新聞バッグを作るお仕事をつくった話

北海道編からちょっと外れて、ここひと月ほどのニュースのいくつか。

突然にびっくりすうようなことばかり起こって、その都度驚かされます。

1ヶ月半ほど前、突然地元の岩出山中学校の斉藤みか先生から連絡があり、
お会いすることになりました。
斉藤先生はNIE(Newspaper In Education)アドヴァイザー、つまりは
学校教育に新聞を取り入れるという活動をなさっていて、地元で新聞バッグ
と作る活動をやっている海の手山の手のことを知ったので、一緒に活動
できないか、というお話を持って来られたのでした。

大震災以来もうまる9年近くも新聞バッグを作って販売するという活動を
海の手山の手はやってきたけれど、数多い企業やその他の団体との連携は
あっても地元の学校との連携はなかった。

新聞バッグを通じて中学生や高校生と接することができたのは、首都圏から
東北震災地区に修学旅行にやってくる生徒たちに新聞バッグワークショップ
をやったという繋がりのみでした。

そういう形以外に学校と連携をするのは大変難しい。
のだけれど、なんと前触れもなく憧れの地元の子供たちと接する機会が
突然差し出されてまずはびっくり。

その前にNIE活動がどんなものだかを知るために、中学校で定期的に行われて
いるというNIEワークショップに参加させてもらうことにしました。

参加者はこの学校や違う学校の先生がたのみ。小5の孫はいるけど大昔に
我が子らが中学生だった時以来中学校に足を運んでいない私は、勝手が違って
緊張。居心地悪い。

そしてこのNIEなるもの。白鵬大学の渡辺裕子先生が考案された言葉の貯金箱。
日々の新聞から自分がすきな言葉や心にひっかかる言葉を選んで「チャリーン」
の掛け声とともに言葉の切り抜きを貯金箱に入れ、台紙に貼って自分なりの
言葉を書き加えたりイラストを描いたりしてみる。

やってみるとなかなか楽しくて決められた一定時間をつい忘れそう。
やりながらついつい前の人ともしゃべるし、出来上がれば笑います。これは
新聞バッグを作る時と同じ。そしてこの「コトチョキ」の場合は、新聞を読む
ことから言葉の語彙が増え漢字は覚え考え、国語力は上がる。NIEは大変素晴
らしい活動だと感心させられました。

進行役の渡辺先生のお話は大変楽しく、そしてまたこの活動を中学校全体で
取り組んでいるという校長先生のお話も耳新しく、誘って頂いたお陰で楽しい
体験ができました。

このNIE活動の一環として、近々に河北新報本社でNIE活動に関わる
先生方に新聞バッグワークショップをやってほしい、という要望があり、
了承しました。そしてもうひとつやってほしいことがある、という要望も
頂きましたが、ワークショップはよほどの人数でない限りはやれないこと
はないのでそれも了解しました。

そして数日後、もうひとつのほうの次第ができたということで取りに行き、
封筒を開けて中の次第を見て仰天。血の気がすーーーっと、、。
2度目の大びっくり。人の話をちゃんと聴かないからこういうことになる、
と後悔しきり。どうしよう。この歳にして久しぶりの大困惑。

新聞バッグワークショップの依頼ではなく、中学校の「志の時間」の講師。
つまりは私が中学校の全生徒と先生方の前で講話をするという話で、そんな
ことこの私ができる訳がない。どうしよう、どうしよう、と気持ちがウロウロ
する間に2、3日が経ち、もう日がないのに断れば先生が困られるだろう。
ほんと、どうしよう、と悩みに悩んだのち、もうやろう!と腹を括りました。
やるなら後ろを見ない。勢いで突っ走る!

講話の題。
一応は道徳の時間なので、「新聞バッグを作るという仕事を作った話」
大震災後、津波で家やお仕事を失って鳴子温泉に避難してこられた沿岸部の
方々が一番望んだのはお仕事をすることでした。地震の被害だけで津波の
被害を受けなかった私たちは海の人たちと一緒にお仕事作りをすることに
し、津波で失った機械ではなく、手で作れる仕事として、
縫い物の仕事、お花を植える仕事、そして新聞バッグを作って売る仕事を
考えました。どの仕事も9年近く経った今も続いていますが、新聞バッグ
を作る仕事は、新聞バッグを通してこの岩出山の外に住むたくさんの
人たちと知り合い、たくさんの土地のことを知り、アメリカやイタリアなど
世界の国々まで繋がりを広げてくれるお仕事でした。

というようなお話を脂汗、冷や汗が流れるようなど緊張でようやく終えた
後、生徒会長が進み出て挨拶をしてくれました。
「僕は小学校まで世界は平和だと思ってました。が、今のお話で決して
平和ではないことがわかりました」
「お礼に、、、」と。
白いハチマキを占めた体格のいい男子生徒が10数人、女子1人、バラバラバラ
と進み出たかと思うと、太鼓がドドドンドドドン、、、
3度めの大びっくり! ほんと、びっくりした!
頭真っ白、直立不動の私の眼前で全校生徒一丸になっての応援エール。
フレーーーッ、フレーーーッ、リヨウコーーッ
フレーーーッ、フレーーーッ リヨウコッ

