演劇を観る

この夏、台湾に行った時に、最後の夜にタイペイ・アイを観ました。

「台北戯棚」。中国の伝統ある芸能、京劇です。夜8時くらいまでに劇場に行って8時半開演、9時半終了という

スケジュール。暑い中を1日中ふらふら見物に出歩いた後の観劇はけっこう体力的にきつくて、娘に誘って

もらったものの最初は気乗りがしませんでした。

「伝統ある芸能なんだけれど、存続し続けていくことはけっこう大変で、いろいろ続けるための努力をしている。

ということだったから、行ってみようと思ったのよ」

後で娘にそう聞きましたが、開演前のロビーでは役者さんが京劇独特の顔を真っ白に塗る化粧をする姿を見せる

コーナーがあったり、二胡を弾く娘さんが座っていたり、演し物のお人形を見せたり、等々お客が楽しめるように趣向

が凝らしてありました。

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今日の演目は西遊記。最初に出てきたのは孫悟空一行を騙そうとする妖怪が姿を変えた村娘。顔も頭の飾り物も

衣装もきれいで絢爛豪華。猪八戒も沙悟浄も三蔵法師様もわかり易くて華やか。

ミャーミャーと聞こえる京劇独特の抑揚ある節回しの言葉は、舞台脇の電光板に韓国語、英語、日本語で翻訳文

が表示され、舞台で何をやっているのか解るようになっています。私たち日本人も前の座席にずらりと5人家族で

並んでいる西洋人もそれなりに解る。

 

昼間の疲れと眠気で機嫌悪く、「ばーちゃんが帰るなら僕も帰る」と言っていた孫が、舞台が始まったとたんに口は

あんぐり、眼は釘付け。始まる前にちょっとだけ「孫悟空」の物語りの解説をやってたから、孫悟空と猪八戒や沙悟

浄の区別はつくようで、分身の術で3匹になった孫悟空に驚き、「なんで3匹もいるのか」訳が解らぬ様子。それなり

に熱心に観てました。こういう姿を見れば、もう1回舞台を見せてやりたいなあ、と思うのです。

 

観終わってからの私の感想。「見てよかったー!」

そういうことです。来た時とは全然違う。時代が進む毎に見る人が少なくなる伝統芸能。これを続けるということは、

魅力ある舞台を作ること。舞台だけではなく運営のための努力も怠れない。大変なことなんだなあ、と思いました。

またの機会があれば、中国でも台湾でも本場で違う演目も是非見てみたい。

連れてきてもらって感謝です。

 

来年の春にこの町の小さな公民館で、倉本聰脚本、演出の舞台「屋根」が上演されます。そのプロモーションDVDを

今日見ました。見終えて言葉が出なかった。やっぱり舞台は理屈で語るものではなくて観てなんぼのものなんだと

実感。こういう演劇を毎年作り続け、観客に見てもらい続けるということは実に力が要る、大変なことなんだ、と富良

演劇GROUPの方々とお会いする度に感じます。

最初は全国で上演される倉本聰氏の演劇を自分の町で見れたらいいなあ、というくらいのシンプルな願望だったの

が、時々観ることができることにするにはどうしたらいいんだろう、と妄想が広がっていきます。

 

俳優さんたちがプロデュースするコミュニケーションのワークショップのあるんだそうです。

聞くとか話すとか表現するとか演技指導だとか、今の時代の日本人にとってはなかなか身に付かないコミュニケー

ションのプログラム。子供や先生、社会人、企業向けにもプログラムがあるのだと聞いて、俄かに興味が湧きまし

た。富良野では修学旅行で取り入れる学校が多いそうです。

自分が受けてみたい、と私は思うんだけれど、あちこち声をかければ、私もやりたい、、という人もいるかも・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ピンチはチャンスに

明日はロイズ新聞バッグの発送日。

発送日の数日前から鳴子のあやさんが仕事を終了後、うちにやってきて新聞バッグの検品をしてくれる

というのが恒例になりました。手が空いてれば娘も参加します。

この二人非常に手も眼もいいので、全部任せて安心。その代わりばーちゃんの私は娘に代わって孫の

送り迎えなどを担当。昨日はスイミングで今日はピアノ。コンサートが間近い。

といいつつ、昨日も新聞バッグの発送あり、今日も発送を忘れちゃいけない。昨日発送したのは、お誕生日

のプレゼント用ということなので、新聞バッグセットを朱色の包装紙で包みました。お誕生日のプレゼントに

新聞バッグを贈ってくださるなんて、なんと嬉しいことでしょう。リボンもつけたかったけれどなかった。

喜んで頂けたらいいのだけれど・・。

 

しかしこのところのお天気の悪いこと。長雨でクルミの実がボタボタ落ちてきました。稲穂はすっかり黄色に

色付き、今年はことのほか実付きがいい緑色のイガイガ山栗の丸い実が雨に濡れています。

 

