チベットのフェルトシューズと新聞バッグ体験教室

たまたまですが、テレビでチベットで作っているフェルトシューズというのを見ました。
会社になっていて、社長は女性。そのシューズの可愛いこと、可愛いこと!!。大人用も子供用もブーツも
色とりどり、デザインもバラエティに富んでいてとても素敵。私も一足でも2足でもほしい。

 

その社長さんが言うには、そのフェルトのシューズは手縫いの工房で作られていて、各地から来てそこで
シューズ作りを学んだ女性たちは、自分の場所に戻ってそこで工房を開く。そうして雇用の機会のない
チベットの女性たちに雇用の場を作っているそうです。 続きを表示

新聞バッグ職人教室

東北新聞バッグプロジェクト用の新聞バッグの納期が近づいてきました。

四万十さんからご提示いただいて、東北復興事業東北新聞バッグプロジェクトが始まってから早くも
半年以上経ってしまいました。                                                  一番最初に話をうかがった時点では、話のスケールが大きすぎて、「そんなことができるのだろうか」
「私たちにできるのか」と半信半疑でした。

でも昨年から今年にかけて、(株)四万十ドラマの畦地社長始めデザイナーの梅原真氏、名ファシリテーターの
畑中智子さん、道の駅十和の大黒柱である森岡さん、その他の様々な分野のエキスパートの方たちに
何度も宮城まで足を運んで頂いて、また海山代表のよっちゃんも東京までご一緒したりして、少しづつ少しづつ
実現に近づいてきたのです。

その期日がいよいよ目前に・・・。

失敗は許されない、とまでは思っていないけど、やっぱり仕事はちゃんとやりたい。新聞バッグは折り紙
と一緒。誰でもやれるからこそ、身の周りにいつでもある材料だからこそ、素敵な絵柄や言葉の紙面を選んで
丁寧に作って、手に持った人に「おおッ」これが新聞!?と喜ばれたら嬉しい。

ということで、このところ、手技磨きのための新聞バッグ講座が続いています。
今日も午後から3時間。

今の問題はプロジェクト用新聞バッグが海山オリジナルもじゃくり新聞バッグで製作に手間取ること。
「もじゃくる」というのはここの言葉で皺くちゃにするということらしい。海山のメンバーが皺皺にすることを
「もじゃくる、もじゃくる」というのでこの名がつきました。

まさに絶対に手でしかできない手業です。
普段は取っ手のみの巻き巻き専門職のよっちゃんも、真剣に本体製作に取り組んでいます。

よっちゃんのは念の入ったもじゃくりで新聞紙はまるで布のようになりました。
私がやったら破けました。
こんな不器用で大丈夫なのかな。間に合うのかな。

一夜明けて早朝。

昨日、新聞バッグを一緒に作ったYちゃん。牛の世話をして農業をして介護職もやっているもの凄い働き者です。

手には作りかけの新聞バッグ。
「ここんとこ、どうやるんだっけ? なんとこれで4っつ目よ。いいでしょ、その新聞記事!」

Yちゃん、これまでそんな目ではみなかった新聞紙を新聞バッグ職人目線で見たんだね。
作りかけ新聞バッグの正面は薄墨色の空と海の写真。清い・・・水云々の文字。
「いいねえ。写真も言葉も凄くいい!」

 

昨日の新聞バッグ職人講座に参加した人たち、今日はどんな目で新聞紙面を見ているんだろう。
想像すると楽しくなります。

 

 

 

 

台湾訪日団第3弾帰国後アクション発表会

 

この大雪の中、今日は午後から「キズナ強化プロジェクト」台湾訪日第3弾の帰国後アクション発表会です。

私も「復興応援支援活動理解」のための活動紹介として、新聞バッグを一緒に作った団体ということで
参加することになっています。が、この大雪で車を出せるのか。

「一旦出たら帰ってこれないよ」というシャベルを持って送り出してくれた家族の声を後に、出るには出ましたが、  滑ること滑ること。いやあ、車を運転して、こんなに滑って対向車が怖い経験は初めてでした。

 

