師走

ははははは~。

やっぱり1日中餅ついて餅切ってばかりやってました。お餅作って売るだけで、他のことは何もやれません。

夕方道の駅に2度目にお餅を持って行った時、花を持ってきた足の関節が痛いAと出会い、孫と三人で今

年最後の温泉に行くことに決定。他の用事は全部中断。

孫を男湯に連れて行ってもらって、私は一人でゆっくり温泉を堪能。相客がいないらしい男湯から

「いーち、にー、さーん、しー、ごー・・・」と轟くような孫の声が響き渡ります。

 

さて、今年の歳末もほぼ終わりました。

その感想は?うーーむ、何も彼もかわってしまったなあー、と。何が変わったか?

直売所に置いている品物も、生産者の仕事ぶりも、お客様の賑わいも、7、8年前とはずいぶん変わりました。

全体的に言えば活気がない。これで師走?という感じ。

27日はガラガラ状態でした。このときは近くのスーパーもガラガラ。28日も普通の土曜日より人が

少なかった。29日、30日はお買い物客で賑わいました。明日はトーンダウンです。

なぜだろう、と考えてます。

これが東京の繁華街だとか上野のアメ横だだったりすると、いつも大勢の人出があるのでわかりづらい

けど、ここにいると人が少ないとか活気がないとかが見えてきます。

帰省客が少ない?お客さんがモノを買わなくなっている(高齢化が進むことが原因だとすると、なんだか

納得。歳はとればとるほど、買いたいものがありません)。天気が悪い。それは言えてるかもしれない。

消費者の収入が上がってない。それも言えてるかもしれない。

 

アベさんの税制改革の言葉の中に富裕層という言葉がよく使われるけど、あれって、昔高度成長期の

時期に普通に会社で働いていた人のことじゃないの?

今の若い人たちが安心して働く場がないってことだよね。

そんなことをつらつら考える12月30日。明日は1年の総括をしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新聞

12月29日

今日こそは鰤をと朝から意気込んでいたけれど、結局は1日お餅つきとお餅切りに追われて、古川の

ちょっといいもの食材スーパー[pibotto」まで出かけていったのは夜。ここの魚は生きがいいので

わざわざ来たんですが、なんと鰤が半額になってた。よかった!トクした!!

ついでにおせちの材料も買いました。簡単に簡単にとは思うものの、世帯をもって以来50年、お正月

がくると作り続けてきた習慣からはなかなか抜け出せません。

 

仕事のやり方考える、とは言ったものの、結局のところは追われてる。掃除もまともにできてない。

1週間寝たのが痛かった~。

 

昨日老人の仕事のことを書いたのは、自分が年をとってみて周りを見回してみれば、友人、知人、

年をとって好い生活ができているかというと、決してそうではない現実が多いことに気づかされるのです。

市場調査などで、「老後の生活」について問われると「不安だ」という答えが多いことにうなずかされます。

50代くらいのまだ力があるうちは「なんとかなるだろう」と思うことができるのですが、とどのつまりは

全然「なんともならない」。

「なんともならないんだねえ」というのが、私たち老人友だちづきあいの合言葉のようなもんです。

 

なんとかなるのは、大企業の社員とか公務員とか大きな商売してる人だとか資産家だとか。

というようなことを、自分が年をとってきて、改めて自分の交友関係の中で考える時に、これは(老後につい

ては)10年くらいかけてしっかり考えるべき重要課題ではないのなあ、と近頃思います。

 

集落の中にある別荘地という立地で暮らしている我が家の新聞受けは、下の県道に面した私道入り口に

設置しています。家は何軒もあるのだけれど、住んでいないので新聞をとってるのは2軒だけ。一番高いと

ころにあるIさん宅は毎朝犬の散歩をするので、その時に新聞をとります。

坂道を歩かず、車で通過する私は新聞をとるのが面倒で、ついついほったらかし。どうかすると溜まりに

溜まって箱に入りきらないという事態も発生します。

それでも放置していたら、区長さんから電話がかかってきました。

「どうかしましたか?新聞屋さんから新聞が溜まっているんだけど、大丈夫だろうか、と電話があったの

ですが、具合でも悪いですか?」

一人暮らしの私は、新聞受けに新聞を溜めて、大丈夫か?生きてるか?と新聞配達さんを心配させた

ようです。恥ずかしい。

この間テレビで裏日本の大雪を押し分けて郵便を配達する郵便配達の方を映していましたが、「どうして

それほどまでにして行くのですか」という問いに、家の中のお年寄りが「生きてるかな。死んでないか」と

思うので行くと答えてました。

私の友達の由美さんも、雪が降ろうが凍りつこうが、倒れている竹はノコギリで挽いてでも行くという

くらいにヘルパーさんの仕事を全うする人ですが、こういう方たちに私たちは見守ってもらっている

ことを感じます。

 

