山の花園

旭川で私が行きたいのは旭川動物園と山全体がガーデンだという紋別町の
「陽殖園」。
この「陽殖園」というのが知る人ぞ知る日本一変わったガーデンというか、
70歳を半ば過ぎた男性がひとりで60年の歳月をかけて作り上げ、今もなお
造り続けているという山の中にあるのではなく、ひとつの山を全部利用して
作っているという花園なのです。

何かの雑誌でその山の斜面をピンク色に彩るエリカの群落を見て以来、一度
は行ってみたい、見てみたい、とは思うものの、紋別は富良野から遠く離れた
オホーツク海に近い町。その上に花咲く季節が限定されているので旅程を
立てるのが難しく、憧れるけれど行けない私にとっては幻のようなガーデン
なのでした。

そのガーデンに今回はND君が連れて行ってくれるというので、「陽殖園」
訪問はまさしく私の今回の旅のハイライト。

と、その前にとND君が連れて行ってくれたのが、ND君がガーデン研修前に
トムラウシ山から旭岳を縦走した折に、降った旭岳の麓で偶然出会った町、
東川町。

ND君が移住したいと思うくらい気に入ったというので、ちょっとだけの時間
で立ち寄りましたが、まさにこの小さな町は、人が住む、暮らす、子供を
育てる、または私のような移住者にとっては理想郷のような町でした。

旧小学校を利用して作られた町の交流文化施設、セントピュア。
見事にモダンに造り変えられていて、今は日本語学校やコミュニティセンター
として利用されています。たまたまその日は外国語学校の卒業式らしく、
正装した外国人男女明るい笑い声が廊下に響いていました。

隣に置かれたセントピュア2は広々とした大きな図書館。
ここもまた豊富な蔵書に、「写真の町」を宣言したこの町の写真の歴史に
北欧と提携研究されたこの町の生産物のモダンな家具の展示等々、ユニークな
町づくりの工夫が随所に読み取れ、移住者や観光客が増え続けているという
実態が頷けます。若い家族の移住者が多いのか、保育施設ももんがの家の
園庭には数多い子供たちに色とりどりの帽子が見えました。

上の写真は図書館内部。株主制度があって私でもこの町の株主になれるらしい
らしいのでなってみようかなあ。

しかし、私がなにより驚いたのは、この旭川近郊の車窓の光景。大穀倉地帯。
北海道の大地は広く、稲田も広大で、9月も半ばというのにそして日本一
寒いらしい旭川近郊なのに、稲田は早くも真っ黄色に色づいて圧倒的な
迫力をもって目をよぎります。とにかく広い!

お昼を過ぎてようやく陽殖園がある滝上の町に到着。
道の駅はあるけど、食堂はなく他に食事ができるところは1軒くらいしかない
ので訪問する方はご用心。

いざ、憧れの山のガーデンへ。

なるほど。山の花園入り口の看板も普通とはちょっと違っている。
受付におられたのはご当主の高橋武一さん。
14歳からひとりで山に花を植え続けてきたというちょっと得意な生き方とは
裏腹に、至ってにこやかに出迎えて頂きましたが、背後には
「花の名前を訊くのは2個まで」
「作り方は訊かないこと」
「山のなかのものは一切持ち帰らない」との大書した注意書きが、、。

ガランガランとなる大きな鈴が5、6個ついたベルトを腰に巻きつけ
(要は大きな熊鈴)、山中案内地図をもらい、何やら緊張して山の中へ。


通路を赤く彩るのはベルガモット。
ここはやっぱり山です。地図を見ても迷う。

今は9月半ばで花は咲き残りの季節。案内図を確かめながら歩いていられる
けれど、花全盛期の頃に来たら花に見とれて道に迷いそう。
と笑っていたのは道半ばくらいまで。最後のほうはほんとにわからなく
って出口に辿りつけるのか不安になりました。

池には睡蓮や河骨が。

目指すエリカの山にやっと出逢えました。感動!

しかし、ここのエリカはばかでかい。普通園芸店で見かけるのは20センチほど。
大きくったってせいぜい25センチくらいなのに、山の斜面に植えられたエリカ
も山道沿いのエリカも50センチほどには育って見るからにでっかい。

エリカだけではなくて、この山の花園の植物は植栽した園芸種でもものすごく
大きくて、山に植えるのと山じゃない平地に植えるのは何故こうも大きく
なり方が違うんだろうと不思議。何が違うんだろう。

ここ数年憧れていた陽殖園にやっと行けて感動。
武一さんからは、今度は泊りがけでゆっくりおいで。と言っていただいた
けれど、ほんとに今の元気が続いたら、是非また来てみたい。その時は
オホーツクの海辺まで行って、ハマナシを見てみたいと新たな希望が
湧きます。

