よっちゃんその後

雨が数時間置きとか1日置きとかにドーーッと降ってくるいやな天候が続いています。薄暗くて動き

ずらい。早く雨よ、止んでくれ。郵便屋さんも道路工事の警備の人もびしょ濡れでかわいそう。

10年来の馴染みの郵便配達おじさんに、「冷たい雨にビッチョ濡れで大変だねえ。早く晴れるの

祈っているよ。風邪引かないでねえ」と叫んだら「んだーー!慣れてるよー」とどーってことない

笑顔で下って行っちゃった。

 

さて、負傷後のよっちゃん宅には見舞いに行ってまいりました。いちおう見かけは元気でしたよ。

白い包帯ぐるぐる巻きにした左手を上に掲げて話すよっちゃんを見かねて、「吊るしたら?」と助言。

怪我したことのない人は楽になる方法というのは未知の世界のようですが、掌の手術2回、腕がぶらぶらの

大掛かりな骨折が1回、手首骨折3回か4回、大火傷1回という怪我の倉庫のような私にとって、

痛みからの解放というのは最重要課題なので、あの手この手に通じています。

昨晩はもの凄--く痛かったとのこと。まだ痛みは続くよ。痛み止め飲まなきゃやってられない。

 

怪我って身体の内面には関係ないみたいですが、けっこうなショックを受けていて手当てを受けて

落ち着いたらものすごく疲労していて、熱が出たりすることがよくあります。

私が訪れた時は元気だったよっちゃん、午後に到着したロイズ新聞紙10000枚を受け取った後、

具合が悪くなって発熱して寝込んだ様子。

 

3、4日はやつれると思うのでゆっくり休養してほしいと思います。親指はどうなるのか解らないので

考えないこと。時間はかかっても必ずいつかは動くようになるから、それまではこれまでこだわり

続けた手作業を一時中断したほうがいいか、と。電気で動く蓋閉め機だとか充填機だとか

上條機(いつも手伝う上條さん)だとかと仲良くするのがいいんではないか、と私個人としては思います。

とにかく怪我はつきものだし、時間はかかるけど必ず治るので気持ち落ち込まないでほしい、と。

10000万本の注文のうち、まだ200本しかできてない。ガハハハハとミッチャンと一緒に笑ってましたが、

もう1週間もすれば本番作業は始まります。

海山女子部もできる限り手伝います。

 

なんてことを言いながら私は珍しく風邪を引いたのか、極端に動きが悪くなり、今朝はお餅仕事もお休み

しました。日曜日だというのに、ああ・・・・。

 

黒田さんは一人でがんばってます。昨日は4回目の古川での新聞バッグ講座。石巻の方、古川の方、

仕事として新聞バッグを折れる人を確実に増やしていっています。感謝です。

 

外には出られないので、締め切りに遅れている同人誌「みず」の原稿書きで今日一日を過ごします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

よっちゃん負傷&夜そば会

昨日までの雨は夕方になって霙に変わり(気温3度)、これはヤバイよ、とドキドキ。

今年の秋はあったかいので気が緩んでまだタイヤを替えてないんです。雪になったら冬タイヤなしでは

上るも下るもアウト。どうだ?と朝を迎えたらこれが10月並の暖かさ。上着も要らない。

午前中は普通にお餅で、午後は娘に頼まれて孫の付き添い。

午後6時からは黒田さんと一緒に、生産者仲間のハガさんのお店、愉多工房(手作り家具と蕎麦のお店)で

新蕎麦の夜会に行くことになっているのですが、そのちょっと前に、携帯で「よっちゃん、負傷!」を知りました。

ちょっと訊いた限りでは、丸のこで木と一緒に自分の親指まで切っちゃったみたいで、「こりゃ重症だわ!」と

いうのが私の直感。いや、えらい時期にどえらい怪我を・・・・・。昨年も受けてピリピリになっていたよっちゃ

んなんばん約1万本の納品日が12月半ばだというのに。そのうえ、明日はロイズ新聞バッグ1万個のため

の特注ロイズ広告新聞紙10500枚がよっちゃんちに到着することになっているのです。

 

いやあ、肝が冷えました。

しばらくしてよっちゃん自身のメールが・・・。軟骨粉砕、神経は大丈夫のようだけれど、腱や筋については

内側、外側と縫った傷が少し良くならなければ分からないと。まあ、当分親指は休業でしょう。奥さんの

みっちゃんも大変だけど、海山も男手がなくなって女子部でがんばらねばならなくなりました。

がんばるっちゃねえー!!

