マルタインストラクター講習第2弾

きのう、今日のあったかいこと。急に気温が上がって暑いくらい。

朝一で古川で修学旅行の打ち合わせに行くはずが、週末のお餅仕事でちょっと遅くなり、よっちゃんに

任せて私はマルタインストラクター講習第2弾実施。

今日の講習生は、この間教えたミッチャンだけではなく、そのだんなさんのトーマスもやるというので

二人そろって我が家に来てもらいました。

教えるのは鳴子からやってきたあやさん。あやさんはもう相当人数の講習をこなしてきて、新聞バッグの

作り方を教える、覚えてもらうことに非常に熱心です。その情熱は言葉の壁をつきやぶり、お互い言葉

なんか通じていないんだけど、まるで通じているかのように講習は進んでいきます。が、その騒々しいこと!

もう、おかしくって仕方がない。

「あやさん、そりゃ何語かね」と言いたいような言語であやさん、無理やりトーマスに教え込む。

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あやさん、混乱してミッチャン相手にイエスとかノーとか言いながら、二人同時進行で大バッグ、小バッグ、

とまったく手抜きさせずに完成させました。

トーマスの作品。三つ折りバッグ。

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ミッチャン、トーマス、二人してこんなに素敵な作品ができました。

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作りながらトーマスと話したこと。

マルタの言語、マルタ語は驚いたことに今まで聴いたことがない柔らかい不思議な響きがします。

口ごもるような変わった響き! アラビア語に近いんだそうです。

マルタには学校で図工という課目がないのだそうです。小学校でも絵を描いたり、工作したりはしない。

だからみなさん、不器用なのかもねー・・・。

新聞バッグ作りの間には紙ヒコーキ制作まで盛り込みながらの、てんやわんやの講習でした。

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マルタに帰って二人で新聞バッグを作れば、学校でこどもたちに教えることも可能だと思います。

ミッチャンは以前に学校に折り紙を教えに行ったことがあるそうだから。

笑ってばかりの楽しい講習でした。また来年、日本にきたらもっとたくさん覚えてもらいます。

作り方とあやさんのパッショネイト、忘れないでね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マルタ共和国インストラクター誕生を目指して。

昨年に引き続き、今年もキャンペーンノベルティグッズとして2500枚の大量注文をしていただいた高知銀行

さんの納期が目前に迫り、他にも大量注文を抱えていて、なんとも身体も頭も忙しい昨今ですが、ここにき

て急に「新聞バッグ折ってみようかなあ」という人が増えてきました。

折り手さんが周囲に声をかけてくれているせいもありますが、マルタ島から里帰りしてきて、「新聞バッグ、

面白い。作ってみたい」というミッチャンみたいな人も現れて、海山の代表インストラクターあやさんは

連日、大忙し。

マルタ共和国の新聞バッグインストラクターになってほしい(と私が目論んでいる)ミッチャンの講習は、

鳴子温泉のあやさんの自宅でやりました。マルタ共和国ってどこ?と大抵の人が言うくらいなじみのない

地中海に浮かぶ島マルタの普段の暮らしを聴くのはなかなか興味深いです。

物価が安く治安がよく海が美しいタイムやフェンネルやマロウなどのハーブが自生している島。よーし、

老体にムチうって何時か行ってみよう。

「やりたい」というだけあってミッチャンなかなか覚えよく手が器用です。

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ミッチャンが作った最初のA4バッグ。よくできています。

DSCF1507あやさんが新聞紙で作った帽子ならぬバッグなんだけど、見ると被りたくなる新作バッグ。

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1回でやるのは無理なので、次回はマルタに帰国する前、もう1回やります。

そしてマルタで海山インストラクター誕生になってくれればうれしいな!!

