
伊予宇和島藩主(私たちの町岩出山の姉妹都市です)伊達宗利候(伊達だって。岩出山は伊達正宗が仙台
青葉城に住むまでの居城があったところです)の息女豊姫が、松代藩主真田幸道候に輿入れの際、故郷を偲ぶ
よすがにあんずのタネを持参したのが、この地のあんずの始まりだということ。

なんだ、びっくり。伊達つながりだったのですか!
繋がってますねえ。
うちにもここのあんずの里のあんずがあります。この町の中学校跡にあんずの里を作ろう構想が持ち上がった時、
町からバスを仕立ててここまで見学兼苗木購入に来ました。その時のあんずの苗木が2本我が家の庭に
あります。

 

大変風情豊かな街並みでした。また必ず行きたいと思います。

 

 

 

いじめの動画&バースデイパーティ

見たいとも思ってなかったんだけれど、昨日から報道されている中学3年が小学生を殴る蹴るの動画
を、今朝の民放のテレビでやっていたものだからつい見てしまいました。

長-い動画。現地の教育委員会がこれを「いじめ」と認定すると言ってました。
なぜ「いじめ」と認定するのかと問われて「場合によれば命にも関わると認識させるために」
と答えていました。が、大きな子供が小さい子供を大けがするくらい殴ったり蹴ったりして、それを動画にまで撮っているのに、「それは命に関わることだよ」と認識させるために「いじめ」と認定するの?

これが「いじめ」?

一体「いじめ」という言葉の定義は何?どこからどこまで?
これは暴行だよ。傷害。大人だったら逮捕される暴行事件なのに中学生だったら「いじめ」になるのですか。
この暴行現場には何人もの傍観者がいる訳で、「ちょっとずれてますねえ」とコメンテイターの人が言って
たけど、ちょっとじゃないです。完璧ずれてる。

ほんとうに本気になって子供と対峙する大人が増えてほしいと思います。
私が子供の頃の大人は怖かったですよ。習字の道具を忘れたら道具箱で頭を引っぱたかれていたし、
夏の体育授業の水泳では棒でつつかれて泳がされていた。立たされるし、座らされるし、職員室に
呼び出されるし、気が抜けませんでした。正しい場合もあるし、理不尽な場合もある。でも大人はそんな
もんだと思ってました。

でもね、先生が生徒の財布を盗んでみたり、警察の剣道では日本一の警察官が児童ポルノ売買に
関わったり(昨日、一昨日のニュースですよ)、子供を導き市民を守る尊い職業に就いたはずの大人の
未熟で醜い行いが連日テレビや新聞やネットで報道されるのです。

単純に、大人にも子供にもビビらない強くて謙虚な大人がもっと増えなきゃならないと思います。
子供をかわいがり、恐れず、叱る大人が。

 

さて、長野の続きは誕生会です。

車の中で判明したのですが、奇しくもよっちゃん奥さんみっちゃんと、あかりちゃんは同じ誕生日でした。

えーッ! どうしよう。どうしよう。
みっちゃんが誕生日と知ってオカザワさんと私はプレゼントの準備をしていたのですが、あかりちゃん
のことは知らなかった。さあ、大変。販売の間を縫ってコソコソコソコソ。二人で会場を見て歩いて小さな木の実のンダントを選びました。オカザワさんは東京から長野までのバスの時間に赤い糸と緑の糸でとうがらしを編み上げました。

誕生会の会場は、オカザワさんが予約してくれた千曲市の屋代駅すぐ近くのイタリアンレストラン。
ラフォーレというお店です。このお店の付近の町の雰囲気はそれは素晴らしい。古い家もモノもとても
素敵に今も使われています。

前以って頼んでいたよっちゃんからみっちゃんへの花束も届きました。
ハッピバースデイみっちゃん、ハッピバースデイあかりちゃんの始まりです。
他のテーブルのお客様も拍手で祝ってくださいましたよ。

少々ウルウル気味のよっちゃん。

宴たけなわの最中、突然電気が消えました。
運ばれたきたのは大きなフルーツピザ。ラ・フォーレさんからの贈り物でした。

これはお店の入り口の灯りです。

ほんとに楽しいバースデイパーティでした。まさか長野でみんな一緒にこんな夜が過ごせるなんて。
みーんな楽しかったと思います。

店主の順子さん、息子さんやお店の方々、お店のお客様、一緒に祝っていただきまして、
ありがとうございました。

 

 

 

道の駅の会議&長野で

昨夜は昼間は講演会。いったん帰宅して夜は道の駅の会議でした。
道の駅出荷組合の役員になって10年になります。10年ひと昔というけれど、オープンした頃とは
ずいぶんいろんなことが変わってきました。

まずみんな歳をとった。10年だもの。生産者も会社の従業員も。もともと若い人は少ない組合員だから
50歳は60になり、60は70歳になったわけです。役員と言うのは大体50歳前後だったから、そろって
60歳前後になりました。まあ、私のような例外も何人かはいますが・・・。

このままじゃどうなるんだろう、と思っていたら今年は理事会に関係してなかった若い人たちが
理事会に入ってくれました。

理事会の中で話題になったのは「この先の10年」
10年先を考えるのは絶対に必要なことだけれど、農業中心のこの町の農産物直売所を担う力は
これからの1年1年の若い人たちの経験の積み重ねにかかっています。

