砂像(サンドクラフト in みたね2019)

松さんはしまんとの新聞バッグのインストラクター。
数年前に黒田さんが松さんを我が家に連れて来た時に初めて会いました。高知県出身で海辺の砂に像を作るために、あちらこちらの砂浜を巡っている。その途上で宮城に寄った、とのことで、雪像ならぬ砂で像を掘る人がいるのかと驚き興味を惹かれました。

まだその頃は砂像彫刻家としての道筋はさほど松さんの中で決まってないよう
に見えたのですが、今年の5月にフェイスブックで松さんが掘った砂の犬を見て
驚愕。

秋田の砂で彫った秋田犬、これがほんとに砂で作られた犬?
まるで生きてるような、、。
賢そうで素直そうな眼。「どこ見てるの?」と問いかけたいような。
自分が犬が好きなせいもあるけれど、完全に魅せられました。

忘れられないでいるところに、この春の三種からフィンランドに渡り、そこのコンペで3位。その後アメリカのロスアンッジェルスに移動して砂像を彫り、その後はカナダでのコンペで4位を受賞した松さんが再度秋田の三種町で砂を彫ると聞いて(サンドクラフト in みたね)、これはどうしても今見ておかなければと、南相馬の上条さんを誘って秋田に向かいました。

秋田県の三種町まではなかなか遠い。
男鹿半島の北に位置する町で、我が家からはほぼ3時間。南相馬から来る上条
さんにはさらに3時間プラスの超遠距離ドライブ。

あっちに寄ったりこっちに寄ったりしながら延々延々と走ってようやく辿り着いた先は、想像とは全く違ってた。広い広ーい海辺、その先は日本海、見晴るかす彼方まで立ち並ぶのは大小の風車、(これだけの風車があるということは、風が強いとこなんだね、ここは)、風車の下には色とりどりのアウトドアテントが張られていて、水着を着たりバーベキューをやったりと夏の海辺を楽しむ人々がいっぱい。

秋田県にこんなとことがあるの!  もう外国みたいな光景。

ここには温泉も湧いていて、その名も砂丘温泉。今夜はそこに泊まります。
砂地の農業が盛んのようで、立ち寄った道の駅の野菜は安価で山盛り。通り
過ぎる道沿いの畑には採り残されたメロンがごろごろ。

秋田県は学業優秀の町。というのは私たち東北に住む者には常識みたいなものだけれど、雪深く寂しいイメージが強い秋田県の海辺に、こんなに明るくて海が美しい日本じゃないような風景があるなんて、全く知りませんでした。

そして初めて見る憧れの砂像は、、、。

高さ3メートル。砂を積み上げ彫り上げられた砂像。
ダイナミック! 他では見られない光景!

海を背に立ち並ぶ大きい砂像は招待された砂像製作者の作品。その他にも砂浜には一般の人や子供や学生が彫った作品も居並んでいて、これもまた素晴らしくひとつひとつ見歩くのが楽しい。土地に溶け込んだ砂の彫刻。

松さんの砂像を見つけました。
松さんが1週間かけて制作に取り組んだ作品は少女の像でした。
秋田犬の目にも驚いたけど、この少女もまた柔らかく優しい表情をしています。
ひとつ間違えば崩れ落ちるかもしれない砂の彫刻を、どんな気持ちで彫っていくんだろう。

長い1日が終わり海の色も空の色も砂像も夕焼け色一色

日没の日本海。ほんとうにきれい。

日が沈んだ後にはさまざまなパフォーマンスがあり、オープニング当日の夜には花火が上がります。

砂像の下の砂に座って見上げる花火は圧巻。空から花火が落ちてきそう。

秋田犬の目に惹かれて出かけてきた三種町釜谷浜海水浴場。サンドクラフト会場でしたが、忘れられない場所、忘れられない夜になりました。
この砂像を作るイベントは今年で23年目だとのこと。なぜ23年間も続いているかというと、砂がいいからだそうです。これほどの大きなそして芸術的で素晴らしい砂像のお祭りが東北の人たちにさえ全く知られていないなんて、ほんとうに勿体無い。帰ったら宣伝に努めます。そして来年も必ず来ます。

砂像を作った松さんと3人で枕を並べてたくさんお話をした翌日は、せっかく秋田まで来たのだからとさらに北上して白神山地へ。
白髪山は準備がないと登れないと知り、登るのを諦めて太平洋側に進み、かつては小坂鉱山の鉱山資源で栄えた小坂町へ。前に一度来た時に町中溢れんばかりのニセアカシアの木に驚きましたが、小坂鉱山の噴煙で周囲の山の木が全て枯れてしまい、アカシア300万本を植えてアカシアの町になったのだと知りました。

小坂町の重要文化材、日本最古の芝居小屋「廉楽館」で常打ち公演を観て、今回の秋田訪問を終わりにし、また延々延々と戻ってきました。

遠かったけど砂像は素晴らしかった。
是非たくさんの人に行ってもらいたい。
行ってもらいたいので、たくさん写真を載せました。

ロボット

前のブログを書いてから1週間くらいの間に、よっちゃん農場よっちゃん
夫妻が航空会社エイベックスの機内誌に載ったりして新しいニュースの
タネはつきません。
が、その話はまたこの次に。

