鳥海山へ

7月24日。ついに、鳥海山登山の日。

空模様は残念ながら雨。それも大洪水であちこちの町で被害が出るほどの大降雨。
でも標高の高い山ではもしかすると晴れるというまではいかないまでも、曇りくらいなら
期待できるかもしれないと決行することになりました。

新潟からやってくるリーダーの高田さんは、既に前日から鳥海山の登山口、鉾立駐車場に
いて、登山ルートの確認や雨で登れない場合に行く場所の選定などいろいろやってくれている
様子。本当にありがたく安心です。

早朝5時起きで朝食用サンドイッチを制作後、待ち合わせ場所の鳴子温泉駐車場へ行ったらば、
なんと同行者が1人増えていてびっくり。。リー先生の友達のブラッドリー君で、同行するのも
アメリカ人なのも構わないけれど、とても山に登るとは言えないティーシャツ、短パンの軽装。
どうするんだろう。寒いだろう、と心配しながら出発。

同行は、リーダーに高田さん、パーシモンのマスター、土屋さん、チヨさん、に私は60代、70代。
若手は鳴子で温泉研究中の野田さん、地域起こし協力隊員オサム君にブランデン・リー君に
ブラッド君。で20代、30代、40代。

道中はずーっと雨。
秋田県に入ると少し小雨模様になり、これなら登れるかもしれないと淡い期待を持ちながら
2時間半ほどで鳥海山象潟コース登山口、鉾立駐車場に到着。
嬉しいことに、先日栗駒山山行にご一緒した鹿野さんが来てくださってました。
障害者登山のサポートをなさる鹿野さんは、前日山梨県の大菩薩峠にサポート登山をした後、
いったん新潟に戻って鳥海山まで来てくださったとのこと。ほんとうに懐かしく嬉しいことです。

雨にけぶる鉾立駐車場。鳥海山5合目、標高1150m。
駐車場には山荘がふたつと、ビジターセンターがあり、ビジターセンターには鳥海山に魅せられて
200回以上登ったという高田さんが撮った写真が常設展示されているとのこと。
山を下りてから見に行きます。

小降りになったり本降りになったりしながら雨は止まず。
でもせっかく来たので全員雨具着用、ブラッドには寄せ集めの衣類を着せて、登山開始。

登山道沿いに本来なら見えるはずの奈曽渓谷は何も見えず、視界ゼロ。
夏の花はもう終っていて、登山道脇で目立つのは鮮やかなオレンジ色のクルマユリくらいで
あとは緑々の夏山そのもの。1時間登れば(私の足では1・5時間)賽の河原の草原でニッコウキスゲの
群落が見られるそうだけれど、雨で動きが悪いのと、私のような超シニアが足を引っ張るので、一行
なかなか進みません。

40分ほど登ったところで、「これ以上登っても雨が止みそうにないので下山」と高田リーダーから指令。
まあねえ、進みたい気持ちはあるのだけれど、、雨に濡れながら6合目まで登ったところで花の群落
や眼下の日本海が見られるわけではないので、「ただ登る」という行為だけになるのも悔しいことです。

私のような年寄りがいなかったら、若い人たちはもっと先に行けただろうに、本当に申し訳ない。
とは思うのだけれど、でも止めようとは思わないので、若い人たち、ごめんなさい。
迷惑かけても遅くても、行く気満々は変わりません。

下りの途中、突然視界が明るくなり、何本もの白い谷筋を見せて奈曽渓谷が姿を現しました。
これぞ本当に東北の山らしい佇まい。裾野を日本海まで広げる独立峰、鳥海山は東北で一番
高い、どこから見ても姿が美しい山です。

いくつの時だったか、50歳代で私はこの奈曽渓谷を眼下に見ながらこの登山道を登り、鳥海湖を廻って
頂上まで行かずに下山したはずですが、見事になーーんにも覚えていない。