残すはあと1日。きのう8人の人にお餅を送ったら、一緒に入れようと思っていたお汁粉用の餡子を

外の冷蔵庫を気取って発砲スチロールの箱に入れて戸外においたら、送るの全部忘れてしまった、。

寒ーい時に食べるおいしいお汁粉を味わってもらおうと思ったのに。ああ~~ばかな私。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仕事のやりかたを変える

12月28日。

例年だったら今日鰤を買ってきて、お雑煮用に塩で締めるのですが、時間がなくて買いに行けなかった。

一昨年亡くなった夫も、その前に亡くなった父もお正月三が日は、この塩ぶりが入った博多雑煮ばかり

食べてました。今年の正月は喪中で作らなかったけれど、来年の正月は作ります。

降って湧いたように突然具合が悪くなって、「これはいよいよかな」と何かの病気を覚悟したら、六日間

寝て起きられるようになって、今日はほとんど元どおりになりました。

「はあー、やっぱ治るんだねえ」と何か不思議な気分。

 

でも今回は考えました。

以前だったら三日寝れば起きられたかもしれないのに、確実に回復に時間がかかるようになっている。

加齢ということだねえと。仕事のやりかたを変えなければならない。

福岡にいる私の親しい友達は、中学1年の時から6年間硬式テニスのパートナーでした。その時代まだ

硬式テニスが主流ではない頃で、練習や試合や合宿などは市内の私立男子校の生徒と一緒にやって

ました。社会人になっても彼女はその時代の仲間と交流しながらテニスを続け、選手をやりコーチをやり、

コーチができなくなると子供たちを指導し、70歳を過ぎた今は障碍者の方に教えています。

でももう「走るの苦しいよっ」と言ってますから風前の灯ではあります。

 

50歳からバトミントンを始めた私の母は80歳まで現役でした。80歳となると試合なんぞには出ていなか

たけれど練習には行ってました。80歳でもまともに打ち合うと私は負けてました。長年培った力は80歳

と50歳という若さの差だけでは太刀打できないです。

 

もうひとつ母が50歳から始めたものがあって、それは絵と木彫でした。絵と木彫はほぼ92歳で亡くなる

寸前まで現役でした。若い頃に彫ったレリーフの彫りの深さは木を貫きそうに深く力があり、86歳で

福岡から宮城の私のところに来てから掘った木は優しい浅彫りです。

いつも枕元にスケッチブックを鉛筆を置いて寝てました。イメージが湧くとすぐに絵に描きデザインし、

木に彫って色を掛け、父が磨くという段取りで仕事をしていましたが、40年の間に大から小まで何百の

木を彫ったことか、想像がつきません。何度も個展をやり、北海道から沖縄まで生徒さんがいました。

母のことを思い返してみると、やっぱり年齢に合わせて仕事をしてきてます。

 

何にもできない私は友だちや母と較べるわけにはいかないんだけれども、それでも今やっている仕事を

年齢に合わせて変えなきゃね、と思いました。仕事がお餅つきだから、ちょっとかっこ悪いけど。

でもこれはオトーサンが私に残した仕事だからやめません。

これまで朝晩やってたお餅つきを朝だけにするとか、冷凍にするとかいろいろその年齢、体力なりの

仕事のやり方を考えて、またそのやり方を品物を販売するお店のほうにも柔軟性を以って受け入れて

もらって仕事を続けていけたら、老人も安心して働けるということなんですが。その点道の駅とか直売所と

かは年をとった人間にとって、ほんとうに有難い仕事場です。

 

さて、明日は待ったなし。買い物に行ってお正月の用意をします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本人はえらい!!

