多忙

福島視察、10月11日の「海山マーケット」開催の準備、倉本聰作の舞台「屋根」公演のための実行委員会

立ち上げ、ロイズ新聞バッグの10月分の発送、に毎日のお餅仕事とやるべきことが重なりまくって、頭と

身体がパンクしそう~。

仙台の男女共生参画財団主催の福島視察ツアーに参加してきました。

福島へは行きたいな、と思ってもなかなか原発事故被災地を見られる機会はなくて、これまで一度も行って

いません。大型バスでの30人ほどの女性ばかりの視察旅行でしたが、心から行ってよかった、と思います。

感想は簡単には言えない。書けない。ほんとうにたくさんの困難が存在していて、解決するには長い長い時間

がかかる。  留まるも離れるも正解なんてない。ただひたすら、この困難な土地で生きぬこうとする女性たちに

幸多かれ、と祈るばかりです。

 

ほんとうは1泊2日の行程なのだけど、2日目の午後は1年生の孫のピアノ発表会の予定あり。

福島2日目のスケジュールに未練を残しながら、朝の新幹線で福島駅を発ち、大崎に戻ります。

このところ、気持ちが落ち着くのでしばしば缶詰になりに行く喫茶風庵。 ここでノートの整理をしたり、書き物を

させてもらっています。

お昼代わりにコーヒーとスコーンのセット。おいしいよ!

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隣り町。加美町中新田の田んぼの中の音楽堂バッハホールへ。

小1の孫の出番は初めから5番目。これまでの本番というと、4歳でピアノを始めてから二度、一関の男子ピアノクラ

ブのコンサートを経験してますが、男子ピアノクラブは成人から幼稚園まで男子ばかりで構成されているので、女の

子と一緒の発表会に出るのは初めてです。

女の子の衣装の可愛らしいこと、華やかなこと。

今日の孫の演奏曲は映画「天空の城ラピュタ」の主題歌、久石譲作曲「君をのせて」。

どうなるかとハラハラだったけど、見事に最後まで弾き終えました。

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それにしても、このバッハホールの音響の素晴らしいこと。ピアノの音色が天から降り注ぐような・・・。

練習の時、リズムを乱さないように唄いながら弾いていたから、次には弾いて唄いたいと思っているようです。

今日の成功は、ピアノに人としての礼儀にひたすら厳しく優しく指導してくださった佐々木先生のおかげ。

ありがとうございました。

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あやさんの孤軍奮闘の働きのおかげで、今月分ロイズ新聞バッグの発送が終わりました。ほっ! 安堵の吐息。

次々にお世話になったあちらこちらの方から海山マーケット用商品が送られてきます。

明日から整理に入ります。

楽しいマーケットにします。みなさん、是非お立ち寄りくださいね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「海山マーケット」開催のご挨拶

このところ、10月11日にあ・ら・伊達な道の駅の中央ホールで開催する「海山マーケット」のご案内の葉書を

書いては送る作業をしています。でもお名前とお顔は知っているけれど、どこにお住まいかは知らないお客様も

いらっしゃるので、ここでマーケットにお誘いのご挨拶を致します。

 

新聞バッグの感謝のお祭り、「海山マーケット」を開催します。

 

東日本大震災から4年半。

震災直後に発足した「海の手山の手ネットワーク」は、多くの皆さまからの応援をいただいて、

今も活動を続けています。

4年以上にも亘って、英字新聞やドイツ語新聞を送り続けてくださっている大学、企業、団体や個人の方々。

いただいた新聞で作ったおよそ8万枚にも及ぶ新聞バッグを購入してくださる方々。

皆さまの応援のおかげで、海の手と山の手の仲間は「手仕事で復興」を合言葉に新聞バッグを作り、

心の元気を取り戻すことができました。

これまでのお心遣いに感謝の気持ちをこめて「海山マーケット」を開催し、お世話になった皆さまの商品を

新聞バッグに詰めて販売します。

 

