8日間電気はつきませんでした。

早朝、誰か起きてくるのを待って、勝手口の外から中を見て「ご飯チョーダイ」と喚くシロ。
子猫の時も顔が怖かったけど今も怖い。このお茶碗の猫エサをカラスが食べます。
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話は前に戻りますが、先日、修学旅行での新聞バッグ体験について、関東圏の某高校の校長先生と学年主任の 先生にお会いした時のこと。

同行のJTBさんとは前にお話ししたことがあって、その時は宮城の私たちにわかる範囲での今の状況をお知らせ  するという形でしたが、今回は校長先生のほうからご質問がありました。

いろいろなご質問がありましたが、その冒頭で「311の大震災の時はどうしていたか」と訊かれ、「津波のことは
8日間、何も知りませんでした」とお答えしたら、大変びっくりされた。それは学年主任の先生も同じだったらしく、
真から驚いた表情で、「それはどうしてですか?」と訊かれて、その驚きぶりにこっちが驚きました。

どうして?って、電気も電話もなかったから。
電気がなくて、電話は通じず、ガソリンもなく水もなく、ただ近所の由美ちゃんが来て「これは長期戦になるよ。
灯油とガスを使うな」と言ったから、灯油もガスも使わないようにして、電気がない8日間、水を探すことと、
家にある食べ物を食べる以外は、何もせず、余震が続く中、いつでも逃げられるようにしてました。

「8日間も電気が来なかったんですか?」
たぶん8日間電気が来ない、というのが先生方にとっては、とても意外だったのではないかと思います。
日本中で息をのんで見ていた津波や地震の映像は、被災地で現場にいた当事者は、隣の町のことでも
知りようがなく、歩いていける範囲のことしか分らなかったです。

 

あの先生方の驚き。あれは何だったのか、と考えてみると、
私たちの今の生活は、ライフラインが断たれても、長くても3、4日我慢すれば電気くらいはつくだろうという
安心感の上に成り立っているのではないかと。そんなことを思いました。

電気がないのは少々長くても我慢ができないことではなく、灯は蝋燭を灯し、ご飯はストーブやハウス用の練炭  七輪でお鍋で炊きました。寒いのもなんとでもなる。

水のほうが電気よりよほど大変でした。湧水があるところの貰い水をまず最初に考えましたが、普段はきれいな  湧水が茶色に濁っているところが多かった。うちはボーリング井戸なので、発電機さえどこかから借りられれば水が出せる、と思ったのですが、隣町から発電機を持って水をもらいに来た人が試しても出ませんでした。
原因は水を上げるポンプが泥をかんで動かなくなっていたのです。そのポンプを被災地じゃないところから送って
もらうのもガソリンがないので、ああしたりこうしたりほんとに苦労でした。

 

これから先の大災害に対しての防災ということを考えると、実際に被害があった土地を訪れて見て聞いて検証して、防災訓練などにいかされたらいいのかもしれません。
そういえば、大震災の日、どうにかこうにか車を運転して帰ってきた私は、家の近くまで来て道路の損壊で
行き詰りました。どうやって帰ろうかしらと思いました。車を置きっ放すわけにもいかないし、進むも戻るもできない。 国体の時に作った道路はほとんどが使い物にならないほどに壊れて、根っこからの修復に2年近く要しました。

 

東京、大阪、福岡など大都市の町の構造を考えると、まず道路の確保にどれだけ時間がかかるんだろう、と思って
しまいます。
都会に住む子供たちには、とにかく逃げる。そして家族が集まる約束の場所を決めておくこと。どれだけ時間がかかってもたどり着くから、そこにいて、という場所を決めておいてほしいと言っています。

南三陸の菊の師匠のO氏はご主人と奥様が別の場所で被災して、やっと会えたのが1週間後だったそうです。

 

夕方、集落の花壇植栽担当のSTさんが花をとりにきました。

「こりゃあ、咲き過ぎ!」
花壇に植える花ではなくて、道沿いにある山栗の花
STさんが言ったけど、私もそう思います。

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天候異変、というか。花異変というか。
こんなに咲いても実にならないかもしれないですねえ。
実がついても緑色のイガのままポトポト落ちるとか。近頃めっきり純粋豊作というのがなくなりました。
残念ながら。

