ピアノコンサート

子供の頃、裕福な家で育ったわけではないので、ピアノとかバイオリンとかは
全く無縁でした。

小学校5年生の時に私が習わせてもらったのは、実質的にそろばん。そろばん教室の
決まり文句の「願いまーしてーは」は、今も耳に残っています。

父親の転勤で転校を重ねた子供たちにはピアノもバイオリンも習わせなかったけれど、
中学生になって吹奏楽部に入り3人ともホルンを吹くようになりました。

演奏会や大会でその頃からだんだん音楽を聴き覚えてきて、楽器を聴き分けるまでには
ならないけれど、なんとなくクラシックの音楽が好きになっていきました。

この地に住んで娘が結婚し、生まれた孫が4歳になったらバイオリンでもピアノでも
教えるから連れて来てね、と言ってくれていた友人が50歳を過ぎたところで亡くなって
しまい、その友人の友人のところに4歳になった孫を連れて行きました。

私が約束を守りたかっただけで、べつにピアノが好きでもなんでもなかった孫は以来
7年間、1週間に1度のレッスンをほとんど休まずに続け、春と秋のコンサートや
発表会にも出場し、学校の合唱伴奏も務めるようになりました。

 

春分の日、岩手県一関の世嬉の一酒造クラストんホールで第19回一関男子ピアノ
コンサートが行われました。4歳からだからもう7回目の出場。
読んで字のごとしで、実行委員会、出演者は男子のみ、女子が入れるのは客席のみ
というごく真面目に男子だけのピアノコンサートです。

 

主催は一関バッハ研究会、一関男子ピアノクラブコンサート実行委員会。

この実行委員会の委員長は一関一高校の2年生。昨年は1年生だったので驚きました。
小さなコンサートだとはいえ、毎回40名近くの出演者がいて、会場にはその家族、
ピアノを教える先生方などがいて、会場は100名を越える聴衆で埋まります。

そのコンサート全体を運営する実行委員会は、高校2年生の委員長以下出演者も兼ねる
中学生も含めて5名。委員長が卒業すれば後をまた下の学年に繰り下げるという形で
コンサート自体を男子の出演者のみで作り上げてきて今回で19回目。

これは本当に素晴らしい手作りのピアノ演奏会で、全国でもまず見られないのでは
ないかと私は思い、毎回楽しみに聴きに来ます。
出演者は男子なら1歳でも成人でもOK。今年の最年少は小さな2歳でした。

演奏会は毎回ビートルズの「Let It Be」から始まります。
この曲をこの演奏会で演奏したいばかりに練習を続けているという中学生もいました。
今年は3人の連弾で楽しませてくれました。

 

 

男子ばかりというのは、女子も混じるピアノ発表会のように華やかさはない代わりに、
着ているものが皆同じく男子そのものなので、他に気をとられず演奏する音のみが耳に
入るという利点もあります。

毎年毎年一人一人が大きくなって、演奏する曲目が毎年難しくなっている。弾き唄いを
していた出演者が大きくなってピアノ演奏のみになる。ピアノを演奏していた子が
大学に入り音楽の道に進んで本格的な独唱者としてステージに立つ、などの成長の変化を
見せてもらえるのも大きな喜びです。

今回の我が家の孫の演奏曲はブリュグミュラーの「ないしょばなし」
流れるような旋律のだいぶ長い曲ですが、小学校の音楽祭の合唱伴奏と重なって、指導
してくださる先生にはずいぶん無理をして頂き、無事演奏を終えることができました。

来年は第20回。

またこのコンサートに出場できるようにみんな元気でいてほしい。
小さい子の面倒を見ながらコンサートを進めてくれた実行委員会のみなさん、そして
宥めたり励ましたりしながら根気強くご指導くださった先生に心から感謝いたします。

入場無料。どなたでも行ける演奏会なので、是非来年はピアノを弾くカッコいい
男子たちの演奏を聴きにきてください。

 

 

