大混雑

今日は日曜日。

いよいよ紅葉見物もピークにさしかかって、道の駅周りの道路の混雑が予測されるので、とにかく朝は

がんばってできるだけ早く行くようにしたので、さほどの渋滞もなく無事家に戻ることができました。

そしてもう1回お餅を切って、2回目道の駅へ。

道路の混雑を避けて山越えして道の駅正面の信号に出たら、この状態。

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信号が青になっても進めません。

中も外も麻痺状態でお巡りさんが交通整理をしてました。

正面道の駅の屋上に見えるのは警備員さん。駐車場の要所、要所に配置されてはいるんだけど、入って

車を捌けなくなってついにお巡りさんの出場になったみたいです。

笛をくわえて、ピピー、ピ、ピ、ピ、ピーーーーーッ、GOという具合で、お巡りさんの誘導で行き詰まった車が

どんどん右へ左へと動いていきます。

さすが!ですが、私は全然行かせてもらえない。

暇なので写真を撮りました。道の駅でお巡りさんの交通整理を見るのは初めてです。

どこのお巡りさんなんだろう。道の駅の隣の駐在さんでも、ちゃんと有事の場合に備えて交通整理の練習を

するんだろうか。

お巡りさんの手際の良さで、混乱もなく車が動き始めました。

やっと中に入って出会った生産者仲間のYさんに「凄い状態ねすねえ。お巡りさん出てますよ」と言ったら、

「こんなになったら誰が出てきてもダメだあ」

 

次の終末はお祭りです。

1年分の感謝を込めて「感謝祭」。そして「新米祭り」。

ちょっと(だいぶん)混みあいますが、万全の態勢でお客様をお迎えしたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

手が生み出す力

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今日は10月25日。

紅葉真っ盛り。道の駅への出荷の道で、鳴子温泉の向こうの山々が全山赤く染まっているのを見る度に

ああ、行きたいなあ、早く行かなきゃ終わっちゃう、と気が急きます。

今深夜近く、大量のお餅を搗き終わったばかり。

昨年の今頃は、夫が亡くなって1ヶ月とちょっとの時で、張り詰めていた心も身体もグズグズになって

最後は潰れて寝込んでました。

あれから1年。紅葉シーズンを一人で迎えるのは初めてです。搗くお餅の量が1日1日増えてくるので

朝から晩まで中間の何時間かを除いてお餅仕事ばかりしているような気がします。

夫がいる時は、朝お餅を切るのが私の担当、夜お餅をつくのが夫の担当、あんこのお餅は二人で

作る、という役割分担だったのを一人でやれば、まあ、そういうことになります。

半月ほど前に新米ができて、振り返ってみれば、夫が亡くなってこの1年、二人でやっていた時と

同じくらいのお米を消費していることに、なんか自分でもびっくり。

 

海山新聞バッグもやっているので、餅ばかり搗いているわけでもないのだけれど、朝自分がやっていた

分をやって、夜夫がやっていた分を地道にやっていたら、1年で一人で約3000キロのお米をお餅に作って

きたということになります。

海の手山の手という団体を私たちはやっているけれども、改めてやっぱり手が生み出す力というのは

凄いもんだと感心してます。

 

東京で会社勤めをしていた夫が、この地に来てお米を使う仕事として亡くなる直前まで搗いていたお餅。

何より大事にしていたお餅の仕事。

紅葉が始まってからだいぶ時間が経ち、少々疲れてますが、この紅葉シーズン、オトーサンにも喜んでもら

えるようにあと一踏ん張りがんばります。

 

 

 

 

 

 

 

 

パンク騒動

朝、道の駅へ行こうと家から下の道へ下り、走り出したところでガタンガタンと異様な感触。

ムムム、ム! この感触はパンク。それも半端ない修復不可能のパンク。

停めて外に出てみたら右前輪がペッチャンコに潰れてました。

車を駐車しておいたら誰かに切られたというような物騒なところではないので、何かを

踏んで切れたかそんなところでしょう。

 

