鳥海リベンジ

なんだのかんだのと忙しくしているうちに日が過ぎて、ブログの間が空いてしまいました。

月曜日、爽快な晴れの日、念願の鳥海リベンジの日を迎えました。

この日のために、無理やり時間を作って、1時間歩いたり、200段の神社の階段を登ったり
下ったり、城山の急坂を一度も止らず登り上がってみたり。
それでも同行のみんなに迷惑をかけるのではないか、と恐れおののいたりもしたけれど、
もう待ったなし。

5時に起きて大特急でサンドイッチを作り、6時パーシモン集合。
マスターとチヨさんと3人、マスターの運転で秋田県飽海郡、鳥海山登山口鉾立駐車場へ。

同行の野田君は仕事を終えた後、昨夜のうちに鉾立に入り、山小屋に一泊。
早朝発で頂上まで行き、外輪山を廻って下山、後発の私たちと御濱小屋で合流予定。
もう1人の若い同行者オサム君は、一作日から栃木県の鬼怒沼に登って下ってその足で
鉾立に向かい、車中泊で先発ということになっていたけれど・・・。

3時間ちょっとで鉾立駐車場着。
鳥海ブルーラインの樹木はうっすら紅葉。
昨夜着の新潟の高田さんとかのうさんの姿が見えました。
こんな大きな山に登る時には、2百数十回も鳥海山だけに登り続けている高田さんがいて
くださるとホッとします。
そして1月置きに障害者登山のサポートをなさっているかのうさんが、足取りの遅い私の
横で「ゆっくり、ゆっくり」と声をかけてくださると、逸る気持ちが落ち着きます。
先発しなかったオサム君も一緒に9時半過ぎに出発。

思ったよりも雲が多いけれども、雨の中を登った前回を思えば視界は上等。

ゆっくりゆっくり登って、途中かkら高田さんの案内で主要コースではないルートを登らせて
もらいましたが、進むにつれてびっくり。ものすごいチングルマ(高山の花)の群生。他にも
イワカガミにハクサンイチゲにイワタバコにその他その他。広大なお花畑の中を歩きます。

お昼を過ぎて、食事を済ませ、最後のひと登りを経て御濱神社、御濱浜小屋に到着。
残念ながら完全にガスに覆われて、下界は真っ白、何も見えず。時折り切れた雲の間から
頂上の一部が姿を現します。その頂上から降りてきた野田君が待ちくたびれ顔で登場。

全員揃ったところで下山開始。
下山を始めて間もなく、浮き石に乗ったかなんかで左足首負傷。
山に登り始めて20年。手首は何度か折ったことはあるけれど、足を傷めるのは初めて。
大丈夫だろうと思っていたら大丈夫ではなくて、だんだん痛さが増し歩けなくなりました。

野田くんからもらった傷み止めを飲み、テーピングをしてもらいそれでも下れず、左右から
抱えられてえっちらおっちら長い時間をかけて下山しました。
ああ、恥ずかしい!
でもおぶわれないで下れただけでもましです。

駐車場近くまで下りたところでガスがきれ、夕焼けに照らされた鳥海山が姿を見せてくれ
ました。
その後、温泉のお風呂に入るのも大変なことになってしまったけれど、ほんとにほんとに
楽しい鳥海山リベンジでした。
来年はもっと足を丈夫にして、お花畠を見に行きます。

連れていってくださった高田さん、助けてくれたみんなみんな。ありがとう~!

 

 

 

台風一過

台風!
昨日は午後から雨が降りだして、夜も雨。台風っぽくない雨。

朝起きると、庭の木々が大揺れに揺れていて、今台風が近辺を通り抜けている様相。
しばらくして叩きつけるような雨が音を立てて降り、30分ほど経ったら静かになって、白い雲と青空が。
ええ? これで終り?

もう終っちゃったんでしょうか。

こういうこともあろうか、と一応普通分くらいに搗いたお餅を持って、少し遅れ気味ながら道の駅に出動。
今日は台風だからお客様は少ないだろう、という予想は大きく外れて、直売所は大混雑。
鳴子に近い道の駅ではもっと強風が吹き荒れていて、直売所に置いたバケツに入った花束が、
表自動ドアと裏自動ドアが同時に開く度に外へ吹っ飛んでいきます。

田んぼの稲はめちゃめちゃに倒れているけれど、でもこの程度の被害で済みありがたいことでした。

 

そして、今日は高知からきた若い女子学生のことを少し。

高知からやってきた第1日目は、丁度折りよく開催日に当たった、川渡温泉カガモクさんのCafeで
コケシ作りに参加してもらうことにしました。
カガモクさんご夫妻の奥様は川渡温泉出身で、今はコケシ作りを本業とされるご主人は県外出身。
東京での生活を止めて川渡温泉の奥様のご実家に住まいを移し、ご主人手作りの建物でCafeを
開いて、人が集まる場を作ってゆきたい、という目標を持っておられます。