そして今日はロイズ新聞バッグの発送日。

どうにか雨も止んで、いつもの作業会場公民館のホールを借りて10時から袋詰め開始。

今日は仕事がお休みの黒田さん、毎月1度発送の時には石巻から出てきてくれるKさん、Hさん、そしてヘルパー

さんの仕事の合間に顔を出して手伝ってくれる由美さんに私、というメンバー。

さすがに5回目ともなると手際がよくなりました。各自自分の分担を勤めて午後2時に終了。

6箱、450枚送り出すことができました。バンザーイ! やっと終わった。

昨日は1日中検品して、なお間に合わず娘も私も深夜1時まで眼をシパシパさせながら検品やったりチラシを

折ったりしたのでけっこうしんどかった。

 

でもせっかく2時に終わったのだから続いてうちで石巻のふたりにまだ教えていない新聞バッグの講習。

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そしてその後は、モノ作りの情報交換会に移行。

仕事を持ちながら機織や染めをするKさんのバッグから出てくる小物を見せてもらって、一同感心が止まりません。

今、毎晩針を持ってチクチク刺しているというのがこの刺し子の小銭入れ。

これは品が良くてとても素敵。10月11日の海山マーケットで新聞バッグに詰めて売ってくれるかもしれないので、

まず私の分1個予約。でもこの針目でたくさん作るとなるとなかなかだよねえ。

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そして韓国のお友達からもらったという韓国の赤い可愛いお布団で作った小物入れと、お友達が作った布袋。

どちらも丁寧な仕事でこういうのはほんと、見せてもらうだけで楽しい。Kさん、今年から庭で育てている藍で

藍染も始めるということなので、頭の中はやりたいことできっといっぱいに違いありません。

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小物を作らないHさんが作っているのは、お洋服。新聞バッグもたくさん作ってもらっているけど、これから縫い物の

腕も上げるそうです。こっちのほうでも私の分1枚注文しました。

 

お茶っこしながら新聞バッグを折ったり、小銭入れに感心したり、洋服を頼んだりしながら、みんなで共通する思いは

『津波が来なかったらこんなことやってなかったよねえ。津波が来なかったら今も仕事に行ってたよねえ』

 

そうなんです。津波がなかったら、こんなふうに海の人、山の人、一緒になって物作ったり、一緒に売ろうなんて相談

することなんてなかった。大震災後、復興には町の復興、人の復興とがあるけれど、まず人が復興しなければ、

元気な町の復興なんてあり得ない、なんて私たちは言っていたけれど、4年半経った今、こうしてひとつの物が出来

上がる度に晴れ晴れとした笑顔でわいわい話し合える物を作る仲間と一緒にいると、「みんな元気になったんだな

あ」と感慨深い。ピンチをチャンスに変える人のパワーは凄い! です。

 

 

明日から黒田さんは気仙沼で仕事。気仙沼でどんなことが起こっているのか、土産話を聞くのが楽しみです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とんだ1日

朝、道の駅に行く前に、洗濯物を洗濯機に入れようと扉を開けたら、ザアーーッと水が流れ出てきて、

ヒェーーッ!  どこがどう詰まったのだか判らないけど、洗濯機いっぱいに水が充満していたみたいで、どうするどう

すると慌てているうちに水は部屋まで流れ込んで床一面水浸し。

「アーッ、階下に洩れる!」恐怖の感情。

階下には洩れないのです。今はマンションじゃないんだから。でも長年染み付いた集合住宅感覚は今も抜けず、

まず慌てふためいて、後気づくという習性は悲しいもんです。

ありったけのバスタオルで水を吸い取ってから道の駅へ。

 

 

今日は南三陸にロイズ新聞バッグをとりに行く日。急いで行って急いで帰って来なければ日が暮れる。

午後、家を出て走り始めて20分後、ハンドルの上部でパカッパカッと見たことのない警告灯の点滅が・・・。

なに? これ、何の警告灯? 見たことのない形。

走っていいのか悪いのか、路肩に車を停めてトリセツは?と探すが見つからない。そーだ、家で見てその

ままなんだ、と思い出す。

じゃあ、通りすjがりのガソリンスタンドで見てもらおう、と入ったら、速度が落ちたので警告灯がかき消す

ように消えちゃった。時速30キロ以下では点かない。40キロ以上になるとパカッパカッ!

なーに? どうなってんの? 後の手段はなんとか大きい町まで走ってホンダを探して見てもらうこと。

が、ホンダがなかなか見つからない。コンビニに停めて104に番号聞いて電話をかけたら、本日ホンダは

お休みさせていただきます、と。もうほんとについてない。

じゃあ、警告等の形ならどこの車も同じだろうからとニッサンに入ったら、またもやお休み。

南三陸までまだ1時間もかかるのにどーしよう、と次に三菱自動車に入ったら開いてました。

 

修理の方と営業の方が二人も出てきて、車を工場に入れてみてくれました。

よその車の客なのに、待っている間にお茶でもどうぞ、とコーヒーまで出して頂いて。

で、診断は古い機械でエンジンを見たので完全とは言えないけれど、南三陸へ行って戻るまで大丈夫と

思います、ということでした。きちんと見られたわけではないので代金は不要です、と。

 

