博多雑煮&Mrs.kidd

気温はプラス。そして12月30日に雨。
イヤだなあ、寒い時の雨は・・・。
と言っても電車に乗ったりバスに乗ったりするわけではないですけど。

 

予約の餅などあるので、ちょっと遅くなってから道の駅へ。
さすがに今日はお餅のお客さんが多いです。いったん行ってまた家に戻ってお餅を切って再度道の駅へ。
今度は孫連れ。お餅を出してハボタンの切り花を出してハボタンの竹盆栽を出して、道の駅ファーストフードで
孫にうどんなど食べさせて戻ったら、もう出かけるのが嫌になりました。

明後日はお正月。うちのお雑煮は博多雑煮でブリが入ります。ブリは28日くらいには買ってしっかり塩をして
新聞紙にくるみ紐をかけてぶら下げて締めます。そのブリを元旦分くらいしか買ってない。
そのうえ飛魚だしも買ってない。猫のご飯も犬のごはんもない。んだけれども。

 

疲れて寝ました。2時間くらい寝たら「行く」元気が出てきたので、暗くなってから飛魚だしとブリを買いに食品
スーパーへ。飛魚だしもブリも買って大体揃いました。ちなみに博多の雑煮というのは正式には知らないけれども
うちで教わってきたのは。

干し飛魚、干し椎茸、かつお節、昆布、の出汁に鶏肉、熱湯を通して塩出ししたブリ、串に通したサトイモ、ゴボウ、ニンジン、などの根菜、紅白かまぼこ(他あったっけ?)を入れ、トッピングに色よく湯がいたカツオナを乗せて
仕上げる賑やかな雑煮です。

 

そして夜、パソコンの前に座ると、サンディエゴの順子キッドさんからメールが届いてました。
この歳でパソコンとか今度買ったIPadとか、それなりに自分に役に立つように扱うのはほんとに大変なんですが、
でもなんと便利なんだろう!と感嘆するのはこんな時。大変だなあ、と思っていた気持ちが、やっぱやろう、という
気持ちに変わります。

 

明日は今日ほどではないにしてもやっぱりまだお餅は終わりません。
道の駅は年中無休です。どーぞ道の駅にお越しくださいね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

歳の瀬

歳の瀬なんだけど、どーも人が少ないというか、食品スーパーもガランとしているというか、晦日の
賑わいのない年末です。

「今日29日でしょ?だよね」」とi幾度か生産者仲間で確かめ合いました。
あと2日でお正月というのが、ピンと来ないようです。
道の駅も人が少ないけど、買い物に行った近くの食品スーパーも普段の土曜日より静かな感じ。

なんでだろう。

 

1000枚の大口注文を頂いた時、「ワーッ、年末だ。できるか?」と不安だった新聞バッグ。              海山インストラクターのみなさんの大奮闘のおかげで、できた分今日広島に向けて発送できました。

大の新聞バッグが110枚。これでもまだ注文頂いた分の3分の1です。                         大きいサイズの新聞バッグを作るには新聞紙が5枚必要。それに取っ手にも補強部分にも新聞紙が必要なので  新聞紙が足りない、とかなり心配しました。

でも代表よっちゃんの努力のおかげで、英字新聞をくださる方と出会えて、どうにか間に合うくらいの新聞を
送っていただきました。送料までもっていただいたそうでほんとに有難うございます。

 

それに近くに住む地鶏農場のひよっこ隊長も集めた新聞を持ってきてくれたそうで、有難うございます。

これでやっと安心してお正月が迎えられます。
今日は1日買い物とお餅切りと掃除で終わりました。秋に採ったうずら豆も全部殻から外しました。
南三陸の海の手さんたちに山の手のお正月用お餅やよっちゃんなんばんなど送りました。
黒豆はストーブにかけて煮上がりました。

 

明日はお餅屋としては大忙しの最終日。がんばります!

