2022年夏 昨日、今日

きのうの朝、wro(世界ロボットコンテスト)全国大会に出場する孫は
両親と一緒に会場の静岡県に向かって出発して行きました。

いや、この1週間ほどの緊迫感はたいしたものでした。
いつの間にやら知らないうちに身近に迫っていたコロナウイルス。
え? あの人も? この人も?
かかりませんように。熱なんかでませんように。
私が何処かへ行って誰かと喋っていつの間にかコロナもらって孫に
うつしたら、ほんとうに一生懸命練習をがんばってきたロボットの
全国大会出場がダメになるではないですか。

うちにはスポーツ選手はいないけれど、甲子園を目指す高校球児が
いる気分。球児のご家族もかくやありなんと思うこの半月ほどでした。

コロナに見舞われずにやっと出発することができてほっと一息。

が、今日は今日で、どうなったんだろうなあ。負けたら泣くだろうなあ。
勝ったら勝ったで世界大会はドイツ。ドイツに行くことになったら、
これはまたこれで大変な事態になるなあ、
などと心配のタネはつきず、落ち着かない1日になっています。

そして別件。

猫のシロがご飯を食べなくなりました。
いろんな種類の猫フードを買ってきてもあれも要らない、これも食べたくない
ともう5日ほどほとんど食べません。チュールとかいう猫に人気らしいおやつ
を与えてもひとなめくらいで終わり。

うちに来た、といっても庭でにゃあにゃあ、ご飯おくれ、とすごい顔つきで
鳴いていた猫なんですが、その時子猫かと思っていたけど、もしかすると
おばさん猫だったのか。いずれにしろ年齢は判らないのだけれど、ボサボサ
の毛や痩せて見すぼらしい姿からするとかなりの歳ではないかと。
それと、家の中で寝たり、外で寝たり、隣の娘の家の網戸を自分で開けて寝たり、
寒い冬以外は好きな場所で過ごして好きな場所で寝ていたのが、近頃は
家に帰ってきて所定の椅子で朝まで寝ているのを見ると、老衰で近々死ぬのでは
ないかと心配になってきます。

老衰が近いのは同じような境遇にある私が老猫にかける言葉も、「死んでも大丈夫よ。
またすぐに会えるからね」などと以前とはだいぶ違うのですが、ふと、もしや
口の中が痛いのではないか?熱があるのでは?と疑い、動物病院に連れて行く
ことにしました。

年齢は「けっこうなお歳ですね」との獣医先生の診断。
「ご飯を食べなくなったら一月くらいでだんだん弱っていきます」
「猫は死ぬ前によく居なくなると聞きますけど、居なくなると困るんですよね。
 探すから」
「猫は死が近くなると体温が下がるので寒いところに行きたがるのですよ。
 床下とか」

なるほど、そういうことで猫はいなくなるのか。
自らご飯を食べなくなり、徐々に弱って生を終えるなんて、なんと
始末のいい生き物なのか、と老いていく猫の生体は理解しましたが、
せっかく連れてきたので、大きな注射器で食欲亢進の点滴をしてもらいました。

そうして帰ってきたら、ほんとに、ご飯を食べ始めました。
寝て起きては食べ、外から帰って来ては食べ、人間で言うなら延命治療か。
こうして命を繋げていいのか悩むところです。

7月の終わりに、秋田のホームセンターのペットショップでサマーバーゲン
と大書されたケースに入っていた6ヶ月の黒ラブラドールを新入り家族
として迎えました。

終活やりながら仔犬買うなんて聞いたことない、と知人に大笑いされた
けど、とにかく80歳の私の今の扶養家族は黒ラブのハクと白猫のシロ
の2匹です。なぜ黒いのにハクなのか、とこれも半ば笑われているけれど、
白いからハクではなくて、アニメ「千と千尋の神かくし」からもらった
名前です。15年も一緒に暮らして亡くなった黒ラブ,セツとハルも
アニメの中から名前をもらいました。

初めての男子黒ラブだけど、助け合って仲良く暮らします。私にできない
ことは娘夫婦が助けてくれます。

2022年の夏。
買っても負けても孫は好きなロボットの全国大会に出られて良かった。
全国大会の現場に出て初めて、自分の場所ではない場所で研鑽している
ロボット競技仲間の強さや弱さを体感できることでしょう。

