お盆菊栽培講習会

あ・ら・伊達な道の駅花卉部会菊生産拡大プロジェクトの
菊苗配布と菊栽培講習会第2弾。

ということで、まずは今年の盆菊用苗を、彩穂、育苗をお願いしていた花農家さんに
受け取りに南三陸へ行くことになりました。
当日はあいにくの雨。

花農家さんに苗をお願いするのは昨年に続いて今年は2度目。
なんだけれども昨年はお互い不慣れで、苗を運び出すにも車に積むにもやたら
手間取ってしまったので、今年はそんなことのないように車2台、人員4名、鋏や
ビニールテープなど準備怠りなく整えて向かいました。

菊の花の色は赤白黄色の3色。花が咲いていれば区別がつくのだけれど、小苗では
花がないので全ては緑色の葉っぱ苗。
ちょっと油断をするとごちゃ混ぜになってどれがどれだか分からなくなってしまうのです。

1時間半かかって現場到着。
ありがたいことに今年はすぐに運び出せるように準備されてました。

少なく見えるけれど、これでほぼ4000本に近い菊の苗。赤ちゃん苗です。
この小さな苗が大きくなって1本の菊の花になります。

準備して頂いていたおかげで、手際よく積み込むことができました。

積み終えるとすぐにゆっくりする間もなく、道の駅にUターン。。

道の駅では畑の準備を終えた花卉部会員が苗の到着待っています。
途中の道の駅に寄って大急ぎの昼食をとり、雨の中を一路道の駅へ。

到着するとすぐに待ち構えていた花卉部会員のみんなが、わらわらわらと寄ってきて、
それぞれのやり方で手際よく、各自の希望の本数を獲得し、車に積んであっという間に
分配、苗代支払い終了しました。
孫の病気でとりに来れない部会員の苗を自宅まで持っていったら、夕方5時をまわって
本日の作業終了。けっこう疲れた!

 

そしてその翌日は、購入した花苗の栽培講習会。
宮城県農業普及センター花担当の水戸氏と石川氏に来てもらって指導を受けます。
机の上の勉強だけでは足りないので、現場での講習を含めて講習会は毎回花栽培農家の
加代子さんのお宅と圃場をお借りして行っています。

毎回花卉部員はみんな熱心で、今回集まった講習者は10数名。
少しづつ少しづつ菊の栽培者が増えていっているのが心強いです。

水戸氏が用意してくれた栽培スケジュールに沿って、植え付けや摘心、開花時期調節、
菊の病気や害虫、薬剤のことなど頭に詰め込みながらのお勉強。
日の長さに開花が影響を受けるという特殊な性格を持つ菊は、病気をし易い、そして
虫からも好かれるという栽培には手がかかる花なのです。

机のお勉強が終ったら、次にはハウスに入って実地のお勉強。

しかしまあ、ものすごい数の幼苗! と加代子さんのハウスに来る度に
思います。
この小さな豆粒ほどの苗を1本1本黒ポットに上げて、または畑に植え付けて、肥料
を与え消毒をして3ヶ月くらいかかってようやく花は開花にこぎつけます。

花がこんなふうにしてタネ蒔きから苗になって、1本立ちして切り花やポット苗に
なるのだとは、たぶん花を買う人は想像もしてないと思うけど、、、。

 

今回講習を受けた苗は5月初めには畑に植え付けられて、今回の講習とおりの
作業を経て、8月10日前には店頭に並ぶことになっています。予定では。
あくまで予定では・・・。
暑かったり寒かったり雨が降ったり風が吹いたり、さまざまな自然の影響を受けて、
赤白黄色が一斉に開花とはいかないのが悩ましいところなんだけれど、今年も
お盆をめざしてがんばります。

どうぞお盆にはあ・ら・伊達な道の駅でお盆の花をお買い求めください。

 

 

南三陸へ

東京からフリー刺繍家であり昭和女子大名誉教授でもある天野寛子先生がみえました。

先生は大震災以来深く関って来られた陸前高田(高田の松原刺繍プロジェクト)、そして
福島以外、南三陸などは見ていないということで、先生のご所望で南三陸と石巻にお連れ
することにしました。

