田んぼの風景

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ここに住んで私が1年で1番好きな黄金色の田んぼの風景。

この稲が真っ黄色の時期に、父も母も(これが同じ日でした)、夫も、大切なラブラドールのセツもハルも

天国に行きました。だからなおさら黄色い田んぼが胸に沁みて好きなのかもしれない。

 

稲刈りが終わる頃、毎年お餅用の餅米をお願いしている農家から、「今年はどのくらい?」と来年使う

お米の量の打診があります。夫が存命の時には、来年夫がいなくなったらどうしよう、と思い、頼んで搗けな

なったら迷惑をかけると量を決めるのが恐怖でした。でもいなくなってしまえば、自分が搗ける量だけでやる

しかないのでヘンな話、夫がいる時よりも気楽にウン十袋と言えるようになりました。

夫がいる時とほとんど変わってないのが不思議です。

 

今日用事でよっちゃんちへ行ったら、田んぼでよっちゃんと奥さんのみっちゃんとお父さんが3人で稲刈りの

最中でした。みっちゃんはコンバインに乗り、その横に稲の束を肩にかついだよっちゃん、背後にお父さんの

姿が見えました。いいもんだなあ、と思った。家族3人力を合わせて仕事をする姿はとても暖かく感じられ、

家族というものの本来の姿を見せてもらった気がしました。

仕事の邪魔をしたくないので、声をかけずにそのまま帰ってきてしまいましたが、残照の黄色い田んぼの

中の3人の姿は写真に撮って残しておきたいようでした。だって自分では撮れないでしょうから。

 

今年は米価がとても安いのだそうです。これまでだって、直売所で出会う農家の生産者たちは、米は作れ

ば作るほど赤字だ、と言っているのだから、お米の値段がやたら安いのに、機械が壊れたりしたら、ただで

も少ない収入がふっとんじゃうじゃないですか。

一昨年の秋、生産者仲間のM子ちゃんが、稲刈りは終わったが機械が壊れて修理代が60万円。米なんか

作らなきゃよかった、と悔やんでいたことを思い出します。

 

都会ではお洒落なパン屋がどんどんできて、増えすぎて潰れちゃうんじゃないか、と世田谷に住む友達が

言ってましたが、それだけお米を食べなくなったということでしょう。

夫が亡くなってからこっち、自分でできる量しかやらないとお餅の仕事の巾をぐんを縮めてきましたが、

ここにきて、もう一回お餅を増やそうかしら、というような気持ちになってきています。ご飯の代わり。

 

私は田んぼが減ったらイヤなんだあー。

どこもかしこも東京近郊みたいになったらイヤなんだあー。

田、森、山、野原、日本の美しい風景を護り残すにはどうしたらいいいんだろう、と考えます。

「みなさん、1日に1ぱいでいいのでご飯を食べてください」と宣伝したい、とよっちゃんに言ったら、即

「無理でしょう」と言われました。・・・・だよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ラベンダーのはなし

昔昔ハーブ園経営に憧れたことがあります。

経営というほど具体的希望を持っていたわけではないけれど、転勤の多い生活の中で畠や庭が

身近にあれば花を作っていた私は、歳をとったら広ーい田舎に住んで、好きなハーブをいっぱい

植えて、お客さんに見てもらうというのをやってみたいなー、とは思ってました。

そんな憧れから趣味の山歩きの途上で、ハーブ園があれば立ち寄って見てました。茨城、栃木、

福島、宮城など小さいところ、大きいところと立ち寄ってみて、1等気に入ったのが宮城県の大河原町

にあった小さいハーブ園。これなら私にもやれるかもしれないと思えるくらいコンパクトでハーブの種類が

いっぱいあって、特に圧巻だったのがラベンダーでした。ラベンダーはハーブ園のみならず、道路にまで

溢れ出て、街の道路沿いの花壇、役所回りなどにしっかり根を張った立派なラベンダーが溢れんばかりに

咲いていました。

大河原町=ラベンダーという構図がしっかり頭の中に根付き、花で町起こしができるんだ、と思ったのは

この時がはじめてです。

 

時が過ぎて私も歳を重ね、広い広ーい野や山があるこの町に移住してきた時に、作ったけれど花がない

河川公園や道路の花壇を見て、思い出すのは大河原町のラベンダーでした。ここにラベンダーがあったら

きれいだろうな、と。

でもこの時大河原町のハーブ園は閉園になっていていました。、私が楽しんだ町のラベンダーも役所の

管理に変わり、そのうちに消えてしまいました。

 