猫は先生と相談しながら様子をみます。

訓練所に入ったハクには週に一度会いに行きます。お利口になっている
けど、時々はお利口でないハクは家族が行けば大喜びします。

夏が行きます。どんな秋になるのか楽しみです。




和紙の糸

機織り仲間で、和紙で糸を作るという体験教室に参加してきました。

実のところは染色を見たくて一関の山奥に住まわれている
という先生をお訪ねしたのですが、ちょうどその日は和紙で
糸を作る教室を開かれる日だということで、急遽生徒にして
頂きました。

場所はとある宿泊もできるちょっとお洒落なcafe。玄関やホール
のそこここに効果的に配置された花や緑の生き生きとした彩りの
鮮やかさに目を惹かれます。

昼食を終えた頃に大量の道具とともにみえた先生は、小柄でお歳は
70代の終わりかその周辺。着物を織ってこられた先生と聞いていた
けれど、その言葉や動きは長年ひとつの仕事に打ち込んでこられた
揺るぎのなさが感じられて、カッコよくて憧れます。

まず渡されたのが東山和紙。初めてみる大きなベージュかかった色の
和紙ですが花屋の私は、花を包んだら素敵だろうなあ、と和紙でくるんだ
花束を想像しました。

この和紙を横にして全体上下に物差しで1センチの印をつけ、上下の
端を切らないようにしてカッターで切ります。

なかなか面倒な作業です。

そしてこれを揉む。久しぶりに新聞バッグのもじゃくりバッグを作って
いる感覚。

全員無言。紙を切らないように切らないように、揉んで揉んで揉んで、、、。
1時間揉んで時間切れ。

これが先生の作品。縦糸も紙では弱いので、縦糸には麻の糸を使い、横糸
に和紙の糸を使って織られた作品です。

私たちにこんなことができるのか。

まずできないとは思うけど、とにかく次は私たちの出来上がった
和紙の糸を染めるという工程。
先生は「紅花で染めよう」と言ってくださるけれど、ひとつひとつ
に手間がかかって時間が全然足りません。
この次は「泊まり込みだね」と全員意見が一致しました。


染めに関しては、私たちに機織りを教える先生が、解いた羽織の裏や
薄色の布を、藍やその他の材料で染めては服に仕立てて着てくるので
毎回刺激されます。

自分の服の色を好きな色に植物に染めて、そして自分で仕立てて
着る、なんてちょっとやってみたい。
しかしまだ道のりは遠く、未だ揉んで揉んで揉んで〜、が続きます。

本日の動物報告。
2段目の畑の再奥で蓬を採っていたら、頭の上でブーーっという
野太い鳴き声とフーッと鼻息が、、。
イノシシ!?
持っていた鎌と蓬が入った袋を掴んで、転ばぬように注意して
全速で電柵の中に入りました。
2、3日前に肥料を入れようと思っていたルバーブは昨日全部
掘られて全滅しました。

畑の持ち主の花作りのYおじさんは、「ここはおまえらの棲家じゃない」
人間の棲家だと思い知らせる、と毎朝1時間放置していた3段目の
畑の草刈りを始めました。
なかなか日々大変です。




独り温泉

実に久しぶりのブログです。
なまけている間に、窓の外は緑一色になりました。

80歳になって体力的にはだいぶ落ちたような気がするのですが、それでも
あまり暇ではなくて、1日中あれやったりこれやったりは変わりない日常
です。

先日はフリー刺繍家の天野寛子先生が「高田の松原刺繍タピストリー」の
展示のために東京から岩手県大船渡にみえたので、ほぼ2時間以上かけて
大船渡に行ってきました。最初は一人で行くつもりが、私も私もと増えて、
あ・ら・セブンティ5人がぞろぞろと同じホテルに泊まって楽しんできま
した。

初めての大船渡で新鮮な海の幸ご飯でお腹を満たし、夜は部屋に集って
おしゃべり大会。翌日は大船度から大島、気仙沼を周り、各自の仕事に
必要な布地屋さんに入ったり、染め屋さんの工房に寄ったり、帆布バッグ
のデザインを調べたり、お勉強もしてきました。

天野先生のご活躍は大層なもので、昨年の秋に3冊目の刺繍画集を出版
された後のコロナが少し下火になったある日には、「あなたとおしゃべり
にきたのよ」と突然新幹線で古川にみえたのにはびっくり!

