嬉しいことふたつ。

昨日口の永良部島で大噴火があったかと思うと、今朝は洗面所にいるときにヴィヴィヴィと地震速報。

どこだ?近くか、と急ぎテレビの前に戻ると奄美大島だった。たいして大きくはなかったけれど、なんか不気味。

ニュースといえば、近頃は刺した、とか切ったとかの事件の多いこと! 女の人が突如刺すというのはあまりないけ

ど、男が通りすがりにムシャクシャしたからそこら辺の人を切った、なんて事件を読む度に、なんか世の中全体が

ヒステリックだなあ、と感じます。

そして夜になったら、今度はでっかい地震。小笠原で震度5強というから(5強は壊れるわ。経験から言うと)、

被害がないことを祈りたい。

とにかく人の世界も自然世界も騒然として感じられます。

 

でもここでは泰然自若として毎年何万羽もの白い鳥が止ったように花をつける1本の木。

樹齢百年なのか百五十年なのか、ご主人がものごころついた時からあった、と言われるお隣りのヤマボウシです。

毎年変わらず白い十文字型の花をつけますが、今年はあたり年のようでお見事!

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庭ではもうサヨナラね、と別れを告げてよっちゃんのお父さんに伐ってもらったスモークツリーが、全く平気の様相で

伐り株から芽を出しぐんぐん枝を伸ばしています。もう・・・・・・・。

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嬉しいことがありました。

私が大好きな天野寛子先生のフリー刺繍がニューヨークへ行くことになった、と先生から連絡を頂きました。

ほら、やっぱり!私が言ったとおりだった。

天野先生と初めてお目にかかったのは、筑波大学の農村に関する学会で東北の移住者としての発表を請われて

うかがった時。つくばから北千住までの帰りの電車が一緒になってお話をし、本当は大学の先生且つ研究者で

いらっしゃるんだけれど、別にフリー刺繍家として作品をお持ちになっている、と伺いました。

送って頂いた「繋ぐ」天野寛子フリー刺繍画集を見た時は、あまりの素晴らしさに衝撃を受けました。

刺繍のテーマは311。ロシアには一度持って行ったということでしたが、私は日本よりも外国で見てもらいたいなあ

とその時強く思いました。新聞バッグと一緒にニューヨークがいいよ、などと言っていたのですが・・・・。

あれから3年の時が経って、先生の刺繍画はお知り合いの画家のニューヨークの個展に一緒に同行するそうです。

あの刺繍、あの鮮やかな糸の色合いは是非ニューヨーカーに見てほしい。評価はいかに?ほんと楽しみ。

 

もうひとつの嬉しいこと。

一年坊主の孫が初めて作文を書きました。

隣町の幼稚園に行っている時に、年長さんのすみれ組で字は読めるけど、まったく一文字も書けない子は孫一人

だったのです。気にする娘に先生もバーチャン(私)も大丈夫だと言っていたけど、1年生になってどうなるのかと

実は不安はありました。彼はサウスポー。右手で鉛筆を握るとふにゃふにゃの線しか引けないので、書くことには

消極的でした。ところがところが、まだ学校には2ヶ月も行ってないのに、右手でノート2ページに亘って、しっかりと

作文が書かれてました。学校ってすごいね。

一文字も違わず、しっかりと書いてる。それも状況から感想まで。驚いた。感動しました。子供って凄いね!

 

雨の音がします。

毎日毎日晴れ続きで、5月だというのにほんとに暑い!

恵みの音だけれど、きっと夜少しだけ降って明日もカンカン照りなのでしょう。

今夜は遠いどこかで大きな地震や噴火がありませんように・・・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ロイズ新聞バッグ記念日

5月26日・・・・今日を・ロイズ新聞バッグ第一弾発送記念日とします。

 

「10000個!?」

昨年の夏の終わり、あ・ら・伊達な道の駅で㈱ロイズコンフェクトの山崎社長じきじきにその法外な数量の

新聞バッグの注文を頂いてから半年。

さまざまなできごとを乗り越えながら、遂に第一回目の発送にこぎ着けました。

一万個と聞いて度肝をぬかれ、言葉を失った私の横で「受けさせていただきます」と堂々と大声で答えた

のはよっちゃん海山営業部長。

 

しかしながらその新聞バッグは難しかった!

