ROYCE’新聞バッグ週間

あっという間の一ヶ月。

またもROYCE’新聞バッグの検品発送週間がやってまいりました。

ついこの間送ったような気がするのですが。

前回のダンボールだってまだ片付かないままだよ。

DSCF1523

最初このプロジェクトが始まった頃には、扱いにくい全面ロイズ広告新聞に手こずって、なかなかきれいな新聞

バッグができなかったのですが、今では「全然自信ない」と不安そうだった石巻のHさんもMさんも上手になって

多量に作ってくれるようになりました。

何より、借り上げ被災者住宅の中で密やかに暮らされていたMさんが元気になられたのが嬉しい。

災害で暮らしや心に打撃を受けた方が元気になれるのは、慰めの言葉や支援のお金ではなく、自分で仕事を

することなんだ、と実感します。

 

一昨年の秋に、びっくり仰天しながらロイズ社の山崎社長から1万枚の新聞バッグの注文を受けて、昨年の

秋から今年の春まで「難しい、難しい」と言いながら、黒田さんが毎週の仕事の休みを利用して作り手さんの

講習をして、そしてやっと本格的製作に入ったのは初夏。

それから毎月1回、20日前後に南三陸や石巻で作った新聞バッグの回収をして、黒田さんやあやさんらで

4、5日かけて検品作業に入り、月末発送という形になりました。

 

ひと月に送れる個数は500個前後。500個づつ送って1万個となれば、2年近くお仕事をすることができます。

これまでの経験上、新聞バッグの注文はたとえ千個であろうと二千個であろうと、注文日までに仕上げてしまうので

お金にはなるけれど、その仕事をすることで人の心に変化をもたらすような時間はそこにはないのです。でも長い

時間をかけてひとつの仕事をし続けると、人は少しづつ変わってくる。

そういう意味でロイズの山崎社長から頂いた1万枚の新聞バッグのご注文は、稀有なお仕事であったと今私は  感謝しています。

 

きのうの朝、道の駅でY営業部長とそんな話をしていたら、向こうのほうから近づいて来られる見覚えのある笑顔。

わあ、なんとよりにもよってロイズ社の山崎社長と担当の部長さん方。

昨日からみえていたのは知っていたけれど、もうお帰りになった、と思ってました。

「何枚くらいできたの?」

社長の質問に、私よりもO部長が先に「2千数百枚」と返事をされました。

「まだあと7千枚か」と笑顔を見せられた山崎社長のお気持ちに報いるべく、今日も海山女子部、検品がんばります。

 

大根とサトイモをどっさりもらったので、作業のおやつに大根の炒め煮を。

ビフォアー

DSCF1514

アフター

DSCF1521

明日のおやつはお汁粉の予定。

明日までがんばれ。それにしても寒ーーい!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

車が壊れた

北海道は時ならぬ大雪だとか。

ここも今日は寒いです。ついにダウンジャケットを出しました。

今夜は雨だとか雪だとかの予報で、降らないうちに燃えない粗大ゴミを捨てようと、早朝車で出たらなんと

途中まで行ってエンジンが止まった。ハンドルの上の警告ボタンが全部というくらいにいっせいについて何がなんだ

かわからんけれど兎に角うんともすんともなくて動きません。

無理やりボタンを押しまくるとまたかかるんだけれど、ほんの4、5メーター進むとまた止まるの繰り返し。路上に

いたくないので5メートル行っては止り、また進み5メートルと進んでやっとの思いで、家にたどりつきました。

が、なんなの?  こんな壊れ方って。全てがいっせいに動かない故障ってなに?