 

明日はお隣りの加美町宮崎にあやさんと二人講習に行きます。

酪農関係のご婦人方のようで、この辺で見かける黒和牛ではなく、ホルスタインとあえるかもしれない。

楽しみだけれど、いやー、なかなかへばり気味でもあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

南三陸へ

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いつ、解体されるんだろう。

南三陸では防災庁舎は震災遺構として遺されないと決まったようです。

 

南三陸に行ってきました。

孫5歳とうちの婿さんの妹のミッチャンとそのだんなさまと一緒に行きました。

ミッチャンのだんなさまは、ヨーロッパの地中海に浮かぶマルタ島のマルタ共和国のおまわりさん。

世界遺産があるマルタ島は小型犬マルチーズの発祥の地だそうで、ミッチャンちにはマルチーズではなく

チワワとブルテリアがいるそうです。国語はマルタ語と英語。家ではマルタ語、外では英語を話すそうで

必然的に今日は日本語と英語のゴチャゴチャ語で推移します。

孫は日本もマルタも関係なくトーマスおじちゃん、と呼んでますが・・・。

 

ミッチャンにとってもトム君にとっても初めて見る防災庁舎。今日はお線香を立ててお参りしました。

さんさん商店街でお昼を食べた後、歌津のけいこさん宅へ。

ミッチャン、トム君に手伝ってもらって持参した河北新報を倉庫に運びいれ、出来上がった新聞バッグ

を車に積み込んだ後、お宅にお邪魔してお茶を頂きました。

 

この時期に来るといつも出してもらって嬉しいのがワカメの茎やメカブや昆布などの海草のお惣菜。

どれを食べても実に美味しいです。魚は食べるけれど海草を食べる習慣がないトーマス君も、「そんなに

一度に食べたら胸焼けするよ」とけいこさんに止められるくらいの勢いで「おいしい」と食べてました。

 

帰る前に、海の近くの作業小屋に案内して頂きました。作業小屋は津波で全て流されたけいこさん宅の

跡地に建てられています。ここで海から運んできたワカメを湯通しして塩をまぶし、茎とワカメに分け、という

ような一連の作業をするわけですが、船から機械から諸道具に至るまで、、わかめ養殖に必要な全てを

失ってまた最初から揃えていくというのは、経済の面でも精神的な意味合いに於いても大変なことだなあ、

とつくづく思わされます。

 

断片的な会話の中ででも、津波の後、鳴子温泉に避難して、その後に仮設住宅に移り、また諸事情で

今のご親戚の家に移って、作業小屋を作り舟を買い、というこの3年の奮闘を理解したらしいトム君が

「彼らは強いなあ。自分だったら元の場所でまたもう一度なんてやれないかもしれない」と言っていました。

私にもミッチャン夫妻にもたくさんのワカメと茎を頂きました。

ミッチャンはマルタにワカメや茎を持って帰るそうです。

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今マルタには60人ほどの日本人がいるそうで、気候と治安がよいことから増える傾向にある。とのこと。

新聞バッグが気に入ったミッチャンは新聞バッグの作り方を覚えて帰ってマルタでやってみると

言いだしました。マルタで初インストラクター出現ということになるかもしれない。楽しみです。

 

 

 

 

 

 

 

第14回一関男子ピアノクラブコンサート

春のお彼岸の中日だというのに、昨日の午後からまたもやのドカ雪。

私が住む別荘地区では3月に入ってから4回目の除雪車出動で、ほんとお世話になってばかりで

心苦しいです。

岩手県の一関で行われる男の子ばかりのピアノコンサートに行って来ました。雪はどうかなあ、と恐れて

いたのですが、積雪はうちのほうがよっぽど多い。

ピアノコンサートの会場は一関の駅に近い、世嬉の一酒造の石蔵レストラン「クラストン」。かつては米の

精米蔵であった石蔵を改造したという実に風情のある建物でした。

岩手県一関はうちから1時間くらいで行ける町なので、これまで通り過ぎるだけだったのですが、こうして

歩いてみると整然とした通りとレンガや石作りの建物が多い静かな美しい町です。島崎藤村の文学碑が

あり、藤村のゆかりの地であるとは始めて知りました。

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石蔵レストラン「クラストン」

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うちの5歳の孫がここで男の子ばかりのピアノコンサートに出させていただくことになっています。

全然上手ではないのだけれど、いくら「来年にしたら?」「出なくてもいいんだよ」と出場辞退を勧めても

「ボク、がんばる」と言い張るもので、ドキドキの出場となりました。

 