それでも会場の古川中央公民館に時間ギリギリに到着。
先日鳴子温泉観光ホテルで新聞バッグを作った台湾学生団は、ホテルから歩いて会場に来たのだそうです。

今日は総括だということです。「総括」とは何ぞやと、期待を胸に会場に入りました。

 

キズナ強化プロジェクトとは何だろう、と思っていたのですが、

このプロジェクト参加者がプログラムを通じて感じた日本の復興の姿や各地の魅力を海外に発信し、日本への
風評被害の一助とする。

農家体験への参加や、被災地の観光や教育や産業と連携したプログラムを実施して復興を支援する。

被災地や復興の姿を見て、大震災の経験を国際社会と共有するとともに、海外からの応援の気持ちを伝え、
被災地と各国の絆を強める。

というプロジェクトの目的があります。

その目的に沿って台湾からの学生団はホテルで、帰国後にどういうアクションを進めるかというワークショップ
を重ね、今日はその発表会なのでした。

20の大学、大学院から来た106人の学生が4班に分かれて発表します。

Aグループです。

帰国後のアクションを短期、中期、長期に亘って進めるという大きな計画でした。

短期には帰ったらすぐに、「見てきた情報を伝える」「新聞バッグや撮った写真の展示会をする」「農産物の紹介」
等々盛りだくさん。中期には座談会を開いたり、ネットを活用したり、長期には企業と連携して旅行プランを
たてるなど。

それはそれは細かく綿密に帰国後のアクション計画が練られています。

そしてBグループ

東北応援ポスターを作った。大崎市と被災地に送りたい、ということで大崎市は頂戴しました。

そしてAグループと同様、被災地の自然や人々の文化を取り戻し、台湾の人々に防災の意識を伝える
綿密なアクション計画を発表してくれました。

 

Cグループ

この方は日本語が上手です。みんな上手だけど。

「立ち上がろう 宮城」ということで、情報の発信を宮城に限定したい。

限定の理由。限定したうえで宮城の実情をどう発信し、どんな形で応援していくかと、発表。

 

Dグループ

ご覧のとおりタンポポプロジェクト。
タンポポのたねのように世界中に希望、諦めない心、笑顔、私たちの思いが飛んでいくように。

バスで異動しながら、ホテルに戻ってこれだけのことをやってくれたのだと思うと感動します。感謝します。

 

素晴らしい発表会でした。

私は感動しました。外国の若者たちがこれほど真面目に力強く東北を応援するために、自国へ戻ってからの
活動を考えてくれているのですから。

キズナ強化プロジェクトの実施団体である日本国際協力センターにもお礼申し上げます。
参加させていただいてほんとうによかった。新聞バッグを通して、また台湾との新しい繋がりが生まれます。

雪と氷がシャーベット状になった駐車場で、台湾学生一団が雪ダルマを囲んで写真の撮影中。
車を出す時に、ふと横を見ると、みんなが両手を挙げて「さよなら」と手を振ってくれていました。

 

「さようなら。また、日本へ来てねー」と叫んだら、「はーーーーい!」と返事が帰りました。

 

 

 

ドカ雪の日。徒然なるままに・・・。

いやいやいやいやー!

とんでもないドカ雪です。昨日の夜中、いや、今日の日付になっている時間に、外に出たがる犬を出して
やったところが、出た犬がズボッと雪の中に埋もれてしまったから、これは大雪だ、とは思っていたけれど
これほどとは。

ここに越してきた12年前以来です。こんな大雪は。
いくらがんばっても車を出せないので、今日は道の駅のお餅はお休みです。わざわざ雪の中を来てくださった
お客様には申し訳ないけれど。

 

早朝起き出した夫にもまた寝てもらって、日頃は朝見る時間がないテレビなんぞ見ています。

朝からテレビの中で何度も出てくる言葉。聴く言葉。
「教育再生」

どうしていじめがなくならないのか。桜宮高校の生徒の自殺から一挙にメディアに取り上げられ始めた体罰の問題。
学校、保護者、教育委員会、橋本市長、その他、その他。

テレビに出て来るその有識者の方々も、言いたいこといっぱいあるようで、意見を言い合ううちに熱くなって喧嘩みたいになっちゃうことが多いです。
中で愛知県の、野球部にいてやはり自死した子供のお母さんが、「自分は殴られていなくても他の子が殴られる
のを見るのがいやだと言ってました。でもそんな気が弱いことじゃどうする」って言われました、と述懐されるのが
心に痛かった。