全部電気なので、バッテリー?とかベルト?とか昔考えたような故障の原因を想像するよすがもなくて、車屋さんに

電話してただ待つのみ。なんだか便利なのか不便なのかさっぱりわからんのですよ。

ただ100パーセント動かないのは確実なので、今日明日車がないのは確か。

前の車は20万キロ走ってなんてこともなかったんだけど、新しいモデルのホンダに乗ったらパンクはするわ、動かな

くなるわでほんと困る。

 

 

昨日24日は「屋根」公演のご紹介に隣町栗原市の佐藤製剤材所を訪ねました。

栗原町は大震災の2、3年前に内陸地震があった岩出山よりもう少し北にある栗駒山の麓の町。森や林が多い、た

ぶん雪も多い農業の町です。佐藤さんのお宅を訪問するのは初めて。倉本先生の「屋根」を岩出山で公演するに

あたり、岩出山だけではなくごく近くにある栗原の方々にも見て頂きたくで、「屋根」のご紹介に佐藤さんをお訪ね

することにしたのです。

私と同じ歳、太平洋戦争が始まった年に生まれた佐藤さんのお母様がおられて感動。この歳になると、大事があっ

た年に一緒に生まれた同級生だよ、というだけでも嬉しいのです。

製材所のご当主の佐藤さん、東京から嫁いでこられた奥様、そして生まれて2ヶ月の赤ちゃん、栢君にお会いするこ

とができました。栢くんのお顔は仏さまみたいです。

 

「屋根」のお話をした後、以前からFBで見かけていた佐藤さんの書が好きで、「できたら先生をご紹介願えません

か」とお願いしていたその先生のところに連れて行って頂けることになりました。

佐藤さんのお宅から15分くらいだとのこと。国道4号から近くで便利は良いところなのだが、奥まった山の中の

1軒屋なのでわかりにくいこと。

と説明を聞いて、佐藤さんの車の後ろについて走ること20分ほど。先生のお宅に向かうらしい公道からの曲がり

道に到着。辺りはたわわに林檎が実る林檎畑。そこからずんずんずんずん細い農道を入って行きながら、あまりの

奥まり方に笑いがこみ上げてきました。こんなところに住むのは地の人ではなくてたぶん移住者でしょう。

農道からさらに曲がって崖に沿う車1台くらいの細道をしばらく進んで、先生の工房に到着しました。

 

みどり先生は白い髪が美しい70代年配の奥様。縄文土器の研究者でいらっしゃるご主人と一緒に、この工房で

書道と縄文土器を教えておられるそうです。

先生が私とあまり変わらない年齢でいらっしゃることになんとはない安堵を感じて、これから私にどれだけの時間

があるかは分らないんだけれど、お習字を習ってみようと思います。

字が上手になりたいのではなくて、姿勢を正して息を詰め、筆で一気に文字を書くというあの瞬間を取り戻して

味わいたい。それだけの思いです。

いつからでもいいですよ。1月に3回やってますからすぐにでも、と言われたけれど、でもあの道と雪がねえ。

「除雪車が入るから大丈夫」とのことだけれど、私の稚拙な運転で道から外れて下に転がり落ちるということも

ありそうで・・・。

決心まで時間かかりそう~。

 

みどり先生に国道4号まで送ってもらって、8時ころ無事に帰ってきました。何にも問題はありませんでした。

なのに、私の車は何故に朝になって動かないんだろう? 首ひねるわ。

 

 

 

 

 

 

 

11月最後の連休

 

金曜日は、ロイズ新聞バッグを回収に石巻、南三陸へ。

道の駅での出荷を終えてから、新聞紙や糊など今日届けるものを車に積み込み、お昼前に黒田さんと一緒に

出発。まず石巻へ。

目指すは渡波の加納さん宅。加納さんは新聞バッグの折り手さんでもあるけれど、 綿を紡いで糸をとり、染め、機

を織って布にして仕立てる、というのが今のお仕事。加納さんのところに行くと、いつも織り上がった繊細で色が美し

いショールや服などを見せてもらえるのが黒田さんも私も楽しみなのです。

古川、薔薇島経由で石巻に入るまでは順調。その後は道路が混む、というのも何時もどおり。

 

1時間半で、慶長使節船サン・ファン・バウティスタ号が繋留されているサンファン館の近く、大震災の被害甚大だっ

た水産高校の近くの加納さん宅に到着。最初の頃少なかった家屋がずいぶん建って住宅地らしくなりました。

通りを走っていて不思議に思うのは、海の方向にはバラバラの松林が見えてその向こうは海のようなんだけれど、

ここは志津川や陸前高田とは違って、津波被災の跡地に家を建ててもよいらしいこと。被災地に於ける住宅建築

にも場所が変わればいろいろ事情も変わるらしいことが読み取れます。

 

