いつか丸森へ

星野さんは311大震災の後に、よっちゃん農場当主の高橋君の知り合いで、
岩出山や近辺の町で食事を提供するお店を作りたいと、物件を探されている
ときに1、2度お会いしたことがあります。

岩出山では適当なお店がなく、その後に仙南のほうで大変クオリティが高いと
いう評判の洋風料理やクリームチーズのお店を出された、という話は口伝てに
聞いたけど、残念ながら食べに行く機会はありませんでした。
時折り岩出山の食料品スーパーで星野さんのクリームチーズを買って食べて、
丁寧な作りに感心したりしてました。

その星野さんが3年前から丸森町の阿武隈川のほとりでカワカフェというcafeを
開かれました。
よその土地から移り住んでカフェをオープンさせて軌道に乗せるというのは、
本当に大変なことであろうと、星野さん同様、県外からの移住者である私は思う
のですが、でも新たなカフェという分野でもあの実力できっと成功されている
のだろうな、と想像してました。

その星野さんのニュースをFBで知ったのは昨年10月の台風19号の時です。
台風19号の丸森町の被害はひどく、テレビなどの報道で見ても直視できない
ような惨状で、これは311の時と同様の大被害。回復するのには半端では
ない時間がかかる、と私たちはこちらで胸を傷めたものでした。

台風から1週間が経った頃、大阪の松葉氏から「支援をします」と連絡を頂き
ました。

松葉氏は311大震災の時に、松葉氏が関わっておられるゴルフ倶楽部のコンペ
の賞金を支援にと申し出てくださり、そして現金よりも新聞バッグのご注文で
というこちらのあつかましいお願いにも快く応えてくださり、100数十枚の大
バッグを2年も続けてご注文くださった大変恩義のある方なのです。

以来年賀のご挨拶などはしていますが、その松葉さんからまたもゴルフコンペの
賞金をとご連絡を頂いたので、迷わず丸森町の星野さんをご支援くださるよう
お願いし、快諾していただきました。

カワカフェは流されなかったものの、営業できない日々を避難中の丸森町の
みなさんに汁物の炊き出し提供で大奮闘中の星野さんへの一助になれば、松葉
さんも喜ばれることだろうと思います。

そしてつい先日、今度は星野さんが再開されたお店カワカフェを、丸森町の
皆さんの憩いの場に、県外のお客さんを丸森町に呼べる場にしようと、クラウドファンディングを立ち上げられたことをFBで知りました。

またもやの大奮闘。


松葉さんにはご支援いただいたことだし、私たちも何かをと思っていた矢先、
東京にインストラクター講習に出たよっちゃん農場の奥様みっちゃんがその
講師料の一部を「海山」に残してくれたことから、そのお金を柱に私の周りの
おばちゃんネットワークに広げてクラウドファンディングの最終に参加しよう
と思い立ちました。

が、これが思ったよりも大変で、その理由はおばちゃんネットワークは強力
なんだけどスマホなどには縁がないガラケーネットワークなのでした。

映像は送れず、フェイスブックなんてなんのことやら、クラウドファンディングを説明するのも時間がかかる。大変真面目で真摯な星野さんのFBの文章を
そのまま印刷したらA4で8枚にもなり、これでは誰にも読んでもらえない。

ということで最後に思いついたのがお手紙形式。


星野さんの文章をパソコンで無理やり3枚に押し込んで打ち直し、おばちゃん
ネットワークに持って行ったら、あ・ら60、あ・ら70のおばちゃん10人、
お手紙は飛ばし読みでも、何も言わず聞かずお金だけはしっかり出してくれ
ました。
さすが強力おばちゃんネットワーク。信頼だけで繋がる心強い仲間です。

明日はクラウドファンディング最終日。
ぎりぎりで間に合い明日の朝一で振り込みます。


そしておばちゃんたちは、カワカフェが落ち着いたら、みんなで丸森町に遊び
に行こう。カワカフェにピザを食べに行こうという約束をしました。

春の日の目標ができました。楽しみです。

それから時間がおしたのでおばちゃんは10人に止まりましたが、まだ声を
かければ強力してくれるおばちゃんはいます。
私も参加するわ、という人、声をかけてください。

みんなで丸森町に行きましょう!



