満席/満室

歳をとって自由になった今、出歩くことが多くなりました。

外に出ればアクシデントも起こります。

1月に富良野に行った時も帰る直前に悪天候になって、「さて、どうやって帰ろう」と頭を悩ます羽目に

なったけど、今回は帰りじゃなくて、行きで「さて、どうやってたどり着こう」、と立ち往生することに。

 

24日、「屋根」実行委員会の任務を背負って東京へ。ほんとの目的地は福岡ですが、横浜で開催中の

フリー刺繍家、天野寛子刺繍画展を見るために、そして天野先生と倉本界隈の女性、吉田さんに会う

ために横浜まで周り道をすることにしました。

道の駅への餅出荷後、10時過ぎに車を飛ばして古川駅へ。

みどりの窓口に行ったらばなんと、新幹線指定席満席。

2月でしょ。24日は水曜日でしょ、普通の日でしょ。それも午前11時だよ。なんで満席?

久しぶりに今日は特に寒く感じる(服装が暖地向き)ホームに20分も並んで立って、自由席を確保しました。

 

横浜まではスムーズ。会場までもスムーズに行けて、先日ニューヨークでの展示を終えたばかりの先生に

お逢いできました。ぎっくり腰で動けなくなっていた吉田さんも治って来ていて、おまけに横浜在住の四万十

新聞バッグインストラクター、タカムラさんも駆けつけてくれて、3人でお茶っこすることができました。

お茶っこの重要議案は、この素晴らしい天野先生の復興遺産にしたいような作品の数々をどのようにしたら

保存していけるのか、ということ。 熱心に話しているのは展示会の責任者である中西さんと私たちで、当の

先生は「私は歳だから疲れるからもういいわー」と。

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あっという間に楽しい時は過ぎて、京急本線の快速に乗り、羽田空港へ。30分ほどで羽田空港到着。

第1ターミナルだか第2だか忘れたけれど、昨日事故があったJALはとりあえず避けてANAへ。

通常シニアチケットという当日買いの老人用チケットを利用する私は予約はしません。

そのつもりでカウンターのお姉さんに「シニアで1席」と言ったら、困った顔をして「満席なんです」

えーッ? 普通の日でしょ。羽田ー福岡なんて30分に1便くらい出てるでしょ。じゃあ、次の便は? 「満席・・・」

ならば、どれでもいつでもいい。と言ってみたけど、「最終便まで満席です。」

じゃあキャンセル待ちは? 「どれもたくさん待ってらっしゃいます。2、30人」

福岡、どうした? 福岡で 何が起こってる?

 

ではもしかすると事故騒動でANAに乗客が流れてきているかもしれないとの淡い期待を抱いて、とぼとぼと

歩いて別建物のJALへ。しかし遠い。歩くだけで疲れる。カウンター前の人は少なく、ここなら乗れるだろう、

とJALカウンターのお兄さんに聞いてみたら、なんと「満席」、最終便まで満席。のうえにキャンセル待ちは

同じく2、30人。スカイマークまでも満席。とどめは、「じゃあ、近所に泊って明日一番で」と言ったらそれも満席で

午後遅くに空いてる席を今予約すれば4万数千円。そんな運賃払えません。

「新幹線のほうがいいんじゃないですか?」とお兄さんに勧められ、沈思黙考。 空港で新幹線薦められたの

初めて。新幹線・・、博多まで5時間・・。  どーしよう!

 

モノレールで東京まで戻って宮城に帰るか、それともどこかに泊るか。

とりあえずはと以前に泊った東京駅近辺のホテルに電話をしてみたら、3軒かけて全て満室。 なんでー?