「東北応援隊」の手作り菜種油、納豆、うどん。「富良野からは白樺の樹皮「ガンピ」やラベンダー。

新聞バッグの生みの親「高知四万十」からは特産のお茶、紅茶。「東北村」は工人たちがつくるこけしや

昔懐かしい木地玩具とつながるお菓子のクッキー。滋賀県長浜市の「ウルズ」さんの天然鰹出汁と絵本。

松島「鈴国」さんの牡蠣せんべい。その他その他、ロイズの新しいコーヒーもあります。

 

私たちはこれほどたくさんの皆さまのお世話になって今があるのだと実感します。

今回の商品はこの4年で心を繋いだ方々の商品のごく一部。2回目、3回目のマーケット開催を目指して

歩みを進めてまいります。

 

紅葉の1日、ぜひ「海山マーケット」そして「あ・ら・伊達な道の駅」をお楽しみください。

 

そして今日のロイズバッグ検品の進捗状況。

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完璧でない新聞バッグはこうして1枚1枚どこが悪いか紙に書いて、作り手に返します。何度も繰り返すうちに

見事な新聞バッグを作れるようになります。でもね、検品も悪いところを1枚1枚書くのも実は大変。

あやさんがやってくれてこその検品作業。ごくろうさまです!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シルバーウイーク終了

今日はお彼岸の中日。昼と夜がおんなじ長さの日。

明日からお昼の時間がだんだん短くなって日暮れが早くなると思うと寂しいです。もう明日から冬至が待ち遠しい。

 

昨日考えたことを忘れないように書いておきます。

昨日、南三陸でピラミッドのように高く盛土した台地に作られた新設道路を走りながら思ったこと。

「阿蘇山の山岳道路走っているみたい」

なんで阿蘇山かわからないけど、周囲木がなく土しか見えないので草千里を蛇行しながら走るイメージか?

その後、

「今地震きたらどうなる!?」

こんな作ったばかりの土盛りの上をダンプとか大型トラックとかがんがん走っていて、今震度6.5か7くらい来たら

道路がぺしゃんこになって私は車ごと落ちる!! 作ったばかりの盛土なんて絶対壊れる!!

 

栗原の内陸地震、311、先日の大雨の近所近辺の強烈な土砂崩れ、などなど経験したものだから、もう私は

見かけきれいな地面なんぞ全然信用できなくなっているのです。

私がここに越してきた時、うちの前から町へ抜ける町道は半分しかできてませんでした。その翌年だか国体が

開催されることになって突貫工事で残り半分が開通しました。工場が誘致されている地域ということもあって見かけ

は両側森の中を走る雰囲気の良いきれいな道路です。が、311の地震の時の壊れ方といったら、ほんと凄まじ

かった。突貫工事の盛土だから完膚なきまでに壊れたのだと思います。直すのに不通にして2年くらいかかりました。

これから南三陸に行く時には違う道探そう。

 

シルバーウイーく終了しました。

お餅つきが忙しくて黒田さんに手伝ってもらって切り抜けました。餅つきが忙しいといえど、ロイズ新聞バッグの

発送時期を変えるわけにはいかず、検品待ちの新聞バッグ入りダンボールが積み重なって我が家のリビングは

このとおりの有様。

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かわいそうにうちのオトーサン、ダンボールの間から写真の顔がのぞけてます。

シルバーウイークの間仕事が忙しくて検品にこれなかったあやさんが今日から検品再開。黒田さんと二人

フルスピードの検品が始まりました。

後数日この有様で私はダンボールに囲まれて暮らします。がんばろう!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さよなら、セブンイレブン