表側はロイズチョコレートのオリジナル全面広告新聞紙、内側は私たちが普段使う英字新聞紙の5枚重ねで、

これまで作ったことがないデザインです。提示されたチョコレートが入る寸法のサンプル新聞バッグを数種作って

送り、選んでもらうという作業から始まりました。

デザインが決まった後に黒田さんの作り手さんへの講習開始。作り手さんはこれまでの南三陸部隊に加えて

石巻の方が加わりました。黒田さんの熱心な講習のおかげで石巻部隊にも実力がついて約束の数量が

できあがったところで、本日は検品、及びロイズさんの要請で新聞バッグを海山チラシと共に一枚一枚セロハン袋

に入れる作業。

 

新聞バッグは作っていないけれど、石巻のためにやってもらっている仕事だからと、このところ立て続けに女川

から手伝いに来てくれるSさん。今日はお弁当にお茶持参の態勢でほんとうに有難いです。

もうひとり、石巻で被災して今はY町に仮リ住まいのHさんは初参加。6月のアースデイみやぎにも参加してくださる

そうで心強いです。

そして午後2時、仕事を終えてやってきました強力メンバーあやさん。

黒田さんも加えてこれだけのメンバーでがんばりました。

毎回のことですが、袋入れよりも検品にうんと神経を使い手間もかかります。

最後はいつもどおり押せ押せで午後6時発送作業完了!

 

いざヤマト運輸へ!

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やったぜィ!

海の手山の手最強の二人。 ご苦労さまでした~~!!!

 

 

簡単なようだけど、疲れたあ~~。いや、ほんと草臥れた。ずいぶん緊張してたみたいです。

帰ってソファーにごろ寝していたら、なんと目覚めたのが午前1時。えーーっ、お餅も搗いてない。

ロイズ新聞バッグ記念日の夜は午前2時のお餅つきという可笑しくも不気味に過ぎてゆきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

運動会

5月24日

運動会。孫が入学した小学校の運動会と学校のすぐ下にある保育園の運動会と地区運動会の合同運動会。

私、こういう全部一緒の運動会というのは初めてなので、なんとも興味深々です。

 

朝6時。都会ではもう鳴らせちゃいけないらしい「運動会だよーッ」という花火がドドーン!!

お腹に響くような音で近隣に鳴り響きます。

天候は抜けるような青空。運動会日和だといいたいところだけど暑過ぎ!昨日よりさらに暑くて気温は30度にも

なりそうな予報だけれどいくらなんでも異常。熱すぎて熱中症になりそうだわ。

 

でも私は何があろうと日曜日の朝はお餅なので、早起きしてお餅をつくり、大急ぎで道の駅に運んで(今日は何故だ

か朝からお客さん混み混み)、とんぼ帰りして地区館の運動場へ。地区館は町中へ統合された中学校跡に建てら

れているので広ーい運動場があります。

ここはとにかくなんでもかんでもどこでも広い。都会者の私は、土地が豊かというのはこういうことなんだね、とイベン

ト会場に行く度に実感します。

その広ーい広ーい運動場の真ん中辺りで、子供も大人も一緒の綱引きの真っ最中でした。

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子供は子供だけで白組の勝ちィ!

そして大人は?

「クロダさん、出てるよ」娘に教えられてよくよく見ると、なんと綱引きのロープにしがみついたか細いクロダさん

の背中が・・・・。あらあ・・・・気の毒に。クロダさんの体重じゃロープの重石にもならんでしょう。

うちの1年坊主の応援に来てくれたクロダさんは強制的に地区のメンバーに加えられて、何十年ぶりだかの運動会

競技参加になっちゃったみたい。

商品に洗剤をGETした買い物競争は終わった後とのこと。一緒に走った競争相手は、孫のパパと中島源陽県会議

員と小野寺五典国会議員だったそうです。これはまた珍しい組み合わせで・・・・・・。

 

綱引きの後は大人子供合同の玉入れ競技。

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観客は地区別に地区名が大書されたテントから競技を見ます。

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全員参加の真山音頭が終わった後は、地区別に分れてテントで運動会のお昼ご飯を食べます。

 

どこのおうちもおじいさん、おばあさんも参加して家族総出で凄いご馳走!