いったん家に戻って娘の車を借りてお餅の出荷をした後、近くの車屋さんに電話をしました。

すぐに見てくれるというので、ハザードつけてガッタンガッタンしながら車屋さんに行きました。

正確には車屋さんではなく、農機具でも車でも修理してくれるところですが、こういう機械の修理屋さん

が家の近くにあるといざという時とても助かります。これまでも脱輪して引き上げてもらったり、様々お世話

になりました。いつもとても親切に対応してくれます。

 

で、パンクのほうは、というと、大変な事実が判明。

スペアタイヤがないんですって。

私が忘れたんじゃなくて、この車に最初から搭載されていないということ。今の車にはスペアがないのは

多いということなんですが、じゃあ、どうするの?

知らなかった。車を買う時、聞いたような気がしないでもないけれど、現実感がないので気に留めていなかった。

いや、まいりました。近場じゃなくて、遠いとこでパンクしたらどうするんだろう?

なぜなぜなぜなぜなぜ?

「うーん、JAF呼ぶとか・・・・・。」と車屋さん。

えーーッ タイヤのパンクでJAFに来てもらうんですか?

 

で、調べてもらったら、結局は同じタイヤが車屋さんにくるのは29日。1週間後です。

あーでもないこーでもない、と検討した結果、新しいタイヤが来るまでの間冬タイヤを付けよう

ということになったのですが、その冬タイヤをホンダ社に預けっぱなしだったのを思い出しました。

 

致し方なく車屋さんにホンダまで走ってもらって、冬タイヤを持ってきてもらい、付け換えたら連絡を

もらうということで、娘に迎えに来てもらって帰宅。

2時間後にまた娘に送られて車屋さんへ。

そして朝パンクした車は夕方冬タイヤを付けてもらって帰還。1週間後にまた行って冬タイヤを

新しいタイヤに替えてもらって終了、ということになりますが、ただのパンクでひと騒動でした。

 

これが寒いところではなくて冬タイヤなんか持たなかったら、1週間どうするんですかねえ。

いやー、わからん。

これまで、4回くらいパンクしたことあるけど、初めてここれはえらいことだと恐ろしくなりました。

注意します、ったって路面睨んで運転するわけではないんだから、車が新しくなって便利になったんだか

不便になったんだかさっぱりわかりません。驚きました、ほんと!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ふるかわまつり

日々古川で仕事をするクロダさんによれば、今日はふるかわ祭りなんだそうです。

夏祭りは行ったことあるけど、今の時期のふるかわ祭りというのは何なのかわからない。

格別祭り好きというのではないのですが、どうしても今日買わなきゃいけないものがあるし、クロダさんによ

れば、よっちゃん達がほっかぶりで出店しているということで、朝から昼までかかった大量のお餅仕事を

終えて、孫づれで出かけてみました。

商店街ロードまで行くと、丁度武者行列が歩き始めたところでした。どちら様の行列なんだろう。やっぱり

伊達家? と考えていたらやっぱり馬に乗った伊達のお殿様のお行列でした。伊達のお殿様の武者行列

を見るのは今年2度目です。

先だっては岩出山の正宗公祭りで見ました。馬に乗った正宗公とその重鎮たち、そして徒歩組の藩士、

全員揃って「えいえいおー」と勝ち鬨を上げたところでド・ドーンと雷鳴が響き、ドーッツと雨が降り出して

見られませんでした。

今日はまたもすごくゆっくり!! そして歩く人も見る人もなんだか静か。祭りじゃないみたい。

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テントが並ぶ出店コーナーに行ってみました。中で飛んだり跳ねたり転がったりして遊べる、子供たち

が大好きなでっかい風船人形みたいなのもあって、ここは人出で大賑わい。

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勿論ほっかぶり隊もフルメンバーで出場。古川の有名レストランや料理屋の出店テントに混じって、

よっちゃん焼き鳥、新米の定食、ほっかぶり煮や新聞バッグ入り3種米などを並べて健闘してました。

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が、私が目を止めたのは、ほっかぶりの隣で古川のカフェ、ウラバタケのオーナーK君が焼いている

炭火焼のハンバーガー! なんと、なつかしい!!

