人をもてなす、ということ。

めっきり寒くなりました。

道の駅に行こうと車に乗ったら、あんまり寒いので薄いダウンを厚いダウンに替えようと、エンジンをかけて

家に戻り、着替えて車に乗り道の駅に到着してエンジンを切った途端、すーーっと、と血の気が引く気分。

ああ、やっちまった~~。ポケットから出したキーを玄関に置いてきた。

 

エンジンがかかってたからそのまま乗ったけれど、キーなくして停めたらもう動かない。

だからプッシュ式なんていやなんだよ。普通のキーを回してエンジンかけるのだったら、こんなことないのに。

どうする? どうする?

キーを持ってきてもらおうと、家、花のおじさん、由美さん、電話したけど誰も出ない。

じゃあこっちから乗せていってもらおうと、心当たりを電話をしたら外出中。

直売所レジのIさんが心配して、出荷に来た生産者に頼んであげると言ってくれるけど、そんな図々しいこと

頼めません。往復30分もかかるのに。

 

でもどうにもならんのでついに諦めました。

やってきたお豆腐屋の中森さんに頼んだら、いいよ、行くよ、うちまで往復してくれることになりました。

「鍵がありません。鍵がありません。周囲を探してください」

中森さんちの車はそう言うのだそうだ。でも私の車はそんな立派な親切な車ではないので、こういう失敗を

繰り返すのです。ああ、冷や汗。

 

やっと家に帰って支度をして、今度は黒田さんが販売に出ている田舎郡東北村のイベント会場、仙台市

泉のセルバへ。

今年で2度目の東北村の会場。こじんまりとしてるけど、よっちゃんなんばんを含め、地場産品が落ち着いた

雰囲気に並べられて、2Fファッションフロアでも違和感がなく溶け込んでいる。

海山は新聞バッグ販売と作りたい方へのワークショップ。

 

開催時間が長いので、黒田さんには本当に負担だろうと思うのですが、黒田さんは快く出てくれます。

これで売れれば万々歳なんだけれど、大震災から6年近くなれば、新聞バッグも普通の人が買い物をする

興味の外になっても仕方がないこと。たまに興味を持って、作り方を知りたいという方が現われます。

 

私が行っても何に役にも立たないのだけれど、とりあえず顔を出して、ついでに買い物をして帰宅。

 

翌日は再び仙台、国際ホテルへ。

渋谷のエッセイ教室で一緒だった仲間の美紗子さんが、仙台まで来てくれました。

昨年亡くなられた作家高田宏先生の作品の朗読会が行われるそうで、先生の教室生である私も

行きたいのだけれど、時間が遅すぎるので今回はパス。

ホテルの喫茶室で久しぶりにゆっくりお話する時間をもてました。

 

美紗子さんは88歳。

白いセーターにピンクのカーディガン、白いパンツに花柄のステッキを持った相変わらず若々しい姿のまま。

こうして神奈川県の大磯から1人で出てこられる気持ちの強さに敬服します。

いつもならエッセイ教室の思い出話などで話は終始するのだけれど、珍しく美紗子さんの個人的歴史

についてうかがってみました。

そしてびっくり!

長年私が思っていたのとは全く違う歴史だった。

ずーっと大磯の余裕のあるお宅の奥様なのかと思っていたけど、何十年も会社で働き一家を支えてきた

土性っ骨のある肝っ玉母さんのような方だと判明。 「よくまあ、がんばられましたねえ」と言いたいような

歴史を聴いて、私は自分の不明を恥じました。

 

75歳の私のほうがうんと若い(?)のに、今日の2時間の初めから終りまで、私にだけではなくホテルの従業員

などの周囲の人々にまで水をも漏らさぬような細やかな気風のいい気配りをなさる様子に、今の時代には

無くしてしまった「損得抜きで人をもてなす」という本当の意味や心意気を美佐子さんに教わりました。

 

 

これまで何度も海山の催事などに出かけてきてくださった美紗子さん。

そして折に触れてはお手紙や電話をくださる美紗子さんに今日はお会いできてよかった。

これから新たなお付き合いが始まるような気がします。短くても長くても大切な時間にしたい。

 

月曜日から木曜日まで福岡に行ってきます。

またカメラをなくして写真が撮れなくなりました。

鍵忘れ事件といい、なんか無駄ばっかりして生きてます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

地震・津波・南三陸・反省会

早朝、久しぶりにけっこう強い地震がグラグラグラっと。時間的にも長い。

普段だったら関東あたりの地震の余波か、あまり気にしないのですが、強さに不審を感じてテレビを

つけたら「津波警報。逃げて~」との文字が。

 

福島!