わた

去年の初夏に初挑戦した綿の栽培は、あえなく失敗に終わりました。
がっかり。残念無念。

タネは東松島コットンプロジェクトの赤坂社長から頂きました。
「ワタは素敵だから地域のみんなで楽しめるから岩出山でもコットン植えて
くださいよ」とお願いしたら「何言ってる。ここだけでも手いっぱいだ」と
あっさり断られて自分でやれと手渡されたのはギリシャから来たタネ。

普通の白いふわふわのワタの中に張り付いたように入っている採りにくい種
ではなくて、きれいな青色にコーテイイングされた蒔きやすそうな種。

なのに高温で発芽するその種を、気温が低いから、雨が降るからとぐすぐす
引き伸ばしてようやく6月初めに蒔いたら、時間不足だった。日照不足だった。
気温不足だったのでしょう。

花が咲いて、実を結ぶまでは行ったのだけど、台風で根こそぎ倒れ、倒れた
ままで枝で大きく膨らんでいる綿の実はとうとう弾けないまま冬を迎えました。
白いワタは見えるけど、弾けないので出てこないという状況。
なんか新しい土地でがんばったワタに申し訳ない心境です。

ワタというのは、その幼苗期はほんとうに小さい。そしてちっとも成長しない。
ところが温度が上がるにつれてどんどん成長してどでかくなるのです。
正直東松島の切り開いた山の土地でがんばって根を張る細枝のコットンを見て
いた目には、岩出山の畑で育つコットンは木のように大きくなって、これで
いいのかと不安でした。

そして夏遅くに花が咲きました。
大きくて艶やかな芙蓉のような花です。ピンク、黄色、といろいろ。

この花が実になってワタになる、ということになっています。

ここまではできたのね。
ところがその先が進みませんでした。
待っても待っても白いふわふわのワタは見えているのだけど出てこない。

東松島のワタはこんなふうになります。

そしてこんなふううになって

こんなふうになります。

機織りの加納さんがワタでの糸紡ぎを教えています。

地域の楽しみになるどころか、地域の人からみたら何やっているのかわからない
無用の長物のような横倒しのワタの木。

赤坂社長とは大震災後に初めてお会いしました。
津波で大きな被害を受けた荒浜の塩害の農地にワタを植えてチームで栽培する
東北コットンプロジェクトを定着させ、東松島の山地を切り開いて東松島
コットンプロジェクトの整備にとりかかろうとされている時でした。

私はとあるミーティングに新聞バッグを販売したくて参加し、東北コットン
プロジェクトのことを知りました。

東北コットンプロジェクトの目的として
「服を着ることが、農家の支援になる」と謳われています。

新聞バッグの活動を続けてきて、「特別なことは続かない」と常々思う私は
この目的の言葉に深く共感しました。

東北コットンプロジェクトの目的は、

「津波被害で稲作ができなくなっている農地にコットンを植え、農業を再開
 してもらうこと。

 アパレル関連企業と共に東北コットンを使った新事業を創造し、東北に
 安定的な雇用を生み出すこと。

 「あなた」のいつもの暮らしを被災地につなぎ、無理なく、継続的に農家を
 応援できる仕組みをつくること。

それが私たちの約束です。」とあり、それは新聞バッグも同じです。

その約束は今も守られ、東松島の綿畑は年々面積を広げ、春のタネ蒔き、秋のワタの収穫祭と充実したプロジェクトを展開しています。

赤坂社長は綿のみにとどまらず、その地形を利用した観光農園の整備を
進められ、綿畑の隣はハーブ園(ここのハーブは大変育ちがよくしっかりした
ハーブです)、そしてラベンダー園(何千本あるか忘れました)、が第1第2
とあり、果樹園、オリーブ園、そして売店も春になるとオープンします。