大昔、福岡の米空軍基地のIBMルームで働いていた時に、仲間の女性たちや兵隊たちに人気

があったトニーズハンバーガーとそっくりそのままのハンバーガーではないですか。

 

今私はハンバーガーはほとんど食べません。マックもモスも。凝ったソースが好きじゃない。

でもこのハンバーガーはパンも特別なら、ハンバーグも混じりけなしのひき肉という味で、新鮮な薄い

玉ねぎをどっさり挟んで食べてました。おいしかった思い出です!

「これはアメリカンスタイルのハンバーガーだね」と言ったら、小玉くんはそういうのが好きなんだそうです。

「こういうの食べさせるお店が古川にないからウラバタケさんでランチに出して」とお願いしたら、そうっすね

え、考えましょう、と私の妄想に付き合ってくれました。

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K君のお母様には海山を始めたときにずいぶんお世話になりました。

 

行列が終わった後の商店街のホコ天。

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誰もいなくなっちゃった。今日は日曜日なんですけどねー。寂しいーーホコ天。

 

帰るとりんごを頂いたYさんにお礼のアップルパイができていました。

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熱々のうちに持ってってーという娘の一声でYさん宅まで届けたら、また大量のりんごを頂いて

しまった。今度は何作ろう?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実りの秋、収穫の秋です!

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朝夕、寒くなりました。

山の木々は色づき始め、草紅葉が始まり、いよいよ紅葉シーズン到来。今年は台風の時以外は秋晴れの

日が多かったから、もしかすると見事にきれいな紅葉が見られるかも・・・・。栗駒山に行きたいのだけれど、

これが道路が混むんだよねえ。全然停められない。

そして今の時期は収穫の時期。道の駅直売所も採れたての野菜や果物でいっぱい。休日は紅葉見物の

お客様でにぎわっています。

そして我が家の収穫物は。拾いもの、もらいもの、畠で採ったもの。

 

庭で栗拾いの現場。いがで怪我しないように注意しながら見つけます。

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こんだけ。

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次、木から採る。

夏ハゼ。ジャムにします。これはいっぱいある。

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落ちたのを拾う。

リスに採られたので少しだけのクルミ。

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もらう。

生産者仲間のYさんから頂いたたくさんのりんご。

何にしようかと考え中だけど、とりあえず娘にアップルパイを作ってもらって食べました。

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幼稚園のりんご刈りで採ってきました。

これはまったくの地元りんごです。ヒメカミかな?

よそでは売ってません。

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畠のめぐみのさつまいも。

ネズミに食べられました。

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そしてたくさんのお米をもらいました。

道の駅にいくたびに、ニンジン、トマト、なっぱ、豆などなど、さまざまなものをもらって帰ります。

ということで、食品スーパーには犬のご飯買うときくらいしか行ってません。

そうだ、

南三陸に行って、もらってきたサンマ。

多量だったので開いて蒲焼にしました。

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1年に1度。ほんとに有難い季節です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

連休のあと

連休最終日は、お餅仕事もたくさんだけど、新聞バッグの発送もたくさんで、1日中、袋入れしたり

ダンボール詰めしたりして終了。ほんとうはクロダさんと二人、急に寒くなって着るものがほしいので

「行こうぜ、アウトレット」の気分だったのだけど、台風の雨も降り出して断念しました。

夜になって、初めて避難勧告というのが出てびっくり!

