新聞整理

来月始めの海老名市立海西中学校の200名の生徒さんの新聞バッグ体験講習のための新聞紙を

用意するために、この2、3日、送って頂いている新聞紙の整理をしています。

海山ネットワークを始めた最初の年、英字新聞が全然集まりませんでした。フェイスブックとかブログとか

思いつく限りの方法で「英字新聞を頂けませんかー」とお願いをするのですが、まるでダメ。思い余って

日本にある世界中の大使館とか総領事館とかに手紙でお願いしてみようか、と住所を調べたりしていた

頃、知り合いを通じて大和総研調査室の河口真理子さんから、イギリスの高級経済紙フィナンシャル

タイムを送って頂くようになりました。

それから3年が経過した今でも大和総研の河口さんからは古新聞とはいえないようなきれいな新聞紙を

送り続けて頂いていますし、その他にも青山学院、青学図書館、損保ジャパン、ロイヤルパークホテル、

その他の心ある方々から新聞紙を送っていただいています。

重いので普段はよっちゃん家の倉庫に入っているのですが、今日は出してもらいました。

どのダンボールを開けても、新聞紙は種類別に分けられ、紐で結わえて、整然とした状態で納めて

くださっています。

大震災なんてあったかなかったか忘れてしまった人も多いように見える世情の中で、こうして3年間を

過ぎた今でもきれいな状態に新聞紙を保って送り続けてくださる方々がいます。風化、風化を言いますが

風化ばかりではない。3年間続ける、というのは「心」がなかったら出来ないことだと私は思っています。

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送ってくださっている皆様、ほんとうに有難うございます。たくさんお仕事ができることを感謝しています。

今日せっせと整理してみたら、なんと40種類くらいの外国の新聞がありました。

全然まったく読めない新聞があります。どこの国の新聞だかどなたか教えてください。

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トルコの新聞かなあ。

まだまだあります。明日は違う新聞の写真を・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大入り満員食のイベント。

私は海山の他にもうひとつ、ひょんなことから仲間入りすることになったモノつくりをしながら地域振興を目指

すみやぎものづくりネットワークという名のグループにも所属していて、先月その定例会が石巻に隣接

する美里町でありました。美里町がグループの本拠地です。

その時に聞いたのが、「今度5月25日にイベントやるから5000人以上の人を集めなければならない」

という話。名前はその時はわからなかったけど、「食ってみらin美里」というイベントだというのが今日

解りました。

なんでも「嵐基金」というのがあるのだそうで、その募集枠に入った。今回成功したら来年には助成金が・・・

ということも考えられるので、第1回目の今回はとにかく宣伝にあい勤めてお客さまを集めよ、という

お話でした。

 

出店はとてもじゃないけど今はできないけど、イベントは見に行くということで今日がその当日。

いろいろ用事もあるのでいつもどおり黒田さんと孫と一緒に出かけました。

会場の家畜市場が近づくにつれてびっくり!!

ものすごい人の数!駐車場から溢れ出た車が田のあぜ道にずらーっと並んで停まっています。

よっぽどの宣伝の効果とみえて、会場に入ると並んだテントのどの食べ物屋さんも長蛇の列。

かき氷を食しただけで、後はうどん一杯、焼き鳥1本たりとも買うことはできませんでした。

楽しみにしていたはつ子先生のはっとが入った「はつこなべ」は大なべ7回作って終了した、という

ことでそれも食べられず。

こんなイベントは初めて見ました。聞けば5000人どころかその倍くらいの人出ではないかと・・・。

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何にも食べられなかったけれど、イベント大成功ということはわかりました。なんてったて第1回でこれだもの!