また大穀倉地帯を眺めながら戻って旭川泊まり。
翌日は旭川の上野ガーデンから糠平湖を通り幕別まで行きます。
延々と運転してくれるND君に感謝。

ローズヒップの庭

2日目は富良野。
8月も半ばすぎともなれば、美しかったラベンダーももう盛りを過ぎて、花を
刈られた盆栽様の姿になり、大賑わいだっただろう観光客の姿も少なくなって
静かさを取り戻したように見えます。が、やっぱり暑い。
お天気は晴れ晴れ、富良野岳や十勝岳の山容は美しく、歩くには最高の日和
なのだけれど、温度と湿度が高いのと強い日差しで暑い。

最初にお訪ねしたのは喫茶くるみわりの浦田ご夫妻。奥様のみやこさんは
くるみわりを拠点に展開されている「暮らしのステーション」の活動のひとつ
である「ふらのみらいらぼ」のプログラム「まぜてまなぶ」の森・ひと・アート
緑のプロジェクトに参加中とのことでその会場へうかがうことに。

「まぜてまなぶ」は大人もこどもも年齢や立場を超えて繋がり、自分たちが
生活する地域を楽しみながら作っていこうとする素敵なプロジェクトで、
その実践現場は富良野の深い森に分け入り、感じたひらめきや感動を描いた絵や写真の展示会でした。みやこさんに会いに行って、絵を描いた富良野高校の生徒や先生とのギャラリートークにも参加せてもらえました。

次はくるみわりにお邪魔してご主人のよしさんにコーヒーを淹れて頂いて
ゆっくりお話ができました。ご主人はジェロントロジー「老人学」をベース
にした暮らしのあり方を考え具現化する「暮らしにステーション」の代表
をされていてラベンダーの知識が深く、お話しする度に大きな刺激をもらい
ます。久しぶりにおふたりに会えて、新しい刺激をいただきました。

次に日本ではふたつとは見られられない特別なお人形を作るお人形作家の
高木さんの作業場にうかがったらあいにくお留守。

あとひとり、お会いしたかったのは、以前にお世話になった彩香の里ラベンダー園のくどうみちこさん。でもラベンダー園の最盛期が終わり、札幌の自宅に
お帰りだと聞いて、訪問を諦めました。

富良野の町散策は、ここで時間切れ。次は風のガーデンへ。


ガーデンに入る前に久しぶりに森の時計で遅いランチ。いつも観光客で満杯なのが珍しくガラガラ。
カウンターの向こうの窓から見える急斜面の緑が気になって、ちょっと質問して
みました。
「あの斜面は草を刈るのですか?」
「いえ、刈りません」
刈るわけないよなあ。山だもの。いつも草刈りばかり気にしている私の心情から
出たバカな質問でした。

しっかりお腹を満たして、閉園間近な風のガーデンへ。
5月に来た時には雨が降っていて寒くて花も咲いてなくて、球根の花の中から
エゾエンゴサクを探し出して満足して帰りましたが、夏の終わりの今回は草も
花も伸びて伸びて、かわいらしいという風情ではありません。逞しい草木。


周囲の森の木々はうっすらと黄色味を帯びて、早初秋の気配。なのに気温が
高く暑い、というのがなんとも解せません。

人気がなくなった風のガーデンゾーンを通り過ぎて、倉本先生監修の薔薇の庭へ。この薔薇の庭は、様々な名札付きの薔薇が植えられた薔薇園様式とは全く違っていて、名も知らぬ大きな薔薇の木々の間を巡って歩いて楽しむお庭です。
とても珍しい貴重なお庭だと思います。

そしてなんとこの薔薇のお庭は、赤い花のような薔薇の実がいっぱいのローズ
ヒップのお庭に変身していました。

私が知ってる限りで、こんなにローズヒップが美しい薔薇のお庭はここだけです。それと私の家にもあるハマナスの実がトマトのように真っ赤で大きいなんて
全く知らなかった。そして北海道のお庭はハマナスがとても効果的に利用されて
いるのも瞠目。お勉強になりました。

次にND君がヘッドガーデナー張り付きで修行している野の花の道へ。
これはこの後で行く陽殖園でも言えることなんだけれど、もともと自然の原野に
人の手を入れて、自然の野のように作り上げるというのも力技。
自然のままの野草をそのままに人の手がかかった花苗を植え込んで行く作業は
かなりの重労働であろう、という私の推察そのままに、久しぶりに見るND君の
顔はほっそり変化してました。「痩せたね!」とご挨拶。

やっぱり北海道は美しい。
どこを歩いても緑と風が体に染み込むようです。

ガーデン修行の後は必ず十勝の温泉でひとっぷろ浴びるND君を待って、東京から戻るSIちゃんを迎えに旭川へ。
上富良野で名物の焼肉を食べるということになったけど、上富良野が焼肉の
町だとはこれもびっくり。嘘だあ、と思っていたけど、ほんとに上富良野の町に
入ると軒並み焼肉屋さん。