いよいよ、ロイズの新聞紙が来てロイズ新聞バッグ作成の本番がきました。これから2年近くをかけて、

折り手の方たちにきちんとした新聞バッグを作ってもらおうと思います。

 

そして夜は初めての夜蕎麦会に参加。

少食人間の私としてはコース料理は苦手なんですが、愉多工房店主ハガさんのモノ作りに向かう姿勢が

好きなんですねえ。

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新蕎麦は2種類。香りや味が違うらしいけれど、蕎麦通ではない私にはわかりません。つるつるしたお蕎麦

を水、オリーブオイル、からみ大根、かんずりなどで味わう、という趣向。蕎麦コースが終わった後は、

彼が漬けた大根薄切りの漬物、いちじくソースのプリン、コーヒー、初めて焼いたというアップルパイまで

出てきました。大根は種から、いちじくも自分で育ててソースを煮て、パイ皮も自分でこねて焼いて、と

全て始まりから自分の手でという徹底ぶりなのですが、その畑が工房の横を流れる一級河川江合川の

川原で作っているのだから、私は感心します。その他ガレットとか蕎麦せんべいとかマフィンとか作りたい

ものの探究心は止むところがない。そしてその試行錯誤の時間がとても楽しそう。

楽しそうに作ったものが、まずいわけないですよね。

 

そして今日のビッグニュース! ピカ一ニュース。

夏に修学旅行で新聞バッグの作り方を教えた神奈川県の中学3年生のS君から、「お誕生日おめでとう」と

ケーキが送られてきました。そしてS君とお母様のお手紙も。

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なんという幸せ者ですか、私は!

S君は試験が終わったらまた私たちに会いに宮城に来てくれるそう。

お母様は、全話見た「北の国」からを今子供たちに見せたいドラマだと。倉本先生にお見せしたいような

お手紙をくださいました。

こういう本当に嬉しい思いがけないできごとや、S君やS君のお母様のような方々の温かいお言葉が

私たち海山の活動を繋げ、支えてくださっているのだと感謝の気持ちでいっぱいです。

 

ケーキ美味しかったですよ。

S君、S君のお母様。ありがとうございました。試験が終わったら宮城にいらしてください。

肝が冷えたり、嬉しかったり、大変な1日でした。お腹もいっぱい!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新しい病院

昨日のマルタの話。

そういえばMrs.pirotta, こんなことも言ってたなあ。

マルタで乳母車押した人がバスに乗ろうとしたら、運転手が乗客どかせて乗せますよ、って。

いいですねえ。普通で。東京の夕方なんぞの電車にバギーや子供連れで乗るのはちょっと勇気いるもの。

嫌な顔されるから。そうでもない人もいるんだろうけどまあ迷惑がられるほうが優勢。私みたいな世話焼き

おばさんがはいはい、手伝いますよー、と言うのも言いづらい雰囲気がある。だから全員無視。見ないふり。

普通じゃない。

私このごろほんと普通に憧れます。強気をくじき弱きを助けるとかね。普通に親切とかいうこと。

そういえばマルタの男性のナンパはけっこう真剣なんですよ、とも言ってましたねえ。素朴でいい!

うちの孫が大きくなったら学校の休みに行かせるからお願いね、と言ったら

「わかりました。責任もって預かります」って。今、日本で普通にこんなことは言わないでしょう。

何が違うのかなあ、って思います。彼女は外国で奥さんになって日本にいる時とはまるで変わってしまっ

た。格別なお洒落もしてないしほんとに普通なんだけど、ちゃんと腰が据わってマルタでの暮らしの未来を

見据えるしっかりした奥さんになってます。

 

 

昨日から今日にかけて雨。2日も降り続くことは珍しいんですが、今日の雨は雨音たてて本格的に夜まで

降り続いています。長野で地震の被害を受けられた方のご苦労を想います。雪が降らないように、寒さが

きませんように・・・。

 

