農作業コトはじめ

3月末、これまで2年間菊の栽培で大変お世話になった宮城県北部農業普及センターの
班長さん他2名の指導員、水戸さんと石川さんが揃って移動されることになり、泣く泣く
お別れ会をしました。

 

道の駅でお盆に売る花がないから自分たちで作ろうと始めた菊作りだったのですが、
水戸さんたちに一から教えて頂いて初めて、自分たちの頭の中でそれで「よし」と
していた自分流が、いかに力弱いものだったか知りました。

花を作る生産者の中でも日照時間に左右される菊は難しい、と栽培したがらない人
が多い(私もその一人)。でも教わったとおりに手を抜かず丁寧に作業を
すれば、ちゃんと立派な花が咲くんだということもわかりました。

今年は部会員の菊栽培者みんなで育てるだけではなく、これまで買っていた苗を自給
しようと決めた大事な年。
苗の自給のやり方も水戸さんのアドバイスを受けて、昨年の晩秋に昨年活躍した花株
の冬越し、赤ちゃん苗の作り方等々、しっかり教わりました。

そんな時の移動なのだから、これまで私たちの指導をしてくれた水戸さんも石川さんも
後ろ髪を引かれるようなお気持ちに違いありません。

なので、私たちも気をぬかず、教えられたとおりに作業して、昨年のお盆に販売した
よりもさらに数を増やした菊の花束をお客様に提供できるようにみんなで力を合わせます。

と約束してから1ヶ月。
菊の苗の元になる盆菊の穂挿しの時期になりました。教わったよりも10日も遅くなり、
気は急くけれど、暖かいかと思えば大雪が降ったり凍りついたりこの天候の不安定さ。
しかし待ってもいられず、昨日はついに自分のハウスで育てた穂と加代子さんにお願い
して採ってもらった穂を合わせて数百本の挿し穂作業を完了させました。

 

みんなでやってるもので人の圃場のことまで、やったかなあ、できたかなあ、と気に
なります。うちには師匠の栗ちゃんが折々に点検に来るので油断ができないのですが。

そして1日置いて今日は彼岸の菊の摘芯作業。
1月経つ頃には、彼岸菊の穂挿しの作業とお盆菊の畑への定植作業が重ることを思うと
できるのか、と今から不安。
お餅をつくのも大変だけど、畑の仕事はうんと大変です。

農業初心者の野田さんも広い畑を借りることになり、もうじきトラクターが入ります。
その前に肥料も堆肥も撒かねばならず、ついに冬が終わって農業コト始めの時期。

数年間離れていた花作りに今年は私も戻って、ここに越してきた当時に夢みていた
ガーデン作りをボツボツと始めようかと、、、。
ガーデン二ング素材の花々のタネを採って撒いて育てて、大きくなった花苗を我が家
の近くのお店で販売しようかと、、、。

そんなことを考えているので、みなさん、寄ってみてください。

 

 

 

ー別れー1日中新聞バッグ

4月も半ば近くになってからの時ならぬ大雪。

大震災の時以来、いつもどんな時も一緒に新聞バッグ作りをやってきたアヤコさんが南相馬
に戻ることになったので、今日は1日新聞バッグの作り方のおさらいをやるつもりでいたら
この大雪。

夏タイヤに替えたアヤコさんは動けなくなり、急遽冬タイヤのままの私が引っ越し準備中の
アヤコさんちで、まだ作ったことがないワインバッグを作ることになりました。

アヤコさんちに到着したのが午前10時半。

あと2日もすれば行ってしまうアヤコさんに習えるのは今日1日のみ。
何がなんでも今日は覚えてしまわなければ、という気迫十分、アヤコさんもその気、で
始まった最後の新聞バッグ講習。

思えば大震災後の7月、高知四万十ドラマの支援で初めて鳴子公民館で新聞バッグ作りを
教わって以来、真面目に新聞バッグ作りに取り組んだことが私はないのです。恥ずかしながら。

言うなら真剣勝負はあの日以来今日が2度目。

新聞紙を集めたり販売先と交渉したりは自分の仕事としてやってきたけど、新聞バッグ
作りとなると取っ手さえ十分にはできないという実力不足。
「最後まで全然やらないよねえ。いつも途中でほったらかす」とアヤコさんには叱られ
見逃してもらってきたけど、もう後がない。

はい、まずはワインバッグ。
ワインバッグはワインを入れても飾ってもサマになる、これから需要のある新聞バッグ
だと思うのですが、作り方はまったくわからない。
何度も作って、何度も分からなくなって、また作って分からなくなって写メに撮って、
ようやくできるようになって褒めてもらって気づけば午後3時。

はい、次は大バッグ。
まだはっきりと決まったわけではないけれど、近々、宮城県では著名なホテル、温泉
山荘で新聞バッグを取り扱ってくださるお話が進んでいます。
そのお話が進めば、これまで作ってきた「手仕事で復興」としての新聞バッグとはまた
違った方向性も考慮に入れ、質、デザインとも洗練されたものを作りたい。

アイデアに満ちデザイン力に優れたアヤコさんがこの地を離れ、福島で新聞バッグを
作るようになれば、その不在を埋めるべく、微力な私でも少しは役に立つかも、という
思いの今日の新聞バッグ講習なのですが、「できた、うまい、きれい」と褒めてもらって
気づけばなんと午後8時。