お疲れのようなので、お店での食事などはやめて、川渡温泉在の友人
まりこさんにご飯を炊いてもらって、3人で素朴な昼食を食べ、他愛の
ないおしゃべりをして、その日のうちに東京に戻っていかれました。
先生は81歳。その決断力と行動力には瞠目します。

年が変わって今年の春には和歌山県の熊野でやはり80代の書家の方
と「八十路展」を開催。たくさんの取材やお客様の来訪を受けつつ
その詳細を毎日FBにupされるので、大丈夫かしらと心配でした。

ところがその3ヶ月後には大船度にみえるというので唖然。三日間
の滞在を終えられて、東京に戻ってからは10月の大阪での展示に
向けて新作に挑まれるのでしょう。
先生にお会いすると、先生のお元気さに普通さに、もう80だから、
とか先がないから、などとグズグズしたくなる自分の気持ちにも体
にもシャキッと喝を入れられたような気持ちになります。

昨年は裏年だったけれど、今年筍は大豊作。道の駅の野菜売り場は
生だの茹でたのだので筍だらけです。

さてこれだけの筍をどうするか。
昨年は土地のお母さんたちの知恵を真似して、塩漬けなどやってみた
けど見事に失敗。
煮て、ステーキにして、メンマを作って、豚まんの具にも入れてみよう、
等々考えていたら、パン工房青い虹のじゅんこさんが、ビン詰めの
やり方をメールで送ってくれました。常温で1年大丈夫よ、と。

昨日の早朝はじゃがいもの芽かき、大雨の今日はハウスでナスやトマト
など夏野菜を植える準備。今年は野菜だけじゃなく、メロンやスイカを
昨年以上に作ってみたい。

ともあれ、明日は晴れたら最後の筍掘り。
ちょっと竹がかっていると思うけど、今年最後の筍つきあいで、ビン詰め
に挑戦します。

先ほど温泉に行ってきました。
最初から最後まで、私ひとりだった。


嬉しいおくりもの

またも大雪です。

前の大雪の時には、我が家の進入路を登ってきた生協さんのトラック
が滑って下れなくなり、近所の人間で雪掘ったり牽引したりで、やっと
出てもらいましたが、今朝は娘の婿さんが雪にハマりました。

もう私は全くの役立たず。早朝のことでご近所さんも呼ぶことならず、
娘から「風邪引くから家の中にいるように」と厳命を受けて、家の
中でヤキモキしていたら、間も無く夫婦ふたりで車を引き上げました。

婿さんの馬鹿力とある時期北海道に住んだ娘の知恵を合わせて、コト
無きを得ましたが、もっともっと北のほうに住む方々や豪雪地域に住む
方々はこの大雪で大変な思いをなさっているでしょう。
事故や怪我が少ないことを祈ります。

嬉しい贈り物のお話です。

昨年のクリスマスの頃に、いつもPCメインテナンスなどでお世話に
なっているkarino さんから荷物が届きました。
何も頼んでいないのに何だろうと思いながら開けると、思いがけない
嬉しいおくりものが出てきました。

頂いたのは帆布のトートバッグ。

このバッグの柄は、私が毎日の仕事に使っているお餅のラベルです。
毎日見てるものなのだけど、違う意味でほんとうに懐かしい。

このラベルは私の友達のご主人がデザインしてくれました。
彼女は中学入学以来現在に至るまで最も近しい友達ですが、私の夫が
東京の企業を退職して田舎暮らしを志し、この町の道の駅で「お米を
使う仕事」としてお餅を売ろうと決めた時に、デザイナーのご主人が
作ってくれました。

赤い椿の花にも四角いマスにも暖かい励ましの意味があります。
この先私がいつまで仕事を続けられるか分からないけれど、最後
までこのラベルを使おうと決めていました。

彼女とは中学高校と通じてテニスのパートナーでしたが(6年間同じ
クラスというのは現実的じゃないけれど、でも別のクラスになった
記憶もないので、それも分からぬくらい何時も一緒だったということ
かも)卒業して就職、結婚してからも遠かったり近かったりしながら
共に人生を歩んできました。

という関わりなので、どうしてもご主人とお会いする機会も多い。
うちの夫も同様ですが。

50代に入った頃にご主人のお許しを貰って、ふたりであちこち旅を
しました。まだ運転免許を持たない彼女が助手席に座り、運転担当は
私で、長野県の高峰高原、地獄谷温泉、そして日光周辺や阿蘇山を
巡って遊びました。

調子に乗って彼女に請われて山登りもしました。
80歳の現在までテニス現役の彼女は滅法脚力が強いのです。


ある年の5月初めの頃、福岡から出てきた彼女と共に会津駒ヶ岳に
登りました。
その日こじらせた風邪で私の調子が悪く、同行を誘った友人と3人
普段なら3時間で登れるところを4時間かかって山頂の山小屋到着。
そのまま私は食わず遊ばず寝て休憩して過ごし、彼女と友人はスキー
で遊んで2時過ぎには下山開始。