小樽は海鮮で上富良野は焼肉で北海道はなかなか極端ではあります。
明日は旭川へ。






ワインとベリーとナチュラルガーデン

北海道に来ました。
今度は少し長くて5日。同行者は知人の女性ふたり。
目的はいろいろあるのですが、まず第1日目は余市に行くことになっています。

が、出発時点で前夜からの台風襲来で飛行機が飛ぶのか、飛ばないのか。
空港まで行く新幹線と電車が動くのかどうか。先行き読めないまま、とにかく
空港までは行くしかないと新幹線の駅まで行ったら、恐れたような風雨はなに
もなく、何事もなく電車は動き飛行機は飛び、お昼前には新千歳空港に降り
立ちました。

その頃、関東では被害がひどかったようで、千葉では今も停電中とか。
この暑さで電気系統が何も動かないとは、お気の毒でなりません。一刻も早い
回復を願います。

出迎えてくれたN君(2週間ほど前から富良野の風のガーデンでガーデニング
の研修中)の車で一路余市の仁木町へ。
途中小樽の海鮮屋さんで昼食。小樽の名物は海鮮どんぶりなのだそう。
来たことあるのに全然知らなかった。立ち並ぶ店々の中でも最も有名らしい
海鮮屋さんで焼きたて熱々のでっかいほっけを頂きました。

余市は北海道一の果物生産地。それにテレビドラマ「まっさん」のニッカ
ウイスキー。だけれども今回の目的は仁木ヒルズのみ。
仁木ヒルズは、仁木町の豊かな自然を利用して作られた滞在型のワイナリー。
葡萄畑、ワイナリー、ナチュラルガーデン、などが組み合わされた複合施設
で、まだ未完成のようだけれど、そのロケーションは大変雄大で素晴らしい。

トウモロコシの皮の屋根を被った薪。
そして横にはたわわに実をつけたプルーンの木が二本。
地面には熟したプルーンがごろごろ。なんと豊かな、、、。

次は、余市といえば前から一度は見てみたかったアリスファームへ向かいます。
ご当主は藤門弘さんで夫人は宇土巻子氏。昔私が若かった頃、そのカントリー的
ライフスタイルに憧れて本だの雑誌だのでよく見ていたアリスファーム。

たしか羊がいて、その羊毛で編んだセーター類や宇土巻子さんが作る焼き菓子
や果樹を栽培されていたような。

寒い土地で育つブルーベリーやハスカップ、カシスなどのベリー類の農場。


羊ではなくヤギのグー君とチョキ君

北海道に来てまだ初日。
販売用のベリーの木を買うのは諦めて、アリスファーム特性のセーターを2枚
購入。一路富良野へと向かいました。2時間余のドライブ。どこへ行くのも
遠いこと遠いこと。これが北海道です。

これで北海道第一日目を終了。
そして今日1日目の感想はというと、全然爽やかでも涼しくもなくて、9月半ば
の北海道は実に蒸し蒸しして暑かった。なんなんでしょうね。

菊と直売所とロボットの夏

夏休みが終わりました。
実に忙しい夏だった。

まずロボットその後。
宮城大会で優勝したのはいいけれど、その後は練習練習練習の日々。
前から予定していた夏休みのお楽しみの旅行などは完全にできなくなって、
宿題をやり終えるのがやっと。

全国大会は宮城大会で競技したプログラミングとはまったく違って、新しい
プログラミングを決められた日までに提出しなければならず、またロボットも
現地で時間を与えられての組み立て、という地区大会とは違う苦労を味わう
ことになりました。

離れ離れに住むチームメンバーが仙台に集まっての練習は、親子ともども
かなりの負担であり、またロボット人口が低い宮城から強豪が揃う全国大会に
出場というのはかなりハードルが高い挑戦。それでも勝利を諦めずチームを
壊さず、大会会場の神戸に遠征して今日帰ってきました。

さすがに全国の壁は厚く、入賞には至らず、世界大会会場のハンガリーに行く
夢は潰えたけれど、東北とは全く熱量の違う全国大会に出場できたことだけ
でも本当に得難い経験をさせてもらいました。来年はカナダだそうでまた新しい夢が見られそう。

この春に借り手が撤退した我が家の近所の農産物直売所を仲間4人で借りて
直売所を始めることにしました。隣りは食堂で歴史的には10年以上前からある
のだけれど、食堂の経営者でもある直売所の家主さんが直売所運営をやめて
からかなりの時が経ちます。

花だけはお願いして置かせてもらっていたのだけれど、直売所となれば花以外
にも何かを売らなければ家賃が払えない。とはいうものの当面は売るものが
なく、2年前から続けている洋裁、機織り教室の先生にお願いして、手作りの
婦人服や布の小物さなどを置いてもらってスタート。
店番は私。