空港の椅子に座りこんで既に2時間経過。夜7時を回りました。

東京駅近辺がダメならどこに泊る?駅をいろいろ考えてふと思いついたのが横浜。よし、横浜に泊ろう。

手に負えなくなって横浜のホテル探しを娘に頼んだら、ほどなく新横浜プリンスホテルを探し出してくれました。

ここでようやくホテルを確保。空港から新横浜行きのバスに乗って9時近くなってホテルに到着。

チェックインを済ますと、すぐに新横浜駅に向かい、明日朝の新幹線のチケットを購入してようやく」一安心

して、入ったこともない駅食堂街のリンガーハットで一人皿うどんを食べて1日が終了。

はあー、ハードな1日でした。

 

明日は早起きして、6時半には食堂に行って朝ご飯を食べ、新幹線で博多に向かいます。

しかし、、宮城より暖かいはずの東京は寒かった。 こんな寒さの中、新幹線が止ったりしませんように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は出逢いの始まりの日

今日はサイ、ミュー滞在最終日。

11時、会場に行って、訪日団、ホストファミリーが一緒に昼食を食べるお別れ会に出席します。

でもその前に昨日と同様、お餅作りを手伝ってもらい、道の駅直売所まで一緒に行って出荷をすることに。

昨日1日、販売数がわかる配信を見せていたら、「売れると嬉しい」と思ったのか、気づけば二人揃って満面の笑み

でお客様にお餅を見せてました。

 

お別れ会は定番のお餅つきから始まりました。

訪日団は晴れ着に着替えていざお餅つきに。

テレビなどでしか見たことがなかったスヤマイという民族衣装のきれいなこと。男子学生は腰に

長い布を巻くのは正装のようです。

思い杵によろけながらお餅をつくサイちゃん。

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お餅が搗き上がった後は食事をとりながら、学生団が踊るラオスのダンス、ランボンラオを見せてもらいます。

ステップや動きが簡単なダンスでホストファミリーも一緒にランボンラオ。

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訪日の記念品を観光公社代表に渡すサイちゃん。

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とても楽しい3日間でした。

穏やかで優しく礼儀正しいミューとサイ。

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名残惜しくて涙が出てしまったけれども、今日のお別れ会は、この出逢いの始まりの日。

孫タイギはサイとミューと男の子の学生からラオスのお金をもらいました。

いつかそのお金を遣いにラオスに行くよ、と約束しました。

しっかり働いてお金を貯めて、6時間の飛行時間を我慢していつかラオスに行きましょう。

また会う日まで。サイとミュー。しっかり勉強してラオスの底力になってくれますように。

コプチャイ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

水族館へ

ラオスの大学生、ミュウちゃんとサイちゃんがうちに来てくれてから2日目はフリーデイ。

つまり1日中フリーで、なんでもやっていいどこでも行っていい日。

前回は松島へ行ってフェリーに乗ったけど、今回はお天気が悪そうなので二の足を踏んでます。ただでさえ

暑い国の人が冬に東北に来ているのだから、寒い目に合わせて風邪でもひいたら、と思うと行く先を考えます。

いろいろ調べて寒くないところを選んで水族館とショッピングに行くことにしました。

 

でもその前にお仕事。前回のホストファミリーの時はお餅仕事を休んだので、今回は休まないことに。

張り切ってサイちゃんとミューちゃんが手伝ってくれました。

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右がミューで、23歳、ビエンチャンの大学3年生、将来ラオスの役に立ちたい政治家志望。なにやらやけに

落ち着きはらったブレない強さを持つ女の子。

左はサイで、21歳、同じ大学の3年生。公務員志望。

年寄りの世話をやくのがかの国の道理なのか、二人して一生懸命に私の世話をしてくれます。

 

両方とも実に堅実、静かで浮ついたところが全く見られない気持ちの優しいお嬢さん方。お互い半端な英語の

やりとりなのに、あっと言う間に仕事を覚えて全く間違えない。

仕事を終えると、二人一緒に流しの前に陣取って、なんでもかでも洗ってくれます。彼女二人が台所仕事を

やってくれるお陰で、鍋、ザル、ボール、ゴミ捨てカゴまでピカピカになりました。どう洗ったらこんなにきれいに

なるの? と不思議なほどの洗い方の実力者です。

 

二人のお手伝いで、すっきり家事仕事を終えて、娘一家と一緒に仙台うみの杜水族館へ。

ここはまだ新しい水族館で、娘夫婦と孫は来たことあるけど、私は未体験。ホストファミリーのおかげで私は

これまで行ったことのない場所に行く機会に恵まれてます。

でっかい水槽。大迫力!

