ロイズバッグ発送終了/明日はフェスティバル

紅葉が里にもおりてきて紅葉見物のピークは今。

鳴子峡や鳴子の山々は今が身頃とは思うのだけれど、行けないので薄っすらと紅く染まり始めた鳴子の

山を向かう道すがら撮ってみました。

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あれから1週間。

明日はぐんと寒いというから、いっきにすすむかもしれません。

鳴子温泉近くにある「あ・ら・伊達な道の駅は」観光のお客様で連日大混雑。

そして道の駅の生産者である私は日頃の倍くらいの量のお餅仕事と、ロイズ新聞バッグの発送と明日10月

30日にあ・ら・伊達な道の駅で開催する秋のお祭り「サンクスフェスティバル」の準備に翻弄されて

疲労困憊。

急にきた寒さも手伝って珍しく体調不良。

昨日はお餅仕事とロイズ発送のみにして、1日家で休んで今日は、いよいよ明日の祭りの最終準備で道の駅へ。

まずは大切な看板の準備をします。

折りよく東京から里帰り中の海山メンバーミワちゃんに文字を書いてもらって立派な看板が完成。

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さすが師範。 立派な看板ができました。

日頃いろいろと考えていてもできないことをお客さまと一緒に楽しむ交流の場。

10月30日午前10時から。

是非道の駅にお立ち寄りください。道の駅の文化祭、「サンクスフェスティバル」をお楽しみください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

秋の花/修行

近頃めっきり寂しくなった直売所の切り花売り場。

お盆から彼岸にかけて、押すな押すなの大盛況で切り花のバケツが並んでいたのが、この2週間ほどで

すっかり少なくなった。ということは、花を売り切ってしまったか、盛りを過ぎて出せなくなったか、

そんなこんなの理由で出荷できる花が生産者の手元になくなったのだと思う。

そんな中で大健闘しているのが、けっこう長い期間、青と白の孔雀アスターを出し続けているMヒコさん。

今朝直売所で出会って、「孔雀アスターずいぶん長く続いて凄いですね」と言ったら、

「今日で最後。もう色ぬけてきたけど、他の花が出て来ないからがんばってんだー」と。

 

Mヒコさんは野菜と花の出荷者。

年齢を訊くと必ず[天皇陛下のひとつ下」という答が返ってきます。曰く数えの83歳。

いつも大変元気でこまめに身体を動かして、息子さんが栽培する花を運んできたり、すまっこ野菜と称する

独自の野菜を出荷したり、農閑期には藁を編んだ手作り品やひょうたんや木片を削ったり磨いたりして

作った素朴な飾り物や独楽なども出荷します。農業の合間の手隙仕事なんだけれども、Mヒコさんが

作る手作り品は、素朴でそこはかとなくユーモアを感じさせられます。

 

道の駅が始まって15年間、花の生産者仲間として接してきたMヒコさんについて思うのは、休む時がある

のだろうかというくらいに勤勉。いつも先の展望を考えていてひとつところに留まっていないこと。農業や

自然について詳しくて、質問すると打てば響くように応えてくれます。人の悪口など一切言わない。そしてど

んな時も烏合の集にならない独自の位置を外さない。

 

子供の頃から80歳を超える現在まで、きっと自然と向き合って生きてこられたのだと思うけれど、Mヒコさんと

お話すると、自然というのはこんなふうに人を育てていくのかと不思議な気持ちになります。

 

「秋の花がなくなりましたね。毎年こんなふうじゃ困るから、来年は組合で10月咲き、11月咲きの菊苗の

購入を考えましょうか」という私の提案に

「今年から減反になったから、来年は花の作付けを増やそうかと思っているんだ」といかにもMヒコさんらしい

答えが返ってきました。病気をされないようにがんばってほしいと思います。

 