地域を学びたい女子学生、アヤネちゃんとサキナちゃんには願ってもない学びの場。
カガモクさんにお願いすると、快く引き受けてくださり、二人はそれぞれに小さいコケシを作った
後、ご夫妻は、たくさんお話をしてくださった、と後で伝えてくれました。

第1夜は翌日の政宗公祭りに備えてパーシモン泊。
お店の手伝いをしてもらい、宵祭りの世界甲冑大会や夜店見物。翌日の本祭りでは武者行列や
よさこい踊りなど、本通まで見に行って楽しんでくれたと思います。

3日目は、南三陸訪問。
私自身も移転後に初めて行くさんさん商店街。

仮設店舗に変わりはないけれど、お店の作りは新しくなりました。
売っているものも都会からのお客様向きにお洒落なものが増えました。
地元のお客さん向きというより観光客向きなので、この先もお客さまが途切れないことを
願います。

震災後6年以上経って、やっと食品スーパーができました。
道路がまったく新しくなってしまったので、行き易いのか行きにくいのかわかりません。

さんさん商店街から見る景色。

この新しい志津川の町は10メーター以上嵩上げした土の上に建っています。
ということはこの土地の下に元の志津川の町があるということなんですが、ここから見ると、
そんなところに?という位置に、多くの犠牲者を出した防災庁舎が保存のために新しく塗られた
赤色の姿を上部だけ見せています。
一般道路に沿っていた元の位置の時は、通りすがりに寄ってお線香などあげていたのだけれど
今は近づけるのか近づけないのかわからない。

菊のお師匠さんの小野寺さんと新聞バッグを折ってくれているケイコさん宅を訪問。
ケイコさん宅で2人は、来年は長期滞在してワカメ養殖を手伝う、と力説していました。

翌日はよっちゃん農場訪問。
日々忙しいよっちゃんも時間をとってちゃんと迎えてくれて、二人のこの先の目標の話を
じっくり聞いてくれました。

帰る当日は農家の由美さん宅を訪問。
専業農家で米を作り、野菜を作り、牛を飼い、地域の老人にとって有能な介護福祉の仕事を
する由美さんの話をたくさん聞けたと思います。

その他にも地域協働学という学問を学ぶ二人に会ってほしい人たちはいるのですが、それは
また次の機会に。

たまたまのことで、12日の夫の命日で帰省したふたりの息子たちも、彼女たちに会って
話す機会に恵まれました。

短い滞在でしたが、アヤネちゃん、サキナちゃんの岩出山訪問は、私たちにとっても大変
刺激的な、素晴らしい時間でした。
来年は春休みいっぱい、夏休みもいっぱい時間をとって、また来てくれるのだそうです。
来年の祭りには見るだけではなく、自ら甲冑を着て馬にも乗って参加してほしい。

サキナちゃん、アヤネちゃん、ありがとう。
そして、彼女たちの滞在中、いつも一緒にいてくれたノダ君、オサム君、ありがとう。

 

 

 

 

祭り

今朝のシロとサバ。

この10日ほど、次々と訪問客が続くという非常事態のような日々が過ぎて、今朝からは普通の日に戻りました。

岡山や広島、北海道など各地の大学から大崎という地域を調査にみえた先生がたは、岩出山、石巻
南三陸などたくさんの場所に行って、たくさんの方に会われて聞き取り調査を尾wられました。
何時の日かこの調査がまとめられて本になったら、その時は是非読ませていただきたいです。

そしてその後に高知大学から訪ねてきてくれたのは、3年前に日本で初めて作られたという
地域協働学部1年生のサキナちゃんとアヤネちゃん。前に高知大学にお邪魔したときに、「今度
遊びに行っていいですか?」と訊ねられて「是非是非」と返事をしたら、夏休みになってほんとに
きてくれたのでした。

折りしも、岩出山では年に一度の大祭、政宗祭りの当日。
喫茶パーシモンで刀剣美術展に次ぐ2度目のカレープロジェクト予定の日でもあり、地域を学ぶ
ということも含めて、手伝ってもらうことにしました。

どうしたって平均年齢高めのパーシモンに若いお嬢さん2人と前にも手伝ってくれた中新田の
マコトちゃんが加わると、パアーッと明るくなって花が咲いたよう。

今回は外の祭り見物だからと、マスターは駐車場にシートで屋根を張って、パーシモンテラス
を作りました。

ビールもジュースも用意して、ここで休めば風が吹き通って気分は申し分ないのだけれど、
蚊に襲われるのを忘れてた。
蚊に刺されながら、川沿いに並んで西瓜を食べる休憩中のノダ君、オサム君、マコトちゃん。