信じられない!
ほんとに朝10時半から午後8時までこの不真面目な私が本気になって必死に
新聞バッグを作りました。
1日たったら忘れそうだけど、根気よく長時間付き合ってくれたアヤコさんに感謝。

アヤコさんに初めて会ったのは、大震災後のある時期、ロバートキャンベル先生が
鳴子温泉の高橋亭で行っていた読書会「読もう」の会場。一緒来ていた娘のアカリちゃん
がまだ小学生でした。
東京や長野などでの新聞バッグや物産の販売の遠征にはアヤコさんもアカリちゃんも
みんな一緒に行きました。そのアカリちゃんも今は東京の大学生。

上のお兄ちゃんふたりも大学を出て就職して、子育ての役目を終えたアヤコさんとは
車を駆ってあっちに行ったりこっちに行ったり。いっぱい仕事もしたけどいっぱい
遊びにも行きました。

去年は西吾妻山に登り、日本一美しい村を謳った東成瀬村を歩き、ついこの間は盆踊りで
有名な西馬音内の町で名物蕎麦を食べ角館でまだ蕾が固い枝垂れ桜の下を散策し、ついで
に温泉に入って岩盤浴まで初体験して楽しんできました。

原発で大変な思いをし、原発事故以来の8年はこの地で私たちと一緒にほんとにたくさん
働いて、たくさん新聞バッグを作って、常に私たちと一体のようにそこにいたアヤコさんが
いなくなるのは実感が湧かないほど寂しいことだけれど、ご主人が待つ南相馬に帰れる
というのもまた嬉しい選択。

しかししんどい新聞バッグ作りだった。帰ったら寝込みました。

長い間ありがとう、アヤコさん。
今日はアヤコさんがこの先使うドイツの新聞紙とノリを届けます。
今発注中の新聞バッグ、でき上がったら高速にのって南相馬から届けてくれるそうです。

こうしてまたこれから新しい形での縁が続いていくのでしょう。

 

 

 

ピアノコンサート

子供の頃、裕福な家で育ったわけではないので、ピアノとかバイオリンとかは
全く無縁でした。

小学校5年生の時に私が習わせてもらったのは、実質的にそろばん。そろばん教室の
決まり文句の「願いまーしてーは」は、今も耳に残っています。

父親の転勤で転校を重ねた子供たちにはピアノもバイオリンも習わせなかったけれど、
中学生になって吹奏楽部に入り3人ともホルンを吹くようになりました。

演奏会や大会でその頃からだんだん音楽を聴き覚えてきて、楽器を聴き分けるまでには
ならないけれど、なんとなくクラシックの音楽が好きになっていきました。

この地に住んで娘が結婚し、生まれた孫が4歳になったらバイオリンでもピアノでも
教えるから連れて来てね、と言ってくれていた友人が50歳を過ぎたところで亡くなって
しまい、その友人の友人のところに4歳になった孫を連れて行きました。

私が約束を守りたかっただけで、べつにピアノが好きでもなんでもなかった孫は以来
7年間、1週間に1度のレッスンをほとんど休まずに続け、春と秋のコンサートや
発表会にも出場し、学校の合唱伴奏も務めるようになりました。

 

春分の日、岩手県一関の世嬉の一酒造クラストんホールで第19回一関男子ピアノ
コンサートが行われました。4歳からだからもう7回目の出場。
読んで字のごとしで、実行委員会、出演者は男子のみ、女子が入れるのは客席のみ
というごく真面目に男子だけのピアノコンサートです。

 

主催は一関バッハ研究会、一関男子ピアノクラブコンサート実行委員会。

この実行委員会の委員長は一関一高校の2年生。昨年は1年生だったので驚きました。
小さなコンサートだとはいえ、毎回40名近くの出演者がいて、会場にはその家族、
ピアノを教える先生方などがいて、会場は100名を越える聴衆で埋まります。

そのコンサート全体を運営する実行委員会は、高校2年生の委員長以下出演者も兼ねる
中学生も含めて5名。委員長が卒業すれば後をまた下の学年に繰り下げるという形で
コンサート自体を男子の出演者のみで作り上げてきて今回で19回目。

これは本当に素晴らしい手作りのピアノ演奏会で、全国でもまず見られないのでは
ないかと私は思い、毎回楽しみに聴きに来ます。
出演者は男子なら1歳でも成人でもOK。今年の最年少は小さな2歳でした。

演奏会は毎回ビートルズの「Let It Be」から始まります。
この曲をこの演奏会で演奏したいばかりに練習を続けているという中学生もいました。
今年は3人の連弾で楽しませてくれました。

 

 

男子ばかりというのは、女子も混じるピアノ発表会のように華やかさはない代わりに、
着ているものが皆同じく男子そのものなので、他に気をとられず演奏する音のみが耳に
入るという利点もあります。

毎年毎年一人一人が大きくなって、演奏する曲目が毎年難しくなっている。弾き唄いを
していた出演者が大きくなってピアノ演奏のみになる。ピアノを演奏していた子が
大学に入り音楽の道に進んで本格的な独唱者としてステージに立つ、などの成長の変化を
見せてもらえるのも大きな喜びです。