と、ついでだから洋裁、機織り教室も移動させ、以前から続けていたリー先生
の英会話クラスもここでやることにしました。

お客さんは来ません。見事に。でも暑くなってアイス類やジュース、お菓子や
ラーメンなど揃え、仲間の由美さんの野菜もできて洋裁や機織りの生徒さんが
がやがやするようになると、「何やってるんですか」と覗きに来る人が増えて
きました。草刈り部隊にトラックの運転手さんたち、保育園帰りにアイスを買い
に来る親子づれさん等々。とともに「ズボンの裾上げは」など、考えたことも
ないニーズが増えてきた。

地域の直売所ってこんなものだったんだ。言うなら地域の便利屋さんなんだ、
と得心。
コーヒー置いてほしい、という人もいて、思案中です。

そして花。これはもう今も忙しさが続いています。
もうずいぶん離れていた花栽培を今年の春から始めて、最初のお盆。
毎日毎日菊に追われて、直売所で花に埋まる日々。
注文を受けて、花を切って結束して配達に行き、直売所に戻って花を売ると
いう多忙な日々となりました。地域の中でもまだ顔を見たことがない方々が
「あら、こんなところでお盆の花売ってるのぉ」と寄ってくれるのが嬉しい。

菊に埋もれてロスアンジェルスタイムズで新聞バッグを折る黒田さん。

私が花束を作る間は店番してくれて大変助かりました。
畑に花がある間は忙しさが続くけれど、でももう高い空に秋の気配を
感じます。
次はお彼岸。お彼岸が終わると菊は一段落。
花と直売所と洋裁とロボットの夏が過ぎようとしています。

砂像(サンドクラフト in みたね2019)

松さんはしまんとの新聞バッグのインストラクター。
数年前に黒田さんが松さんを我が家に連れて来た時に初めて会いました。高知県出身で海辺の砂に像を作るために、あちらこちらの砂浜を巡っている。その途上で宮城に寄った、とのことで、雪像ならぬ砂で像を掘る人がいるのかと驚き興味を惹かれました。

まだその頃は砂像彫刻家としての道筋はさほど松さんの中で決まってないよう
に見えたのですが、今年の5月にフェイスブックで松さんが掘った砂の犬を見て
驚愕。

秋田の砂で彫った秋田犬、これがほんとに砂で作られた犬?
まるで生きてるような、、。
賢そうで素直そうな眼。「どこ見てるの?」と問いかけたいような。
自分が犬が好きなせいもあるけれど、完全に魅せられました。

忘れられないでいるところに、この春の三種からフィンランドに渡り、そこのコンペで3位。その後アメリカのロスアンッジェルスに移動して砂像を彫り、その後はカナダでのコンペで4位を受賞した松さんが再度秋田の三種町で砂を彫ると聞いて(サンドクラフト in みたね)、これはどうしても今見ておかなければと、南相馬の上条さんを誘って秋田に向かいました。

秋田県の三種町まではなかなか遠い。
男鹿半島の北に位置する町で、我が家からはほぼ3時間。南相馬から来る上条
さんにはさらに3時間プラスの超遠距離ドライブ。

あっちに寄ったりこっちに寄ったりしながら延々延々と走ってようやく辿り着いた先は、想像とは全く違ってた。広い広ーい海辺、その先は日本海、見晴るかす彼方まで立ち並ぶのは大小の風車、(これだけの風車があるということは、風が強いとこなんだね、ここは)、風車の下には色とりどりのアウトドアテントが張られていて、水着を着たりバーベキューをやったりと夏の海辺を楽しむ人々がいっぱい。

秋田県にこんなとことがあるの!  もう外国みたいな光景。

ここには温泉も湧いていて、その名も砂丘温泉。今夜はそこに泊まります。
砂地の農業が盛んのようで、立ち寄った道の駅の野菜は安価で山盛り。通り
過ぎる道沿いの畑には採り残されたメロンがごろごろ。

秋田県は学業優秀の町。というのは私たち東北に住む者には常識みたいなものだけれど、雪深く寂しいイメージが強い秋田県の海辺に、こんなに明るくて海が美しい日本じゃないような風景があるなんて、全く知りませんでした。

そして初めて見る憧れの砂像は、、、。

高さ3メートル。砂を積み上げ彫り上げられた砂像。
ダイナミック! 他では見られない光景!