途切れずにまた、、、。

南三陸に行ってきました。
新聞バッグをとりに。懐かしいおばあさんに会いに。

今年になって初めて?なのかどうか。

なんかどんどん記憶も怪しくなって、大事なことも大事じゃないことも片端から
忘れ去る昨今なのだけれど、久しぶりにのんびりと高速ができる前から走っていた
ゆうゆうと流れる北上川に沿い、春も秋も樹木の彩りが美しい内陸から海辺の町
へと峠を越える道を行くことにしました。

登米町から南三陸町に抜ける峠に長いトンネルがあります。
その出たところに、

「南三陸にようこそ。
みなさんの支えで今日もがんばれる」

という標語の大きな看板が立っています。

新聞バッグの引き取りで何度も何度も南三陸に通ううちに、この看板を見覚えて
しまって、毎回来る度に「看板あるかな」と気なってしまう。
大震災から8年も経った今日も、やはりありました。よかった。

復興は進んでいるとは言うものの、来る度に、変わったなあというのが実感。
この変わり方は言葉では説明し難い。高速道路が整備されたとか食品スーパー
ができたとか、山が頂上まで住宅団地になったとかは解りやすいのだけれど、新しく
作り上げられていく町全体はいいんだか悪いんだか心境複雑。

さんさん商店街には変化がありました。
屋外休憩施設に立派な囲いができていた。

休憩するのも食事をとるのも吹き抜ける海風で、寒かったり雨が吹き込んだりして
落ち着かなかった休憩所がこんなに立派になりました。

防災庁舎の周りも更に大きな土の山が重なり合い、前を流れていた川が巨大な護岸
工事でコンクリート化してました。

新聞バッグを作ってもらっている歌津のけいこさんのお宅は今ワカメ作業の最盛期。
自宅は無人で、家族総出で浜の作業小屋で作業中。

浜まで下るうねうね道沿い、山を切り拓いて作ったの新しい住宅団地の中に小さな
カフェを発見!
大いに驚きました。通りすがりの人が立ち寄る場所ではないので、近隣の方々が
楽しむカフェなのでしょう。入る度胸がなく通過。

丁度お昼で、作業小屋はお父さんもおばあさんも休憩中。

今年はワカメの収穫が少なく高値なのだそうです。

驚いたことにボランティアさんがワカメ作業のお手伝いにみえてました。
毎年今の時期、東京やその他の県外からボランティアさんが来られるそうです。
今日は毎年来られるという作業に手慣れた男性と東京からの女性がふたり。

私など地元に住むものが知らないところで、こうして地道に東北を支えてくださる
方々がいることを知って頭が下がります。

頼んだ新聞バッグをもらって、少し小さくなったようにみえるおばあさんに別れを
告げて早めに帰途につきました。またもやのんびり元来た道を。

 

帰宅してけいこさんにもらった茎わかめと朝どりメカブを教わったとおりに切ったり
叩いたりして夕食に。

その道エキスパートのけいこさんのようにはできないけれど、メカブはさっと茹でで
包丁で叩きに叩き刻んで玉ねぎスライスとおかかとポン酢で。
茎わかめは細く切って生姜と人参と一緒に南三陸特産うま醤油漬けに。

 

そしてもうひとつ。財政緊縮で新聞を送れなくなりました。残念です、と2年ほど前
にご連絡くださった東京のSさんから、また送れるようになったので、USED感はあり
ますが、溜まったので送ります、とドイツの新聞が届きました。

心に留めておいて頂けただけでも嬉しいことです。
これでまたドイツの新聞で新聞バッグが作れます。

終わるのかなあ、と思っていてもやはり終わっていない。
大震災から8年、新聞バッグも人との繋がりもこんなふうに続いていくようです。

 

 

 

 

 

 

温泉の街を歩く

日曜日。鳴子に行った帰りに川渡温泉のカフェカガモクさんに寄りました。
温泉駅近くに店を構える酒屋の若主人のよしひろさんがいて、近々今年できるお酒の
発表のイベントをやるんだ、と聞きました。

私はお酒は飲まないことはないけど、全然詳しくない。
よしひろさんが魂を込めて作る「雪渡り」というお酒は、有名で、作る量が少なくて
なかなか手に入らないらしい。
飲んだことはなく、買った人が大切そうに飲まずに飾っているのを見たことはある。