順調に5合目近くまで下ったところで彼女の「あんた、こげなところには
来とらんよ!」のひと声で一気に緊張。

尾根間違えた。
下る前、山小屋のおじさんから「尾根間違えるな。ワンダリングするな。
隣の山では今捜索隊が入っているから尾根に気をつけろ」とあれほど
注意を受けたのに、話半分に聞いて、尾根間違えました。
それ以上下るわけにはいかず、雪が溶けた木のウロに入って野宿決行。

さんざん休んだ後だから死ぬかも、という気持ちは全くなかったけれど
日帰り装備しかない食べ物もない会津駒ヶ岳での一夜はとにかく
寒く、澄み切った星空と、夜明けの待ち遠しさは今も忘れられません。

夜明けとともに凍った山道を登り返し、7時半だったか8時だったかの
彼女とご主人のコールタイムリミットには間に合い、コトなきを得ました
が、彼女はご主人にバレるのが、私は捜索願いを出されるのが怖かった。

それから数年してご主人は病を得、その後亡くなられましたが、私の夫
もいなくなり、彼女も私もどこへ何日行こうと、電話をかける必要もなく、
心配かけることも叱られることもなくなりました。

夫が亡くなって、ひとり暮らしももう10年にもなろうとする彼女と私の
時折りの会話の中には、夫たちが話題になることもないのですが、
今回のご主人のお餅バッグには驚かされました。

ご主人が戻ってきてくれたようでほんとうに嬉しかった。
彼女に見せたくて(彼女に画像は送れない)方法を考えているのですが
「いいよ、送らなくていいよ」と言ってくれる彼女にやっぱりこのバッグ
は送ろうと思います。

karinoさんに心から感謝します。


新聞バッグをとりに

頼んでいた新聞バッグをとりに、南三陸歌津のけいこさん宅に行って
来ました。

けいこさんのところよりもだいぶ気仙沼よりに住んでいるむっちゃん
から頼まれていた「キクイモ」と「ヤーコン」も持って行くことに
して、むっちゃんにけいこさんちまで取りに来てもらうようにしました。

大震災後、けいこさんやむっちゃんが鳴子温泉に避難していた時には
毎日のように顔を合わせていたけれど、南三陸に戻ってからはみんなで
顔を合わせる機会は滅多にないので楽しみです。

お天気は上々の快晴。
こんな日じゃないと鳴子温泉にほど近い我が家から車で1時間40分ほど
かかる南三陸到着までの2ヶ所ほどの山越えの道路の雪が気になって
出かける気分にはなれません。
雪は残っていたけれど支障なくけいこさん宅に到着しました。

高速道路や護岸工事や復興住宅建設工事や防潮堤工事などの複数復興
工事真っ最中の時は、行く度に道路が変わって迷子になったり、わから
ない内に海に出ちゃったりしていたけれど、今はそんなことはなくなり
出来上がるものはできたという感じ。でも川や海が見える風景も
巨大なコンクリートで固められて、なんというか馴染み難いけれど、
仕方がないのですかね。

むっちゃんもやってきて、久しぶりに炬燵を囲んで92歳のおばあちゃん、
けいこさんとこのお父さん、むっちゃん、私と思い出話に花を咲かせました。
顔が足りないのは、もう天国に行ってしまったけれど、ほんとに優しくて
頼り甲斐があったおじいちゃん。そして今は体を悪くしているむっちゃんち
の旦那様。むっちゃんのだんな様には大震災後、菊栽培を教わりました。

そしてその教わった実績が現在も私たちの町の道の駅花生産者の菊栽培
に続いています。

私たちがいる間吠え立て続ける犬のクロ。
まだ仮設住宅の入居も決まらぬ時にどこから来たのか、クロを手に入れ
一緒に散歩に出かけるお父さんの姿に、普通の生活に戻れる未来を感じて
嬉しくなったものでした。
そのお父さんも体調不全。

70歳を超えた女子は全員大丈夫。
男子組の体調不全が寂しく気になるところです。

今年は何故だかワカメがこの時期なのに大きく育ってしまっているのだ
とか。昨年は私たちの畑の土の中も温度が高いらしく、びっくりするような
デッカい大根やサツマイモを見ることがあったけど、海の中でも同じような
現象が起こっているのかしら。