 

 

 

 

 

 

東北新聞バッグプロジェクト始動

昨夜遅く海山代表よっちゃんから、「東北新聞バッグプロジェクト、決定」との連絡。

ということは。

某企業さんとの契約が成立して、これから決まった期日までに決まった枚数のシンブンバッグを
製作して納めなければならない、ということ。企業さんが新聞バッグを求めてくださる根底には無論
東北応援のお気持ちがあることは重々承知したうえで、そこに甘えていてはいけないということ。

つまり「海の手山の手」が目指す、支援の枠を超えて手仕事を生業に経済回復をしようよ、という
目標へのヨチヨチ歩きの第一歩であること。

 

問題はたくさんあります。海山の山の手3人がそれぞれ個人事業者で、自分の手仕事での生業の
ために時間も体も目いっぱい使っていること。農業を基盤として手作業でモノを作れば当然のことですが。

宮城県北の小さい町で新聞バッグを被災者仲間で作っていても衆知が難しくて、お客さんが求める
英字新聞を集めるのが難しいこと。なぜ英字新聞かと思うのですが、まあ英字のほうが恰好いいのと、
実際当地の新聞や日本の新聞で作った新聞バッグは文字が読めるので、「なんかもういいなあー」
「読みたくないなあ」という気持ちに私でもなります。

 

楽しい記事ならいいんだけどね。そんな記事を選んでいる時間はないので、きれいな色柄の楽しい
新聞バッグのほうがいいのは事実。読むわけじゃなくて、持ち歩いたりモノを入れて飾ったりするのだから
きれいで楽しい方がいい。

 

もうすぐお正月。

お餅屋の私はお餅仕事で忙しいのと、年末で片付けなければならないことが多いのと、移行してきた海山の
事務を処理するのとで、日々右往左往。
昨年はお正月を祝う気持ちはなく、元旦のお雑煮と中尊寺へのお詣りだけで終わらせたのですが、今年は
大震災から2年近く経ったことでもあり、少しずつおせちを作り始めたりしています。

 

明日は内陸の山の手から沿岸部の海の手さんへ少しばかりのお餅やよっちゃんなんばんなど送ります。
そしてお正月が終わったら、東北新聞バッグプロジェクトへ向かってみんな一緒に始動!

 

今日、夜のニュースで東松島のガレキ処理をしている方々の仕事納めの様子を見ました。2、30人の女性たちが
ズラリと横一列に並んで手でガレキを分別するという、見た目は「凄いなあ」と思えるお仕事なのですが、      インタビユゥに応えて一人の女性が言ってました。
「仮設に一人いるときよりずっと楽しい。お友達もできた。来年もみんなで一緒にがんばりたい」

 

そうなんだよね。みんな一緒に仕事をするのは楽しいです。つらい仕事でもがまんできる。
東北新聞バッグプロジェクト。けっこうハードになる、という予感はあります。でもみんなで力を合わせて
できたら、また次の段階へ。

最初はあまりにもなんにもなくて、よっちゃんちの竹林から竹を伐り出してきて、田んぼや野原から苔
採ってきて、それでうちにある花など植えて上に苔貼ってという竹盆栽作りから始まったのだから、
だいぶ進歩したなー、と思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

続けるべし!

凍ばれますーゥ!

凍ばれ過ぎだよ。まだお正月前だというのに。
なんですか、この低温と毎日の雪は。
正月用に売るはずのハボタンは畑で凍りついたみたいになって立ってます。                      ポット植えもも鉢植えもカチカチに凍って石みたい。

こうなるといつ水をやっていいのか。やれば必ず夜凍って根っこがやられます。


車の前方の圧雪道路。

外に出たくないので窓からの写真。
これが毎日です。異常だわ!

今日、初めて新聞バッグを作ってくれている海の手さんたちに制作料を振り込みました。

海山ネットワーク始まって以来、事務やお金に関係する仕事はお願いしてやってもらっていたので、
自分でやるのは初めてなのです。この後また新担当の人に渡すけれど、今は事務移転の時のため、
自分でやるのも大事だと思って。

 

海山の仲間である海の手さんたちは、南三陸、女川、石巻、南相馬、内陸とけっこう広い範囲で
仮設住宅かみなし住宅に住んでいて、そこに新聞を送って新聞バッグに作って送り返してもらう
という仕組みでやってます。

 

お金を振り込みながら「みんながんばって折ったんだねえ」と改めて感心しました。
南三陸部隊の手の早いこと!大量の新聞バッグをほんの2、3日で正確に折ってくれます。

きのうは南三陸からたくさんの「活きホタテ」が届きました。もうホタテ三昧というか、ホタテ長者に
なったような豊かな気分を味わいました。
こういうのは大震災以前はなかったことで、ホタテを貰うことが嬉しいというより、沿岸部の人たちと
こういうご縁ができたことがうんと嬉しいです。

南三陸に行く度に思うんですが、みなさんおじいさんもおばあさんもいて、3世代とかの大家族で、
仲が良くて賑やかで楽しそう。いつも帰って来る時ホノボノします。

 