早坂さん主催のバラ染めのテント。

ほんもののバラの花びらで染めた絹のスカーフと繭玉です。

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「拾った額縁を利用したのよー」というスカーフの販売ケース。

古新聞、空き缶を利用する海山新聞バッグも負けてられません。

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自作の服を着たバラ染め屋さんと機織り屋のちかこさん。

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来月末にはバラ祭りが催されるそうで、それには私も見聞のため行かなくちゃ。今回が大成功なら来年も開

催されるはずで、次の定例会には是非とも大成功の裏話を聞きたいものです。

 

 

午後は昨日に続いて鳴子のあやさん宅で、6月3日の新聞バッグ体験講習の準備の再開。

あやさんが新聞バッグを製作し、その動きのひとこまひとこまをクロダさんが写真にとって、200人の中学

生たちが見れば解るように映像や印刷物を作ろうという試みなんですが、うまくいくのかいかないのか。

とにかくやってみよう、というところで写真を撮りまくります。

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なぜだか最後はアカリちゃん、孫もいっしょになってトランプ神経衰弱で遊んで終了。

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準備は明日も続きます。面白いこともなくっちゃねえーー。

 

 

 

 

 

 

 

草刈り

あったかいような寒いような安定しない気温が続く日々ですが、草だけはしっかり伸びて、無視できる

状況ではなくなってきました。

昔々、初めて北海道に行った時、空も野も畑も森や林もその広いこと広いこと、道はまっすぐにどこまでも

続き、瑞々しい林の緑は体が染まるようで、「なんと美しいところだろう、北海道に住みたい!」と思ったもの

でした。

 

それから何年も経って、北海道には行かなかったけれど、縁あって宮城県の県北の里山が美しい小さな

町で念願の田舎暮らしを始めることができました。

 

そして始めてみれば、冬は雪、夏は草との闘いの日々。

新浦安のデイズニーランド近くの街路樹の秋の剪定を「なんでこんなに棒のようにするんだろう」なんて

思いながら毎年苦々しく眺めていた私は、木や草がこんなに怖いほど暴力的に繁盛するものだとは想像も

していませんでした。

引越し祝いに頂いた鉢植えのスモークツリーや小さい針葉樹を何も考えずに土に植えたら、12年経った

今は大木に育ち、伐るにも切れず、えらいことをしたもんだ、と悔やんでいます。

 

2年ほど前用事で北海道に行った時、家々の屋根の煙突を見れば「薪割り」の大変さを思い、緑連なる

畑や野を見れば「どうやって草刈るんだ」と思い、全然北海道に住みたくなくなってました。

 

あまりにも草が伸びてきたので止むにやまれず、数日前から草刈りを始めました。草が伸びたまんまだと

クマが山と間違えるかもしれないし、へびも出てくるでしょうから。

夫がいないので油を入れるのも大変です。油の缶を持ち上げても重さでフラフラして半分くらいこぼれる

始末。自分で刃を替えたら、ボルトを締める力が弱くてふっとんでいきそうなので、由美さんちに持って

行きました。

 

そんな苦労をしながら、草刈りを始めると、これが楽しいです。

刈った端から見事にきれいになるので、草刈りが好きな人はけっこう多い。

私の草刈り機は農家の人がみたら「オモチャか」と笑うような小型版。本当はあぜ道刈り用「てがーる」君。

72歳の私でもそれなりに刈れる大事な友達「てがーる」君。

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夫がいなくなった今年は、草刈正雄がテレビなどで宣伝している充電式草刈り機を買いました。よろよろし

ながら油を入れなくていいし、まずはスターターの紐を引っ張らなくていいのが素晴らしい。それに軽い。

エンジン式のスターターは私の力では紐を引っ張っても引っ張ってもエンジンがかからないことが多く、自分

の非力がほんとイヤになる。

 