踊りや武者行列が通る本場は本通りなのだけれど、テラスの前は行列の準備をする広場なので
朝から伊達政宗公や政宗公の家来トップ5くらいが乗る馬が用意され、馬のいななきが絶えず
聞こえます。

いよいよ政宗公祭りの始まり。

先頭は政宗公の下から慶長遣欧使節団を率いて太平洋をローマに渡った武将、支倉常長と
お供の女性たち。

その後、毛槍隊、武将隊、いろいろ続いて白馬に跨った政宗公登場。

馬が大きい!
朝に連れてこられて、午後の祭り開始まで待ちくたびれたのかまっすぐ歩かない!

カレー大作戦は成功したのか成功しなかったのかは別にして、カレーを出しては外に行列を
見に行き、またカレーを出しては行列見物で祭りの日が終わりました。

本日、祭りの行列参加予定の我が孫は、発熱して欠席。
残念でした。

祭りが終ってみんなで記念撮影。

楽しい1日でした!

栗駒山へ

メールサーバーの大掃除が終わりました。
私にはなんのことだかわからないけれど、PCのメインテナンスを引き受けてくださるK氏によれば、もうブログ解禁。

その間にあんまりお天気がよいので、急に思い立って栗駒山に行ってきました。

当地に引っ越して来ない前には首都圏から来て3回ほど登った栗駒山。
ここに来て2度登って以来、もう登山はできないと完全に諦めていた栗駒山。

それが月に一度新潟から鳴子温泉に湯治にみえる高田さんに「山に行こう」と誘っていただいてから、半信半疑。
ほんとうに登れるようになるんだろうかと疑いながら毎日4キロ5キロを歩き階段を登り
して勢いづいたところで、いざ栗駒山へ。

表コースで標準なら頂上まで1時間半らしいけれど、私の足なら休み休みで2時間。

ゆっくり歩いて辺りを見回せば、イタドリは黄色に色付きかけ、ナナカマドは真っ赤な実をたわわに実らせ、下草の陰には、思いがけず梅鉢草が・・。
標高が上がれば上がるほど梅鉢草が多く咲いています。

 

心臓の手術をしたご主人と奥様がお互いを励ましあいながら、行けるところまでとゆっくりとした
足取りで登っていかれます。通り過ぎるとき、ご主人の唄声が聞こえました。

1時間登って視界が開けたところで、久しぶりに高所から見下ろす山の景色の雄大なこと。
湿原も点在する池糖ももう秋の色に染まりかけています。
そして山に来ると必ず感じるのは雲が近い。
瞬時に辺りを白く濁らせながら雲が体の周りを通り過ぎてゆきます。

頂上直下、東栗駒山への分岐まで来て、ここで終了としました。
頂上まではもうすぐ。
なんだけれども、「だましだまし登ったら?」と行き交う登山者には勧められるんだけれども、頂上までの丸太の階段がどうも曲者みたいで断念。登りよりも下りで靴のかかとがひっかかりそうで怖い。
もうちょっと足が上がっていれば進むのだけれど、小さな段差でも躓くくらい私の足は上がっていない。

東栗駒山への続く稜線の美しいこと。
あまりの美しさに心惹かれて、東栗駒山まで行き、めちゃめちゃ段差がある下りでどろどろになりながら、枝にぶら下がり、岩にしがみついて下った苦い経験があるのです。
いつか行けたら、登山道が整備されていたら、と心を残しながら下ります。

次は表コースではなく、須川から登って昭和湖まで行こうと思います。
そこから上は本格的登山コース。遊歩道的ではないので、行けるかどうか。
とりあえずはウオーキングを続けましょう!

楽しく美しい栗駒山行でした。

 

 

 

聞き取り初日

広島、岡山、北海道、高知などの5大学の先生方が来訪。

8月27日から9月1日までの予定で、農村のこと、農業のこと、移住者のこと、様々な事情で、
沈みつつある地方の小さな町のこれからの展望、などなどを、聞き取り調査されるそう。
全国で4地域選択したなかのひとつが大崎で、聞きたいこと調べたいことがたくさん
おありのようですが、米以外でさしたる生産物がない大崎地方で、何を調べようとしておられる
のか今ひとつピンと来ていません。

先日伺って授業で話をさせてもらった高知大学の佐藤先生が聞き取り調査をしようとされている
のは、なんと私たち新聞バッグを作っている海山で、先生の一生懸命のお気持ちに接する度に
私たちでいいのかしら、と不安になります。

