昨日は1日雨が降り続く中、南三陸に行ってきました。
菊の小野寺師匠に会うことと、べつの仮設住宅に住んでいたK子さんとSAOちゃん一家が
仮設のすぐ下にあるご親戚の家に移られたから、そのお祝い、そして頼んだ新聞バッグを取りに行きました。
正直、雨が降る日にはあんまり南三陸に行きたくないです。水がどうなのかなあ、と思うから。
でも大丈夫。北上川もやたらに水量が多くないし、南三陸も静かな雨でした。
先日行った時と変わったことは、礎石とか床コンクリートを剥がし始めたこと。潰れた車のガレキはまだたくさん 残っているけれど、それ以外に見渡す景色の中に、これもガレキというのでしょうか。壊したコンクリート塊の大きな山々々が横にも縦にも連なっています。
復興に向かっての次の段階、とポジティブに捉えなければいけないのでしょうが、やっぱり壊したコンクリートの大山が目の端々まで連なっているというのは、見たことない景色だし、なんとも言えない異様な風景。
そして津波を被って赤茶色に立ち枯れた杉などの立木がたくさん伐られて積み上げられてます。あっちの山でも こっちの山でも、造成のための木の伐採が行われていて、建設的のような荒涼としているような。
ただ港のほうは近づきにくいので行ったことはありません。
小野寺師匠の仮設の入り口に飲み物の自販機が置かれているのに気が付きました。
自販機の向こうのテントはみなさんが外で集える憩いの場です。
ここの仮設住宅から移転ができるのはまだまだ先のようです。
小野寺師匠の仮設から奥さんのムッちゃんに先導してもらってK子さんの新しいお宅へ。
このお宅は昨年暫らくの間新聞バッグ制作のために倉庫を使わせてもらったことがあるので、中を見せて
もらったことがあるのですが、お部屋が10もあるような立派なお宅です。
おじいさんもおばあさんも広い居間の掘りごたつに並んで座っておられて、お話しすることができました。
避難の旅館から仮設住宅に移られた時にお会いして以来です。狭い狭い仮設住宅でご不自由だったと
思いますがお元気そうでした。
月並みな言い方で表現に困るのですが、おじいさんやおばあさん、K子さんにお父さん、そしてsaoちゃんや
いつも一緒の新聞バッグインストラクターのシンコさん。お会いする度になんていい方たちなんだろう、と
心から思います。
シンコとおじいさんが呼び捨てにされるので、「シンコさんはご親戚ですか」と訊ねたら、おじいさんは
「違う。親戚じゃないけど家族と一緒だから。仮設の9世帯みんな家族みたいなもんだ」と笑われました。
これから先のお仕事はワカメ準備だそうです。
そしてひとつ私がとてもびっくりしたことがあります。
大震災から1年半。東京などから友人や知人が宮城を訪ねてくる度に、被災地に案内するのは毎回の
ことですが、行く先はサンサン商店街で買い物するくらいで他に行くところがない。
どこか行けるところはないの? 海辺とか? と、最近思ってました。
そう思って先日4歳の孫を連れて海に出かけたのですが、浜辺に降りられるところがない。
あるんじゃないのかなあ。細浦とかなんとか浦とか道路の標示はあるので、見に行こうかなあとは思うものの
自信がなくて行ったことはありません。
で、今日はよい機会なので「どこか行けるとこ、浜とかないんですか。人を呼びたいけど行くところがなくて」
そう訊ねたら「海は水がいっぱいで砂浜とかはなくなってしまった」「いつも高潮だ。水が引かない」
と答えが返ってきました。
引かないんじゃなくて、潮の満ち引きがわからないくらい地盤沈下で町の外は海そのものになちゃったんですね。
驚きました。これだけ南三陸に来ているのに、あちこちの浸水地を見て、川の水と道路の境がすれすれになって
恐ろしいなと思っているのに、わかっていませんでした。
ほんとうに大変なことなんだな、と改めて思いました。
人を南三陸に呼びたいけれど、行くところ、見るところ何にもない。
私の場合は仮設住宅にお邪魔して、喋り始めたら時間も忘れますが、知り合いがいない観光だったら、材料が
少なすぎて後が続かない。
難問ですねえ。