なかなかハードな行程なので宿泊は、大震災時、ただ1軒だけ津波を耐え抜き、避難や
捜索に重要な役割を果たした志津川のホテル観洋に泊ることにしました。
震災後1年ほど、新聞バッグを置かせてもらって何度も通ったホテル観洋。食事はしたこと
あるけど、泊るのは初めてなので楽しみで黒田さんも誘いました。

何をするにもまずはお餅つきで、お餅仕事を終えたあと、一路南三陸へ。
天野先生が南三陸で一番にやりたいことは、志津川のさんさん商店街にあるNEWS STAND
カフェSATAKEを訪れること。
SATAKEはさんさん商店街の駐車場のどまん前、一番目立つところにあるカフェで、各種
新聞、南三陸グッズ、本や絵本、お土産などが置かれています。

元々は大正12年創業の米、塩、事務機などを扱う店舗だったのだけれど、津波で店舗流出後、
廃業した新聞販売店を引き継いでカフェのある新聞屋を始められたそうです。
そのことが紹介された新聞記事を読んだ先生は即刻ご自分の刺繍画集を送られたそうで、
突然贈られたSATAKEさんは驚かれでしょうが、今回は贈った先生との初対面。

SATAKEの後は本業はワカメ養殖、大震災後は新聞バッグをたくさん作ってくれてる
歌津のけいこさんのところへ。お宅ではなく家屋流出跡地に作られた作業小屋へ。

奥の家は流失しなかったけれど、誰も住んでいないそうです。
そしてなんと、津波後7年の桜が咲いてました。
けいこさんによれば「アメリカ人が植えたんだよ~」

桜の足元には石のプレートが。植樹した人の名前が彫り込まれています。
何度も来ていたけれど、こんなプレートがあるなんて気付かなかった。

こんな桜が4本ほど育っています。こういうプレートを見ると改めて、日本の
そして世界のたくさんの人たちに支えられて今日があるのだと実感します。

たまたま訪れた日はわかめ作業の最終日。
食べきれないほどのたくさんのワカメや昆布、茎ワカメなどを頂きました。

次は高台移転で気仙沼よりの新しい家に住んでいる、むっちゃん宅へ。
むっちゃんのご主人は漁師さんではなく、元は外国航路の船員さん、船を降りた
後は菊農家。鳴子温泉の避難先で知り合ってから私たちに菊栽培を教えてくれた
師匠です。

むっちゃんから懐かしい写真を見せてもらいました。

むっちゃんたちが避難していた中山平のラドン温泉は流失した縫製工場の
方々がいる旅館で、温泉の女将さんが用意してくれた布でみんなで手縫いで
作ったお揃いのエプロンと手提げを下げた記念の一枚。
厳しい状況であったにもかかわらず、皆さん、明るい日差しの中で明るい
表情です。

「女将さんは布をくれただけじゃなくて、みんな1人1人に針箱を用意して
くれたんだよ」
写真を見ながら口にしたむっちゃんの言葉に驚きました。
布をくださったのは知っていたけれど、一人一人に針箱を作ってくださるとは
なんと心温かい方かと女将さんに感服しました。

 

むっちゃん宅を辞した後はとっぷり日暮れた海沿いの道をホテル観洋へ。
町も道も作っている途中なので、実にわかりづらくてうっかりするとすぐに迷い
そうになります。

初めて泊るホテル観洋。
津波で3階までは水が入ったそうだけれど、実にきれいで大きなホテルです。
夕食のお世話をしてくださる従業員さんは大阪出身。大震災時ボランティアに
来てそのまま結婚して住み着かれたとのこと。そういう人はたぶんいくらもいる
だろうし、その気持ちがわかるような気がします。

卓上で炊く蛸釜飯を美味しく頂き、大海原を眼前に露天風呂に浸かり、初日終了。

目覚めると、海を背にしてウミネコが挨拶に来てくれました。

 

