ガーデンを歩く

北海道第1夜の宿泊は、初めて訪れる町、帯広。

十勝地方の中心の町帯広は、想像していたよりも車も人も少ない落ち着いた静かな街でした。
夕食の場所を探しながらぶらぶら夜の街を歩くと、呑み処、食べ処の屋台が連なる独特の風情。

飲まないので十勝の農家野菜レストランで夕食。

その後野田さんは帯広に来たらどうしても入らねばならないという天然温泉アサヒ湯へ。
なんでもコーラのようなお湯なんだそうですが想像がつかない。

 

北海道ガーデン街道の8つのガーデンのうち、十勝地方にあるのは5個。

野田さんが見たいのは、北海道の有名なお菓子の老舗、六花亭が運営する六花の森。
大変広大な風景式庭園で、園内には六花亭の包装紙にある六種類の花を中心にさまざまな花や樹木が植えられていて、6種類の花に囲まれて六花亭本社の建物があります。

そして今90歳を超えられた紫竹あきよさんが運営する紫竹ガーデン。
「花」と「食」と「農」がテーマの十勝ヒルズ。
60年前から運営され、26000坪の広大な土地に日本庭園、西洋式庭園、風景式庭園を有し、日本初のコニファーガーデンでも知られる真鍋庭園。
そして日高山脈の麓に広がる十勝千年の森。

私が行きたいのは真鍋庭園なんだけれども、どれひとつとして寄れる時間がなく、ただ一つ寄れるの走る道沿いにある「十勝千年の森」のみ。

環境貢献活動「カーボン・オフセット」(炭素の相殺)を起源として1000年続く森作りに取り組む、十勝毎日新聞社運営の千年の森。

入り口入ったところで、もうリスを発見。
うちのリスより蝦夷リスのほうが少し大きく見えるけど個体差か。

この千年の森の中に、日高山脈を背景とする圧倒的なスケールで広がるアースガーデン・大地の庭。

 

森の中を歩くフォレスト・ガーデン、森の庭。

自生種と園芸種を混在させたメドウ・ガーデン、野の花の庭。

ヤギ、ヒツジ、を放牧して飼育するファーム・ガーデン、農の庭。

あとデザイナーズガーデンもあって、そこでは野の花や木の実が素敵に飾られていました。

ハーブが植えられたキッチンガーデン。

 

緑波打つ美しい十勝平野を抜けて、富良野へ。

富良野の風のガーデンでは、倉本先生の舞台「屋根」のヒロイン、しの役を演じた森上千枝さんが待っててくれました。

有難くも風のガーデンを案内してくださるとのこと。

「風のガーデン」は10年前、倉本先生の連続ドラマ「風のガーデン」が放映された時に作られたガーデン。

ドラマ用のガーデンだから数年後にはもうないだろうという私の予想は大きく外れて、実際に数年後に訪れた時には花々が大きく育っていて驚きました。

それからまたさらに時間が経過してさらに大きく育った風のガーデンの植物群。

最後の華やぎを見せる秋の花々と実の庭。

そして今回初めて訪れる薔薇の庭。
これまで何度が風のガーデンに訪れましたが、薔薇のお庭があるとは知りませんでした。

ここにある薔薇はほとんどが原種。
この薔薇の庭は大変貴重で素晴らしいお庭だと思います。

花を切らないので、大きく育った薔薇にはその木その木で特徴のある薔薇の実、ローズヒップが紅く実っています。

 

午後は富良野演劇工場で行われる、旭川、上野ガーデンの経営者である上野砂由紀さんと風のガーデンのトップガーデナー、六条さんのトークショウを聞きます。

ドラマ「風のガーデン」は上野さんをモデルにして作られたとか。

ゴルフ場の3番ホールを利用して作られた「風のガーデン」を設計して、植物を植え込み、たくさんの客が訪れる庭園を作り上げ、自宅がある旭川では一回りに1時間半もかかる上野ガーデンを一から作り上げた上野さんは、いかにもガーデナーという雰囲気ではなく、とても小柄でかわいらしい40代半ばの女性。二人のお子さんを子育て中のお母さんと聞いて驚きました。

たまたまのことから倉本先生にガーデン作りを依頼され、作っているうちに先生の中でドラマが出来上がって行った経緯など、楽しいお話を聞きました。

 

移動に移動を重ねた本日の予定はこれで終わり。

そんなつもりではなかったのですが、たまたま富良野訪問が一緒になった倉本先生の舞台をいくつも上演されてきた静岡県磐城市の実行委員の方々からのお食事を一緒にとのお招きを受けて、厚かましくも会食の場へ。

初めてお会いする倉本先生の舞台上演を応援される実力者の方々と、舞台上演の苦労話や楽しい話をさせていただき楽しい時間を過ごしました。

最後にインプットを重ね、情報でパンパンに膨らんだ頭と心をほぐしに、野田さんお気に入りのソーズバーで、最後の時間を過ごして終了。

 

翌北海道最終日は、さらなるハードな行程になるのだそうで、いや、恐ろしい。

 

 

 

 

初秋のガーデンへ

久しぶりの呟きです。

ひょんなことからコトが動いて、北海道のガーデンに行って来ました。

これまでガーデンというのはただ一つ、宿根草や木が組み合わされてデザインされた庭がガーデンだと思っていたのだけれど、今回のガーデン行脚で、ガーデンにもいろいろあるのだと知りました。