今回の我が家の孫の演奏曲はブリュグミュラーの「ないしょばなし」
流れるような旋律のだいぶ長い曲ですが、小学校の音楽祭の合唱伴奏と重なって、指導
してくださる先生にはずいぶん無理をして頂き、無事演奏を終えることができました。

来年は第20回。

またこのコンサートに出場できるようにみんな元気でいてほしい。
小さい子の面倒を見ながらコンサートを進めてくれた実行委員会のみなさん、そして
宥めたり励ましたりしながら根気強くご指導くださった先生に心から感謝いたします。

入場無料。どなたでも行ける演奏会なので、是非来年はピアノを弾くカッコいい
男子たちの演奏を聴きにきてください。

 

 

途切れずにまた、、、。

南三陸に行ってきました。
新聞バッグをとりに。懐かしいおばあさんに会いに。

今年になって初めて?なのかどうか。

なんかどんどん記憶も怪しくなって、大事なことも大事じゃないことも片端から
忘れ去る昨今なのだけれど、久しぶりにのんびりと高速ができる前から走っていた
ゆうゆうと流れる北上川に沿い、春も秋も樹木の彩りが美しい内陸から海辺の町
へと峠を越える道を行くことにしました。

登米町から南三陸町に抜ける峠に長いトンネルがあります。
その出たところに、

「南三陸にようこそ。
みなさんの支えで今日もがんばれる」

という標語の大きな看板が立っています。

新聞バッグの引き取りで何度も何度も南三陸に通ううちに、この看板を見覚えて
しまって、毎回来る度に「看板あるかな」と気なってしまう。
大震災から8年も経った今日も、やはりありました。よかった。

復興は進んでいるとは言うものの、来る度に、変わったなあというのが実感。
この変わり方は言葉では説明し難い。高速道路が整備されたとか食品スーパー
ができたとか、山が頂上まで住宅団地になったとかは解りやすいのだけれど、新しく
作り上げられていく町全体はいいんだか悪いんだか心境複雑。

さんさん商店街には変化がありました。
屋外休憩施設に立派な囲いができていた。

休憩するのも食事をとるのも吹き抜ける海風で、寒かったり雨が吹き込んだりして
落ち着かなかった休憩所がこんなに立派になりました。

防災庁舎の周りも更に大きな土の山が重なり合い、前を流れていた川が巨大な護岸
工事でコンクリート化してました。

新聞バッグを作ってもらっている歌津のけいこさんのお宅は今ワカメ作業の最盛期。
自宅は無人で、家族総出で浜の作業小屋で作業中。

浜まで下るうねうね道沿い、山を切り拓いて作ったの新しい住宅団地の中に小さな
カフェを発見!
大いに驚きました。通りすがりの人が立ち寄る場所ではないので、近隣の方々が
楽しむカフェなのでしょう。入る度胸がなく通過。

丁度お昼で、作業小屋はお父さんもおばあさんも休憩中。

今年はワカメの収穫が少なく高値なのだそうです。

驚いたことにボランティアさんがワカメ作業のお手伝いにみえてました。
毎年今の時期、東京やその他の県外からボランティアさんが来られるそうです。
今日は毎年来られるという作業に手慣れた男性と東京からの女性がふたり。

私など地元に住むものが知らないところで、こうして地道に東北を支えてくださる
方々がいることを知って頭が下がります。

頼んだ新聞バッグをもらって、少し小さくなったようにみえるおばあさんに別れを
告げて早めに帰途につきました。またもやのんびり元来た道を。

 

帰宅してけいこさんにもらった茎わかめと朝どりメカブを教わったとおりに切ったり
叩いたりして夕食に。

その道エキスパートのけいこさんのようにはできないけれど、メカブはさっと茹でで
包丁で叩きに叩き刻んで玉ねぎスライスとおかかとポン酢で。
茎わかめは細く切って生姜と人参と一緒に南三陸特産うま醤油漬けに。

 

そしてもうひとつ。財政緊縮で新聞を送れなくなりました。残念です、と2年ほど前
にご連絡くださった東京のSさんから、また送れるようになったので、USED感はあり
ますが、溜まったので送ります、とドイツの新聞が届きました。

心に留めておいて頂けただけでも嬉しいことです。
これでまたドイツの新聞で新聞バッグが作れます。

終わるのかなあ、と思っていてもやはり終わっていない。
大震災から8年、新聞バッグも人との繋がりもこんなふうに続いていくようです。

 

 

 

 

 

 

温泉の街を歩く

日曜日。鳴子に行った帰りに川渡温泉のカフェカガモクさんに寄りました。
温泉駅近くに店を構える酒屋の若主人のよしひろさんがいて、近々今年できるお酒の
発表のイベントをやるんだ、と聞きました。

私はお酒は飲まないことはないけど、全然詳しくない。
よしひろさんが魂を込めて作る「雪渡り」というお酒は、有名で、作る量が少なくて
なかなか手に入らないらしい。
飲んだことはなく、買った人が大切そうに飲まずに飾っているのを見たことはある。

私の知識はその程度で、そのお酒が毎年新しく作られる度に、その発表の日に記念の
お祝いをやって、その集いには参加したい人がたくさんいるのだけれど、人気があり
過ぎてなかなか会員になれないのだそう。それは初耳。

で、その会をやる日のお昼に川渡温泉を歩く。そっちは参加者が少ないから飛び入り
自由と聞き、歩くのは自信があるので参加申し込みをしました。

という経緯で、当日、一応トレッキングの格好なぞして集合場所へ。
着いてびっくり。参加者は全然少なくない。老若男女取り混ぜて、たくさんの参加者が
談笑してました。

いやあ、驚いた!
お酒の会って、こんなに人が集まるの!

