よくわからないけれど、、。

80歳になった日の朝は、変わらず加工場でのお餅仕事。
今年の秋は毎日嘘のように暖かくでずいぶん楽をさせてもらった
けれど、流石にこの2、3日は冷え込んできました。
加工場の気温は2度。
霜で畑の花は全滅だろうから、仕事的にはこの先楽になって
内心嬉しい。

定時どおりに道の駅に出荷。
今のところコロナが落ち着いているからか、よくは分からない
けれど、宿代が安くなるとか食事代が何割引とかコロナ後の
地域ごとのキャンペーンで温泉に行く人が多いのか、ガラガラ
だった道の駅の狭い店内は連日の大混雑。平日、休日ほぼ変わらず
混雑するのはなんなんでしょうね。

出荷後は鳴子温泉の森の中の小さなログハウス、カフェレストラン
LIMEへ。ふたりのお友達と一緒です。


LIME のママさんも高齢者の部類。お孫さんがいるので文字通りの
おばあちゃんパワーですが、毎日2種類のランチ作りにコーヒー豆
の焙煎、地場産の野菜や山菜の漬物作りまでひとりでこなすツワモノ
女性です。料理が大変美味しい。コーヒーもばんばんお替りして
くれます。おしゃべりしたければ何時間でもいてね、というスタンス。

私はこのママさんとお客として親しくなったのではなく、私が宮城に
越して2年後に86歳で福岡から来た母が慣れぬ雪で大骨折し、入院した
温泉病院で同時期に入院していたママさんのお友達から自分の母親の
ように親切に面倒みて頂きました。それ以来のおつきあいです。

私の誕生日の当日は大入り満員。4つあるテーブル席は全て埋まって
お食事のお客さまですが、彼女は慌てず騒がず悠然と食事を出し、
おかわりコーヒーまで勧めてくれます。

今年の夏頃、ログハウスが古くなったので、今期限りでお店をたたむ、
という話を聞き、大慌てしたものですが、思い止まってくれたようで
安心しました。冬の間の3ヶ月のお休みが終わったらまた春に
会えるし、なにより高齢になればなるほどお店を閉めるのではなく
小さい規模でも開き続けていってほしい。そう思います。
閉ざしたら終わるから。再開はないからね、、、。

お誕生日だからと、お友達からご馳走してもらいました。
楽しい時間でした。

そして夜は本番の誕生会。

80歳というのはなんなのか、特別の節目なのか、今日の誕生会は
私は主賓で何もせずに待ってればよいらしい。
うちの誕生日は続いていて、私の前日は女の子の孫、翌日が私、その
次は娘と3連チャンの合同誕生会です。

千葉にいる長男夫婦に次男、娘夫婦に孫から大掛かりにプレゼント
をもらい、お金も労力も費やして豪勢な食事を準備してもらい、
ついには花束を贈られ、東京銀座の千疋屋のケーキまで届くという
豪華版。

いや、ほんと、80だわ。
千疋屋のケーキはフルーツ主体の冷凍だけれど、解凍しても美味しく
頂けました。ひと昔前なら考えられない。

中一になる孫からもらったプレゼント。
上は数年前にもらった青セキレイ。常に持ち歩くのでだいぶ汚れて
きました。
今回のは数年前に天国に行った私の愛犬春ちゃんそっくりの黒ラブ
ラドール。バビーは私の呼称でなぜか私はバビーなのです。

次は次男から届いたターエンチェックの本。

ついこの間までポーランドのヤノフ村の絵織物にハマって
調べたり織ったりしていたのですが、今度はスコットランドに
はまりそうです。

これはヤノフ村の織り方で「サバンナの夕焼け」です。
左からヒツジ、キリン、ダチョウ。。お気に入りの絵柄です。

80歳になって今思うこと。

病気はありますが、耳も目も体も今こうして元気で日々を送れる
要因はなんだろう。と考えると、
よくはわからないけど、後期高齢者になっても役割りがあること。
やりたいことがたくさんあり、付随して友達や仲間がいて楽しい
ことが多いこと。達成したい目標があること、等々。よくは
わからないけど。

体がまだ元気であるのは、これもよくわからないけれど、40代から
60歳まで山を歩いて、1日中歩くのは当たり前が体に染み込んでいた
こと。今はそんなに歩けないけれど、疲れて休みたくなっても休まず
止まらず、超スローで歩き続けるのは習慣になっています。

しかしいつまでこの生活が続けられるのかはわかりません。
2年か3年か5年か。

でもこうしていられるのは周囲のみんなの協力や応援の賜物です。
歳を重ねても扉を閉めず開いた扉でまた次の扉を開いて、1日
1時間を大切に過ごしていきたいと思います。