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四方を他国の国境と接しているラオスは海がない内陸国。海はタイランドで見たことがあるけど、水族館は

見たことがないそうです。

ドルフィンショウ。イルカも松島からきたというアシカ君も大変な芸達者! 楽しませてくれます。

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何メートルもの高さのボールを飛び上がって鼻先で衝くイルカは、大きくて躍動的で素晴らしい演技を見せて

くれますが、私の目はイルカの向こうの景色に引き寄せられます。この茫漠とした広がりは津波の跡の土地?

 

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銀色に輝くマンボウ。

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館内のフードコートで好きなものを注文して昼食。サイもミューも日本食に興味はあるけど、味噌汁には抵抗が

あるみたいです。

ここは東北が誇る立派な水族館です。この水族館で、三陸の海の恵み、ホヤやワカメやカキの生態もよーく解る

ように展示、説明されてます。

水族館を出て、次は仙台のはずれのお洒落タウン、泉のタピオでショッピング。

ここで夕食には回転寿司へ行くという相談がまとまりました。ラオスには多くの中国料理店、そして日本料理屋が

あるそうです。

 

車に乗る度にあれ忘れたりこれ忘れたりするうちに、車に乗るや否や助手席が定位置のミューが「グラセス?」

と言うようになりました。眼鏡はあるか?と。次は携帯をバッグからとって必ず私の脇に置くという。秘書みたい。

回転寿司なんて食べられるのかなあ、と思っていたら食べた食べた。ミューが一番食べました。サイは孫の真似し

てうどんまで食べた。餅米、お米が主食ということで、二人はお箸を上手に使います。

 

楽しい1日が終わって夜遅く、12時も回った頃に、二人が2階から降りてきました。

「今日はオカーサン運転で疲れたでしょう? これ使って」と差し出されたのはラオス製の貼るシップ薬。

「ありがとう、小さいオカーサンも肩凝って頭痛くなるから明日あげよう」

有難く受け取ったら、ちょっと待って、と2階に上がって今度はこめかみに貼る頭痛用シップ薬をくれました。

なんと優しい子たち。感謝!!

 

ラオス語勉強教室開催。

ラオス語をしゃべれるようになるとタイ語も簡単ということで、

お早う、こんにちは、こんばんわ。全部合わせてサバイディー。

ありがとうはコプチャイ。 どういたしましてはボーベンニャン。

そして夜も更けてきました。 ノーン ラップ ファン リー、おやすみなさい。

なかなか寝ないでノーン ラップ ファン リーと何度も繰り返しては笑いが止まらない2日目の夜でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ホストファミリー第2弾

今日はラオスからのお客様を迎える日。

私はお餅仕事の後は、新聞バッグを受け取りに鳴子温泉のたまごやさんへ。

その間に娘が、今日から2泊3日でホームステイするラオスの女子大生、ミューちゃんとサイちゃんの

ためにお買い物に行ってくれました。

食べ物のほかにどんなお買い物をするのかなあ、と思っていたら、戻ってきて二人のラオガールズの

ために整えてくれたお部屋のかわいいこと、素敵なこと!普段はそっけない2階の部屋が、お花もベッドカバーも

クッションも灯りも全部いかにも女の子が喜びそうなお部屋になってました。

私はそういうのはほんとにようせんので、実にありがたいです。

 