傘をさすほどの雨の中、山荘で昼食タイム。
面白いね。みんなそれぞれにラーメン作ったり、お握り食べたり、お国柄でパン食べたり。

食事後は、高田さんの写真を見にビジターセンターへ。
春も夏も秋も冬も朝も夕方も雪の日も、その一番美しい一瞬を写し撮ろうと、鳥海山のあちこち
でその時を待つ高田さんの心が感じられるような数々の写真を見せていただきました。

そして山に登れなかった代わりに、高田さんの案内で、鳥海山麓中島台獅子が鼻湿原へ。

出つぼ(別名熊の水飲み場)といわれる湧水池4ヶ所から湧き出た水が、約16ヘクタールの湿原
を形成する獅子が鼻湿原は、私の目から見ると水の湿原!
長年山に登って尾瀬やその他の低山、高山の湿原を数々見て来ましたが、これほど水が美しい
湿原に入るのは初めてでした。

大きな大きな奇形ブナがあちこちで見られるブナの原生林は実に美しく、日本一幹が太い「あがりこ
大王」と名づけられた奇形ブナの木や、湧き水が白い水煙を立てて流れる渓流や、見どころはたくさん
あるのですが、私はとにかく湧水の上を歩いているようなこのブナ原生林の水に惹き付けられました。
大きな大きなブナは水をはらんで、途中で切ったらどっと水が吹き出るのではないかと・・・・。

遊歩道の最奥に何百年かどっしりと構えて生きてきた日本一にブナの大木「あがりこ大王

「あがりこ大王」の前でアメリカ二人。

雨は止まなかったけれど、ほんとうに楽しい鳥海山行でした。

獅子が鼻湿原を出て、鳥海温泉で休憩。温泉に入って汗を流し、庄内でとんかつを食べ、また
2時間半走って鳴子に戻り、今日1日の行程が終わりました。

ほんとうに楽しかった。
鳥海山行リベンジは9月終りの予定。
メンバー全員元気でまた一緒に行けたら最高です。

この歳で、この歳だから感じられるのですが、ほんとうにやりたいことがやれる、ってどんなに元気が出る
ものか。そしてもうできないだろう、と思っていたことが、人に助けられてやれるって、どんなに幸せな
ことか。いろんなことがもうできない、と思ってしまう今だからこそよく解ります。

そう考えると体が不自由な方や目が見えない方をサポートしながら登山をなさっている鹿野さんは、様々
なことができないと諦めている方を、どれほど元気つけられていることか。
高田さんを通じてお逢いできたこと、ほんとうによかったと思います。

9月末まで2ヶ月。
昨日も今日も、足跡印の万歩計を見ながら、1日4キロ歩きます。

 

 

 

巴旦杏・内川を歩く

昨日の夕方、古川の市街地で信号待ちをしていたら、私の車の真横で空から
鳥が降ってきて、ゴロンと地面に打ち付けられて痙攣。大きな鳥でカラス?
よくわからないけど、助けに行こうとしたら信号が青に変わって、対向車が
鳥を踏まないように進んできたので救出を諦めました。

そして今朝道の駅に行く山道で、またもやカラスが落ちて、これは絶命。
なんなんでしょうか? なんで飛ぶ鳥が落ちるんだろうか。
気味悪いというか、なんでなのかなあ、とひっかかります。

さて、この地に越してきて植えた巴旦杏。
何年かかったんだろう。ついに家族で食べるほどに実がつきました。
表側に植えたプラムは虫がついたり鳥が食べたりで、全然人の口にははいらないのだ
けれど、なぜか裏の巴旦杏は虫からも鳥からも見放されているのか、たくさんなって
孫と初収穫しました。
巴旦杏はすもも。この辺では「バタンキョ」とも言われるらしい。
味は売っているのと遜色なく、甘くて美味しい。

そして「赤毛のアン」で読んで憧れて、植えたクラブアップル。
これも今年初めてたくさん実をつけました。 が、たぶんこの実は生では食べられない
のじゃないかしら。美味しそうに見えるのだけれど、ジャムとかシロップとか用の
実だと思います。花は桜よりピンクの色が濃くて綺麗なんですが・・。