この紅葉シーズンのお客様が多い中での切り花の少なさ。

どうしたもんだろうと思っていたら、加代ちゃんの秋咲きの菊が咲き始めました。

よかった。菊は普通に見ればどれも同じ菊だけど、お盆の時期や彼岸の時期の菊の花はその時節に咲く菊で

それが秋に咲くということではなく、9月咲き、10月咲き、11月咲きとあって、茎や葉はいかにも咲きそうに

伸びても花は咲かない。咲きそうな感じでも咲かない。開花がヘンに律儀なのが菊の花です。

 

もち米を極めたくなって、数ヶ月前からお赤飯を作り始めました。

どんなふうにすれば美味しいお赤飯が作れるのか。

電気釜で炊いてみたり、もち搗き機で蒸してみたり、タイマーで蒸し時間を測ったり、小豆を煮る時間を測ったり、

いろいろいろいろ。でもやればやるほど難しい。タイマーで測ったって全然同じ仕上がりにはならないし・・。

で、近頃解ってきたのは、一番解り易いのは自分の手の感触じゃないのかな、と思うのですが、熱いのよ!

そんなことばかりやって、指がまっかっか。

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今朝のお赤飯は14パック。

未だ修行途中。あまりたくさん作りたいとは思いません。修行、修行・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

楽天優勝バッグ/学芸会&ピアノ発表会

まだ稲刈りが終わらない田の稲は、黄金色がもっと深く濃くなったような黄色。

色のなかでもこんな色があったのかというほど美しい黄色。

毎朝道の駅に向かう田んぼの中の道を走りながら、この美しい風景の中に今在ることの至福、そして感謝。

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この1週間は独り言も呟やけないくらい行事が多い日々でした。

 

新しいご縁で、楽天の関係の方に依頼された新聞バッグつくりの講習。

ならば講習の前に、手持ちの新聞で作ったバッグを差し上げようと、黒田さんに作ってもらった楽天優勝時の

新聞バッグ。久しぶりで見たら、やっぱりその時に心が戻って感動します。

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そうだった、そうだった。普段野球を見ない私でさえ俄か楽天ファンになって、毎試合固唾を呑んで見守りました。

そして勝った時の嬉しかったこと!

これで復興ができる、というわけではないのだけれど、これで傷ついた心が治るというわけでもないのだけれど

でも宮城の人間はみんな一丸になって応援して心から喜んだ楽天の優勝でした。

こうして新聞バッグを見るとその喜びが甦ってきます。そしてもう一度優勝してほしいな、と心から思います。

 

週の初めには、北海道当別町からみえた方々と夜の懇親ご飯の会。

当別町は昔岩出山伊達家が北海道に渡って開拓した、深い繋がりのある姉妹都市。

役場、商工会議所、地場産品を販売する直売所のお三方との、町づくりやこれからできる道の駅や直売所運営の

苦心等々、話は多伎に渡って実に面白く有意義な時間を頂きました。

北海道には枇杷やイチジク、柿や筍など採れない野菜や果物がいろいろあるのは知っていたけど、サトイモが

採れないのは知らなんだ。採れないというより温度が低いから小芋がつかないのかもしれない。

 

翌日は孫の小学校の学芸会。

後2年で合併なので、残り少ない大切なこの集落の小学校の学芸会なのです。

朝4時半起きで、お餅仕事を終らせ、小学校へ。

会場の体育館には座布団を並べ毛布やショールを身体に巻きつけた保護者に混じって、由美さんや黒田さん

のお母さんも見にきてくれてます。

特別参加のぽんぽこ保育園の子供たちの可愛らしさもさることながら、気合の入った踊りを見せてくれる1年生

7人の 花笠踊りが圧巻!腰が入ってる!

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気合が入り過ぎて、花笠の花が吹っ飛んで行くやら、一人で踊ってマイペースやらで、可笑しいのと楽しいので

笑いが止まらない。手拍子ついでに「アンコール」「アンコール」と声をかけたら、ほんとにアンコールで踊って

くれました。小学校の学芸会で「アンコール」は初めてだよ、と由美さん、大笑い。

 

6年生は太平洋戦争の沖縄戦を描いた「ひめゆり部隊とよばれて」という難しい劇に取り組みます。

見たこともない、今では滅多に聞くこともない沖縄のひめゆり部隊という看護学生から見た戦いの終りの

姿を現代っ子の6年生たちはどんな気持ちで演じているのか。興味深い演目でした。

 