 

 

 

 

 

 

 

餅をつく

しとしとしとしと雨です。薄ら寒い。

納豆作りに挑戦すべく、腰をかばいながら大豆の種蒔き(くるみまめという名の豆)を継続中のよっちゃん農場、
タネは蒔き終えたのかなあ。

今日はクロちゃんは仙台長町でのひふみよマルシェで新聞バッグのワークショップをやることになってます。が、
あいにくの雨。新聞バッグをビニール袋に入れ、朝の電車ででかけて行きました。
せっかく行ったのだから、何人かでもお客様が来てくれたらと願います。

クロちゃんを駅まで送ってその足で、お餅の出荷を終え、急いで帰って、突然の注文のペチュニアの手入れで
お昼すぎまでかかりました。花を摘んでタネを落として、という手入れです。これさえやっておけば、花は長く
咲きます。明日はもう1件、環境保全事業の花壇苗を納めるところがあるので、ちょっと忙しい。

昨日の塩を入れ忘れたお餅をどうしたかというと、「塩が入っていないのでお醤油などつけて食べてください」、と添え書きをつけたうえで籠に並べたら、お昼前には完売しました。塩が入ってなくとも食べてくださるお客様がおれるんだ、と感謝、感激。

次の仕事はお餅つき。夫がいないので、注文頂いている硬いお餅を自分で搗きます。たかがお餅つきといえど、
自分ではあまりやったことがないので、それなりに緊張して全然落ち着かない。何回やってもあの熱いお餅の
中に手を突っ込んで掴み上げる時はドキドキします。怖いよ、やっぱり!。

てなこともいっていられないので、挑戦、挑戦。・・・のつもりだったのだけれど、なんだか餅つき機械のブザーが
ビービー鳴って、蓋をあけてみると、お餅は米のダンゴ状態。えーッ、なんだなんだ、なんでこんなことになるのッ
と大慌てをしているところに、娘が入ってきて、餅をとり出し水を足し、釜の中から羽を引っ張り出してはめ直し、
水をスーッと流し入れ、餅を元に戻してスイッチを入れて出て行きました。びっくりした!!

元はといえば、娘と夫が始めたお餅屋さん。初心忘れていないみたいです。

夕方、娘、孫と一緒に病院へ。

昨日の術後は絶対安静ですよ。お水はまだ飲んではいけません、と言われていたけど、今日はお水も飲んで
果物も食べてだいぶよくなってました。

朝、ひふみよマルシェに出かけていったクロちゃんが、夜8時近くなっても帰ってこない。5時でマルシェは終わったはずなのに。電話をしてみると、電車の乗り継ぎが悪くて、まだ古川駅の待合室にいました。これから電車が出るまで1時間近くも待つのだそう。今日は寒いのに薄着で出ていって寒いでしょうに。新聞バッグも持ってるし。

1時間待つのはいくらなんでもかわいそう。よっちゃんに電話をしたら「オレ、行きますよ」と古川駅まで迎えに行ってくれました。寒かったそうです。売れなかったそうです。お客様も少なかったって。ご苦労さまでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

海山会議

朝のお餅仕事を終えた後、岩出山のキッチンSでよっちゃん、クロちゃんとともに海山会議。

明日お会いする某高校の校長先生に修学旅行の提案をしたいと思っています。良い提案を。

3人3様の意見を出し合って、まあまあのまとまりで、2時間で終了。

なぜかよっちゃん農場の二人は、足を少し開いてすり足で歩きます。納豆用のくるみ豆の種蒔きが相当腰に
応えている様子。豆は、タネ蒔くのも大変だけど、収穫も大変なのよ。収穫後もすごい手間。

「豆ができる頃は稲刈りがあるし、唐辛子の収穫も炭焼きもあるし、今日採ろう、明日採ろうと思っている
うちにできた端から狸に食べられハクビシンに食べられカラスにつつかれなくなるよ」と言ったら笑ってました。

