Lazacca

海の手山の手ネットワークを始めてから、たくさんの方とお知り合いになり、その中でも日々の雑感や出来事などをブログに書かれている方が多くおられます。

毎日はみなさんの分を読めず、順繰りに読んでるような状態の中で、自分たちのことを書いて頂いたブログを何日も遅れて読んで、「わあ、こんなこと書いてくださってたんだ。お礼を言いたかったァ」と臍を噛む思いをすることがよくあります。

イタリア在住のKさんがそうです。
Kさんのブログは「Lazacca」~イタリア起業日記~で検索できます。イタリアでの日々の出来事やKさんが経営なさっているお店のこと、取り扱っている手作り雑貨のこと、お教室のことなどが書かれてますが、その中で時々、海山ネットのことを取り上げてくださってます。

でも遠いイタリアなので、まさかKさんが私たちの日常のことご存知だとは全然思ってないもので、読んで
とても嬉しいし有難いし感動します。
なぜなら、日本の私たちの周囲にいる人たちよりも、ずっと私たち海山ネットに対しての理解が深いから。

Kさんは今年の3月11日から1週間、イタリアのミラノで日本の東北大震災を中心に据えたイベントを開催されました。そして、そこで得た収益金を海山ネットに送ってくださいました。なんか申し訳なくて。
日本人の女性が一人で外国で手作りのお店を経営して、イタリアの人を相手に手作りの教室を開催して、
新聞バッグを作ったり、折り紙や風呂敷などを教えたり(伝えたり)。

それで収益金など頂いたら申し訳ないことなんですが、お言葉に甘えて頂いてしまいました。
だからこその人と人の繋がりなんだと思ってます。私たち海山ネットが何より人と人の繋がりを重視し、手仕事で経済復興を目標にしていることをよくご存知なので、折に触れてイタリアでの手作りアクセサリーとか小物とかのアイデアを送ってくださいます。

Kさーん、ありがとうございます。昨日、今日、少し時間ができたので草刈りしたり、ブログ読んだりしています。
明日からまた盛りだくさんの予定が入ってます。ブログに書きますので感想お願いします。

さて、次はお隣のヤマボウシです。白い鳥が何万羽もとまってるみたいですよ。

1年経った竹盆栽。植物は健在、竹は古びて風情が出てきました。
南三陸の仮設住宅にいるノブちゃん、白石さん夫妻に見せたいです。一緒に作った時間を思い出します。

畑の夏ハゼ(ここではヤロッコハチマキと言います)に小さな実がついて色づいてきました。

ジャムを作る日が楽しみです。

 

 

 

新宿高島屋佐藤課長がみえました。

版画家オカザワカヨコさんの東北滞在3日目は、仙台、勾当台公園での朝市夕市出店の「よっちゃんなんばん」にくっついて行っての見物、販促をしてくださいました。自作の手拭いを自分で販売したり、お土産を買いに他のお店を回ったり。
ハードな3日間でしたが、初日の海山教室は大変楽しいひと時でした。2日目は遠い南三陸まで来ていただき、そして最終日には仙台。ほんとにご苦労さまでした。ありがとうございました。

そして帰られた翌日には、今度は今年の3月に東京新宿高島屋で大変お世話になった佐藤課長がよっちゃんちにみえるということで、午前中の仕事を終えてからご挨拶に伺いました。 続きを表示

南三陸へ

版画家のオカザワさんを南三陸へお連れしました。

あいにくの台風。あちこちで相当強風が吹き、雨も強かったようだけど、台風当夜は鳴子温泉の旅館でオカザワさんや東北村のT氏やMさんも一緒に海山教室第一回目終了を祝っての懇親会。
10時過ぎまで食べてしゃべってさほど強くもない雨の中を帰宅。すぐに寝ました。

明けてテレビをつけると、台風はもういませんでした。台風が来たのかどうか全然わからなかった。

きのうのうちに南三陸の小野寺さんから電話がありました。「水が出ているので様子を聞きながら来て」とのこと。
早く行って水浸しでは怖いので、道の駅の出荷を終えてゆっくり鳴子温泉までオカザワさんを迎えに行き、南相馬のKAさんの勤務先、駅近くのタマゴヤさん(喫茶店)でコーヒータイムをとってゆっくり出発。

せっかくだからオカザワさんにこれから蓮の季節を迎える沼の様子を見せたくて、途中長沼によって休憩。

話はそれますが、当地には冬は白鳥や雁が越冬し、夏は水面のほとんどの部分が蓮の花で覆われる三つの沼があります。伊豆沼、長沼、内沼。どれも大きな沼で、夏蓮の花の季節にはどの沼でも蓮の中を周遊する船が出ます。20人乗りくらいの小船が何艘も繋留され、お客が乗ると1周30分近くかけて蓮沼の中を回ってくれます。
船は人の頭上まで伸びた蓮の花に埋まり、船に乗る私たちは極楽浄土にいるような不思議な気分。