で、振込み終わって思いました。

理屈じゃなく、続けるべし!
新聞が足りないとか、新聞バッグだけで手仕事を生業というのは難しいとか、思いはいろいろありますが、
とにかく今は単純に続けなければ、と思ったことです。

 

お月様が煌々としています。明日の朝、マイナス何度になるんだろう。

 

 

 

 

大雪警報&新聞バッグ講習会

まだ12月だというのにまた雪です。

東北というと冬は雪に降りこめられるのかと思っていたけど、ここはそんなことはなくて降ることは降るけど
せいぜい20センチくらい。時にドカンと降ることもありますが、2、3日後には晴れて溶けるというのが普段
の冬。

昨年の冬は雪はたいしたことなかったけど、低温が凄かった。ここの人も経験したことがないという-15℃
まで下がって水道管が破裂したりしました。

今朝は-8℃でした。ちょっと寒すぎ!。

午後から大雪警報が出ました。

しんしんしんしん雪降る中で、午後2時から有備館(伊達家の学問所)前の公民館で新聞バッグ講習会。
講師は鳴子から来てくれたあやさん。akariちゃんも一緒です。

講習生は前回来てくれた方と新しい方の混合。愉多工房のHさんも来てくれました。おかげで蕎麦プリンも
ごちそうになりました。
akariちゃんは暖房機の前に陣取って冬休みの宿題。                                    みんなはたくさんの新聞バッグをつくるのではなく小バッグを丁寧に丁寧にと作りました。
すぐに実戦参加してもらえるように。

仙台に打ち合わせに行っていた海山代表よっちゃんも帰ってきて参加し、4時半終了。

大雪警報に怯えて、途中で食品スーパーに寄ってもしもの事態の籠城用食品を買い込み、家までの坂を
登れるかしらと心配しながら帰宅。4駆で下から勢いつけて登ったら登れました。
鳴子住まいのあやさん、帰ってからの除雪大変だろうなあ。
うちでも雪かきした者は「身体が痛い、節々が痛い」と言ってます。

今の積雪は30センチほど。
明日はどうなるんだろう。朝起きたら50センチなんて想像したくないなあ。

 

雪はまっすぐにしんしんしんしん降っています。

 

 

クリスマスの贈り物

外出から帰ってきたら、あら、変わった荷物がテーブルの上に。

アメリカからの小包でした。差出人はタイラー・キッド君
そう、アメリカはサンディエゴのマウントカーネルハイスクールのシニアであり、私に手紙をくださった
キッド順子さんの息子さんです。

開けてみると、ハイスクールのジュニアとシニアの皆さんから日本の皆さんへ宛てたお手紙や
クリスマスカードやプレゼントでした。

ちなみにこのワンちゃんはローマン君。それは解かった。そしてその右の写真、みんなで新聞バッグを持って
くれているじゃないですか。うれしいですねえ!

私、こんなにたくさん新聞バッグを送ったんだっけ?

お手紙もプレゼントもこんなにたくさん送ってくれました。

なんにもなかったところに東北大震災をきっかけに生まれたアメリカの中学、高校生たちとのご縁。
きちんと繋いで交流を深めたいのですが、私が自分で手紙を書くのはとても無理。

 

東北のどこかの学校に紹介して、仲良くしていってほしいです。

 

お手紙読んでみると、タイラー君はとても純粋な心優しい18歳の男の子で、私が理解できるように
日本語をアルファベットで書いてくれてました。
最初の時もそうだったけど、今回もよくもまあこれだけたくさんの生徒たちに協力を呼び掛けて、写真を
撮ったり、手紙を書いてもらったり、プレゼントを集めたりしてくれたものだと感心、感動してます。

 

そしてみんなのお手紙も純粋で子供らしくて優しい心が溢れてます。

ありがとう! マウントカーネル高校のみなさん!
日本のお友達からお手紙が行くようにしますからね。

 

 

 

 

 

 

 

第2回ほっかぶり市&英字新聞ありませんか?