新聞バッグおおかげで久しぶりの楽しい再会でした。

ワカメの仕事が始まらない今は牡蠣の仕事に行ってるけいこさんから
りっぱな牡蠣と採ったばかりの大きな生ワカメを頂きました。
途中高速入り口に間近い新しくできた魚屋さんで、鯖、海タナゴ、イカ
など買い込んで帰途に。楽しい一日でした。

新ワカメはこんなに大きかった。

本格的なワカメのお仕事は3月くらいから始まります。

たくさんの犠牲者を出した志津川の防災庁舎は緑のお椀をふせたような
公園になってました。気づかなかった。

年末から年始へ

昨年の年末から今年のお正月にかけては、毎日毎日しんしんと雪。
特にクリスマスの頃のどか雪は45センチくらいも積もって、車を出せず
二日間家の中で缶詰状態になりました。

せっかくの缶詰なので、12月の半ばまでがんばって収穫したけど弾かずに
硬い蕾のままの綿の実を弾かせようと大奮闘。

長ーい畝(70メーター)2本に植えた綿の木を、友達の農家のお母さんのクリ
ちゃんとふたりで、きれいな綿を収穫することは半ば諦めつつ、でも全部の木
の枝を切って収穫しました。

そのままでは綿の実が開かないので家の中に移動。
リビング中、凄いことになりました。わただらけ!

足の踏み場もない。
家族がいたら叱られそうだけど、夫は写真の中。猫しかいないの
広げ放題で乾かしたら、少しずつ綿らしくなってきました。
本来ならこんなふうにならなきゃならないのだけれど。

東北は寒いので、綿の栽培には向かないとは思うだけれど、2022年の今年で
3度目。もう一回挑戦しようと思います。クリちゃんは、もう止めようと
言うけれど。

雪の中で迎えたお正月。
もう80歳になったのでおせち料理など丁寧に作って、3が日はお餅の仕事
はお休みにすることにしました。

元旦は正月用の餅切りで痛くなった肩の休息日。
2日は初詣に行くことにして、雪がないところを目指して石巻、女川へ。
女川に行けば、海が見られるしお魚も買えます。

初めて詣でる女川の熊野神社。令和2年に建造されたピカピカ新品の
鳥居と社殿でした。


人影まばらなハマテラス。そして女川の海。すっかりきれいになりました。

残念ながらお魚屋さんは終わってました。

お店はお休みだけれど、干物が買える自動販売機。
さすが女川。冷凍のお魚が買えるベンディングマシンというのは
初めて見ました。

石巻に戻って、1ヶ月に2回教えを乞うている洋裁と織物の先生宅へ。
この先生宅に来ると糸談義が白熱します。

今先生がはまっている(私たちもはまっている)カシミアのマフラーが
実に軽やかで素敵です。

これもカシミア。

そしてこれはポーランド、ヤノフ村のヤノフ織り。

3月には展示会をやります。

やることが多くて目が眩むようだけど、なにはともあれ今年も始まります。

コロナに罹らないように、病気をしないように留意して、モノ作りに
励んでいこうと思います。


よくわからないけれど、、。

80歳になった日の朝は、変わらず加工場でのお餅仕事。
今年の秋は毎日嘘のように暖かくでずいぶん楽をさせてもらった
けれど、流石にこの2、3日は冷え込んできました。
加工場の気温は2度。
霜で畑の花は全滅だろうから、仕事的にはこの先楽になって
内心嬉しい。

定時どおりに道の駅に出荷。
今のところコロナが落ち着いているからか、よくは分からない
けれど、宿代が安くなるとか食事代が何割引とかコロナ後の
地域ごとのキャンペーンで温泉に行く人が多いのか、ガラガラ
だった道の駅の狭い店内は連日の大混雑。平日、休日ほぼ変わらず
混雑するのはなんなんでしょうね。

出荷後は鳴子温泉の森の中の小さなログハウス、カフェレストラン
LIMEへ。ふたりのお友達と一緒です。


LIME のママさんも高齢者の部類。お孫さんがいるので文字通りの
おばあちゃんパワーですが、毎日2種類のランチ作りにコーヒー豆
の焙煎、地場産の野菜や山菜の漬物作りまでひとりでこなすツワモノ
女性です。料理が大変美味しい。コーヒーもばんばんお替りして
くれます。おしゃべりしたければ何時間でもいてね、というスタンス。