 

今日は小5の孫の夏休みの最大課題であるWRO世界ロボット競技会当日
でした。
彼がロボットを始めたのは2年前。ここ都会から離れた田舎から仙台の
ロボットスクールまで通って3年目。

昨年と今年の春のロボットスクールの東北大会では優勝して東京の全国大会へ。
さすが東京まで行けばロボット強豪も多く、苦戦の涙を飲みました。
昨年のWRO大会ではタイ人のT君とチームを組んで、第2位と3位の賞を
獲得。そして今回はWRO2回目の参加です。

夏休みに入ると、宿題はさることながら、旅行や自由研究などの夏休み
恒例事業は後回しにして、日々ロボットの練習。
祖母の私はこの小さなマシンの、どこをどうしてどうなったら動くのか
皆目見当もつかないけれど、彼によればプログラミンングで動くのだそうな。

夏休みに入ってからしばらくは家での練習。大会に近づくと仙台に行く
回数も増え、最後は仙台合宿をして今日を迎えました。

まるでロボット甲子園。試合を観に行く私は高校球児のばあちゃんの心境。


で、こういうポスター。

この試合を勝ち抜いたら全国大会の出場資格を得、満々万が一そこも通過
したら世界大会はハンガリーなんですと。
行きたい、ハンガリー。

試合開始は2時。
車検時間が終わって試合開始が近づくにつれ、我が緊張感は増し、じっとして
いられません。ロボットが動くのは見えないけれど、動く様子は大スクリーン
に映し出されます。正直見えても何がどうなってるのかほぼ解らない。
けれどロボット走行の時間が30秒だということはわかった。

何組かが終わって孫チームの番。緊張しながら見守るなか、何かがうまく
いかなくて30秒は終わった。らしい、、、。
あーあ、泣いてる。なんと言葉をかけよう。
しかしなんとシビアな試合なんでしょうか。ちょっと外れてもずれても
ダメなのらしい。それも手で動かすのではなくてプログラミングした操作
で動かすのだから半端な難しさではないのでしょう、きっと。

これは第1回目で第2回目があるということだけれど、時間もかかりそうだし、
うまくいかなかったら胸が潰れそうだし、先に帰ることにしました。
あとは残る娘からのメール待ち。

夕方遅くなってもう競技も終了する頃に娘から連絡は、

なんと信じられないことに「優勝」だって!!

えーーーっ。嘘みたいだけど、ほんとに良かった。

全国大会は8月の終わりに神戸で。夏休み、忙しくなってきました。
全国大会に挑戦するためにはT君とチーム力をあげ、行く準備もしなければ
だけれど、T君のお父さんは英語しかしゃべらない。
問題はいっぱいありますが、でもこうして負ければ悔しくて涙が止まらない
ほど真剣にロボットと向き合う夏休みの時間は、きっと彼らにとても
貴重な思い出を残すと思う。

がんばれ、T &Tチーム!



ニュースいろいろ

5月の10連休くらいからやたら忙しくなって、お休みしてしまっていたブログを再開。

この2ヶ月ほどの間に起こったニュースをひとつずつ少しだけ報告します。

4月から自宅の近所で空き直売所を仲間4人で借りてオープン、と言いたいけれど、開けたり
開けなかったりだから、まだ半オープンくらいをしました。

直売所の名前は我が集落の名前がついた元のまま、固有はまだ考えてない。
置いているものは、2年くらい前から始めた洋裁教室で作り始めた洋服(先生作)、織物、
手作り小物に新聞バッグにドライフラワーに野菜にアイスにジュース。そしてメインは
外に並べた花花花。

何の宣伝もしていないので花を買うお客さんが「ここ何やってるの?」と入ってくるくらい
だけれど、月2回洋裁、機織り教室と週1でリー先生の英語クラスをやってます。
入りたい方は是非どうぞ。

 

それから新聞バッグを新たに置いて頂くところができました。
蔵王の麓、遠刈田温泉にある温泉山荘「だいこんの花」さん。
お声がけいただいて5月の連休あたりからフロント前のショップに置いて頂いています。

すっぽりと森の緑に包まれた静かで洗練された温泉山荘に似合う新聞バッグのデザインは?
と、海山メンバーは新聞バッグ第2ステップに向けての在り様を模索中。

という流れでなんと海山女子部3人は、憧れのだいこんの花山荘に宿泊することになりました。
まこと素晴らしいお宿。どこが素晴らしいかというと、温泉旅館ならそれが常識みたいな
宿側からの押し付けみたいなサービスが一切なく、始めから終わりまでお客さんの選択に
任されている。というのが、これはもう他の宿にはない本当にありがたい心遣いのおもてなし
でした。

次なるニュースは、
海山インストラクターの黒田さんがアメリカのサンディエゴとロスアンジェルスで初海外
ワークショップをやりました。もちろんロス在住のインストラクター石丸さんのお世話が
あってのことですが、滞在1週間に満たない中でワークショップ4回、教えた方は日本人
アメリカ人、合わせて36人。