1日遊べる東北の新しい観光地です。
ラベンダーが咲く時期には是非おでかけください。

と赤坂観光農園の宣伝をしたところで、わたしのワタに戻ります。

このまま置くのは勿体無いので、実だけを採って温泉熱乾燥機にかける。
乾燥したら実が弾けてふわふわのワタが出てくるのではないかなあ、
と思うのですがどうだろう。

歴史的に思えば、アメリカ南部やその他の暑い地域で盛んに栽培された綿花
にとって、日本の東北の気候はかなり厳しいはず。ここでの栽培はたぶん
北限といえるのではないかと思います。

今年は早めに5月にはタネを蒔いて再び挑戦してみます。
真っ白いふわふわのワタを目指して。



ふわふわのワタ作りを目指して。

 


2020年はじまり。

あけましておめでとうごさいます。
本年もよろしくお願いいたします。

とはいえ、あっという間にもう5日。

元旦の朝は、まずは外に出て一番最初に出会ったのが、道路をのんびりと
横切るでっかい1匹のイノシシ、ということで始まりました。

2020年のはじまりがイノシシとの出逢いなんてちょっとショック!

車を停めてイノシシの横断を待ちながら、「これはほんとに散歩とか
できないな。ジョギングの人とか襲われていたらどうしよう。
棒など車に常備しているほうがいいのかな、熊スプレーはイノシシにも
効くのか」とかなり真面目に考えた元旦の朝でした。

今年の冬は全くと言ってもいいくらい雪が降らず元旦の風景はこんな感じ。

遠くに白鳥がいるのですが、写真が暗くて見えない。

昨年の暮れは新聞バッグのオーダーが多く、大晦日までお餅の仕事と、
たくさん残っている葉牡丹の寄せ植え作りとで相当ジタバタしました。
が、早め早めに黒豆煮たりきんとん作ったりして、正月恒例、鰤入り
博多雑煮と3段おせちはなんとか製作完了。

3が日に入ってようやくゆっくりできました。

2日目はこれも毎年恒例、集落の新年会。
自治会の総会をやり、お雑煮とお寿司で新年を祝いながら、この地域から
選出の2人の県議と1人の市議のお話しを聞きます。
今年のお話は台風19号で大きな被害を受けた鹿島台の農業、そして
住民のみなさんの生活再建について。暮らしの再建のほうはなかなか難儀
だけれど、底力がある農業者の回復は早いだろう、とのことで胸が明るく
なりました。

重要課題は増える一方のイノシシ対策。
とにかく一人でも多く狩猟の免許をとってほしい。とのことですが、
当のイノシシもとても用心深く、話を聞いていると笑いごとではないんだけど
イノシシの賢さに思わず笑ってしまいそう。今年も智恵比べです。

3日は宮城柳津虚空蔵尊に初詣。
この虚空像尊は全国に三箇所しかないのだそうで、寒空の下、長ーい列を
作って参拝を待つ人々を見てびっくり。止めようかと思ったけれど並びました。

東北でもこんなところがあるのね。

ついでに石巻の私たちの機織りと縫い物の先生、加納さん宅に寄って初めて
間近に大漁旗というものを見せてもらいました。

加納さんはこの大漁旗や鯉のぼりを自分の作品に使うのだけれど、海上を行く
船で翻る大漁旗しか見たことがない私はその大きさにびっくり。

しかしこれはハサミで顔なんか切ったら夢見が悪そう。
目出度いものというのは、そういうものなんですね。

昨日までゆっくりして、今日からお餅(お餅は暮れから今日までずーっと
作っています)以外の仕事はじめ。

これまでの葉牡丹に春の花、ジュリアン、アルメリアバレリーナ、チェッカー
ベリー、ヒメリュウキンカ、など混ぜ込んで寄せ植えを作りました。

青山学院大学図書館、自治体国際化協会、東京大学の先生方から暮れにお送り
頂いた新聞紙の整理に、縫いかけの服の仕上げももうそろそろはじめねば、、。

本年もよろしくお願いいたします。