またもや孫の喘息の前ぶれらしき様子で、初めて新しくできた市民病院に行きました。

今年になっての開院だからまだ数ヶ月か。

でっかーーーい!  3連休明けで周囲の駐車場は満杯なのに、病院の中は人が溢れかえっている

雰囲気が全然ない。ということは余程奥深いらしく(内科なら内科の、外科なら外科の)、以前とは

全然違う。AとかBとかとお洒落な案内表示はあちこちにあるのに、私は小児科が見つけられません

でした。

ERは別入り口になっていてこっちも大きい。先日お世話になりましたが。

医療体制も充実していてMRIからPETまで揃ってます。もう仙台まで行かなくてよくなりました。

孫が診て頂くのは小児喘息外来。そしてなんといっても有難いのは先生がとても優しい。そして

最も驚くべきは以前なら朝行っても昼過ぎまで覚悟していた診察の待ち時間が極端に短くなりました。

少し待つとしても病院中に科別の名前入りの掲示板があって、自分の順番が分かるようになってます。

レストランにいようがドトールにいようがファミマで買い物していようが、掲示板見れば、あ、自分の順番

が来る、と分かるのでとても便利。

 

過疎ではなくて僻地指定の集落に住んで、近くにこんな医療体制の整った病院があるのですから、

ありがたいことです。

孫のおかげで新しい病院を見聞させもらってよかった。面白かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

ほっかぶり市&マルタの話

22日、23日と秋のほっかぶり市開催。1日目は風が強くてテントがひっくり返ったりしたけど、2日目はうんと

穏やかでお客さんも多く賑わいました。海山はほっかぶりメンバーではないのですが、海山営業部長

よっちゃんの中ではほっかぶりと海山新聞バッグは両者繋がっているので、海山新聞バッグも毎回何か

かたちで参加させてもらっています。

今回は本部の仕事+新聞バッグで海山インストラクターの黒田さんが参加。

私は孫とマルタから帰国中のミセス・ピロッタことみちこちゃんと一緒に午後から遊びに行きました。

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毎回いいなあ、と思うのはこのイベントの自由さ。飛び入りオッケー! 風の中、楽譜を前に置いて手ぬぐい

ほっ被った早川さんがチェロを弾いてますが、隣りの軽トラは飛び入りのおじさん?

当然野菜も手作りのジャムやドレッシングもその場で作る焼き鳥やスープなどの食べ物も売ってますが、

唄を歌う人もいたりサックス吹く人もいたりして面白い。もっともっと地元の人の参加が増えたら、さらに

楽しくなるだろうなあ、と思います。

孫の目当てはこれです。トランポリン!

1回100円。100円もらっては飛び跳ねてまた走り戻ってきては100円持って行って飛び跳ねています。

これは子供だからできることで、大人はできんと思うよ。

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うちの婿さんの妹のみちこちゃんは現在地中海に浮かぶ島マルタ共和国の住民。里帰りを兼ねて、今

日本人スタッフとして勤めている語学学校(英語)を日本で紹介するために実家に戻っています。

宮城に戻る前も東京や大阪でかなりの数の企業や個人を訪ねて精力的にマルタを紹介しているので

驚きました。マルタでも観光客を増やさなければならないのだそうです。

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マルタというと大抵の人はえっと驚いて、「それどこ?」という質問になりますが、イタリアの南。シチリア島

のちょっと下。びっちりと石の建物に覆われた世界遺産の島です。

何回もマルタの話を聞いたり、だんなさんのトーマスと南三陸に行ったり、今回持参してきて私にくれた

NSTS語学学校のパンフレットを見たりしているうちに、「私も行ってみようかなあ」という気持ちになってきま

した。

飛行機が超苦手なのに・・・・・。 その飛行機に10何時間も乗らなきゃならないのに・・・・・。

午前中は英語の勉強して、午後はマルタの手仕事だの文化などを経験できる講座などがあるんですって。

物価は安い。治安はいい。

「行っといで」と娘に言われています。すぐに戻るのは嫌だろうから好きなだけ行ってくれば、と。

でも語学学校だよ。近頃は退職したシニアの人が多いというけど、何歳くらいの人いるの?