イギリス風にきっちり木をカットして形を整えるイングリッシュガーデン、自然をそのままに残したイングリッシュガーデン、大自然を背景にした自然の森、他にも針葉樹ばかりを集めたコニファーガーデンなどなど。
共通しているのは植栽する植物が宿根草だということ。

 

私も長年宿根草の仕事はやってきたけれど、私ができるのは栽培だけ。タネを蒔いたり株分けして増やして植えたりしても、地形のデザインはできないので
植物を並列に並べた畑になるだけ。

なので地形を活かしてデザインされた宿根草のガーデンを見てみたいのですが、これが東北にはない。昔私が田舎に住んでハーブガーデンをやりたいと夢想していた頃は、いくつかあった東北のハーブガーデンもすっかり数を減らして今は見に行けるところが無くなりました。

今ガーデンを観光の目玉にしているのは北海道でその名も「ガーデン街道」
大雪ー旭川ー富良野ー十勝を結ぶ約250キロに8つのガーデンとその他にも
ガーデン街道に参加していない庭園が点在しています。

ということで行くなら北海道。まとめて見るなら「ガーデン街道」ということで、行く前に倉本先生のお芝居以来交流が続いている富良野の谷山さんに連絡したら、ガーデンに行く順番、その他のご提案を頂きました。

で、その通りに動く決意で、菊栽培以来植物栽培に目覚めた野田さんとともに
9月半ばの早朝、まだ震度7の地震災害の記憶も新しい千歳空港に降り立ちました。

観光客少ない。空港のレストラン、売店は開いてない。売店のみは今日明日には開く模様だけれど、日頃の外国人観光客が溢れる空港とはうってかわった静かさ。
どれだけ走るか分からない長距離移動に備えて、野田さんが予約してくれた車は大型で助かった。

最初に目指すのは十勝にある大森ガーデン。
新千歳からガーデンがある紋別まで途中休憩をとってほぼ4時間のロングドライブ。紋別は「なんにもない春です〜」と森新一が歌い上げる名曲「襟裳岬」の海に近い、北海道の自然の厳しさを感じる小さな町でした。

ガーデン街道に参加していない大森ガーデンは、ガーデンに植える植物の生産、販売、ガーデンデザイン施工などのお仕事を主とし、その花々が植え込まれた美しいガーデンとショップ、Cafeが楽しめるところです。経営されているのは大森社長。花の世界大会で最優秀植栽賞を受賞されています。

思いがけなくもその大森社長が谷山さんからの連絡を受けて駐車場まで出迎えてくださいました。
いや、本当に私達のようなド素人がお会いしてお話を伺えるような方ではないのです。そんな杞憂を吹き飛ばすかのように、大森社長はとても物腰が柔らかく、お優しいお人柄そのままにお話をしてくださるので、すっかり安心してしてしまい、3時間もの長い時間をガーデンやナーサリーで過ごしたのでした。

巡らして頂いたガーデンは、白樺やその他の樹木に囲まれた広大な敷地に春歌秋冬、全ての季節に植物や自然を楽しめるように奥様の手で設計されています。春は球根の花々、終わると色鮮やかな春の花々、そして夏の花、秋の始まりの今は、晩夏に咲く花々に混じって紅い木の実や金や銀、銅色や白のグラス類が彩っています。

 

 

 

十勝の大原野の中で何棟も立ち並ぶ育苗ハウス。
案内して頂きながら、北海道の自然の厳しさ、超低温の中で燃料を炊きながら苗を育てるお話を伺うと、東京から北海道に移住されて以来40年の大変なご苦労が身に沁みて偲ばれます。

今野田さんが課題として取り組んでいる温泉の熱資源の利用が低価格で農業に利用される日が来るなら、東北の農業にとって播種、育苗がどれほど楽になることだろうと夢想します。

 

詰め込むだけ詰め込んで頭も心もパンパンに膨らんだ大森ガーデン研修を終えると、既に日も落ちかけた5時過ぎ。
初めての土地で初めての海を見るのも悪くなかろう、とあてどなく海方向へ。

 

到着地は十勝港。農業王国十勝に於ける唯一の港であり、ここから農業生産物を最短距離で首都圏に運び、農産物以外を受け入れる重要港湾である、らしい。夕暮れ時だからか、行き交う車は少なく、建物も少なく、なにやら寂しい気持ちになりそうなのだけれど、北海道に更なる道路が整備され発展したら更なる重要な海への玄関口になるのでしょう。

せっかく来たのだからともちょっと足を伸ばして襟裳岬方向へ。
到着地は十勝と日高を結ぶ交通の難所336号線の黄金道路。

見晴らしが素晴らしいからの命名で黄金道路ではなくて、荒波打ち寄せる海を前方に、崖上から湧水が流れ落ちる日高連峰山塊を背に、開通までに黄金を敷き詰められるほど莫大なお金がかかったので黄金道路と呼ばれるようになった、と説明にはあったけど、それよりなによりこの道路から見る海の荒々しさ!

福岡生まれで博多湾の内海で泳いで育った私は、背中までぞくそくするようなこの海の荒々しさにすっかり恐れをなして、すぐに退散。

帯広に戻り一泊して、明日もまた、十勝平原、富良野、旭川へのガーデンのお勉強を続けます。