 

 

高知の旅

高知の旅の3日目

2日の夜はみんなで楽しく食べて呑んでお開きは午前さま。
お酒を呑んで日付けが変わるまで外にいるなんてことは普段はまずないこと
なんだけれど、今回の旅はほんとうに楽しくて深夜まで外で遊んでました。

3日目の予定は、ホテルの観光案内パンフで見つけたよもぎのお餅「いりもち」
を買いたくて、四万十川に負けない清流、仁淀川が流れる仁淀川町へ。
次に仁淀川に沿うお茶の名産地池川町に寄り、最終目的地本山町に行って大切な
用を済ませた後、再び海峡を越えて伊丹へ戻るという、かなり過激なスケジュール。

本山町までは佐藤先生、咲菜、彩音ちゃんも同行してくれることになりました。

野田さんの希望で最初に坂本家のお墓へ。坂本家ご一族の墓石はあるけれど、竜馬
さんのはないらしい。京都にあるのか。

桜の花びらが舞い散る小高い場所にある坂本家の墓所。
どの墓石の前にもお花が供えられてきれいに整えられていました。

近頃では四万十川とともに清流で名高い仁淀川。
仁淀川に沿う直売所でいりもちをGET。
いっぱいの蓬と小麦粉とあんこで作った蓬ホットケーキのような蓬焼饅頭?
昔からこの地方で食べられてきた伝統のおやつでしょう。

仁淀川の町中にかかる橋の欄干から川面を見下ろしてみると、水は水底が見える
ほど透き通っていて緑がかって蒼い。
この蒼さを仁淀ブルーと言うのだそう。

 

橋を渡って旧くからのお茶の名産地、池川町を散策。
ここの茶畑は家のすぐそば。家々の前や横や道路沿いに垣根のように茶畑が連なる
というかつてみたことのない茶畑風景。
生活密着型茶畑というのか、新芽摘みの時期はどんなふうになるんだろう、と
想像したくなります。

茶作り農家のお母さんたちが立ち上げた池川茶園工房カフェで川の流れを見ながら休憩。
カフェの名物はお茶を素材にしたスイーツ類。
茶畑プリンに茶畑パフェ、その他もろもろ。

甘いものを満喫したら、今度は川原に下りて水遊び。
ほんと、この辺り、遊ぶことには事欠きません。大学の教官である佐藤先生が
学生よりも早く一番に川に入るのがおかしい。まあ、入りたくなる川ではありますが。

 

最後の目的地は本山町。
ここでは、昨年の冬に富良野で富良野の皆さんと約束した富良野演劇工場、工場長の
太田さんの生誕記念の桜の木を探します。

太田さんは50歳。
50年前に植えられた桜の木を探しは、太田さんのお父様の元部下である清水さんご夫妻
が手伝ってくださることになっています。

しかしこの本山町、かつて新聞バッグで町おこしの舞台になって頂いた小さな山間の町
ですが、実に桜の木が多い。右を見ても左を見ても満開の桜、桜、桜・・・。
誕生を祝っての植樹の木になぜ桜が選ばれたのかと不思議に思っていたのだけれど、この
桜を見て初めて納得しました。この町で生まれたのなら桜だと。

清水さんは本当に温かい方で、初めて出会うどこの誰ともわからぬ私たちを四国の水がめ
と言われる早明浦ダムに案内してくださり、お昼ご飯までご馳走になり、その後も
この町出身の作家大原富枝文学館、その代表作「えんという女」の主人公えんの父親
野中兼山像まで見せていただくという、お礼の言葉もないほどのお心遣いを頂きました。

高さ106メートルの大きな大きな四国一のダム。橋の真ん中で本山町と土佐町に
分かれています。

そして太田さんの桜は、というと見つかりました。
初めに植えられた場所が遺跡になり、ほど近い小高い場所にある小さな公演の中に
移植されていました。
桜の木が多い静かで喉かな美しい公園です。
その中で太田さんの桜は、50年の歳月を経た大きさに成長していました。
こんなに美しい公園に自分の桜があるなんでほんとうに羨ましい。