 

1時間半で加納さん宅に到着。

いかにも女の人の仕事場らしい加納さんの工房。

糸の紡ぎ方もいろんな方法があり、染め方もいろんな方法があって、布を作るという仕事の奥深さがこの仕事場を

見たり加納さんと話していると感じられてわくわくします。

DSCF1510

加納さんのご主人がずっしり重いパンを焼いてくださってました。

布や糸や織りの話に夢中になって、肝心の自分の用事のほうはすっかり忘れて時間を過ごし、ご主人が手がけら

れた立派な三浦大根とみずみずしい人参を頂いて辞去。

 

3時を過ぎて大慌てで南三陸へ。45号線を走って南三陸へ行くのは大震災後以来。その時は大崩落した山の土砂

が北上川まで雪崩落ちた現場に阻まれて1時間ほども走った道を泣く泣く引き返した苦い思い出がありますが、今

日見てみるとその山はものすごい砕石の山。あの地震では落ちても当然というような現場だけれど、あれだけの

土砂をよく取り除いたものだと感心します。

 

薄暗くなってけい子さんちに到着。暗くなって歌津に入ると似たようなリアス式の海と山が入れ混じるうねうね道で

迷いそうになります。そしてけい子さんちの周囲も新しい家ができて新しい道ができて迷いそうになる。

大急ぎでお茶っこ飲ませてもらって車いっぱい300数十枚のロイズ新聞バッグを積み込んで帰路へ。

今回もお土産にとでっかい鰤を頂戴しました。新聞紙にくるんで胸に抱いてきた鰤。みんなが食べるために

獲られた鰤のために丁重に捌かせてもらいます。あーー、出刃がほしい。

 

さすがに石巻と南三陸の両方に1日で行ったらへとへとで、何する気力もなくお餅仕事だけこなして本日は終了。

 

 

 

 

 

 

 

誕生日の日に。

本日は私の誕生日。

この1週間に私の周囲の誕生日が集中していて、17日が道の駅のMちゃん、Nちゃん、18日が私の孫の

いっちゃん、19日が私、20日が娘、親しい友だち2人も11月生まれで蠍座団体みたい。

「おめでとう」と声をかけてくださった皆さま、ありがとうございます。

若い頃、いや中年になってからも、自分はなんとか死ぬまで自分の力で生き延びられるんだろうか、

野たれ死にでもするんじゃないか、と不安に思ったりしてたけれど、74歳まできて、やっとまあこのまま

なんとか繋げられそうだと思えるようになりました。一生は長い、そして短い。いつどう転ぶかわからないから

ハラハラもんだわ。

 

もう11月も半ば過ぎたというのに暖かい。

15年前にここに越してきた頃の気温とは全然違う。都会で暮らしていたらこんな気候とか気温の変化には

気づかないだろうけど、ここにいて15年前を思い出すと自然の急激な変化がよくわかります。

陽射しも強く暖かいので、今しかない、とデッキを洗いました。

木材にうっすらと被さった青いコケを金属タワシで擦り落したり、高圧洗浄機で洗い流したりして、2時間ほどで

作業終了。こんなにきれいになりました。

DSCF1503

森の中に住みながら、自分でメインテナンスをしたことがないのだけれど、せっかくきれいにしたのだからこの後

はペンキ塗りに挑戦してみたいと思っています。次の晴れて暖かい日に。あんまりのんびりしていると磨いた

とこらから木が傷むから気を緩めないようにしよう。

 

夜は6時半から道の駅で出荷組合理事会。

直売所を管理運営してくれている㈱道の駅と出荷組合の理事とが、今年のこれまで起こったこと、終わった事業、こ

の先の計画などなど、時間をかけて振り返ったり提案をしたりして話し合う重要な会議です。

もう11月の3分の2。あっという間に1年が過ぎ、もう来年の事業を考える時期。大震災から4年半余りが経ち、寄って

くださるお客様が増えて賑わいが戻ったのはほんとに有難いことです。

9時半終了。それから家に帰ってご飯を食べてお餅つき。へろへろで1日が終了。

 