夕刻間近の雨がパラつく中、吉野記念館へラオガールズのお迎えに。

今回は前回に較べて半分の人数。ラオスの大学生20人ほどを8軒のホストファミリー宅で預かるという

ことになっているようです。

いろんな注意事項などのお話があって、いざ対面式に。

うちに来てくれるのは、ビエンチャンの大学に通う法律を勉強中の女子大生。

22歳のミューちゃんと20歳のサイちゃん。男のほうがだいぶ多いけれど、男の子も女の子も顔が合えば

にっこり微笑んでお辞儀をしてくれます。なんだかとても柔らかい。

言葉はゆっくりとしたテンポで聞こえ、アメリカなどとはほんとに全く違う素朴なやさしい雰囲気です。

ホストファミリー、これで2度目だけれど、感激してきた。国が違えばこんなに違うのかと。

サイちゃんもミューちゃんも他の女の子も黒い髪を三つ編みにしてまとめたヘアスタイルで、みんな同じ

深い青色の絹のような光沢のある裾周りに銀色の刺繍がある長めのスカートを履いてます。

触ってみたいような美しさ。触らせてもらったけどね。

テレビの旅番組で見ることがあるオレンジ色の袈裟姿の学生さんもいます。これもまた触ってみたい

ような美しい袈裟だけど、女の人はお世話をできないので男の方のホストファミリーが担当されるとか。

 

どんな食事を用意したらいいのか、と心配したけれど、

担当官からの「何が食べたいですかー? お寿司ですかー?」の質問に

はいはいはいと全員手を上げるような反応。

「ラーメン食べたいですかー?」

はいはいはい。

「温泉入りたいですかー?」

しーん。

 

帰宅して食事を終えると、流し台の前で押しくらまんじゅうのように二人にお手伝いしてもらって夜が更けて

ゆきます。明日は天気になりますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

呻吟/出荷組合総会/ホストファミリー第2弾

雪。

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朝起きたら外は真っ白。2、3日前まで春のように暖かかったかと思うと昨日、一昨日は震えるように寒い、

という日が続いています。それでも2月なのです。ハウスの中では球根の芽が動いてる。フリースクールの

若者たちに来てもらって、ハウスで球根の分球の植え付け開始。3分の2で400ポット近くもあるんだけれど、

残り3分の1やったら何個になるんだろう。これ、売っていく自信全然ない。植えるのもしんどい。どーしよう。

 

「屋根」関連挨拶状の校正、推敲に呻吟していたここ数日。

集中できない家から離れて、喫茶店で居座らせてもらったりしてようやく終了しました。

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昨日も一昨日も「屋根」公演の際に使用する新聞バッグをめぐって、よっちゃん&黒田さんとミーティング。

こういうことって、ほんとに手間がかかって(頭も手間かかって)、疲れます。が、ここを楽しむことが大事なんだね。

 

そして今日は、年に一度の道の駅出荷組合の総会の日。

今年は「あ・ら・伊達な道の駅」がオープンして15周年。私がこの地に越してきたのが夏で、その翌年の春に道の駅

がオープンしたから、私にとっても道の駅の生産者になって15周年でもあります。

生まれてこの方一箇所に6年以上住んだことがない私が、同じ土地の同じ家に15年間住んだことも驚異なら、

それまで消費専門のサラリーマンの奥さん業から、59歳にして生まれて初めてモノを作る生産業に携わるように

なったのも驚異。

ほんとに人生わからんもんだ、というのが正直なところです。でも生産者になってほんとによかった。これまでお金で

モノを買うばかりで見えていなかったモノを作る側の世界を体感することができて、目からウロコの15年でした。

オープンから15年間毎日通い続けた道の駅は、ある意味私の第2の故郷と思える岩出山同様、私を育ててくれた

故郷のよう気がします。ここの町で生まれ育った生産者には道の駅に故郷を感じるなんて、「謎」でしょうけれど。

15年経てば生産者の平均年齢も家庭環境も社会の状況も変わります。変わっていくことを自覚し、変革への意識を

強く持たなければならない大切な15周年。今日は記念すべき総会の日です。

 