三菱自動車さん、ほんとに親切でした。都会にいた時の自動車さんとは全然違う。

お名前を伺わなかったけれど、ありがとうございました。おかげさまで、南三陸まで行って、新聞バッグを

山ほど積み込んで無事戻ることができました。発送が終わり次第点検に出します。

 

そんなわけで午後4時をだいぶ回って南三陸歌津に」到着。

 

けい子さん、おばあさん、さおりちゃん、だんなさんも一緒でいっぱいお話してお魚を頂いて新聞バッグを

満載にして帰路につきました。走り始めて30分ほどして、今度は「ガス消したかなー」と気になってきた。

まだ1時間以上かかるというのに、なんで朝点けたガスのことを今頃思い出すんだろうか。

こんなに真剣に運転したことない、というくらいに真剣にスピード出して走りに走って夜7時に帰着。

やっぱりガスなんてついてなかったよ。

いよいよ私の頭は老衰になってまいりました。疲れた。まだまだ洗濯機の水をくみ出すという大仕事が

待ってます。とんだ1日だった。こんな日もあるのね。

 

でも新聞バッグを持って帰れたので、明日から検品を始めます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の庭、私の家

今度の富良野再訪は、10月11日にあ・ら・伊達な道の駅で開催予定の海山マーケット用新聞バッグ入りラベンダー

の仕入れの話、及びラベンダー研究会、そして来春の「屋根」公演に向けての情報収集などが目的でした。

が、合宿宿泊は1日だけにして、2日目3日目は前から憧れていた吉田さんの山小屋に泊めて頂くことにしました。

吉田さんの山小屋があるのは富良野から車で1時間ほどの南富良野。

野外学校があったり、カーリングの練習場があったりの自然いっぱいの町です。

 

元富良野塾生と吉田さんご夫婦が力を合わせて建てたという山小屋は原生林の中にありました。

小屋の横を流れる川では、声をあげてパドルを動かす黄色い救命胴衣の子供たちが乗ったラフティングボートが

が流れ下り、小さな蝦夷リスが樹を駆け登る素晴らしい環境。

倉本ドラマ「優しい時間」に使われた小屋だそうです。

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ここでの2日間はこの小屋から出発。林の中の道をドッコンドッコン揺られながら国道に出、そこから吉田さんが

紹介してくださる方のところへあっちに行ったりこっちに行ったり。

 

最初に連れて行って頂いたのが「私の庭」でした。庭の作り主は坂井さん。今は南富良野でラベンダー刈りのお仕

事をなさっている67歳の男性。会話の終わりにアッハッハ、アッハッハと笑い声をくっつけて話される楽しい

方です。

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「私の庭」という看板。

核心を衝くネーミングでまず目を奪われますが、それにもまして目を奪われるのがるのがこの見事に刈り込まれた

広大な芝生。それも西洋芝ではなくて日本芝。ここまで広がるってずいぶん年数がかかるはず。

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これは凄いです。ここまで刈り込むって相当念入りに手入れしなきゃこうはならない。

見渡せば、周りには誰もいません。人っ子一人影も見えない。庭沿いを走る真っ直ぐの道路には1台の

車の往来もなく・・・・。じゃあ誰がこの庭見るんだろう。人、いないよ。

 

「誰も見なくていいんですって。村の人はなにやってんだ、と見向きもしてくれないけどいいんですって。自分で

作って自分が嬉しいお庭なんですって!」との、吉田さんの説明。

 

凄いじゃないですか! 誰も見ない、誰も誉めない庭をこれほど見事に楽しげに作り上げる坂井さんの美意識と

根気と世界観に感服。私はほんとに驚いた。そんな人これまで会ったことない。

坂井さんのお庭ワールドには植物だけではなく、動物も音楽も神様も人も共生しています。

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お庭で放牧された手作りの牛たちと、庭の隅に置かれたクラシックビールのカンカンで作ったグランドピアノ。

だいぶ前に作ったのだけれど、冬の雪が来る時には壊して仕舞ってまた作るので、大変。そろそろやめて

壊そうかと思っている、と坂井さん。もったいなーい。

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お庭の真ん中辺りに作られた小屋のデッキには椅子やテーブルとともにCDプレーヤーが置かれていて、スイッチを

ONにするとドラマ「優しい時間」のテーマ曲が流れ始めます。

見る人も聴く人も全然いないところで聴く音楽は、ぜーんぶ私のもんだよーという満足感がじわじわと。

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お庭から出たところの森の中にも新しく作ったという教会と小屋がありました。

大草原の小さな家と書かれています。うちの娘が大好きだったテレビドラマ、大草原の小さな家の中からインガルス

一家の父さん、母さん、メアリーやローラが出てきそう。

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敬虔なクリスチャンであるインガルス一家が日曜日に通う教会の窓はステンドグラスで作られています。