明日、20日は新聞紙を運び、できあがった新聞バッグを回収するために石巻、南三陸に向かいます。

運転は黒田さんと半々。黒田さんは明日冬タイヤに替えるんですって。

主要道路では防雪柵設置工事が着々と進み、積雪を知らせる赤白だんだら棒が立ち始めました。

いよいよ冬が来ます。私は明後日タイヤを替えよう。雪が来るまえに。

 

 

 

 

 

 

 

 

彼女の生き方

昨夜鳴子在住の友人Nさんから久しぶりに電話をもらいました。

 

ずいぶんご無沙汰で、私もNさん、近頃どうしているかな~と思っていたので、以心伝心。病気したのかな?

終に一人暮しを終わらせて息子さんのところへ引越しの知らせかな?と一瞬思ったのですが、病気は当たってた

けど、引越しではなくて家を売る話でした。

 

彼女の一人暮しの家のお庭の藤は花の時期、たいそう見事らしくて、何度も何度も「見においで」と誘われた

のだけど、時間が合わなかったり、途中で迷子になって行き着かなかったりで未だいかず終い。

見ないまま売られてしまうのも残念なので、訪ねることにしました。

 

彼女は私と同じ首都圏から来た移住者で、私は千葉、彼女は埼玉。那邪というアート喫茶をやってたそうです。

ご主人と愛犬2匹とともにこの地に来たのだけれど、ご主人と犬2匹は他界。15年前に私が初めて彼女と会った

時は既にひとりになって、迷い込んできた犬や猫を大切にして一緒に暮らしてました。

 

大変にお洒落で活動的な女性で、私が出会った時は釜神さまを彫ってました。

釜神さまというのは、この辺りでは普通に民家の台所の鴨居などで見る真っ黒の鬼のような顔を大きな男面。

歳をとって釜神様彫りもしんどくなってきたのか、やめて、それからは週に一度山形県の最上の温水プールまで

通って水泳。それに詩吟に英語にと日々忙しそうでした。ごくたまにばったり道の駅で出会ってお茶などしてました。

 

が、ついに70代も終わって現在81歳。

病気になったのは仕方がないこととして、これでお終いと面倒みていた犬も死んだので、19年間住んだ家を売って

息子がいる仙台辺りに出ようかと思って。

「ここに最後まで住みたいけれど、一人で死んでたりしたら子供に迷惑かけるでしょう?」

その気持ち私もよくわかる。

お互い、今までの人生で溜め込んだ荷物を片付ける時期なのです。

 

「よーし、片付けよう。私も手伝うから。もらえるものもらおう」

と出かけて行った彼女の家は素晴らしかった。

 

道の駅からほぼ15分。10年以上道の駅に通って、道の駅と鳴子温泉の間にこんなところがあるとは知らなかった

けれど、ロケーションとしては昔の開拓の村。時の経過で人が住まない朽ちた家屋も見かけますが、牧場と

牧草地が点在する中に彼女の家はありました。

 

陽射しを浴びた彼女自慢の藤棚。

DSCF1483。時が経って

藤棚の向こうには広がる牧草地。

DSCF1487

400坪はあるお庭には朴や背の高いマロニエなどの木々が枝を伸ばし、花が咲く時期はどんなに美しいだろう

と想像力がかきたてられます。

DSCF1489

立派な犬小屋にりっぱな猫小屋。81歳の今、彼女の足になっているのは三菱パジェロ。

ついこの間スピードオーバーで捕まった。「税金10万円だって」

10万だって。どこで何キロ出してたんでしょうね。

 

頭はしっかりしてます。認知症じゃないからね。

しかし、彼女の家をみて、彼女がお昼にと作ってくれたカレーを食べて、たくさん話して、本当に心から感心しました。

81歳という年齢までこの大きな家で一人で暮して、出会った動物たちの面倒も最後まで看て、水泳をして食べ物

を作って健康に留意し、詩吟や英語を学びながら遊びながら生活のバランスをしっかりと保ち、そしてこれ以上は

「周りに迷惑をかけるからそろそろこのへんで」とこれまでの暮らし方に幕を下ろす彼女の生き方。

 