次の日は隣町、加美郡やくらいにあるコンチェルトハウスでの孫のピアノ発表会。

ずいぶん長い間来なかったやくらい。何時の間にこんなお洒落な建物ができたんだろう。

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ヤギが飼われている。

窓越しなので、初めてこんなに間近にヤギの顔を見ました。

昔からヤギ好きの私は幸せ。1匹欲しいんだけど、大きすぎて持て余しそうで飼えません。

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春の男子ピアノクラブコンサートでは緊張して少し間違ってしまい、気落ちした孫。

今回はスムーズに2曲弾くことができました。

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間違えようが怖気づこうが、決して諦めないように、押したり引いたり励まし続けてくださる先生のおかげです。

 

あと残るは合唱大会のみ。

これで秋の学校行事は終り。

紅葉が進んで、次は道の駅イベントや研修旅行、大量の数の新聞バッグ作りと次の段階が始まります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

野菜入れバッグ講習/国際ガールストーク

まだ10月の初旬だというのに、朝晩初冬のように寒い。

今からこんなに寒かったらこの冬はどんだけ寒くなるんだろう、と不安。

すっかり秋景色の中、一昨日はとなり町田尻の社会福祉法人施設で新聞バッグの講習。

講師は上條さん。私は相変わらずの口だけの補助役兼付き添い。なんの付き添いだか・・。

うちから車で15分くらいの隣の町なのに行ってびっくり。赤ベコがいました。

赤牛は九州の阿蘇あたりにはたくさんいるけど、東北では見かけません。それも肉牛というのでさらにびっくり。

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牛ってなんか人が良さそうで、近くに寄るとなんだかんだと声をかけたくなります。

「こんちわ」と言ったら、じーーーっとこっち見てる。

 

さて、今日の講習はここの施設で作った野菜を販売するためのものだそう。

見せてもらった野菜は、珍しい細いレッドパブリカ。ピーマン、枝豆など。

入れる数量を考えながら、スタンダードの新聞バッグを教えるのではなくて、野菜に合わせた形を

ああしてみたり、こうしてみたり。

決まったところで講習開始。

初めての新聞バッグ作りだというのに、講習を受けてくださった3人の職員さんたちは、とても面白そうに

いくつもいくつも作って笑顔。中のお1人は取っ手作りがとても上手。

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3時間でこの数!

どこで新聞バッグと出会われたか、というと一昨年のアースデイの時。

海山ブース、海山と親戚筋の田舎郡東北村ブースの傍にブースを作って品物を売ってました。ほっかぶり

市でも販売したころがあります、ということで前からのお知り合いの仲だった模様。

3時間の講習が終った頃には、日も落ちかけてすっかり寒くなり、疲れと寒さで風邪ひいたような気分になり

夜の道の駅会議は欠席することにしました。

 

夜、3ヶ月の予定でマレーシアで仕事に就いていたmichikoちゃんが戻って顔を出してくれました。

7年近いマルタ島での生活を終了させて日本に戻り、仕事のため次はマレーシアに行って、帰ったら

日本に落ち着きます、なんて言っていたけど、久しぶりに見るmichikoちゃんは元気そうで、「また行くな。

マレーシアが気にいったな。日本には戻らないんだな」という雰囲気充満。

 

なにやら面白いお土産もらいましたよ。

なまこ石鹸だって。昔サイパンの海に入った時、水底に隙間がないほどナマコがいるのにぎょっとして、

海に入りたくなくなってしまったけれど、あのナマコ?

