今日は朝からというか夜中から凄い雨でした。台風の影響の雨と風。
それでも関西や関東地方に較べれば影響は少ないのでしょうが、流石にこの天気ではお餅も売れなかろう
と数を抑えて作ったつもりでしたが、午後4時で餡子のお餅が1個しか売れてないのにはびっくり。
やっぱり、台風ってのは、人が出てこないもんですねえー。
夕方、知り合いにお餅を配りまくって今日は終了。あした天気になあれ!!
私はこんな日のほうが時間をとり易いので、街まで出て買い物。
夫が亡くなったら買うものがなくなって、買い物にはほとんど行かなくなってしまったのですが、今日
は珍しく冬物洋服なんぞ買いました。
帰ると、東京のノアさんからメールが来てました。
ノアさんは日本人だけどイスラエルの人です。精神科医であるイスラエル人のご主人を亡くされて、長年
勤めた在イスラエル日本大使館を退職し、2年間の予定で日本に戻って東京の食糧学院で栄養士になる
勉強をしている56歳の女性です。この夏学院のインターンでよっちゃん農場に来た時に、ノアさんは
3泊4日でうちに泊まってくれました。
よっちゃんちでの農業の手伝いなどが日本食の元を知るというインターンとしての体験学習だった
のですが、丁度東京中野の明大付属中学、高校生の新聞バッグ体験プログラムと日が重なったので、新聞
バッグ講習にも参加してもらいました。
ノアさんにとってその新聞バッグ体験はインパクトが強かったようです。
戻って暫くすると、学院祭で新聞バッグワークショップをやってみたい、というのでつい先日、黒田さんに
出張してもらって、食糧学院初の新聞バッグワークショップを開催しました。学院祭の当日はノアさん主体の
新聞バッグ講習になるので、腕を上げてもらわなければなりません。
ノアさんは14科目にも上る試験がおわったばかり。その14科目は何とかクリアできたそうで、今週の金曜日
からまたうちに来てくれることになりました。私の仕事を手伝ってくれるそうです。
ノアさんのメールには在イスラエル日本大使館の元同僚の方に送った手紙が添付されていました。
ノアさんは大使館の方にお願いして英語以外の外国語の新聞を集めようとしてくれているのです。
「そして世界各国の新聞によるエコバッグ作りを実現したい。手わざの普遍の価値のすばらしさを東北
から日本へそして世界へと発信し、今後の日本、東北に育つであろう産業の礎を作りたい、という海山の
熱情に感動しました」とありました。
そしてそれはノアさんにとって「イスラエルの人たちがアラビア語の新聞で、パレスチナの人たちがヘブライ
語の新聞で一緒にバッグが作れるような平和が訪れて欲しいという願望になりました。新聞バッグを作るこ
とから人と文化が交流し、手作りの平和を築いてゆく。天災は止めることはできませんが、戦争は人間の
意思で終結できる」と続けられています。
「栄養士の資格をとったら和食による日本の食文化と健康、日本のオリガミ文化が融合した新聞バッグを
イスラエルに持ち帰って何かを始めてみたい。人間が幸福であるためには、健康であること、平和な環境
が存在することが必須条件ですから。」と結ばれています。
我が家に滞在中もイスラエルとパレスチナについては日本での報道だけではわからぬことなど、いろいろ
質問したりしましたが、この元同僚に送られた手紙を読ませてもらって初めて、日本人の感性をもって
深くイスラエルに根を下ろしたノアさんの暮らしの中から滲み出す願いに触れたような気がしました。
昔々、イスラエルの建国を描いた映画「栄光への脱出」を観て以来、ずいぶんいろんな本を読みましたが
こうして本当にイスラエルに住む人と、それも自分と同じように子供を育てご主人を亡くした女性と、
秋の夜長を二人語り合う日が来ようなんて、ほんとに思いもしませんでした。
人生ほんとに面白い。
終末にノアさんが来たら、夫の遺影の前で二人しっかりおしゃべりをしましょう。そういう話が大好きな
夫が喜んで聞いていると思います。