持参してきた高橋よっちゃんが書いた新しい生誕の木札は、残念ながら公園内の
ため立てられないけれど、今日の記念写真を撮ったら太田さんに送ります。

 

全ての役目を果たして、佐藤先生、咲菜、彩音ちゃんたちと夏休みの再会を約束して
別れ、伊丹に戻ります。

高知再発見!
さらに行きたいところはたくさん。
ほんとうに楽しい高知の旅でした。
清水さんにも太田さんのお父様にもお世話になりました。
心よりお礼を申し上げます。

 

 

 

高知の旅

昨日もいいお天気だったけれど、今日も快晴。

高知の町は緑がきれいです。
街路樹などの公共の木々も、ホテルの建物周りの植え込み、同じくビル、商店、
個人の家々も玄関前や通路際に木や草花を植え、枝を切り葉を揃えてきれいに
手入れが行き届いています。
通りを歩くと緑が目に入って実に気持ちがいい。心が和みます。

でも車も路面電車も一緒に狭い道路を走る街の交通環境は、なかなかハードで
他所から来たドライバーにとっては判りにくい極みの道路状況。
電車の軌道の上を走ったり、線路を渡って右折したら渡りきらない間に電車が
きちゃったり、心臓が縮むような思いも度々。
ちなみに「あんな時はどうなるの?」と聞いたら「ビーッと警笛をならされますよ!」
とのことなので聞くだに心臓が縮みます。

日本一の清流で名高い四万十川は高知市内から2時間。
今回の四万十訪問は、大震災後から新聞バッグで大変お世話になった、四万十ドラマ
の畦地社長にお会いしに行きます。

四万十ドラマ(株)では、立ち上げから10年、その始まりから本年3月31日まで運営に
携わってこられた四万十とおわ道の駅の営業を、管理指定者の変更に伴い終了され、
4月1日から新しい事業を展開されます。

そんなお忙しい時に大変申し訳ないのですが、今年から昨年よりも少し充実させて
月に1度あ・ら・伊達な道の駅で開催予定の新聞バッグ講習のご報告やら、この先の
新聞バッグ活動のお話やらをさせていただこうと畦地社長に面会をお願いをしたのでした。

畦地社長が待っていてくださったのは、道の駅に隣接する「おちゃくりカフェ」。
四万十川の流れを見下ろす素晴らしいロケーションのカフェは、四万十ドラマの経営で
この先も続きます。

カフェの自慢は栽培から加工まで綿密に携わっておられる四万十地栗を利用した洋菓子
の数々。私たちもご馳走して頂きましたが、大変美味しい。

ケーキも美味しいけれど、眺めも抜群。お茶を頂いたあとは、たまらず川原に下りて
水遊び。

おちゃくりカフェで、ほんとうに偶然にこの度四万十支店長になられた高知銀行の
岡田支店長にお会いしました。

海の手山の手は、高知銀行の岡田氏のご配慮で、たくさんの新聞バッグの注文を
沿岸部のけいこさんたちの手仕事として渡すことができたのでした。

第2のステージに向かってやる気まんまんの畦地社長とお話して、安心して高知に戻り
以前から行きたかった牧野植物園へ。

牧野植物園は高知が生んだ植物分類学の父と言われる牧野富太郎博士の業績を称えて
作られた日本有数の総合植物園。
以前から行きたい、行きたいと思っていた憧れの場所。
入ってみるとこれは大きい。これまで見たことがないほど広大な植物園で、植え込まれて
いる植物は数知れず。1日かけても見切れない植物園でした。
夕方ちょっと寄ってなんて植物園の端っこを齧っただけのような感触で、遠くに見える
巨大な温室見学を泣く泣く諦めて閉園のアナウンスが聞こえる植物園を後に桂浜へ。

見上げても顔が見えないほど丈が高い坂本竜馬の立像。
竜馬さんは太平洋を眺めてすっくと立ってます。
打ち寄せる荒々しい波音が聞こえる夕暮れ時の桂浜。

明日は仁淀川へ行きます。

 