包装が素敵。参考になる。

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台所でお勝手仕事をしながら聞く、アラフォー娘とアラサーmichikoちゃんの国際ガールストーク。

聞くともなく聞いての感想は。

「日本という国籍があってよかった!」

タイの国王が亡くなってその後を次ぐ王子の刺青いっぱいの身体をニュースの写真で見ると、「おお、

国王が変われば国の政治も変わるかもしれない」「今まで歓迎された外国人が疎まれるかもしれない」

なんてことを考えます。

難民の増加で悩むヨーロッパの国々も然り。アジアの国々もちょっとした何かの変化で滞在外国人の

生活環境にも変化が起こっても然るべし。そんな時帰る国があるというのは幸せなことだと思う。

あと10日もすればまた日本を離れるアラサーmichikoちゃんに私が贈る言葉は、

「よその国の人を好きになってもすぐにその国の人にならないでね。日本の国籍もちゃんと持っとくのよ」

わかったようなことを言いました。まだ30歳になってないんだから。

 

しっかり働いてお金を貯めて、私も来年の春休み、孫連れでマレーシアに行ってみよう~。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

出会う/新聞バッグコンクール

朝、道の駅への出荷後、四万十で行われる「新聞バッグコンクール」の参加賞を届けに、鳴子温泉に行く

途中、ウオーキングストックを両手にせっせと温泉街の道路を歩く西田社長を発見。

西田社長というのは、1年のうち、5月と8月と10月に1ヶ月間鳴子温泉に逗留して、東鳴子温泉の

逗留旅館から鳴子温泉の喫茶店、たまご屋さんまで晴れても雨でも毎日歩かれている千葉県の

会社社長さん。けっこうな距離なので、これを毎日歩けば相当な足腰の鍛錬になるだろうと推察します。

年齢は私と同じ70代半ば。

 

私は西田社長とたまご屋さんで出逢いました。

いつもたまたまなんだけれども、何度もお会いするうちに、豪放磊落でどんなお話をしてもホッホーホッホー

と笑っていらっしゃる朗らかなお人柄が大好きになって、年3回鳴子に来られる日が楽しみになりました。

口癖は「200歳まで生きる」

私は200歳までなんてまったく生きたくないけれど、人生最終盤、こんなふうに明るく元気に生きられたら

いいなあ、と思います。

その他にもたまご屋さんで、たまたまお会いして、また、たまたまお会いすることになってという具合に

徐々に徐々にお知り合いになる方が増えてきました。

喫茶店という場所には、いろんな境遇のいろんな職種のお客様がいらっしゃって、コーヒーを飲みながら

お話するので、勉強にもなるしとても面白い。

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西田社長と並ぶのは、埼玉からみえる佐藤さん。

こけしについて実に詳しい、岩手について実に詳しい、たぶんその他にも詳しいことがいろいろありそうな

佐藤さんとも、たまたまなんだけれどもよく出逢います。

「たまご屋人名録」というような本でも書いたら面白いかもしれない。

 

上條さんと一緒に上野々スキー場のレストハウスでランチ。

ここのお昼のおまかせ定食は、食材豊富で安くて美味しいお勧め品。

料理の腕前がいい、とかではなくて、食べる人の身になって気持ちが込められたような昼ご飯。

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いよいよ年に1度の四万十、RIVERに於いての新聞バッグコンクールが開催されます。

材料が新聞紙という性質上、毎年毎年新しいデザインを、というわけにはいかないのだけれど、昨日仕上げられた

上條さんの岩手国体新聞バッグを見て、今年はこの新聞バッグを出品したいと思いました。

これまでコンクールに出品されるデザイン豊富な新聞バッグを見てきて、新聞紙を編んだり色を塗ったり、驚く

ほどの素晴らしい工夫をされた新聞バッグが多いのですが、私の好みとしては、町や人や出来事を輝かせる

ようなそんな新聞バッグが選ばれたらいいな、とそんなことを思います。

 

最初に出品したのは5年前。東日本大震災の年の秋で、東北に住む私たちの手元には悲しい記事の新聞紙

しかなくて、そんな新聞紙で作った新聞バッグを出品したことを思い出します。

他所の土地の新聞紙と私たちの新聞紙の記事のあまりの違いに違和感を感じたり、ショックを受けたりしましたが、

今は普通の紙面になって、記事を楽しめるようになりました。

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何度見ても素晴らしい岩手国体新聞バッグ。

よっちゃんは新しい新聞バッグを思いついたとかで、今「おらの新聞バッグ」を制作中。

どんなのができるか楽しみです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

海/新聞バッグは素晴らしい!