真のリーダーは1年にして成らず。                                              私たち10年選手の役員はなるべく控えめにして、若い人たちが活躍する場を応援したいと
思ったことでした。それでこその10年構想でしょう。
私のような10年選手が居座って10年先を語っても何もならない。いないのかもしれないのだから。

 

さて、長野の続きです。

南相馬から昨年の3月12日にバスで避難して以来鳴子温泉で暮らしているあやさんが新聞バッグ
インストラクターとしての初めての講座が始まりました。
ヘッドセットのスピーカーをつけたあやさんの講習の素晴らしいこと、明確で解かり易いこと、驚きました。
カッコイイこと!! 感心しました。感動した。

都会のカルチャーセンターの講師としても立派に通用します。

あやさんの講習の間はよっちゃん、みっちゃん、私はアシスタントとして駆け回ります。
で、解ったのは15人くらいが限度だということ。それ以上はいかにあやさんが優秀な講師でも
みなさんによーく解かっていただくのは無理があるということがわかりました。

そしてもうひとつ。流れも重要だと納得。

まずよっちゃんがこれまでの経緯とこれからやろうとしていることを説明。
新聞バッグの作り方の講習だけだったら、ただの新聞バッグ教室です。そうではないんです。中身が重要
なんです。とよっちゃんが説明して初めてなぜ遠い東北から来て新聞バッグの講座なんぞをやって
いるのかがわかっていただけました。

そしてみなさんに作っていただく新聞バッグにはお名前のタグがついています。
私が講習生一人一人のお名前を聞いて、大急ぎでオカザワさんから作って頂いた小さな「いろは」のハンコ
でタグにはんこを押します。それをきれいな彩の紐で結びます。というようなことをやっているので、時々
講習に見とれて忘れたりして大慌て。でも出来上がるとmy新聞バッグになるのでみなさん喜んでいただけ
ました。

と、今度は講習を終えたあやさんが私にハンコの物語をみなさんにお話しして、とつつきます。
オカザワさんはあんずの里の娘さんです。
その娘さんが、今年3月、東京新宿の東北村の催事にみえて、「私も手伝います」と言ってくださり、すぐに
宮城に来てハンコを作り、次には長野に呼んで下さり、今こうして新聞バッグを作って中味をお伝えできて
います。

とお話しているとみなさん真剣に私の拙い物語を聞いてくださっているのがわかります。
ほんとに有難いことでした。得難い経験です。

出口で講習を受けた方々から言っていただきました。                                  「来年も是非きてください。必ず来ますから」と言っていただきました。なんと嬉しい!!
夜はオカザワさんから紹介してもらった美味しいピザのお店でみっちゃん、あかりちゃんの誕生会でした。

今日はここまでで終わります。

 

 

初めての講演

驚いたことに私に講演の依頼をして下さる方がいました。

いやー驚いた、驚いた!

でも今私は、特に長野に行ってから、知らない方の前で「話そう」と「話すように努力しよう」
と考えるようになりました。なぜかというと伝えたいことがあるから。

私が伝えたいことは新聞バッグの中味です。海の手山の手ネットワークはたくさんの新聞バッグ
をインストラクターに作ってもらって販売してますが、新聞バッグの制作代を被災地や借り上げの
仮設住宅で暮らすKAさんやsaoちゃんやKEIKOさんに稼いでもらうのも重要な目的のひとつです。

でもそれだけではないのね。
津波や原発事故で家から離れて何にもなくなっても、今ここにある紙や紐や糸、残ったモノで         でこーんなに素晴らしいモノができるんですよー、と伝えたい。新聞バッグは商品ですが、
バッグの中味には大きな意思と大切な思いが詰まっているのです。あるモノを使おう。モノを
大切にしよう。自分の分で生きよう。分を超えるとお金お金となり、人と人との繋がりも想い合う
心も失くしていくんですよー、と。

いっぱい持ってたらなかなか言いにくい上っ面の言葉だけど、なにせほんとに何にもないものだから
言えます。自信を持って。

というようなことを今日、聞いてくださる裁判所の女性調停員の方々にお話しすることにしました。
聞いてくださるのは素晴らしい方がたでした。中に木綿のちじみの着物に博多帯をきっちりと締めた
Tさんがいらっしゃいました。手には見事にコーティングされた英字の新聞バッグ。                うれしい! この粋な組み合わせ!

調停員というのはトラブルを抱えたたくさんの市民の重たい問題を聞いて一緒に考える、気が抜けない
大変なお仕事だと推察します。一人一人しっかりとした意見を持たれていて、講師の私のほうが
お話をひとつひとつ聞きながら学ぶことの多い貴重な時間でした。

呼んでいただいてまたひとつ世界が広がった、という気がします。
私たちが長野に行っている間に、九州の方から「応援するよ」とご連絡をいただきました。そして今日は
下関の布でモノ作りをする方からも「応援をするよ」と連絡がきました。

こんなことがあるので、人と人との出会いがあるので、人と人との出会いは海山ネットのかけがえのない
財産なので、これからも出かけていこうと思います。

さつき会の皆さま、今日はほんとうにありがとうございました。
とても楽しかった。お会いできてよかった、と心から感謝しています。