とりあえずこれで我が家で取れる果物の実は、ブルーベリーまで入れると、クリ、李、
胡桃、夏ハゼ(ヤロッコハチマキ)、クラブアップルの5種類。
しかし植えてから収穫するまでの歳月は10年以上。
「実が採れるようになったら自分も歳をとって梯子に登るのが苦労だわ」と笑う
さくらんぼ農家のツネコさんの言葉が身に沁みます。

ウォーキングを始めて1週間。
パーシモンのチヨさんと私のよそ者二人は、夕方涼しくなると、小さな岩出山の町の
あっちを歩いてみたり、こっちを歩いてみたり。
そしてそのウォーキングはこれまで知らなかった岩出山の町の発見に次ぐ発見です。

一昨日は町の中を流れる内川に沿って歩ける道の始まりから終りまで歩いてみました。
ほんの一部しか知らなかった内川は川沿いの遊歩道を歩くだけでも2キロ以上、ところ
どころに伊達家の時代からと思われる大木が見られ、人家や寺院を通り過ぎ、しっかりと
作られた小さな木の橋を渡り、最後は学問で町おこしを提唱した前町長が開いた
学問サミットの句碑で締めくくられました。

95年の最後の学問サミットで句碑に揮毫したのは
建築家の黒川紀章氏、東大教授で社会人類学者の中根千絵氏、芸術家の池田満寿夫氏、
作家の辺見庸氏。そうそうたる方々が力のある暖かい言葉を残しておられます。

そして昨日は疎水100選に選ばれた風情ある町中の内川ではなく、町から逆に山野に
向かって流れる内川沿いを歩きました。水量が多く、野趣豊かで最後は道から見下ろす
渓流へ。
日が落ちると熊出没が怖いので、2キロでUターン。
歩けば歩くほど、この岩出山の町は江合川と蛭沢川とに囲まれた水流の多い、水が豊かな
町だとわかります。

「岩出山ってすごいねえ! すばらしい町だね!」
これがチヨさんと私が毎日繰り返すあい言葉。
鳥海山へ行きたい思いから始めた町ウォーキングだけれど、鳥海山から戻っても続けようと
思います。

さて、今日はどこを歩きますか。

 

 

 

 

 

 

新しいストック・町中ウォーキング

夜中にひと雨。
起きたら止んでいたけど、なんとなくどこかで降りそうな空模様。

夕方は用事があるのでウォーキングをどこでしよう、と考えつつ道の駅へ。
新しい駐車場には観光バス、その他バスが5、6台。トイレに行った人も買物した人も
みんなバスに戻って、バスが去ったと思ったら、深グリーンの大きな自衛隊のトラックが
1台1台入ってきて、十数台ずらりと並んで圧巻。
このトラック、前部に「操縦訓練」と書いてあります。自衛隊で大型トラック(普通のトラックより
うんと大きい)では運転の練習は「操縦」というのだと、ずいぶん前に知りました。

自衛隊の隊員さんたちはとても礼儀正しいのですが、このトラック軍団より先に出ないと
駐車場から出るのに、うんと時間がかかります。

そのまま古川に出て、鳥海山へ行くためのストックを買いに山道具の店へ。
お店の人に「ええ?あなたが?」と思われそうで恥ずかしいのだけれど、山行を止めてから
15年以上経っているので、今風にストックくらいはあったほうがいいのでは・・・と。

しかしかっこいいけど高いわ!
両手に持つようにと2本組のもあるけれど、さらに高くて手が出ないのと、1本さえ持ったことない
のに2本突いて歩くのは自信がなくて、1本購入しました。
ついでに前から欲しかった手袋も。