朝、道の駅で両手に菊の花束を持ったお客様から[どっちがいいと思う?」と訊ねられました。

60年配のとても優しいお顔立ちの小柄な男性のお客様で、問われているのは、手に持つ菊の花束と

まだバケツにある千日紅の花束とどっちがいいと思う? と。

お墓に持って行かれるのだったらやっぱり菊のほうがいいのではないか、と。日持ちもいいし・・。

という私の言葉から、「実はね、うちの息子のお墓に備えたくて」と、亡くなられたのはたった一人の

息子さんだということで、石巻の海でほんとうに気持ちが優しくて病気ひとつしなかった息子さんがたった

1日で亡くなってしまった、とお話を聞かせてくださいました。

見ず知らずの私なのに。

 

聞いているうちに私も息子さんの海での死が、残念で残念で仕方がないような気持ちになりました。

こんな素晴らしいお父さんなのだから、きっと優しい素晴らしい息子さんだったのだろう、と思って。

そしてふっと、数日前に南三陸のけい子さんのうちに行ったことを思い出しました。

新聞紙をヤマトに運んで発送するつもりが、用意している間にヤマトに運ぶくらいだったら直接持って行っちゃおう

とばかりにけい子さんに連絡もせず、南三陸まで走っていったらけい子さんは留守。

新聞紙を玄関口に積んで、そのままUターンして帰ってきました。

 

その帰り道、志津川の土盛りの山の合間合間からチラチラと覗く海を目に入れながら、そうだ、私は

夫が亡くなってからずーっと海に行っていないんだ、ということに気づきました。

そして「海には行きたくないな」という自分の気持ちにも初めて気づいた。

 

そのことを思い出して「海に行かれます?」とお客様に聞いたら、「海が見えたら目を背ける」って。

同じですねえ、と二人で笑ってお話しました。

私がお勧めしたとおり、菊の花束を買われたお客様が、息子さんの分までずっとお元気でいらっしゃるように。

そんなことを思った道の駅の朝でした。

 

いよいよ10月の連休。1年で1番忙しい紅葉シーズンの始まり。

お餅を搗く量が普段よりぐんと増えるので、シーズン中、失速しないよう体力温存、ゆっくりしっかりお餅屋

稼業をがんばっていかなければならないのだけれど、新聞整理もほうってはおけないので、このところ直売所

当番の日は新聞整理と日課が決まってます。

 

出荷後、直売所に行ったら、上條さんが依頼した岩手国体の新聞バッグを作って持ってきてくれました。

10月1日の全国酒の日と岩手国体の際の岩手日報新聞紙。

その紙面が生きるように、とお願いしておいたら、こんなふうに素敵に作ってくれました。

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そしてこっちは記事を生かした素敵な小バッグ。

こうしてみると、新聞バッグは未だ東北の生活を補うひとつの商品ではあるけれど、そこを超えて、新聞紙を

使った手の仕事としての価値を感じます。

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もうすぐ新聞バッグコンクール。

よっちゃんは新作発表するらしいけれど、この岩手国体新聞バッグもコンクールに出場してほしい。

だれか作って~~。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本業に復帰/新聞整理/移住

10月2日日曜日。

午前4時に起き、温泉に入って昨夜のほろ酔い気分を振り捨て、今日はそれぞれの中断した仕事に戻ります。

午前8時までに古川の事務所に出勤する黒田さんを盛岡駅に送り、途中、東北道のSAで朝食をとり、

よっちゃん夫妻&上條さんは稲刈りに。上條さんは今日は機械が入らないスマッコ刈り(田んぼの隅っこの

稲を手刈りする))担当だそう。

私は家に戻ってあんころ餅を搗き、道の駅へ出荷。その後は直売所の当番をしながらの新聞整理。

 