このワークショップで海外には今も東北の応援をし続けていてくださる方が多数おられる
ことを知りました。
このアメリカでのワークショップはこの先の新聞バッグの行方に影響が大きいかもしれない。
という兆候がもう見え始めてます。来年オリンピックだしね。

先週末は新聞バッグデザインミーティングも兼ねて、前から行きたかった南相馬の上條宅
をついに訪問。ここいた時とまったく変わりない上條さんとまったく変わりない動き方で
南相馬を案内してもらいました。

原発事故で、上條さんが住むことができなくなっていた南相馬。
前に行った被災地視察で行くことができなかった南相馬。

野馬追いの伝統が今も受け継がれている緑豊かなとても素晴らしい土地でした。
山も海辺も全部廻った。大好きになりました。

ここは500頭の馬が集まってくる野馬追いの会場。

ここを馬を繰る武者を乗せた馬が駆け上ってくることを想像するだけでもワクワクするけど
今年は行けません。

来年の夏には是非来て観るよ!

 

農作業コトはじめ

3月末、これまで2年間菊の栽培で大変お世話になった宮城県北部農業普及センターの
班長さん他2名の指導員、水戸さんと石川さんが揃って移動されることになり、泣く泣く
お別れ会をしました。

 

道の駅でお盆に売る花がないから自分たちで作ろうと始めた菊作りだったのですが、
水戸さんたちに一から教えて頂いて初めて、自分たちの頭の中でそれで「よし」と
していた自分流が、いかに力弱いものだったか知りました。

花を作る生産者の中でも日照時間に左右される菊は難しい、と栽培したがらない人
が多い(私もその一人)。でも教わったとおりに手を抜かず丁寧に作業を
すれば、ちゃんと立派な花が咲くんだということもわかりました。

今年は部会員の菊栽培者みんなで育てるだけではなく、これまで買っていた苗を自給
しようと決めた大事な年。
苗の自給のやり方も水戸さんのアドバイスを受けて、昨年の晩秋に昨年活躍した花株
の冬越し、赤ちゃん苗の作り方等々、しっかり教わりました。

そんな時の移動なのだから、これまで私たちの指導をしてくれた水戸さんも石川さんも
後ろ髪を引かれるようなお気持ちに違いありません。

なので、私たちも気をぬかず、教えられたとおりに作業して、昨年のお盆に販売した
よりもさらに数を増やした菊の花束をお客様に提供できるようにみんなで力を合わせます。

と約束してから1ヶ月。
菊の苗の元になる盆菊の穂挿しの時期になりました。教わったよりも10日も遅くなり、
気は急くけれど、暖かいかと思えば大雪が降ったり凍りついたりこの天候の不安定さ。
しかし待ってもいられず、昨日はついに自分のハウスで育てた穂と加代子さんにお願い
して採ってもらった穂を合わせて数百本の挿し穂作業を完了させました。

 

みんなでやってるもので人の圃場のことまで、やったかなあ、できたかなあ、と気に
なります。うちには師匠の栗ちゃんが折々に点検に来るので油断ができないのですが。

そして1日置いて今日は彼岸の菊の摘芯作業。
1月経つ頃には、彼岸菊の穂挿しの作業とお盆菊の畑への定植作業が重ることを思うと
できるのか、と今から不安。
お餅をつくのも大変だけど、畑の仕事はうんと大変です。

農業初心者の野田さんも広い畑を借りることになり、もうじきトラクターが入ります。
その前に肥料も堆肥も撒かねばならず、ついに冬が終わって農業コト始めの時期。

数年間離れていた花作りに今年は私も戻って、ここに越してきた当時に夢みていた
ガーデン作りをボツボツと始めようかと、、、。
ガーデン二ング素材の花々のタネを採って撒いて育てて、大きくなった花苗を我が家
の近くのお店で販売しようかと、、、。

そんなことを考えているので、みなさん、寄ってみてください。

 

 

 

ー別れー1日中新聞バッグ

4月も半ば近くになってからの時ならぬ大雪。

大震災の時以来、いつもどんな時も一緒に新聞バッグ作りをやってきたアヤコさんが南相馬
に戻ることになったので、今日は1日新聞バッグの作り方のおさらいをやるつもりでいたら
この大雪。

夏タイヤに替えたアヤコさんは動けなくなり、急遽冬タイヤのままの私が引っ越し準備中の
アヤコさんちで、まだ作ったことがないワインバッグを作ることになりました。

アヤコさんちに到着したのが午前10時半。

あと2日もすれば行ってしまうアヤコさんに習えるのは今日1日のみ。
何がなんでも今日は覚えてしまわなければ、という気迫十分、アヤコさんもその気、で
始まった最後の新聞バッグ講習。

思えば大震災後の7月、高知四万十ドラマの支援で初めて鳴子公民館で新聞バッグ作りを
教わって以来、真面目に新聞バッグ作りに取り組んだことが私はないのです。恥ずかしながら。