南三陸から戻って、寝込んでました。お餅屋のくせになんと6日間も。

風邪ではなくて検査受けたりしたのですが、大丈夫でした。やっと今日なんとか起きたらもう27日。

なんとしても年内に行かなければならない業務品卸屋さんに今日は行こう、と思うのですが、

なに?この雪は?どこもここも真っ白に積もっているうえに、まだ降っています。

例年の雪降りが一ヶ月くらい先を行ってるみたい。普通だったらこんな雪景色は1月になってからだよ。

 

3時頃家を出て古川の町に入ったら、どの道路もこの道路もものすごい渋滞。

そうだ、今日は仕事納め、御用納めの日だったんですねえ。今日みたいな日、世間では納会なんて

やるんだろうか。昔はやってましたけど、でもこの雪じゃ落ち着いてお酒飲む気がしなくなるんじゃない

かしらん。

 

エムパックで買い物済ませて外に出ると真っ暗になってました。雪がどんどんどんどん降って道は

圧雪とか凍結とかいろいろ。ワイパーは凍りついてガリガリ。赤いテールランプがずらーっと連なって

車はなかなか進みません。あまりの混みようにどの道通って帰ろうか、と頭を悩ませます。

時速5キロとか10キロとか一寸刻みに進みながら、なんだかこの感じ前にあったような・・・・・・。

そうだった、大震災の日がこうだったー、と思い出しました。

 

あの時私は古川にいました。イオンモールの駐車場に車を停めていて、地面が揺れ動くので暫くは

車を出せなかったのですが、周囲の道路が車で埋め尽くされるのを見て、自分も出なきゃとガタガタ

震える手を押さえつけながら駐車場から出ました。新幹線の下の道路は上から水が降っているし、

あの照明みたいなのも折れ曲がって落ちたりしているので避けて、信号がなくても曲がれる道を

帰ろう、と埋め尽くされた車列に入りました。両側の建物から崩れ落ちたガラスが怖いのと、余震で

他の車とぶつかるのが怖いのとで中央よりを一寸刻みに進んでいきました。

 

誰一人、クラクションを鳴らすこともなく、行列を乱すこともなく、入ってくる人は入れて、何かもう

魅入られたように大人しく運転して、大きい交差点も小さい交差点も信号機はないのに、ちゃんと曲がれて

というより曲がらせてもらって1時間半くらいかかって(普通は30分)帰りつきました。

外国だったら「何やってるー!」とか「さっさと行けー」とかクラクション鳴らしたり、映画とかで見るじゃ

ないですか。あんなの全然なかった。日本人ってすごいんだわーと思いましたよ、あの時。

 

今日も同じ。同じ速度でほぼ同じ車間で真っ白な道をゆるゆるゆるゆる走って、遅くなったので家には

帰らずそのまま川渡の温泉に行きました。いやあ、凄い雪。昨夜でも40センチくらい降ったそうです。

ここのお湯は湯船からお庭が見えるのですが、灯りが灯った灯篭の屋根の雪は50センチ越えてる!

それでも上から上からしんしんしんしん雪が降ってきます。

何時止むのさ。ほんとやめてほしい!

 

私が寝込んでいる間に南三陸のけいこさんが倉本聰先生の新聞バッグを仕上げてくれました。

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8畳の部屋いっぱいの新聞バッグ。

これを送って安心してお正月が迎えられます。

黒田さんは明日雪かきから解放されて、実家がある熊本へ帰省。いよいよお正月ですね。

ああ、なおってよかった!!

 

 

 

 

 

 

新聞バッグ講習会

この秋から黒田さんがやってくれている新聞バッグ講習会がもう5回目になりました。

NPO大崎地域想像研究会の小玉さんから「やりたい人がいるのよ」と連絡を受けて、それでは、と始めた

講習会がこんなふうに続くとは思っていたかったのですが、インストラクターの黒田さんの真面目ながんばり

と「新聞バッグ作りたい」という5人の女性の熱意で月に1度という形で定着してきました。

始めから「月1で講習会を始めよう」という私たちの企画ではなく、自然発生的に「作ることが面白い。作って

みたい」という方たちが集ってこういう形にしていった、ということが凄いと思います。

場所は古川の公民館ですが、受講する方は石巻や古川で被災した方などさまざまです。始めはぎこちなく

て会話も弾まなかったのですが、今はみんな楽しそうで時間内で終わらないことも度々です。

 

今日は私は朝はお餅仕事。朝9時からの講習にずいぶん遅れて行きました。

雪がまだたくさん残って周辺びちゃびちゃしている状況でどのくらいの人が集まっているのかしら。

そんなつもりでドアを開けたらびっくり!!