先月まで農協に置かせてもらっていた新聞紙を直売所に引越ししてからの新聞整理なので、山積みの

段ボール箱は整理しても整理してもなかなか片付きません。

9月半ばに、黒田さんが直売所の前の家を購入して引っ越してきました。

直売所まで歩いて来れるようになった引越し片付け中のお母さんが、ひょっこり顔を出してくれて「手伝いますよ」。

申し訳ないと思いつつ、有難いお言葉に甘えて手伝ってもらってずいぶん仕事が捗りました。整理した新聞紙を

折り手さんが待つ南三陸や古川の復興住宅に運びます。

 

夕方古川まで出て、帰りに岩出山町内に滋賀県から越してきた新しい住民、長澤さん宅へ。

富良野GROUPの新しいお芝居、倉本聡作「走る」に向けての準備期間が始まり、滋賀県大津市の集客協力を

打診されて、滋賀県なら長澤さんだ、とお願いに伺いました。

長澤さんが越して来られたのは今年の春。ご主人、奥様、お二人ともの教職を退職されてからのこの先の

新しい暮らしをこの岩出山で始められる、という選択をされたご夫婦で、森の中の仕事を希望されたご主人は

森の木の伐採のお仕事に、そして薬草研究家の奥様は、石巻のハマナス復興プロジェクトを手伝いながら

アルバイトにお仕事もという生活を始められました。

 

もうひとつ、奥様の希望は岩出山の町に小さい絵本図書館を作ること。

時折りお宅の前を通る度に、表のガラス扉越しに、少しずつ増えていく絵本を「増えてくなあ」楽しみながら

眺めていたのだけれど、今日行ったら大人の本も増えて、工夫を凝らした本棚に並んでました。

こんなふうになったら、外を通る人も「この店なんだべな」という気持ちになって、絵本図書館にも入る人増える

んじゃないのと思ったら、さにあらず、「高校に勤めることになったのよ」と聞いてびっくり。

 

え? 学校の先生はもうやらない。これからここでのんびり暮らすんじゃなかったの?

ほんとに人生不思議なもので、私も60歳でここにきて、花を植えてハーブ園をやろうかなあ、と考えたことは

あったけど、まさか仙台市場に行くような花屋になって、そのうえお餅屋になるなんてまさかまさか想像した

こともありませんでした。でもこの15年、生きてる間にそうなっちゃたんだねえ。

長澤さんもたまたまのことで、少し離れた町の高等学校に先生として復帰することになったのだそう。

他所の土地から来た先生だから、この土地の良いところも足りないところもたくさん気づいて、それをこの地

の純粋で素直に育った子供たちに伝えられる良い先生になられることだろう、と思います。

勇気と決断力がなかったら、まったく違う土地に飛び込んで生きよう、とは思えないから。

 

長澤さん宅に入って行ったら、奥様はセンター試験を受ける高校生に1対1の勉強指導中。

お邪魔をしないように、森の中で木を伐る肉体労働を頑張っておられるご主人とお話してきました。

教職とはまったく畑違いのお仕事なのに、なんだか楽しそう。おまけに少し頼もしくなられたようにも見えます。

新しく選択された人生を生き生きと過ごされている姿は、傍から見ていても嬉しいし安心します。

肝心の集客協力のお願いは、京都や大津の舞台関係のお知り合いを紹介してもらえることになり、こっちも

なんとかなりそうでほっと一安心。

 

真剣な表情で高校生に向き合う長澤奥さんの姿を見ながら、なんだかわからないけど嬉しいような気持ちに

なって帰って来ました。

なにが嬉しいんだろう。新しい生活を始めた人の足が、徐々に地に着いていくさまを見せてもらえるのが嬉しい。

そんなとこかもしれない。はっきりしないけれども。

家に戻ると、南三陸からの移住者、たかこさんからのサンマが届いていました。img_0319

たかこさんの後主人は純粋の漁師さんで、今は北海道でサンマ漁。

東日本大震災からのご縁が続いて、こうして私も北海道のサンマを頂ける幸せ。

こないだ歌津のむっちゃんから頂いたサンマは塩焼きで食べたので、今度は全部3枚におろして今夜のオカズは

蒲焼です。孫が喜ぶわ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新聞バッグワークショップin岩手/きき酒/乾杯/鶯宿温泉