昔は登山の道具も今のようにはカッコ良くなくて、とにかく命が護れる衣類と軽くてお腹が膨らむ
食糧と、ガスとコンロと寝袋と靴とそれだけを大切に、空手で歩いてました。

尾瀬、至仏山、ひうち、武尊、男体山、白根山、谷川岳、仙の倉、白髪門、平票、平ケ岳、守門岳、
浅草岳、栃木や群馬だけでももっともっといっぱい歩いてる。その他、山梨、東北、長野、南アルプス
等々、今考えると信じられないほどの山々を歩いて、よく無事に生きていたものだ、と今更ながら
幸運と神様のご加護に感謝します。

でももう75歳。
あと少し、行けるところだけ行って美しい山の景色を見せてもらいます。
そして山で使わなくなったら、老人歩行用杖で活躍してもらおうと思います。

ウオーキングももう6日目。
今日は階段登りを志して、まだ行ったことがない町内の八幡神社へ。
鬱蒼と暗い樹林の中の階段は、夜は怖そうで行きたくないので明るいうちに。
さまざまな種類の紫陽花が美しい参道です。

見るだに登り手がありそうな階段は200段。
健脚のチヨさんはまったく休まずに登っていきます。後を追う私はチヨさんのペースについて
いけず、50段でひと呼吸しつつ200段を登りきりました。
この本殿の手前に、伊達騒動を描いた山本周五郎のドラマ「樅の木は残った」で使われた
樅の大木があるそうなんだけれど、わかりませんでした。
こういうところはほんとうに、町を歩いてみないとわからない。

ウォーキングは雨が小止みの昼間に済ませて、夕方は草刈りと枝払い。
1日体を使って、今日は終わりました。
明日もウォーキングは続きます。全然やめられなくなってきた!

 

 

 

バッハオケ演奏会・ウォーキング

連日の猛暑の中、今日は朝から曇り空で少しだけ過ごし易い。

盛りだくさんのやらなきゃならないことが終ったからか、老人ボケしかけているのか
道の駅から家まで戻って、玄関前で停める直前、え?と思ったらガガガと音がして
車は左の斜面から落ちかけ寸前。
「え?」と思ったから停まったようなものの、思わなかったらそのまま進んで横転したかも。
えーー、なんで、なんで前進して斜面を落ちかけるの?

自分でなんとかしようと前進してみたり、バックしてみたり、2、3度やって深間に入りそう
で断念。集落の車屋さんに電話して来てもらうことにしました。

道路の修理をしていた上のログハウスのNさんも花のおじさんも来て、ああだの、こうだの
言ってくれるけれど、つまりはなんともできない車横転前引っかかり事件。

こんな時、後ろに行ったらいけないんですって。後輪が真っ直ぐだから行きそうになるんだけど
後輪のほうに進んだら前が落ちるんですって。落ちたら2転3転するのですって。こわ!
という訳でついに車屋さんに前に引っ張ってもらって正常位置に。
救急車に乗らずに済みました。

こんな事件勃発で間に合うかと心配だったけれど、予定どおり午後からは、黒田さんと一緒に
バッハホール管弦楽団第4回定期演奏会を聴きに隣り町のバッハホールへ。

今日の演奏はベートーヴェンの「運命」だと聴いて楽しみにしていたのだけれど、なんと午前の
部は思いもかけないドヴォルザークの「チェロ協奏曲」。
チェリスト三宅進氏のソロのチェロの凄いこと! いや、ほんと感動しました。

バッハホールを出る頃には雨。
農作物には待望の雨。数日前からウォーキングを始めた私にはなるべくなら止んでほしい雨。
なのですが、雨は止まず、ウォーキングは止めたくなく、止む無くずぶぬれでウォーキング開始。
一緒に歩くのはパーシモンのチヨさん。
高齢者ウォーキングだけど、1時間は歩きます。

晴れた日の河川公園。

河川公園を歩いて、城山に登って、足慣らしをしてあと10日したら山形県の鳥海山に
行きます。
楽しみだ!

 

 

 

4年ぶりの高知

連日、猛暑!