一昨年、偶然のことから知り合った美里町の元先生であるOさんから、「ラベンダーでポプリを作っているの

よ。退職した先生のグループでラベンダーを増やして町にいっぱい植えるの」という話を聞き、私も分けて

もらうことにしました。

そのラベンダーが2年がかりで400本分けて頂けることになって、今日、ラベンダーの苗をを穂差しから

育てられた南郷町のWさんが打ち合わせのために道の駅まで出向いてくれました。奥様もご一緒です。

お話を聞くと元建築士の方で、退職後独学でラベンダーを栽培されてきて、詳しいこと詳しいこと、驚き

ました。こんなにラベンダー他ハーブに詳しい方にお会いするのは初めてです。

 

2種類400本のラベンダーは出荷組合の希望者に購入してもらうのと、道の駅で植えるのとに利用します。

これほど詳しい方に指導して頂いて、道の駅の花壇に植えたなら、2年後には立派に花を咲かせてお客

さまに喜んで頂けるのではないかと思います。

Yさんに指導して頂いて生産者のラベンダーも立派に育ったら、きっと町のあちこちでラベンダーが見られる

ようになるのではないかと楽しみです。

 

「宮城をラベンダーでいっぱいにしたい。それは夢ではない」と言われるYさんは78歳。

また私よりも年長の先達を見つけました。先日美里町に3500本の苗を植えられたそうです。

とてもお元気で、100歳でお一人暮らしのお母さんのお世話をし、病後の奥様のお世話をしながら、

ラベンダー栽培をやってらっしゃるとのこと。

にこにこして「毎日が楽しい!」とおっしゃるのが印象的でした。

78歳になっても、毎日が楽しい、と言えるように生きたいものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新聞バッグワークショップin秋保温泉

田舎郡東北村×秋保温泉岩沼屋×海の手山の手ネットワークの合同企画、

「新聞バッグワークショップIN秋保」の第1回目、参加のため午前3時半起床。

お彼岸の中日でもあるので、お餅の仕事はおろそかにはできません。

昨夜のうちから準備万端整え、早寝をして「さて」と仕事場に立ったところで、なんとお米を洗って

ないのに気づいて呆然。絶体絶命!

ありったけの知恵を振り絞って、工夫に工夫を重ねて予定通りのお餅を搗きあげ、道の駅に出荷をして

戻って黒田さんと合流し、9時、高速サービスエリアETC出入り口に到着。

今日の参加をお願いした孫のピアノの先生が待っててくれました。

 

初めての企画で参加者が集まらずだいぶ苦心しましたが、無事開催の運びとなってほんとよかった。

何事も初めの一歩はなかなか大変。でもここからが始まりです。

今回の企画にご尽力くださった秋保温泉の岩沼屋さんは創業寛永2年といいますから、300年の歴史が

ある老舗旅館。磨き抜かれたマホガニー色の床が美しいクラシックで落ち着いた雰囲気の旅館です。

1階奥のラウンジを今日の会場にしていただきました。

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こんなところでやらせて頂いていいのか、と思うくらい素敵で立派。

今日のお客様が揃ったところで、東北村のお話、岩沼屋さんのお話、海山ネットワークのご紹介をして、

新聞バッグ作りに入ります。

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新聞バッグ作りをしている横で、香り高いコーヒーを煎れてくださる、40年の歴史を誇る仙台定禅寺通りの

老舗コーヒー店カスタムのご主人。

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誰かに似てませんか?

そう、サンタさんみたい。クリスマスにはリアルサンタになられるそうです。

どうでしょう。こんなに素敵にできました。新聞はニューヨークタイムズのちょっと縦長変形を使って

みました。黒田さんオリジナルデザインです。

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「私は不器用だから作りたくないわ」と新聞バッグ作りには消極的だったピアノの先生のバッグも

ちゃんとできあがって、はい、みんなで記念撮影です。

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コーヒーを飲んで新聞バッグも出来上がってホッとしたところで、今日のメインプログラムである昼食タイム。

ダイニングルームへ案内して頂きました。

そして料理長が腕を振るわれたというお昼ご飯の超豪華なこと。驚きましたー!