温度が低く雨雪模様で寒々しい天気です。

第2回目の「ほっかぶり市」は国道47号線沿いの酒まんじゅう屋さんで開かれました。
今回も海の手山の手として参加。

こういう時というのは、なんでも作って売って可、という状況なので(自分が持つ許可の範囲で)、
今度は何を作って売ろうかなあ、と張り切ります。私はおもち屋なのでおもちで新商品を展開させたい。
ここで採れる農産物を利用しておいしいお菓子を作ってみたいとも思います。

 

でもお餅も海山もで忙しくて時間がないので、今回は普段作っているお餅で作るアラレとナツハゼのジャム
を新聞バッグに入れました。

お昼です。みんな手拭いほっかぶりで変わった光景。

 

この時間を利用して海山会議。

よっちゃん代表、これから一緒の仲間のTさん、と3人でこれからの海山の運営を考えます。

それときのう滋賀の社長さんから頂いた新聞バッグ1000枚の大口注文。の相談。

お正月が終わったら海外からの100人を超えるお客様の新聞バッグ講座があり、そのあとはまた大口
が控えています。これから年末に向かうことでもあり、昨夜「お正月にも新聞折れる?」と南三陸に
聞いてみたら、「いいよ!」と気持ちよく答えが返ってきました。
来週早々には前回講座に出てくれたインストラクターのブラッシュアップ講座。それが終わったら本格的に
新しいインストラクターさんたちが新聞バッグを折ります。

こうしてたくさんの注文を頂いて、大変ありがたいのですが、英字の新聞紙が足りません。
もし英字新聞あるよー、という方がいらっしゃいましたら、お声をかけてください。お願いします。

 

夜は新聞バッグを届けに東鳴子のTさん宅へ。
つい長居をしておしゃべりして帰ってきました。東鳴子のど真ん中だから、Tさん宅のお風呂は             温泉なのだそうです。ああーー、うらやましーーーィ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

海の手山の手newリーフレット

新しい海の手山の手になったので、新しい海の手山の手リーフレットができあがってきました。

これまでのお客様、そしてお世話になった皆さまがたにこれからお送りしたいと思っています。

 

滋賀県の化粧品会社の社長さん、Tさんからクリスマスに向けた新聞バッグのディスプレイの写真が
送られてきました。とても素敵です。新聞バッグとクリスマスグッズとがよくマッチしています。

Tさんにはこれまでにたくさんの新聞バッグを注文していただきました。
今も海山の活動のために新聞バッグの拡散を務めてくださっています。

新聞バッグに内包されている意味までよく理解してくださって、関西から中部地方まで新聞で作るエコバッグを
拡散してくださってます。

 

聞いでけさいん 新聞バッグのはなし

それはリサイクル 包装紙 持ち運びに便利

宮城の今を伝えます

山に避難した「海の手」から生まれました

私たちは山間から世の中を変えるメッセージを

小さな新聞紙の袋に詰めて届けたいのです。

 

今年の2月の終わりにこの短いメッセージを書いてくれたケイコさんは天国へと旅立ちました。
その後数か月してから、東北の新聞の「人」欄に亡くなった人としてケイコさんの写真が載りました。
ケイコさんの写真が載った新聞で新聞バッグを作りました。

 

ケイコさんは今新聞バッグからこちらを見て微笑んでます。

ケイコさんが書いてくれたメッセージを忘れないようにしたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

海山のそれからと、新聞バッグを作る会

今日は松山のKさんと鳴子のTさんと、週末蕎麦屋さんの愉多工房でお蕎麦を食べる日。

少し雪模様だけど、朝道の駅で会う約束をして、11過ぎまで道の駅レストランでおしゃべりをして過ごし、
それからお蕎麦を食べに行きました。

ウイークデイはコーヒーとそばプリン、週末だけ蕎麦を打ってお蕎麦屋さんというお店なのですが、
前以って電話で無理を言って蕎麦も蕎麦ねっけもプリンもコーヒーも食べさせてもらえるように
お願いをしておきました。

最初に出してくれるのはきれいな朱色の塗のお椀に薄く並んだ聖護院大根の甘酢漬け。店主のHさんが
漬けたお漬物です。次に蕎麦ねっけ。揚げた蕎麦ねっけにお塩がふってあっておいしいです。そして十割なんだけど
なめらかなお蕎麦、それから待望の蕎麦プリン。このところ温かい蕎麦プリンを何度か食べたのですが、
薪ストーブで温まった店内で食べる冷たい蕎麦プリンはとても美味しかった。

やっぱり蕎麦プリンはピーチやルバーブなどのトッピングと一緒に冷たくして食べるのが一番なのかもしれない。

 

Tさんは70代初め。Kさんはだいぶ下。二人とも司法関係の役所で仕事をしておられます。
以前に一度招いていただいて、お仕事仲間の方々に海山ネットのお話しをしたことがあります。