この暑いなか、もっと暑そうな高知に行ってきました。
高知大学地域協働学部の佐藤先生から声をかけていただいて、午前中の授業の時間に
1時間半、午後遅くから夕方にかけて2,3時間の新聞バッグワークショップをやることに。

遠くて悪いのでスカイプでというお話でしたが、相手の顔がそこだけしか見えないスカイプ
では話づらいので、お受けするなら直接にと4年ぶりの高知に行くことになりました。

大学に行くので上がっているのか、福岡研修、秋田研修、富良野な日にイスラエルのノアさん
の新聞バッグ修行など、いろいろあって頭が疲れているのか、3日前にとった新幹線の切符
を家に忘れるという大失態をやらかして、のっけから呆然!

その後もいくつかのアクシデントが続き、今日は高知に着けるのかと危ぶみましたが、新幹線で
東京へ、モノレールで羽田へ、羽田から高知へとどうにか無事に到着。モアーンと暑い空気と
佐藤先生に出迎えて頂きました。

今回はホテル宿泊は止めて、佐藤先生の大学職員宿舎に泊めて頂き、夜は翌日の新聞バッグ
ワークショップのサポート要員にするべく佐藤先生を特訓。どうにか覚えてもらったところで
翌月曜日は朝8時50分から授業開始。

1時間半の授業は聞いた時には、「長い!」と思ったけれど、実際に学生を前にして、海の手山の手
のこと、自分の移住のこと、移住後の生産者としての立場のこと、現在の東北のことなど、佐藤先生
の誘導でお話するのですが、情報量の多さは自分でも困るほど。
できるだけ、簡潔にとは思うものの、震災後の6年間の移り変わりや新聞バッグの広がりや、付随する
富良野との交流、ロイズ新聞バッグにイスラエルのことなど、我ながらこんなにいろんなことやったのか、
と思うほどで、せっかくノートを前に私に注目してくれる学生の皆さんの心に何か届いたのかどうだか。

あっという間に1時間半が過ぎ、その後は佐藤先生の研究室に移動して、新聞バッグを覚えましょうと
言ってくださる森先生をjワークショップの助手にするべく特訓。
さすが、大学の先生、短時間でしっかり新聞バッグを作ってくれました。

午後4時、元の教室に戻り、朝とは違う参加者に1時間の海山のお話、その後は2時間ほどのワーク
ショップ開始。午前の授業時間の学生のみが聴く雰囲気とは違って、も学生あり、大学の先生あり、
タイ国の大学の先生に留学生ありで、だいぶリラックスして楽になりました。
しかし、ぶっ続けなので体力的には超ハード。

新聞バッグの作り方を伝えることはどうにかできても、タイから来た留学生と先生に英語で
教えるのは冷や汗ものなのです。
日常会話はなんとかなっても、「出したい側をテーブル面に」などと日頃使わない言葉で
伝えるのはとても難しい。
通訳の男子学生が横にぴったりついてはいるものの、他の学生から「諦めるな!」と
激励される状況のなか、めでたくも佐藤先生、森先生のHELPの甲斐あって、全員7時には
作り上げることができました。
バンザイ!


日頃口ばかりで新聞バッグを教える機会をもたない私だから、海山のみんなを心配させて
しまったけれど、ちゃんとできましたよ~!
もっとやろうかしら、英語でやろうかしら、と欲まで出てきました。

嬉しかったのは、終わった後、「夏休みに岩出山に行っていいですか」と学生君の1人が
申し出てくれたこと。私も、と言ってくれる人たちが他にもいて、私の大忙しの説明で岩出山
に行ってみようか、と思ってくれたのだったらほんとうに嬉しい。

地域協働学部。地域を住民と一緒に考えようという新しい学部だと思いますが、今全国の
中山間地のどこででも必要としている重要な学問です。
上から目線で何かやってやろうではなく、学問として日本の中央部ではない地域を学び、
地域にとって何が重要か、何ができるのか、地域住民と一緒に考え行動してほしいなあ、と
願います。地域の中で暮らしてる私だから、その難しさもわかるのですが・・・。

夜は佐藤先生と森先生と一緒に居酒屋で、ビールで乾杯!