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食事が終わって、思い思いにお風呂に入って、東北村からのお土産をお渡しして今日の催しは終了

しました。

楽しかったし、美味しかったし、いい雰囲気でした。

お客様に楽しんでいただけたら、ほんとに嬉しいです。

第2回目も企画します。

またたくさんの方に来ていただけますように、よろしくお願い致します。

ありがとうございました!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

秋晴れ

見事な秋晴れの日が続いています。

田んぼの稲も最高にきれい。

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稲刈りが始まり、毎朝この黄金色の稲が刈り取られた田を目にします。

今年は例年になく米の価格が安いそうで、この美しい稲田を見ると胸が痛みます。

 

昨日は年に1度の泉マルシェの日でした。仙台市泉区の中央駅周辺で開催されるフランスの市場のような

おしゃれな泉マルシェ。私も行くつもりでしたが、お餅の注文と来客で行けず。

あやさんと黒田さんが新商品の販売をしつつ、新聞バッグワークショップもやってがんばってくれました。

 

明後日は新聞バッグワークショップin秋保温泉、その次には石巻の方たちの新聞バッグワークショップと

行事が続きます。

 

良いお天気なので、ワークショップの準備をしながら、倉庫前の伸びまくった草刈りを黒田さんと決行。

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私も素人だけど、黒田さんは初めて。

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それでも曲りなりにもきれいになって満足、満足。

倉庫の中で出番を待つ新聞紙。大学や企業さん、ホテルから頂いたものです。

時々みんなで集まって整理をします。

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草刈りをしたので出し入れし易くなりました。

たくさんの注文を頂いています。がんばらなくちゃ。

 

 

 

 

 

 

 

運動会

昨年の春、越境入園で、隣町の幼稚園に入園した孫は今年は年長さんになりました。

じーちゃんの他界で去年年少さんの運動会に参加できなかった孫は、今年が初めての運動会。
駆けっこやよっちょれ踊りなどの練習をいっぱいやって、張り切っています。

隣町の幼稚園は栗原市立幼稚園。

「越境の理由はナンですか?」と聞かれて「近いからです」と答えたら、「あ、それなら大丈夫です」と

先生がすぐに市役所に連絡してくれて入園が決まりました。そんな簡単でいいの?とびっくり。

広い広ーーーい運動場。小学校と一緒に組み合わされたオープン教室の木造校舎。プールも小学校

と一緒。幼稚園の制服もお揃いのスモッグもありません。みんなお揃いは黄色い帽子だけ。

統合されて50人の園児たちは子供そのもの。ものすごく元気。夏は外遊びでみんなの顔は見事に小麦色。

冬は雪の中でキャアキャアワアワア、雪投げ、橇遊びをします。橇から何回転げ落ちても全く平気。

その幼稚園の運動会に、一家総出で、仕事を休んだ由美さんも加わって大人8人で応援に行きました。

園児1人に大人が8人。なんともはや・・・・。

でもどこのうちも同じようなもの。パパ、ママ、じーちゃんにばーちゃん、おっぴさん(ここではひーじーちゃん、

ひーばーちゃんのことをそう言います)に小さい弟妹までいる一団体が、声を限りに応援する、昔ながらの

普通の運動会でした。

いいお天気! 運動会日和。

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孫は最初で最後の駆けっこ1等賞で大満足。金メダルをもらいました。

この幼稚園で、ひとつ私は「いいなあ」と思うことがあります。

いつでもどんなものでも、自分が見-つけた!、お友だちに見せたいな、と思うものを、朝の「紹介コーナー」

に持って行って紹介できること。

孫が明日の紹介コーナーに持って行きたいものは、金曜日に捕まえたツチガエルと、今日黒田さんちで見

つけた木に絡まっていた山芋の子供の「ムカゴ」

金曜日に捕まえたツチガエルを月曜に見せようとすると、中2日、カエルの面倒を見なければならない。

ということで、毎夕、カエルの餌探しが大変です。コオロギ捕まえたりクモを捕まえたり。

この間はアカガエル。余り見かけない蛙なので、紹介した後は放します。トカゲもどじょうもザリガニも

ヘブンリーブルーの朝顔も朝顔のタネも見つけたものはみんなに紹介しました。

紹介物品を朝持って行くと、みんながわあーっと寄ってきます。

隣町の幼稚園は、いい幼稚園でした。

 