家が売れたら、ご飯茶碗と湯のみを持って彼女はここを去るそうです。

そして今ある情熱は、彼女最後の恋であるオペラ歌手の今井俊介氏のオッカケで締めるそうで、[大阪までオッカケ

るのよ~」と張り切ってました。

 

さて、彼女の家。私がほしいーー。

私がもうちょっと(たくさん)若かったら、蕎麦屋?喫茶レストラン?イギリスにあるようなB&B?

なんでもできるよ、彼女の家では。ああ、想像しただけでわくわくするけど、ダメだ。歳を取りすぎました!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

秋のイベントのお知らせ

たまたまのことからご縁ができてメンバーに加わることになった、ここ岩出山からちょっと離れた美里町で活動中

の「ものづくりネットワーク」の2ヶ月に1度の例会に出席してきました。

会場はいつもどおり小牛田の南部屋敷。例会の動かし方は大体決まっていて、事務局役の初子先生がこの2ヶ月

の活動の報告とこれからの事業日程を報告し、残りの時間で各自情報を出し合うというもの。

美里町は距離的にちょっと遠いからいずれ消滅(海山との関係は)消滅するだろうと思っていたのだけれど、どうして

どうしてだんだんメンバーが充実してきて、実のある活動団体になってきていることを感じます。

 

リーダー役は東松島でお米を加工した製品を販売する会社を経営なさっている赤坂氏。

お米を育てていた東松島の広大な田が津波で被害を受け、塩害の田に綿を植えてコットンプロジェクトを開始。

次いで持ち山を崩して広大なラベンダーの圃場を作り、数万本のラベンダーを植えて収穫をするという計画

を着々と進行中。

リーダー以下のメンバーは退職された学校の先生方で、

老人施設を新設された元校長先生。老人施設経営のまりちゃん先生。ラベンダー製品開発中の初子先生。

あと袋ものを作るメンバーに、津波被災で機織機だけが水没から免れて以来本気で「織りや」を始めた石巻の

チカコさん。自作の酵母菌でパンを焼く元漁師の「織りや」さんのご主人。海山メンバーでもあるチカコさん制作の

新聞バッグに織りの小物やパンを入れて販売しています。

プロなみに唄がうまい紫蘇ドレッシング屋さんの粟野君。美里町の将来を恃む若き希望の星です。

そしてとてもとても心優しい詩画家でイラストレーターでもあるヒロさん。

 

ヒロさんが描かれる絵や詩は一度目にしたら蝋燭のように心に灯って忘れられない優しさに満ちています。

羅漢さんやヒロさんの心の中から生まれた陶器のお人形もあるのです。大事な時なのにカメラを忘れてスマホで

写真を撮ったのだけれど、どうしてもブログまで持ってこられなくて諦めました。

パソコンオンチだからどうしようもない。載せられなくて残念。

 

なのでヒロさんが出された本のみご紹介。カレンダーも素敵です。

DSCF1457

おむすびの詩は2011年の5月に出版されています。

きっと身体中の泪を溢れさせながらあとがきを書かれたのだと思います。

 

詩画家ヒロさんの原画展は12月15日~27日まで、美里町近代文学館2Fで。

東北コットンプロジェクトの綿つみ収穫祭は11月22日(日)10時~4時、東松島のイーストファームみやぎコットン栽培所で。

そして「てづくりネットみやぎ」展示、販売会は、11月27日~29日10時~16時、JR小牛田駅美里町物産観光総合 案内所

で開催します。

コットン製品、ヒロさんの詩画集や陶器人形、ばら染めのストールやばら型せっけん、大葉ドレッシングに大葉ジェノ

ベーゼ、ラベンダー製品に新聞バッグ、端布の手提げ袋や織り屋の洋服や布の小物等々販売しますので

どづぞお越しください。  お待ちしてまーす!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

山登り

寒くなってきた。

洗濯物を干しにデッキに出るのも、外の倉庫にある保冷庫の餅米をとりに行くのも、延ばし延ばしして

やっと出る、という始末。我ながら情けないと思えど、九州育ちの私にとって東北の冬は何回迎えても

やっぱり寒いのです。

紅葉のピークは過ぎ、催事も終わったので、今日からは今の緊急課題「屋根」のチケット売りに専念。

 