 

ずいぶん昔の話です。、体罰を受けているクラスの子を見ると、自分が痛手を受けて気分が悪くなったり吐いたり
する我が子のことで、高校に「子供を殴らないでください」と言いにいったことがあります。
学校の答えはうちの子が「繊細過ぎる」と。

繊細で何が悪いかというような話ですが、何度繰り返しても学校の対応は同じ。その後事件が起きて我が子を別の
学校に行かせることにしましたが、学校側は前例がないからと転校に必要な書類の発行を拒否しました。
そんなことを思い出します。

また別の時。うちの子供が、中学校の1年の時から目をつけられていた不良グループに「お金を持ってこい」と
脅迫されました。持っていかなかったことでコンビニ帰りに捕まって、口の中が切れるほど殴られました。
この先をどう対処するか。
すぐさま学校に行って校長先生に会いましたが、校長先生の答えは
「学校でも手に余っている子供たちだから、警察でも教育委員会でも行ってください」とのことでした。

当てにならない教育委員会には行かなかったけれど、警察には行った。
その後は大変だったけど、恐ろしかったけど、時間はかかったけど、解決しました。脅迫も終わりました。
そんなことも思い出します。

 

その子たちの子供たち(つまりは私の孫)が、これから幼稚園、学校に通います。
実を言えば、学校だの保護者の考えなどと自分の意見が食い違う時、いかに大変な事態になるかを、       身を以って知っているので、この先がとても心配。特に都会の学校では。
ここは全校生徒で35人だから、何も心配してません。

 

何かあったら親は騒ぐこと。大騒ぎをしたほうがいいと思う。子供が嫌がるかもしれないけれど、命をなくす
よりはいいと思って。
有識者の方々に言いたい。父親も母親も命がけで子供を育てています。考えて考えて、子供の心が
傷まないように、追い詰められないように、カッカしないで、論議を重ねてください。

私は70年生きているけど、「教育再生」という言葉を聞くのは初めてです。長い年月の間にこれほどの子供
の犠牲があって、初めて出てきた言葉。メディアに取り上げられているのは氷山の一角です。              本当の意味で「教え育てる」とはどういうことか、深く考え、論を交えて再生の道を探ってほしい。

死なないまでも傷ついた心は大人になってもそのまま残っているのだから。

 

今日は何もしないで雪をみながらそんなことを考えています。

 

 

 

 

 

 

 

 

JICE(外務省)にキズナ強化プロジェクト

大崎観光公社の企画を頂き、鳴子観光ホテルに於いて台湾の大学生たちに新聞バッグづrくりの体験を
していただくことになりました。

なぜ台湾の大学生かというと、絆プロジェクトは311の東日本大震災で受けた被害や再生に関する諸外国の
理解を深めるために青少年の交流を目的とされた国の事業だからです。

最初に海山代表よっちゃんの挨拶から始まりました。

何回もこういう現場で場数を踏むうちに、わが代表よっちゃんは、ずいぶん挨拶の仕方も内容のまとめも
最初の頃とは変わってきました。今回は大変よかったです。あがらず落ち着いて、「自分は唐辛子を作る農業を
やっているけれども、大震災後新聞バッグを作る活動を通じて、手でモノを作る仕事は揺らがない産業だと確信
するようになった」と話していました。

農業者として自信と確信に満ちた良い言葉! 揺らいではいけないんだよね、と私も共感。

前回の時は中国の公務員の方々でしたけれど、今回はずっと若い大学生。台湾の新聞でバッグをつくるために
各自思い思いの台湾の新聞を持ってきてくれてました。

台湾の新聞はカラフルです。きれいな写真がいっぱい載ってます。日本の新聞が地味にみえる。
そして日本や英字新聞よりちょっと横幅が狭い。

新聞バッグ作りが始まると、なかなか大変な現場となりました。

日本語、中国語、英語がゴチャゴチャ。みなさん、台湾で勉強されているのでしょう。大抵の人は片言だけど
大変日本語が上手です。感心しました。日本人の大学生ってこんなふうに外国語を話せるのかしら。日本語で言ったり、英語で言い直してみたりして、初めての新聞バッグができあがってゆきます。