ということでもうずいぶん刈りました。がんばりすぎて半身が痛い。

どこもかしこも草が伸びて花が咲いてのどかな眺めです。

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ニュートラルの位置に

作家の高田宏先生のエッセイ教室生が1年に1回発行する同人誌「みず」24号が完成して、その打ち上げ

に行ってきました。24号だから同人誌「みず」は24年間続いているということです。一口に24回といっても

始めた時には40代だった者は60代に、60代だった者は80代になる、ということで先生も生徒も80歳を

過ぎて、髪が真っ白という人も多くなりました。

私が40代半ばから通った東京渋谷の東急プラザにあったカルチャセンターBEはもう何年も前に渋谷には

なくなり、今は二子多摩川に移転したということですが、高田先生のお教室ももうずいぶん前になくなって

先生を中心とする同人誌「みず」の仲間が今も年1回秋に原稿を書き続けています。

 

カルチャーセンターのお教室で、もう実体はないのにこうして4半世紀近くも同人誌を出し続けている、とい

う例はあまりないのかもしれない。打ち上げはこれも24年間同じくらいの時期に、東急プラザ9Fの料理屋

「いらか」で開きますが、「いらか」の位置も外観も24年間ちっとも変わらない。同じお部屋の椅子に座って、

同じ外の眺めを見ていると「24年間も来てるのか」と不思議な気持ちになります。

 

1号から校正編集を担当してくださった第一印刷の新屋敷さん。退職なさってからもずーっと校正を担当

してくださり、毎回原稿を丹念に読んで、「みず」メンバーの一人一人の人生の紆余曲折も性格も呑みこ

んでおられます。

80歳を過ぎても現役の合唱団のメンバーであり、4つ子ちゃんを産んで若くして亡くなられた娘さんに

代わって立派に4つ子ちゃんを育て上げたおばあちゃま、Sさんと一緒に「ジョスランの子守唄」を合唱

してくれました。

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教室もないのにこうして24年間も続けてこられたのは、高田宏先生の存在が私たちにとって大変大き

たからです。エッセイ教室生として先生の講義を聞いていた時の先生の言葉は今も胸底にしっかりと刻ま

れ、私たちが生きてくる道々の道しるべでした。

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みんな歳をとりました。次回は25号。実に四半世紀。

少しお体が弱られた高田先生は「これはとてもとても凄いことですよ」と言葉を強めて喜んでくださいました。

是非とも25号を出さねば。先生にはなんとしてもお元気で過ごしていただきたい。

 

会が終わって、久しぶりに八王子の友人宅にお邪魔して泊まってきました。

15年間の田舎暮らしを終わらせて都会暮らしに戻った友人とご主人と、時間が経つのも忘れてお話し、

ほんとに楽しい時間を過ごしてさっき戻ってきました。しかし、東京は寒かった!人が多かった。雨が

ザーザー降ってた。

時々こうして古巣に戻って、元の仲間や友とゆっくり語り合う時をもつのも、今の日常の多忙さから離れて

心をニュートラルに戻す大切な時間なのだと思えます。

 

明日からまた日常のお餅やさんに戻ります。そして海山では関東から遠く東北まで修学旅行に来てくれる

海西中学校生徒200名に素敵な新聞バッグを一人残らず作ってもらう準備を始めます。

東北で豊かな楽しい思い出をいっぱい作って神奈川に戻ってほしいなーー、と思ってます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

織り屋さんのこと

突然電話があって、石巻から機織り屋さんのちかこさんがわが町岩出山に来てくれました。

折りしも丁度、ほっかぶり市の日。毎月市を立てる酒饅頭と麹カッフェのお店、花山さんで待ち合わせ。

まだ会ったことのないよっちゃん夫妻にも紹介できました。

その後は我が家に来てもらっておしゃべり&新聞バッグ特訓。実は先日の石巻講習でちかこさんに

新聞バッグの折り手さんになってもらう予定ではなく、機織りの工房を講習場所にお借りするだけの

つもりだったのです。が、その場の勢いで新聞バッグを折ってもらうことになったのですが、覚えは早い

は手は早いわで、まだ数日しか経たないので数枚作って持ってきてくれました。

悪いところが全然ないのでびっくり。あんまりいない、こんな人は。

 

そのうえに先日「作ってね」とお願いしてきた絣の服がもう出来上がってた。

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これは織るんではなくて、裂き織りのために昔の着物を探す時に絣や紬の着物や上っ張りを購入してほど