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十字架! 椅子!ホンモノみたい。

こういうものを作るのは冬雪が降る間の手仕事で、次にはこの教会の周りをターシャさんの庭のように花で埋めた

い。あれだけの花を咲かせるには時間がかかるので、今から取り掛からねばならない。やりたいことがいっぱい

あって忙しいんだ、と言いながら坂井さんはアッハッハ!といかにも楽しそう。

 

お庭を見た後は「私の家」に招待して頂きました。

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この家はご家族と一緒に暮らす家とは別の、坂井さんだけの「私の家」

光栄にも私たちは入れて頂いて、坂井さん独自のお部屋でご自慢の音楽を聴かせて頂くことになりました。

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小さな音楽ルームには久しく見なかった蓄音機やレコードなど坂井さんの宝物がどっさり。ご自分で修理した

古い蓄音機、たくさんのレコード、大好きなコーヒー、そしてウイスキー。暖炉もあります。

久しぶに荷蓄音機でかけるレコードで青江三奈や五輪真弓の唄などじっくり聞かせて頂き、ずいぶん研究して作り

上げたという美味しいイモモチをお土産にもらってお暇しました。

 

誰にも関係なく自分だけで完結した自分だけの世界を楽しむことができる坂井さん。

羨ましいです。こういうふうに生きられるようになりたい。お友達になれてよかった、また来年行こう。と思っていたら、

なんと今日お手紙を頂きました。

そしてなんと、坂井さんは以前に新聞バッグを50個も作ったことがあるんですって。今思い出したって。

 

こんなところで新聞バッグが出てくるなんて、ほんとびっくり。

こうやって人は出会ってゆくんだなあ、と不思議なご縁を嬉しく思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

登米へ

お盆も最終日。思ったよりもお餅の仕事が忙しくてちょっと疲れ気味なんだけど、海山女子部でそろって出かけられ

日も少ないので、今日は黒田さん、あやさんと3人で前から行きたかった登米市登米町に行きます。

登米市がとめしと読み、登米町がとよまちょう、というのが不思議です。

 

宮城の明治村と言われる登米町は、大きく蛇行して流れる大河北上川に沿うしっとり落ち着いた歴史の残る町。

明治21年に建てられた教育資料館や登米伊達家の武家屋敷跡、明治22年に建てられた警察資料館など、東北

育ちが一人もいない海山女子部にとっては以前から一度見たい、行ってみたいところでした。

 

家から1時間ほど車で走ってまず到着するのは観光物産センター「遠山之里」

ここで登米町の地場産品やお土産を買ったり食事をしたりすることができます。親切な係りの人に町の案内をして

もらえます。うちからたいして距離も離れていないのに売ってるものは矢張り登米独特の産物が多くて新鮮。

塩アイスというのを食べたかったけど売り切れ。あやさん、私は瓦せんべい。黒田さん、はちみつを購入。

 

そのまま歩いて隣りの教育資料館へ。

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明治21年に建てられた登米小学校。木造建築の温かさと西洋建築の堅牢さが融合した和洋折衷のデザインの

建物で子供たちが通っていた時代そのままのお教室や裁縫室などが再現され、オルガンの音に合わせて小学唱歌

が流れています。小学唱歌って今知ってる人いるのかしら。

設計者はこの後行く予定の登米警察署の建設にも携わった日本建築の棟梁、山添喜三郎氏。明治時代の半ばに

日本の大工の巧の技と西洋建築の知識の両方を取り入れて建物を作ったこういう建築家がいたことに感動します。

そしてこれらの建物や当時使われていた資料を、これほど丁寧に大切に保存してきた登米市という町にも、その

姿勢に感服します。

 

今はもう歳を重ねてしまった海山女子部3人も、往時を偲んで学問のススメを再現しました。

黒田さん、教育勅語。あとの二人は、サイタサイタ、サクラガサイタ・・・の音読。

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心に残ったのは、保存されていた学級日誌。

私が生まれた昭和16年11月19日の日誌には出征する兵士を歓送したとの記述があり、「そうか、私が生まれた

時にはもう日本はもう戦争をしていたのか、と少なからずショックを受けました。自ら中国へ兵隊さんを送っていたと

いうことです。そして12月8日午前11時に大東亜戦争の宣戦布告との記述。その後にはあそこが陥落とかここが

陥落とかの日本軍の勢いのいい記述があり、これはほんものの日誌だと思うと実に生々しいというか、身が震える

ような気持ちになります。

思えば私が生まれる前から日本はずーっと戦争をしていて、4歳の時にメタメタに負けて終戦。終戦というより敗戦

なんだよね。それから食べるものも仕事もなかった戦後の混乱の中を私は育ったわけで、みんな貧乏だったなー、

とシミジミ思い出します。

 

教育資料館の後は警察資料館へ。

ここも同じように和洋折衷木造の素晴らしいデザインの建築で、中には昔のパトカー、白バイなども展示されていて

楽しみながら見られるように保存展示されています。

 

あまりにもゆっくり丁寧に遊びながら見たものだから2箇所見たところで夕方になり、それぞれの日常雑事に戻る

ことにしました。登米にはまだまだ見るところがたくさんあります。

伝統芸能伝承館「森舞台」、武家屋敷春蘭亭、秋の薪能。楽しみにしてまた行きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

伊豆沼。今年の蓮は?