今日は父の命日。4年前の9月22日のお昼頃に91歳で父が亡くなりました。その前日21日の朝に母が。

父は1ヶ月ほど入院していたけれど、母はがんと解って3週間で、二人して24時間経たないうちに一緒に旅

立ちました。ちょうど稲の穂が今日のように黄金色に輝く時期でした。そのひと月後に父を親身に介護してくれて

いた夫のがんが判明。2年後のやはり9月半ば、稲田が濃い黄に変わる頃に亡くなりました。だから私もなんとなく

自分が死ぬ時は9月、稲田が黄金色の時じゃないかな、と思っています。

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シルバーウイーク4日目。お餅をつく量が急激に増えて、一人でやるのがへばりそうになり、朝は黒田さんに

助っ人を頼んで道の駅にも出荷に行ってもらいました。

おかげで少し楽になって、私はロイズの新聞バッグを回収に南三陸のけいこさん宅へ。

 

ここまでで半分。

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登米市中田町かな? この先すぐに北上川の堤防に出て、土手の道を走ります。それからふたつみっつ山越え

をしてトンネルを抜けると南三陸町に入ります。はっきりとは忘れたけれど、南三陸町に入ってすぐ「みなさんの

支えのお陰で今日もまたがんばれる」とかなんとかの標語が目につきました。面白い。

 

エジプト国の砂漠地帯のように土の山が連なりまくった元の志津川の町。今は町の面影はなく、とんでもない高さ

の土山が連なった上を道路が走っています。ということはこの土の山々は町を作っているのではなくて道路を作って

いるのね。「復興道路」と大書された大看板があるけど、「復興道路」ってなんだ?

意地悪で言うわけではないけど、この仕事やってればこの先ずーっと食いっぱぐれはないね、とどうしても思ってしまう。

 

10月1日よりまたもや道路の行方、走り方が変わるんだそうです。今もけいこさんのところに行くのに、自分で道を

選ぶというより作られた道路に乗っけられるがままに走っているようなもんだけど、次に来る時のは「私どこへ行っ

ちゃうの」みたいになるのかもしれない。

そしてその道路変更に伴って、大震災直後から訪れる人の灯台のようだった仮設のセブンイレブンがなくなるだろう

と聞きました。

標識も電柱も目印になるものが何もないすっからかんになった志津川に1軒だけあったセブンイレブン。

被災した人たちのために、訪れる人たちのために、大きな大きな役割を果たした忘れてはいけないセブンイレブン。

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忘れないように写真に残します。

 

早く来たのでおしゃべりして新聞バッグを積み込んでも2時くらいに終了。

時間があるので、菊の先生Oさんの新しいお住まいに寄るつもりだったのだけれど、本当に残念なことにOさんの

弟さんが亡くなられたばかりだと聞いて止めました。大震災時、流された0さんのお宅は道路を挟んで海側。弟さん

のお宅は山側で、私が初めて行った時山側にある弟さんのお宅の壁に自動車が半分くらいめり込んでました。

Oさんはもう船を降りられてしまったけれど、弟さんはまた船のお仕事に戻られたそう。新しいおうちもできたのに

急に亡くなられてOさんはどんなにかお力を落されていることでしょう。ご冥福をお祈りします。

 

家に戻ってけいこさんが持たせてくれた秋刀魚を蒲焼ふうに、小アジを南蛮漬けに。

久しぶりにまともに料理をしました。しないと秋刀魚と小アジに悪いから。

今年は栗が豊作のようで、栗山に家を建てたような我が家の庭は落ち栗だらけ。

食糧安定で、今年は仔熊が増えるかもしれないです。お腹空かしていないと思うと気はやすまるけれど・・。

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海山マーケットのご案内

昨夜の雨は嫌だった。 周りは大体そんな思いだったようで、大丈夫かなあ、と安心して眠れなかった。

気仙沼のほうでは浸水した家があったのかな?