孫がピアノに行くようになったのは友人でもあるピアノの先生から、「岩手で男の子ばかりのコンサートが

あるのよ。出てみない?」と言われたのが発端だったような気がします。

実行委員も出場するのも大人から幼稚園児まで全員が男の子で運営されていて、女の出る幕はないの

よ、ということで、「面白いなあ」とすっかりその気になったのでした。

 

孫の演奏曲はイギリス民謡の「おやすみなさい」

まだ指の力も弱くてたどたどしいので、大きいお兄さんが連弾をしてくれることになりました。

始まるまではド緊張。始まったら感極まって涙出てきた。

幼稚園の年中さんからOBの大人のお兄さんまで26人もの演奏でしたが、上手な演奏ももうちょっとの

演奏もほんとに素晴らしかった。ピアノを弾きながら天空の城ラピュタの「君をのせて」を唄う小学生M君の

ボーイソプラノの歌声は心を洗われるようでした。

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孫は来年も出るそうです。

コンサートを終えて、石蔵レストランに立ち寄りました。

隣の人が食べているのに釣られて注文したドイツ料理のアイスバイン。

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これは大変おいしい。キャベツの酢漬けとよく合います。

普段お酒は飲まないのですが、小さなグラス入りの4種類のビールセットという赤や黄色の透き通った

色合いのビールをみていたら、美味しそうでジュースのようになんだか飲みたくなりました。

 

日常を離れたような楽しい1日。でも実に寒かった!

お墓に行きたいので、とにかく明日1日雨も雪も降らんでほしいものです。

 

 

 

 

 

 

東北復興ソシアルビジネスメッセ

先日、仙台で東北復興ソシアルビジネスメッセという催しがあり、その事例発表に四万十ドラマの畦地

社長が出られるので、新聞バッグの展示も兼ねて参加してきました。

日々、自分たちがやっていることで一生懸命で、他にはどんなことをどんな方々がやっておられるのか

知らないのですが、こうして一同に会する機会があると、絵、織物、紙、布、糸、(ロケットというのもありまし

た) 等、実に様々な材料で多種多様なモノ作りの活動があることに驚かされます。

私たち海山ブースではこれまで販売してきた定型の新聞バッグ、そしてこれから売り出すハート型バッグを

展示しました。けっこう足を止めてくださるお客様が多くて心強いです。中には「道の駅で買ったのよ」と

買ったバッグを見せてくださるお客さまもいました。DSCF1441

そしてこの機会を利用して、以前から1、2度ご連絡の機会をもった老人介護関連の会社の若い男性

社員さんに新聞バッグの体験講習もやっていただきました。こうして習得された新聞バッグづくりが

老人介護に活かされるならうれしいことです。以前くも膜下出血で倒れたインストラクターさんが手術後、

新聞バッグを作ってくれた時、みんなで喜んだことが思い出されます。

 

今「日本の新聞で。できれば河北新報で」という新聞バッグの注文をふたつほど頂いています。

ひとつはニューヨーク、ひとつは毎年春のお祭りで河北の新聞バッグを購入販売してくださる福岡のNP0

さんですが、私たち宮城の住民がにとって最も身近な地方紙「河北新報」。

可能なら新聞バッグは河北で折りたいというのが本音のところですが、いかんせん「河北新報」はなんと

いっても被災地情報満載の新聞なので、災害から丸3年を迎える3月11日までは「うーーむ」と唸りたく

なる記事が多い。

 

でもそれが河北新報という新聞の特質であるなら、そこのところをなんとか工夫で乗り切りたいと、

海山営業広報部長よっちゃんは、この会場でばったり出会ったかねてからの知己であるデザイナーさんや、

これまた時を見たようにふらりと姿を見せた河北新報の畠山氏と共に、 考えたことを形にするべく

時を忘れたような熱論が続きます。

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きっと新しい何かが生まれるだろうなあ、と思える力強いディスカッション。

 