大学の先生とは思えないような可愛らしい森先生はお話するとなかなかタフで面白い。
またいつかどこかで必ずお会いしたいと願います。
高知大学での学生君たちと一緒の時間は清々しく面白かった。
夏休みには是非岩出山に来てくれるよう期待しています。

高知大学地域協働学部の佐藤先生、森先生、そして出席してくださったみなさん。
ありがとうございました。楽しかったです。感謝しています!また会いましょう!

 

 

 

 

 

ゴールデン弁当第2弾・ノアさんと食事会

朝のできごと。
道の駅に行く途中、国道を避けて山道を廻って行く道路で、明るい日差しの中、
ベタッと路上に横たわっている子狐2匹発見。
「死んでるのか」と思ったら、車が近づいた途端にピヨコンと起き上がって、藪に入っていきました。
わかりにくいなあ。

先に進むと、藪からトトトトッと歩いて出て来る雉のお母さん発見。ん?と思って車を停めたら、
5羽くらい一塊になった雛雉が母雉を追って道を横切りました。なんか怪しいと様子を見てたら
また5羽くらい一塊出てきて、中の1羽がとんでもない方向へ走って行っちゃったんだけど、大丈夫かね?

7月7日、七夕の日は仙台リビング企画佐藤農場梅狩りツアーご一行様にゴールデン弁当を出す日。
幻のゴールデン食堂で作るお弁当、春に続いて第2弾です。

朝9時、前回と同様タキイさん宅加工場に集合。

ゴールデン始って以来、山菜、野菜料理でプロ級の腕を発揮するクリちゃんのわらび煮。
由美さん、ミハルさんの海草料理、よっちゃん農場特製シューマイは玉葱、ズッキーニ入り、よっちゃん
農場製スペアリブ、カヨちゃんの肉巻き、クリちゃん、タキイさんのおこわに、ツネコさんのさくらんぼ、
ブルーベリー入り寒天。
スイーツは暑いので私のお餅はやめて、休日蕎麦屋ハガさんの凍らせた芋ようかん、汁ものは
七夕に入籍のコイズミ君の干しえび入り味噌玉を沸かした温泉水で溶きました。そして今回は岩出山の
卵やにも参加してもらって、鳴子で作った温泉卵に、中山平の温泉冷水。
そしていつもどおり、生産者と料理を繋ぐよっちゃんのイラスト上紙が圧巻です。
このイラストがなかったら、ゴールデン弁当ずいぶんつまらなくなってしまうのだけれど、よっちゃんは
忙しい中、必ず描いてくれるのです。

今回お弁当を食べる場所は、昨年3月、富良野GROUP「屋根」公演の時に、俳優さんたちの昼食
の提供を最後に閉店した、岩出山の古民家「凛彩上の家」。

中に入るのは1年ぶりです。
こんな立派な古民家を閉めたままでは勿体ないと常々思っているのですが、今回はゴールデン食堂
のために、役場から使用が許可されました。
埃をはらってふきあげたお膳を並べてみると、やっぱり本当に趣のある重厚なお座敷です。

役場から出てきて、お客様に「上の家」の歴史を説明してくれる安藤課長。

ほんとうにこの建物、お庭も保存されている古民具もトイレまで素晴らしいです。
畳み敷きの女子トイレというのは、ここくらいでしょう。

どれもこれも「本当においしい!」とお褒めの言葉をもらって、ゴールデン食堂、3時に終了。

家に帰って、高知大学で使うワークショップ道具を段ボール箱に詰めて発送。
家に帰って今夜の仕事用の米をとぎ、黒田さんちにノアさんを迎えに寄って、ノアさんとの食事会
会場の焼肉店へ。

東鳴子温泉の小さな焼肉店、来るのは今日が初めてです。
煙もうもうだけれど、肉も野菜もおいしく、ノアさん持参のイスラエル製ワインも持ち込みを許して
もらってかんぱーい!
腹いっぱい食べて笑って呑んで、9時半解散。
帰宅して明日のためのお餅つきを終え、超ハードな1日が終了。

明日は何もしない、誰にも会わない、フリーの日にします。
疲れた!