楽しくて大好きな幼稚園生活もあち半年。今度はうちの近くの集落の小学校に入ります。

進入1年生は10人でうち男の子2人だって。

いやあ、なかなか大変。心配なような楽しみなような・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

お誘い

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仙台の奥座敷、秋保温泉の老舗旅館、岩沼屋で

日帰り入浴+美味しい東北の食材を使った東北村弁当+自家焙煎珈琲の老舗珈巣多夢マスターの

コーヒー時間+東北村のお土産+素敵なラウンジでの新聞バッグ制作。

既にブログよっちゃん農場ドタバタ日記や海の手山の手フェイスブックでのご紹介で、ご覧になった方

もいらっしゃるかと思いますが、東北村村営田舎学校で企画した「新聞バッグづくりin秋保温泉」の

このプラン、20日が締め切りです。

今日は岩沼屋の料理長にお弁当を作っていただきました。

9月23日(火曜日)秋分の日、11時~15時まで。

お問い合わせは電話:022-205-3540 メールotasuke@prokatu.jp  東北村事務局です。

 

お友だち同士、ご夫婦、お誘い合わせの上、是非是非ご参加ください。岩沼屋でお待ちしております。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一周忌

早いもので夫が亡くなってからもう1年が経ちました。

相変わらず実感がない。顔は見えないけれど、そこら辺のどこかにいつもの顔でいるような気がしている

日常です。

子供たちが帰ってくるというので、ちょこちょこと掃除をして、由美さんに頼んで真昌寺の和尚様にお経を

詠んで頂く手配をしてもらってその日を待ちました。が、前日ぎっくり腰になって屈めなくなり、またもや

由美さんのお世話になりました。

お花を持ってお線香を持って、由美さんの手できれいになった納骨堂の前に立ち、辺りを眺めると、どこ

までも広がる黄金色の海。実りに実って黄金色の穂を垂れた稲田は今が一番きれいな時です。

もう直に稲刈りが始まれば辺りは短い間に秋の色に変わります。

 

一周忌は夫が生きている時にはやったことがない、家族旅行を実行することにしました。

夫がいる時には子供や子供の家族とみんなで旅行に行こうなんて考えたこともない。それが夫がいなく

なると全員一致でどこかに行ってみようか、などと考えるのだから、全く以って不思議です。

鳴子温泉は近すぎて何時も行くので、子供たちにとっては初めての仙台の奥座敷、秋保温泉に行くこと

にしました。

 

しかし、とんでもない天気。秋保までの道は豪雨の中。高速ではとても走れないので、車を2台連ねて

2時間かけて秋保に向かいました。

夜中雨。外に川があるのかと聞き間違うほど、ザーッともドーッともいう雨音がして不安になります。

泊まった宿の露天風呂は凄かった。屋根があったりなかったり、四つか五つ連なった露天風呂という

のは初めて見ました。秋保温泉というのは鳴子とは全然違うんだね。軒並み旅館が大きい。客が多い。

ホテル、旅館の中に遊ぶところ、飲むところ、マッサージに、ゲーム場、なんでも揃っているので、カラコロ

下駄の音を鳴らして温泉街をそぞろ歩きというのはここにはない(らしい)。

 

さて翌朝は、有難いことに晴れ。

まず目指すは秋保大滝。

秋保大滝の入り口にある秋保大滝不動尊。願望成就の不動尊と聞くので手を清め、しっかりと手を合わせ

ました。正式には滝本山西光寺。山形県の山寺、立石寺の奥の院とされます。

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植物、生き物問わず、山のもの、野のもの、の焼酎漬けビン詰めがずらりと並んだお土産屋。

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以前に何回か花のことで伺ったお花の生産屋さんに行ってみたくて、夢の森に向かいました。

大震災以来はじめてです。

こんなところにまで大震災の影響が及ぶとは思ってもいなかったのだけれど、現実は厳しくお花屋さんは

一部が地震で壊れて形が変わり、その他のお店もずいぶん様がわりしてました。良くはなっていなかった。

寂しくなってました。お店の前でかわいい首輪を付けてもらった猫たちが遊んでました。

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今、道の駅の花き部では、この秋にラベンダーの苗をみんなで栽培しようと準備をすすめています。

たくさん植えて苗をつくって販売するのもよし、咲いた花や香りのよい茎を利用してクラフトの試作を

するのもよし。お客様に喜んで頂ける商品を作るためには生産者も工夫と勉強。ということで

ハーブが栽培されているお店へ。商品作りのヒントをもらいます。

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天井からつるされたドライフラワー。乾燥も色も素晴らしい!紫陽花と紅花。

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息子に娘に嫁さんに婿さんに孫。ぞろぞろ連なっての旅でしたが、楽しかった。