ノウハウ移転事業についての畦地氏の事例発表。ちょっとピンぼけ。

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よっちゃんにとっては、大事なほっかぶり市をみっちゃんに任せてのソシアルビジネスメッセ参加でしたが、

収穫いっぱい、新たな出会いや希望がみえる実りある1日でした。

 

 

 

 

 

4年目のはじまり

2011年の311から丸3年経って思うこと、いろいろあります。

4月の末頃に外国で使う新聞バッグ、できるかな、と問い合わせがきました。できれば地元の新聞で、と。

地元の新聞って、3年目の311に近いここ1ヶ月ほどの新聞の記事は、とてもじゃないけど嬉しい、楽しい

ような記事はほとんど書いてない。3年たって、被災した方たちが大人も子供も老人も、その仕事や生活

状況の中で、どのような困難の中にあるかということを書いた記事が一番多い。

それでいいんだろうか、と問うと、問い合わせてくれた人は暫し返事を口ごもりました。

 

3月11日になるまでの新聞記事や、特にテレビの番組は、沿岸部の方についても福島の方々についても、

その生活の困難さは推察はしていたけれども、やはりあまりにも気の毒なことが多くて、私は見る度に

涙しました。私だけかと思っていたら、みっちゃんも「私も泣けます」と言っていた。

 

いつも一緒に活動して、素晴らしい新聞バッグを作ってくれているあやさんは、原発事故の12日に福島

を離れてこちらに根を下ろしたから、決して楽ではないけどどうにか生活していけているのだと思います。
自分だけ離れてきた、という負い目から逃れられない、とはよくあやさんが言う言葉です。

 

でももしまとまった形で辺鄙な場所の仮設住宅などに入っていたら、動きづらくなっていたかもしれない。

どんな場所に仮住まいしたところで3年経てば、赤ちゃんは3歳になり、3歳は6歳になって、慣れ親しんだ

生活の形ができる。、特に子供だったら、生活環境は簡単には変えられなくなる。

 

福島から遠く離れた山形に妻子を置き、自分は単身福島で住み込み仕事で働くお父さんがしみじみと

言ってました。「生活再建がこんなに困難なこととは思わなかった。だったらもっと前に、もう自分が

住んでいたところには戻れないんだ、とはっきり言ってくれていたら、戻らない生活を始めることができた

と思う」と。

小さい子供さんが二人いて、二重生活の深間に入り込んでしまったら、ほんとに動きようがないだろうなあ、

と気の毒でなりませんでした。

 

最初の頃、よっちゃんや私がいつも言っていたように、1年毎に復興するのではなくて、1年毎に大変な

ことになっていく。そのとおりの3年目です。

 

福島から他所の土地に避難中のお母さんが目に涙をいっぱいためて言ってました。

「3年も経って支援品を頂くなんてとても心苦しいです。よくないことだと思います。でもどうしてもやって

いけなくて支援品を頂いています」

なんで、何にも悪いことをしていないこんな普通のお母さんが、こんな情ない悲しい恥ずかしい思いを

しなきゃならないのか。何にもできない私はお母さんと一緒に涙するのみです。

 

今日12日はNHKで石巻の大規模仮設住宅を3年間記録し続けてきたその変転を特集していました。

はっきりわかるのは生活がますます逼迫してきている、ということ。預金10万円以下の人が35パーセント

以上ということで、私は相変わらず、うーーーーむ、とうなるしかなかった。

でも仮設住宅で暮らす方々に思いを寄せながら真面目に取材をするアナウンサーの姿勢に共感を

覚えます。

 

そして片やほぼ同じ時間帯の民放では、「収入格差!お金バラエティピラミッド」と称して、芸能人だか

タレントだかタレントまがいの別職業の人物だかが、それぞれに自分の年収を披露するという番組を

やっていたけれど、どういう神経なんだかねえ、とほんとに分からない。番組を放送する民放局の姿勢

も含めて。

 

料理人のジローラモ氏の年収が1億だかで、買った買い物が2600万のフェラーリとか。わざわざ見た番組

ではないけれど、昨日、東北で、日本中で、世界の国を繋いで、311の犠牲者への追悼をしたばかり

なんだよ。

 