だいぶ時間をかけてどうにか出来上がりました。

とても可愛らしい代表の女子学生から、今日の体験の感想の言葉をいただきます。

準備は大変だったけど、とても素敵な出会いでした。

ホテルの玄関まで出て4台のバスに分乗したみなさんを見送りましたが、道の駅にも寄ってくれたそうです。
海山みんなで台湾に行けたらいいなあ。

明後日また古川でまとめの会があります。また会えるのが楽しみです。

台湾の学生のみなさん、ありがとうございました。
そして大崎観光公社をはじめ、いろいろお手伝い頂いた皆様、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

教える、伝える

今日は1日、明日の台湾からのお客さまの新聞バッグ講習会の準備です。

新聞バッグつくりに必要なのは、新聞、糊、定規、ハサミ、カッター、コーヒーの缶、空のポットボトル、
細くて長い棒、手拭き、大体それくらいです。

お客様は台湾の大学生。106人に付き添いの団長さんとか通訳とかの数を入れると110人を超します。
場所は鳴子観光ホテル。大きなホテルだけれど、110人の方たちに新聞バッグの作り方を万遍なく
判ってもらうというのは何班くらいに人数を分けたらいいんだろう。

代表よっちゃんから「12班」と連絡が入りました。

人数分用意できるのは新聞紙くらいで、といっても新聞紙も1冊になってるそのままというのでは面白くないので
1枚1枚ページをめくって、絵柄を選びます。取っ手や補強の紙も一人一人に新聞紙を折ったり切ったりしてもらう
のでは時間がかかり過ぎるから、これもこちらで切って用意して持っていったほうがいいように思います。

いいんだけれど、でもけっこうな作業量!

昼過ぎ、インストラクターのあやさんから「午後の仕事がなくなった。手伝うよー」と連絡が入りました。
助かった!

 

年間で考えると、1、2か月に1度くらいの割合で新聞バッグ講習というのをやっていますが、今のところは
メインインストラクターとして南相馬から避難中のあやさんが講師を受け持ってくれています。

回を重ねるに従って、この頃解かってきたのは、教えるということの難しさ。こちらは伝えている
積りでいても、相手には伝わっていなことが山ほどあるんだ、ということがこの頃解かってきました。

もうひとつ、相手が団体の場合、決まった時間内に全員が仕上げる、というのをどうするか。みんな一緒にやって
何人かが出来上がらない、というのは教える側の不手際。道具が少ないと回している間の待ち時間がかかる。
待っている間に講習が先に進んでしまう。かといって道具をたくさん買うのは経費がかかり過ぎる。

等々、二人で話し合いながら新聞を切ったり、糊をねったり、手拭き布を切ったり、私が買いものに出ている
間もあやさん、一人で留守番してがんばってくれましたが、7時で時間切れ。

後は、あやさんに言われたとおり、「解かるように教える、伝える」ということを中心にして、道具を揃えて
11時に終了。

最後に娘に「台湾の人達にはものすごく応援してもらったのよ。ちゃんとお礼を言ってね」と言われたとおり、
東日本大震災に寄せられたどこよりも多い巨額の義援金、そして台湾の方たちへの応援の気持ちに対して
できるだけ大きなカレンダーの裏に

「台湾の友人たちへ、謝謝!」とマジックで大書しました。

明日はこれを掲げて台湾の方々にご挨拶します。

 

 

 

 

 

 

 

何かが変わる小さなきっかけ

このところ仕事が詰まりまくってます。
といっても本業のほうではなくて、海の手山の手新聞バッグに関連する諸々。

本業の方は、寒いし、雪降ってるし、みんなお正月でお餅をいっぱい食べたばっかりだし、花は咲かないしで、
ヒマでーす。だからやっていけるのかもしれないけれど。

 