言うなら真剣勝負はあの日以来今日が2度目。

新聞紙を集めたり販売先と交渉したりは自分の仕事としてやってきたけど、新聞バッグ
作りとなると取っ手さえ十分にはできないという実力不足。
「最後まで全然やらないよねえ。いつも途中でほったらかす」とアヤコさんには叱られ
見逃してもらってきたけど、もう後がない。

はい、まずはワインバッグ。
ワインバッグはワインを入れても飾ってもサマになる、これから需要のある新聞バッグ
だと思うのですが、作り方はまったくわからない。
何度も作って、何度も分からなくなって、また作って分からなくなって写メに撮って、
ようやくできるようになって褒めてもらって気づけば午後3時。

はい、次は大バッグ。
まだはっきりと決まったわけではないけれど、近々、宮城県では著名なホテル、温泉
山荘で新聞バッグを取り扱ってくださるお話が進んでいます。
そのお話が進めば、これまで作ってきた「手仕事で復興」としての新聞バッグとはまた
違った方向性も考慮に入れ、質、デザインとも洗練されたものを作りたい。

アイデアに満ちデザイン力に優れたアヤコさんがこの地を離れ、福島で新聞バッグを
作るようになれば、その不在を埋めるべく、微力な私でも少しは役に立つかも、という
思いの今日の新聞バッグ講習なのですが、「できた、うまい、きれい」と褒めてもらって
気づけばなんと午後8時。

信じられない!
ほんとに朝10時半から午後8時までこの不真面目な私が本気になって必死に
新聞バッグを作りました。
1日たったら忘れそうだけど、根気よく長時間付き合ってくれたアヤコさんに感謝。

アヤコさんに初めて会ったのは、大震災後のある時期、ロバートキャンベル先生が
鳴子温泉の高橋亭で行っていた読書会「読もう」の会場。一緒来ていた娘のアカリちゃん
がまだ小学生でした。
東京や長野などでの新聞バッグや物産の販売の遠征にはアヤコさんもアカリちゃんも
みんな一緒に行きました。そのアカリちゃんも今は東京の大学生。

上のお兄ちゃんふたりも大学を出て就職して、子育ての役目を終えたアヤコさんとは
車を駆ってあっちに行ったりこっちに行ったり。いっぱい仕事もしたけどいっぱい
遊びにも行きました。

去年は西吾妻山に登り、日本一美しい村を謳った東成瀬村を歩き、ついこの間は盆踊りで
有名な西馬音内の町で名物蕎麦を食べ角館でまだ蕾が固い枝垂れ桜の下を散策し、ついで
に温泉に入って岩盤浴まで初体験して楽しんできました。

原発で大変な思いをし、原発事故以来の8年はこの地で私たちと一緒にほんとにたくさん
働いて、たくさん新聞バッグを作って、常に私たちと一体のようにそこにいたアヤコさんが
いなくなるのは実感が湧かないほど寂しいことだけれど、ご主人が待つ南相馬に帰れる
というのもまた嬉しい選択。

しかししんどい新聞バッグ作りだった。帰ったら寝込みました。

長い間ありがとう、アヤコさん。
今日はアヤコさんがこの先使うドイツの新聞紙とノリを届けます。
今発注中の新聞バッグ、でき上がったら高速にのって南相馬から届けてくれるそうです。

こうしてまたこれから新しい形での縁が続いていくのでしょう。

 

 

 

ピアノコンサート

子供の頃、裕福な家で育ったわけではないので、ピアノとかバイオリンとかは
全く無縁でした。

小学校5年生の時に私が習わせてもらったのは、実質的にそろばん。そろばん教室の
決まり文句の「願いまーしてーは」は、今も耳に残っています。

父親の転勤で転校を重ねた子供たちにはピアノもバイオリンも習わせなかったけれど、
中学生になって吹奏楽部に入り3人ともホルンを吹くようになりました。

演奏会や大会でその頃からだんだん音楽を聴き覚えてきて、楽器を聴き分けるまでには
ならないけれど、なんとなくクラシックの音楽が好きになっていきました。

この地に住んで娘が結婚し、生まれた孫が4歳になったらバイオリンでもピアノでも
教えるから連れて来てね、と言ってくれていた友人が50歳を過ぎたところで亡くなって
しまい、その友人の友人のところに4歳になった孫を連れて行きました。

私が約束を守りたかっただけで、べつにピアノが好きでもなんでもなかった孫は以来
7年間、1週間に1度のレッスンをほとんど休まずに続け、春と秋のコンサートや
発表会にも出場し、学校の合唱伴奏も務めるようになりました。

 

春分の日、岩手県一関の世嬉の一酒造クラストんホールで第19回一関男子ピアノ
コンサートが行われました。4歳からだからもう7回目の出場。
読んで字のごとしで、実行委員会、出演者は男子のみ、女子が入れるのは客席のみ
というごく真面目に男子だけのピアノコンサートです。

 