私はこのママさんとお客として親しくなったのではなく、私が宮城に
越して2年後に86歳で福岡から来た母が慣れぬ雪で大骨折し、入院した
温泉病院で同時期に入院していたママさんのお友達から自分の母親の
ように親切に面倒みて頂きました。それ以来のおつきあいです。

私の誕生日の当日は大入り満員。4つあるテーブル席は全て埋まって
お食事のお客さまですが、彼女は慌てず騒がず悠然と食事を出し、
おかわりコーヒーまで勧めてくれます。

今年の夏頃、ログハウスが古くなったので、今期限りでお店をたたむ、
という話を聞き、大慌てしたものですが、思い止まってくれたようで
安心しました。冬の間の3ヶ月のお休みが終わったらまた春に
会えるし、なにより高齢になればなるほどお店を閉めるのではなく
小さい規模でも開き続けていってほしい。そう思います。
閉ざしたら終わるから。再開はないからね、、、。

お誕生日だからと、お友達からご馳走してもらいました。
楽しい時間でした。

そして夜は本番の誕生会。

80歳というのはなんなのか、特別の節目なのか、今日の誕生会は
私は主賓で何もせずに待ってればよいらしい。
うちの誕生日は続いていて、私の前日は女の子の孫、翌日が私、その
次は娘と3連チャンの合同誕生会です。

千葉にいる長男夫婦に次男、娘夫婦に孫から大掛かりにプレゼント
をもらい、お金も労力も費やして豪勢な食事を準備してもらい、
ついには花束を贈られ、東京銀座の千疋屋のケーキまで届くという
豪華版。

いや、ほんと、80だわ。
千疋屋のケーキはフルーツ主体の冷凍だけれど、解凍しても美味しく
頂けました。ひと昔前なら考えられない。

中一になる孫からもらったプレゼント。
上は数年前にもらった青セキレイ。常に持ち歩くのでだいぶ汚れて
きました。
今回のは数年前に天国に行った私の愛犬春ちゃんそっくりの黒ラブ
ラドール。バビーは私の呼称でなぜか私はバビーなのです。

次は次男から届いたターエンチェックの本。

ついこの間までポーランドのヤノフ村の絵織物にハマって
調べたり織ったりしていたのですが、今度はスコットランドに
はまりそうです。

これはヤノフ村の織り方で「サバンナの夕焼け」です。
左からヒツジ、キリン、ダチョウ。。お気に入りの絵柄です。

80歳になって今思うこと。

病気はありますが、耳も目も体も今こうして元気で日々を送れる
要因はなんだろう。と考えると、
よくはわからないけど、後期高齢者になっても役割りがあること。
やりたいことがたくさんあり、付随して友達や仲間がいて楽しい
ことが多いこと。達成したい目標があること、等々。よくは
わからないけど。

体がまだ元気であるのは、これもよくわからないけれど、40代から
60歳まで山を歩いて、1日中歩くのは当たり前が体に染み込んでいた
こと。今はそんなに歩けないけれど、疲れて休みたくなっても休まず
止まらず、超スローで歩き続けるのは習慣になっています。

しかしいつまでこの生活が続けられるのかはわかりません。
2年か3年か5年か。

でもこうしていられるのは周囲のみんなの協力や応援の賜物です。
歳を重ねても扉を閉めず開いた扉でまた次の扉を開いて、1日
1時間を大切に過ごしていきたいと思います。

お祝いしてくださったみなさん、ありがとうございました。



70代の終わりの日に

80年も生きてきたとは信じられない思いだけれど、とうとう80歳に
なりました。

70代の終わりの日は、朝はまず1番に仕事。
今の体力を考えるとたくさんとは言えないけれど、日々決まった量
のお餅を作って道の駅に出荷する日常は変わりません。

このところ天気が良くて、葉を落としたクルミの大木の上に広がる
空は真っ青。周囲の樹々は琥珀色に色を変え、イチョウだけが黄金
色に輝き、集落のあちこちには大きな木に鈴なりの取らない柿の実
が目立ちます。

道の駅でお餅と切花葉牡丹の出荷を終えて、病院に向かう道々の
空一面に一列だったりVの字だったりと自在に形を変えて列をなす
雁の群れを見ました。飛来したのかこれから田んぼで朝食なのか。

私の受診科は呼吸器内科。
たまたまのタイミングでこうなったのだけれど、先週、今週と
2度ずつ市民病院で受診することになり、合わせて4回、予約時間
もなんのその待つこと2時間近く。本が読めて嬉しいのは1時間
くらいで、2時間ともなると目も体も待ちくたびれて疲労困憊。