富良野から戻ってまいりました。

今回の富良野は浦田みやこさんの「暮らしのステーション(喫茶くるみ割り)の」女子会に参加してラベンダー研究

及び+新聞バッグ、というものですが、女子会の後は南富良野に移動して、素敵な方々にお会いできた旅でした。

その報告は後ほど。

 

そして今日は雨。待望の雨が1日降り続いています。

昨日道の駅直売所でお会いした今りんごや桃や葡萄の収穫時期でお忙しいTYさんのお顔を思い出して、ああ、雨

が降ってよかった、と胸を撫でおろしました。

「雨が降らないからどうにもならない。もう疲れましたー」とだいぶお疲れの様子だったTYさんだけではなく、畑の切り

花も雨が少なくて青息吐息。日に3度も水をかける人間は疲れ果て、1日ポンプで水を汲み上げる井戸の水位は下

がって水が出なくなることも度々。今日はお盆の始まりなのだけど、それでも今日1日降る雨は農家にとっては恵み

の雨です。でも1日でいい。明日も降ったら花農家は花が切れなくて、盆花が売れずにお盆が終わっちゃいます。

なかなか難しいんだよねーー。

 

 

富良野から戻って翌日は前から海山女子部で予定していた蓮の花を見に栗原へ。

ダ・ダーーン!!

見てください。この蓮! 今年は見ごたえあります。伊豆沼全面が蓮で覆われている。

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もうあまり長くはないと思うけど、まだ蓮舟は営業してました。

花が咲いているのも船に乗るのも初めての黒田さんと孫とともに乗船。これから20分ほど極楽浄土にまいります。

一緒に極楽浄土を味わうはずだったあやさんは、流石お盆。残業になってしまって残念ながら不参加。

蓮の沼は伊豆沼、内沼、長沼とみっつあってどの沼も蓮に覆われ蓮舟も出ています。が、今日は一番大きい伊豆沼

で船に乗ります。

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例年この時期になると船べりより蓮の茎がずいぶん高くて、茎と茎の間を掻き分けて船が進むようなのに、なんだか

今年は丈が低いみたい。

「雨が降らないから水位が下がって蓮が伸びないんだ」

船頭さんが私の疑問に答えてくれました。

ところどころで蓮の葉の上に留まっている白い大きな鳥は? チュウサギというのですって。真っ白なチュウサギ

蓮の間から飛び立ちます。

 

船頭さんが船から手を伸ばして採ってくれた蓮の実。

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食べるの初めて。この緑色の皮を剥がして白い実を食べます。ちょっと甘いような植物っぽいような不思議な味。

同乗している年配の男性が「懐かしいなあ。昔はこれがおやつだった」と。

この食べかけの半分を母親にあげて、これから蒔いて蓮の花を育てる種を父親に買って持って帰りたいと、

孫は言うのですが、まだ花が咲いている時期に種は売っていないと思うのだけれど・・。

 

船から下りて道路を渡ったところにあるサンクチュアリセンターへ。

多くの水辺の植物が育つ自然条件が整ったラムサール条約指定地である伊豆沼、内沼、長沼には冬になると白鳥

やマガンやその他他多くの渡り鳥が飛来します。サンクチュアリセンターでは沼に来る鳥や生き物や蓮の生態など

が楽しかったり解り易かったリなどいろいろ工夫した展示方法で詳しく説明されています。

ひとしきり廻って、「あら、リニューアルオープンしたばかりなんだ!」と気づきました。道理でなんか前と様子が違う。

お洒落になって見やすくなったと思っていたけど、そうなんだ。

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望遠鏡をのぞいたり、魚を観察したり、孫は興味津々で大忙し。4時半で閉館。足りない分はまた来ようという

ことで、沼の周りをぐるりと廻って種を探しに農産物販売所へ向かいます。

名前をド忘れ。この農産物販売所は10年前に較べてずんと大きくなりました。駐車場も整備され、周りに自然観察

の建物が建って「立派になったなあ」と思わせられます。どこもかしこも人口は減りいずれは限界集落かと危ぶまれ

る東北の農村地域の現状の中で、大きく立派になってお客さんを集めている施設を見るのは、隣町でも嬉しい。

 

以前からあった子供たちが動物と触れ合える畜舎も立派になりました。というより動物がでっかく立派になったような

気がするのだけど気のせいか。ヤギの種類が変わったのかしら。

このヤギずいぶんでっかい。角がでっかい。そしてやたらに高いところに登る。外国のヤギ?

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羊も変わった?

羊の「ショーン」だ!

スゴ顔!!!