とんでもないね。どういう感想を言ったらいいのか、津波が来ないのを祈るばかりで、ああ、嫌だ嫌だ

としか言いようがない。

宮城の沿岸も津波が来るということだから、沿岸部のみなさん、今頃は大変な思いをなさっているはず。

幸いお天気がよく気温も高めなので、それだけが救いというか、雪が降るような日でなくてよかった。

 

道の駅出荷を終り、午前10時半、新聞バッグを回収に予定どおり南三陸へ。

行く前にお茶を買いに寄った直売所の佐藤さんから、「今日は行かないほうがいいんじゃないの。危ない

んじゃないの」と言われたけれど、津波が来てないのだもの。危険なことはないでしょう。道が混むということは

あるかもしれないけれど。

 

岩出山から南三陸の歌津までは、幾つかの小さい町を通りすぎながら、田園の中、山間の道を走り続けます。

今日は上條さんが2時から新聞バッグチェックのためにうちにやって来ます。その時間にあまり遅れないように

帰りたい。という一心で、何処にも寄らず走り続けたら、わかった。北上川を渡る米谷大橋までで45分。

南三陸町に入ったところで1時間。そこから沿岸大工事迷路地帯に入って30分でけい子さん宅。

 

なんと言ったらいいのか。新しい町と道を作るというのはこんなことなのか。私も初経験だかららなんとも言いようが

ないけれど、あまりのアップダウンのある急カーブの連続に運転しながら気持ちが悪くなってくる。

これ、運転の初心者だとか年寄りにはきつい道路だと思います。

 

どうなんだろうかなあ、と思っていたけど、車は混まず、海は凪ぎ、普通の日常の風景でした。

でもけい子さん宅では、海の仕事に出られなくなっておばあさんはお留守番。けい子さんは買い物中。

居間の壁に取りつけられた防災無線から、けっこうな頻度で、津波注意報の解除だとか学校がどうだとか

放送が流れてきます。

沿岸部のお宅ではこんなふうにどこのおうちでも家中に聞こえるように防災無線が取り付けられていて

海からの危険が知らされるのだと初めて知りました。

 

おばあさんと私の津波の話。

「今度来たらもうダメだねえ。1回はがんばったけどねえ」

「ワカメもホタテもタネつけを終ってこれからという時だからねえ」

私もおばあさんと同じ気持ち。東日本大震災はとにかうがんばったけど、もう一度同じことをやれるかと

言ったらいやあ、もうわからんわ。人間だからなってみればまたもぞもぞと立ち上がるんだろけれど、

今は見るのも聞くのも想像するのも嫌です。

 

魔法使いのような速さで新聞バッグを作るけい子さんから新聞バッグを受け取って、大特急で帰宅。

検品は上條さんに任せて、私は今夜の仕事のお米を仕込んで道の駅の夜会議へ。

 

10月30日に開催した会社、出荷組合合同イベント、「サンクスフェスティバル」の反省会。

例年11月初めには、たくさんご来店くださるお客様への感謝を込めて、出荷組合では感謝祭を開催して

きました。今年収穫した新米を食べていただいたり、茸汁を振舞ったり。

地区当番製でやっていたその祭りの仕様を、今年開店15周年を祝って、会社、出荷組合、お客様、地区住民

みんな一緒になった楽しいお祭り「フェスティバル」にしましょうよ、と若者から意見が出て例年どおりに

馴れきっていた役員一同、大慌て。

 

てんやわんやしながら、部会ごとにブースを作って花を売ったり、手仕事の宣伝したり、鍋もひとつではなくて

4つも作って競合したり、新米を炊いてお客様にたくさん食べていただいたり。

結果として楽しかった。やってよかった。来年も続けよう。でも今年やったからこそ見えてきた課題、問題点の

数々。ここを整理整頓、方向調整、難問解決の山々を越えてこそ、イベントをやった意味もあるというもので

2時間、活発な意見交換をして反省会終了しました。

くたびれた~!

 

帰宅してお餅を搗いて、切って今日の仕事終了。

なんか凄い1日でした。

明日は平穏を願いたいけれど、なんと11月なのに雪が降るんですって?!