ひとりで県外から来られた中年の女性と歩きながらお話を。勿論お酒は手に入らない
けれどもこのお酒のファンクラブもキャンセル待ちだとのこと。

お酒は買えない、当然飲めない、ファンクラブに入れないじゃなんの楽しみが、、、
と思わずにはいられない私は、きっとお酒の楽しみ方を知らない全くのど素人。
でもこうしてお酒が発表されるまでの間をお酒が好きな人同士、歩いたり喋ったり
して待つ時間もまた楽しからずやと理解して、午後の半日、暖かい陽射しを浴びながら
ご一緒に歩きました。

工程は午後から夕方まで。
川渡温泉駅から歴史に残るところを案内して頂いてカフェカガモクさんで終了という
コース。

お酒のことも川渡温泉のことも何も知らないまま、人にくっつき歩いた温泉町歩き
なので確かなことはほぼ分かりませんが印象に残ったことだけひとつふたつご報告。

少しはわかったのはこの雪渡りというお酒は、お酒の蔵がない鳴子で地酒を作るという
夢を持った16人の仲間たちが作ったお酒だそうです。そのお酒の元になるお米が
育った田んぼを見るのは午前のスケジュールということで、私は参加不可能、

よって私は駅近くの宝照寺からスタート。
珍しく日蓮宗のお寺。昔刀の産地であった玉造の刀に関係しているお寺らしいです。

次に引率役の小林氏に案内して頂いたのは鍛治谷澤駅跡。

ここは元宿場町であったらしい。鳴子の古道の中継点になる大きな宿場であった
らしい。興味を惹かれました。

江合川を挟んで温泉街の対岸にある住宅街の坂道をぶらぶら登って行くと最終的
には東北大学川渡フイールドセンターに行き着くらしいのですが、私はまだ行った
ことがないのです。大学付属農場として日本一の規模を誇ると何かで読んだことが
あり、是非行ってみたい。

ずいぶん前のことだけれど、道の駅で学生たちが栽培したブルーベリーの苗を販売
したことや、深夜に近い時間の藤島温泉のお風呂で、フイールドセンターの実習を
終えて温泉に来た女子学生たちが、牛の話をするのを聞いていたことを思い出します。

フイールドに入る門口のところで降りてきた学生たちと合流してUターン。

なん百年ここにいるんだろうか、と見上げる大木の説明など聞きながらのウオーキング。

こんな丸見えの線路の真ん中に立つなんてあまりない経験。
陸羽東線、背後は鳴子、前方は古川、小牛田。

人が住む町を歩いて一周して下って江合川の長ーい橋を渡って温泉街へ。

週に2、3度は温泉に入りに来るけれど、歩いて橋を渡るのは初めてです。

川面にたくさんのマガンが。
もう一月もすると北へ帰ってしまう雁の群れ。

橋を渡って温泉街に入りカガモクさんへ。

 

楽しい半日が終わりました。

カガモクカフェでコーヒーとカガモク特性熱々揚げドーナッツを頂きながら
高橋よしひろさんが歌う「雪渡り」の曲を聴きました。

この歌は味わいのあるいい歌です。

何回も聞いて最後の方は歌えるような気がしてきました。

私の参加はここまで。
夜の温泉でのお酒を楽しむ会には行きません。というより飛び入り参加ができる
ような状況じゃないのかも。

 

お酒のことも湯渡りのことも何にも知らない私が混じらせてもらった温泉街
歩きでしたが、こうやって年に一度の新しいお酒の発表を待つ方々の楽しみとか
そのお酒がとってもおいしいらしい、とか垣間覗かせて頂いた楽しい時間でした。
きっと夜のその時間は濃密に楽しいんだろうと思います。

参加したいと思うには少々年を取り過ぎた。

誘って頂いて本当によかった。
よしひろさんもとても素敵だった。

CD買って聴きます。東北大学フイールドセンターにも行きます!