そんなに雨も降ってないし、風も吹いていないけれど、近辺のどこかで土砂崩れの恐れがあるほど

雨が降っているのだろうか。

しかし、避難勧告というのが出てみて初めて自分は避難所に行けるのかと考えてみると、耳も聞こえず

目も見えない1日23時間くらい眠っている老犬や猫がいて、やっぱ私は行けないです。

 

朝起きると、雨は降っているけれどもさほど強くもなく、風は木の葉が揺れる程度。

台風は何事もなく行ってしまったようですが、仕事をしない理由がなくなり、普段よりだいぶ遅れて慌てて

お餅を作って出荷。その足で鳴子の玉子屋さんへ。

明日、ラベンダー・comの営業オーコダ女史が見えるのでその紹介です。

先客がおられました。埼玉県の浦和の方で本業は別なんだけれど、「日常風景の面白さを感じ、考え、

記録する」というお仕事をなさっている男性でした。今の時代、昔にはあり得なかった面白いお仕事を

なさる方がいらっしゃるんですねえ。

お話は大変面白かったです。それからきのう南三陸のけいこさんからお借りしたおじいさんの冊子が

インターネットで公開されていることを教えて頂きました。

 

玉子屋のオーナー宮本氏が理事をなさっている東北こどもの家建設計画もどうにか目処がついたようで

来月には開村式がある。その時には応援してくださっているキャンベル先生も来てくださるであろう、という

お話を聞かせてもらいました。

 

午後は孫のピアノのレッスンの付き添い。ゲームの付き添い、モスバーガーのお付き合いで終了。

疲れた!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おじいさんの自分史

連休2日目。ノアさん滞在2日目。

昨日のノアさんは元気なかったので、心配だったのですが、今朝は起きた時からバリバリ元気。

普段は毎日5時に起きて5キロ走るんだそうです。

黒田さん、ノアさん二人に手伝ってもらって、大混雑の道の駅に出荷2回。

仕事が終わったところで、ノアさんも一緒に南三陸のけいこさんのお宅まで新聞紙を届けることにしました。

夏に食糧学院のインターンで来た時には、石巻の十三浜には行って仮設集会所に泊まらせてもらった

けれど、南三陸は初めてだそう。

いつの間に飛来したのか、道すがらの刈り取ったばかりの田には落穂を啄ばむマガンがいっぱい。

空を飛ぶ時には黒く見えるマガンは近くで見ると実にシックな美しい色をした鳥です。白鳥の姿は

まだ見えません。

 

けい子さん宅に着いてまず、おじいさんにご挨拶。お仏壇にお線香を上げるときに見つけました。

おじいさん、畠山吉雄さんの聞き書きの自分史。『波静か -われは海の子ー』

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ちょっと読んでみたけど、これは実にすばらしい本です。聞き書きというのはよそ行きの言葉じゃないから

おじいさんがそこにいてしゃべっているようで、とてもいい。

いつもお雛様のようにおばあさんと並んで、穏やかで優しかったおじいさんの姿が思い出されます。

 

今日はおばあさん、けいこさん、仙台の妹さん、さおりちゃん、と私たち、で女ばかりでおしゃべりですが、

その話の中で心に残ったことがありました。

今南三陸はどこに行ってもものすごい盛り土の山山々。でもこの盛り土の山山でどんな町をつくるのか

構想が決まっていない。大震災から3年半過ぎてもまだ食品を買えるところがないのです。

牡蠣もウニの処理場ができないために販売できない。土を盛るのにこれだけのお金と時間をかけるのなら

処理場を先に作るほうが海の仕事で生きる住民にとってはもっと重要だと思うのですが・・・・。

 

またもや秋刀魚だのわかめだのたくさん頂いてお暇します。

ノアさんの休暇も今日で終わり。夜の新幹線で東京に戻っていきました。

お餅の仕事をたくさん手伝ってもらい、珍しいイスラエルの話をたくさん聞かせてもらえた楽しい3日間でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花巻へ、宮沢賢治記念館

今朝は、いつものように黒田さん、加えてノアさんという助っ人がいるので、大量のお餅仕事も早くに

片付きました。これからの紅葉シーズンは1年で1番忙しいときなので、けっこう仕事はハードです。

黒田さんとノアさんに道の駅に出荷に行ってもらって、私は後片付けと先日買った気に入りの無水鍋で

頂いた新米を炊いてお握りを拵えました。

お握り持ってお菓子もって孫連れて、気持ちのいい秋晴れの下、花巻に出発。

宮城では9割方終わった稲刈りが、岩手ではまだ残っていて黄色の稲田が広がっています。

2度目の宮沢賢治記念館。最初の時は宮沢賢治という人の日本人らしからぬ全方位に亘る仕事というか、

業績というか、才能というか、その多才さにびっくりしてしまって、それ以外に感想が出なかったのですが、

果たして今日はどうなんだろう。

 