都会では今はこういう運動会の昼食はもう少ないと思うんだけど、運動会ってこういうのが楽しかったんだよねえ。

クロダさんにも参加してもらって、うちもご馳走です。

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昼食の後は子供も大人も対抗リレーで終了。盛り上がりました。

広い広ーい運動場に人数は少ないけれど、みな本気出した熱気のある楽しい運動会でした。気に入った。

歳をとりすぎたので私は走れないけれども来年もきます。

それにしても暑かった~~!あっちっちの運動会でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

未来は「あ・ら・伊達なハーブ園」

去年植えたラベンダー。こんなに大きくなりました。

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私がお餅を出荷する岩出山のあ・ら・伊達な道の駅にたくさんのお客さんに来てもらいたい、と昨秋、出荷組合花き

部会では部会員にラベンダー苗200株を配りました。みんなで育てて株を増やし、直売所で苗や花やドライフラワー

を売りたいね、という目的と、あ・ら・伊達な道の駅の花壇を青色のラベンダーで満杯にして「きれいだなえ~~!」

とお客さんに楽しんで欲しいという目的。

 

去年、道の駅の園芸担当の鈴木さんに植えてもらった小さいラベンダーは、今朝見に行ってみると、駐車場の奥の

花壇に移植されて少し大きくなって元気よく育ってました。

ラベンダーの向こうの花壇を縁取っている銀色の背の低い木は、シルバーのサントリナ。道の駅のオープン時に

花壇に植える花が何もなくて、私がハーブのサントリナを家から運んで植えました。まさに15年目のシルバーサント

リナ。小さな丸いボールのような黄色の花が咲きます。グリーンサントリナも植えたはずですが、弱かったらしくて

消えました。

最初花壇に植える花がない頃には、生産者が家から持ち寄った花や苺などを植えました。苺は3年ほども

びっしりと実を成らせてお客様を楽しませましたが、病気で枯れました。その頃に植えたスズランがびっしりと

立錐の余地がないほど増えています。

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他にハーブとしての花はなく、鈴木さんが植えたチューリップが毎年賑やかに花を咲かせていましたが、今年

からはラベンダーが並びました。嬉しい光景です。

 

元々は北海道育ちのこのラベンダーはちゃんと世話をすれば株周り50センチほどにもなり、たくさんの花穂を立てて

青紫色の花を咲かせます。花が終われば刈り取って、新しく出る芽が10cmほどにも育ったら切り取って穂刺しを

して新しい株を作る。そうやってラベンダーを増やしていけば、あ・ら・伊達な道の駅は5年後にはラベンダーの

名所に! というわけには簡単にはいかないでしょうが、ラベンダー集客も夢ではない。

 

ついでに家にあるタイムやミントやその他のハーブを持って行って植え込んで、未来は「あ・ら・伊達なハーブ園」。

鈴木さんに「あ・ら・伊達なハーブ園」と書いた看板を作ってもらって、部会員みんなでタイムとかミントか名札を

作って立て、時々世話をする。ハーブの花壇が出あがっていく過程を想像すると妄想が止まりません。

30年近く花栽培をやってきて、近頃は花に接するのが嫌になってました。どんな花を見ても作りたいという

気持ちには全然ならなかったのだけれど、何故かラベンダーは最後まできっちり作ってみたい。

 

7月4日から5日間富良野へ行きます。

ラベンダー修行をさせて頂くように昨秋新聞バッグでお世話になったみやこさんにお願いしました。

富良野のラベンダーは咲いた端から刈り取って行くので、8月にはどの畑にもない、ということもあるそう。

7月初めの北海道の旅はラベンダーもその他の花も真っ盛りかもしれない。

とてもとても楽しみです。

春のチューリップから夏から秋にかけてのペチュニアの植え替えに精を出す鈴木さん。

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鈴木さんのお陰であ・ら・伊達な道の駅の花壇の花や木々はいつも手入れをされてきれいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

変わりゆく農村の風景

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朝、道の駅にお餅の出荷に行こうと家を出たところで、田植えをしている由美さんに似た姿を見つけて急停車。

やっぱり由美さん夫婦だった。なんでこんなところの田の田植えをしているの?