 

明日は祭日。明日、明後日、黒田さん、よっちゃん農場のよっちゃん夫妻、仙台市泉での販売イベントに参加です。

よっちゃんは今夜の会議終って、明日は早朝から仙台へ出発。ご苦労さまです。お疲れ様です。

明日売れますように~。

仙台付近の皆様、泉のセルバに足をお運びくださーい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

誕生日に思う。

今日は誕生日。

朝フェイスブックを見たら、のっけからラオスのミュウと一緒の私の写真が目に入ってギョッ。

フェイスブックって誕生日が来たら「なんとかさん、お誕生日おめでとうございます」とどーんと出してくれる

ので、有難いんだか有難くないんだか。年隠しておきたくても隠せない。

でも私くらいになると秘密もなにもあったもんじゃない。

こんなに生きるとは思ってなかったけれど、今日でなんと75歳になりました。後期高齢者です。

後期高齢者になったら、なにか得することあるのかと思っていたら、逆(らしい)。よくわからないけど。

 

きのうの午後、由美さんからお父さんの入院で病院に来てみたら「ヒサミさんが入院してるよ」と電話が

あってそれこそびっくり!

ヒサミさんは道の駅の生産者仲間。ついこの間の大繁忙期に毎日直売所で顔を合わせていました。

出荷者が集中的に集まってくる朝の時間から少し離れて、隣の町から車を運転してヒサミさんが運んで

くるのはキノコ類。今は80歳を越えたけど、本当に働きもので、家ではフリースクールを運営する息子

さんを支え、外で販売の仕事もし、そして今の茸の時期は、自家栽培の平茸、木耳、椎茸などを出荷されています。

 

なのになんで入院?

聞けば、脳梗塞か脳溢血だとか・・。

今日は早速病院にお見舞いに行ってみました。

よかった、ヒサミさんはお話できるし、手も動く。体全体からみれば軽症というわけではないけれど、設備が

整った温泉病院でリハビリをすれば必ず復帰できる様子。

何より凄いと思ったのは、ヒサミさんの仕事に復帰する、という熱意です。

「まずは運転できるまで」というのがヒサミさんのリハビリの第一目標で、これが仕事じゃなかったら、80歳

という年齢からして、そんな情熱は湧かないかもしれない。

同じ病室、同じ病棟には多くのご老人が入院なさっている。けれどヒサミさんのように仕事に復帰したい

という強い意志を持つ人は、数多いとは思えません。

改めて、仕事を持つことの意味を考えさせられました。

 

午後遅く、黒田さんのお宅に手芸を教えてもらいに行っていた娘が「面白かった~、楽しかった~」と帰って

来ました。

手芸好きの娘が以前からやりたがっていた人形作り。

「いいよ、教えてあげるから材料を持ってらsっしゃい」と言ってくださったのは、熊本から避難中の黒田さんの

お母さん。黒田さんのお母さんもお歳は80歳だけれど、大変お若く、お洒落で、おうちの中もピカピカ。

在り合わせの器にいつも素敵に庭のお花や緑を飾られていて、何より凄いのはその手仕事の技。

押し花、縫い物、、編み物、多分その他にもできることがおありだと思うのだけれど、とにかく聞けばほとんど

のことには応えてくださるスーパーウーマンなのです。

お人形作りはとても細かい作業ですが、今日の時間だけで、お人形のお洋服の型紙作りから裁断まで

出来上がっていました。縫えるところまで縫ってらっしゃい、というのが宿題で、大人になって出された宿題に

娘は「楽しい」とたいそう喜んでました。

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この先どんなお人形ができあがるのか私もとても楽しみです。

1人だったら完成しないかもしれないけれど、お母さんがいらっしゃるから必ずできあがる、そんな気がします。

 

このところお母さんが熱心に取り組んでおられるのが干し柿作り。

私も福岡生まれだから解るけれど、九州のような暖かいところで自家製の干し柿は作らない。

今度引っ越した新しい家の敷地に2本の柿の木を見つけて、お母さんの挑戦意欲に火がついた模様。

感に絶えたように「ああ、面白かった~」とお母さんに言わしめた柿の実剝き。

その柿は室内に干したけれど、カビが危ぶまれ、今は網の中にお母さん独自の工夫を凝らして吊るされ、

外で風に揺れています。立派な干し柿ができることを祈ります。

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今日は私の75歳の誕生日。

さまざまな局面で「この歳で」と思うことも度々だけれど、ヒサミさんや黒田さんのお母さんのような先達に出会うと

元気が出ます。

まだまだ。こんなふうに生きなければ・・・。と。

 