さすがに紅葉シーズンの高速道。車が多いです。

元気に出てきたノアさん。車の中の様子では疲れているみたい。

聞いてみると、ノアさんが毎日通う学院では1時間半の授業が3時限とか4時限とか。

それを終えて家に帰って毎晩の勉強が3時間。テレビも置かず、それだけ勉強してもまだ足りないくらい

だそうです。56歳でご飯も毎回作って食べるのだからそりゃあ疲れるわ。

私の友達は70歳を過ぎても、テニスのコーチをやっているとか、太極拳の先生をやっているとか、

ただの主婦だけどプールで500メートル泳いでいるとか、なんだかんだやっている者が多いけど、

それにしたってノアさんのように、頭をフル稼働させている友人はいません。

 

聞いているだけで、想像しただけで吐き気がするような気がします。たまにイスラエルに帰りたくなると

いうノアさんの何がこれほどの努力をさせるのか。答えはノアさんが生きてきた歴史にあるのでしょう。

 

 

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よだかの星の前で。

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猫の事務所。

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大きな柿の木。

今日の感想。

やっぱり驚かされるけど、びっくりだけではなかったです。

星座、たくさんの童話。法華経、植物、鉱物、ことば、英語、エスペラント語、音楽、セロ、妹のバイオリン、

農業、絵、その他森羅万象・・・。

でもやはりひとつひとつの言葉に胸うたれます。

本をじっくり読んでる時間がないので、車の中で音楽のCDがわりに、朗読を聴こうと思いつきました。

楽しみができた!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大崎新聞バッグ講座&ノアさん来訪

朝のお餅仕事。なんだか遅くなって10時半道の駅到着。

台風の影響はまだ来週くらいのはずなのに強風。近頃お天気にはあまり関係なく道の駅のお客様

が混むようになりました。まだ紅葉はしてないんだけど、紅葉シーズンが始まっているようです。

 

いったん家に戻って、夜のお餅の仕事の支度をして古川へ。

NPO法人大崎地域創造研究会の会議室をお借りしての2度目の新聞バッグ講習会開催。

新聞バッグに興味を持ってきてくださったのは、大崎市の方3人、石巻の方一人。みなさん、お若いので

先が楽しみです。

1度目の講習の時はあやこさんが講師だったけど、今日は仕事を早めに終えて来てくれた黒田さんが

講師です。ベテラン先生が来たので、私は最初の20分ほど海山のお話をして、退出。

 

ちょっと買い物して、犬のお薬をもらいに動物病院に寄ったりして帰宅。

夜はイスラエルから栄養士になるために一時帰国中のノアさんが東京からやってくるので、今夜は

歓迎夕食会。ノアさんの希望で会場はうどん屋。

よっちゃん夫妻、黒田さん、仙台からいらしてくれたキャリアアップのオジキこと佐々木氏、そして

在学中のインターンで8月にこちらに来てから、たった2ヶ月で宮城に戻ってきてくれたノアさん。

 

ノアさんはこの間は食糧学院でミニ新聞バッグワークショップを開いてくれました。11月の学院祭には

新聞バッグワークショップの本番をやるんだそうです。

イスラエルから戻って日本で勉強するのに、何故栄養学を学んだの?と聞いたら、まず健康が大切だから

食べ物の勉強をするという返事でした。なるほど・・・。それにイスラエルとパレスティナの両方の人に新聞

バッグを作ってもらう、という新たな返事。

今夜から2泊3日でノアさんにはうちに泊まってくれます。

今夜も楽しかったけど、明日も明後日も楽しいおしゃべりが続くと思います。

 

明日は仕事を終えたら花巻へ。宮沢賢治記念館へ行きます。

 

 

 

 

 

 

 

ノアさんの願い

今日は朝からというか夜中から凄い雨でした。台風の影響の雨と風。

それでも関西や関東地方に較べれば影響は少ないのでしょうが、流石にこの天気ではお餅も売れなかろう

と数を抑えて作ったつもりでしたが、午後4時で餡子のお餅が1個しか売れてないのにはびっくり。

やっぱり、台風ってのは、人が出てこないもんですねえー。

夕方、知り合いにお餅を配りまくって今日は終了。あした天気になあれ!!