 

 

 

お城の下で

3月11日、久しぶりに朝から雨。

お城はないけど、城跡公園の下の学校駐車場で下校してくる孫を待っていると、
雨音に混じってマイクの声が聞こえてきました。

「黙祷、、、、」

車の中で孫を待ちながら黙祷。

8年、もたったんだ、と思いつつも記憶があの日に戻ると、胸が騒めいてくる。
家の中も外も周りもほんとうに大変なことだらけだったけれども、大震災が
きっかけで始った新聞バッグのおかげで、近くから日本のあちこちの遠いところまで
広がり繋がった方達とのとても貴重なご縁に恵まれました。

でももう8年。
始った頃の役目はもう終わる時期かもと、心のどこかでは思っているのだけれど、
それでも確実に大震災以来、定期的に新聞バッグを注文し続けて下さる方々がまだ
います。

大震災以来、少しだけれどと年金をもらう月ごとに、必ず支援金を講座に振り
こんでくれる私の友人がいます。もうみんな普通の生活に戻って行ってるから
「もう充分なのよ」と断っても送り続けてくれます。

そのお金がまとまると、少し自前を足して震災遺児を育てる会に送るのももう習慣
になりました。
きっと彼女は自分でできる間は、何年経っても送り続けてくれるのだろうと思って
います。

 

先日、仙台の女性の方から「新聞バッグの作り方を教えてほしい」とのお電話が
ありました。元は石巻の方で津波被害でご自宅を失われ、今は仙台にお住まい
とのこと。
仙台まで行けば費用がかかるし、教える相手が少人数ならば講習費用も割高になる、
と説明したのだけれど、新聞バッグの物語も読んだので、それでもいいと仰る。

そんなわけでご自宅に伺う約束をしましたが、そういう要請があると、「もう
新聞バッグの当初の役目は終わったかなあ」という8年後の今の心境とは裏腹に
まだお役に立つこともあるのかな、と嬉しい気持ちにもなるのです。

菊栽培の摘芯作業開始の時期で、1年の作業の無事を願って花作り女子メンバーで、
栗ちゃんちの集落のお不動様に行くことにしました。
昨年の秋、仕事納めにもお参りした山深い鬱蒼とした杉木立の中のお不動様です。

普通乗車は入れないので栗ちゃんの軽に乗せられて行きます。
去年初めて来た時には、凄い山の中だと思ったけど、やっぱり相変わらず一人で
来るのは躊躇われるほどの山の中。

秋には屋根も地面も降り注ぐ黄金色の銀杏の葉に覆われて、輝くように見えた
お不動様は、早春の今、大きな大きな深い杉の木立に囲まれてひっそりと静まって
いました。

林道に沿って立つ石の鳥居の下で、栗ちゃんの号令がかかります。
「邪念を払って一礼!」

 

小さいお堂にぎゅうぎゅう詰めに座って、またも栗ちゃんの号令。
みんな1年間、無事に作業が進むことを願ってお札をいただきました。

お堂の後ろは渓谷。水の流れまでの10メーターほどの高さは写真ではどうしても
表すことができない。なにせ怖くてへっぴり腰での撮影です。

水の勢いで岩が削ぎ落とされてしまっている渓流。

そして草の中に置かれたお狐さま。

黙祷を済ませ、春のお不動さんにもお参りして、こらからまた1年歩みを進めます。

 

そして春は別れの時でもあり、一緒に山に登り、音楽会を主催した柿の木バンドの
ボーカルオサム君は、晴れて仙台の会社に入って新しい仕事に挑戦します。

来月には8年間苦労を共にした新聞バッグの仲間とのお別れの日もきます。

寂しいけどいいことだ。オサム君、がんばれ!

 

 

 

菊栽培の1年

今期最後の道の駅出荷組合花卉部会が今日終わりました。
長年務めてきた部会長の役目を新しい部会長、副部会長に渡して本日終了。
並行して務めてきた組合理事の役目も終了します。

直売所で販売するお盆の花を、仕入れることなく自分たちで作る地場の花で賄おうと、盆と彼岸菊の栽培を始めたのが2年前。3年目に入る今年は大変大切な時期、ではありますが、このまま続けて次に任期終了時には79歳になっていることを考え、終わらせてもらうことにしました。

最初は苗探しから始まった菊栽培。

入手しにくい菊の苗をどこで手に入れるか試行錯誤しながら、結局譲渡をお願いできたのは、東日本大震災の際に鳴子温泉に避難して来られていた南三陸の菊栽培の師匠、小野寺氏のお世話。

お盆用4000本、彼岸用4000本をお花屋さんから譲ってもらって部会員に分け、栽培が始まりました。

整枝をしたり、脇芽を摘んだりと何かと手がかかるうえに、油断をするとすぐ病気にかかる菊。やったことない者が、菊栽培者の先輩がたにに教わりながら試行錯誤で菊を育てた1年でした。

2年目に入るところで、グループで菊栽培というのは珍しい試みなので県のほうでも応援しましょう、と宮城県農業普及所よりのお申し出があり、以来、農業普及所花担当の水戸氏から苗作りから開花、販売促進までさまざまなご指導を頂けるようになりました。

仕事熱心な水戸氏の先導で勉強に次ぐ勉強。

1年目は花のできも問題あり、だったけど、それでもできた花は完売。
道の駅にお盆の花を買いに見えるお客様には、道の駅直売所の地場産の盆花というアピールができたと思います。

そして花が終わった後、2年目の苗を作るにはまだ力不足なので、昨年春には再度8000本を入手。同時に他直売所との交流を深めて品種を多く知ることも始めました。

息も吐かせぬ勉強会の成果で昨年の夏はどこの圃場でも立派に菊が成長しました。が暑すぎで開花抑制されて花が咲かなくてヤキモキ。
自然現象に左右される花栽培の一番つらいことこでろです。