いて洗って服に仕立てなおすんだそうです。1枚は作ってもらって1枚はプレゼントで頂きました。こんなに

なんでも自分で作れちゃうっていうのはほんとに素晴らしいですね。

 

因みに今日お土産に頂いた無農薬キャベツは元船乗りさん(漁師さん)のご主人が作られたもの。

船乗りさんを退職されたご主人は、麹菌を作って天然酵母のパンを焼かれるとのこと。魚のあらでアミノサ

ンを作って肥料を作り、野菜を栽培するので虫が来ない。パンを焼いていたガス窯が流されてしまったので

今度は石焼窯を作ろうとなさっているそうで、ちかこさんのお話を聞いてもご主人のお話を聞いてもどっちも

面白くて時間が足りない。

 

そしてちかこさんとのお話で渡波の町から見える海(松林)は、以前は見えた景色ではなく見えなかった。

つまりは町並みがあったのだ、と初めて知りました。石巻は津波に洗われたけれども家は残っていると

いうのは私の思い込みで、流されたところと貫通したところと両方あったということです。ちかこさんの家

の1階を水没させたのは津波ではなく湧いてきた海水。そういう形での水没があった、ということもこれも初

めて知る被災の状況で、やっぱり話は実際に聞いてみなければわからない、とちくづく思います。

 

1階が水没したおかげで(おかげというのもヘンだけど)、2階に置いて助かった機織機械が息を吹き返し、

20年も中断していたちかこさんの織り屋さんが復活したのは天啓みたいなもんじゃないの、と言ったら

そう思うのよ、と言ってますから、これからきっと素晴らしい布が作り出されていくんだろう、と思うと楽しみ

です。

 

思いがけない楽しい1日でした。

 

夕方大きなダンボール箱が2個到着。

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イギリスの高級経済紙フナンシャルタイムズがぎっしり。

東京の地方公共団体金融機構さんからもう3年近く、実にきれいな状態で送料まで負担していただいて

送ってくださっています。こういうご好意、ご支援で海山の新聞バッグ作りは続いています。

海山は新聞バッグを作って販売しているだけなので、お仕事として新聞バッグを折る方々への支払いは

きちんとしますが、それ以外はとても貧乏。でもやっぱり何かお礼をしたいので、ここでとれる農作物など

1年に1、2度くらいはお送りできたらな、と思っています。

この前はりんごだったから、今度は「ワカメ」にしよう。                                                                                                      南三陸のワカメは肉厚で塩がすぐ抜けてほんとおいしいです!!

 

 

 

 

 

 

修学旅行で新聞バッグ

海山の営業、雑用部長が「たっけのこォー!」の日々なので、(実際、今たけなわの竹の子作業を見ている

と毎日よくやれるよなあー、と感嘆するほどの重労働だと思います。毎日2時間も竹の林を歩いて、出た

竹の子をシャベルで切り取って集荷かごに入れて持ち帰り、皮を剥いて薪の火を炊いて、蓋の上にブロック

2、3個押さえに乗せた大なべふたつにこれでもかというくらいにギュウギュウに竹の子を入れて、グラグラ

グラグラ煮るんです。竹の子とるのもしんどいし、重いし、熱いし、茹で上げた竹の子は冷まして水を入れて

袋詰めにして販売します。その作業のうえに、毎朝竹の子弁当を作って茹で竹の子と一緒に道の駅に出荷

してます。私がお餅を持って直売所に行く頃には、もうお弁当は並び、竹の子は冷蔵庫に収まっているん

だもの。そして保存用のビン詰め竹の子もちゃんと作っている。凄いねえ!よっちゃん、みっちゃん!)