そして明日19日からはホストファミリー第2弾。

今度はアメリカではなくて東南アジアの国、ラオスから法律を学ぶ女子大生、サイちゃんとミュウちゃんが我が家に

きてくれます。ラオスの首都はビエンチャン。ラオスってどんな国なのでしょうね。話を聞くのがほんとに楽しみ。

ただ暖かいところから来るのだから、ここ寒いよねえ。明日娘が綿入れ半纏を買いに行ってくれるそう。

風邪をひかせないようにして帰さなければご両親に申し訳ないので、心してホストファミリーを楽しく全うします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新聞紙のチカラ/noaさんの夢

きのう、今日、強烈な風、春の嵐。

3月18日の「屋根」公演で、すべてのお客様に配ることにした、パンフレット類が入る大きさでニューデザインの

新聞バッグを黒田さんとあやさんが、ここ2、3日で折り手さんたちに講習をしてますが、そんな中、あやさんが

「これ余ったから捨てちゃう?」と持ってきたのがこの新聞。

「屋根」用新聞バッグ作成にために、地元ローカル新聞大崎タイムズさんが気前よく損紙等を譲ってくださった

新聞紙で日付は1月1日。

なんと私たちの商売の拠点「あ・ら・伊達な道の駅」を空から俯瞰した形でドーンと一面を飾った紙面。

いやいや、捨てるの勿体ない。何かになるんじゃない?

と、すぐさまアヤさんが作ってくれたこの新聞バッグ。 素敵じゃないですか!

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「地方再生の拠点へ」だって。かっこいい!

ほんと、そうなってほしい。

 

夜、久ぶりに一昨年東京の食糧学院から夏のインターン研修で岩出山に来てくれたノアさんからメールがきました。

ノアさんは日本人だけれど、若くしてイスラエルに渡り、イスラエル人のご主人と結婚して今はイスラエル国籍の方。

食糧学院の学生さんで、年齢は50歳代。ご主人が亡くなった後、栄養士になることを志して日本に戻り、今は栄養

士の資格をとるべく猛勉強中。彼女が初めて当地に来た時に、たまたま講習日が重なった明大付属中野高等学校

の新聞バッグ体験講座に参加して以来、彼女は新聞バッグに興味、共感を持ってくれるようになりました。

 

食糧学院の学院祭で一人で新聞バッグ講座を開催した行動力に驚いたり感心したりしましたが、、今日のメール

で、その勇気と行動力はさらにさらに進化していることにびっくり。

ノアさんは、食糧学院で勉強しながら、2020年の東京オリンピックでイスラエル選手団を食の面からサポートしたい

という夢を持ったそうです。昨年のイスラエル帰国時には、さっそく行動を起こし、イスラエルのオリンピック委員会の

会長さんと会ってアシスタントの仕事をオファーされたそうで、昨年1年はそのさまざまな準備研修で、スイス、リオ、

北京などオリンピックに関係ある国々を回ったとのこと。イスラエルに戻ったら、まずはリオオリンピックに出場する

選手団のサポートをし、オリンピックでは日本の文化と新聞バッグを紹介したい、というのが彼女の中にうまれた

新たな夢なのだそう。 いやあ、相変わらす、ノアさんの夢はでっかい。

 

新聞バッグがオリンピックへ。

夢のような話だけれど、トノアさんんは言いますが、これまで数々の奇跡のようなできごとを生み出して

くれた新聞バッグ。

その夢に乗せてもらって、新聞バッグがさらに羽ばたきますように、私たちも応援します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

細峰訪問/文章校正

今日は暖かい。11度くらいあります。

近頃動きが活発になった白鳥が、近くの田んぼにいっぱい。

「ああ、春だなあ」と毎年思わせられる光景。

ここの白鳥は空で見るより田んぼで見るので、孫に「白鳥はどこにいる?」と聞くと「田んぼ」と答えます。

こうして身体を作って、もうじき北へと飛び立ちます。

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お餅出荷の後、私が住む別荘地とは違うもうひとつの岩出山の別荘地、細峰へ。

ここには私の同郷、そして中学も高校も一緒だった友達が住んでます。彼女が田舎暮らしの本を見て、ここに

住み着き、その家を訪ねた後、私も住み着いたから、彼女は私の田舎移住のいわば恩人。

今は木工作家さんだけど、元は都会で舞台の演出家と俳優さんなので、「屋根」公演を間近に控えた私は

訊きたいこと満載です。

スタッフ、キャストさんの食事は? カーテンコールの花束は何がいい? 飲み物はどのくらい用意しよう?