と訊いてみたら、78歳の人もみえましたよ。14歳で3ヶ月いたとか66歳で2ヶ月いたとか、私が知らない

ところで勇気と向上心がある日本人シニアの方々がそんなにいるんだ、と感心しました。

 

明後日は日本を離れる、というのでこの町にできた喫茶店に誘いました。

ここに住んで12年、この町にはちょっと休める喫茶店がなかったのです。昨年あたりから2軒ほどできた

その1軒にきのう初めて黒田さんと行って気に入りました。

紅茶とスコーン。

こういうものがこの町で楽しめるようになったのはとても嬉しい。

温かいスコーンが美味しかったので、珍しく写真を撮りました。

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日本のみなさん。マルタでの語学留学をどーぞご検討ください。マルタの公用語はマルタ語と英語です。

観光にも来てください。みちこちゃんに変わってNSTS語学学校をご紹介します。

 

楽しい1日でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オトーサンのレシピ

朝10時、道の駅に出ようとしていたところに電話。

「今日来るんですか?」という従業員からの問い合わせで、あ、お客様が待っているんだな、と納得。

大急ぎで飛ばして行ったら、お餅を買ってくださるお客様が「ずーっと待っていたんだよ」と。

そしてそんなにとびっくりするくらいにどっさりお餅を買ってくださいました。冷凍されるんだそうです。

このお餅、オトーサンのレシピなんですねえ。私はなーんもやってない。夫が亡くなった後、冷蔵庫に

夫が貼り付けたレシピどおりに餡子を煮てお餅をついているだけ。

 

夫は独立した人で、ガンを患ってからも一人で病院に行ってました。テレビドラマなんかで見ると、

ガンになったご主人の診察に不安そうな表情の奥さんが傍に付き添って先生のお話を聞いている、

という場面が多いので、そういうもんだろう、と私も付いて行こうとすると、「何しにくるの?」「先生に

呼ばれたの?」と不思議そうに問われてました。

だから全然行かなかった。診察の結果も夫が一人で聞いて、家に帰ってもほとんど病気の話はせず

普通、ほんとにフツーだったから、最後の入院で先生から状態が悪い話を聞いてもほんと、実感が

湧きませんでした。

それが入院してから、それも定期診察の日に「1日2日入院して様子をみましょう」と言われて入院してから

1週間ちょっとでかき消すようにいなくなってしまった。

 

「まいったなー。突然死んじゃうんだもんなー、そりゃないでしょう」なんてことある毎に思ってたけれど、

いくら抵抗しても、居なくなった人の痕跡はひとつひとつ消えてゆきます。

 

「7、8年前ごまのお餅を初めて食べた時、甘くてうまいなあ、と思ったんだよ」

今朝聞いたお客様のその言葉で、オトーサンの痕跡は消えてないんだと思い至りました。

 

夫は日本の高度成長期をコンピューター一筋に歩んだ人です。

コンピューターで家族を養ってくれて、退職後は自分が大好きなお餅のレシピを作ってお餅屋さんに

なり、都会しか知らないサラリーマンの妻だった私に地方での毎日の仕事を残してくれました。

自分の夫ですがたいしたもんだ、と思います。「私はオトーサンに生かしてもらってるんだな」なんて

考えながら帰る道すがら、有難くて胸が熱くなりました。生きてる時は衝突ばかりしてたのに・・・。

帰ったらまた道の駅から電話。

明日、まとまった数のお餅の注文です。

ありがとうございます。今から気合入れて小豆を煮て餡子を作ります!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明日はバルーンフェスティバル&ほっかぶり市

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2、3日続いた時雨もようの天気から一変。昨日、今日うって風もないいいお天気。

明日から岩出山は毎年恒例の一大イベント、バルーンフェスティバルが始まります。

その練習だと思うんだけど、これなんというんですか?背中にエンジンみたいなの背負って空飛ぶヤツ。

道の駅の第2駐車場を拠点にして、朝行ったら空を飛んでて、夕方また行ったらまだ空を飛んでました。

疲れるだろうねえ。楽しいだろうねえ。でも寒いだろうねえ。

見ているだけだったら、夕焼けの空を背景に人が空を飛んでる姿というのはファンタジック。

明日お天気だったら、町中の空にはぷかりぷかり色とりどりの気球が浮かんで、見とれて運転中の車

をぶっつけそうになります。

 

バルーンフェスティバルと合わせて、よっちゃんたちメンバーが主催するほっかぶり市2周年も開催

されます。こっちはJA駐車場が会場です。

海山は取り扱うのが新聞なので、出店かどうか思案中。風が吹けば飛んじゃうからねえ。

 