えーーッ!と驚く盛況。多人数。

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普段の人数に加えて、もしよかったらと連絡しておいた石巻から、加美町から、また古川在住の新しい

方も加わって、熱気のある講習会場でした。今作るバッグの種類は決まっていて、これから取り組む

ロイズチョコレートのバッグ、そして通算3年目になる高知銀行さんのノベルティーバッグです。どちらも

大きな企業で使って頂くバッグなので、お客様にご迷惑をかけないきちんとしたバッグでなければなり

ません。なので指導も厳しいのですが、みなほんとうに楽しそうで、見てるこちらが嬉しくなります。

またも持ち時間を大幅にオーバーして終了。みんなで相談して来年は1月11日からと決定。相変わらず

私はなんもしてなくてなんも言ってなくて、真面目で優しい黒田さんの熱意と、新聞バッグ作りを楽しむ

みんなの意思で決まっていくのが嬉しいです。

 

海山を始めて一年が過ぎた頃、代表のよっちゃんが「こちらが動くのではなく折る人がポジティヴになって

ほしい」とよく言っていましたが、その頃はそんな動きは発生する余裕もなくて、今震災から3年半も過ぎて

そんな動きになってきたのかなあ、と思います。これからどうなる?なんて考えない。そこにある仕事を

みんなと一緒に確実にこなしていくだけです。

そこから何かが生まれてくるでしょう。

1月末に納品予定の三菱東京UFJみどり会さんの新聞バッグ制作をお願いしていた石巻、渡波のKさん

Bさんが斬新なダンボール箱に新聞バッグを詰めてきました。

なんと丸ダンボール箱。びっくり!! まるで味噌だる。

「なーに、これ。こんなダンボールってあるの?」

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渡波のKさん、

「自分で新聞バッグ用に作ったんだよ!」

新聞バッグには最適。ぴったし入るというこの3個の丸ダンボール箱。Kさん凄い、と思うけど、開けるの怖い。

まさかくるくるに巻かれて取っ手がつぶれてるなんてないよねえー。

明日は南三陸にロイズバッグの講習に行きます。雪が降らぬ間に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ノクターン」の新聞バッグ

秋の終わりに新聞バッグ講習に出かけて行った富良野の倉本聰先生より、来年1月に公演がスタートする

「ノクターン、夜想曲」の舞台の時に使用する新聞バッグの注文を頂きました。

ノクターンのテーマが福島の原発なので、使用する新聞は福島民友です。倉本先生が富良野で購読されて

いる新聞をいただいてきたので、あやさんと黒田さんが新聞バッグに作ってくれました。

とても素敵です!

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これをもう相当数作らなければならないので、福島民友新聞集めを始めました。

宮城と福島は隣り同士。なんとなく、まあ大丈夫だろうと多寡を括っていたら、これが簡単ではなくて

焦りました。宮城の河北新報ならお願いして頂くこともできるのですが、伝も無いのによその土地の新聞を

多量に頂くというのはなかなか難しい。甘かった。英字新聞のようにはいかなかった。

何事にも時間がかかるということです。

 

1月初旬の納品日まで、もう時間もなくなってきました。もしや、と思って富良野でお世話になった「くるみ割

り」のみやこさんに電話をしてみたら、ありました。持ってらっしゃる分と先生のところに溜まっている分を

吹雪が行っちゃったら送ってくださる、ということでホッ。本当にホッ!ああー、よかった。

先生の奥様はたった1回の講習だったのに、その後50個も作られたとのこと。楽しんで作られた新聞

バッグは素敵です。きっといろんなデザインを折られるようになると思います。

 

途中まで作って新聞の到着を待っている南三陸のけいこさんが、暮れまでには馬力全開で作ってくれるでしょう。

その後はお正月だもの。お正月は休んでもらわなくちゃね。

 