こんなふうになります。今はまだ葉が出たばかりで沼の端から少しずつ芽が出て茎が伸びている途中。

「来る、来る,また来る。母を連れて来る」とオカザワさんは喜んでくれました。

志津川はやはり水浸しになっていました。

防災庁舎。水がないのはここだけです。これは午後1時頃の様子。

志津川病院。

道路は冠水していて行き交う車は水しぶきをあげながら走っています。

初めて被災地を見るオカザワさんはショックを受けて言葉が出ない様子。

南三陸は何回来ても、新しい建物などを見ると何かが変わったような、でもやっぱり変わってないような、そんな感じがします。ああ、そういえばビルの屋上に乗っかっていた乗用車がなくなってました。
たくさんの切った材木などがあちことに積み上げられていて、それが町の復興への予感を思わせられるような気がするのだけれど、でも逆にそのまま捨て置かれたように積み上げられたままのガレキや車の残骸が
以前より目立って感じられて、変わったような変わってないような気持ちがするのかもしれません。

私たちは度々うかがう仮設住宅ですが、オカザワさんは仮設に行くのも初めてです。
菊の師匠、小野寺さんご夫妻が出迎えてくれました。

オカザワさんは仮設住宅の2Kという間取りの狭さに驚いてます。
しばらくぶりでお会いする小野寺師匠はなんとなく元気がない様子。お疲れみたいです。
小野寺さんは被災前は菊の産地、志津川の菊の作り手だったのですが、その前の職業は旅客船に乗ってらした
そうです。船を下りて菊づくりをはじめられた。

「それだけ志津川というところが懐が深いということだ」とうちの花の作り手は言います。
「なかなか素人を東京市場に出荷できる腕前に育て上げられる土地は少ない」ともいいます。
上質の菊を作るためには様々な条件が整えられていた被災前の菊作りの現場から1転して、農協もない、
作業小屋もない、機械もない、ないないづくしでただ農家から借りた畑だけがある新しい菊の畑を一人で耕して植え付けて、奥さんと二人で手入れをして来られた疲れがお顔ににじんでいます。

この先もまだ炎天下、作業小屋がないので初めての支援品のビニールハウス内での作業などが待っています。
ビニールハウスは夏はものすごく暑いので、相当な遮光をしなければ中にはいられません。遮光シートなど
を張る作業は、30日の海山ネットと東北村の村民交流の時にお手伝いすることにしました。

奥様ムッチャンは狭い仮設住宅で洋裁仕事をして、布のほこりで喘息になってしまったそう。ゴホンゴホンと
胸から出るような咳をしてかわいそうです。ハウスができたらミシンを持って行ってハウスで仕事をすると
言っているので、しっかり涼しいハウス環境にしなければ。

ずいぶん遅くまでお話をしてお別れしました。
被災地はただ行って見て、というだけではなく、中に入って被害を受けた人たちと話して聞いて、というような時間がとれれば、また違った交流が生まれてくると思うのですが。

「仮設住宅の中にばかりいると気持ちが暗くなる」
いつも明るく元気な奥様ムッチャンでさえそう言います。どうすればいいかわからないけど、また月末に
ハウス作業の道具を取り揃えてみんなで行きます。
料理上手なムッチャンには「お握りは持ってけどオカズを作っておいて」と頼んできました。

沿岸部と内陸部の料理は違うので、何が出てくるか楽しみです。

 

 

 

 

 

 

野菜を植えてます

明日は海山教室第1回目。

人集めとか材料のこととか落ち着かないといったら落ち着かないのだけれど、今朝は夫の退院後の初回診察日なので早起きして仕事をして病院へ。

夫を下して道の駅に戻って花の出荷。車に乗せて出してもいないナスタチウムを「それ全部ください」という
お客様がいて、「なくなっちゃう」と迷うがエイと売ってしまう。
家に戻って明日のための案内ファックスなど流していると、「迎えに来て」と夫からの電話。
今度は孫連れで病院へ行きました。驚いたことに検査の結果は、あれほど大きい手術だったのに、炎症部分もなく肝機能も正常に戻りつつあるということで、「ヘエー、そんなものなの」と唖然。

肝臓を3分の2弱は切り取ったというのに肝臓は元に戻るんですか。といっても相手が癌ですから安心はできないのですが、まあ、今のところはいったんは安心です。なんだか私はびっくりしてます。そんなものなの?と思って。

夕方忙しくてもどうしても行きたくて畑へ。明日は雨かもしれないから。

きのうから野菜を植えてます。時期的にはちょっと遅れてますが。
じゃがいもはタネいもをねずみに食べられました。おまけにじゃがいもができているかなあ、と土に手を入れてみると土の中はねずみのトンネルだらけ。スカスカ。ほんとに腹が立つ。