今日は幼稚園に孫をお迎えに行って、その足で久しぶりに畑の花農場へ。

花栽培は首都圏にいる時に10年、こちらに来てから10年余り続けてきてますが、寄る年波でお餅仕事

との兼業が苦しくなり、2年前に引退、休業。しばらく遠ざかっていた花栽培現場ですが、かつての花作り

の相棒は一人でしっかりがんばっていい花を作ってました。感心した。

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これだけの花を市場出しや道の駅で完売するのはけっこう骨が折れます。

花作りをやめてから暫くは何の花を見ても「あー、もう作りたくない」と拒絶反応が出ていましたが、

2年も遠ざかっていたら、近頃少しづつラベンダーを始めとして、ハーブでも作ってみるか、というような

気持ちになってきました。

時間がある時、やりたい時だけね。

ハウスの中のなーんにも音のない花だらけの空間に佇んでいると、心が落ち着きます。

 

ほっかぶりメンバーは明日の準備でおお忙しの最中でしょう。

毎回とんでもない荒天に見舞われたりするので、2年に一度の超ほっかぶり市、そしてバルーンフェスティバ

ルが成功するようにいいーーお天気になりますように!!

 

 

 

 

 

 

 

誕生日に思う。

今日は誕生日。祝いたい年齢でもないので、普段なら見てみぬふりの普通の日なのだけれど、今日は

家族以外のみなさま方から、おめでとうーと言って頂きました。ありがとうございます!

今日起こった出来事や感想を書いておこうと思います。

まず。

前回書いた孫の幼稚園のこと。書き添えます。

あれだけの衣装は全部先生がたが古着をほどいて縫われた手作りだと先生の説明に聞きましたが、

浦島太郎から白虎隊まで、色、デザイン、全てに感心しました。

凄い力作。先生がたが寝る間も惜しんでがんばって作られたのでしょう。何よりあんなに騒々しく動き回る園

児たちを、どんなふうにしてみんなで踊れるように教えられたのか。ものすごい忍耐と努力だったと思いま

す。

そして前にも書いたけど、徹底して先生方が手や口を出さない。年少さんたちの初めの挨拶はのっけから

行き詰まって、しばし動きが止まり、見ている親たちは固まりましたが、園児たちはあっちを向いたりこっちを

向いたりしながら、どこでどうなったのか、2回3回やり直して無事クリアしました。

運動会の時も同じで、全員に同じ上靴を履かせて駆けっこをさせる、なんてことはなかったです。人間初め

から不平等に生まれてくるのに、駆けっこの時だけ同じ靴を履かせたって仕方ない、と思うんだけどなあ。

昔は靴を履いている子も、はだしの子もおかまいなく一緒に走りました。いい靴履いてたってビリの子もいれ

ばはだしで1等って子もいました。

そういう意味で、孫が通う市立の幼稚園はその子その子の個性のままに、みんな元気で騒々しくて素直で

仲良し。通わせてよかったと思います。

 

なぜこんなことを書くかといえば、今朝のテレビで衝撃的な幼稚園の現状を見たから。

東京都区内の住宅街の幼稚園では、子供の声が騒音ということで裁判沙汰にまでなりそうなんだって。

園児たちの外遊びは週に3回。1時間。外に出る時はお口にチャック。歩くのは忍者の姿。両手の指を

胸の前に組んで、抜き足差し足忍び足。なんなんですか、あれは。子供が元気じゃなかったら、将来の

日本の国は終わりだよ。

住宅街の子供の声が騒音だと言っている人たちは、元気で遊ぶ子供たちが将来のこの国を、自分たちの

後を引き継ぐ大切な小さい人たちなんだ、という認識がないんだろうか。自分たちのこぎれいな生活を

守るために電気は福島で作ってもらい、子供たちは声を出させないようにするのかな。

自分たちだって子供の頃、大きな声で元気に遊んだだろうに。

 

そして俳優の高倉健さん死去の報。

「往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」という言葉とともに。

 