今日、お祝いの言葉を頂いたみなさま。ありがとうございました。まだもう少し仕事をしてゆきます。

よろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

直売所当番

毎週日曜日は我が家の近くの直売所当番。

直売所とは言っても、置いているものが少ない直売所だから、隣りの食堂の流れで「ここ、なにあるのかなあ」

と入ってくるお客さんが時たまあるくらいで、だいたい静かに時間が過ぎてゆきます。

ここで私は毎週、店番をしながら新聞の整理をします。

あちこちから送って頂いたイギリスやアメリカやドイツの新聞を1人で整理していると、日本の新聞には見られ

ないヨーロッパや中東のリアルで傷ましい写真が目に入ってきて、だんだん気が重くなる。

 

殺害された遺体だとか銃だとかテロの現場だとか海を渡ってきて小さな船から下ろされる難民の親子だとか・・・。

外国のジャーナリストはこんなふうに起こった事件の傷ましさをリアルに直截に発信するというのがその

姿勢なのか、陰惨や傷ましさはそのまま載せまいとする日本のジャーナリズムとは全く違う。

 

新聞バッグにそんな記事や写真が入らないよう注意深く新聞を整理しながら毎回思うのは、なんだかんだと

言っても日本にはそんな形の危険や恐ろしさはない、ということ、日々の平和な日常が有難いということ。

 

今日もそんな日のはずだったのだけれど、上條さんが手伝いに来てくれたので、しゃべって終わりました。

新聞記事なんか全然見ないでドンドン仕事が進んだ。

友だちが寄ってくれたので、いつもよりうんと売り上げも上がった。

 

こうして整理した新聞紙を、これからあちこち新聞バッグを折ってくれる折り手の人たちに配ります。

11月に入って今年もいよいよ最終番。

毎月決まった数のロイス新聞バッグ、刃物の会社からご注文頂いている来年用の社員さんへの誕生日の

プレゼント用新聞バッグセット。大震災以来お世話になり続けている滋賀県の角川社長よりご注文の

クリスマス用新聞バッグ。

相当数の新聞バッグなので、これから性根を入れて年内納品を達成させなければならないのですが、それに

しても、全社員さんにお誕生日プレゼントを用意されるってなんと心豊かな会社なんでしょう。そのプレゼントに

新聞バッグを選んでくださった。とても嬉しく感謝しています。

クリスマス用には華やかな写真の紙面を選び出しました。

 

これから12月半ばまでまた大丈夫かなあ、間に合うかなあ、とドキドキするような日々が始まります。

がんばります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

松井美緒さんと新聞バッグ講座/秋保研修

昨日はアメリカ大統領選でトランプ氏の勝利。

今日、道の駅出荷の帰りに町に出て、冬ズボンを買って洋服お直しコーナーに寄ったら、出てきた女性が

裾直しの受付をしながら「トランプが勝ちましたからね。これからどうなるんだか・・・」

相槌をうちながらも、ズボンの裾直しに行って、アメリカの大統領選についておばさん同士で話すなんて

初めてのことだ、とトランプ氏の話題性に改めて感心。

 

9月半ばから紅葉シーズンのお餅仕事と多彩なイベントの消化と新聞バッグ仕事で大忙しだった日々が

昨日でどうにか終わってほっと一段落しました。

その間に起こったできごとをいくつか。

 

ひと月ほど前に、打診を頂いていた雑誌STORYの「松井美緒さんが新聞バッグを作る」という企画。

松井美緒さんは楽天イーグルスの松井稼頭央選手の奥様で職業はモデルさんだとのこと。

野球にもモデルさんにも明るくない私のせいで、最初はだいぶ頓珍漢なやりとりをしましたが、そこから

始まって話は進み、11月6日に南三陸、けい子さんのお宅で新聞バッグ講習&取材の運びになりました。

 

11月6日は恒例の石巻マラソンの日でもあり、松井美緒さんはマラソンに出場後の新聞バッグ作り

ということで、お疲れはどんなかと思っていたら、全くお疲れの様子はなく、モデルさんらしく大変

お綺麗で、また大変気さくな素敵な方でした。

せっかくだから取材チームのライター、編集、カメラマンのみなさんにも強制的に新聞バッグを作って

もらうことに・・。モノを作るのは楽しいのできっと楽しんでいただけるはず。

 

けいこさんのお宅には、高台移転で引越しを終ったばかりの新子さんもけい子さんの娘の沙織ちゃんも

集まってくれて、よっちゃん夫妻、私も入って和気藹々の雰囲気で新聞バッグ講習が始まりました。

松井美緒さんは海山の新聞バッグを松島のお土産店で見てすっかり気に入り作ってみたい、と思われた

とのこと。その言葉どおり、とても器用で短時間できっちり見事な新聞バッグを仕上げた美緒さんのV!