午後は岩出山の支所で「屋根」公演のための実行委員会立ち上げ目前会議。ヘンな名前だけど、実行委員会

を立ち上げるためにどんな手続きが必要なのか市役所の担当者にうかがいました。

自分たちだけでやるサークル的お芝居公演ではなく、大崎市共催、道の駅協賛という形がある以上、避けては

通れない関門で、解らないことばかりですがとにかく教えてもらって前へ進みます。

 

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9月初めの朝日新聞大阪版に、以前から前田記者に取材して頂いていた高知県四万十と東北海山の新聞バッグと

の取り組みを載せて頂きました。

その数日後に、大阪府南河内郡河南町のグランドゴルフ連盟世話役をなさっているM氏から、お電話がありました。

10年間と決めたゴルフコンペでの支援金を、朝日新聞で見た私たち海山に贈りたい、というお話で、支援金を贈って

頂くのならば、そのお金で新聞バッグを作ることにしました。新聞バッグの折り手にとっては大きなお仕事になります。

 

またべつの話で、私が卒業した高校の同窓生で、大震災直後から毎月1000円を支援金用口座に振り込んでくれる

友人がいます。この間通帳記入してみたら何時からか2000円になってました。10000円振り込んでくれるのも

ありがたいけれど、その後音信普通になるよりも、こうしてずーっと東北を忘れずにいてくれることに私は深く

感動します。私だったらできないかもしれない。このままずーっと続けてくれるのだろうと思います。私が「もういい

から」と辞退したとしても。2ヶ月に1度の年金支給月に年金の一部を3年間送り続けてくれた友人もいました。

最初の頃、海山に全然お金がない頃、この支援して頂いたお金でパソコンを買ったりしましたが、新聞バッグ

のお仕事だけで海山が継続できるようになってからは、東北子供の村に送ることにしました。東北子供の村は

親を失った子供を家庭のような形で育ててくれる村です。

 

10月11日に海の手山の手ネットワークは、あ・ら・伊達な道の駅のホールをお借りして、新聞バッグの感謝のお祭り

「海山マーケット」を開催することにしました。

4年以上にも亘って英字新聞、ドイツ語新聞を送り続けてくださっている大学や企業や団体、個人の方々。頂いた

新聞で作った新聞バッグを購入してくださる方々。

たくさんの方々に応援して頂いての今、感謝の気持ちをこめて、お世話になった方々の商品を新聞バッグに詰めて

販売します。

東北応援隊の手作り菜種油、納豆、うどん、ずいぶんお世話になた大津市ウルズさんの鰹出汁、富良野のガンピに

ラベンダー、四万十のお茶、その他その他。私たちはこんなにたくさんの方々にお世話になって今があるのだ、と

実感します。

 

河南町のグランドゴルフ連盟さま、福岡のKYさん、ありがとうございます。 遠いところでいらして頂くことは無理

ですが、お世話になった皆様に感謝をこめて「海山マーケット」の案内状をお送りします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

また雨が・・・・・。

今、外はひどい雨です。

今日のお昼、自分ちの上の土砂崩れの現場を見に行って愕然!

なに? これ。 えーーーーッ、凄い崖崩れじゃないですか。

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うちから見ると下の部分だけしか見えなかったから、よそに較べたらたいした崩落ではない、と思ってました。

でもこれは深刻な崩れ方で、なんか血の気が引いたというのか、頭が痛くなってきて見上げる度にゾツとします。

松山のお友達Kさんから、うちの土砂崩れを見ると「悪夢のような土砂崩れ」を思い出すとメールが来ました。

311のときにできた亀裂で秋の長雨でKさん宅では3箇所の大きな土砂崩れが起こったとのこと。

私も311の後は家の敷地のどこかに亀裂ができているんじゃないかと気が気ではなく、山側にある娘夫婦の家が

土砂崩れに巻き込まれるんじゃないか、と心配しました。

災害は忘れた頃にやってくる、というけど、ほんと、忘れちゃいけない。

 

忘れてはいけない。次に繋ごう、という意思を持って、海の手山の手ネットワークでは10月11日にあ・ら・伊達な道の

駅のホールにおいて新聞バッグにモノを入れて販売するイベントを行います。名づけて「海山マーケット」

「海山マーケット」ではこれまでの4年半にお世話になった、そして心を繋げた方々の商品を新聞バッグに入れて

販売するつもりです。その話をいろいろ詰めるために、今日はPM6時からその海山ミーティング。

みっちり3時間。

さすがに疲れた。

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まだ雨音が続いてる。早く止んでくれますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まるでファンタジーのような・・・。