宮城県沿岸部に住んでいるけいこさんやその他のみなさんに来年こそは、少しでも良い年になってくれれ

ばと願います。まだウニやホタテの処理場さえできてないのだから。

お正月が終わったら、まず富良野で「ノクターン」の公演が始まります。新聞バッグをどんなふうに使って

いただけるのか、楽しみです。見たいなあ、そして作ったけいこさんに見せたいなあ、と思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大雪の1日

降ったー、降りました。大雪。

昨日はこのくらいでした。お迎えに行った幼稚園の園庭。DSCF2579

お隣の小学校では高学年の子供たちが雪掃きをしてました。

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そして一晩明けたらこれこのとおり。

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除雪車に雪をどけてもらわなければ車を出せなくなりました。

うちのチビはえらい!!家なき子だったもんで推定年齢しか判らないのですが、10何歳か?

ヨボヨボのヨレヨレ、耳は聞こえず目は見えず声は出なくなり、鼻だけは活きてるみたいで、

ご飯は時間がかかるけど食べます。このチビがえらいのは人間なら重症認知症的動きしかしていないにも

関わらず、ちゃんと用足しに外に出ます。24時間いつでもというのが付き合う私としてはちょっときつーい

ところなんだけど、毎回凄いなあ、と感心します。近頃は外に出ても側溝に落ちたり、斜面を滑り落ちて

いたりするので気が許せませんが。

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深雪でなかなか場所が決まらず苦労してます。横で私は「チビ、早くしてくれ」と震えてます。

 

昨日も今日のお餅は休み。

車が出せないので孫の幼稚園も休み。

今日はタブレット用眼鏡をかけて、公明正大にほとんど文句を言われずゲームができます。DSCF2589

 

午後になってやっと除雪車が入ってくれました。が、まだ雪は降り続いてます。

どこにも行かず何もせず、雪だけを見て1日過ごしています。

よっちゃんとこ、雪かき大変でしょうねえ。片手じゃできないから。黒田さんも道路まで出るのに雪かきで

アゴ出してるでしょう。まだ12月半ばなのに、こんな雪で除雪の予算を使ったら後が大変だと思う。

明日は仕事をします。今から餡子を煮ます。

のつもりだったけど、また凄い勢いで雪が降り続いています。明日は50センチくらいになるんじゃないのかなあ。

異常事態ですよ、ほんと!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

空しい気分の夜

寒ーーい! 昨日から超寒い。雪は予報のようには降っていないけれど、ばりばりにシバレまくってます。

明日から少しでも暖かくなりますように。じゃないとクマモンの黒田さんが可愛そう。南国うまれだからねえ。

選挙が終わりました。なんともなんともむなしい気分。

 

20年余り前、日本の高度成長の波が下降線を辿り始めたころ、企業界ではトップをきるくらいのスピーディ

さで夫の会社でリストラが始まりました。対象は1500人。

夫はその頃50歳前か越えたかの年齢で、大学を出てそのまま会社に入ってそこ以外には知りません。

どうしようかなあ、と悩んだかどうかわ分からないのですが、二人で話し合ったことは覚えています。

夫が勤務するのは外資のコンピューター会社。夫だけではなくて自分も働いていたので、会社の歴史は

私なりに理解しています。指折り数えてみると、会社が始まって社員が増えて業績が良くなって悪く

なって、大量リストラに行き着くまでざっと50年。

そんなもんだろうなあ、と思いました。ひとつのことが永遠に続くなんてことはないのだから、まあ、

一巡りで50年。だとすれば、しがみついていても仕方がないので、、会社の建て直しは若い人らに任せて

辞めたほうがいいんじゃないのと意見が一致し、子会社に移りました。

辞める考え方としては珍しいのかもしれないけれど、ひと巡り50年というのは案外自分の中では説得力

があり、近視眼的にものを見ないでいられる私なりの視点になっていました。

 

でもなんだか近頃このひと巡り50年というのが、怪しくなってきたような気がします。

ひと巡りというのは私の中では自然の摂理みたいなものだけれど、その芯のところが崩れてきて、30年で

一周なのか80年で一周なのかわからなくなってきました。これは怖いよ。

 