持ち主の家が近くにはない田んぼが多くあるのは知っているけど、15年も住めば家の近くの田の持ち主は

大体分ります。ここはOさんの田んぼで去年までは真っ先に田植えをしてました。

聞けば持ち主のOさんは今年から田植えはやらないのだそうです。つまりもう自分では作らず人に頼んで作って

もらうということ。この15年の間にそんな田んぼがたくさん増えました。

それでもやらずに耕作放棄した田は柳が生えて林になってゆきます。そんな田もずいぶん増えました。

 

同人誌”みず”を25年間作ってきて、原稿を書く仲間たちの生きる道の多様さに、もう何が起こっても驚かない、

と思っていたはずの私が、昨夜聞いた知り合いの身の上の突然の変化に驚きショックを受けて、道の駅の帰りに

よっちゃん農場を訪ねてしまいました。他の用事もあったのですが、お仕事の邪魔をしてしまった・・・。

 

健康でいたいけど、まずは健康でいることが基本だとは思っているけれど、そうはいかないこともある、という

話です。

 

そして一昨日日本経済新聞に載った「ONEDAY新聞バッグ」の話。

大震災から4年経って思えば、大震災があってその後の4年間を経験して初めて分かったという事柄がいくつもある

(逆を言えば大震災がなかったら分らなかったということでもある)のです。

「大切なのは共生」なのだと思うのですが、この話はきちんと納まる言葉が見つからないので書けません。

今週末から6月まで新聞バッグの展示販売とワークショップのイベント参加が続きます。

新聞バッグで人と人が出会い、そこから何かが始まる。みたいなことがあったらいいな、と思うのだけれど・・・。

 

これから暫く預かりものの山野草を販売します。全て種を蒔いて栽培した花々です。

花が咲いたらFBにUPしますので、どうぞ買ってください。お願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宴の後

ゴールデンウイークが終わって気抜けしたような日々ですが、実は表面的ではない、まあ、重たい仕事がいくつか

残っています。

たまたま重なった新聞バッグの注文をこなすのに追われて、作り過ぎたというか(検品で落とす品物が結構出るの

で大量受注の場合には常々多目に作ってもらってます)残った新聞バッグをいかに消化するか。可能な限り、返品

はせず、お金に換えて作った人に渡したい。

実は簡単ではない仕事なので、草刈りやっても買い物に出ても頭から離れません。

ここ数日、完全に破れたり糊でくっついたりしていて返品せざるを得ない商品を除いて、ひとつひとつ見直して買って

もらえるお客様を探すという作業をしています。 これ、なかなか孤独な仕事なのォ!!

心ある方と心通じ合わせないとできないことなので。

 

先日、大崎の農業者の話を聞くという課題をもって、神戸大学の岩崎名誉教授、岡山大学大学院の藤井教授、

名古屋大学の佐藤特任助教授の3人の先生方が岩出山にみえました。岩崎先生にお会いするのは初めて。

女性の藤井先生と佐藤先生にお目にかかるのは2度目です。

農業とそこに暮らす人の生活を結びつけてよりよい未来を考えようとする研究をなさっている先生方に農業者

としてのお話をするのはよっちゃん農場当主のよっちゃん。

新聞バッグについては年中話しをしていても、農業者としてのよっちゃんの考えを改めては聞いたことのない

私も同席して話を聞かせてもらうことにしました。浮かび上がってくるのはこれまでとは違うこれから先の農業。

そして夜は新聞バッグの話を聞いていただきました。

 

話をする。話を聞いてもらう、ということはとてもいいことで、日頃から心の中に溜め込んでいるさまざまな考えを

表に出して整理し、自ら確認できるいい機会です。

3人の先生がたそれぞれに話をきちんと聞いてくださって、今日は岩崎先生からも藤井先生からも佐藤先生からも

未来が明るく感じられるようなメールをいただきました。

新聞バッグのこれからの行き先はわからない。大震災も初めてなら手仕事で復興というのも初めてで、何をするのも

手探り状態です。ただ、今は続けて広げてたくさんの方に使っていただきたいな、という思いは変わらない。

 

