南三陸へー志津川菊生産再開のお手伝い

今日は以前から企画されていた東北村村民交流の第2回目です。

南三陸で実施したいということだったので、私の菊の先生の小野寺さんの菊栽培のお手伝いを
お願いしました。女性は菊の下葉かきとか、脇芽摘みや草むしりなど、男性はハウスの屋根ビニールに
日よけをかけることと、ハウスの固定が今日のお手伝いの内容です。

現地、歌津の駅前で(現実には駅はありません。駅の跡)10時集合。

南三陸町歌津駅です。駅下は駅舎の跡。初めて来たとき、ここに移動式のトイレがあったので
歌津に来たことがない私は、初めからこんな景色なのかと思いました。
今、線路はありません。

私は仕事を終えてからなので到着はお昼近くになりました。

ものすごくいい天気。真っ青な空の下で見る被災地は、空、海、緑の美しさと現場の光景の
荒々しさとの落差が激しく、痛々しくて目を背けたくなります。

不思議に思うのは、いったんきれいになっていた被災の跡にガレキが徐々に徐々に増えてきている
感じがすること。きのせいかな?と思うのですが、よっちゃん奥さんみっちゃんい聞いたら「なんか、
なかったところにまたあるような、そんな感じが・・」と言うので、そう感じるのは私だけでは
ないようです。

今は岩出山在住のショーエイさんに訊いたら「そうだよ。海から上がるのがだんだん増えてくる」
ということでしたが、やっぱりこれはここの人しか分らないことなんだなあ。

かつてここに町があった頃、海からアザラシが現れ、しばらく滞在した。アザラシの名は「うたちゃん」
青い橋はうたちゃん橋。流されませんでした。その向こうが国道45号線。最初に見た時下の土台
しかなかったので、国道とは全然思わなかった。今は繋がりましたがまだ走れません。

ここに銀行とか商店とかぎっしり町並みがあったそうです。
夏草が生い茂った元歌津の街の跡。

歌津の駅の横にある山の木々。

津波にやられた山の木々は全てこのように茶色に枯れています。

到着すると、作業はほとんど終わってました。

日よけを被せ終わったビニールハウスと葉欠きが終わった菊畑。

食事が終わってから、小野寺氏の要請で今日作った棚の贈呈式。

贈呈式が終わったら定位置に設置して、みんなの芸術的センスが爆発!

ダンゴウオの手拭いあっぱっぱを着てくれているノンちゃん。嬉しいです!

小野寺さんのハウスのお手伝いが終わったら、Y仮設住宅の恵子さんのお宅へ。
お宅といっても仮設住宅ですが、集会所でワカメだのイカだの魚だのの料理を作って待っててくれました。

出されたもの食べて、いっぱいしゃべってから新聞バッグ体験です

みんな1個づつ作って、お手伝いのために取っ手をいっぱい作って終了。

今日は、わかめの収穫のお手伝いだったり、これから先の菊の手入れだったりのボランティア
交流の始まりの日。みんなこれから先も来てくれるそうです。

どうでしたか?みなさん楽しかったですか?また南三陸に行ってくださいね。

 

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