この土地に越してきてから13年。いいところでした。道を歩いていれば地区館の窓が開いて「お茶飲んで

いがいん?」と声がかかり、お茶をご馳走になったり、夏には都会の子供を迎えて集落の家々でホーム

ステイをさせたりしてました。今よりも人が多くて賑わいがありました。

都会者の私は、この先きっと移住者も増えて、賑わいも増すだろう、と夢のようなことを考えていたのですが

実際には人口はどんどん減り、空き屋は増える一方。休耕田は柳の林になり子供の声を聞くこともなく、寂しくなりました。

来た頃の賑わいはもうありません。

「地方再生」「地方再生」

今度の選挙の候補者の遊説で何度この言葉を聞いたやら。何をどう地方再生するのか分かりませんが、

もうターニングポイントを過ぎたような気がします。間にあわへんよ。

別に悲観的になっているわけではないけれど、簡単にできもしないことを聞くのは空しいです。

 

普通なら選挙が終われば、次には国政はどう変わるのかと期待をもって見守りたいところだけれど、

今度ばかりは変わるも変わらないも同じ路線で突っ走っていくのでしょうから、期待の持ちようもない。

生まれる子供の数が増えるとも思えないし、学校生徒の半分近くが外国人というのも進むでしょうし、

登下校の子供たちに危害が及ぶ心配をしなければならない、というのも女子供の貧困が深刻化すると

いうのどうもならんでしょう。

全て私が育った頃にはなかったことばかり。

 

景気回復といったって、沿岸部では未だにウニやホタテの処理場もないというのに。

ああ、空しい夜です。寒いから寝よう。

 

 

 

 

 

 

葉牡丹、そして一人で生きる覚悟

今年の葉牡丹はよーくできています。

作ったのは以前一緒に花を作っていたAさん。私は年寄りになったので、昨年から花作りは休職してお餅屋

のみやってます。でもやってなくったって花の仕上がりが気になります。

これ多粒蒔きの葉牡丹です。小さいポットに幾粒かの種を蒔いて小さく仕上げる葉牡丹です。

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わずか10cmほどの高さでこのように色を出すのはなかなか難しいのです。

こちらは12センチポット植えの葉牡丹。葉が多く、色も良く出てとてもできのいい葉牡丹。

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葉牡丹はとどのつまりはキャベツです。どーやってキャベツを花のように作るのかなあ、という疑問にお答え

します。まず200穴くらいのプラグにキャベツじゃなく葉牡丹の種を一粒一粒蒔いて、芽が出て3、4センチく

らいになったところでポットに上げて定植します。これからが大変で9cmポットなら9cmポットに合うくらいの

大きさの葉牡丹に、10.5から12センチポットならそのポットに見合う大きさの葉牡丹に作り上げていかな

ければなりません。葉牡丹は植えておけば勝手に葉牡丹になるのではなくて肥料をやったり、やるのを中

断したりして、目標の大きさに作りあげるのです。

肥料をやり過ぎるとキャベツのようになり、少なすぎるとどんどん下葉が落ちて茎が鶏の足のようになるとい

う、手のかかるやっかいだけれどうまくいけばバラの花と見まがうような美しい葉牡丹が出来上がります。

育つ前にはモンシロチョウと青虫の闘いをくぐりぬけねばならず、ハウス内の温度が高いところに置けば

キャベツ色に変色し、畠に植えた切花用葉ボタンは雪が降ると重みで茎が曲がったり、不運にもフラワー

ネット際で全部首が折れちゃったー、ということもあります。

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これほど手間がかかる葉牡丹をどうして作りたいのかなあ、と私は毎年思うのですが、葉牡丹を作り始めた

人は完成を目指したくて止められなくなるみたいです。

 

Aさんも葉牡丹作りに熱意を燃やす花の生産者ですが、市場出荷する葉牡丹やパンジーその他の花壇

用の花を一人で作っています。繁忙期のときだけフリースクールの若者たちに手伝ってもらいながら。

 

今朝早く一人暮らしのAさんから「激痛で足が動かなくなった」と電話があり、自ら呼んだ救急車で病院に

運ばれていきました。救急車に乗せる前に様子を見に行ったら、ちょっと動いても悲鳴を上げるくらいの

激痛のようで焦りました、胸がドキドキした。

一人で花を作って暮らす人の足がダメになったらどうなるか。

昨夜福岡の中学校の時からの友だちと話しました。私もそうですが、彼女もご主人が亡くなって一人暮ら

しです。ご主人が亡くなって彼女が最初にやったことは、大枚はたいて、彼女が面倒みている犬猫のために

しっかりした家を作りました。何匹もいるのでお友達と世話しています。ご主人の遺品を少しづつ整理して、

3年経った今年は蔵書を全て処分したとのこと。自分がいつどうなってもいいように、という心の準備です

が、私もその気持ちがよくわかります。わかるんだけど、気持ちがついてゆかなくて、まだ何にもやってない。

 