お祝いしてくださったみなさん、ありがとうございました。



70代の終わりの日に

80年も生きてきたとは信じられない思いだけれど、とうとう80歳に
なりました。

70代の終わりの日は、朝はまず1番に仕事。
今の体力を考えるとたくさんとは言えないけれど、日々決まった量
のお餅を作って道の駅に出荷する日常は変わりません。

このところ天気が良くて、葉を落としたクルミの大木の上に広がる
空は真っ青。周囲の樹々は琥珀色に色を変え、イチョウだけが黄金
色に輝き、集落のあちこちには大きな木に鈴なりの取らない柿の実
が目立ちます。

道の駅でお餅と切花葉牡丹の出荷を終えて、病院に向かう道々の
空一面に一列だったりVの字だったりと自在に形を変えて列をなす
雁の群れを見ました。飛来したのかこれから田んぼで朝食なのか。

私の受診科は呼吸器内科。
たまたまのタイミングでこうなったのだけれど、先週、今週と
2度ずつ市民病院で受診することになり、合わせて4回、予約時間
もなんのその待つこと2時間近く。本が読めて嬉しいのは1時間
くらいで、2時間ともなると目も体も待ちくたびれて疲労困憊。

検査なしの今回は待ち時間も少なく早めに終わって、調剤薬局に
薬をもらいに行ったらここも混雑で、だいぶ待ちました。
東北の小さい町だからこのくらいの混雑で済むけれど、これが
東京近郊の大病院だったらどれだけ待つんだろう。と60歳を過ぎて
都会を離れて引っ越してきた自分の境遇をありがたく思います。
明日80歳がこれだけ待つのはしんどいわ。

ようやく薬をもらって、車で10分ほどの友人が営むパンとランチの
カフェ「青い虹」まで行ってやっと休憩。
この友人もパン作り一筋の年季の入った70歳超え。息子さんに
お嫁さんが来てからランチを始めました。

彩豊かなランチを食べながら、これまで訊かなかった彼女の歴史を
初めて聞いて一驚。感心し感銘を受け面白かったからここに書いて
おきます。
お医者さんの娘である彼女は高校でお嬢さん学校に入ったとのこと。
勉強には熱心じゃなかったけれど、学校のプログラムで行った施設の
子どもたちの姿に惹かれ、こどもに関わる仕事に就こうと一念発起、
必死に勉強して国家試験を受け保育士免許を得、自分で保育園を
作ったとのこと。こどもと関わるうちにこどもたち良い食事をと
考えお菓子やパンを作ったり粉を学んだりするようになったとのこと。
パンの味に自信がなくて、有名パン屋さんに味を見てもらいに行き、
全然褒められなかったとのこと。ああでもないこうでもないと
パン作りに励むうちに人や縁に恵まれて本気でパンを焼く場所に
出会い、自分で作った保育園を人に譲ってパン作りの道に入ったのよ、
とのことでした。

彼女との付き合いは長いけど、大好きな人だけど、自分で保育園
を作ってしまう力強い人とは知らなんだ。面白くてますます大切な
人になりました。

実は一昨日にも病院に行って生検のために足の皮膚を切って縫った
ところがまだ痛んでいて、ランチの後、仕事をする気にはなれず。
まっすぐ帰宅してロールキャベツを作って70代最後の1日は終了。

そして最後に驚かされたのは郵便受けに入っていた1枚のハガキ。
4年前に合併で廃校になった集落の小学校跡地にジビエ処理施設が
できるそうな。

今年の夏から秋にかけて最も悩まされたのはイノシシ被害でした。
お盆や彼岸の忙しさが終わって草を刈ったら、これは掘り易くなった
と思ったのか、掘って掘りまくって崖は崩れ歩こうにも歩けないほど
の乱暴狼藉。向こうに見える花の畑に辿り着くのも一苦労です。

熊なら人がいるよ、と大声を出したりラジオをつけっぱなしたりする
のだけれど、イノシシばかりは人と出会うとどんな行動をとるのか
わからなくて、ネットを張り巡らした畑の中で切花を切る作業中も
木が折れる音やがさつく藪が気になって怯える日々でした。

栗の実が落ちる時期は、イノシシに落ちた栗を食べに来られたくなくて
毎朝早起きして、ボールと火挟みを持って栗を拾いました。

動物を殺したいとは思わないけれど、そんな悠長なことも言っていられ
ない昨今、ジビエもまたひとつの道ではないかと思わせられます。
この集落では狩猟免許をとる人が増えてきました。うちの婿さんも
そのひとり。

なによりジビエにびっくりしたイノシシが近づかなくなってくれれば
一番いいのだけれど、と淡い期待を持つのですが。

明日から80歳。
体力を考えて身の丈に合った形での仕事をしつつ、ゆっくり丁寧に
行きたいな、と思っています。