嬉しいおくりもの

またも大雪です。

前の大雪の時には、我が家の進入路を登ってきた生協さんのトラック
が滑って下れなくなり、近所の人間で雪掘ったり牽引したりで、やっと
出てもらいましたが、今朝は娘の婿さんが雪にハマりました。

もう私は全くの役立たず。早朝のことでご近所さんも呼ぶことならず、
娘から「風邪引くから家の中にいるように」と厳命を受けて、家の
中でヤキモキしていたら、間も無く夫婦ふたりで車を引き上げました。

婿さんの馬鹿力とある時期北海道に住んだ娘の知恵を合わせて、コト
無きを得ましたが、もっともっと北のほうに住む方々や豪雪地域に住む
方々はこの大雪で大変な思いをなさっているでしょう。
事故や怪我が少ないことを祈ります。

嬉しい贈り物のお話です。

昨年のクリスマスの頃に、いつもPCメインテナンスなどでお世話に
なっているkarino さんから荷物が届きました。
何も頼んでいないのに何だろうと思いながら開けると、思いがけない
嬉しいおくりものが出てきました。

頂いたのは帆布のトートバッグ。

このバッグの柄は、私が毎日の仕事に使っているお餅のラベルです。
毎日見てるものなのだけど、違う意味でほんとうに懐かしい。

このラベルは私の友達のご主人がデザインしてくれました。
彼女は中学入学以来現在に至るまで最も近しい友達ですが、私の夫が
東京の企業を退職して田舎暮らしを志し、この町の道の駅で「お米を
使う仕事」としてお餅を売ろうと決めた時に、デザイナーのご主人が
作ってくれました。

赤い椿の花にも四角いマスにも暖かい励ましの意味があります。
この先私がいつまで仕事を続けられるか分からないけれど、最後
までこのラベルを使おうと決めていました。

彼女とは中学高校と通じてテニスのパートナーでしたが(6年間同じ
クラスというのは現実的じゃないけれど、でも別のクラスになった
記憶もないので、それも分からぬくらい何時も一緒だったということ
かも)卒業して就職、結婚してからも遠かったり近かったりしながら
共に人生を歩んできました。

という関わりなので、どうしてもご主人とお会いする機会も多い。
うちの夫も同様ですが。

50代に入った頃にご主人のお許しを貰って、ふたりであちこち旅を
しました。まだ運転免許を持たない彼女が助手席に座り、運転担当は
私で、長野県の高峰高原、地獄谷温泉、そして日光周辺や阿蘇山を
巡って遊びました。

調子に乗って彼女に請われて山登りもしました。
80歳の現在までテニス現役の彼女は滅法脚力が強いのです。


ある年の5月初めの頃、福岡から出てきた彼女と共に会津駒ヶ岳に
登りました。
その日こじらせた風邪で私の調子が悪く、同行を誘った友人と3人
普段なら3時間で登れるところを4時間かかって山頂の山小屋到着。
そのまま私は食わず遊ばず寝て休憩して過ごし、彼女と友人はスキー
で遊んで2時過ぎには下山開始。

順調に5合目近くまで下ったところで彼女の「あんた、こげなところには
来とらんよ!」のひと声で一気に緊張。

尾根間違えた。
下る前、山小屋のおじさんから「尾根間違えるな。ワンダリングするな。
隣の山では今捜索隊が入っているから尾根に気をつけろ」とあれほど
注意を受けたのに、話半分に聞いて、尾根間違えました。
それ以上下るわけにはいかず、雪が溶けた木のウロに入って野宿決行。

さんざん休んだ後だから死ぬかも、という気持ちは全くなかったけれど
日帰り装備しかない食べ物もない会津駒ヶ岳での一夜はとにかく
寒く、澄み切った星空と、夜明けの待ち遠しさは今も忘れられません。

夜明けとともに凍った山道を登り返し、7時半だったか8時だったかの
彼女とご主人のコールタイムリミットには間に合い、コトなきを得ました
が、彼女はご主人にバレるのが、私は捜索願いを出されるのが怖かった。

それから数年してご主人は病を得、その後亡くなられましたが、私の夫
もいなくなり、彼女も私もどこへ何日行こうと、電話をかける必要もなく、
心配かけることも叱られることもなくなりました。

夫が亡くなって、ひとり暮らしももう10年にもなろうとする彼女と私の
時折りの会話の中には、夫たちが話題になることもないのですが、
今回のご主人のお餅バッグには驚かされました。

ご主人が戻ってきてくれたようでほんとうに嬉しかった。
彼女に見せたくて(彼女に画像は送れない)方法を考えているのですが
「いいよ、送らなくていいよ」と言ってくれる彼女にやっぱりこのバッグ
は送ろうと思います。

karinoさんに心から感謝します。


新聞バッグをとりに

頼んでいた新聞バッグをとりに、南三陸歌津のけいこさん宅に行って
来ました。

けいこさんのところよりもだいぶ気仙沼よりに住んでいるむっちゃん
から頼まれていた「キクイモ」と「ヤーコン」も持って行くことに
して、むっちゃんにけいこさんちまで取りに来てもらうようにしました。

