2、3日前梅農場の前の道路を通った時、もう薄暮の時間だったのですが、白く延々と続く梅林の開花の時期の
凄さに圧倒されました。
それから2日経って、昨日の夕方所用のついでにもう一度寄って写真を撮りました。
よく見ればもう花は終わりの時。でも福岡生まれで学校の遠足は梅の名所である太宰府天満宮に通い、
水戸の偕楽園の梅林を何度も訪れた目で見ても、この岩出山の佐藤農場の梅林は凄いです。
今、開拓3代目。7000本だか8000本だかの見事に手入れをされた梅の大木が等間隔で延々と連なる
梅林の光景は、宮城の財産だ、と私には思えます。
前回は情報交換会だった、もつくりネットの会の立ち上げ会に行ってきました。
堅苦しい会ではなくて、津波で壊滅状態になった荒浜やその他の土地に綿のタネを蒔き、東北コットンプロジェクトを
展開する赤坂社長をリーダーとして、後はモノを作る熟年の女性ばかりをメンバーとする規則も事業計画も
ゆるーい会です。
今日は名前を付けるということで集まりましたが、みんなで考えた割にはいかにも普通の
「モノ作りネットみやぎ」という名の会の発足となりました。
男性は赤坂社長のみ。後は取材もするが仲間でもある地元新聞記者2名。これは男性です。
そして今日特筆すべきはこの糸!
何で染めた糸でしょう。
荒浜のコットンプロジェクトはタネを蒔いた最初の年は大雨で流れてしまって収穫できなかったとのこと。
この糸は、メンバーのOさんが赤坂氏のところで昨年採れた綿を紡いで糸にして、前回の会で初めて出会った
薔薇染めのHさんのところへ行って、紅い薔薇の花で染めたもの。
玉ねぎや紅茶などで糸を染めるのは知っていたけど、バラの花で染めた糸を見るのは初めてです。
軟らかいやさしいピンクで、とてもきれい。
綿のタネを塩害を受けた土地に蒔き(蒔くのは全国から集まってくれるボランティアさん)、秋に収穫し(収穫を手伝うのも全国から集まってくれるボランティアさん)、採った綿を紡績工場に送って布にして、その布で綿のハンカチだの
ジーパンだの手拭いだのに製品化される。今年はもっともっとたくさんの綿製品になるのだそうです。
まだ商売として成り立つまでにはなっていない。けれどたくさんの展開が考えられるので面白い。止めたくないという
のが赤坂リーダーのお話。綿の話が最初に来た時には、全然やりたくなかったのだそうです。
綿の花を採った後の茎は紙になってました。便箋、手帳、その他の紙製品。
採ったタネは次に蒔く種になり、花は糸になり布になり、茎は紙になる。
綿は無駄になる部分が全然ないのです。
新聞バッグも商売として成り立たせるのは難しいと思うけど、新聞紙自体も新聞を使っていろいろな形のモノ作りを
することも面白い。止められないー、というのは赤坂社長と一緒。
綿は高温発芽です。もう少し暖かくならなければ芽が出ないし、育たない。
ラベンダーが欲しくてのこのこ出かけて行った集まりでしたが、偶然の出会いで、今年は綿のタネ蒔きから収穫、
糸紡ぎから染めまでを見せて頂けそう。
とても楽しみです。
全国から集まってくれた人が津波に洗われた土地にタネを蒔き、収穫をし、日本のたくさんの企業が参加して
紡績加工をし、布の製品を作り紙の加工をする。糸や紙で作られた製品を見せて頂きましたが、どれも素晴らしく、 この先の展開を想像すると部外者の私でさえ、ドキドキします。
こういうが本当の東北の復興への動きじゃないのかなあ、と私は感じるのですが、、、。
なんか確実に一歩一歩進んでいる気がして。
この次薔薇園に行く時には、必ず私もくっついてゆきます。ラバンダーの圃場にも行きます。