高知の旅

高知に行ってきました。

いくつか用事を重ねての今回の旅で、同行者は野田さん。

野田さんが一緒のおかげで、通常なら新幹線で東京まで。東京から飛行機で高知まで
とするルートを、仙台空港から兵庫の伊丹空港まで飛行機で飛び、その後レンタカーで
淡路島経由で高知に入るという初めてのルートで行くことになりました。

旅好きの私はもうこれだけで、新しい土地が見られることにワクワクします。
そして独りの時はチケットをとったり宿を予約したりするわずらわしさも全て開放され、
野田さんにお任せで行けるという気楽さ。野田さん、ほんとにありがとう。

午前4時起きでお餅を作って道の駅に出荷。
同じく道の駅出荷者の野田さんは、留守する3日間分の温泉卵を出荷後、空港へ。
3日間販売する分の温泉卵制作に一晩中かかったようで、野田さん相当眠そう。

仙台からほぼ1時間10分ほどで伊丹空港着。
昔大阪に住んでいた私には、30年ぶりくらいの伊丹。
その後レンタカーで高知へ。

走り始めて間もなく、本州神戸と淡路島を結ぶ世界最長の大吊橋、明石海峡大橋を
渡ります。渡るとすぐに淡路島サービスエリアに到着。

初めて渡る明石海峡の海は凪いで波静か。

サービスエリアで客を出迎える超でっかい観覧車。
その下で一際目につくスターバックスマーク。
海を見下ろす実に立地のいいスターバックスは、お客が溢れんばかり。

淡路島SAから見る明石海峡大橋です。絶景!

サービスエリアの大きなショップに置かれている土産物は、京都、神戸、淡路島産の品々。
京都、大阪が近いせいか、外国人観光客が多い。

淡路島を走りぬけ、次は淡路島と四国徳島県を結ぶ大吊橋、大鳴門橋を渡って
ついに四国上陸。眼下の海は鳴門海峡。
ずいぶん高いところを渡っている橋なんだけれども、車の窓から見下ろす遠目でも
視界一面に渦巻く波の白い波頭が見てとれます。

明石の海はべた凪ぎだったのに、鳴門の海は波が渦巻いていて、ほんとうに不思議。

四国に入ると周囲の景色は両側から迫る山また山に一変。
広々とした平野の向こうに紫や白い山並みを見せる東北の山々とはまったく違う風景。

以外なのは常緑樹の深い緑の中に咲き進んで花色が白みがかった満開の桜が多いこと。
高度は低いけれどみっしりと樹木で覆われた四国の山は桜が多いことがわかりました。
そして次から次ぎへと現われる数えきれないほどのトンネル。短かったり、どこまで
続くのかと思うほどの長ーいトンネルをいくつもいくつもぬけて高知へ向かいます。

午後4時過ぎ、高知市に到着。
私が高知に来るのはこれで4回目。
今度は新聞バッグ関係のみではなくて、高知大学チームの佐藤先生、春休みを利用して
つい1週間前まで鳴子に滞在して、地域協働学部のフイールドワークにフル活動だった
咲菜、彩音ちゃんと、昨年の春に新聞バッグ作りに協力してくださった森先生、その他の
方々と合流することになってます。

何が始るのかな。

まずは高知特産のあらゆる食材で作った一品料理が集まり、また暇な人も暇じゃない
人もとにかく集まって、飲んだり食べたりするらしい「ひろめ市場」を見学。
というより、何かを食べてみたいので一巡、二巡、三巡・・・。まだ夕方なのに
座る椅子も見つけられない喧騒。いつも人のいない田舎にいるのでとにかく凄いわ。

立派な鰹のたたきを頂きました。多量のにんにくを使うのだ、と知りました。

夜はみなさんとの再会を祝って「ととや」で祝杯。
森先生のパートナーさんとお会いできて感激でした。

明日は四万十町へ行きます。