でも、今日は思いました。ほんとに突然何が起こるかわからないんだなあと。

何時何が起こってもいいように、保険証や重要物件はすぐに役たたせられるようにしておかなければならないんだなあと。

まあ、気持ちだけはそういう覚悟で毎日を生きているつもりでしたが、救急車を見送った後、身辺見回して

みれば中途半端なことばっかり。

一人で暮らすって、究極は自分で始末するって覚悟をしとかなければダメなんだなと、思いました。

今日は土曜日。Aさんは神経ブロックで傷みを止めてもらって戻ってきました。入院にならずにほんとに

よかった。たくさんの花の潅水はしばらくは私が引き受けます。

月曜日になったら、きっちり検査してもらってちゃんとよくなって、、来年はさらに素晴らしい葉牡丹を作って

ほしいと思います。

 

今夜はものすごい星空!  シバれます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

岩出山で演劇を

先日、新聞バッグワークショップで富良野の倉本先生をお訪ねした時に、夜のお酒の席で、倉本先生作の

お芝居の話になりました。来年1月上旬、富良野での上演を皮切りに全国で公演が予定されている

「ノクターン夜想曲」。その他にも倉本聰作、演出の舞台は「ニングル」や「谷は眠っていた」「今日、悲別で」

などいくつもありますが、再来年公演されるのは「屋根」という作品だそうです。

演劇にうとい私は知らなかったのですが、聞けば倉本先生の舞台は宮城では仙台、名取、登米でも上演

されていたとのこと。それならば私たちの町にも来てもらいたいねえ、という内輪話になりました。

 

ここ岩出山にはスコーレハウスという立派な文化施設があります。あまり大きくはないけれど、客席はたぶ

500くらいはあるし駐車場も広い。お芝居ひと公演でいくらくらいお金がかかるのかも知らず、演劇グループ

の方の「屋根は素晴らしい作品ですよ」という言葉に魅了されて、再来年ならもしかするとできるかもしれ

ないと、淡い期待を持ちながら帰ってきました。

暫くして、北海道の先生の会社の方から演劇の公演には文化庁助成金の申請ができますよ、という連絡が

ありました。残念ながらスコーレハウスはその演劇にはちょっと小さいけれど、古川の文化会館なら席数、

舞台の広さなども大丈夫かも、というお話。  助成金の申請をするには関連する役所にお願いせねば

ならず、親指を切って手が痛いよっちゃんは、忙しい仕事の合間を縫って古川の役所に足を運んでくれ

ました。

 

でも突然動き出したお芝居の話なので、実感もないしなかなか話が前に進みません。そうこうするうちに

話は市の主だった方や道の駅の社長にも聞いていただく機会を得て、少しづつ動き始めました。

そして今日地元の教育委員会に行ったよっちゃんの話では、やっぱりスコーレハウスがいい、という声が

多数。客席が小さいならば、近くの鳴子温泉に泊まってもらって2日に亘る公演に、という声もあった、

そうで、私はよっちゃんのそのメールを読んで笑ってしまいました。

 

だって楽しくないですか?

お芝居の公演で、それも超有名な倉本聰先生の演劇で、舞台が小さすぎるので俳優さんたちには温泉に

泊まってもらって翌日もお芝居してもらうなんて、そんなことできるかどうか全然わかりませんが、あったら

楽しいなあ、と思って。でも演劇公演中の俳優さんたちは温泉なんかに浸かっていたら緊張が途切れ

て良い演技ができなくなっちゃうのかもしれないですね。

 

やっぱり可能ならこの町のスコーレハウスにきてほしい。そしてこの町の学校の生徒たちが、小学校も

中学校も高校もみーんなほんものの演劇に触れられる機会ができたら嬉しいなあ、と思います。

が、どうなんだろう。今はまだ可能かどうか全然解りませんね。見たいなあ!「屋根」。