 

 

 

 

真室川へ

ノアさんが来てから、健康年齢維持のためのスクワットだの腹式呼吸だのを教えてもらって
やり始めたものだから、足が痛い、ふくらはぎが痛い、腹筋が痛い、背中も痛い!
あれもこれも、月末鳥海山に登るため、動ける年寄りでいるためと思ってがんばります!

山形への途中にある堺田分水嶺でスクワット!

 

今日は山形県真室川町で開催されているモノヅクリビトの祭典へ、ノアさんも加わった海山女子部
で向かいます。私が入ると平均年齢が一期に増して60歳越しになり、申し訳ない。

よっちゃん農場の高橋君が行って、大満足だったらしい真室川の手仕事の祭典。
どんなものだろうと好奇心に駆られて見に行くことにしました。

公民館を利用した会場は、1階2階の各部屋から廊下、和室まで利用して、趣味の域ではない
伝承された手仕事の数々が展示、実演されてました。
真室川の人ではない仙台からの出展者も何人か。

これがそのひとつ。
ドイツの藁で作る飾りもの、ストロースター。
これはほんとにびっくりしたのだけれど、このストロースター、ドイツの新聞紙を東京大学から送って
くださる桜井さんから、「以前住んでいたドイツで近所の奥さんが集まって作っていたクリスマスの
飾りものなのですよ」と冬になるとプレゼントされる繊細な藁の飾り物とおなじもの。

こんなところで見るなんて!
あまりにも繊細なのでクリスマスツリーに飾るのがもったいないような気がしていたのだけれど、
ここで見るストロースターはただ繊細じゃなくて素朴で力強い。

聞けばこのストロー飾りを作っておられるのは女性お二人。
仙台の方で、大震災後、なんとかという名前の麦を津波被害を受けた田で栽培し、このストロー細工を
作り始めてワークショップなどをしている、というお話をうかがい、大震災後の手作り仕事として
始まった新聞バッグとの共通点を感じて親近感を持ちました。

次は笹巻き。
これはどんなふうになっているのか、と前から疑問だった「笹まき」に挑戦。
しかしこの笹の葉の色、巾、の見事なこと。
「なんの種類の笹ですか」とうかがったら「普通のササ」ということで。

笹の葉で巻いたお菓子を作ってみたい私には、願ってもない挑戦のチャンス。
が、見るは易し、やってみたら全然易しくない。
2枚合わせた笹をくるりと舞いて、もち米を入れるまではできても、口で咥えた細い乾燥した草で三角の
端っこを巻いて結んでまた巻いて結んで、と言われても全然できない。
笹に巻いた餅米は蒸すのではなくて煮るのだそうです。

その他にも草や稲や麦や山葡萄のつるやあけび蔓など山野にあるものを利用して、籠に編んだり、
器や飾りものに編んだり、いかにも山形らしい手工芸がほんとうに素晴らしい。

来てよかった。いいものを見せていただきました。

今山形はさくらんぼの真っ盛り。
どの直売所に行っても店頭にぴかぴかのさくらんぼが並んでいます。
が、さくらんぼは、岩出山の私の集落の常子さんの苦節10年さくらんぼ(販売するまでに10年かかった)
を毎日もらっって食べているので、山形では目の保養。

 

山形に来たら是非一度は行ってみたい巨木ばかりがあるという「幻想の森」に行ってみたかったのだ
けれど、舗装なしの林道を20分以上走ると聞いて断念。
またいつか必ず訪れて、巨木の森に入ってみたいと思います。

山形へ行った帰りには必ず寄りたくなる堺田分水嶺で休憩。
よくよく説明を読んだら、奥羽山脈の中央であるここ堺田で、用水路のような小さい流れが突き当たりで
ふたつに分かれて、右へ行けば太平洋、左に流れれば日本海というのは、地理とか科学的には不思議
じゃないのだろうけれど、ちょろちょろ流れる水を見ているとやっぱり不思議。
太平洋まで103キロで日本海までほぼ113キロくらいで、10キロしか違わない、ということは
やっぱりここは日本列島の横幅の真ん中なんだ!