朝10時から道の駅で社長、よっちゃんとミーティング。

昨年の秋に新聞バッグに関連して四万十ドラマの方々と一緒に富良野を訪問した際に、来年の倉本先生のお芝居

「屋根」がとても素晴らしいんだ、と聞きました。大掛かりなお芝居なのでしばらく上演されなかったが、来年は7年

ぶりに上演されるとのこと。

「岩出山にも来てもらえるんですか?」と聞いた結果が、本当に来春岩出山の小さな文化会館スコーレハウスに

来て頂けることになって、今日はその実行委員会の立ち上げについての第1回目の打ち合わせなのでした。

 

私たちの町の会館は小さくて客席500。もしかすると全国24箇所の公演場所の中では1等小さくて興業的には

あまり喜ばしい数字を挙げられるところではないのだろうと思っています。それでも上演して頂けることになったの

は、倉本先生、富良野演劇グループのみなさま、そして大崎市、岩出山の次世代にほんものの演劇を観る機会と

場を提供したいとの考えで応援してくださるあ・ら・伊達な道の駅の社長お陰です。

 

本当に有難いと思います。

新聞バッグからご縁が繋がり、お芝居のことにはとんと疎いよっちゃんと私が繋ぎ役になったこの度の「屋根」の

公演ですが、全くの実力不足ながら来春の公演が成功するように真摯に課題に取り組んでいきたいと思っています。

この「屋根」というお芝居は今も人気を保つ黒板五郎さんと純君、蛍ちゃんの物語り、テレビドラマの「北の国から」

の元になるお芝居なのだそう。これからポスターやチケットなどできてきます。みんなで観ましょう!

 

今日道の駅の社長とのミーティングで驚くような楽しいお話を伺いました。

なんと社長は20歳の頃、コーラスで宮城県大会を突破し、全国大会で優勝を飾ったそうなのです。コーラスとともに

演劇もあったが、演劇も県大会で優勝したとのことでした。社長が合唱をなさっていたなんで、素晴らしいお話では

ないですか。それにこの町でそんなに演劇が盛んだったなんて!

先日お話した市の職員の方は、「いやあ、自分も若い時にバンドで楽器演奏してたんだ。今はやってないけど」と。

若かかり頃のバンドのお仲間は今もこの町におられるはず。若い時の楽しさをもう一度思い出してください。

そして議員さんに「屋根」の話をしたら、「私はミューじカルに出たことあるよ」と。

 

今就かれている役職やなさっているお仕事からは想像もつかないのだけれど、芝居や音楽のお話をすると若い頃に

はやっていた、という方が多く、またそのお話をされる時には楽しそう。

 

そんなお話が聞けるとも思っていなかったので、思わぬ副産物というか、「屋根」のお話を持っていきながら、今度は

どんなお話が飛び出してくるのか、楽しみになりました。

「素晴らしい舞台だ」と富良野でTさんに聞いた「屋根」が私たちの町で上演されることも、お会いする方々から夢を

追いかけていた時分のお話を聞くことも、まるでファンタジーのように私には思えます。

それにしても社長の歌声、聞いてみたいなあ、と思った時からこれまでと全然印象が変わってしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

道の駅に感謝

東日本大震災の後、海山を始めてから1年ほど一緒に活動した小玉さんの家が、大崎市の渋井川の堤防決壊で

冠水しました。

「何したらいいと思う?」

「手伝いに行きたいけどそれもねえ。お見舞い持ってくというのも違うし・・・」

朝の道の駅でばったり出会った栗ご飯弁当を持ってきたよっちゃんとの会話。

これ、大震災後の会話とそっくり。同じようなことを言っていたことを思い出します。

 