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富良野へ

暑い中、秋田で営業活動中だった北海道演劇財団の新堂氏と富良野FCSの石川さんが、再度岩出山に

来てくれました。来年三月に岩出山文化会館で公演予定の倉本聰先生の演劇「屋根」についての細かな相談を

今日は大崎市役所にある教育委員会で行います。

私は別件の用事で遅れてしまい、同席できなかったのですが、後で公演の準備が順調に進んでいる旨を新堂

さんから伺いました。

新聞バッグから始まったという思いがけないご縁で岩出山まで来て頂けることになった「屋根」。これからチケット

を売ったり広告宣伝したり、いろんなお仕事がありますが、行政の方、大崎の方々が協力して公演を成功させ、

この先の文化事業が継続するきっかけになればと思います。

 

明日からまた富良野へ行きます。ラベンダーの研修や、海山マーケットの準備活動、それに喫茶「くるみ割り」の

浦田さんが用意してくださっている女子会合宿なるものに参加してきます。

 

その間お餅もブログもお休みします。11日に再開します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

海山ミーティング&九ふんツアー

暑ーい! 玄関でくたばってるシロ。

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今日はこの先のイベントの打ち合わせのための海山ミーティング。

10月11日にあ・ら・伊達な道の駅スパイラルホールで初めての海山主催のイベント「海山マーケット」をやります。

その相談のために道の駅レストランに集合。

8月、9月、10月までいろいろ、ごちゃごちゃと新聞バッグやその他のイベントだの約束だのが目白押し。

海山メンバー一人一人が仕事持ちなので、顔を揃えるのもなかなかの中、今日はよっちゃん肝入りの声がけで

ちゃんと集まりました。

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まだイベントの中味を発表できるまでには煮詰まってないのですが、とにかく第1回目の「海山マーケット」

気を引き締めて、楽しいマーケットを開催すべく案を練ります。これからこれから・・・!

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3時半、一応ミーティングが終了した後は、黒田、あやさん、私の海山女子部は、スパイラルホールに陣取って

ミーティングを続行。内容はどっかに遊びに行く話なども入っているのですが、家にいるよりここにいるほうが

数倍涼しいので、「閉店ですよー」の声に気づけばなんと6時過ぎ。

海山女子部は閉店まで道の駅にねばっていたのでした。

 

 

さて、三日目の台湾は九ふんツアー。ニンベンに分だけど日本の漢字では使わない字。

風邪具合が悪くなって一夜明けた翌日の午後、孫に起こされて約束のおもちゃを買いにホテルの向かいにある

三越デパートへ。日本には売っていないおもちゃがあるのだそうです。新しくて日本に売っていないのではなくて古

い形なので売っていないのだとか。ついでにもう風邪ひきたくないので長袖カーディガンと毎夕のスコールのような

ドードー雨用の傘を買いに地下街へ。

現地のお店の商品を見てもなかなか買いにくい。ということでなんのことはない。台湾まで来てユニクロと無印良品

で長袖と傘をゲットしました。それにしても買い物をする度に、値札を見て台湾の通貨の元を日本円に換算するのが

面倒になってきました。空港で換金した元はもう手持ち薄。本来なら銀行かホテルで換金しなければならないのだ

けれどそれも面倒になってだんだん貧乏になっていきます。長袖衣類やおもちゃはカードで購入。

 

夕方九ふんツアーの出発の集合場所へ。

指定された場所にはいろんなホテルから、えー?こんなにもいるの、と驚くくらいたくさんの日本人観光客が集まって

きています。5台の大型バスに分乗していざ九ふんへ。はあー。ツアーというのはこんな風になっているのかと、

ツアー初心者の私は驚くことばかり。

 

台湾北部の山あいにある町九ふんは、日本の統治時代に金の採掘で栄えたが、大戦後徐々に採掘量が減少し

1971年に金鉱が閉山され衰退した町。だったのだけれど、映画「非情都市」の舞台に使われたことから脚光

を浴び、今は台湾を代表する観光地になっている、のだそうです。近いところでは映画「千と千尋の神隠し」の

湯婆の湯屋のモデルとして使われたという噂があることでも人気がある、町なのだそうです。

 

バスを降りて導かれるままに歩き始め、果てしなく続く階段道路を見上げて思わず叫んだこと。

「来るとこ間違えたー!」

素敵だかなんだか知らんけど、この金比羅参りのような狭い石の階段。これ、登るのォー?

階段を踏みあがったところの両側に珍しげな茶店や雑貨屋が見えているのは興味をひかれますが、この暑いのに

人波に押されるようにしてこの階段を全部登るのは苦行だわ。

 

でも一人残るわけにはいかないので一段一段巾のある石の階段を登ります。振り返って下を見ると、娘さんに押し

上げられるようにしてゆっくりゆっくり登って来られるお母さんもおられます。とにかく暑い。蒸し暑い。

だいぶ登ったところでとある茶店に入りました。ここでお茶を頂くのだそうで。

大きなテーブルで他の日本人観光客のひと家族の方と相席。テーブルの下ではアルコールランプで大ヤカンにお湯

が沸されていて、そのお湯で本格的お茶の入れ方を伝授され、その後はセルフサービスでお茶を入れて飲むという

仕組みになっています。

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ひと息ついて、改めてお店のテラスに出て外を眺めると、下には基隆港と灯りに彩られた町が見下ろせます。