10月1日、日本酒の日。

岩手県酒蔵組合主催の第15回世界南部杜氏サミットで新聞バッグワークショップをする日。

もうひとつの大イベント、岩手国体開催初日でもあります。

午前4時起き。お餅をついて丸めてあんころもちに仕上げて8時道の駅へ。

家に戻り、道具の準備をして待機中のよっちゃん夫妻、黒田、上條、のメンバーとともにいざ岩手県盛岡へ。

雨が降ったり止んだりの日々なのに、幸運にも今日は快晴。

高速道を走りながら見る岩手の景色の美しいこと。黄金色の稲田は刈り取りを待つばかり。

 

「新聞バッグにお酒を入れて」という企画のお話を、岩手のお酒作りの老舗、わしの尾酒蔵さんから頂いた

のはもうだいぶ前のことです。以来、お酒を入れる新聞バッグのサンプルを作ったりの準備期間を経て、

サミット当日の今日は、「親子で新聞バッグを作ろう」ということで、お子様づれのご家族に新聞バッグの

作り方のワークショップをやることになりました。

当初の予定では、初めての講習なので作り易い小バッグということになっていたのですが、岩手日報さんが

用意してくださった国体開催の新聞紙面があまりに素晴らしいので、急遽紙面の全体が生きる大バッグ作り

に変更。

 

5年半新聞バッグ作りをやっていて、初めての方、それも小さい子供さんにまで、のっけから大バッグを

作ってもらうなんて、こちらもやったことのない暴挙というのか挑戦というのか・・・。

大バッグは新聞紙5枚重ねて作るので小さいお子さんにはなかなか困難な部分があると思います。

でも作り始めた以上は、全員に仕上げて頂きたいので、こちらもメインインストラクター以下、本気ムードでの

対応です。

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だいぶ大変な面もあったけれど、小さい子供は子供なりに大人はちゃんと大人なりに、みなさん立派に

大新聞バッグを作り上げてくださいました。

作ったドーッ!の図。

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ワークショップが終って第2部は、前回わしの尾さんにお邪魔した時に、よっちゃんが乗り気になって「海の手

山の手酒の会」というチーム名で申し込んだ「いわてきき酒まつり」。

無論メンバー全員きき酒大会に出るのは初めて。普段はお酒を飲むこともないので、全く勝手が解らないながら

神妙に順番を待ち、この小さい杯を持ってきき酒に臨みます。

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5問マッチング競技。時間は9分。

チーム、個人、上位2名は東京で開催される全国きき酒選手権大会の出場権を得る。

5種類のお酒を20回味わう形なんだけれど、まあ、思ったよりわからないこと、わからないこと、全然わからん!

お手上げ状態。10点満点の1点もとれる自信なし。

きき酒を飲んでしまった上條さんが4点獲得しました。呑んだだけあって立派!

 

そして第3部は全国一斉イベント「日本酒で乾杯パーティ」

ご好意でこのパーティにも参加させていただくことになりました。

会場には南部杜氏で有名な岩手のお酒がぎっしり並び、会場の外では、先日初めて新聞バッグ作りに挑んだ

わしの尾社長トモさんの力作、お酒が入った三つ折り新聞バッグがずらりと見事に出来上がってました。

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午後6時、全国で一斉に「乾杯」をするのだそうで、私たちも一緒に「カンパーーイ!」

日頃は馴染みのない岩手のお酒をあれこれ飲ませて頂いて、全員楽しい気分で宿泊先の鶯宿温泉へ。

 

日本酒の日があることも知らなかったし、岩手できき酒まつりがあることも知らず、毎年全国一斉に同じ時間に

「乾杯」がなされていることも全く知りませんでした。

でも今回初めて参加させていただいて、大変楽しかった。

何より、これまでさほど興味を持たなかったお酒に親しみが湧き、これから寒さに向かう今、少しづつ嗜んで

来年もきき酒大会に出場できたらいいな。

ほろ酔い気分で鶯宿温泉の夜が更けていきます。