ということで、話を元に戻すと、営業部長よっちゃんが竹の子大繁忙期の間は女子組で乗り切ろうと今日は

単身古川の芙蓉閣に行ってきました。芙蓉閣は中華料理、懐石、などのお料理が食べられる宴会場、

結婚式場として古川では名が通っているお店です。

 

この芙蓉閣の大ホールで6月初め、海の手山の手ネットワークは、神奈川県海老名市の中学校の修学旅

行の生徒さん200名を迎えて、新聞バッグの講習をすることになっています。

200名というのは凄い数で、海山もこの3年、キズナプロジェクトやその他の団体のお客様など、100名余の

方々に新聞バッグの作り方を教えたことはあるけれど、200名というのは初めてです。

 

芙蓉閣の担当の方も最初そのお話を頂いたときには、この町近郊の学校の生徒数から考えると200名は

あり得ない数なので(因みにうちの学区は全校生徒で35名くらいかもしれない)、何のお話だかのみこめ

なかった、と仰っていました。

 

この200名の生徒さんたちに完全に新聞バッグの作り方をマスターしてもらいつつ、楽しんで頂く講習をする

のが私たちのミッション。ということで、200人分の道具、マスターしてもらう方法の数々、どうやったら楽しい

時間になるのかな?等々考えるだけで頭いっぱい胸いっぱい。

 

この学校の担当の先生方は、生徒さんに楽しい時間をもってもらうためには、自分たちが新聞バッグを作っ

てみなければならない、と昨年の夏は修学旅行に先がけて先生方だけで休暇を利用して東北沿岸部視察

と新聞バッグ作りを体験されました。「楽しかった」と言ってもらって、嬉しかった。

 

旅行を企画された旅行会社の担当の方も「楽しみにしてるんですよ」と仰ってくださった。

とにかくがんばります。あやさんもクロダさんも、できるだけ何も買わない。道具は手で作る。じゃないと

意味ない、と知恵を絞っています。定規だって200本手作りするんだそうです。

 

あと半月。頭いっぱい胸いっぱいの日が続きます。

 

 

 

 

石巻へ

ナビが苦手で地図ひとつ持って車でどこへでも出かけて行くわたしですが、近辺で超苦手なところが

2箇所あります。

ひとつは伊達騒動の舞台になった北上川沿いの桃生。もうひとつは石巻。どちらも何回行っても迷子に

なる。それも半端じゃなく徹底的に迷うので、石巻というと最初から迷うような気になるトラウマ状態。

ということで、本日はあやさん運転、クロダさん携帯ナビ、私地図という2段構えで行ったのですが、

やっぱり迷って、大幅に遅れて石巻の渡波に到着しました。

これだけやってもなお迷うんだから、私が悪いんじゃなくて石巻の道の作り方がわるいんじゃないの、

という気になります。

渡波(わたのは)は以前まだ瓦礫などが片付かない時に来たことがありますが、その頃は地盤の浸水が

ひどく、流されなかったけれど水が貫通して中が空洞化した家々が立ち並んでいる状態でした。

南三陸はすっぽり流されてしまって原っぱみたいだけれど、石巻は住める家ではなくても、とりあえずは

家が残っているので町という感じがしたものでした。

 

今回来てみて、ずいぶん家が建った、というのか直されたというのかきれいな建物がずいぶん増えていま

した。こうしてみて見ると渡波はぎっしりと家が立ち並ぶ人口が多い町なんだな、と思います。

今日の講習は渡波の仮設住宅にお住まいの方々です。たまたま私の友人が、仮設住宅の隣に住んで

いたことから、講習が決まりました。講習場所は機織をしている友人の機織の工房をお借りしました。

 

綿から糸を紡いで、紡いだ糸を染めて、機を織って、裁断して自分で縫うという工程を全部ひとりで

やっている友人の工房です。2階に置いた機織機が水没を免れたことから、改めてやめていた機織を

また始めたのよ、という彼女のストーリーがありますが、羊1頭分の毛を紡ぐことから始めて洋服に完成

させるという人に私は初めて出会いました。これも新聞バッグに繋いでもらった出会いです。

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娘さん二人のウエディングドレスも自分で機を織って仕立てた、ということで写真を見せてもらいましたが、