亡くなった夫のお陰で、新たな家族イベントが始まりました。

一周忌から始めて毎年1回家族総出の旅を続ければ、また新たな心の交流が始まることでしょう。

明日は孫の運動会。昨年は夫の他界で参加できなかったので、今年は総出で応援です。

晴れますように・・・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全国こけし祭り

隣町の鳴子温泉で1年に1回「全国こけし祭り」が行われているらしいのですが、私は未だ行ったこと

ありません。どのくらい面白いのか、どれくらい混むのかも判らない。のですが、昨年行った黒田さんが

「面白い、面白い」というので、お餅の仕事を終えたら早めに孫連れで行ってみることにしました。

会場は鳴子温泉の街中というのではなくて、温泉街を通り過ぎてちょっと山の方に登った鳴子小学校の

体育館。臨時駐車場の校庭では、東京やその他からのおしゃれなこけしグッズを販売するテントが

並んでいました。

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こけしってあんまりよく見たことなかったけれど、こうして見ると品が良くてかわいいんだなあ、と思います。

まだ素敵なのがあったけど、撮影ご遠慮ください、ということだった。

小学校体育館内の会場。

素敵にお店が作られてました。

 

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全国の系統の違うこけし作りの土地から来られた工人さんたち。

木地を削る工法もその土地独自なんだろうか。非常に違っていて見飽きません。

足に注目。

身体を斜めに構えて両足で踏みながら削る工法。

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これはまた全然違う削り方でした。

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申し合わせたわけでもないのに、この会場で本日お休み中のよっちゃん、みっちゃん夫妻と会い、海山

重要インストラクターのあやさんと会い、海山メンバー勢揃いに加えて、東北村の忍さんにまで出会えて

楽しい時間を過ごした後は、ついでに久しぶりの潟沼に寄ってみました。

 

クレー射撃場の駐車場が車でいっぱい。今の時期、射撃という遊びが流行っているんですかねえ。

クレー射撃というのがよくわからんけれど、どっち向いて撃つんだろう。山のほう?沼のほう?

まだ紅葉の色もない潟沼。少し濁ったコバルトブルーの水の色がとてもきれいです。

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そうだ、休憩の椅子で横手のヤキソバを食べている時にご一緒した鳴子のお寺の和尚様が、「寺に

ものすごく大きな鯉やヤマメなどの魚がたくさんいるから見にいらっしゃい」と誘ってくださいました。

こけし祭りの時に行われる奉納相撲(東北の高校生の相撲だそうです)の役をなさっているとか。

お寺は教会に較べて入りにくいです。

と言ったら、そんなことない、そんなことない。相撲の前にはみんなに座禅を組んでもらう。座禅でも

お話でもいつでも来てくれていいからね。と言って行かれました。

思わぬ収穫。今度行ってみよー!

ヤキソバがお好きらしい和尚様は、横手ヤキソバの前には石巻ヤキソバを召し上がったそうで、

お店の人が笑ってました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小樽のさんま

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ショーエイさんの奥さん、たかちゃんが北海道で獲れたさんまを持ってきてくれました。

もう、そんな季節になったんだねえ、と感慨深い。

ショーエイさんは南三陸は志津川港の漁師さん。今は志津川は津波で流されてないので

ショーエイさんは遠く北海道でさんま船に乗ってる、ということです。

震災後2年経った去年からショーエイさんが船に乗ると、秋刀魚を頂けるようになりました。

たかちゃんから「お父さんに」という伝言なので、まずは夫の遺影の前に。

「そうか、そんな季節か」と喜ぶ夫の笑顔が見えるようです。

 

大震災の夏、沿岸部の方々が、2次避難場所である鳴子温泉から仮設住宅に入って行く時に

戻ろうか、ここに住もうかと迷うショーエイさんご夫婦は、まずはしばらくの間ということでしょうが

避難で住んだこの土地を選んで家を借り私たちの町の住民になってくれました。

あれから3年。お孫さんが生まれ、ショーエイさんはさんまが獲れる時期には北海道で船に乗り、

たかちゃんは家の周りにたくさん花を植えて、よっちゃんちの南蛮の栽培をし、重要な労働力として

農作業の手伝いをしてくれたりしています。

御礼の電話をした時に、「ショーエイさん、何時帰ってくるの?」と聞いたら、まだまだ。こっちにきてから

(さんまがこっちまでくる、ということ?)だから11月くらいかね」と。

 

ということは、さんまってヤツは北海道からずーっと下って宮城で獲れるようになるってことですか?