主催は一関バッハ研究会、一関男子ピアノクラブコンサート実行委員会。

この実行委員会の委員長は一関一高校の2年生。昨年は1年生だったので驚きました。
小さなコンサートだとはいえ、毎回40名近くの出演者がいて、会場にはその家族、
ピアノを教える先生方などがいて、会場は100名を越える聴衆で埋まります。

そのコンサート全体を運営する実行委員会は、高校2年生の委員長以下出演者も兼ねる
中学生も含めて5名。委員長が卒業すれば後をまた下の学年に繰り下げるという形で
コンサート自体を男子の出演者のみで作り上げてきて今回で19回目。

これは本当に素晴らしい手作りのピアノ演奏会で、全国でもまず見られないのでは
ないかと私は思い、毎回楽しみに聴きに来ます。
出演者は男子なら1歳でも成人でもOK。今年の最年少は小さな2歳でした。

演奏会は毎回ビートルズの「Let It Be」から始まります。
この曲をこの演奏会で演奏したいばかりに練習を続けているという中学生もいました。
今年は3人の連弾で楽しませてくれました。

 

 

男子ばかりというのは、女子も混じるピアノ発表会のように華やかさはない代わりに、
着ているものが皆同じく男子そのものなので、他に気をとられず演奏する音のみが耳に
入るという利点もあります。

毎年毎年一人一人が大きくなって、演奏する曲目が毎年難しくなっている。弾き唄いを
していた出演者が大きくなってピアノ演奏のみになる。ピアノを演奏していた子が
大学に入り音楽の道に進んで本格的な独唱者としてステージに立つ、などの成長の変化を
見せてもらえるのも大きな喜びです。

今回の我が家の孫の演奏曲はブリュグミュラーの「ないしょばなし」
流れるような旋律のだいぶ長い曲ですが、小学校の音楽祭の合唱伴奏と重なって、指導
してくださる先生にはずいぶん無理をして頂き、無事演奏を終えることができました。

来年は第20回。

またこのコンサートに出場できるようにみんな元気でいてほしい。
小さい子の面倒を見ながらコンサートを進めてくれた実行委員会のみなさん、そして
宥めたり励ましたりしながら根気強くご指導くださった先生に心から感謝いたします。

入場無料。どなたでも行ける演奏会なので、是非来年はピアノを弾くカッコいい
男子たちの演奏を聴きにきてください。

 

 

途切れずにまた、、、。

南三陸に行ってきました。
新聞バッグをとりに。懐かしいおばあさんに会いに。

今年になって初めて?なのかどうか。

なんかどんどん記憶も怪しくなって、大事なことも大事じゃないことも片端から
忘れ去る昨今なのだけれど、久しぶりにのんびりと高速ができる前から走っていた
ゆうゆうと流れる北上川に沿い、春も秋も樹木の彩りが美しい内陸から海辺の町
へと峠を越える道を行くことにしました。

登米町から南三陸町に抜ける峠に長いトンネルがあります。
その出たところに、

「南三陸にようこそ。
みなさんの支えで今日もがんばれる」

という標語の大きな看板が立っています。

新聞バッグの引き取りで何度も何度も南三陸に通ううちに、この看板を見覚えて
しまって、毎回来る度に「看板あるかな」と気なってしまう。
大震災から8年も経った今日も、やはりありました。よかった。

復興は進んでいるとは言うものの、来る度に、変わったなあというのが実感。
この変わり方は言葉では説明し難い。高速道路が整備されたとか食品スーパー
ができたとか、山が頂上まで住宅団地になったとかは解りやすいのだけれど、新しく
作り上げられていく町全体はいいんだか悪いんだか心境複雑。

さんさん商店街には変化がありました。
屋外休憩施設に立派な囲いができていた。

休憩するのも食事をとるのも吹き抜ける海風で、寒かったり雨が吹き込んだりして
落ち着かなかった休憩所がこんなに立派になりました。

防災庁舎の周りも更に大きな土の山が重なり合い、前を流れていた川が巨大な護岸
工事でコンクリート化してました。

新聞バッグを作ってもらっている歌津のけいこさんのお宅は今ワカメ作業の最盛期。
自宅は無人で、家族総出で浜の作業小屋で作業中。

浜まで下るうねうね道沿い、山を切り拓いて作ったの新しい住宅団地の中に小さな
カフェを発見!
大いに驚きました。通りすがりの人が立ち寄る場所ではないので、近隣の方々が
楽しむカフェなのでしょう。入る度胸がなく通過。

丁度お昼で、作業小屋はお父さんもおばあさんも休憩中。

今年はワカメの収穫が少なく高値なのだそうです。

驚いたことにボランティアさんがワカメ作業のお手伝いにみえてました。
毎年今の時期、東京やその他の県外からボランティアさんが来られるそうです。
今日は毎年来られるという作業に手慣れた男性と東京からの女性がふたり。

私など地元に住むものが知らないところで、こうして地道に東北を支えてくださる
方々がいることを知って頭が下がります。

頼んだ新聞バッグをもらって、少し小さくなったようにみえるおばあさんに別れを
告げて早めに帰途につきました。またもやのんびり元来た道を。

 