今朝、隣家の娘夫婦は1年坊主が学校に行っている間に、栗駒山に出かけて行きました。登ってみるそうです。

私は40代半ばから50代の終わりまで山に登ってました。山の花が好きで山に行き始めたので、頂上を

踏むとか御来迎とかには興味がなく山を歩いていればよい、という登り方でした。だから北アルプスとか危なそうな

山には行ってません。花が多い会津や東北の山々はずいぶん歩きました。

70歳を過ぎて山には登らなくなった今も稜線を歩く時の山々の美しさは忘れられません。一生の宝のような気が

します。山に登っていれば足腰は強くなるし、どんなに長時間でも歩けるようになる。どんなに小さな一歩でも

とにかく止まらず歩いていればどこぞには着く。というような達観というか諦めというかそんな心境は山歩きをする

うちに身につきました。それと自分で登れば、嫌でも自分の足で降りるしかないというのは、数々の場数を踏んで

骨身に沁みて会得しました。骨折しても自分で降りるしかないものね。

 

残念ながら栗駒山は登山道の始まりから残雪で登れなかったそうです。さすが東北の山。

さて私も一歩一歩ならぬ1枚1枚の新聞バッグ点検に戻ります。がんばろう~~!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

15年目の別荘地

初めて気づいたヒメクルミの花。これが花かなあ?

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朝、少し遅くなって道の駅に出荷。

南三陸の新子さんに会いました。ご主人と二人で鳴子温泉に3日間の湯治に来たのだそうです。

日頃から新聞バッグを作ってもらっているインストラクターさんですが、ご主人には会ったことなくて、今日初めて

ご挨拶しました。

高橋さん(よっちゃん)が掘った竹の子を、南三陸の海山の仲間や東京などのお世話になった方々に送って

あげているらしく、東京からの電話や南三陸の人から「竹の子送ってもらったのよ!」と報告があります。

よっちゃん、みっちゃん(よっちゃん農場高橋夫妻)、ほんとに義理堅く優しいなあ、と感心させられます。

 

このところ、午後はどこにも行かずに家で溜まった仕事をひとつひとつこなしていってます。

そのひとつの大仕事が草刈り。

家の敷地、千坪近く。この辺りの農家に較べたらちっちゃい、ちっちゃい、猫の遊び場のような面積ですが、

草刈りとなるとその労力ハンパない。今年からはシルバー人材センターなんぞにお願いしょうかと思って

たけれど、実際に庭にいろいろ咲いたり広がったりしている植物を見ると、これが草と一緒になくなるというのは

余りにも忍びなくて、今年もがんばって自分で刈ってます。

ここは別荘地。別荘地じゃなくていいんだけれど、私たちよそ者が買えるのは山林、原野と決まっているので、

致し方なく山林のまんまの区画の決まった別荘地の土地に住むことになりました。

別荘地入り口。

草刈機と除雪車がなかったら住み続ける自信なし。

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以来15年。

道路から見ると樹木に阻まれて見えないけれど、定住、別荘こみで7棟の家があります。最初の頃は別荘の人

の出入りも多く、定住者も4軒ほどいてそれなりに人が住んでいる活気があったのですが、15年経ってみれば

ああ、大変! 病気だとか亡くなっただとかボケちゃっただとかで、なんともまあ寂しい状況にあいなりました。

 

春、山桜が美しい頃、道の駅で同じ集落の若い出荷者ナオコちゃんが、「別荘地のあたりきれいですねえ!」と言っ

てくれたことがあります。人が住まなければただの山だけど、人が住んでくれているから「ああ、きれいだなあ」と

思いながら通るんですよ、と。そう聞いて嬉しかった。

だから、うちの夫もなくなったけど、私ができる間はできるだけ荒らしたくないと思うのです。

毎日1時間。と決めて草刈りをするのですが、ついつい1時間が2時間になって、お餅仕事をする時には身体中が

メキメキします。今日は勝手に生えて幹10cmくらいになっている合歓の木を細いノコギリで倒しました。500回くら

い挽いて20分以上かかった。なんかバカみたいですなあ。

最初の頃に植えたモッコウバラ。こんなになるとは思わなかった。

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タネをとばし、どんどん広がる丁字草。今は少なくなった植物です。欲しい人あったらあげたい。

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92歳でこの地で亡くなった父が福岡から持参してきたピンク色の藤。5年前に亡くなって初めて今年一房だけ

咲きました。藤棚は地震でぺちゃんこに潰れました。

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私が外に出るとついてくるシロ。

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そして15年目の今年の春から新しい日課が増えました。

なぜか毎晩宿題をしにうちにやってくる隣りの一年坊主。私の頭の体操時間です。

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今朝は久しぶりにヴイヴイヴイヴイ(地震警戒信号)を聞いて、緊張しました。どこかで大きい地震が・・と