海を背に立ち並ぶ大きい砂像は招待された砂像製作者の作品。その他にも砂浜には一般の人や子供や学生が彫った作品も居並んでいて、これもまた素晴らしくひとつひとつ見歩くのが楽しい。土地に溶け込んだ砂の彫刻。

松さんの砂像を見つけました。
松さんが1週間かけて制作に取り組んだ作品は少女の像でした。
秋田犬の目にも驚いたけど、この少女もまた柔らかく優しい表情をしています。
ひとつ間違えば崩れ落ちるかもしれない砂の彫刻を、どんな気持ちで彫っていくんだろう。

長い1日が終わり海の色も空の色も砂像も夕焼け色一色

日没の日本海。ほんとうにきれい。

日が沈んだ後にはさまざまなパフォーマンスがあり、オープニング当日の夜には花火が上がります。

砂像の下の砂に座って見上げる花火は圧巻。空から花火が落ちてきそう。

秋田犬の目に惹かれて出かけてきた三種町釜谷浜海水浴場。サンドクラフト会場でしたが、忘れられない場所、忘れられない夜になりました。
この砂像を作るイベントは今年で23年目だとのこと。なぜ23年間も続いているかというと、砂がいいからだそうです。これほどの大きなそして芸術的で素晴らしい砂像のお祭りが東北の人たちにさえ全く知られていないなんて、ほんとうに勿体無い。帰ったら宣伝に努めます。そして来年も必ず来ます。

砂像を作った松さんと3人で枕を並べてたくさんお話をした翌日は、せっかく秋田まで来たのだからとさらに北上して白神山地へ。
白髪山は準備がないと登れないと知り、登るのを諦めて太平洋側に進み、かつては小坂鉱山の鉱山資源で栄えた小坂町へ。前に一度来た時に町中溢れんばかりのニセアカシアの木に驚きましたが、小坂鉱山の噴煙で周囲の山の木が全て枯れてしまい、アカシア300万本を植えてアカシアの町になったのだと知りました。

小坂町の重要文化材、日本最古の芝居小屋「廉楽館」で常打ち公演を観て、今回の秋田訪問を終わりにし、また延々延々と戻ってきました。

遠かったけど砂像は素晴らしかった。
是非たくさんの人に行ってもらいたい。
行ってもらいたいので、たくさん写真を載せました。

ロボット

前のブログを書いてから1週間くらいの間に、よっちゃん農場よっちゃん
夫妻が航空会社エイベックスの機内誌に載ったりして新しいニュースの
タネはつきません。
が、その話はまたこの次に。

 

今日は小5の孫の夏休みの最大課題であるWRO世界ロボット競技会当日
でした。
彼がロボットを始めたのは2年前。ここ都会から離れた田舎から仙台の
ロボットスクールまで通って3年目。

昨年と今年の春のロボットスクールの東北大会では優勝して東京の全国大会へ。
さすが東京まで行けばロボット強豪も多く、苦戦の涙を飲みました。
昨年のWRO大会ではタイ人のT君とチームを組んで、第2位と3位の賞を
獲得。そして今回はWRO2回目の参加です。

夏休みに入ると、宿題はさることながら、旅行や自由研究などの夏休み
恒例事業は後回しにして、日々ロボットの練習。
祖母の私はこの小さなマシンの、どこをどうしてどうなったら動くのか
皆目見当もつかないけれど、彼によればプログラミンングで動くのだそうな。

夏休みに入ってからしばらくは家での練習。大会に近づくと仙台に行く
回数も増え、最後は仙台合宿をして今日を迎えました。

まるでロボット甲子園。試合を観に行く私は高校球児のばあちゃんの心境。


で、こういうポスター。

この試合を勝ち抜いたら全国大会の出場資格を得、満々万が一そこも通過
したら世界大会はハンガリーなんですと。
行きたい、ハンガリー。

試合開始は2時。
車検時間が終わって試合開始が近づくにつれ、我が緊張感は増し、じっとして
いられません。ロボットが動くのは見えないけれど、動く様子は大スクリーン
に映し出されます。正直見えても何がどうなってるのかほぼ解らない。
けれどロボット走行の時間が30秒だということはわかった。

何組かが終わって孫チームの番。緊張しながら見守るなか、何かがうまく
いかなくて30秒は終わった。らしい、、、。
あーあ、泣いてる。なんと言葉をかけよう。
しかしなんとシビアな試合なんでしょうか。ちょっと外れてもずれても
ダメなのらしい。それも手で動かすのではなくてプログラミングした操作
で動かすのだから半端な難しさではないのでしょう、きっと。

これは第1回目で第2回目があるということだけれど、時間もかかりそうだし、
うまくいかなかったら胸が潰れそうだし、先に帰ることにしました。
あとは残る娘からのメール待ち。

夕方遅くなってもう競技も終了する頃に娘から連絡は、

なんと信じられないことに「優勝」だって!!

えーーーっ。嘘みたいだけど、ほんとに良かった。

全国大会は8月の終わりに神戸で。夏休み、忙しくなってきました。
全国大会に挑戦するためにはT君とチーム力をあげ、行く準備もしなければ
だけれど、T君のお父さんは英語しかしゃべらない。
問題はいっぱいありますが、でもこうして負ければ悔しくて涙が止まらない
ほど真剣にロボットと向き合う夏休みの時間は、きっと彼らにとても
貴重な思い出を残すと思う。

がんばれ、T &Tチーム!