帰宅してけいこさんにもらった茎わかめと朝どりメカブを教わったとおりに切ったり
叩いたりして夕食に。

その道エキスパートのけいこさんのようにはできないけれど、メカブはさっと茹でで
包丁で叩きに叩き刻んで玉ねぎスライスとおかかとポン酢で。
茎わかめは細く切って生姜と人参と一緒に南三陸特産うま醤油漬けに。

 

そしてもうひとつ。財政緊縮で新聞を送れなくなりました。残念です、と2年ほど前
にご連絡くださった東京のSさんから、また送れるようになったので、USED感はあり
ますが、溜まったので送ります、とドイツの新聞が届きました。

心に留めておいて頂けただけでも嬉しいことです。
これでまたドイツの新聞で新聞バッグが作れます。

終わるのかなあ、と思っていてもやはり終わっていない。
大震災から8年、新聞バッグも人との繋がりもこんなふうに続いていくようです。

 

 

 

 

 

 

温泉の街を歩く

日曜日。鳴子に行った帰りに川渡温泉のカフェカガモクさんに寄りました。
温泉駅近くに店を構える酒屋の若主人のよしひろさんがいて、近々今年できるお酒の
発表のイベントをやるんだ、と聞きました。

私はお酒は飲まないことはないけど、全然詳しくない。
よしひろさんが魂を込めて作る「雪渡り」というお酒は、有名で、作る量が少なくて
なかなか手に入らないらしい。
飲んだことはなく、買った人が大切そうに飲まずに飾っているのを見たことはある。

私の知識はその程度で、そのお酒が毎年新しく作られる度に、その発表の日に記念の
お祝いをやって、その集いには参加したい人がたくさんいるのだけれど、人気があり
過ぎてなかなか会員になれないのだそう。それは初耳。

で、その会をやる日のお昼に川渡温泉を歩く。そっちは参加者が少ないから飛び入り
自由と聞き、歩くのは自信があるので参加申し込みをしました。

という経緯で、当日、一応トレッキングの格好なぞして集合場所へ。
着いてびっくり。参加者は全然少なくない。老若男女取り混ぜて、たくさんの参加者が
談笑してました。

いやあ、驚いた!
お酒の会って、こんなに人が集まるの!

ひとりで県外から来られた中年の女性と歩きながらお話を。勿論お酒は手に入らない
けれどもこのお酒のファンクラブもキャンセル待ちだとのこと。

お酒は買えない、当然飲めない、ファンクラブに入れないじゃなんの楽しみが、、、
と思わずにはいられない私は、きっとお酒の楽しみ方を知らない全くのど素人。
でもこうしてお酒が発表されるまでの間をお酒が好きな人同士、歩いたり喋ったり
して待つ時間もまた楽しからずやと理解して、午後の半日、暖かい陽射しを浴びながら
ご一緒に歩きました。

工程は午後から夕方まで。
川渡温泉駅から歴史に残るところを案内して頂いてカフェカガモクさんで終了という
コース。

お酒のことも川渡温泉のことも何も知らないまま、人にくっつき歩いた温泉町歩き
なので確かなことはほぼ分かりませんが印象に残ったことだけひとつふたつご報告。

少しはわかったのはこの雪渡りというお酒は、お酒の蔵がない鳴子で地酒を作るという
夢を持った16人の仲間たちが作ったお酒だそうです。そのお酒の元になるお米が
育った田んぼを見るのは午前のスケジュールということで、私は参加不可能、

よって私は駅近くの宝照寺からスタート。
珍しく日蓮宗のお寺。昔刀の産地であった玉造の刀に関係しているお寺らしいです。

次に引率役の小林氏に案内して頂いたのは鍛治谷澤駅跡。

ここは元宿場町であったらしい。鳴子の古道の中継点になる大きな宿場であった
らしい。興味を惹かれました。

江合川を挟んで温泉街の対岸にある住宅街の坂道をぶらぶら登って行くと最終的
には東北大学川渡フイールドセンターに行き着くらしいのですが、私はまだ行った
ことがないのです。大学付属農場として日本一の規模を誇ると何かで読んだことが
あり、是非行ってみたい。

ずいぶん前のことだけれど、道の駅で学生たちが栽培したブルーベリーの苗を販売
したことや、深夜に近い時間の藤島温泉のお風呂で、フイールドセンターの実習を
終えて温泉に来た女子学生たちが、牛の話をするのを聞いていたことを思い出します。

フイールドに入る門口のところで降りてきた学生たちと合流してUターン。

なん百年ここにいるんだろうか、と見上げる大木の説明など聞きながらのウオーキング。

こんな丸見えの線路の真ん中に立つなんてあまりない経験。
陸羽東線、背後は鳴子、前方は古川、小牛田。

人が住む町を歩いて一周して下って江合川の長ーい橋を渡って温泉街へ。

週に2、3度は温泉に入りに来るけれど、歩いて橋を渡るのは初めてです。

川面にたくさんのマガンが。
もう一月もすると北へ帰ってしまう雁の群れ。

橋を渡って温泉街に入りカガモクさんへ。

 