お菓子はいっぱいあったほうがいい? 等々、

舞台も気になるけれど、3月17、18日の公演前後の日を、お客様には楽しんで頂き、先生やスタッフ、キャスト

の方々には安心してお仕事をして頂く準備をしたい。

やっぱり実際に舞台に上がっていた人の感覚は、客席で舞台を観ている私たちとは全然違う。

たくさん教えてもらって、ほんとに助かりました。

 

帰り道で。別荘地の中にあるイギリス紅茶の喫茶店「森栖」

普段はお洒落な感じだけれど、雪を被ったらまるで絵本から抜け出たよう。

雪はあるけれど営業してます。みなさま、どうぞお寄りください。

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帰宅して午後いっぱい、文章の校正。

夜になっても終わらない。頭いっぱいになって時々休憩。テレビを見たり、お茶を飲んだり、しばし眠ったり、

間に本職のお餅もついて、また再挑戦。

深夜2時、半端な出来具合、くたびれて寝ます。

また明日だ!

 

 

 

 

 

 

 

 

台湾地震に祈る

昨年の夏に台湾に行きました。

台湾という国について調べる時間的余裕もないので、娘夫婦に頼りきって出国し、台湾に行くことができましたが、

実に実にびっくりしたのは、台湾という国の近代的文明度。欧米諸国の人が日本について、まだ着物の人が町を

歩いていると思い込んでいるのと同じようなもんかもしれないけれど、それでも最先端といってもおかしくないほどの

近代都市であろうとは想像もしませんでした。

東京の首都高速と同じように台北を取り巻く高速道路。3車線4車線の車道。行きかう途切れのない車、そして

何より驚いたのは、台北は言わずもがな、電車に1時間乗っても濃い緑の山合いから覗ける16階も17階もあり

そうな高層ビル群。

台北も観光したどの町も高層ビルや昔ながら古いビル、狭い国土を効率よく使った階段の道路に沿う家々が見られ

日本の戸建のような地面に直接建設された家を私は見つけられなかったような気がします。

 

あの台湾の町で大きな地震が起こりました。

あのビル以外には人が住む家がないような町で大地震が起こったら・・。

あのたくさんの高層ビルのいくつかが倒壊したら?・・・・。

今朝のニュースで、行方不明の人を救けられないかもしれない、と言っていたけど、そうだろうなあ、と納得しては

いけないんだけれど、そうかもしれないと胸蓋がれる悲痛な気持ちになります。

積み重なって積み重なった瓦礫は人が生きられる限度の時間で片付けられる量ではないと思うから。

 

東京に行った時に、確実に増えていっている高層ビル群を見てよく思います。地震のとき、どうするんだろうって。

東関東大震災を宮城で経験した私は、駐車場の車が右へ左へと動き回り、地面が波打ち、ガラスが割れ、水が

噴きだし、エントランスのタイルが弾け飛びながら割れていくビルの7階の手すりに掴まって下を見下ろすマンション

住民たちの姿が今も目に焼付いています。いつ終わるともしれない揺れだったから。

 

大震災後100名もの団体で大崎を訪れ新聞バッグを作っていってくれた台湾の大学生、大学院生たち。

新聞バッグ講座の時には、どこの国よりも多額の支援金を贈ってくれた台湾国への感謝をこめて

「謝謝」と大書した模造紙を持参し、大きな拍手を頂いたこと、今も覚えています。

そして昨年の夏にお世話になったガイドさんやホテルの従業員の方々。

どの方もご無事でありますように。

心から祈念しながら、今できるご恩返しをこれから考えようと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「屋根」仙台公演/道の駅出荷組合会議/「屋根」実行委員会会議