明後日、台湾からの100人以上のお客様に新聞バッグを作っていただく機会を頂きました。

以前に中国からの団体のお客様に新聞バッグを作って頂いたことがありますが、言葉が分らないので、
海の手山の手のことや、新聞バッグの背景などどう伝えたらいいのかと悩みました。

その日が来たら悩んだも何もあったものではなく、あれよあれよという間に時間は進み、賢い中国の方々は
自国の言葉と英語を駆使して、お互いに助け合って新聞バッグを作り上げ、サインや被災地を励ます言葉
まで書いて、ご一緒の記念写真まで撮っていただくことになりました。

 

今度こそは、この厳寒の時期に台湾から見えるのだから、言葉くらい、といっても中国語は歯が立たないので
英語でせめて、海の手山の手のことや新聞バッグの意味くらいは伝えたい。
と、奮起し、この2、3日、時間をみては英語に訳し易い文章で海の手山の手の紹介文を書きました。

で、できあがってからどうする?どこに誰に翻訳頼む?英語と北京語。

誰彼なく顔が合うたびに聞いていたら「できるよ。やってあげる」と道の駅の生産者。韓国からみえた奥様です。
なんと、中国語、英語、韓国語、日本語と四か国語も。
「すごいねー!」と驚いたら、お国から外に出るために皆さん外国語の勉強を熱心にするそうです。今も英語の
勉強は怠らないって。ガイドさんになりたいからって。私は初めて外国からきた奥様の覚悟に接した気がして
感心したし、嬉しかったです。

そして英語。
これもいつもお世話になっている版画家の岡澤さんのお友達が、これからインドに行く直前だというのに、
1日で翻訳して送ってくれました。アメリカの従妹からも違う文章ですが、翻訳が送られてきました。アメリカ人の
だんなさんと息子のお墨付きで。

みんな共通して書かれているのは「私の力が役に立てるのなら」と。

新聞バッグって、ただの物を入れることができる紙で作ったバッグであり、単に被災者の収入の足しになると思って
右往左往しながら作り続けてきたのだけれど、でも、それだけじゃない、ってこの頃思います。
今の世の中の様々な面に於いて何かが変わる小さなきっかけに成り得ているのではないかと。

人と人とが知り合うきっかけになっているのは確かだし、知り合った人たちが何かを成そうとする繋がりが太く大きくなっていっているのも気がつけば確か。長い間東京近郊に住んできましたが、みんなで一緒に東北がよくなるようにしようとか、税金たくさん払えるようになろう、とか考えるの、初めてだもの。

 

午後、パソコンのぞいて驚きました。
「英字新聞送りたいけどどうしたらいいですか?」
メールの送り主は、某大学の国際政治学科の調査室。まだ知らない方です。どういうご縁だろう?
嬉しくて、夕方ピカイチ素敵なレターサイズの新聞バッグやその他、とり揃えて某大学宛に送りました。

 

昨日の夜は、大量注文の新聞バッグの品質を揃えるための新聞バッグ講習会。
今日の午後は道の駅の会議。
明日は台湾の方々に新聞バッグを作っていただくための準備をします。

台湾は暖かくて食べ物がとても美味しい国と聞きました。

英語と中国語の海山紹介文を持って行って、新聞バッグ作りを楽しんで頂こうと思っています。

そして訊きます。「台湾ではどんなふうに使えると思います?この新聞バッグ」
答えが楽しみです。アイデアいっぱうもらいたい!