本日はチケットを持って鳴子温泉へ。

紅く染まった鳴子の山々があまりにきれいなので、途中で車を停めてパチリと1枚。

DSCF1451

DSCF1454

鳴子温泉では駅前通りの喫茶「たまごや」さんにチラシ、チケットともに置かせて頂いています。

チケットご購入の際には是非お立ち寄りください。合わせておいしいコーヒーや店主手作りのケーキもどうぞ!

チラシのみは駅舎内の観光案内所にもあります。

 

そして私はここたまご屋さんで、チケットを預かってくれるヨシコさんと待ち合わせ。

ヨシコさんは東鳴子在住の元旅館の女将さんで、今はピアノや合唱の先生。年齢は私と同じ74歳なんだけれども

とても元気で活動的。4年前海山が新聞バッグを作る活動を始めた頃から、ずいぶん応援してくださってたくさん

新聞バッグを買って頂きました。その使い方もずいぶんエキセントリックで、きっちり着こなした和服に英字の

新聞バッグを持ち歩くのはヨシコさんくらいしか知りません。一度は喪服に新聞バッグをぶら下げた姿を見かけて

驚いたことがあったなあ。

 

そして今日も来るなり会うなり開口一番

「私、立山連峰縦走してきたわよー!」

えーーーーっ!!

私、ほんとうに驚いた。すごいびっくりした顔してたかもしれない。日頃から春、夏、秋、それに冬まで寒さや雪や

氷にめげず山に登っていることは知っているけれど、74歳で富山まで行って室堂から標高差900メーター近くを

登って縦走してきたなんて、誉めていいのか諌めていいのかどっちだ?

いやあ、凄い。でも立山止まりくらいにしておかなければ、それ以上、北アルプスの鑓、穂高なんて挑戦したら

いつか事故起こして恐ろしいことになるかもしれないから「もうそこまでだ、それ以上はダメだー」と言ったら、「わかっ

てる」と答えてくれて安心しました。いやだいやだいやだ、年寄りの山の事故は。

 

45歳くらいから60歳前のここ岩出山に移住してくるまで、ほぼ東北の山を中心にして山に登ってました。

会津や福島、東北の山はほとんど登った。尾瀬は数えきれないほど行ったし、尾瀬を中心とする山々もほとんど

登りました。この小さな身体で頭の上まであるザックを背負って、飯豊縦走、新潟の中岳、兎岳など縦走して、

雪渓やお花畑を見ながら歩く稜線歩きの楽しさ、あっと言う間に道を見失う恐ろしさなどを充分知りました。

でも総体的に言うと、山の上にいるのは大変に楽しい。3、4日縦走していると下界の雑事から心は遠く離れて

下りたくなくなる。山の水飲んで、そこらへんにあるものを食べて生きていけるような気になる。

 

そして今、鳴子の山々や栗駒山の近くに住み着いて15年、山には全然行かなくなりました。

何故か。

歳をとって登るのがしんどくなったというのもあるけれど、熊が怖い。

首都圏から延々車に乗って山に登りに来ている時には熊の実感がなかったのだけれど、ここに来て日々、熊は

ここにもあそこにもいつだっているんだよー、と知ったら、今にも出会いそうで怖くなってしまいました。

でもヨシコさんによれば1匹の熊だったら話して聞かせれば大丈夫だと。子連れは説得できないから逃げるしか

ないと。

ああ、話しているうちに山に行きたくなってきました。

歩けるかなあ。たぶん歩くのは大丈夫なんだろうけれど速度が問題。

考えて見よう~。かむろ岳はいいよー、行こう、行こうと誘ってくれるのですけどね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新聞バッグ、福島の手。