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新聞もテレビも取材というとちょっと派手なところがあって心配だったのだけれど、STORYのチームのみなさんは

気さくで普通であったかくて、みんなで仲良く新聞バッグ作りをやれたので安心しました。

STORYは多くの女性たちが読んでいる人気の雑誌なのだそう。年寄りになってしまった私はファッション雑誌を

見ることがなかったので知りませんでした。12月号に今日のことは載るのだそうで、絶対に見ます。

「恥ずかしいから顔は見せない」とがんばっていたおばあさんが一緒に写真に写ってくれました。

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よっかたね。おばあさん。良い記念写真になりました。

来年、石巻マラソンの時にはまたお会いできるだろうから、元気でいましょう。

この松井美緒さんとの新聞バッグつくりは、これから徐々に広がりを見せるようです。

 

 

そして11月8日は道の駅出荷組合花卉部会の研修で秋保へ。

朝8時半には道の駅を出発して、10時前には秋保に到着し、おはぎが名物のさいちへ。

その次にお茶の井ケ田が経営する秋保ヴィレッジアグリエの森へ。

個人経営の直売所だけあって、売っている品物の質が高い。花卉類に力が入っている。

次はグリーンハウスみやまで花卉研修。

といっても今は花の種類が少ない時期なので、ハウス内の主体はシクラメン、などの正月、クリスマス向け

室内植物。

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ここで昼食時間に入り、昼食後は先日の道の駅サンクスフェスティバルでよっちゃんドラム担当のバンド

ミヤギノチルドレンのボーカルで張りのある歌声を聞かせてくれた平間さんの蔵王ハーブへ。

待っていてくださった平間さんから数あるハウスを案内してハーブを見せて頂き、ハーブティーをご馳走に

なってお暇しました。

そして最後に外国人観光j客に今最も人気があるという宮城蔵王「きつね村」見聞へ。

きつねは私たちの日常、普通に見る生き物であり、家の周りにもいっぱいいるのにわざわざ蔵王くんだりまで

行って見なくても、と最初は不評だったのだけれど、ここのキツネは100匹もいて、それも種類がいろいろ

なんだとか。

どう受け止めていいか解らないような気持ちで入場してみたら、いました。

丸めた尻尾に頭を突っ込んでお休み中のキツネがあっちにもこっちにもいっぱい。

餌場もあって、ここでは高い場所から園内で販売されているキツネフードのようなものをキツネにあげるのです。

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尻尾と4本の足が黒いキツネ。種類の名前は忘れた。

冬は白く、夏は黒い色に季節に合わせて毛の色を変える北極キツネ。

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たぶん日本生まれの北極キツネなんだろうけれど・・・。

 

花卉部会12名の実に充実した研修旅行でした。

気合の入ったお母さん部員の発案の来年の企画もバスの中で提示されました。

大変楽しかった。けれど、キツネ村はもういいわ。

ここが大人気と言う外国人の心境がわかりません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フェスティバル、ロイズ終了、最上へ

今朝のできごと。

朝のお餅の出荷時、道の駅近くの交差点まで来た時に、県道沿いを歩くボロボロの子狸を発見。

病気に罹っているのか、狸か猫か見分けがつきにくいほど痩せて汚い小さな狸。

ああ、このままだと車に轢かれる、轢かれる、とは思うものの、何にもしてやれない。車を降りて捉まえる

わけにもいかないし、捉まえて山に放したとしても生き抜けるとは思えない姿。

なんにもできないけれど、胸が痛い。

胸痛む生き物の姿を朝見ると、しばらく目の裏にその姿が残ります。

 

日曜日、道の駅15周年行事、サンクスフェスティバル、無事終了しました。

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空は青いけど、風が吹いて寒くてブルブルの祭りだったけれど、このとおりの大盛況。

花卉部会が開くお店の名前は「おなごすだずの花マルシェ」

このあたりで女の人たちのことを「おなごすだず」、男のひとたちのことを「おどこだず」、若い人たちのことを

「わけしたず」というのだって。で、私たちはオナゴシダズ。

たくさんのお客様にたくさんの花を買って頂きました。

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岩出山の4つの地区で競い合った鍋競争。キノコ鍋にスッポコ鍋雑煮にキムチ鍋。

そしてこれは本国韓国の味で文さんが作るキムチ鍋。

おいしそー! 食べたかったけれど、食べるチャンスを逃して食べられなかった。残念!