 

 

 

 

鶴岡市(藤沢周平の世界、海坂藩)へ

昨日から今日は雪は降らず、夜は冷えるけれど日中はプラスの暖かさ。
暖かいといってもプラス1、2度で風は強い。

でも雪は明日まで降らなさそうなので前回、新庄まで行ってその先を諦めた鶴岡まで行ってみました。
新庄から先には、山も川も美しい最上峡があります。厳寒の時期の最上峡を見てみたい。

「五月雨を集めてはやし最上川」と芭蕉が詠んだ最上峡は山形県戸沢村を流れる船下りができる大きな川。
紅葉の時期に船で下った時の美しさは格別でした。この時期の雪景色の川はどうだろうと、楽しみにして
行ったところが、川沿いのガードレールにのっかった2メーター近い積雪が邪魔をして、川面は全然見えない。

戸沢村の道の駅「とざわ」モモカミの里高麗館
道の駅には珍しく韓国の産品を売っています。雪に埋もれたここの食堂のチジミは大変おいしいです。

道の駅「とざわ」から見下ろす最上川。

乗船場まで来てやっと除雪した雪の山の間から最上川を見ることができました。

最上峡も終わりに近づくと広々と全面を真っ白い雪に覆われた庄内平野に入ります。

庄内平野の風車。
冬以外なら遠く鳥海山を望めるはずなのですが高い山なので空も山も合わさって白一色。何も見えません。
同じ理由で逆方向に聳えるはずの月山も全く見えない。残念です。

いよいよ鶴岡にやってきました。

たくさん読んだ藤沢周平が描く海坂藩の城下町。

今日の目的は出荷組合自主営業でありながら、たくさんの楽しいイベントを月1回くらいも催し、100数十名の
組合員が切磋琢磨して新商品開発に臨む産直シャッキトを見ること。
いかに品数が多い産直シャキットと言えど、さすがに冬で、野菜棚はガランとしています。切花はたくさん並んでいて
感心しました。こんなに雪だらけなのに、よくこれだけの花を作られるものだと。

でもやっぱり面白い。生鮮は少ないけれども加工や乾燥ものなど、こんなものまで、と思うようなものまで並んで
いて大変参考になり刺激を受けました。直売で6000円も買うなんて、ざらにはないことだけど買っちゃいましたよ。
面白くて。こんな直売所になりたいものです。

 

帰りはついでに鳴子温泉郷の裏側の山にある上野々スキー場まで見聞に。
ファミリースキー場といわれるなだらかな傾斜の広--いゲレンデではお父さんと小さな子供がソリ遊び中。

ワッハッハハッと笑いながら滑り降りるお父さんが楽しそう!

私もうちの4歳を連れて来よう。

ついでに秋から行っていない潟沼にも行ってみようと試みましたが、除雪は途中までで雪に阻まれました。

私の隠れ家喫茶店。春、暖かくなるまでお休み中です。

今日も楽しい1日でした。雪は時々しか降らなかった。

もう1個所行きたいところがあります。横手です。「かまくら」を見てみたい。
そして、春になったら、北前船で運ばれてきた酒田のお雛様を見てみたいなあ、と思っています。

 

 

 

 

 

新年会の新聞バッグと増田太郎氏

遂にきました。今朝の温度は-10.5℃。
冷え込んでます。

いつもお世話になっている滋賀県の(株)ウルズ、T社長から新年会の様子の写真が送られてきました。

毎年新年会にはお客様方を招待してその時にお年賀を渡されるそうです。今年はそのお年賀に
私たちが手づくりする東北物産入り新聞バッグを使っていただきました。

この新聞バッグの数!
こんなに買っていただいたのか、とびっくりします。作った人たちが、「私が作った新聞バッグがどんなふうに
使われているのかなあ」と実際にみることができる写真なので載せさせて頂きました。

こうして見ると、この新聞バッグを手に持った方たちが喜んでくださったかな、と気になります。

ということはやはり、作る側と使う側が顔が見える関係でありたい、という常々のよっちゃんの持論に実感が
湧きます。

この新年会の特別ゲストはギタリスト、増田太郎氏。増田氏は目がご不自由でメガネをかけておられます。
花飾りがある新聞バッグを手にされた増田太郎氏の写真も送っていただきました。

 

 

先日、南三陸の歌津の新聞バッグインストラクターHさんのところの養殖ワカメを獲る船に乗せて
もらったよっちゃんが言ってました。

Hさんのところの船は今はあんまり大きくない船。震災後に手に入れられた船だそうです。               その船で10分くらい沖まで出て、ワカメをタネつけしたロープをあげて手作業でワカメの間引きをするのだそうです。本当に育ったワカメを獲るのはまだ先。