検査なしの今回は待ち時間も少なく早めに終わって、調剤薬局に
薬をもらいに行ったらここも混雑で、だいぶ待ちました。
東北の小さい町だからこのくらいの混雑で済むけれど、これが
東京近郊の大病院だったらどれだけ待つんだろう。と60歳を過ぎて
都会を離れて引っ越してきた自分の境遇をありがたく思います。
明日80歳がこれだけ待つのはしんどいわ。

ようやく薬をもらって、車で10分ほどの友人が営むパンとランチの
カフェ「青い虹」まで行ってやっと休憩。
この友人もパン作り一筋の年季の入った70歳超え。息子さんに
お嫁さんが来てからランチを始めました。

彩豊かなランチを食べながら、これまで訊かなかった彼女の歴史を
初めて聞いて一驚。感心し感銘を受け面白かったからここに書いて
おきます。
お医者さんの娘である彼女は高校でお嬢さん学校に入ったとのこと。
勉強には熱心じゃなかったけれど、学校のプログラムで行った施設の
子どもたちの姿に惹かれ、こどもに関わる仕事に就こうと一念発起、
必死に勉強して国家試験を受け保育士免許を得、自分で保育園を
作ったとのこと。こどもと関わるうちにこどもたち良い食事をと
考えお菓子やパンを作ったり粉を学んだりするようになったとのこと。
パンの味に自信がなくて、有名パン屋さんに味を見てもらいに行き、
全然褒められなかったとのこと。ああでもないこうでもないと
パン作りに励むうちに人や縁に恵まれて本気でパンを焼く場所に
出会い、自分で作った保育園を人に譲ってパン作りの道に入ったのよ、
とのことでした。

彼女との付き合いは長いけど、大好きな人だけど、自分で保育園
を作ってしまう力強い人とは知らなんだ。面白くてますます大切な
人になりました。

実は一昨日にも病院に行って生検のために足の皮膚を切って縫った
ところがまだ痛んでいて、ランチの後、仕事をする気にはなれず。
まっすぐ帰宅してロールキャベツを作って70代最後の1日は終了。

そして最後に驚かされたのは郵便受けに入っていた1枚のハガキ。
4年前に合併で廃校になった集落の小学校跡地にジビエ処理施設が
できるそうな。

今年の夏から秋にかけて最も悩まされたのはイノシシ被害でした。
お盆や彼岸の忙しさが終わって草を刈ったら、これは掘り易くなった
と思ったのか、掘って掘りまくって崖は崩れ歩こうにも歩けないほど
の乱暴狼藉。向こうに見える花の畑に辿り着くのも一苦労です。

熊なら人がいるよ、と大声を出したりラジオをつけっぱなしたりする
のだけれど、イノシシばかりは人と出会うとどんな行動をとるのか
わからなくて、ネットを張り巡らした畑の中で切花を切る作業中も
木が折れる音やがさつく藪が気になって怯える日々でした。

栗の実が落ちる時期は、イノシシに落ちた栗を食べに来られたくなくて
毎朝早起きして、ボールと火挟みを持って栗を拾いました。

動物を殺したいとは思わないけれど、そんな悠長なことも言っていられ
ない昨今、ジビエもまたひとつの道ではないかと思わせられます。
この集落では狩猟免許をとる人が増えてきました。うちの婿さんも
そのひとり。

なによりジビエにびっくりしたイノシシが近づかなくなってくれれば
一番いいのだけれど、と淡い期待を持つのですが。

明日から80歳。
体力を考えて身の丈に合った形での仕事をしつつ、ゆっくり丁寧に
行きたいな、と思っています。


覚悟を決めて

久しぶりのブログです。

今日は珍しくまとまった雨。

毎日午前中に1時間町中を歩くウオーキングもできないので、道の駅
から帰って、迷いに迷ってワクチンの予約。

電話は何回もしたくないし、口頭だと否応なしになりそうだから
インターネットで申し込みを試みました。

いやだー。迷いに迷ったのに一発でOK。
ただし私の場合は集団予約希望で、7月はじめの予約で空きは1時15分
ひとり分のみ。あとの時間は全て満員。

ほんとうは私はワクチンは打ちたくない。
1回目でも副作用が出ることがあり、2回目の副作用は発熱したり、全身
倦怠で寝込んだり、1回目よりもさらに強く出ることが多いらしいから、
1回目だけ予約して様子を見たい。
ところが、1回目、2回目をセットで申し込むようになっているので
やむなく2回目を3週間空けて7月終わりに予約。
これも空きは1時15分からの15分ひとり分のみであとは終日満員の赤文字
が並んでいました。