私の知識はその程度で、そのお酒が毎年新しく作られる度に、その発表の日に記念の
お祝いをやって、その集いには参加したい人がたくさんいるのだけれど、人気があり
過ぎてなかなか会員になれないのだそう。それは初耳。

で、その会をやる日のお昼に川渡温泉を歩く。そっちは参加者が少ないから飛び入り
自由と聞き、歩くのは自信があるので参加申し込みをしました。

という経緯で、当日、一応トレッキングの格好なぞして集合場所へ。
着いてびっくり。参加者は全然少なくない。老若男女取り混ぜて、たくさんの参加者が
談笑してました。

いやあ、驚いた!
お酒の会って、こんなに人が集まるの!

ひとりで県外から来られた中年の女性と歩きながらお話を。勿論お酒は手に入らない
けれどもこのお酒のファンクラブもキャンセル待ちだとのこと。

お酒は買えない、当然飲めない、ファンクラブに入れないじゃなんの楽しみが、、、
と思わずにはいられない私は、きっとお酒の楽しみ方を知らない全くのど素人。
でもこうしてお酒が発表されるまでの間をお酒が好きな人同士、歩いたり喋ったり
して待つ時間もまた楽しからずやと理解して、午後の半日、暖かい陽射しを浴びながら
ご一緒に歩きました。

工程は午後から夕方まで。
川渡温泉駅から歴史に残るところを案内して頂いてカフェカガモクさんで終了という
コース。

お酒のことも川渡温泉のことも何も知らないまま、人にくっつき歩いた温泉町歩き
なので確かなことはほぼ分かりませんが印象に残ったことだけひとつふたつご報告。

少しはわかったのはこの雪渡りというお酒は、お酒の蔵がない鳴子で地酒を作るという
夢を持った16人の仲間たちが作ったお酒だそうです。そのお酒の元になるお米が
育った田んぼを見るのは午前のスケジュールということで、私は参加不可能、

よって私は駅近くの宝照寺からスタート。
珍しく日蓮宗のお寺。昔刀の産地であった玉造の刀に関係しているお寺らしいです。

次に引率役の小林氏に案内して頂いたのは鍛治谷澤駅跡。

ここは元宿場町であったらしい。鳴子の古道の中継点になる大きな宿場であった
らしい。興味を惹かれました。

江合川を挟んで温泉街の対岸にある住宅街の坂道をぶらぶら登って行くと最終的
には東北大学川渡フイールドセンターに行き着くらしいのですが、私はまだ行った
ことがないのです。大学付属農場として日本一の規模を誇ると何かで読んだことが
あり、是非行ってみたい。

ずいぶん前のことだけれど、道の駅で学生たちが栽培したブルーベリーの苗を販売
したことや、深夜に近い時間の藤島温泉のお風呂で、フイールドセンターの実習を
終えて温泉に来た女子学生たちが、牛の話をするのを聞いていたことを思い出します。

フイールドに入る門口のところで降りてきた学生たちと合流してUターン。

なん百年ここにいるんだろうか、と見上げる大木の説明など聞きながらのウオーキング。

こんな丸見えの線路の真ん中に立つなんてあまりない経験。
陸羽東線、背後は鳴子、前方は古川、小牛田。

人が住む町を歩いて一周して下って江合川の長ーい橋を渡って温泉街へ。

週に2、3度は温泉に入りに来るけれど、歩いて橋を渡るのは初めてです。

川面にたくさんのマガンが。
もう一月もすると北へ帰ってしまう雁の群れ。

橋を渡って温泉街に入りカガモクさんへ。

 

楽しい半日が終わりました。

カガモクカフェでコーヒーとカガモク特性熱々揚げドーナッツを頂きながら
高橋よしひろさんが歌う「雪渡り」の曲を聴きました。

この歌は味わいのあるいい歌です。

何回も聞いて最後の方は歌えるような気がしてきました。

私の参加はここまで。
夜の温泉でのお酒を楽しむ会には行きません。というより飛び入り参加ができる
ような状況じゃないのかも。

 

お酒のことも湯渡りのことも何にも知らない私が混じらせてもらった温泉街
歩きでしたが、こうやって年に一度の新しいお酒の発表を待つ方々の楽しみとか
そのお酒がとってもおいしいらしい、とか垣間覗かせて頂いた楽しい時間でした。
きっと夜のその時間は濃密に楽しいんだろうと思います。

参加したいと思うには少々年を取り過ぎた。

誘って頂いて本当によかった。
よしひろさんもとても素敵だった。

CD買って聴きます。東北大学フイールドセンターにも行きます!