夜になって千葉といっても限りなく東京よりの千葉に住む次男とその娘から電話がありました。

昨夜は孫娘の誕生日なのです。今日が私の誕生日で明日が娘の誕生日。3連誕生日。

送ったプレゼントの「ありがとー!」の電話でしたが、またここで衝撃的な事実が。

娘は来年小学生。今私の隣りに住む孫も来年小学生。

隣の孫は幼稚園は越境だけど、小学校は集落の小学校に入ります。お友だちと一緒に越境小学校に

行きたいだろうけれど、なにせ集落の小学校は全校生徒で40人前後。小学校の存続が風前の灯なんだも

の。失くすわけにはいかないので因果を含めて地元小学校に決めました。来年の1年生は10人らしい。

女の子9人、男の子1人。なんというアンバランス。

 

で、都会の女の子の孫の小学校は?というと1学年40人とのこと。えーーッ、都会なのにそんなに少ないの!

なんでそんなに少ないの! 子供いないの? 産まないの?

そしてその40人のうち10数人が中国人のお子さん。その町の違う小学校では全校400人中、100数十人

が中国人のお子さん。

いや、ほんとにショックだった。あと5年もすると数字は逆転するんじゃないですか。

中国人の小学生がいけない、というんじゃなくて、日本人どうした!? どうなっちゃってるの!とどうしても

73歳の私は思ってしまいます。

 

そして最後が現政権の解散総選挙。なんのための解散、総選挙。過半数取り?

そんなことのために大金使うの?

亡くなった夫がいつも言ってました。

「消費税をいくら上げたって経済はよくならない。年金もらえる年齢になっても元気な年よりは、働ける老人

はみんな働けば経済はよくなる」と。そんな絵に描いたように完全じゃないとしても一理はあるな、と。

ということで、私は身体はなんともないのでこれからも仕事を続けていきます。必死で後退に向かおうとする

頭や身体を使うので、認知症予防にはなるかもしれない。

 

なんだかねえ。考えさせられこと多しの73歳の誕生日。

これから先は1年勝負でゆっくりと歩んでいきます。お餅仕事に海山仕事にラベンダーに本に音楽に旅に。

さて、もう新しい1年が始まりました。ひき続きよろしく!

 

 

 

 

 

 

 

 

盛りだくさんの1日

朝4時起き。今日は土曜日。いつもより多いお餅を大急ぎで作って道の駅へ。

普段より早い時間なので、従業員から「こんなに早くどーしたの?」と聞かれちゃいました。

大急ぎで戻って、隣町の幼稚園へ。

越境で隣町の幼稚園に入った孫はもう年長さん。今日は生活発表会です。

この幼稚園はやっぱり広い。同じ敷地に小学校、隣接して老健施設などがあるので、園児たちは時折り

施設のお年寄りを訪問します。

会場は幼稚園の隣の小学校の体育館。床暖房の設備があるので、寒くなくて助かります。

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嵐の楽曲を踊る年長さん。背景が素晴らしい!先生たちの力作に目を惹かれます。

踊りも今風で素敵! 子供たちものりのりで踊っています。

しかし、この衣装を見てください。今日の生活発表会の衣装はぜーんぶ、先生がたが古着屋さんで

買った衣類をほどいて縫って作ったものだと説明がありました。

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フラメンコですよ!赤いスカート、赤い花を持って踊る年少さんの女の子。とっても可愛らしい!

女の子はこんな衣装で踊れるなんて、嬉しいでしょうねえ。

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昨年も思ったのですが、この幼稚園の先生方は舞台上や袖で、子供たちを助けるということが全然ない。

泣き出したり、セリフを忘れたりといったアクシデントは、出演者同士で解決するよう指導になっている

らしく洟をかんでやったり、相談したり子供たち同士で乗り越えています。

ちっちゃくたって侮れない。必ずみんなでクリアします。

どろぼう学校を演じる年長さん。孫はポリスです。

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この市立幼稚園の子供たちはみんなほんとうに元気です。小競り合い、口げんかはあっても、いじめっこや

いじめられっこ事件は、これまで聞いたことがありません。

先生方に感謝! 感謝です!です。

 