これほど多量の菊を育てながら加代子さんはこんなに素敵な色のトルコ桔梗も。

菊栽培をする部会員も徐々に増えました。

追われるように多忙な日々の中でも、女子会を結成してたまには
食事&お喋り会をを開いたり、花盛りのガーデンを見学に行ったり。
息抜きと親睦の場も必要です。

秋には農業普及所のお力添えで念願のハンギングバスケット講習会を開催。

気がつけば同じ集落の80歳を超えられた男性部会員も菊作りをしたりハンギングバスケット講習まで参加されているのを見て感激。

そしてもうひとつ自主的な花のワークショップを開催というのもありました。以前にはなかったことなので、これも嬉しいできごとでした。
こういうのは是非続いてほしい。
お客様にも喜んでいただけると思います。

彼岸も終わって初冬に入り、1年の仕事の締めくくりは菊栽培の先輩、クリちゃんちに近いお不動様へ。ご利益のある素晴らしいお不動さまだそうな。

林道のような細い山道を辿るとこんなところにと思うような木々の中に石の鳥居がありました。『そこで一礼」クリちゃんの号令の元、頭を下げて鳥居をくぐり、急な石段を下ると屋根も地表も舞い散った銀杏の葉に覆われて黄色に輝くような小さい祠がありました。

祠の向こうは渓流。

小さい祠にぎゅうぎゅうに並び座って、「2令2拍手1礼」のクリちゃんの号令のもと、全員で邪念を払ってお不動様にお礼を申し上げ、お札を頂いて1年間の作業を終えました。

 

3年目に入る今年は、いよいよ初めての相互協力による苗の自給を開始。
ハウスを持たない者はハウスがある栽培者に親株を育ててもらって春には苗をとる、というやり方ですが、親株を育てる栽培者には相当プレッシャーのはず。
ハウスがあるもの、ないものそれぞれに、ハウスの中に親株を埋け込んだり、プランターに植えたりトンネルかけたりの実験開始です。

私のハウスも置いていた自転車を出して伸び放題の竹を切り、親株圃場にしました。

もう今年の親株管理の点検視察は既に始まっていて、先日の報告では全員の親株が健全に育成中だとのこと。

事始めの景気づけに、先日は第一回目の女子ご飯会を開催。
隣町の道の駅でバイキング昼食を視察味見見聞をし、その後はイチゴ狩りに。今頃イチゴがなってるなんてすっかり忘れてた。

なってた、なってた、いっぱいなってました。
このイチゴ農家さんは道の駅オープン当初あたりでイチゴを納品してくださっていた方。何年ぶりかの再会でした。

30分間食べ放題というんだけど、30分なんて食べられません。
15分もかけて15個食べてもうお腹いっぱい。

ビニールハウスの中に掲げられたみっつの経営理念の下で、「おれはほんとうにいい仕事をしていると思うんだ」というご主人の言葉が耳に残りました。

次はお不動様に新年のご挨拶に伺うのだそう。世話役は持ち回り。    「あけまして、、、」というのはちょっと遅い気がするけれど、自然と繋がっている私たちの仕事は、年度始めのご挨拶をしてから3月始めの穂を採る作業に入りたいという気持ちもわかる気がするのです。

 

 

 

今年も続けます。

あっと言う間にもう1月も終わりに近い。

この冬はたぶん暖冬なんだろうけど、雪が少ない。
と言いながらも今日は久しぶりに大雪。先ほど温泉に行っての帰り道は、視界ほぼなし。ライトに浮かび上がる白い路面のみを見つめてのろのろのろのろ
帰ってきて、家の入り口を通り過ぎそうになってっしまいました。

もうお正月気分も抜けて、昨年から引き続いてのお勉強を開始する時期。なのにエンジンがなかなかかからず、洋服縫いかけて中断したままの洋裁教室はまだ未開講。

でも今年もやります。洋裁教室。
昨年の初夏から始めて、1月1回の教室で私が作った洋服は自分のが3枚、お友達用2枚で合わせて5枚。
全部同じデザインしか作れないのに、なぜか意図せず全部長さが違うという実力で終わりました。2度同じことやれと言われてもできません。それでも襟をつけたり、ボタン穴作ったりできるようになるつもり。

他のみんなは凄かった。最初は色柄違いで全員同じデザインの簡単服を着ている有様だったのが、着物をほどいてのリフォームドレス、帯をほどいてのバッグ作り、パンツにモンペ作りなどに進化しました。

そして秋が過ぎ、夏物が冬ものに変わった途端に機織りに脱線。
洋裁の先生の本職が機織りだものだから、何度か石巻の先生の工房に通っているうちに、機織りやってみようかなあと・・・。これやってみるとかなり原始的な作業で、一織り一織り無心に筬を通して織るうちに布ができてくるのが嬉しい。

パーシモンの千代さんは喫茶店稼業の合間にマフラー3本織りました。
私は今裂織りに挑戦中。
今年は洋裁に加えて機織りも続けます。

そして、続けなければならないものは菊栽培。
これは道の駅出荷組合の花卉の部会活動で、県の農業普及センターの応援を受けて今年で3年目に入る「盆菊の生産拡大プロジェクト」。