 

 

 

お城の下で

3月11日、久しぶりに朝から雨。

お城はないけど、城跡公園の下の学校駐車場で下校してくる孫を待っていると、
雨音に混じってマイクの声が聞こえてきました。

「黙祷、、、、」

車の中で孫を待ちながら黙祷。

8年、もたったんだ、と思いつつも記憶があの日に戻ると、胸が騒めいてくる。
家の中も外も周りもほんとうに大変なことだらけだったけれども、大震災が
きっかけで始った新聞バッグのおかげで、近くから日本のあちこちの遠いところまで
広がり繋がった方達とのとても貴重なご縁に恵まれました。

でももう8年。
始った頃の役目はもう終わる時期かもと、心のどこかでは思っているのだけれど、
それでも確実に大震災以来、定期的に新聞バッグを注文し続けて下さる方々がまだ
います。

大震災以来、少しだけれどと年金をもらう月ごとに、必ず支援金を講座に振り
こんでくれる私の友人がいます。もうみんな普通の生活に戻って行ってるから
「もう充分なのよ」と断っても送り続けてくれます。

そのお金がまとまると、少し自前を足して震災遺児を育てる会に送るのももう習慣
になりました。
きっと彼女は自分でできる間は、何年経っても送り続けてくれるのだろうと思って
います。

 

先日、仙台の女性の方から「新聞バッグの作り方を教えてほしい」とのお電話が
ありました。元は石巻の方で津波被害でご自宅を失われ、今は仙台にお住まい
とのこと。
仙台まで行けば費用がかかるし、教える相手が少人数ならば講習費用も割高になる、
と説明したのだけれど、新聞バッグの物語も読んだので、それでもいいと仰る。

そんなわけでご自宅に伺う約束をしましたが、そういう要請があると、「もう
新聞バッグの当初の役目は終わったかなあ」という8年後の今の心境とは裏腹に
まだお役に立つこともあるのかな、と嬉しい気持ちにもなるのです。

菊栽培の摘芯作業開始の時期で、1年の作業の無事を願って花作り女子メンバーで、
栗ちゃんちの集落のお不動様に行くことにしました。
昨年の秋、仕事納めにもお参りした山深い鬱蒼とした杉木立の中のお不動様です。

普通乗車は入れないので栗ちゃんの軽に乗せられて行きます。
去年初めて来た時には、凄い山の中だと思ったけど、やっぱり相変わらず一人で
来るのは躊躇われるほどの山の中。

秋には屋根も地面も降り注ぐ黄金色の銀杏の葉に覆われて、輝くように見えた
お不動様は、早春の今、大きな大きな深い杉の木立に囲まれてひっそりと静まって
いました。

林道に沿って立つ石の鳥居の下で、栗ちゃんの号令がかかります。
「邪念を払って一礼!」

 

小さいお堂にぎゅうぎゅう詰めに座って、またも栗ちゃんの号令。
みんな1年間、無事に作業が進むことを願ってお札をいただきました。

お堂の後ろは渓谷。水の流れまでの10メーターほどの高さは写真ではどうしても
表すことができない。なにせ怖くてへっぴり腰での撮影です。

水の勢いで岩が削ぎ落とされてしまっている渓流。

そして草の中に置かれたお狐さま。

黙祷を済ませ、春のお不動さんにもお参りして、こらからまた1年歩みを進めます。

 

そして春は別れの時でもあり、一緒に山に登り、音楽会を主催した柿の木バンドの
ボーカルオサム君は、晴れて仙台の会社に入って新しい仕事に挑戦します。

来月には8年間苦労を共にした新聞バッグの仲間とのお別れの日もきます。

寂しいけどいいことだ。オサム君、がんばれ!