彼女の根気強さと大技に驚きました。

今日の講習生のみなさんはとっても賑やか。

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仮設住宅でお一人住まいの83歳も上手に新聞バッグを折られました。1週間に1、2度おしゃべりを

しながらでも折って頂くと大変ありがたいです。

 

次回は仮設の集会所の予約が出来次第、近々にまた石巻にお邪魔します。みなさんが折り方を

マスターされるまで何度か石巻往復を繰り返したら、石巻=迷子の思い込みが少しは解消されるかも

しれません。

 

連日の講習は今日で終わり。明日はちょっと休みます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

連日講習

連日新聞バッグの講習が続いています。

きのうはお隣りの加美町から少し山形側に入った陶芸の町宮崎での講習。山深い印象が強い宮崎町には

ほとんど行ったことがないのですが、今回ご縁ができて、お母さんがたに新聞バッグを折っていただくこと

になりました。

山越えしていけばうちから30分もかからないところなのに、その緑深いこと、田園の向こうに連なる山々の

美しいことには驚き感動しました。あんまりきれいだから写真を撮って帰ったら、緑に関してはうちの周囲も

同じだった。

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みなさん、もとオルゴールを作っていた今は使われていない工房で新聞バッグを作ってました。

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この工房がとても素敵。立派な仕事台とオルゴールを作る木工機械類と乾燥室まで備わった、使わないの

がもったいないような工房。

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いつでも作業ができるこんな空間があるなんて実に贅沢。うらやましいわ、と言ったら、「いつでもおいで。

夏は涼しいよー」ということだからこれからちょいちょいお邪魔します。新聞バッグがご縁でこうして知らない

町の方々と、教えたり教えられたりしながら付き合いが始まるのは嬉しいことです。

お昼ご飯用に用意していただいた丼のご飯と、東松島の竹の子を頂いて帰りました。

お母さん方、ずいぶん上手になったので、これからは海山の重要な戦力です。

 

そして今日はかねてから懸案だった老人介護保険施設での新聞バッグ講習第1回目の日。

クロダさんが夜遅くまでかかって立派な資料を作ってくれました。

場所は仙台のなとりの老人介護施設。リハビリなどを担当する作業療法士の方やデイサービスの職員の

方々に新聞バッグの作り方を教えます。

講師はあやさん、クロダさん、そして付録の私。

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さすがに作業療法士さんたち、お仕事がらか非常に手が器用で、解りも早く、今日1日のうちにずいぶん数

多くの新聞バッグを作られました。普通1回、の講習であんなにはできないです。

そうしてこれからの展開が重要です。基本の新聞バッグの作り方をマスターして、そこから入所されている

方々が楽しんだりお小遣い稼ぎになったりする道筋を考えていかなければならない。

 

今日を第1回目として、ご一緒にいろいろなことを相談しながら進めていきたいと思います。

 

明日は石巻の渡波(ワタノハ)仮設住宅で講習です。渡波はとりわけ深刻な被害があったところです。

まだまだお気持ち大変だと思うけど、楽しい講習をしてこようと思います。

 

朝、定位置のシロ。

朝日を浴びて、毎日、この姿で寝てます。

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明日は母の日。

息子夫婦から素敵な花束が送られてきました。

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ありがとう。大きな花弁のカーネーション。珍しい薄色のカーネーション。

カーネーションも進化したもんだ、と元花屋の私は感心しています。

 

 

 

 

 

よもぎを摘む

今日、2度目に道の駅に出荷に行く時、県道から少し山道を下ったところにカモシカが立ってました。

小型。子供かもしれない。

3、4年前くらいからかなあ。周囲の山々の杉が次から次へと伐られていきます。移住してきた頃は鬱蒼

とした杉山だらけだったのが、ここ何年かであっちの山こっちの山、杉を伐採した空間が広がって、杉

がいっぱいある時よりも山の印象が明るくなってきました。

そこをこの間はカモシカが大きいのと小さいの、親子で登っていきました。

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今杉は材木としては価値がないみたいで、チップにするんだそうです。昔は伐った木は全部持って行った