思いました。津波が来なくてほんとによかった。今の東北に再度の大きい地震が来たら、もうほんとにお手上げ。

結果的には自分たちで再生するしかないというのが、今は骨身に沁みて解りますから。

今日のお餅は全部売り切れ。感謝感謝です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

松島

昔から歴史が好きで、腎臓病で長い入院生活をしたときには、新平家物語全巻だとか山岡総八の徳川家康36巻

だとかを読破してました。ここ岩出山に住んでから、若き日の岩出山のお殿様だった伊達政宗やそのゆかりの人

たちに興味を惹かれて、お寺や史跡など出先で見かけた時には寄ったりしてました。

先日、「見においでよ」とチェロ弾きの早川さんに(ほんとはホテルマン)誘って頂いたので、松島の天麟院に行く

ことにしました。天麟院というのは、伊達政宗の墓所瑞巌寺のすぐ近くにある正宗と正室愛姫の長女、五六八姫の

霊廟です。早川さんは現在改修中の霊廟の漆塗りを時々お手伝いされてるとか。

いろいろ説明やお話を聞けることを楽しみに、黒田さんを誘って松島に向かいました。

 

うちから松島までは田んぼの中の県道を走って、1時間余り。

行きはよいよい、だったけど松島駅まで行ったところでガーーーーーン!  大変な事態に。

黒田さんの具合が悪くなっちゃった。「気持ちが悪い」と言ったきりうんともすんとも無くなったので、慌てた。

びっくりした。ほんとびっくりした。血管切れたかと思った。

焦りに焦って救急車を呼ぼうと松島駅のタクシー乗り場の運転手さんに声をかけたところで、か細い声で

「大丈夫です。」と戻ってきてくれました。よかった! ほんとよかった! 血管切れたんじゃなくて。

戻ってきてくれたら今度は私が涙が出るやら言葉が縺れるやら手が震えるやらでうわずっちゃって、よっぽど

慌てていたみたい。

修行、修行ですなあ。

 

黒田さんの様子を点検観察しながら天麟院へ。ひっそりとした静かな佇まいのこじんまりとしたお寺でした。

五六ハ姫は政略結婚で徳川家康の六男の忠輝と結婚。仲睦まじかったと伝えられますが、忠輝の流罪と共に離縁

されて仙台に戻り、正宗、愛姫、兄の秀宗、弟の忠宗が亡くなった後、落飾して「天麟院」と号し68歳で亡くなった

伊達家最初のお姫さまです。

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瑞巌寺には人は行くけれど、ここまではあまり観光客は訪れないところかもしれません。

 

お隣りの円通院は五六八姫の弟である忠宗の子、光宗(19歳で没)公の菩提寺です。霊屋の厨子には支倉常長

が西欧から持ち帰った薔薇の絵が描かれているので通称「薔薇寺とも呼ばれていて、小堀遠州作といわれるお庭

が大変に美しい。

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写真には撮らなかったけれど、手入れがされた薔薇のお庭もありました。

本堂の大悲亭では、集まった観光客の前でガイド役の袴姿の男性がお寺についてのお話をされていました。

聞くともなしに聞こえてくる言葉の中に、「大震災時、松島には多数の観光客がいました。瑞巌寺では400名近くを

受け入れ4日だか5日だか宿泊させてその後バスで仙台に送り届けました。ただの一人も松島では犠牲者

も出さなかったのです。でもその他の地域ではこれだけこれだけの人が亡くなっている。まだ見つからない人もこ

れだけいる。みなさん、災害はどこででも起こります。松島まで来られたのだからどうぞ他の地域も見て行ってくださ

い。どうか亡くなった方々に手を合わせてあげてください。そして忘れないでね。はい、では今日はありがとうござい

ました。」

立派だなあ、と思いながらガイド氏の言葉を聞いてました。新聞バッグを作っているけれど、私たちは他地域の人に

これほど直截に大震災の話をするか? 「風化」という言葉を聞きながしながらも、こんな言葉は言っていない。

ガイドという日々の業務の中でこんなふうに大震災の悲劇を語り伝えられていることに感動感心しました。

 