ニュースいろいろ

5月の10連休くらいからやたら忙しくなって、お休みしてしまっていたブログを再開。

この2ヶ月ほどの間に起こったニュースをひとつずつ少しだけ報告します。

4月から自宅の近所で空き直売所を仲間4人で借りてオープン、と言いたいけれど、開けたり
開けなかったりだから、まだ半オープンくらいをしました。

直売所の名前は我が集落の名前がついた元のまま、固有はまだ考えてない。
置いているものは、2年くらい前から始めた洋裁教室で作り始めた洋服(先生作)、織物、
手作り小物に新聞バッグにドライフラワーに野菜にアイスにジュース。そしてメインは
外に並べた花花花。

何の宣伝もしていないので花を買うお客さんが「ここ何やってるの?」と入ってくるくらい
だけれど、月2回洋裁、機織り教室と週1でリー先生の英語クラスをやってます。
入りたい方は是非どうぞ。

 

それから新聞バッグを新たに置いて頂くところができました。
蔵王の麓、遠刈田温泉にある温泉山荘「だいこんの花」さん。
お声がけいただいて5月の連休あたりからフロント前のショップに置いて頂いています。

すっぽりと森の緑に包まれた静かで洗練された温泉山荘に似合う新聞バッグのデザインは?
と、海山メンバーは新聞バッグ第2ステップに向けての在り様を模索中。

という流れでなんと海山女子部3人は、憧れのだいこんの花山荘に宿泊することになりました。
まこと素晴らしいお宿。どこが素晴らしいかというと、温泉旅館ならそれが常識みたいな
宿側からの押し付けみたいなサービスが一切なく、始めから終わりまでお客さんの選択に
任されている。というのが、これはもう他の宿にはない本当にありがたい心遣いのおもてなし
でした。

次なるニュースは、
海山インストラクターの黒田さんがアメリカのサンディエゴとロスアンジェルスで初海外
ワークショップをやりました。もちろんロス在住のインストラクター石丸さんのお世話が
あってのことですが、滞在1週間に満たない中でワークショップ4回、教えた方は日本人
アメリカ人、合わせて36人。

このワークショップで海外には今も東北の応援をし続けていてくださる方が多数おられる
ことを知りました。
このアメリカでのワークショップはこの先の新聞バッグの行方に影響が大きいかもしれない。
という兆候がもう見え始めてます。来年オリンピックだしね。

先週末は新聞バッグデザインミーティングも兼ねて、前から行きたかった南相馬の上條宅
をついに訪問。ここいた時とまったく変わりない上條さんとまったく変わりない動き方で
南相馬を案内してもらいました。

原発事故で、上條さんが住むことができなくなっていた南相馬。
前に行った被災地視察で行くことができなかった南相馬。

野馬追いの伝統が今も受け継がれている緑豊かなとても素晴らしい土地でした。
山も海辺も全部廻った。大好きになりました。

ここは500頭の馬が集まってくる野馬追いの会場。

ここを馬を繰る武者を乗せた馬が駆け上ってくることを想像するだけでもワクワクするけど
今年は行けません。

来年の夏には是非来て観るよ!

 

農作業コトはじめ

3月末、これまで2年間菊の栽培で大変お世話になった宮城県北部農業普及センターの
班長さん他2名の指導員、水戸さんと石川さんが揃って移動されることになり、泣く泣く
お別れ会をしました。

 

道の駅でお盆に売る花がないから自分たちで作ろうと始めた菊作りだったのですが、
水戸さんたちに一から教えて頂いて初めて、自分たちの頭の中でそれで「よし」と
していた自分流が、いかに力弱いものだったか知りました。

花を作る生産者の中でも日照時間に左右される菊は難しい、と栽培したがらない人
が多い(私もその一人)。でも教わったとおりに手を抜かず丁寧に作業を
すれば、ちゃんと立派な花が咲くんだということもわかりました。

今年は部会員の菊栽培者みんなで育てるだけではなく、これまで買っていた苗を自給
しようと決めた大事な年。
苗の自給のやり方も水戸さんのアドバイスを受けて、昨年の晩秋に昨年活躍した花株
の冬越し、赤ちゃん苗の作り方等々、しっかり教わりました。

そんな時の移動なのだから、これまで私たちの指導をしてくれた水戸さんも石川さんも
後ろ髪を引かれるようなお気持ちに違いありません。

なので、私たちも気をぬかず、教えられたとおりに作業して、昨年のお盆に販売した
よりもさらに数を増やした菊の花束をお客様に提供できるようにみんなで力を合わせます。

と約束してから1ヶ月。
菊の苗の元になる盆菊の穂挿しの時期になりました。教わったよりも10日も遅くなり、
気は急くけれど、暖かいかと思えば大雪が降ったり凍りついたりこの天候の不安定さ。
しかし待ってもいられず、昨日はついに自分のハウスで育てた穂と加代子さんにお願い
して採ってもらった穂を合わせて数百本の挿し穂作業を完了させました。