2月2日。

「屋根」の仙台公演に行ってきました。

ちょっとばかりお客様の動員に苦労したので、どうなんだろうと心配しつつ会場に着いたら、まだ開場前だと

いうのにエレクトロンホールの前はお客様でいっぱい。

ホールに入るとなんと3階席までいっぱいの満席でした。

いやあ、ほんとによかった。

仙台公演については、私たちの地元大崎のチケットがわりと早めに完売の目処がついたので、思いつく限りの仙台

在住の知り合いに「屋根」の宣伝をお願いしました。その効果もあるのかどうか、とにかく1200の客席

はいっぱいで本当に安心しました。そして自分のことのように嬉しかった。

ご協力くださった方々に心からお礼を申し上げます。

 

「屋根」

富良野で一度観て、二度目に観る舞台。

冒頭部はまず同じ場面から始まりますが、驚いたことは同じ舞台なんだけれど全然違う。観客が違うからか場所が

違うからか劇場の大きさが違うからかわからないけれど、観る感じも周囲から受ける空気感も、富良野の劇場と

仙台の劇場のホールとでは全然違います。

 

大正から昭和まで一機に駆け抜ける50年。

早い場面展開に頭がついてゆかないからと、一緒に行ったメンバーは「屋根」の台本を胸に抱えていました。

舞台なんだけれどもその装置は映像のように美しい。

あっという間の2時間が終わって、役者全員が並んで挨拶するカーテンコールではステッキをついた倉本先生が

舞台に出てこられます。

満場の拍手、指笛、「ブラヴォーッ!」の声、スタンディングオーベーション。

仙台公演、素晴らしい舞台でした。

 

 

2月4日

午前中はお餅の出荷と合わせて、斉藤事務局と「屋根」公演準備について細かい打ち合わせ。

 

午後は道の駅出荷組合総会前部会会議。

次年度、道の駅の直売所では、何をやろうかなあ、という会議です。私が所属するのは花の部会、お餅を販売する

加工品の部会、新聞バッグ販売の工芸品部会のみっつ。

最盛期270名にまで膨らんでいた組合員が、加齢や家庭環境の変化や大震災の影響などで数十名の減となり、

これまでどおりたくさん来店してくださるお客様に、どのような生産物、サービスを提供できるか、という大切な

話し合い。ですが、簡単に解決できることではないので問題山積。

しかし道の駅自体は駐車場や建物の工事が始まってきれいになります。

 

会議が終わった後は、夕方まで斉藤事務局とよっちゃん実行委員長と再度「屋根」大崎公演に向けての準備

打ち合わせ。連チャンで会議ばかりやって頭パンパン。

 

2月5日

夜、「屋根」実行委員会。

「屋根」大崎公演の劇団キャスト、スタッフさんたちの食事やボランティアの募集、駐車場や会場の人員配備、

観客への配布物など、細部の打ち合わせ。けっこう大変です。

チケットが完売しているので、その分気は楽。が、完売は即ち新たなお客様へのチケットがご用意できないので

やっぱり気持ち大変。完売してもしなくても気は楽じゃないとは初めて知りました。

 

2月6日。

お餅出荷の後、借りていた本を返しに鳴子のたまごやさんへ。

あやさんの仕事終了後、昼食をとりに上野野スキー場の食堂へ向かいます。

今頃のスキー場、雪少なくて雪質が湿っぽくて、誰かいるの?と思っていたら、いるんですねえー。驚いた。

日本人より外国人が多いみたい。

上野野スキー場はファミリー向けというか、傾斜がゆるーいスキー場です。リフトはあるけれど、橇遊びをしている

親子づれが多い。

60歳直前にこの地に移住して以来、山にも登らずスキーにも行っていないので、久しぶりにスキー場に来てなに

やらなつかしい気分。

しかしあやさん、何でこんなところに昼ご飯食べに来たの?と聞いたら「一度来てみたかったのよ」という好奇心

旺盛なあやさんらしい答えでした。

昼食後は我がリビングで、黒田さんも加わり、海山女子部は、「屋根」公演の際にお客様に配る新聞バッグの

デザインの考案とサンプル作り。

余りものといっちゃなんですが、地元ローカル新聞大崎タイムズの損紙や残り新聞紙をいただけることになった

ので大崎タイムズ新聞バッグを作ります。

「屋根」をご覧になるお客さま。どーぞお楽しみに!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「屋根」チケット完売しました。