大震災後、けいこさんやむっちゃんが鳴子温泉に避難していた時には
毎日のように顔を合わせていたけれど、南三陸に戻ってからはみんなで
顔を合わせる機会は滅多にないので楽しみです。

お天気は上々の快晴。
こんな日じゃないと鳴子温泉にほど近い我が家から車で1時間40分ほど
かかる南三陸到着までの2ヶ所ほどの山越えの道路の雪が気になって
出かける気分にはなれません。
雪は残っていたけれど支障なくけいこさん宅に到着しました。

高速道路や護岸工事や復興住宅建設工事や防潮堤工事などの複数復興
工事真っ最中の時は、行く度に道路が変わって迷子になったり、わから
ない内に海に出ちゃったりしていたけれど、今はそんなことはなくなり
出来上がるものはできたという感じ。でも川や海が見える風景も
巨大なコンクリートで固められて、なんというか馴染み難いけれど、
仕方がないのですかね。

むっちゃんもやってきて、久しぶりに炬燵を囲んで92歳のおばあちゃん、
けいこさんとこのお父さん、むっちゃん、私と思い出話に花を咲かせました。
顔が足りないのは、もう天国に行ってしまったけれど、ほんとに優しくて
頼り甲斐があったおじいちゃん。そして今は体を悪くしているむっちゃんち
の旦那様。むっちゃんのだんな様には大震災後、菊栽培を教わりました。

そしてその教わった実績が現在も私たちの町の道の駅花生産者の菊栽培
に続いています。

私たちがいる間吠え立て続ける犬のクロ。
まだ仮設住宅の入居も決まらぬ時にどこから来たのか、クロを手に入れ
一緒に散歩に出かけるお父さんの姿に、普通の生活に戻れる未来を感じて
嬉しくなったものでした。
そのお父さんも体調不全。

70歳を超えた女子は全員大丈夫。
男子組の体調不全が寂しく気になるところです。

今年は何故だかワカメがこの時期なのに大きく育ってしまっているのだ
とか。昨年は私たちの畑の土の中も温度が高いらしく、びっくりするような
デッカい大根やサツマイモを見ることがあったけど、海の中でも同じような
現象が起こっているのかしら。

新聞バッグおおかげで久しぶりの楽しい再会でした。

ワカメの仕事が始まらない今は牡蠣の仕事に行ってるけいこさんから
りっぱな牡蠣と採ったばかりの大きな生ワカメを頂きました。
途中高速入り口に間近い新しくできた魚屋さんで、鯖、海タナゴ、イカ
など買い込んで帰途に。楽しい一日でした。

新ワカメはこんなに大きかった。

本格的なワカメのお仕事は3月くらいから始まります。

たくさんの犠牲者を出した志津川の防災庁舎は緑のお椀をふせたような
公園になってました。気づかなかった。

年末から年始へ

昨年の年末から今年のお正月にかけては、毎日毎日しんしんと雪。
特にクリスマスの頃のどか雪は45センチくらいも積もって、車を出せず
二日間家の中で缶詰状態になりました。

せっかくの缶詰なので、12月の半ばまでがんばって収穫したけど弾かずに
硬い蕾のままの綿の実を弾かせようと大奮闘。

長ーい畝(70メーター)2本に植えた綿の木を、友達の農家のお母さんのクリ
ちゃんとふたりで、きれいな綿を収穫することは半ば諦めつつ、でも全部の木
の枝を切って収穫しました。

そのままでは綿の実が開かないので家の中に移動。
リビング中、凄いことになりました。わただらけ!

足の踏み場もない。
家族がいたら叱られそうだけど、夫は写真の中。猫しかいないの
広げ放題で乾かしたら、少しずつ綿らしくなってきました。
本来ならこんなふうにならなきゃならないのだけれど。

東北は寒いので、綿の栽培には向かないとは思うだけれど、2022年の今年で
3度目。もう一回挑戦しようと思います。クリちゃんは、もう止めようと
言うけれど。

雪の中で迎えたお正月。
もう80歳になったのでおせち料理など丁寧に作って、3が日はお餅の仕事
はお休みにすることにしました。

元旦は正月用の餅切りで痛くなった肩の休息日。
2日は初詣に行くことにして、雪がないところを目指して石巻、女川へ。
女川に行けば、海が見られるしお魚も買えます。

初めて詣でる女川の熊野神社。令和2年に建造されたピカピカ新品の
鳥居と社殿でした。


人影まばらなハマテラス。そして女川の海。すっかりきれいになりました。

残念ながらお魚屋さんは終わってました。

お店はお休みだけれど、干物が買える自動販売機。
さすが女川。冷凍のお魚が買えるベンディングマシンというのは
初めて見ました。

石巻に戻って、1ヶ月に2回教えを乞うている洋裁と織物の先生宅へ。
この先生宅に来ると糸談義が白熱します。

今先生がはまっている(私たちもはまっている)カシミアのマフラーが
実に軽やかで素敵です。

これもカシミア。

そしてこれはポーランド、ヤノフ村のヤノフ織り。

3月には展示会をやります。

やることが多くて目が眩むようだけど、なにはともあれ今年も始まります。

コロナに罹らないように、病気をしないように留意して、モノ作りに
励んでいこうと思います。