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たぶんここが「千と千尋の神隠し」の湯屋の舞台として使われた噂のある茶店なのでしょう。

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日本ではこれまで見たことがない山の上までの階段上に作られた石の家の家波。不思議な雰囲気。階段を登り

降りしながら思わず目に入る土産物屋の人の暮らしは家のうちも外も境がないようで、日本の私が育った昭和の頃

の暮らしを思い起こされます。

 

下る途中、家族を見失い迷子に。階段が見つからず横へ横へと行ったり来たり。

途中出合った年配のおじさんに「バス、バスプール?」と聞いたんだけど、日本語も中途半端な英語も全く駄目で

手真似で「戻れ」と。

人気もまばらな道を、「ここも違う、ここも違う」とふらふら歩いていると不思議な雰囲気の店をいくつも見つけます。

何か買おうか、と思いつく度に、あ、台湾のお金がないんだ、と気づき何にも買えません。

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とあるお店のショウウインドウ。何だろう。不思議な色合い。

 

ガイドさんにHELPの電話?と思い始めたところで、登ってきた階段を発見。無事バスに帰還しました。

戻りのバスで考えたこと。

九ふんは不思議で素敵な町です。今日のツアーで、私たちは九ふんの触りの部分すら見ていない。いつかまた

機会があれば、少し涼しい時に訪れて1日かけてゆっくり歩きたい町だと思いました。

 

台北に戻って今度は銀河夜店へ。

ここでカンさんに薦められた胡椒餅を買ってホテルに帰着。

半日以上寝てたけど、体力勝負だけど、お金がないけど、楽しいツアーでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「屋根」打ち合わせ&忠烈祠

暑いですねえ!

ほんとに暑い。 例年ならうちは玄関、ベランダ、窓を開けっぱなしにしておけば、日中冷房はなくても済んでました。

午後3時頃になったら空気が冷えて、湿気を嫌がる夫がドライでエアコンつけて寝るくらいでした。

どころが今年は日中家の中がものすごく暑い。今日は36度。

うちの周りは緑の木と草。コンクリートなんて全然ないのに温度が下がらない。異常な暑さです。

 

だから日中家の中には居たくないんだけれど、今日は幸い札幌から北海道演劇財団の新堂部長が倉本先生の

「屋根」公演の打ち合わせにみえたので、暑い思いをしなくて済みました。

道の駅で社長と打ち合わせ、その後はいろいろお願いしたいこともあるので鳴子温泉のたまご屋さんでオーナーの

宮本さんにご挨拶を終えて戻ったらもう夕方。

来年3月の[屋根」公演のお話し合いの続きは再度明後日。公演が成功するように、本腰入れるよ。私は!

 

 

さて、台湾。

午後からはフランスのルーブル、ニューヨークのメトロポリタン、ロシアのエルミタージュと共に世界の4大博物館の

ひとつ、故宮博物館へ。台湾の歴史の戦乱の度に動かし隠し動かし隠して護りぬいてきた696000個の美術品、

人工品を所蔵する中国最上の大博物館。福岡の友人が「3回行ったけどまだ行きたい」と言った博物館に私も

行けると喜んだのですが、大博物館は着いたところから人の渦。

大きな階段も広ーい廊下も中国本土からの観光客がいっぱいで、進んでは止り進んでは止りという状況で、これで

この大きな博物館を全部見るのは大変でしょう。でもカンさんは全く意に介さず、カンさん独自の説明をしながらずん

ずん進んでいきます。

15分ほど進んだところで、疲労困憊の私は脱落。

展示室には入らず孫と二人で外の椅子で待つことにしたのですが、これが冷房がきつくてじっとしていられない

ほど寒い。薄いショールを身体に巻きつけ、孫にはあるたけの衣類を着せて我慢しようとするのだけれど、

遂には咳が出続け、くしゃみも連発でなんか妙な具合になっていきました。

天下の故宮博物館をほとんど何も見ないまま退出。

 

 

次は衛兵交代の見物。

場所は忠烈祠。抗日戦争で亡くなった英霊を祀る祠。日本の靖国神社のようなところ。

ここの大門と大殿を守護する陸、空、海軍から選抜された家系も容姿も優秀な衛兵が1時間に1度一糸乱れぬ

華麗な動きで交代するのを見せていただくというものです。

カンさんの説明では、選抜の基準がいかに厳しいかということと、雨が降り出すと、この一糸乱れぬ交代は時間

短縮になって早々に終わる、ということ。折りしも空には黒雲が湧き、ゴロゴロゴロと時折遠雷が轟き、もう降り

出すのではないかという空模様。でも結局は降らず、衛兵交代の時間短縮は見られませんでした。

 

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兵隊さんの制服は青に見えるので、これは空軍の兵隊さんかなあ。

 

これで今日の見物は終わり。

カンさんのお仕事はあと免税店と土産物屋の私たちを連れて行くこと。これはもうイヤと言える仕組みではないので

免税店に行き、土産物屋に寄りしてホテルに帰着。

そのまま、日本から持ってきた病院の処方薬を娘からもらって飲んで、私は翌日の夕方までダウン。

 

喉が痛くて咳が止まらず完全に風邪症状。熱が出たら病院へ行くのも止む無しと覚悟をしていましたが、幸い薬の

おかげで発熱せず復帰することができました。

わざわざ台湾まで行って1日近く寝込むなんて、なんと間尺の悪いことかと反省。これからは長袖衣類を持って

歩きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中正記念堂

あまりにも暑いので、ふだんなら決して家の中に入らないシロが、開け放しの玄関の中に入ってゴローン。

邪魔だよ。 と言ったら「〇△◆×・・・」文句ありそうーな眼!