道の駅でのお餅の出荷を終えた後、今日も仙台市泉のセルバ(おしゃれなお店がいっぱい入ったビル)での田舎郡

東北村の催事に参加するべく泉へ。人を待たせているので今日は東北自動車道で。

最寄の古川インターから泉ETC出口までゆっくり走っても20分強で着きます。

11月も半ば近いというのに、温度が高いからか紅葉が散らずに残っていて、流れ行く窓外の森や林の景色は朱色

が混じった薄い琥珀色、朱色、黄色、取り混ぜてとても綺麗。

 

昨日の店番&ワークショップ担当は南相馬から自主避難して来ているあやさん、今日の店番&ワークショップ担当は

四万十から来てくれた黒田さん。私はお話&おしゃべり係?(つまり役立たず)

今日会場で私を待っていてくださるのは、福島から小さい子供さんたちを連れて仙台に避難中の若いお母さんグ

ループ「福ガール」さんなので、2日連続はちょっときついけれど、是非お会いしたいと出かけてきました。

 

福島のお母さんと私の間をコーディネートしてくれているのは、南相馬からお子さんと一緒に仙台に自主避難中の

アベさん。既に団体を起こして仙台と福島を結んで活動中のアベさんとは、以前に仙台の男女共同参画財団が

企画した「気持ちを繋ぐバスの旅」で福島にご一緒し、その時に新聞バッグのお話をしました。

 

福島へ行った時のことはブログに書きかけて書けなくなり、そのままになってしまってますが、線量系が設置された

バスで福島県をぐるりと見て回った時の感想は、

まず汚染された土地の広さに衝撃を受けました。これは福島県の何割だろう? と思った。どれだけの人が住んで

いてどれだけの人が居られなくなったんだろう、と思った。帰還準備区域として昼間は帰還OK。夜の宿泊は不可、と

いう区域にも入らせてもらったけれど、全然人がいない。広々とした道路を往来するのは車のみ。人の姿は作業着

マスクをつけた除染の方々だけ。マスクもない無防備な姿で通りを歩いているのは私たちだけ、という状況。

DSCF1150

四方、どちらを見ても人っ子一人いない道路。

車で通りかかったおじさんが、道の途中で車を停めてしまって車から「どこからきたのーー?」

「仙台ですー」と答えたら

「私も仙台にいたんだよー」

話始めてなかなか車を動かさないおじさん。私だってこの状況だったら、向こうから来る知らない人にだって

「こんにちわ」と声をかけるわ。

DSCF1152

そして人家の庭であれ、空き地であれ、元田んぼ畑であれ、至るところに山積みにされた除染土が入った

フレコンバッグ。DSCF1145

DSCF1158DSCF1177DSCF1168

福島を実際に見るまでは判らなかったけれど、この原発の爆発は、地球の自然を壊し、人の生活を壊し、人の家庭

を壊し、人の心まで壊してしまった人が起こした災害。なんと罪深いことか。原発の再稼動を進めたい人はみな、

福島の被災地を自分の目で見てから考えてほしい。

 

話を元に戻して、今日お会いした福ガールのMさんとNさんは本当に小さいお子さんをお持ちの若いお母さん。

新聞バッグを作ってみたいということなので、子育てと並行しながらできる方法を模索しながらゆっくりゆっくり進めて

ゆきたい、と思います。

縁は異なもので、思いがけない時に思いがけないことが起こります。

初めて仙台のセルバで顔を合わせたあやさんとアベさん。どちらも南相馬からというのも偶然ですが、なんとあや

さんのお姉さんとアベさんは、同級生。アベさんの娘さんとあやさんの息子は南相馬の学校で同級生だったことが

判りました。

これから何が出てくるのか楽しみ。海の手山の手福島の手、一緒に新聞バッグを作れたらいいなあ、と思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

[屋根]広報第1回目

久しぶりに雨。それもなかなか本格的どしゃぶりの中、さきほど(夜10時)仙台から帰着。

ここんとこ連チャンでいろいろ行事が重なってくたびれた!