 

私はこんな日のほうが時間をとり易いので、街まで出て買い物。

夫が亡くなったら買うものがなくなって、買い物にはほとんど行かなくなってしまったのですが、今日

は珍しく冬物洋服なんぞ買いました。

 

帰ると、東京のノアさんからメールが来てました。

 

ノアさんは日本人だけどイスラエルの人です。精神科医であるイスラエル人のご主人を亡くされて、長年

勤めた在イスラエル日本大使館を退職し、2年間の予定で日本に戻って東京の食糧学院で栄養士になる

勉強をしている56歳の女性です。この夏学院のインターンでよっちゃん農場に来た時に、ノアさんは

3泊4日でうちに泊まってくれました。

よっちゃんちでの農業の手伝いなどが日本食の元を知るというインターンとしての体験学習だった

のですが、丁度東京中野の明大付属中学、高校生の新聞バッグ体験プログラムと日が重なったので、新聞

バッグ講習にも参加してもらいました。

 

ノアさんにとってその新聞バッグ体験はインパクトが強かったようです。

戻って暫くすると、学院祭で新聞バッグワークショップをやってみたい、というのでつい先日、黒田さんに

出張してもらって、食糧学院初の新聞バッグワークショップを開催しました。学院祭の当日はノアさん主体の

新聞バッグ講習になるので、腕を上げてもらわなければなりません。

ノアさんは14科目にも上る試験がおわったばかり。その14科目は何とかクリアできたそうで、今週の金曜日

からまたうちに来てくれることになりました。私の仕事を手伝ってくれるそうです。

 

ノアさんのメールには在イスラエル日本大使館の元同僚の方に送った手紙が添付されていました。

ノアさんは大使館の方にお願いして英語以外の外国語の新聞を集めようとしてくれているのです。

「そして世界各国の新聞によるエコバッグ作りを実現したい。手わざの普遍の価値のすばらしさを東北

から日本へそして世界へと発信し、今後の日本、東北に育つであろう産業の礎を作りたい、という海山の

熱情に感動しました」とありました。

そしてそれはノアさんにとって「イスラエルの人たちがアラビア語の新聞で、パレスチナの人たちがヘブライ

語の新聞で一緒にバッグが作れるような平和が訪れて欲しいという願望になりました。新聞バッグを作るこ

とから人と文化が交流し、手作りの平和を築いてゆく。天災は止めることはできませんが、戦争は人間の

意思で終結できる」と続けられています。

 

「栄養士の資格をとったら和食による日本の食文化と健康、日本のオリガミ文化が融合した新聞バッグを

イスラエルに持ち帰って何かを始めてみたい。人間が幸福であるためには、健康であること、平和な環境

が存在することが必須条件ですから。」と結ばれています。

 

我が家に滞在中もイスラエルとパレスチナについては日本での報道だけではわからぬことなど、いろいろ

質問したりしましたが、この元同僚に送られた手紙を読ませてもらって初めて、日本人の感性をもって

深くイスラエルに根を下ろしたノアさんの暮らしの中から滲み出す願いに触れたような気がしました。

 

昔々、イスラエルの建国を描いた映画「栄光への脱出」を観て以来、ずいぶんいろんな本を読みましたが

こうして本当にイスラエルに住む人と、それも自分と同じように子供を育てご主人を亡くした女性と、

秋の夜長を二人語り合う日が来ようなんて、ほんとに思いもしませんでした。

 

人生ほんとに面白い。

終末にノアさんが来たら、夫の遺影の前で二人しっかりおしゃべりをしましょう。そういう話が大好きな

夫が喜んで聞いていると思います。