こういう人たちばかりではないことはよく解っています。南三陸に行った時、東京の演出家の誰それそれ

さんからお客様に配るティッシュ入れの注文を頂いた、と海山仲間から聞きました。「だれ、だれ?」と

聞いても「忘れた」とその時は誰方からの発注かわからなかったけれども、後で有名な演出家の方だと

知りました。

昨日書いたSMAPだけではなく、被災地の生活再建を応援し続けてくださる著名な方がいくらも

いらっしゃることは、よく知っています。

 

そして4年目の始まり。年月に区切りがあるわけではなく、なーんにも変わりはしないのですが、でも3年

経った今ある困難が新しい1年で少しでもよくなるように、努力していきたいなあ、と思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

三年

昨夜から又もやの大雪。   いや、ほんとにふかふかの大雪で出るも入るも大変です。

除雪車に雪をどけてもらって、朝一で道の駅へ行き、昨夜鳴子観光ホテルでお会いした明大付属中野高校

の先生方と再会。きのう渡しそびれた新聞バッグやお土産のバッグをお渡ししてお別れしました。

すぐに帰宅してお餅仕事の後片付けを済ませ、昼過ぎ陸前高田へ。

 

今日は昨年筑波大学の農村学会でお会いしたフリー刺繍家の天野寛子先生(元東京の大学の教授)の

刺繍の展覧会がある日なのです。刺繍画集は送って頂きましたが、本物を見るのは初めてなので、今日は

3月11日で人が多いだろうなあ、と思いつつも陸前高田の元の市街地からだいぶ離れた広田半島の

先端に近い元オートキャンプ場を利用した仮設住宅団地に向かいました。

3回目の3月11日が近づいて、このところテレビは311に関連する報道ばかりで、やっぱり見れば様々な

ことが思い出されて涙が出ます。特に福島から外に出られて避難している方々の生活状況が厳しくて本当

に心からお気の毒で胸が痛みます。

 

2時46分は気仙沼から陸前高田に向かうトンネルの中。トンネルから出ると道路沿いの会社の敷地で

大勢の白い作業着姿の従業員の方々が整列して海のほうに向かい黙祷をされてました。コンビにでも

黒い洋服姿の方が目に付きます。

久しぶりに来る陸前高田。海側山側元市街地全部が大工事地帯です。

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45号線沿いなんだけれど、なんかへんだなあ、と感じていた理由が判明。3年経った今も電柱がない。標識

もないし、要するに普通道路にあるようなものはまだ何もない。

 

広田半島に入ると、何にもなくなった陸前高田市街地と同様の何もなくなった空間がもうひとつあって、陸前

高田の被災の広さ深さに愕然。知らなかったわ。

天野先生の刺繍画展、松原刺繍プロジェクトが行われている小友仮設住宅団地。

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集会所の中の展示会場。311の今日はお茶っこ飲み会でテレビクルーも入ってました。

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天野先生と先生の作品。

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3時間のドライブはちょっときつかったけど、先生とお会いできてよかった。この次は鳴子にも来ていただけ

るそうです。
帰り道は気仙沼からそのまま南三陸に向かい、、菊の師匠、小野寺宅がある港仮設に寄り道。

半年ぶりくらいでお会いするご夫妻はお元気そうでした。

 

3年たったね。3年の感想は?という話題になって、「うーん、どこからどんな形で考えてもモノが言えない」

人が聞いたら「?」という感想だけど、私はわかるような気がします。人の心の復興ではなくて、もっとハード

な面での町の建設が進んでいるように一見見えるんだけど、どんな町になるのだか想像がつかない。

いいんだか悪いんだかも解らなくて論評ができない。

 

福岡の知人から箱いっぱいのキルトの作品が送られてきました。80歳を超されたキルトの先生ですが、

この3年の間、生徒さんと一緒に作った作品の数々をほぼ定期的にというくらい着実に送ってくださいます。

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被災地の方に差し上げるのもよし、売ってお金にするのもよし、とお考えのようです。