とにかく後で、しまった、無駄な時間を使ってしまった!、と後悔されないように、到着された27日から
出発される9月1日まで、細切れのようにスケジュールを立ててみました。

27日の午後は、同じ移住者でこけし人形制作者であり、自力でお店を建ててCafeを開業された
川渡温泉のカガモクさんご夫妻と、地域起こし協力隊員のオサム君にインタビュウー。
場所は初めて入るカガモクCafeですが、まずここのコケシに圧倒、魅了されました。

焼きたてドーナッツに小さい小さいこけし。
手元にも、窓にもテーブルの脚にも、目がいった先にびっくり箱を開けたように小さなかわいいコケシ
がいて、まるで不思議の国のよう。

窓にもコケシ。トイレにも・・・。

佐藤先生の質問は微に入り細に渡っていて先生の本気度が伝わりますが、大学の先生方の
ターゲットを絞った研究の真剣さを初めて実感しました。
時間がいっぱいになり、仕事を終えて同席してくれた黒田さんの聞き取りは後日ということに。

 

翌28日は佐藤梅農場。

もう梅を採る時期は過ぎていて、今は梅干作りの真っ最中。
たくさんの働き手さんたちがお仕事をされるなか、宗一社長は長時間、時間を空けて聞き取りに
付き合ってくれました。

家屋脇の大きなハウスの中では、梅を干す作業の真最中。
観測史上初めてという今夏の長雨に翻弄されて、梅干し作業は干したり取り込んだりひっくり返したり
空模様を見ながらの気の抜けない状況のようです。

開花時期には梅の花がトンネル状になる通路で、刈り払い作業中の会長、宗一社長のお父様にも
開拓2代目として若かりし頃のお話を伺うことができましたが、現代のように便利のよい機械もない
お金もない、丈夫な身体とよく考える頭脳だけが頼りの開拓農業の話の面白いことといったら・・・。
いくら聞いてても聞きあきません。
次に先生たちが見える時には、今度は梅農場の2代目のお話をじっくりうかがう時間を作りたいと
思います。

 

翌29日は、佐藤農場を超えようとの心意気で、これまでにない農業に挑みつつあるよっちゃん農場
代表、高橋博之君。
新聞バッグや道の駅役員ではいつも一緒に仕事をやっているけれど、農業者として何を目指すのか
私もじっくり聞いてみたい。明日の聞き取りが楽しみです。

 

 

 

ピアノ発表会とこけし祭り

午前中はお餅仕事。

道の駅まで行ってから、今日が土曜日であることに気付き愕然。
毎日天気が悪くてお客さんが少ないので、少なくていいだろう、とちょっぴりしか搗か
なかった。土曜日、日曜日は普段来れないお客様が来てくださるので、実はこんなに
たるんでいてはいけないのです。

午後は3年生の孫のピアノ発表会。
会場は隣り町のバッハホール。
いったん家に戻って用事を済ませ、ぎりぎりで開演時間に滑り込みセーフ。
田んぼの中の音楽堂として全国的に有名なバッハホールで、僅か9歳でスタンウエイ
のピアノで演奏させてもらえるなんて、果報者です。
田舎じゃないとこんな幸運には恵まれないね、きっと。

演奏する曲目は「秋のソナタ」と「フラメンコ」

4歳から始めたピアノ。
孫が習いたいといったわけではなく、4歳になったら連れておいでね、と50代で亡くなった
敬愛する友人ケイコさんとの約束を果たしたくて、ケイコさんが親しかったピアノの先生に
お願いしたのが始りでした。
ほんとうに丁寧に我慢強く教えて頂いての今日の日です。

立派に引き終えてほッ。
佐々木先生、ありがとうございました。

9月2日3日は鳴子温泉こけし祭り。

会場の小学校体育館いっぱいに並べられた新旧大小のこけし人形の展示を見たことはある
けれど、夜行われる献湯式及び温泉神社の神事を見たことがないので、海山女子部3人
見に行くことにしました。
車で行くのは無理なので、有備館駅前から陸羽東線の電車に乗って鳴子温泉駅へ。

駅前で、こけし祭りに合わせて粋な和服姿のノダ君とカメラを携えたオサム君にバッタリ。

お揃いの和服で献湯する娘さんたちの先頭はあかりちゃん。

神主さんの祝詞のあとお湯が桶に汲まれます。

神社の中で献湯されたお湯はお庭の一部に納められて式は終了。

 

一連の神事の間、町ではハリボテこけしの行列が通りを練り歩くということなんだけれど、
同じ時間なので、見逃してしまいました。
これは見たかった。

なんで同じ時間にやるのか、観光客としては両方見られなくてほんとうに残念。
来年は温泉神社の献湯式もハリボテこけしの行列も太鼓も全部見られるように期待します。