11月から始めた倉本聰作・演出「屋根」の大崎公演チケット販売。

1月終わりでほんの少々の残りがあるだけ、となりました。悪くすると富良野で一度観た私や斉藤事務局は

大崎での観劇を遠慮したほうがよさそうな状況。

ご協力くださったみなさま、ほんとにほんとに有難うございました。

最初はどうなるか、と思ったけれど、日が経つごとに問い合わせの連絡も多くなりーたぶん倉本先生が連日

のようにテレビ、新聞、雑誌にラジオ、週刊誌にまで出られてお話をなさっているからだと思いますがー、チケット

を求める方の声は今も続いています。

 

しかし倉本聰という脚本家のあのエネルギーは今回本当に凄いと思いました。遺言のつもりだとご自身で言われる

メッセージを伝えるエネルギー、「屋根」公演を成功へと導こうとされるエネルギー。そして81歳というお歳で、舞台

の演出をし、執筆もされるし、点描画もお描きになるあのパワーは、本当に尋常な方ではない、と新聞バッグ→

富良野→「屋根」公演へとあれよあれよと思う間に事態が動いたいったこの1年ほどの間に心底から驚嘆させられま

した。

それと先生の近くにおられる方々から時々お聞きする、先生の言葉の深さ、温かさ、優しさ、厳しさ、正しさ。

短い言葉の中に全部含まれているようなこういう言葉を人生の折々にに聞くことができていたら、もう少し賢く豊かに

生きられたかもしれない、と思わせられます。

 

チケットは完売しましたが、もうひとつ気がかりだったのは、公演日前日に行われる富良野GROUPのワークショップ。

富良野では富良野市内の高校だとか、全国から修学旅行に来る生徒だとか、一般企業に向けというのも

あるようですが、演技や表現やコミュニケーションなどのワークショップをやってくれるプログラムがあります。

岩出山公演では、大崎市内の学生や生徒たちに向けて演技や表現などを体験できるワークショップを開くことを

決め、参加する若者を募集していました。

昨年から告知は始めたのですが、馴染みがないからかなかなか反応がなくて、これはどうしよう、と思って

いたら近頃になって、高校や個人の方から申し込みが多くなってきました。

こちらも近いうちに定数に達しそうで、ほっとしました。感謝です。

 

どうなんだろう。感受性豊かな10代の頃に、初めて倉本先生の教えを受けた元富良野塾の塾生さんたち

が講師の体験プログラムを受けたら・・・。定員30名だけれど、もしかしてひよっとして、演ずることや表現する

ことを素晴らしいと思って、将来の進路に影響を受けるような若者が生まれたりしたら・・・。なんて想像したら

嬉しくなります。

 

ほんの偶然の出会いから空から降ってきた奇跡のようにこの小さな町で上演される「屋根」。

「七年ぶりで上演される素晴らしい舞台ですよ!」

初めて訪れた富良野で富良野GROUPの谷山さんからそううかがってから1年半くらいになるけれど、、お芝居が上演

されるまでどれほどのエネルギーが費やされるのかを具に見たような気がします。

素晴らしい経験をさせていただきました。そして富良野を軸にして多くの友人を得ました。

これからはチケットを販売するのではなく、実際の舞台上演のための細かい準備に入ります。

明日は北海道を出て本州での初めての公演地は仙台。3月18日の岩出山公演では観られないかもしれないので、

実行委員メンバー揃って観に行きます。

とても楽しみです。