楽しい半日が終わりました。

カガモクカフェでコーヒーとカガモク特性熱々揚げドーナッツを頂きながら
高橋よしひろさんが歌う「雪渡り」の曲を聴きました。

この歌は味わいのあるいい歌です。

何回も聞いて最後の方は歌えるような気がしてきました。

私の参加はここまで。
夜の温泉でのお酒を楽しむ会には行きません。というより飛び入り参加ができる
ような状況じゃないのかも。

 

お酒のことも湯渡りのことも何にも知らない私が混じらせてもらった温泉街
歩きでしたが、こうやって年に一度の新しいお酒の発表を待つ方々の楽しみとか
そのお酒がとってもおいしいらしい、とか垣間覗かせて頂いた楽しい時間でした。
きっと夜のその時間は濃密に楽しいんだろうと思います。

参加したいと思うには少々年を取り過ぎた。

誘って頂いて本当によかった。
よしひろさんもとても素敵だった。

CD買って聴きます。東北大学フイールドセンターにも行きます!

 

 

 

お城の下で

3月11日、久しぶりに朝から雨。

お城はないけど、城跡公園の下の学校駐車場で下校してくる孫を待っていると、
雨音に混じってマイクの声が聞こえてきました。

「黙祷、、、、」

車の中で孫を待ちながら黙祷。

8年、もたったんだ、と思いつつも記憶があの日に戻ると、胸が騒めいてくる。
家の中も外も周りもほんとうに大変なことだらけだったけれども、大震災が
きっかけで始った新聞バッグのおかげで、近くから日本のあちこちの遠いところまで
広がり繋がった方達とのとても貴重なご縁に恵まれました。

でももう8年。
始った頃の役目はもう終わる時期かもと、心のどこかでは思っているのだけれど、
それでも確実に大震災以来、定期的に新聞バッグを注文し続けて下さる方々がまだ
います。

大震災以来、少しだけれどと年金をもらう月ごとに、必ず支援金を講座に振り
こんでくれる私の友人がいます。もうみんな普通の生活に戻って行ってるから
「もう充分なのよ」と断っても送り続けてくれます。

そのお金がまとまると、少し自前を足して震災遺児を育てる会に送るのももう習慣
になりました。
きっと彼女は自分でできる間は、何年経っても送り続けてくれるのだろうと思って
います。

 

先日、仙台の女性の方から「新聞バッグの作り方を教えてほしい」とのお電話が
ありました。元は石巻の方で津波被害でご自宅を失われ、今は仙台にお住まい
とのこと。
仙台まで行けば費用がかかるし、教える相手が少人数ならば講習費用も割高になる、
と説明したのだけれど、新聞バッグの物語も読んだので、それでもいいと仰る。

そんなわけでご自宅に伺う約束をしましたが、そういう要請があると、「もう
新聞バッグの当初の役目は終わったかなあ」という8年後の今の心境とは裏腹に
まだお役に立つこともあるのかな、と嬉しい気持ちにもなるのです。

菊栽培の摘芯作業開始の時期で、1年の作業の無事を願って花作り女子メンバーで、
栗ちゃんちの集落のお不動様に行くことにしました。
昨年の秋、仕事納めにもお参りした山深い鬱蒼とした杉木立の中のお不動様です。

普通乗車は入れないので栗ちゃんの軽に乗せられて行きます。
去年初めて来た時には、凄い山の中だと思ったけど、やっぱり相変わらず一人で
来るのは躊躇われるほどの山の中。

秋には屋根も地面も降り注ぐ黄金色の銀杏の葉に覆われて、輝くように見えた
お不動様は、早春の今、大きな大きな深い杉の木立に囲まれてひっそりと静まって
いました。

林道に沿って立つ石の鳥居の下で、栗ちゃんの号令がかかります。
「邪念を払って一礼!」

 

小さいお堂にぎゅうぎゅう詰めに座って、またも栗ちゃんの号令。
みんな1年間、無事に作業が進むことを願ってお札をいただきました。

お堂の後ろは渓谷。水の流れまでの10メーターほどの高さは写真ではどうしても
表すことができない。なにせ怖くてへっぴり腰での撮影です。

水の勢いで岩が削ぎ落とされてしまっている渓流。

そして草の中に置かれたお狐さま。

黙祷を済ませ、春のお不動さんにもお参りして、こらからまた1年歩みを進めます。

 

そして春は別れの時でもあり、一緒に山に登り、音楽会を主催した柿の木バンドの
ボーカルオサム君は、晴れて仙台の会社に入って新しい仕事に挑戦します。

来月には8年間苦労を共にした新聞バッグの仲間とのお別れの日もきます。

寂しいけどいいことだ。オサム君、がんばれ!