この知人のほかにも、この3年間、自分の年金の一部を送り続けてくれている友人がいます。

そしてこの3年の間、季節の催事に必ず大量の新聞バッグを注文してくださるお客様がいます。

そのようなお客様は一人や二人ではないです。

 

東北に住む私たちにとって311は現在も続く現実であり、東北以外に住む者にとっては311は過去の

出来事になりつつある。でも原発の被害も津波の被害も、宮城に住む私たちの作物の放射能の影響

でさえいつ終わるのか先が見えない状況です。

風化させないというのは意思の力が必要です。

SMAPはこの3年間、SMAPSMAと言う番組で欠かさず義捐金を募り続けている、ということですが

やはり続ける、という強い意志がなかったら続かない。

海山もそうです。3年間よく続けてきたな、と思うけど、ポジティヴである時もネガティヴになる時もあるけど

やっぱり根底には「続けよう」という意思があってのこと。そしてその意思を周囲で応援して頂いて今がある

のだと思います。

 

311を過ぎたらあッtいう間に静かになって、話題にもならないということが普通。なんてことにならないよう

意思を持って声を上げ続けていきたいものです。

往復6時間半のドライブはさすがにきつかった!

 

 

 

 

 

 

 

新しい車がやってきた!

昨日はザーザー雨降りで、今日はここは北海道か、と疑いたくなるような雪。いや時々吹雪いてます。

昨年の晩秋に注文した新しい車。4台目のホンダフィットがとうとうやってきました。4台目は違う車にしたいといろいろ探してみたのですが、荷物を運ぶとか、軽自動車は雪や凍りつく日は怖いとか、あまりに進化した今風の車はどうしていいかわからんとか、思うところが多くて最後は面倒になり、やっぱり乗りなれた フィット。

12月末にホンダさんに来たまんま、預かってもらっていたのですが、遂に持ってこられてしまった。
というのが正直な心境。

前のフィットは娘が乗って夫が乗って私が乗って222000キロ、この東北を走りに走ってさしたる事故もなく
命を護ってもらいました。母、父、夫、順ぐりに病院へ送って迎えて、思えば介護車みたいだったなあ、   と今思います。みんな旅立ってしまって私は一人でこの車に乗るわけですが、後何年運転するのだか。

新しい車は恐れていたとおり、キーは自分が持っていればよくて、ボタンを押せばエンジンがかかるという
ヤツ。今これしかないんだよ。便利なんだよ、と周りからも言われたけれど、なんだかキーを回して始動のエンジン音を聴くという動作がないというのは不安定で初日はげっそり疲れました。

とにかく安全に勝手にエンジンがかからないようになっている。キーも昔のように「もう1本スペアを作って
おこうかなあ」と鍵屋さんで作れるようなものではなく、暗証番号を覚えておかなければ壊れた時
にも困るそうな。

進化なんだけど、私が出る幕がないような。便利に任せた認知症予備軍になるような。でもなあ、年寄り
なんだから安全第一だからなあ、と車の傍で思い乱れていたら、
「何やってんの」と来合わせた郵便屋さんから「そんなことで悩んでいるうちは認知症なんかならないから。
さっさと乗りなさい」と一喝されました。

この間近所の郵便局で、腰と背が曲がったずいぶんお年らしいおばあさんと居合わせました。
外には軽トラが1台。送ってきた人見えないなあ、と思っていたら、用事が終わったおばあさんは運転席
にかじりつくようにしてよじ登り、自分で運転して帰られました。

マニュアル車だよ。
ここはそういうところなんです。
ここに住むならやるっきゃないんです。がんばろう!