 

11月6日は、先日第三回富良野GROUP実行委員会で決めた倉本聰先生の舞台公演の広報を、私たちの仕事の

本拠地あ・ら・伊達な道の駅で実行。

朝お餅の出荷を終えて、道の駅ホールまで行ったら、実行委員長よっちゃん以下遠藤社長を含めて当日参加者

5名、全員の「北の国から」の黒板五郎の作業着姿を目の当たりにして、判ってはいたもののやはりオカシー。

笑えてきます。

まずは営業部長のユミ五郎はホールの外まで出てお客様に宣伝中。

DSCF1445

遠藤社長ゴロー以下よっちゃんゴロー、たまご屋ゆうじゴロー、出荷組合農産部長阿部ゴローによっちゃん夫人

みっちゃんはチケット入れ封筒製作中。なんでもかでも手作り。手作りにひとつひとつ意味があり、手抜きは

しない、というのが私たち共通の思い。

DSCF1442

この間記事を書いてくれた大崎タイムズの記者さんもみえていて、取材後にみんなの写真を撮ってくれました。

DSCF1447

もうちょっとお客さんがいる日がよかったな。

 

7日、明日は「移住者の話を聞く会」に出ます。

夫の退職後に岩出山に来てから15年。ほんとに速いもんです。

明日は大崎に一人でも人が増えるように聞かれたことにしっかり答えてきましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

有備館&城跡公園

今年(2015年)の秋の特徴は、

紅葉の時期、毎日お天気が良い。おかげで道の駅のお客様が多い。お天気の良さは今日も続いていて、お客様

も多いけど自分も浮かれていて、高い青い空と辺りの紅葉の光景を見るとフラフラフラフラ散歩に出かけたくなる。

栗は例年になく豊作だったけれど、柿も大豊作。

道の駅直売所は柿だらけ。家々の軒下も軒並みたくさんの干し柿がぶら下がっています。柿の吊るし方もいろいろ

あって、今朝由美さんが昔は剥いた柿をそのまま細い竹に串刺しにして竹に紐をつけて何段にも吊るしたんだよ、

と教えてくれました。

そして海山は忙しかった。毎月ロイズ新聞バッグを送るという仕事はあるけれど、その他に「屋根」公演の実行委員

会立ち上げとか「海山マーケット」とかイベントがいろいろあってけっこうバタバタしました。

 

でもやっぱり忙しくても綺麗なところは見たい。ということで今が紅葉の見ごろという「有備館」へ。

大震災で潰れてやっと新装なった有備館ですが、まだ無料で開館中。お庭はタダで見られる。

私が有備館で好きなのは木。1715年に作庭された時に植樹されたという樹齢300年を越す木々は、電柱の

ように太くてがっしりしていて池の中まで自由奔放に枝を伸ばした姿は見惚れます。

 

樹齢300年の山桜

DSCF1429

樹齢300年の百日紅

DSCF1421

睡蓮の池には青いあやめのような花が・・。秋に咲くの?

DSCF1424

DSCF1426

昔の姿を取り戻した日本最古の学問所、有備館。

DSCF1428

大震災後は訪れる人もなくて、お腹を空かしていた池の鯉は、今ではいっぱい餌をもらうからかでっかい鯉が

うようよ。水面の下の暗がりでは小さな鯉がハヤテのように動いています。DSCF1417

せっかくだから今日が紅葉見物の最後と岩出山の城址公園へ移動。

ここはイロハモミジが多いところだけれど、残念、モミジは終わってました。

岩出山城は仙台青葉城へ移る前の若き日の伊達政宗が17年間住んだ居城で、羽後街道と北羽前街道が

交差する要衝の山城。城跡に登ると江合川と元玉造郡岩出山町の街並みが四方ぐるりと眺められて、

「いいところに作ったもんだなあ」と感心します。

DSCF1433

DSCF1432

城跡を下った後は、町の花山太衛門さんで揚げまんじゅうを食べ、甘酒と豆乳紅茶を頂いて、今日の紅葉見物は

終了。

明日は孫のピアノレッスン、その後道の駅でお客様に「屋根」公演の広報をやります。その後終末は仙台市泉の

セルバで東北村イベントに参加。なるべくなら良いお天気が続きますように・・・。