 

みんなでやってるもので人の圃場のことまで、やったかなあ、できたかなあ、と気に
なります。うちには師匠の栗ちゃんが折々に点検に来るので油断ができないのですが。

そして1日置いて今日は彼岸の菊の摘芯作業。
1月経つ頃には、彼岸菊の穂挿しの作業とお盆菊の畑への定植作業が重ることを思うと
できるのか、と今から不安。
お餅をつくのも大変だけど、畑の仕事はうんと大変です。

農業初心者の野田さんも広い畑を借りることになり、もうじきトラクターが入ります。
その前に肥料も堆肥も撒かねばならず、ついに冬が終わって農業コト始めの時期。

数年間離れていた花作りに今年は私も戻って、ここに越してきた当時に夢みていた
ガーデン作りをボツボツと始めようかと、、、。
ガーデン二ング素材の花々のタネを採って撒いて育てて、大きくなった花苗を我が家
の近くのお店で販売しようかと、、、。

そんなことを考えているので、みなさん、寄ってみてください。

 

 

 

ー別れー1日中新聞バッグ

4月も半ば近くになってからの時ならぬ大雪。

大震災の時以来、いつもどんな時も一緒に新聞バッグ作りをやってきたアヤコさんが南相馬
に戻ることになったので、今日は1日新聞バッグの作り方のおさらいをやるつもりでいたら
この大雪。

夏タイヤに替えたアヤコさんは動けなくなり、急遽冬タイヤのままの私が引っ越し準備中の
アヤコさんちで、まだ作ったことがないワインバッグを作ることになりました。

アヤコさんちに到着したのが午前10時半。

あと2日もすれば行ってしまうアヤコさんに習えるのは今日1日のみ。
何がなんでも今日は覚えてしまわなければ、という気迫十分、アヤコさんもその気、で
始まった最後の新聞バッグ講習。

思えば大震災後の7月、高知四万十ドラマの支援で初めて鳴子公民館で新聞バッグ作りを
教わって以来、真面目に新聞バッグ作りに取り組んだことが私はないのです。恥ずかしながら。

言うなら真剣勝負はあの日以来今日が2度目。

新聞紙を集めたり販売先と交渉したりは自分の仕事としてやってきたけど、新聞バッグ
作りとなると取っ手さえ十分にはできないという実力不足。
「最後まで全然やらないよねえ。いつも途中でほったらかす」とアヤコさんには叱られ
見逃してもらってきたけど、もう後がない。

はい、まずはワインバッグ。
ワインバッグはワインを入れても飾ってもサマになる、これから需要のある新聞バッグ
だと思うのですが、作り方はまったくわからない。
何度も作って、何度も分からなくなって、また作って分からなくなって写メに撮って、
ようやくできるようになって褒めてもらって気づけば午後3時。

はい、次は大バッグ。
まだはっきりと決まったわけではないけれど、近々、宮城県では著名なホテル、温泉
山荘で新聞バッグを取り扱ってくださるお話が進んでいます。
そのお話が進めば、これまで作ってきた「手仕事で復興」としての新聞バッグとはまた
違った方向性も考慮に入れ、質、デザインとも洗練されたものを作りたい。

アイデアに満ちデザイン力に優れたアヤコさんがこの地を離れ、福島で新聞バッグを
作るようになれば、その不在を埋めるべく、微力な私でも少しは役に立つかも、という
思いの今日の新聞バッグ講習なのですが、「できた、うまい、きれい」と褒めてもらって
気づけばなんと午後8時。

信じられない!
ほんとに朝10時半から午後8時までこの不真面目な私が本気になって必死に
新聞バッグを作りました。
1日たったら忘れそうだけど、根気よく長時間付き合ってくれたアヤコさんに感謝。

アヤコさんに初めて会ったのは、大震災後のある時期、ロバートキャンベル先生が
鳴子温泉の高橋亭で行っていた読書会「読もう」の会場。一緒来ていた娘のアカリちゃん
がまだ小学生でした。
東京や長野などでの新聞バッグや物産の販売の遠征にはアヤコさんもアカリちゃんも
みんな一緒に行きました。そのアカリちゃんも今は東京の大学生。

上のお兄ちゃんふたりも大学を出て就職して、子育ての役目を終えたアヤコさんとは
車を駆ってあっちに行ったりこっちに行ったり。いっぱい仕事もしたけどいっぱい
遊びにも行きました。