 

 

確定申告の締め切りが近づいてきて、この数日ほとんどの時間をパソコンの前で入力したり、あれがない、
これがない、と探し物ばかりしています。

昨年まで、領収書類を入力したら、「ハイヨ」と夫に渡してあとはどこ吹く風だった怠慢が、今年はもろに
覆いかぶさってきて、何をどう書いたらいいのかわからんことばかり。おまけに昨年までの書類を夫が
どこにしまったのか見当がつかず、「どうしよう」と夢にまで出てくるようだったのが、さっき家捜しして
ついに見つけました。木箱の中にれいれいしく納まっていた。

あー、よかった!
ほっとしてブログ書いてます。
早いもので今日よっちゃんがニューヨークから帰ってきます。帰れば帰ったで、やることは山積しています。

もうすぐ大震災から丸3年。例年のことですがテレビでは毎日のように被災地の今というような番組やって
います。なんだか何を見てもどれを見ても「うーーむ」という心境。とにかく新聞バッグはたくさん折らなければならない現状。早く申告終わらせて新聞バッグ作りたい!!私も。

 

 

 

 

 

 

 

 

よっちゃん、ニューヨークへGO!!&栗原の雛人形展

朝一でよっちゃん、みっちゃんが我が家へ。

今日出発するニューヨークへ持参する新聞バッグ、できたてのホヤホヤを取りに寄ってくれたのもありますが、夫の写真にお線香立てて、出発の挨拶もしてくれました。

昨年の秋、東北の地元の仕事を作るべく、さまざまな形で応援してくださっている高知県四万十の四万十
ドラマの畦地社長やデザイナーの梅原真氏から、「東北でも新聞バッグコンクールをやりましょう。どこで
やる?」と問われて、そこでの話しの動きからまさかの「ニューヨーク!?」ということになって、えーッ、
えーーッ、と驚いている間に時は過ぎ、ついに視察第1陣がニューヨークに向かう日を迎えました。

まーーあ、この数日の忙しかったことといったら!!

新聞バッグの注文の仕事も立て続けで気が抜けないのに加えて、ニューヨークへお土産に持って行く新聞
バッグのづくりで、よっちゃん、みっちゃん、四万十チームも私、あやさん、クロダさん、関係者全員間に合うかと肝が縮まる思いでした。

でもみんながんばった、がんばった。

英字、日本字混合の古新聞で、ワインバッグ、野菜を入れるオーガニックバッグ、くしゃくしゃに揉んだ新聞紙で作るもじゃくりバッグ、書類を入れるバッグ、PC入れバッグ、そのままポストに入れられるハートのバッグ、その他その他。

手荷物で持って行くのも大変ですが、でもこれをニューヨークでお会いする方々にお土産でお渡ししたら
どんなお顔をなさるかな、と想像すると楽しくなります。

さて今日からほぼ1週間、海山の広報営業部長よっちゃんがいないのでちょっと心細いのですが、その分
留守居役のみっちゃんと相談しながら海山仕事をこなそうと思います。

 

今日こそは外に出る用事も特にはないので、申告をやらねば、と意気込んでいたら昼ごろ由美さんが
栗原の雛人形見に行かない?とやってきました。

だめだめだめ、遊んでいる場合じゃないんだ、と思いつつも以前から興味がある「商家の雛人形」とか
「雛街道」とかの誘惑に負けて、車で30分ほどの栗駒町へ。

栗駒町は311の東関東大震災の前に起こった内陸地震で栗駒山の一部が崩落するという大きな
被害を受けた町ですが、ここ岩ヶ崎の商店街は無事だったようで町の通りは昔ながらの佇まいでした。

雪が溶けてないのにはびっくり。うちのほうがまだあるよ。

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この静かな、どこにお店が開いているのかなと思える店内には大きかったり小さかったりのお雛さまが
飾られています。

洋品店のお雛様

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上のほうにはバッグ。セーターもブラウスも昔ながらのカルメラ焼きの駄菓子も一緒。

ぶらぶら通りを歩いて雛人形の展示場へ。

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これは珍しい御殿雛。

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布で作った桜の花。花びら、蕾。気が遠くなるような手仕事。

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そして栗原に於いて日本で唯一最古の藍染め手法を守り続ける藍藍土・文字の千葉まつ江さん(県無形文化財)の藍染の作品。

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縫い物仕事が好きな娘は小さな針刺しや端切れを買い求め、記念品にしたいような大きな籤で由美さんちのススムおじさん用のビールを引き当てた孫は大満足。

こんなことで今日1日も終わりました。

窮屈な飛行機の中でよっちゃんは今ごろどうしていることか。ニューヨークからの連絡が待たれます。