 

 

 

菊栽培の1年

今期最後の道の駅出荷組合花卉部会が今日終わりました。
長年務めてきた部会長の役目を新しい部会長、副部会長に渡して本日終了。
並行して務めてきた組合理事の役目も終了します。

直売所で販売するお盆の花を、仕入れることなく自分たちで作る地場の花で賄おうと、盆と彼岸菊の栽培を始めたのが2年前。3年目に入る今年は大変大切な時期、ではありますが、このまま続けて次に任期終了時には79歳になっていることを考え、終わらせてもらうことにしました。

最初は苗探しから始まった菊栽培。

入手しにくい菊の苗をどこで手に入れるか試行錯誤しながら、結局譲渡をお願いできたのは、東日本大震災の際に鳴子温泉に避難して来られていた南三陸の菊栽培の師匠、小野寺氏のお世話。

お盆用4000本、彼岸用4000本をお花屋さんから譲ってもらって部会員に分け、栽培が始まりました。

整枝をしたり、脇芽を摘んだりと何かと手がかかるうえに、油断をするとすぐ病気にかかる菊。やったことない者が、菊栽培者の先輩がたにに教わりながら試行錯誤で菊を育てた1年でした。

2年目に入るところで、グループで菊栽培というのは珍しい試みなので県のほうでも応援しましょう、と宮城県農業普及所よりのお申し出があり、以来、農業普及所花担当の水戸氏から苗作りから開花、販売促進までさまざまなご指導を頂けるようになりました。

仕事熱心な水戸氏の先導で勉強に次ぐ勉強。

1年目は花のできも問題あり、だったけど、それでもできた花は完売。
道の駅にお盆の花を買いに見えるお客様には、道の駅直売所の地場産の盆花というアピールができたと思います。

そして花が終わった後、2年目の苗を作るにはまだ力不足なので、昨年春には再度8000本を入手。同時に他直売所との交流を深めて品種を多く知ることも始めました。

息も吐かせぬ勉強会の成果で昨年の夏はどこの圃場でも立派に菊が成長しました。が暑すぎで開花抑制されて花が咲かなくてヤキモキ。
自然現象に左右される花栽培の一番つらいことこでろです。

これほど多量の菊を育てながら加代子さんはこんなに素敵な色のトルコ桔梗も。

菊栽培をする部会員も徐々に増えました。

追われるように多忙な日々の中でも、女子会を結成してたまには
食事&お喋り会をを開いたり、花盛りのガーデンを見学に行ったり。
息抜きと親睦の場も必要です。

秋には農業普及所のお力添えで念願のハンギングバスケット講習会を開催。

気がつけば同じ集落の80歳を超えられた男性部会員も菊作りをしたりハンギングバスケット講習まで参加されているのを見て感激。

そしてもうひとつ自主的な花のワークショップを開催というのもありました。以前にはなかったことなので、これも嬉しいできごとでした。
こういうのは是非続いてほしい。
お客様にも喜んでいただけると思います。

彼岸も終わって初冬に入り、1年の仕事の締めくくりは菊栽培の先輩、クリちゃんちに近いお不動様へ。ご利益のある素晴らしいお不動さまだそうな。

林道のような細い山道を辿るとこんなところにと思うような木々の中に石の鳥居がありました。『そこで一礼」クリちゃんの号令の元、頭を下げて鳥居をくぐり、急な石段を下ると屋根も地表も舞い散った銀杏の葉に覆われて黄色に輝くような小さい祠がありました。

祠の向こうは渓流。

小さい祠にぎゅうぎゅうに並び座って、「2令2拍手1礼」のクリちゃんの号令のもと、全員で邪念を払ってお不動様にお礼を申し上げ、お札を頂いて1年間の作業を終えました。

 

3年目に入る今年は、いよいよ初めての相互協力による苗の自給を開始。
ハウスを持たない者はハウスがある栽培者に親株を育ててもらって春には苗をとる、というやり方ですが、親株を育てる栽培者には相当プレッシャーのはず。
ハウスがあるもの、ないものそれぞれに、ハウスの中に親株を埋け込んだり、プランターに植えたりトンネルかけたりの実験開始です。

私のハウスも置いていた自転車を出して伸び放題の竹を切り、親株圃場にしました。

もう今年の親株管理の点検視察は既に始まっていて、先日の報告では全員の親株が健全に育成中だとのこと。

事始めの景気づけに、先日は第一回目の女子ご飯会を開催。
隣町の道の駅でバイキング昼食を視察味見見聞をし、その後はイチゴ狩りに。今頃イチゴがなってるなんてすっかり忘れてた。

なってた、なってた、いっぱいなってました。
このイチゴ農家さんは道の駅オープン当初あたりでイチゴを納品してくださっていた方。何年ぶりかの再会でした。

30分間食べ放題というんだけど、30分なんて食べられません。
15分もかけて15個食べてもうお腹いっぱい。

ビニールハウスの中に掲げられたみっつの経営理念の下で、「おれはほんとうにいい仕事をしていると思うんだ」というご主人の言葉が耳に残りました。

次はお不動様に新年のご挨拶に伺うのだそう。世話役は持ち回り。    「あけまして、、、」というのはちょっと遅い気がするけれど、自然と繋がっている私たちの仕事は、年度始めのご挨拶をしてから3月始めの穂を採る作業に入りたいという気持ちもわかる気がするのです。