お昼で終わり、大急ぎでJA駐車場へ。

私のお昼を買って待機していてくれたあやさんと娘のアカリちゃんとともに石巻遊学館へ。

東関東大震災後、地域の農業のために奮闘してこられた米作り農家「田伝むし」の木村さんが、念願だった

お米のイベントを開催されるにあたり、新聞バッグワークショップをプログラムに加えてくださったのです。

ササニシキの作り手と食べ手が交流することを目的とする「ササニシキEXPO2014」

プログラムは多彩。米麹屋さんのお話やお米の食べ比べ、などなど用意されてました。

黒田さんとあやさんが講師でワークショップ開始。アカリちゃんも小さい子供たちに新聞バッグ作りを教えて

くれました。

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明日日曜日、海山は仙台でのイベント参加です。

家に帰ってもゆっくりはしてられないので、全員でラーメンぎょうざを食べて本日は終了。

本日岩出山の互い市に出店のよっちゃん夫妻は明日は準備のため3時起き。

秋も深まりさすがにこの数日は気温が下がって朝晩冷え込みます。みんな疲れて熱など出さぬよう

明日のイベントを乗り切りましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

富良野訪問その4ー北の国へー

山並みが美しい富良野の町。

十勝連峰。富良野岳は2000メーター弱の山だからこちらの栗駒山とほぼ同じくらいの高さ。

どんな花が咲いているんだろう。

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ワークショップが終わった後は、短い時間ですが、倉本先生のドラマ「北の国から」ワールドを訪ねます。

 

北の国からの主人公、黒板五郎と純と蛍が暮らした丸太小屋の家。

美術の人が作ったのか塾生の方も手伝ったのか、聞くのを忘れましたが落葉前の琥珀色の林の中に

丸太小屋の家はありました。

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黒板五郎さんの生き方に心から共感している海山の高橋よっちゃん五郎はもう嬉しくて、五郎がそこにいる

かのごとく行動しています。

この石は本当に畑から出る石を積んで作られているとのこと。土を掘れば、これだけの石が出てくる土地の

開墾はどれほど大変な苦労だったろうかと偲ばれます。

 

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石を運ぶ高橋五郎と高橋蛍ちゃん。

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丸太小屋、その後に建てた石の家、雪子おばさんの拾った家。

五郎さんが捨てられた廃棄物で作り上げた拾った家は実に素晴らしく圧巻でした。便利、便利と新しい

便利なものを買っては古いモノを捨てる私たちに、人はこれほどの使えるものを捨てているんだよ、という

強いメッセージがここにはあります。

 

 

日暮れ時、ドラマ「優しい時間」の舞台である喫茶「森の時計」へ。今日の夕食はここでカレーを食べること

にしています。

ドラマの中の設定どおり、カウンター席に座ったお客はミルでコーヒー豆を自分で轢いてコーヒーを煎れて

もらうことができますが、カレーも雪のシチューも大変おいしい。

ドラマの中で森の時計で働く長澤まさみのおねえちゃん役を演じられた森上千絵さんも今日は一緒に新聞

バッグを作ってくれました。

カウンターの中でコーヒーを煎れてくださるのは谷倉さん。おいしいシチューでお腹いっぱいになって、ご飯

を少し残したい私に、簡単には許可をくれない粋な方です。でも私に続いてお腹いっぱいでオーダーした

コーヒーを要らないと言い出した吉田さんのお陰で許可が出て、美味しいコーヒーを頂けました。

ドラマの中の喫茶店ではないけれど、ドラマの中と同様にカウンターの内と外とで会話を楽しめる温かい

雰囲気の「森の時計」。3年がかりで根室のサクラを見に行ったとおっしゃる谷倉さんのコーヒーを頂きに

また「森の時計」と訪れようと思います。

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ドラマに出てくる喫茶店「北時計」はもうありませんでした。

 

夕食の後の語らいは林の中のSo’s barで。石で摘んだ壁がとても素敵です。この石の壁も塾生たちが

アルバイトで積んだのかな?などと想像します。

倉本先生の舞台の看板俳優でもありお店のウエイター(今どきウエイターなんて言っていいのかど

うか分かりませんが)さんでもある男性のサーブでお酒やお料理を楽しみながら、最後の夜の時間が

過ぎました。

 

3日目の最終日は、当別町に向かいます。

チョコレートのロイズ工場で新聞バッグ作成の打ち合わせをします。

昨秋、海山はロイズ社より新聞バッグ10000枚の注文を頂きましたので、これから本腰を入れて

海の人たちとともに制作に取り組みます。

お天気ももよいので、帰途は富良野から一般国道を走ることにしました。

北海道の原生林は白樺が多い。倒木も多い。

「白樺の皮がほしい」と言いだしたよっちゃん。黒板五郎と同じように薪ストーブの着火材料を作りたい

そうです。芦別の峠付近の白樺の林で熊笹をかき分けて白樺の皮剥ぎに踏み込んで行ったよっちゃん、

倒木から大量収穫して戻ってきました。

うれしそう!