これまで詳しく津波の時の話をしたことがないので知らなかったのだけれど、Hさんの家は海の目の前
だったそうです。そこにはワカメとかホタテとかに使う機械があって、全部流されてしまったから、今から
その機械をまた買いそろえなければならない。そしてもっと大きな何千万円もする船が必要です。

ずいぶんお金がかかりそうだけど、でもHさん一家を見ていると、それはきっとできるんだろうなあ、          と思わされます。そうか、そうやって復興していくのか、と思わされます。海の男の人たちも女の人たちも      力強くてかっこいいです。

 

Hさんところのお母さんであるKさんは新聞バッグ作りがもの凄く手早い。少ない数を言うよりもたくさん
注文がくると気迫が出る、と言い、海に出ない時には新聞バッグを作ってくれてます。

 

滋賀県のT社長から送って頂いた写真で、整列したたくさんの新聞バッグを見ていたら、これが船になる
というのは大袈裟だけれど、でも塵も積もれば山となる、石の上にも3年というではないですか。

船のちっちゃいちっちゃい一部になるのかもしれないなあ、という淡い嬉しさを感じたことでした。
T社長もそのお手伝いをしてくださっています。
そしてこうした応援をしてくださりながら、その合間に新聞紙探しまで手伝ってくださってます。

Tさん、ありがとうございます。

そして増田太郎さんにもお礼申し上げます。
明日福島での人権シンポジュームのコンサートには行けませんが、いつか増田太郎さんのバイオリンを
聴きに行きたいと思います。

 

 

 

 

2013 世田谷ボロ市

昨日から今日、雪降りの後の低温でどこもかしこも凍りついてツルツル。

きのうは近くの町古川に行ったら、溶け残った雪が凍りついたうえに車が数珠繋ぎに渋滞していて怖かったー!

うちの近所のツルツルは、少々ハンドル取られようが滑ろうが、ガードレールにぶつかるか田んぼに落ちるか
雪の吹き溜まりに突っ込むか、まずは自爆の可能性が高いのでさほど怖くはないのですが、町中のツルツル
は怖いわ。信号待ちしている私の車の方向めがけて、左折してきたタクシーがスルスルスルーッと横滑りに
迫ってきたので青ざめました。危ういところでハンドル立て直して、直進してくれました。

今日もツルツルはひどいです。

この凍りつく寒さの中で、東京世田谷では昨日から世田谷ボロ市で東京で東北を応援してくださっている      「チームワンネス」さんが私たちの産品を販売して奮闘してくださっています。本当に感謝の言葉もありません。

 

第1日目の15日は前日からの大雪がカチンコチンに凍りついて、荷物の搬入に苦労なさったとのこと。
荷物の搬入も大変なら販売ブースの設営もご苦労なさっただろうと思います。

お客様はやっぱり12月のボロ市に較べるなら5、60%だったとのこと。それでもあの天候で5、60%というのは
東北という土地柄からみると奇跡のような人出です。集まった品数700点以上、売り上げ額は10万円以上という
のですから、やっぱり私たちから見ると驚異的数字です。

出品されている品々は、私たち海の手山の手商品もあればNPOみらい南三陸のわかめ、歌手のうーみさんのCD
や気仙沼仮設住宅のふっころ人形に、その他その他で生産した場所は違っても、私たちはみんな知り合いで繋がった人たちの商品です。どれが売れてもよかったなあと思います。

やっぱり東京は違うんだねえ。お祭りに出て来る人の数が違う、と羨ましいです。

 

較べて私たちの道の駅は、今、最もお客様が少ない時期。どうしたら東北にお客様に来ていただけるかがこれからの課題です。ガソリン代はじわじわ高くなりそうだし、高速代は全然安くならないのだもの。

 

チームワンネスの皆さま、NPO本田美奈子基金の皆さま。                                 430年以上も続く、東京都の無形民俗文化財にも指定されている伝統あるボロ市での東北物産品の販売、
ほんとうにありがとうございました。

今年も出品させて頂くことを願って、良い商品作りに励みたいと思います。