のに近頃は細くて役に立たないのは持ってかない、とお隣のご主人が嘆いてました。

 

こんなにすかすかの丸坊主なのに、3年もすると黄緑色の潅木地帯、そして数年立つと若木の雑木林に

なります。そのスピードが速くてびっくりします。

雑木林になったら、木の実も増えるからクマもくるのかなあ、というのが私の心配。

毎年たくさんの実がなって森の生き物たちにはたらふくお腹を満たしてほしいとは思うけど、来るのは

困るんだよねえ。木の実だけじゃなくて果物や畠の野菜も食べちゃうから。

 

今は山菜採りの季節です。

テレビで秋田や岩手で1日のうちに2件も山菜採りに山に入った人がクマに会って大怪我したとニュースで

言ってました。猟友会の方が「たらの芽は人間にとっても美味しいけど、熊にとってもおいしいんだ」と言って

ました。

 

 

今日は大型連休の最終日でした。

毎日いっぱいのお餅をついたら黒豆が無くなりました。注文したところで連休中は来ないので、急遽

蓬に切り替えました。

ということで、昨日から夕方になると蓬摘みをやってます。

孫も手伝います。二人で籠いっぱい採ってゴミをとって茹でてあくを抜いてお餅に入れます。

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これでついて出来上がり。

まだ蓬が若いので柔らかいいい香りがします。

暇ではないのに、毎日小豆を煮たり蓬を摘んだり、時間がかかることばかり思いつきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新緑

どこもかしこも緑、緑、々・・・。

道の駅直売所出荷2回目を終わった後、鳴子温泉から新聞博物館用新聞バッグを持って出てくる

あやさんを待つ間、伊達政宗が2十代半ばから38歳まで居城とした岩出山城の城跡散策。

クロダさんが見たことないので案内しました。

都市化のために古いものをことごとく無くした福岡の出身の私は、木や植物や建物やお堀や川が

たぶん昔の姿とさほど変わらぬままにあるような東北の風物に心惹かれます。

 

まあ、しかし、今も残る有備館(伊達家の学問所)のお庭の木々も岩出山城の城跡の木々も

大きいこと大きいこと。300年前からそのままなんじゃないでしょうか。今まで夫の転勤で渡り歩いてきた

町々にこんな大きな木は滅多に見ることがないのだけれど、この町の人々にとっては当たり前のこと。
連休だからって誰も来ていないんじゃないの?

との予想どおり、岩出山の町や町を貫通しれ流れる江合川を見下ろすお城跡には、2人、3人と時折り

登ってくる人がいるだけでした。前には開いていたお店も閉っている。

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車止めから奥に向かって歩いていくと、本丸跡に伊達政宗の立像が立ってます。

珍しく平服なので、平和像と呼ばれているそうです。町並みを見下ろしています。

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そして連なる桜の木のおおきいこと!

どれもこれもびっくりするような大木です。

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お城跡から帰ってひと眠り。

夕方から餡子作りとお餅つき。明日は連休最後の1日です。がんばりまーす。

 

そういえば昨日見たご当地ヒーローはクリハライダーではなくクリハライザーでした。

正しく言えば光源クリハライザープロジェクト。大震災後の5月5日こどもの日にデビユーした栗原の

農業青年たちが立ち上げたご当地ヒーロープロジェクト。たくさんの演目を持っていて毎回テーマが

設けられているのだと知りました。昨日のテーマは子供たちに向けて「早寝、早起き」。早寝、早起きを

しない子供のところには悪だれ団がやってくる。するとクリハライザーが田んぼから岩魚刀とずんだナックル

を武器にオートバイに跨ってやってきて、悪だれ団との戦いが始まる。

楽しくて面白いご当地ヒーローでした。子供たちは大喜び。また機会があったら見ます。