昨年の秋に個人的にも相当数の菊の親株をハウスに埋め込んだので、今年は2月半ばから採穂、育苗と忙しくなります。

あとは自分の仕事。
これはもう工夫を続ける。の一言。もう10年もお餅を生業にしてきたのに、今頃になって「豆はこうして蒸すのか」などと本職さんの仕事を見て感心したりしているのだから今更のように自分の勉強不足が情けない。精進、精進。

 

今年からだいぶ長い間離れていた花の仕事に戻って、栽培したいのはガーデン用の宿根草。離れている間にこれで仕事になるのかしらと恐ろしいほど花の名前を忘れてしまっているのだけれど、頭の体操、ボケ防止と心して花の名前を思い出すことから始めます。

大震災以来3月で8年目に入る新聞バッグは、昨年の冬に新聞バッグコンクールが終わりましたが、今年はまた春から仕事が続きそう。

と「今年も続けます」と続けたいことを羅列はしたものの、80歳に近いこの年齢でどこまでできるのか、まずは体力の維持と頭の維持を続けねば。
途中で終わることもおおいにあるかも・・・なあ。

 

 

 

新年おめでとうございます

平成31年。あけましておめでとうございます。
昨年はみなさま方に大変お世話になりました。
本年もよろしくお願いいたします。

昨年の秋は、来たる新聞バッグコンクールの心の準備やら、道の駅花卉部の菊生産拡大計画やら、風邪ひいてこじらせてダウンするやら、コトが多過ぎてブロクまで
エネルギーが続きませんでしたが、コンクールも終わって冬に入ってお正月を迎えて少しゆっくりなりました。

ブログを再開して、秋から起こったことなど、ゆっくりとお知らせしていこうと思います。

今年のお正月は12月末に降った雪がまだ残ってはいるものの、穏やかな珍しいくらいの晴天続き。

元旦は家族でお正月を祝い、2日は集落の新年会。

この毎年恒例の新年会、一時は部落の人が減るばかりでどうなるかと思っていたのだけれど、なんとここにきて人口増加。3年ほど前に黒田さんが来て、その後子供さん2人の若いご家族が来て、昨年からは亡くなられた区長さんの弟さんが関東からみえ、その若い息子さんたちがしょっちゅう農作業にみえて、一挙に小さい子供たちが増えて平均年齢も新年会も若返りました。

若返ると活気が感じられて、こういう変化はほんとうに嬉しい。
未来に希望が持てます。

 

3日は思い立って初詣と前から行きたかった石巻のサンファン館へ。
初めて東北を訪れた時に、期待していた瑞巌寺が閉館で見られず、お隣の薔薇寺で支倉常長がヨーロッパから持ち帰ったというガラスの器を見せてもらって以来、一度は見たい、乗りたいと思っていたサンファンバウティスタ号。

なかなか行く機会がなく、今日はやっと見られると勇んで行ったのですが、なんとまあ休館日でがっくり。
31名の乗組員を乗せて月の浦から出航していったという、サンファンバウティスタ号は静かな海に渓流されていましたが、思ったより小さいのにびっくり。
こんなに小さいので行ったの!と驚く小さな帆船でした。

 

ついでに私たちの洋裁と織物の先生、加納さんのお宅に寄って、女川街道から石巻の市街地に入ったところで、街の中を突っ走るカモシカに遭遇。びっくりしたわ!

最初、その色からイノシシかと思ったけれど、よくみれば鹿、カモシカ。カモシカもビックリ顔だけれど、こっちもビックリでした!

 

初詣は、これまで行ったことがない柳津虚空蔵尊。
「日本三所の秘仏」といわれる弘法大師由来の南三陸奥州柳津虚空蔵尊ということだけれど、立派な鳥居がある珍しいお寺。
山深い小さなお寺かと思いきや、立派な杉木立ちに囲まれた境内には天神堂や稲荷堂、弁財天の祠や石の鳥居、撫で牛や撫で虎なども鎮座して、神様と仏様が両方いらっしゃるような大きなお寺でした。

 

 

平穏な日々を祈願して初詣を済ませ、また明日から通常に仕事をはじめます。

本年もよろしくお願い申し上げます。

 

 

 

 

高知へ

高知2日目。

「前は急げ」ということで、早々と朝食を済ませて一同、梅原デザイン事務所に向かって出発。梅原さんには事前連絡なしなので、お忙しかったら即刻退散します。

梅原デザイン事務所は、物部川の流れをを見下ろす高台にあります。
前回の台風ではだいぶ水が上まで上がる様子をテレビで見て心配したけれど、川は普段に戻って緑豊かな広がりを見せてくれていました。

この右下に写るのは、本日の訪問でたまたま出逢ってしまった、梅原事務所のこれから作るガーデンを設計施工なさるガーデナーさん。

先日北海道で昼食をとる時間もないくらいにガーデンからガーデンをめぐり歩いた野田さんと
私は、ガーデナーさんの動きに気をとられ、時折大切な梅原さんのお話しを聞きもらしそうになったりしました。
このお庭ができた頃にまた梅原さんのお宅にお邪魔したい。外から庭だけでも見せていただきたい。そんな心境になりました。