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イベント最後の締めくくりはよっちゃん夫妻がドラムとキーボードを担当するバンド、ミヤギノチルドレンの演奏。

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ヴォーカルの蔵王ハーブさんの一生懸命の唄いっぷりが可愛い、と言ってはなんだけど好感が持てて、

アットホームないい演奏でした。これからもどんどん出演してほしいな。

 

どうにかこうにか会社、出荷組合一緒になってやりとげた初めての秋のお祭り、サンクスフェスティバル。

課題満載。これから考えなければならないこといっぱいあるけれど、とりあえずは楽しいお祭りでした。

やってよかった。やらなきゃ課題も見えてこないのだから。

 

終ってみればロイズ発送も手伝って、疲労困憊。ものを言うのも嫌なほど疲れてヘロヘロ。

翌日は温泉に入って疲労回復を図り、お餅仕事のみ残して後は全部やめて休憩。

体力少々回復したところで、きのうは見損こねそうな鳴子、山形の紅葉をなんとしても見ておこうと最上へ。

目的地は、何度行っても不思議に感じる太平洋側と日本海側の分水嶺、堺田駅、とホームセンターまるとく。

長年東京のベッドタウンで暮らした私の目には、北国東北のホームセンターにある様々なモノが珍しくて

楽しくて、冬が来る前に一度は見ておきたくなります。

こんなところまで来て大きいストーブ買った。火が燃えるところが紅くなって、上にヤカンが置けるストーブ。

 

行きには駐車場が込みすぎて入る気になれなかった鳴子峡に帰りに寄ってみました。

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午後4時を過ぎるとガードマンがいなくなって駐車場がタダになっていた。

残照が山を照らす鳴子峡。毎年見るのだけれど、やっぱりきれい

栗駒山の紅葉を見損ねて、今年はもう行けないかと思っていたけど、見られて安心しました。

しかし、鳴子を越えて山形に入ってから、防雪柵がもう建っているのを見てびっくりした。せっかくの山形の山々

の紅葉が見えないのは残念。

早め早めなんだろうけれど、ちょっと早すぎるんじゃないかなあ、ヤマガタさん。

明日は祭日、4時起き。早寝します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

LINE

朝、隣りの家から娘がやってきていうには、

「michikoちゃんからメールが来たよ。LINEで部屋の写真送ってきた」

つい最近、スマホを使用し始めた娘、

michikoちゃんがマレーシアから日本に帰国した時にLINEができるようにしてもらって以来、michikoちゃんから

メールや写真が入る度に「今マレーシアにいるのに、なんでこんなことができるんだろう」と感心しきり。

来年の春の孫の春休みにマレーシアに遊びに来てね。ホテルに泊らなくても自分の住まいのシェアハウスに

泊れるようにするから、と言ってくれて、そのお部屋の写真を送ってくれたのです。

仕事に出る前に送ってくれたらしく、「では今から仕事に行ってきます」とのメールを添えて。

 

「行ってきます」だって。マレーシアだよ。いやあ、不思議だわ。凄い時代だね、昔は外国と連絡するって

あんなに苦労してたのに」。

今から20年ほど前、外資系の会社で働く娘は、アメリカと通信するために朝早く家を出て、東京駅から人が

少ない地下通路を延々歩いて大手町にある会社まで通勤してました。若い娘が毎朝早くに、人気のない地下

通路を東京駅から大手町まで歩いていたら、なんらかの事故にでも巻き込まれるんじゃないか、と私は

ハラハラしてました。

学校に行ってる時はもっと大変で何時も時差を考えて電話し、電話代が嵩むのが頭痛の種でした。

 

今はほんとに便利になって、LINEでもFBでも思いついたら即言葉も送れれば写真も送れる。

朝起きたら「おはよー、今日は元気!」って言えるんだもの。そしてお金もかからない。

操作が下手な私になり代わって小学校2年生の孫がパパパパッと操作して写真を送ってくれる。

東京にいる息子とここにいる孫が甥っ子と叔父さんでゲームをやったりしている。

 

パソコンの指使いとは違う指の操作がやたら時間がかかるのと、画面を睨んでいると目がしょぼしょぼして

くるのが問題だけれど、せっかくの文明の利器だもの。まあいろいろと問題、課題はありそうですが、、

今はあれこれ考えずに楽しんで精進します。