帰って小玉さんに電話をしてみると、今必要なのは水に浸かった家具から出したモノを入れるダンボール箱と

水を吸わせる新聞紙。ということで、なるほど聞いてみなきゃわからんもんです。

 

そういえば栗原の内陸地震の時に、何をしたらいいですか?と栗原市役所に聞いたら「支援金は要らないので

栗原の道の駅に直接聞いてくれ」と・

で、栗原の道の駅の店長さんに電話をしたら、「お金よりもお客さんが来ないので、ここで品物を売って賑わって

ほしい」と言われました。栗原の道の駅は山の崩落でその先全然進めないというどん詰まりの地理状況。

道の駅の近くでは自衛隊の人が近隣の人のためのお風呂を仕立ててましたっけ。

その要望を聞いて栗原から1番近いあ・ら・伊達な道の駅では生産者の生産物などを集めてワゴン車に積んで

栗原道の駅まで販売に行きました。直接販売に慣れたよっちゃんが大活躍で売りまくって2時間ほどで完売。

そのお金を栗原道の駅に置いておそばを頂いて帰ったことを思い出します。

 

さて、話は戻ってダンボール。最初海山ダンボールとかよっちゃんなんばんダンボールとかと考えたけど、ハタと

気づきました。道の駅には毎日入荷する商品の空きダンボール箱が山ほどあるじゃないの。早速S部長にお願いし

てみると社長の許可を頂いて間に合うくらいのたくさんのダンボール箱を用意してくれました。

ありがたい!道の駅は買い物をしたり、生産者が品物を売ってお金を稼ぐ場だけではなく、社会的な困難が

起こった時に援助してくれる場でもあります。大震災の時には決して休まない炊き出しでした。

道の駅から頂いたダンボール箱と新聞バッグ用英字新聞紙を山ほど積んで古川被災地の小玉さん宅へ。

 

もう水は引き、田んぼの黄金色の稲が倒れず立っているのを見て安堵。

だいぶ片付いたのよ、とはいうものの、道路や庭先に置かれた布団や畳などを見ると大変だなあと思います。

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大震災の後、あれほど沿岸部の方たちのために働いた小玉さんが今度は自分のうちが被災するなんて・・・。

「今、私って被災者?」と笑顔の小玉さん。

自分でも信じられないようなその逆転がなんだかおかしくて・・・。順繰り順繰りですね。何より家も人も無事で

よかった。沿岸部から越してきて新しく建てた家が冠水、という方もおられます。

 

夕方家に帰ってテレビをつけると、画面には熊本の阿蘇山の噴火。

大雨に地震に火山の噴火。次々に起こるこの自然の変化。お願いだから雨だけは降らないでほしい。今は。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

土砂崩れ

土曜日は久しぶりに晴れ。

うちの上の自分で建てたログハウスに住むNさんは自力で土砂をどけると朝からねじり鉢巻で奮闘中だけど、人力

で除けられるような土砂じゃありません。流れ出た土砂よりも恐ろしく感じるのは、土砂で埋まった側溝から溢れ

た水が表土を洗い流し、道路の低いところを削りえぐり取った深い溝。いくつもいくつもの口が開いた溝にタイヤを

とられそうで危険このうえなし。

緊急ということで由美さんのだんなさんのお友達の業者さんにみてもらいました。今の状況ではどこの業者さんも

道を塞いだ土砂を除けるのに大忙しだと思いますが、午後修理に入ってもらえることになって一安心。

 

今日は夫の命日で3回忌。バタバタしながら近所のお寺さんでお経を上げて頂きます。我が家のマネージャー由美

さんも一緒に来てお団子作ってお供えしてくれました。

その後は中山平温泉の旅館琢秀でお昼ご飯、温泉(うなぎ湯)休憩。あれやこれやゴタゴタしていて大忙しの

夫の命日だけれど、生きている人間も大事なので、あの世でオトーサンが「いいから、いいから」と言っているに違い

ありません。

帰ってみると、道は修理の真っ最中。 大口開いてた溝はきれいに埋められていました。

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まだ修復途中の土砂崩れ現場。

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大雨が降っても側溝が土砂で埋まらないように、新たにU字管の工事してきれいで安全な道に直すにはどの

くらいお金かかります?