なんか不思議な感じ。
75歳以上の私が申し込んで8月までどの時間枠も満員の赤文字なんだけど
じゃあ若い人たちのワクチンっていつ打てるのだろうか。

ワクチンが残るってどういうことなんだろう。

ワクチンでこれだけ副反応の事故が多いと、緊張するし、私のように
突如肺炎になったりする年寄りは、「もしなんかあったら」とある種の
覚悟を迫られます。

ともあれ今日は雨だったから予約完了しました。やるべきことをやった
ようなやりたくないことをやったような複雑な気分。
ともあれワクチン打ってコロナに罹らないようにして、コロナ収束に
向けた努力をしないと、東京にいる友達や叔父や叔母にも会えず終いに
なるのではないかと不安です。

窓から雨に濡れる緑を見とれている間に、ハウスで数日前にポットに蒔いた
インゲン豆の種が見事に鳥に食べられました。

商売上がったりの自衛にためのタネ蒔きなのに、まったくおちおちして
いられない。また蒔き直しです。

小さい学校

孫の卒業式が終わりました。

首都圏からこの地に来て20年。

夫の定年後に思い立った田舎暮らしに娘がついてきて、まさか
結婚するとは。

福岡の生まれ育ちで人生の大半を首都圏で暮らした私たち夫婦が、
見も知らない宮城県北部の小さな田舎の町で新しい暮らしをする
だけでも冒険なのに、まさかここで孫を持つことになろうとは、
想像だにしませんでした。

男の子の孫は家の中では言葉も暮らしぶりも都会風、外に出れば
集落の子供としてトラクターに乗せてもらったり蛙やトカゲを
捕まえたり雪で遊んだりですくすく育ちました。

幼稚園はうちから近いので隣町の市立幼稚園。
小学校入学に当たっては、新入生の数が少なすぎて存続が危うい
集落内の小学校に戻って入学しました。

なんと新1年生の数は9人。その上の2年生は7人、3年生は4人か
5人だったから9人は成績優秀です。
9人の内訳は女の子が7人。男の子が2人で、ああ、男の子がひとり
じゃなくてよかった、と胸を撫で下ろしました。

それから小学4年生で町内5個の小学校が合併されるまでの3年間は
孫の学校友達はT君ひとり。T君からしてもうちの孫ひとり。
ひとりがインフルエンザで長く休むと、置かれたもうひとりが
待ちわびて1日でも伸びると泣くという場面もありました。

保育園から持ち上がってきたこどもたちはそれぞれがそれぞれの
個性をよく弁えていて、泣いたら泣き止まない子も怒ったら乱暴な
子もそういうもんだと理解して受け入れているこどもらの関係性
は都会しか知らない私には珍しく面白く、TVドラマの学校を見る
ようでした。

たった9人の濃密で楽しい集落の小学校での日々が終わり、4年生で
恐怖の小学校合併。知りつくしている9人から突如として30数人の
クラスで学ぶことになる子供たちの不安はいかほどだったか、と
思います。

合併してからの1年は、少人数から大人数に増えた学校の設備や授業
に関わる諸々も、子供たちの通学や勉強やおともだち関係も不安定
でした。学校に行けてた子が行けなくなったり、情緒不安定になったり、
学校も先生も親もこどもたちも課題満載でした。

あれから3年。

子も親も先生もよくがんばって合併を乗り越え、今日、卒業の日を
迎えました。
卒業アルバムには卒業する岩出山小学校の卒業生全員の写真と
3年生まで学んだ5つの小学校での全員の写真が掲載されていました。

全員といっても孫の同級生は9人、
驚いたことに隣の集落の同級生は2人でした。
3年生までふたりだったのね。

大人になっても決して忘れ得ない同級生になるのでしょう。

これから中学に進むけれど、顔ぶれは変わりません。
たった2クラス。クラス替えとはいっても限られた人数が入れ替わる
だけだから、これからの3年間、同学年全員の顔も名前もわかるよ、
という環境なのではないかと想像します。

それにしても人数が少ないということは、卒業写真の数々の場面に
孫の顔の登場の多いこと。
すっかり背丈が伸びてお姉さんになった7人の女子、スーツ姿の
2人の男子のかわいいこと。

お互いを忘れずしっかり成長していってほしい。
みんな(9人全員の名前を私はばーちゃんだけど言えます)
卒業おめでとう!
よくがんばってりっぱでした!