2百数十人の子供たちから自分の名を連呼されるなんて長い人生で初。
びっくりしましたわ。どこ見ていいのかわからなかった。
でも何か言わねばならないと、
「ありがとうーっ、背筋が伸びました、寿命が伸びました、ありがとう!」

ほんとにありがたかった。
得難い経験でした。
11月始めには学校の授業で新聞バッグを作ります。

山の花園

旭川で私が行きたいのは旭川動物園と山全体がガーデンだという紋別町の
「陽殖園」。
この「陽殖園」というのが知る人ぞ知る日本一変わったガーデンというか、
70歳を半ば過ぎた男性がひとりで60年の歳月をかけて作り上げ、今もなお
造り続けているという山の中にあるのではなく、ひとつの山を全部利用して
作っているという花園なのです。

何かの雑誌でその山の斜面をピンク色に彩るエリカの群落を見て以来、一度
は行ってみたい、見てみたい、とは思うものの、紋別は富良野から遠く離れた
オホーツク海に近い町。その上に花咲く季節が限定されているので旅程を
立てるのが難しく、憧れるけれど行けない私にとっては幻のようなガーデン
なのでした。

そのガーデンに今回はND君が連れて行ってくれるというので、「陽殖園」
訪問はまさしく私の今回の旅のハイライト。

と、その前にとND君が連れて行ってくれたのが、ND君がガーデン研修前に
トムラウシ山から旭岳を縦走した折に、降った旭岳の麓で偶然出会った町、
東川町。

ND君が移住したいと思うくらい気に入ったというので、ちょっとだけの時間
で立ち寄りましたが、まさにこの小さな町は、人が住む、暮らす、子供を
育てる、または私のような移住者にとっては理想郷のような町でした。

旧小学校を利用して作られた町の交流文化施設、セントピュア。
見事にモダンに造り変えられていて、今は日本語学校やコミュニティセンター
として利用されています。たまたまその日は外国語学校の卒業式らしく、
正装した外国人男女明るい笑い声が廊下に響いていました。

隣に置かれたセントピュア2は広々とした大きな図書館。
ここもまた豊富な蔵書に、「写真の町」を宣言したこの町の写真の歴史に
北欧と提携研究されたこの町の生産物のモダンな家具の展示等々、ユニークな
町づくりの工夫が随所に読み取れ、移住者や観光客が増え続けているという
実態が頷けます。若い家族の移住者が多いのか、保育施設ももんがの家の
園庭には数多い子供たちに色とりどりの帽子が見えました。

上の写真は図書館内部。株主制度があって私でもこの町の株主になれるらしい
らしいのでなってみようかなあ。

しかし、私がなにより驚いたのは、この旭川近郊の車窓の光景。大穀倉地帯。
北海道の大地は広く、稲田も広大で、9月も半ばというのにそして日本一
寒いらしい旭川近郊なのに、稲田は早くも真っ黄色に色づいて圧倒的な
迫力をもって目をよぎります。とにかく広い!

お昼を過ぎてようやく陽殖園がある滝上の町に到着。
道の駅はあるけど、食堂はなく他に食事ができるところは1軒くらいしかない
ので訪問する方はご用心。

いざ、憧れの山のガーデンへ。

なるほど。山の花園入り口の看板も普通とはちょっと違っている。
受付におられたのはご当主の高橋武一さん。
14歳からひとりで山に花を植え続けてきたというちょっと得意な生き方とは
裏腹に、至ってにこやかに出迎えて頂きましたが、背後には
「花の名前を訊くのは2個まで」
「作り方は訊かないこと」
「山のなかのものは一切持ち帰らない」との大書した注意書きが、、。

ガランガランとなる大きな鈴が5、6個ついたベルトを腰に巻きつけ
(要は大きな熊鈴)、山中案内地図をもらい、何やら緊張して山の中へ。


通路を赤く彩るのはベルガモット。
ここはやっぱり山です。地図を見ても迷う。

今は9月半ばで花は咲き残りの季節。案内図を確かめながら歩いていられる
けれど、花全盛期の頃に来たら花に見とれて道に迷いそう。
と笑っていたのは道半ばくらいまで。最後のほうはほんとにわからなく
って出口に辿りつけるのか不安になりました。

池には睡蓮や河骨が。

目指すエリカの山にやっと出逢えました。感動!

しかし、ここのエリカはばかでかい。普通園芸店で見かけるのは20センチほど。
大きくったってせいぜい25センチくらいなのに、山の斜面に植えられたエリカ
も山道沿いのエリカも50センチほどには育って見るからにでっかい。

エリカだけではなくて、この山の花園の植物は植栽した園芸種でもものすごく
大きくて、山に植えるのと山じゃない平地に植えるのは何故こうも大きく
なり方が違うんだろうと不思議。何が違うんだろう。

ここ数年憧れていた陽殖園にやっと行けて感動。
武一さんからは、今度は泊りがけでゆっくりおいで。と言っていただいた
けれど、ほんとに今の元気が続いたら、是非また来てみたい。その時は
オホーツクの海辺まで行って、ハマナシを見てみたいと新たな希望が
湧きます。

また大穀倉地帯を眺めながら戻って旭川泊まり。
翌日は旭川の上野ガーデンから糠平湖を通り幕別まで行きます。
延々と運転してくれるND君に感謝。