ひとつめの畑です。切り花用畑。

2段目の畑 同じく切り花、宿根草用畑

アスターがまだ小さい。間に合うかな。りんどうは伸びてます。

そしてこの上に3段目の畑があるのですが、これが問題です。
きのう、乾燥用のとうもろこしのタネを注文したのですが、植えるか植えないのか決心が未だつけられません。
乾燥用の、装飾用のとうもろこしを熊は食べるか否か。

普通のとうもろこしは駄目です。必ず来る。来て全部食べます。一昨年は全部食べられて、私たちは熊の
食べ残しを拾って食べました。あの朝、畑を見に行く緊張感がたまらない。大音量のラジオをぶら下げて
へっぴり腰で。

ともあれ3段目の1反は草刈だけはどうしても欠かせません。熊がカモシカがここは人間の畑じゃない。山だと思うかもしれないので。大きな屋敷栗が3本あるのですが、この木に熊が登っているのではないかと毎日怯える夏が近づいてきます。栗の木の花が今満開です。

明日は海山教室第1回目。うまくいきますように。

 

 

未来予想図

私は親が給料取りで(教師)、結婚してからも給料取り(会社勤め)の妻だったので、モノを作るという人が
周りにいたことがないのです。

昔若かった頃、腎臓を悪くして長期に入院生活をしていたことがありますが、同年齢の入院仲間の女の子が「私はヘルメットを被る職業の男の人と結婚したい」というのを聞いて、「ヘエー、そんな選択があるのか!」と驚いたことがあります。

ヘルメットを被る、というのはどうい職業なのか、よくわかりませんが、私も中年になってから電話工事会社で電話設置の図面描きというパート仕事をしていたことがあり、その時に周りにいたのは全員ヘルメットを被る男性たちでした。 続きを表示

感動! 感謝!

昨日はJTBの方にお会いしました。                                              修学旅行や旅行の方に旅に来たつれづれに新聞バッグを作ってもらったり、南三陸へ行ったよっちゃんがあまりのご愛嬌につい買ってしまったと笑う三陸タコタワシなど、(タコだけじゃなくてクキワカメもメカブタワシもあるそう)作ってもらう企画を立ててもらったら面白いかもね。

被災地をただ見て何か買ってお金を落とすよりも、被災地の人と一緒に東北の海のものなど作ったりしたら、また新しいこと知って感じて楽しいかもしれないです。JTBさんお願いしますよ。

さて、今日は素晴らしいものいっぱい一度に届きました。
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Yさんの強い意志ー子供をまもりたい

酒蔵一ノ蔵さんの優秀なMgr、Yさんにお目にかかることができました。

一ノ蔵さんにはだいぶ前から新聞バッグを使っていただいてます。ミュージアムでも空港店でも、お酒の瓶を入れる形の新聞バッグを注文して頂いてます。使っているのが新聞だし、作っているのが新聞バッグつくりのエキスパート達なので、「こういうもの入れるからこういう形で」と注文を頂くと、いろんな想像を膨らませながら試作をするので励みになります。 続きを表示

第3回海山ネット会議

今年も咲きました。でもちょっと花が少ないみたい。これから咲くのかな。

隣家のヤマボウシ。すごい大きさです。引っ越しのご挨拶の時「樹齢何年ですか」とうかがったら「解からない。子供の時からある」というご主人のお話でした。花の最盛期には木全体に純白の鳥がとまったような印象です。

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野田さんの発言と価値の問題

大飯原発再稼働についての野田首相の言葉にひっかかりました。
「精神論だけではやれぬ」とは?

精神論って何?

どこで誰が精神論だけ語ってる?

私たち海山ネットが3月12日の夜、原発が爆発したのも知らず、言われるがままにバスに乗って
自宅を離れて以来1年3か月も家族ばらばらのままに必死で働いて暮らしをたてているkさんを
心から大切な仲間として一緒に活動しているのは、原発事故の後遺症だよ。

ちっとも先が見えない。Kさんがほんとに安心して故郷へ帰れるのか帰れないのか。「きっと何時か
帰れるよ」なんて無責任な言葉は仮にも言えない現状は、現実の姿なの。精神論ではないの。 続きを表示

価値観の転換の時

全然考えはまとまらないんですが、昨日から一日の仕事の合間合間に家人に問いかけたりして
昨日の価値のこと考えてます。

考えれば考えるほど、物々交換がいいなあ、と思えたりして・・・。

例えば私は何十年に渡って都会の企業の給料とりの奥さんをしてました。まあ、私自身も少ないとはいえ給料とりをやってました。
で、その給料を使って生活してました。生活の基本の食べ物を得ることも、暮らしを護ることも
1か月1度もらう給料で全てを賄う暮らしをしてました。何をするにも中心になっていたのはお金で、
お金を払えば庭掃除だって家掃除だって修理だってやってもらえました。 続きを表示