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今日は日曜日。この暑さではお餅なんて暑苦しい食べ物は売れません。私だってお茶漬けより水漬け食べたい

くらいだし、お餅食べるよりソフト食べてるほうが嬉しい。だいたいこれほど暑いとモノ自体が売れなくなる。

だからと言って、たまにはお餅食べるお客様もいないわけではないので、昨日は迷い迷いお米を洗いました。

まあ、残ってもいいや。少ないよりいいか、と。

で、道の駅へ行ったらば、お餅のお客様がお待ちでした。けっこうお待たせしたみたいで、申し訳ないことでした。

で、買って頂いた切り餅は、1個残して全部。こういうことがたまーにあるんですよねえ。

嬉しくて有難いのですが、後どうしようー、というような。仕事をしたようなしないような複雑な心境。でもありがたい

ことです。全部買ってくださったお客様、ありがとうございました。仙台から2ヶ月に1度わざわざお餅を買いに来て

くださっています。台湾に行っているときではなくてよかった!

 

 

さて台湾。

タイペイ101からの眺望。これ全部方向が違うのですが、どっちを向いてもこの高層ビル群!

狭い国土の貴重な土地は大切にされているのでしょう。空いている土地は全て公園みたいにきれいに整備されてます。

ほんと、公園だらけ。早朝ここで太極拳などをやるんでしょうねえ。

年輪が感じられる大きな樹木。「あの大きい木は何ですか」と町の警備員さんに聞いたら「知らない」と返事。

至るところに様々な花が植えられいます。4階建ての今にも壊れそうな古いビルの2階の軒の上にも軒が

しなりそうなほど大量の植物の鉢がのっかっていたりして、大丈夫?落ちない?と心配になるけど、きっと

台湾の人は鷹揚なのでしょう。日本だったら上と下で大騒ぎになること必至。

 

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次は中国の総統「蒋介石」の顕彰施設「中世記念堂」

台北観光のお決まりコースなのだと思いますが、この建物はやたらでっかい。さすが蒋介石の威光を見せ付ける

立派な建物だとは思うけど、一人だったら来なかったかもしれない。

その点、コースに入ってて否応なしに説明つきで見せてもらえるというのは、73歳の今日まで純然たる観光旅行を

したことがない私にとっては、有難いような機会なのかもしれません。

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中に入ると、今そこに蒋介石がいるようなお部屋にしつらえてありました。天井が高くて天井も調度品も大変立派。

蒋介石が一度も乗らなかったというキャデラックなんぞも展示されています。台湾人のカンさんにとっては、中国人

総統の蒋介石についてはさほど話したい内容はないと思われますが、キャデラックともう1台似たような車の展示に

ついては詳しく話してくれましたが、私が忘れた。人民が大変な時にキャデラックー?なんて思ったかな?

 

ちなみにカンさんは60代初めのお洒落な女性。息子さんが一人。大学を出て今は兵役中。徴兵制が敷かれている

台湾では大学を出ると兵役に就かなければならないそうです。前は2年、3年だったけど、中国との関係が悪くない

今は11ヶ月でよくなったー、と言ってました。

 

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大理石の床や壁。ひんやりした屋内から外に出て見下ろせばこんな光景。

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ここでようやくランチタイム。

カンさんの案内で旅行者は必ず立ち寄るというショーロンポーの有名なお店に行くのだそうです。

常々大変に込んでいるお店だとかで、お店の横のお洒落な雑貨と本のお店で待機。20分ほど待って細い階段を

上って店内へ。見える範囲のみっつくらいの奥行きの深い部屋はお客さんでいっぱい。テーブルとテーブルの間の

狭い空間を日本名の娘さんやら中国名の娘さんやらが注文聞いたり10段くらいに積み重なった蒸し器を運んで

来たりで圧倒されます。この忙しさの中でサービスはとてもきめ細かい。

トイレに行ったらトイレ係りの人がいて、きれいにしたトイレに入れてくれました。これにはびっくりした。

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ご飯があったんだ! この写真見るまで、ご飯があったことも自分がご飯を食べたかどうかすら記憶が飛んでました。

小皿に細いしょうががあったこと、魚だの野菜だの緑色だののいろんなショーロンポーがたくさん出てきて、

これは食べられないな、と圧倒されていたことのみ覚えています。

しかし帰る時にはほぼ全部なくなっていたから、食べたんだねえ。

 

 

さて、午後からは恐怖の胡弓博物館となります。