高知四万十新聞バッグコンクールから帰ってきました。
高知県は初めて訪れましたが、暖かくて(夏みたいだった)、ほんとうに素晴らしい
ところでした。高松城と桂浜に行きましたよ。
桂浜の波の荒さにはびっくりしました。ここから坂本竜馬は海の向こうを見て、
「新しい日本を作ろうと思ったんだなあ」と感激して、桂浜のきれいな石を拾って
お土産に持って帰りました。私たちにずっと動向してくれた高知のスーパーウー
マンとも子姉さんの話によれば五色砂というんだそうです。
さて、新聞バッグ。受賞させていただきました。
それはとてもとても嬉しいことだったけど、審査後の交流会で、参加者からかけら
れた「声」がまあ、ショックといえばショックでした。
たくさんの新聞バッグが会場の今は廃校になっている元広井小学校の教室に
展示されているのですが、わが東北新聞バッグはひとつの教室に、他の震災
に関連した新聞バッグと共に展示されていました。
その教室に入って、南三陸の、女川の、南相馬のみんなが真剣に311以降の
新聞の紙面を選んで作った新聞バッグが目に入った途端になんということか
涙がこぼれてきてしまいました。よっちゃん農場おくさんのミッチャンも同じ想い
らしく、泣けるー、と言ってます。たぶんよっちゃんも泣きそうになったと思います。
でも、周りの人は私たちがなぜ泣くのかけげんに思ったことでしょう。
交流会の会場で一人の年配の女性から
「私はあの教室には入ることができませんでした。とても見れなくて」
ええーッ、どうして? せっかくみんな一生懸命作ったのに。
見てほしかったなあ。
次の男性
「あの展示を見たとたん、鳥肌がたちました」
別の男性
「泣きそうになった」
それでようやくわかりました。津波や被災や苦しみや悲しみや希望の記事は
私たちにとっては日常でも、東北以外の人々にとっては非日常なのだと。
311以来の新聞に被災者や復旧、復興の記事が載らない日はありません。
なかったら忘れ物をしたような気がしてしまう。
そのへんでこれは新聞バッグといっても受け止め方が違ったんだねえ、と
受賞を諦めたのですが、でも選んでいただきました。
タイトルは「信じて前へ」
みんな喜ぶと思います。副賞をお土産に持って帰ります。
四万十の旅は本当に素晴らしい旅でした。四万十ドラマの関係者の方々に
大変よくしていただきました。山ほどの新しい発見がありました。
これからも新聞バッグを作り続けて来年は再度挑戦します。東北の新聞で
東北の気持ちで作って、でも「見ませんでした」なんて言われないように。