とちょっと聞いてみたら100万円はくだらない、ですと・・。ガーーーーン!!!

先の内陸地震ではボーリングのポンプが壊れ、その2年後の東関東大震災ではまたもやポンプが泥を噛んで壊れ、

加工場は斜面を滑り落ちてお金かかったのに、今度は100万円! 3ケタなんて信じられない数字だわ。

 

夕方土砂崩れで家に閉じ込められている畑の花のおじさんのところに食糧の供給に行ったら、自力で脱出した後

でした。車1台通る道を自分で掘るのはずいぶん骨が折れたことでしょう。丁度救援の方がみえているところで今日

明日中には通れるようにするそうです。

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ついでに集落の中を見て回ったら、崩落はどこもかしこも息をのむほどひどい。

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これあっちこっちの崩落ではなくて、おじさんちから300メーターくらいでこれだもの。町全体でどれくらい崖崩れが

起きたのか相当なもんだと思います。

雨の威力、自然の力。今回はほんとに怖いと思い、本気で考えねばと思いました。今のところは家と人間は

大丈夫だったけれど、想定外が起こる前に。

 

今朝の新聞は黄金色の田んぼの頭も見えないほどに冠水した湖の中の町のような大崎市、古川周辺の写真が

載っています。胸が潰れそう。稲刈り前、大豆の収穫前。大震災で直した家がまた水没の方もおられると思う。

でもへこたれないで進みましょう。100万円にはへこたれるけれど・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大雨の後

ああ、やっと1日が終わったというのが今の心境です。

昨夜は強烈な雨音で眠れなかった。明け方外を見ると、田んぼは無事。冠水していない、とほっとしたのもつかの間

以前に私も花の栽培していた畑の持ち主、花のおじさんから「出入り口の崖が崩れて出入りできなくなった」とTEL。

そのうち、よっちゃんちの田の畦道もなくなり、橋が落ち、朝のうちで町内60箇所以上の救援要請が既にあることが

判明。

度々かかる電話で話しながら外を眺めると、どうもうちの敷地の色がヘン。泥色に見える。

ヘンだなあ、と思って外に出てみると、この通り上の家までの私道で3箇所も斜面が崩れて道路を塞ぎ、流れ出た

土砂は我が家に押し寄せてました。車の車輪が沈むくらい。

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土砂の堆積よりも問題なのはたたきつけるような雨にうたれてあちこちに穴が開いた道路。

タイミング悪く熱を出した孫を病院に連れて行くために車を出したところが、やっぱり泥に埋まって、掘ったり押し出し

たりしてようやく発進。この土砂の重いこと!

たっぷりを水を含んだこれほど重い土砂を掘って掘って人を救ける自衛隊や消防隊員の方々のご苦労が心から

偲ばれます。

 

明日は夫の命日で東京から息子二人が嫁さんと戻ってきます。どうやって迎えに行けばいいんだ、と頭を悩ませ

ましたが、夜にはどうにか家族の顔がそろいました。実に疲れる1日でした。

雨はやみました。今晩降ったら本気でやばい、と怖かったけれど止んでくれてよかった。外の泥んこの処理は

これから考えます。

それよりも家が流れたり浸水したりの栃木や古川の方々がとてもお気の毒です。大震災で壊れた家の修理を終え

た方も多かったでしょうに・・・。昨夜は眠れなかったでしょうから、せめて今夜ひと晩暖かく過ごされますことを祈ります。

 

とにかくまたもや一歩一歩。家も人間も無事、怪我もないのだからなんでもできます。

たくさんの方からお見舞いのお電話をいただきました。ありがとうございました。