やっぱり私は海のことは何にもわからんのだな、と反省。と同時にもうちょっと海について、わかるように

なりたいもんだ、とも思います。

 

田んぼの稲が濃い黄色に色づいてきました。もうじきに稲刈りが始まります。

少ーし涼しくなって、道の駅のお客様も増えたのか、私が作るお餅が売れるようになってきました。

毎日お餅をついて、毎晩餡子を煮て、毎朝搗いたお餅を包丁で切って道の駅直売所に持って行って

ますが、暑い間のお餅の残ること残ること。でも今は残らなくなりました。

近頃以前とは違って、売り上げた額よりも、お客様がお餅を買ってくださることに、しみじみ有難いなあ

と思います。

50代の終わりまで、モノを買うのも移動するのも人の手のサービスまでお金で買う都会での消費者

専門だった私ですが、ここに住んで生まれて初めて生産者になって、10年お餅を作り続けてやっと

少しは生産者らしくなってきたのかなあ、と自分では思っているんですが・・・・。

 

 

 

 

 

 

秋田見聞

2年に一度の道の駅出荷組合の研修旅行。今年は秋田県の道の駅視察。泊まりは男鹿半島の

男鹿観光ホテル。行ったことがないのでよく解りませんが、男鹿半島はナマハゲがいるところらしい。

一行45名、7時半に出発して東北道を一路盛岡へ。盛岡から日本海側を目指して道の駅「雫石あねっこ」

向かいます。ここはまだ岩手県。

「あねっこ」では、運営に携わる会社の方と出荷組合長のお話をうかがいました。東関東大震災で客数が

激減した大打撃に加えて、昨年の大雨土砂崩れの傷跡も生々しく、生産者の苦労お同じ、がんばっていきまっしょい、という意気込みも同じ。

同じ道の駅の生産者として、これからも自然災害に見舞われない平穏と商売の繁盛を祈るばかりです。

いくつかの道の駅の見聞を重ね、男鹿観光ホテルに到着。

ホテル6階の窓から見た男鹿半島の海に向かって広がる広大な樹海。これにはびっくり!こんな大きな
深い樹海を見るのは富士山麓の樹海以来です。

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ちなみにホテルの地下にあるお風呂は樹海。風呂に入れば樹海を見られるのかと期待しましたが、真っ暗で何も見えず。8階にあるお風呂は眺望が素晴らしい!とは入った人の話です。

 

夜は8時半に宴会を切り上げてナマハゲさんの太鼓ショー。ド迫力でした。

ナマハゲさんの後はホテル内で2次会。カラオケで唄って唄って唄って、終わったらラーメン屋に繰り出して
終了。ということだったようですが、私は途中で失礼したので終了時については不明。

道の駅オープンしてから13年。すっかり頭が白くなった生産者の方たちは楽しそうでした。

2日目の初っ端は男鹿半島、入道崎。

広い広い広い広い草原の先には広い広い広い広い海があたかも「地球は丸いんだよ」というようにまーるく広がっています。

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お土産屋の前で睨みをきかすナマハゲさん。

包丁持ってこれは怖いわ!

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南の風と北の風がぶつかっていつも冷たい風が吹くので「名づけられました」という寒風山。

展望台は台のほうが回って四方を見下ろせるようになっています。

海も干拓で5分の一残された八郎潟も一望の下。

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1日の行程表の中には「国家石油備蓄基地」という馴染まない文字が・・・。「これは何?何でこんなところを
見るの?」と訝しんでいるうちに到着してしまいました。

ここは北海道備蓄基地に次ぐ日本で2番目に大きな日本の石油の備蓄基地なのだそうです。

見かける人の全員の頭にはヘルメット。もしや・・・、と思っているうちに全員ヘルメット着用の指示が出て、
生産者一同青いヘルメットを被り、バスで基地内を回ります。

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地上タンクと地下タンクがありますが、基地内はきちんと整備されて実にきれい。とにかく火災事故が起こらぬように、念には念を入れて更に念を入れて、二重にも三重にも備えがなされているのが解りました。

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地下石油備蓄タンクの清掃が行われているのを見学。石油が空になって沈んだ蓋の上で作業中の作業員がアリのように小さく見えます。

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はい、ここで時間切れ。

毎日の暮らしの中でこれだけ石油を使っていても、備蓄がどうなっているかなんて想像したこともなかったのですが、ここで仕事をする人たちに石油は護られているのだと知りました。

 

日頃生産物を直売所に運ぶだけの日々で、時間が違えば生産者同士、顔を合わせることも少ないのですが、こうして旅に出れば、これまで話をしたことがない人と同室でお布団を並べて話し込んだりして、また
新たな付き合いも生まれます。

楽しい2日間でした。

また2年後、みんな元気でしっかり働いて研修に出かけられますように・・・・・!