Kさんにはずいぶん前から様々な形で海山を応援していただいています。その時にお知り合いになったTさんは
和服で英字新聞バッグを持ち歩かれるので、目立ってずいぶんたくさんの新聞バッグを拡散していただきました。

70代初めと言っても、お仕事以外に山に登り、山スキーをし、ピアノのを教え、ふたつの合唱団の先生を
なさっている大変な行動派。私も常々「元気だねえ!」と言われるけれど、Tさんには及びません。

 

このお二人に今「海山ネットのそれからの話を聞いて新聞バッグを作る会」という催しのお話を頂いてます。
今日はお仕事仲間に送るという案内状を見せていただきました。

前回もみなさんと一緒に昼食を頂きましたが、今度のお昼は「よっちゃん丼」を所望、ということで聞いてびっくり!
よっちゃんに聞いたら「オッケー」というのですが、どういうことになるのか楽しみです。
新聞バッグの講師はあやさんが務めます。

 

これまで数々の復興関連イベントの販売や新聞バッグ講習に行きましたが、その場合は予め催しの形は
設定されています。今回のように催す側とよんで頂く側が相談しながら手作りでというのは初めてです。

なんか面白そうで、いろいろ工夫を凝らして楽しい話と楽しい新聞バッグ作りができるように考えたいと
思ってます。みなさんに喜んでもらえたら、また次の機会に繋げられるかもしれない、と期待をこめて。

 

 

 

プリンセスプリンセス

朝、プリンセスプリンセスという今は中年、元は5人組のガールスロックバンドとして活躍していた女性たちを
テレビで見ました。ずいぶん活躍したグループらしいけど、子育て真っ最中でロックバンドには関心が
なかった私は通称プリプリさんのことを何も知りません。

 

彼女たちは大活躍の後解散し、普通に生活をされていたのだけれど、昨年の大震災を機に「何かを
やれる者は何かをやったほうがいいと思う」という理由のもとに、再結成を決めた。それから2年近く
たくさんの公演をして被災地支援をし、今年の紅白を最後にまた解散する。ということでした。

 

リーダーの女性の「私たちは一生けんめいにやった」「公演が終われば、子供がお母さん、ご飯、という
生活が別にあるので大変だった」紅白出場についても「こんなふうになるとは思ってなかった」という
言葉が印象的でした。

 

そうだろうなあ!と思います。家庭を持って子供がいる普通の生活をしながら、楽器を扱う腕を元に戻し、
可愛い服を着るために何が何でもダイエットを敢行し、公演に耐える体力を作らなければならない。
ほんとうにもの凄い努力だったろうと思うもの。

子供たちもご主人他の家族も、理由が理由だけにプリプリ女性たちがどれほど忙しかろうが家を空けようが
我慢せざるを得なかったでしょう。やれるだけのことをやって、「私たちは一生懸命やった!」と自分達の
行動を認めて、そして紅白出場で最後を締めくくって、家庭に仕事に戻る女性たちは、とても格好良かった。
ご家族や関連の方たちはきっと彼女たちのことをこの先も誇らしく思うことでしょう。

 

較べるのもおこがましいけれど、私たち海山ネットのメンバーも大震災後、沿岸部まで見に行った光景に
「もう東北は終わりだ」と思えるほどのショックを受けて、「何か自分たちにやれることはないか」と思って
始めた活動です。

震災からの復興という急スピードで展開する周囲の状況に動かされないように、自分たちの活動の始まりの
真の「目的」をしっかりと胸に保ち続けることは、意外に難しいです。時間が経てば経つほど難しさは増します。

 

海山ネットが最初から謳い続けているのは「手仕事で経済復興」。手しか残っていなかったので、海の人山の人  ともに手を携えて一緒に東北の経済を膨らませることをやってゆこうよ、ということでした。それは最初も2年
過ぎた今も何も変わらない。でも大震災から日が経つごとに周囲の状況や考えが変わってきました。少しづつ物が
出そろい、普通の生活が仮にも為せているような状況になってくると、「手仕事で?経済回復?」と言われそう。

 

でもこの考えはこの先、意外と大事なことのような気がするのです。

新聞バッグ、新聞バッグと右往左往する私を、よっちゃんも同じだと思うのですが、家族が文句も言わず応援し、支えてくれているのは有難いことです。

 

プリンセスプリンセスの女性たちを見ながら思いました。
「覚悟を以ってコトを為す」というのはこういうことなんだなあ、と。

このところ大晦日の紅白歌合戦は見たことなかったのですが、今年は彼女たちの最後の雄姿を是非とも見ようと
思っています。