去年は西吾妻山に登り、日本一美しい村を謳った東成瀬村を歩き、ついこの間は盆踊りで
有名な西馬音内の町で名物蕎麦を食べ角館でまだ蕾が固い枝垂れ桜の下を散策し、ついで
に温泉に入って岩盤浴まで初体験して楽しんできました。

原発で大変な思いをし、原発事故以来の8年はこの地で私たちと一緒にほんとにたくさん
働いて、たくさん新聞バッグを作って、常に私たちと一体のようにそこにいたアヤコさんが
いなくなるのは実感が湧かないほど寂しいことだけれど、ご主人が待つ南相馬に帰れる
というのもまた嬉しい選択。

しかししんどい新聞バッグ作りだった。帰ったら寝込みました。

長い間ありがとう、アヤコさん。
今日はアヤコさんがこの先使うドイツの新聞紙とノリを届けます。
今発注中の新聞バッグ、でき上がったら高速にのって南相馬から届けてくれるそうです。

こうしてまたこれから新しい形での縁が続いていくのでしょう。

 

 

 

ピアノコンサート

子供の頃、裕福な家で育ったわけではないので、ピアノとかバイオリンとかは
全く無縁でした。

小学校5年生の時に私が習わせてもらったのは、実質的にそろばん。そろばん教室の
決まり文句の「願いまーしてーは」は、今も耳に残っています。

父親の転勤で転校を重ねた子供たちにはピアノもバイオリンも習わせなかったけれど、
中学生になって吹奏楽部に入り3人ともホルンを吹くようになりました。

演奏会や大会でその頃からだんだん音楽を聴き覚えてきて、楽器を聴き分けるまでには
ならないけれど、なんとなくクラシックの音楽が好きになっていきました。

この地に住んで娘が結婚し、生まれた孫が4歳になったらバイオリンでもピアノでも
教えるから連れて来てね、と言ってくれていた友人が50歳を過ぎたところで亡くなって
しまい、その友人の友人のところに4歳になった孫を連れて行きました。

私が約束を守りたかっただけで、べつにピアノが好きでもなんでもなかった孫は以来
7年間、1週間に1度のレッスンをほとんど休まずに続け、春と秋のコンサートや
発表会にも出場し、学校の合唱伴奏も務めるようになりました。

 

春分の日、岩手県一関の世嬉の一酒造クラストんホールで第19回一関男子ピアノ
コンサートが行われました。4歳からだからもう7回目の出場。
読んで字のごとしで、実行委員会、出演者は男子のみ、女子が入れるのは客席のみ
というごく真面目に男子だけのピアノコンサートです。

 

主催は一関バッハ研究会、一関男子ピアノクラブコンサート実行委員会。

この実行委員会の委員長は一関一高校の2年生。昨年は1年生だったので驚きました。
小さなコンサートだとはいえ、毎回40名近くの出演者がいて、会場にはその家族、
ピアノを教える先生方などがいて、会場は100名を越える聴衆で埋まります。

そのコンサート全体を運営する実行委員会は、高校2年生の委員長以下出演者も兼ねる
中学生も含めて5名。委員長が卒業すれば後をまた下の学年に繰り下げるという形で
コンサート自体を男子の出演者のみで作り上げてきて今回で19回目。

これは本当に素晴らしい手作りのピアノ演奏会で、全国でもまず見られないのでは
ないかと私は思い、毎回楽しみに聴きに来ます。
出演者は男子なら1歳でも成人でもOK。今年の最年少は小さな2歳でした。

演奏会は毎回ビートルズの「Let It Be」から始まります。
この曲をこの演奏会で演奏したいばかりに練習を続けているという中学生もいました。
今年は3人の連弾で楽しませてくれました。

 

 

男子ばかりというのは、女子も混じるピアノ発表会のように華やかさはない代わりに、
着ているものが皆同じく男子そのものなので、他に気をとられず演奏する音のみが耳に
入るという利点もあります。

毎年毎年一人一人が大きくなって、演奏する曲目が毎年難しくなっている。弾き唄いを
していた出演者が大きくなってピアノ演奏のみになる。ピアノを演奏していた子が
大学に入り音楽の道に進んで本格的な独唱者としてステージに立つ、などの成長の変化を
見せてもらえるのも大きな喜びです。

今回の我が家の孫の演奏曲はブリュグミュラーの「ないしょばなし」
流れるような旋律のだいぶ長い曲ですが、小学校の音楽祭の合唱伴奏と重なって、指導
してくださる先生にはずいぶん無理をして頂き、無事演奏を終えることができました。

来年は第20回。

またこのコンサートに出場できるようにみんな元気でいてほしい。
小さい子の面倒を見ながらコンサートを進めてくれた実行委員会のみなさん、そして
宥めたり励ましたりしながら根気強くご指導くださった先生に心から感謝いたします。

入場無料。どなたでも行ける演奏会なので、是非来年はピアノを弾くカッコいい
男子たちの演奏を聴きにきてください。