と妙に納得して帰路へ。

明日からノアさんは新聞バッグ作りの特訓。
私は来週始めに予定している高知大学の授業&ワークショップの準備。
そして上條さんは梅農場での梅採り開始。
いよいよ遅れていた梅収穫のハイシーズンに入ります!

 

 

 

 

サバちゃん・ノアさん来日

2週間ほど前から我が家に現われた子猫ちゃん。

最初は逃げまわってご飯も食べなかったけれど、少しづつ少しづつ近づいてきて、子猫用
キャッツフーズも食べるようになり、前住猫のシロに疎ましがられながらも、落ち着いて
来ました。オスかメスかも分からず、名前も適当に「サバ」と読んでますが、器量よしなの!

イスラエルからノアさんがやってきました。
ポーランド航空で、テルアビブからワルシャワ、7時間待って乗り継ぎ日本まで10時間。
やっぱり聞くだに遠いイスラエルは、砂漠の中にある国だそうです。

ノアさんが初めて岩出山に来たのは3年前。栄養士の資格をとるために日本に戻って入学
した東京の食糧学院から夏のインターンとしてよっっちゃん農場に来たのが最初。
たまたま新聞バッグの講習日と重なったことから新聞バッグを覚え、海山の新聞バッグを作る
考えに共鳴して、イスラエルや世界に新聞バッグを発信しようと、インストラクターの資格を
取得するために、わざわざ岩出山にやってきてくれました。

イスラエルに戻ってからのお仕事はイスラエルオリンピック委員会のコーディネーターと
スポーツインストラクターで、選手の栄養指導などをするそうです。

まず到着を知らせようと、イスラエルにはないという梅農場へ。

急ぎ畑からトラクターを走らせて戻ってくれた梅農場社長の宗一さんの話によると、今年の梅
は、実なりも少ないし、色付きも遅く、作業のタイミングが例年とずれて困るんだとか。

50年の梅。白加賀、最も普通の梅干用の梅。

 

次は、ノアさんにとってはとても懐かしいよっちゃん農場へ。
あいにくよっちゃん夫妻は出かけた後で不在でしたが、よっちゃんのお父さんと、日本&イスラエルの
政治、宗教、文化について四方山話。
実に面白くて時間を忘れます。ユダヤ教とイスラム教とキリスト教のみっつの宗教が存在する
イスラエル。
ノアさんによると、ほんとうに日本の国と日本人は素晴らしいのだそうですが、ノアさんの思いを
裏切らないようにそうありたいものです。

 

朝から動き続けのノアさんには悪いのですが、急ぎの新聞バッグの注文を確定させるために
夕方から上條さんも呼んで、パーシモンで新聞バッグミーティング。
作るのはラベンダー用の新聞バッグ。作るのは先日講習を受けてくださった新人の方々。
作る形と分担を決め、明日は山形探索のスケジュールもついでに決めて、やっと帰宅。

夜ご飯のおかずを何品か作って持ってきてくれた由美さんも加わって、黒田さんちの茶の間
でノアさん持参のイスラエルのワインでかんぱーい!!

今日からほぼ10日間、新聞バッグを覚えたり、練習したり、講習を手伝ったり、ご飯を作ったり、
ノアさん大忙しになると思いますが、是非たくさんのことを経験して、たくさんの東北の人と
お友達になってイスラエルに戻ってほしいと思います。

ノアさん、海山女子部、由美さん、今日はお疲れさまでした!