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楽しくて大変実りある3日間でした。

何より、30年にも渡る長い歴史のあるテレビドラマ「北の国から」は倉本先生や俳優さんたちやテレビ局

だけの力で作られたものではなく、富良野の町の方々の協力があってこそできた物語だったのだ、と

初めて知ったことは大きかった。そして倉本先生が作られた富良野塾は多くの若者たちを育て、巣立った

若者たちは閉塾された今も町の中に住民として住んで、町のそこここで若い力として浸透し、富良野の町

を活気づけていることも知りました。

ラベンダーの栽培を初め、富良野は私にとって学ぶことの多い魅力的な町でした。

 

この度お世話になりました倉本先生、奥様、みやこさん、谷山さん、吉田さん、塾生の方々、講習に参加して

くださった皆様方に心からのお礼を申し上げます。

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

富良野訪問その3-新聞バッグワークショップー

今日はいよいよ、本命の新聞バッグワークショップ。

その前に昨日の夕方、「くまげら」さんに行く前に連れて行って頂いたのがニングルテラス。

ニングルテラスの富良野ドラマ館で、よっちゃんはその生き方を憧れて止まない倉本聰作のドラマ「北の国

から」の父さんこと黒板五郎の帽子やジャンパーその他をどっさり買いました。

翌朝、帽子、ジャンパーを身に付けて、高橋五郎化したのがこの姿。

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よく似合っています。今日は五郎でとおすつもりらしいです。

 

ワークショップ準備のため四万十チームより一足早く会場の倉本先生のアトリエ到着。

着いたところで世話役のみやこさんより、「今日の人数が25人ほど」と聞いて大慌て。道具を最初に聞いた

15人分しか持ってきていないのです。でもここが何にもないでもできる新聞バッグのいいところで、大至急

小道具の手作り開始。よっちゃんは定規替わりに芯棒に新聞紙をくるくる巻いて取っ手つくりをします。

折りよく入って来られた塾生さんたちには補強紙やゲージのサイズにダンボール紙を切ってもらって終了。

 

後で倉本先生からも「鋏は要らないの?」と聞かれましたが、これが新聞バッグの素晴らしいところで、

無ければ無くて大丈夫。読み終えた新聞紙と糊さえあれば後はその辺にあるカンカンとかペットボトルとか

代用品できちんとしっかりした新聞バッグができます。今日使う紙押さえは皆さんに知って頂くためにも

お土産のよっちゃんなんばんを使用しましたが、私はいつも虫刺されのお薬、キンカンです。

 

新聞バッグを作る前に四万十チームの梅原真デザイナーの新聞バッグについてのレクチャーを聞きました。

いつもにも増して丁寧でよくまとめられたお話でした。

 

次に新聞バッグ作り開始。四万十の松尾インストラクターの指導のもと、わいわいがやがや皆さん大変

楽しそうに小バッグ作りに取り組まれます。小バッグの後は一班はワインバッグ、もう一班はもじゃくり

バッグを作り上げて終了。

これがみんなの出来上がりバッグ。

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そしてみんなではーーい、ポーズ!

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いつも思うのですが、新聞バッグを作る作業はオリガミを折ることにも似て、折っているうちに皆さん、必ず

といっていいほど笑顔になります。モノを作るって普段やらないけれど、やってみると楽しい!、と言います。

休憩時間に、よっちゃんは倉本先生のお願いして黒板五郎さんの帽子にサインを頂きました。後で伺うと、

帽子にサインを頂くなんて前代未聞とのことです。スタッフの方はずいぶんハラハラなさったと思います。

帽子にサインを頂いたよっちゃんは、勿体なくて被れなくなり、もう1個帽子を買いました。

 

新聞バッグ講習の後は念願だった「北の国から」の黒板五郎さんの丸太小屋の家だの石の家だのを見に

連れて行っていただくことになりました。