丁度事務所におられた梅原さんは、突如玄関のガラスの外に現れた高橋君の顔を見て、びっくりなさったと思いますが、憧れのデザイン事務所にあげて頂きました。

四万十新聞バッグコンクールin東北まであと2ヶ月。
もう待ったなんて言ってられる時間はないのですが、今回開催地としてご協力することになった私たち東北在住ウミヤマは、東北で四万十新聞バッグコンクールをやる意味がいまひとつ掴みきれてません。ません、ということはモチベーションが上がらない。

今日はひとつ率直に率直に梅原さんの新聞バッグに対するお気持ちをうかがってみたい、というのも、この突撃訪問の目的なのでした。

午後4時から梅原さんのご著書の新刊本「おいしいデ」の出版記念パーティを控えられた梅原さんはお忙しいにも関わらず、時間をかけて説明してくださり、理解できた私たちは胸のつかえがおりて、新聞バッグコンクールの準備に臨みます。

思いがけず、梅原さんのお宅の檜舞台を見せて頂けることになり、プライベート空間に上がらせて頂いて、奥様の和香さんにもお目にかかれました。

梅原さん宅の檜舞台は、外と中のあわいが定かではないようなお部屋の前の広い自然の中に作られていて、物部川が一望できます。ここはお宅の3階です。

突然のアポなし訪問で梅原さんには大変ご迷惑をかけてしまいましたが、直接向き合ってうかがう梅原さんのお話は、常に意外性に満ちて、目からウロコ。
なるほどなあ、と腑に落ちます。とても大きな視点で物事を捉えられていることがよくわかります。良い時間をいただきました。

梅原さん訪問の後はもうひとつ行きたいところが。

こちらもお約束はとっておらず、どころかお住まいの場所もわからない。
でもおお会いしたことはある川村一成さん。

fbで毎年暮れに作られる門松が盛大にお宅の庭いっぱいに並んだ写真を見たことがあるのですが、それくらいしかわからない。家がどこの地区にあるかはわかるので、探しながら行くことにしました。

が、探せるような集落ではなかった。うねうねうねと高みに登る山道を、fbで見たような家を目標に進むのですがわからず。人にも合わず、でだいぶ奥まで進んだところで男性一人に遭遇。ありがたいことに川村一成さんのお隣の方でした。

ベンツは全然はいれないので、徒歩で川村さん宅へ。

とうとう見つけ出して伺った川村さん宅。
丁度お昼のお食事中。突然の訪問で本当に驚かれたと思うのですが、ご親切にお食事の後、栽培なさっている四方竹の圃場へ連れて行ってくださることになりました。

圃場は自宅から少し離れていて、交通手段は軽トラ。

川村さんは孟宗竹の栽培もなさってますが、秋の今からは竹の茎が四角い四方竹。高知のお料理やさんではこの四方竹のお料理がよく出ます。秋に筍が食べられるなら、是非宮城にと思うのですが、生育には寒すぎるとのこと。残念。

よく手入れされた四方竹の圃場で竹についてのお話をうかがいました。

川村さんの孟宗竹は生食と缶詰用で消化し、間伐材はとっておいて門松用に使う。無駄なものは残さない、という回し方できれいに竹が循環するという、私たちがそうありたいと願うお仕事をなさっていました。

60代半ばでサッカー現役。いつも柔らかな笑顔を絶やさない、ほんとに若々しい自称お百姓さんです。毎年12月は門松作りの月。今年の12月にはよっちゃんが弟子入りして、今奮闘中のしめ縄プラス門松ができたら、いつか岩出山の町の正月はよっちゃん手作りの門松が風物になるのかもしれません。

ここでの農業はほんとに体力勝負。機械が入らないところだから。

 

午後からはパーティの会場で、新聞バッグコンクールの短時間打ち合わせ。

その後のパーティ会場では、梅原さんがこれまでデザインなさった商品が勢ぞろいして並びました。
もちろんよっちゃん農場くま納豆も新聞バッグも。

そして出版をお祝いする今日のメインの新刊本は。

 

最終日はうどんデー。

野田さん、高橋君の計画では帰りしなに香川で6軒のさぬきうどん屋に行く。
6軒なんて食べられるわけない、と私は思うのだけれど、それが「食べられるのだ」とは野田さんの弁。

1軒目。普通の小さいスーパーマーケットの奥の製麺所に空のお椀を抱えて並びました。順番がきたらひと玉か二玉か食べたい麺を入れてもらう。
かけるのは醤油と細かく切った小ねぎをドサッ。
てんぷらなどほしかったらスーパーのレジ横で買う。買ったら外に出て、立ったままかあちこち座って食べる。というかって経験したことがないうどんの食べ方。なんですが、これがおいしいのッ!
うどんは食べない私ですが、全部食べた。200円。

2軒目。
たらいの中のうどん。少し柔らかめだけど、やっぱり美味しい。
博多のうどんとは全然違って、麺のこしが強いけど食べられる。
一緒に販売されているおはぎもまたおいしい。うどんとおはぎの組み合わせがどうよ、とは思うのですが、、、。

うどん屋に興味が出てきたところで、時間がなくなり3軒目以降は割愛となりました。
が、せっかく四国に来たのですから、お遍路の気持ちも少しは味わいたくて、うどん屋の近くの第七十六番霊場へ。

 

新聞バッグコンクールの成功を念じて、宮城に帰ります。