円通院のお向かいにある元は伊達藩の御水夫が住んだという御水夫(おかこ)屋敷では、満開の白藤の棚の下で

野点、屋敷ではお姫様をしのぶお祭りが催されています。衣装を着て五六八姫になったりお習字や折り紙をしたり。

お姫様衣装は外国人女性に人気があるみたい。

ここで早川氏より”たびむすび”の佐藤康子さんをご紹介していただきます。

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ほっかぶってチェロを弾いていないスーツ姿の早川さん。笑顔の黒田さん。元気です。

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出勤の早川氏と別れて昼食。大きな丼からしっぽも頭側もはみ出たでっかいアナゴ丼を食した後は、瑞巌寺を回り、

現在改修中であるが故に間近に伊達政宗ゆかりの品々を見せてもらい、最後に愛姫の菩提所陽徳院へもお参り

して今日の松島散策を終えました。

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松島は観光地ですが、こんなふうにして廻ると静かで古い建物も洞窟群も大きな大きな樹木も美しいところです。

津波で壊されなくてよかった、とつくづく思う。

いやいやいや、ほんとうにびっくりしたけれど、中味の濃い楽しい松島での1日でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鳴子温泉潟沼散策

お餅の仕事は毎朝、毎晩途切れることなくやってますが、頭は新緑のゴールデンウイーク気分。

今日は鳴子の山の中の小さな喫茶店ライムにお昼ご飯を食べに行くことにしました。

連れは娘とたまたま11時半で学校が終わった1年坊主の孫。そして玉子屋さんで働くあやさんも誘うことに

しました。

連休の忙しかった時期も最終番。「行っていいよ」と店主の宮本氏からOKをもらってあやさんも一緒にライムへ。

本日のライム特製おまかせランチは山菜づくしでした。山菜が苦手な方はパスタかピザランチで。

コーヒーはおかわりもしてくれます。

食べ終わった後、あやさんからの提案。潟沼に行こうよ。竜神様へ行ってみよう~。

潟沼はいいけど、竜神様ってなに?

 

観光の人たちもいなくなり、しーんと静まったエメラルドブルーの潟沼。 が、急激な気温上昇での雪解け水で

水量が増え外まで溢れ出してました。もともと陸地との段差がない沼なので足元まで水浸し。竜神様は対岸。

行けるのか?

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どうしても竜神様に行く、とがんばるあやさんに引っ張られて潟沼半周散策に出発。

私はどうしても熊、熊、クマ発想から離れられません。

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塗りが剥げた赤い鳥居をくぐりずるずるの山道を登り上がって、「着いたぞー、木がリュウの形してる。

健康でありますように、家内安全、商売繁盛ォ~!」とおたけびを上げるブンブンおばさんことあやさんと孫。

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竜神様からみる潟沼の茶店。5月9日の今、鳴子温泉潟沼は寒くもなく暑くもなく実に新緑が美しい季節

です。野鳥やウグイスがしきりに鳴きます。

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クマはいなかったですよ~~!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新装の有備館。

連休中なので、新聞バッグのほうも今はちょっと静まっています。

今日は娘と一緒に岩出山の町へ。

ふと思いついて有備館へ行ってみました。

4年前の大地震でぺちゃんこに潰れた伊達家の学問所有備館は現在改修中。どうなってるのかなあ、と覗いて

みたらなんと、出来上がってました。前の年季が入った有備館に較べたら、ちょっと色が明るくてべつの建物みたい。

4年間見ない間に建っていた場所まで忘れて、「建物の場所変わりました?」と受付の方に間抜けな質問を

したら、変わってなかった。当然です。変わるわけない。

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震災後、訪れる人もなくてがっついたようだった池の鯉も、今はたくさんの客に餌をもらっているためか、落ち着いて

ました。

私がここで好きなのは木が大きいこと。松も椿も樹齢300年。300年にも亘って人間世界の栄華盛衰を見てきた

かと思うと感慨深い。

樹齢300年の百日紅。

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たっぷりと雪解け水を集めて流れるお堀脇の遊歩道。

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有備館と駐車場を挟んで広がる公園緑地。

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誰もいない公園遊具でしばらく遊んだ後、町の喫茶店フーアンへ。

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たいした時間ではないけれど、緑の中でフィトンチッドを浴びて気持ちのよい散策でした。