一度あ屋のあん餅用にと小豆を作ったら、栽培中も食われたけれど、保存してからもネズミに食べられて
二度と作りたくない、と思った。

 

会議の後は病院へ。

ベッドの夫から
「海山ネットワークはずいぶん割に合わない大変な仕事をやっていると思うけれど、どうして続けているの?と
人に訊かれたらなんと答える?」と訊ねられました。
「うーん、続けたほうがいいと思うから」
「どうして続けたほうがいいと思うのか」

理由はいろいろあるのですが、端的には明確な言葉で言い表せない。なんでだろう。
「そこんとこ、言葉できちんと伝えることができないと、海山ネットワークは復興支援団体と誤解されるよ」

そーなんですよ。私たちは復興支援団体じゃないんですよ。
あー、難しい!  どうしよう。

 

 

 

 

 

 

想定外、てんやわんやの1日

月曜日は夫の定例検診日。早めにお餅を作って、8時半には家を出て9時に病院に到着。夫を下した後、道の駅
直売所、後2か所に出荷という段取りで普通は動くところを、今日は、転入届を出すため役所に行きたいという クロ
ちゃんの要望でついでに岩出山市役所へ。

一方娘夫婦も今日は仙台の病院に行く必要があるので、午後1時の4歳孫の幼稚園のお迎えはうちの花担当
「オジチャン」に頼みました。

夫の検査はお昼ごろに終わる時もあれば午後遅くまでかかることもあるので、なるべくなら用事が終われば
病院付近で待機しています。
出荷を終えて岩出山の町中でクロちゃんを拾い、家に戻って食事をし、さて夫を迎えにと古川へ。

半分くらい行ったところで、幼稚園で無事4歳孫を迎えた「オジチャンから電話がかかってきました。
最初から怒鳴ってる。
「車が動かんぞー!」「どうなってるんだ、この車は?」
娘の車だからよくわからんけれど、炎天下の車の中で二人置くわけにもいかず、「わかった。今戻る」とUターン。

そこへ今度は夫からの電話で「今から点滴。明日、入院することになった!!」
ええーー!?

30分かかって幼稚園に到着すると、孫は担任先生に手を引かれて待ってました。
バッテリーが上がっちゃったらしいです。でも行く時乗れたのに?
ブースターケーブルを借りに近くのガソリンスタンドに行き、事情を説明すると心配してお兄ちゃんが付いてきて
くれました。
「バッテリーの寿命がきています。今動いても停めたらまた動かなくなる」

なんで、今日このタイミングでと思うけど、停まったら動かなくなるじゃ困るので、しばらく待ってバッテリーを
替えてもらってから、孫を乗せて病院がある古川へ。
ところが夫の検査がなかなか終わらない。ビデオ屋に行ったり、ハンバーガー屋でアイス食べたりして、ようやく
出てきた夫を乗せて帰ってきました。

そしたら今度はママが帰っていないと気づいた孫が、シクシクシクシク泣くではありませんか。それも外に出て
勝手口の階段に座って。
仕方なく、今度は畑で自転車の練習へ。

やっと娘夫婦も帰ってきて、家族全員揃った時にはヘトヘト。
明日はまた夫を入院させるために病院に行きますが、何事も起こらず静かに過ぎることを祈ってます。

 

 

 

 

 

 

海彦山彦

今日は日曜日。
日曜日は出すお餅の数が多いので、我が家に寄宿中のクロちゃんにも手伝ってもらって、道の駅直売所、あとふたつの食品スーパーを回って出荷。今日もいい天気です。

最後の出荷場所のスーパーの駐車場に黄色いトラックの「蔵王のお釜ドーナッツ」というドーナッツ屋さんが来てました。売り子さんと作り手さんは「ジージ」が二人。お孫さんが描いたのか「ジージ」の似顔絵が2枚、販売台の横に
貼り付けてあります。

おからと豆乳で作ったドーナッツ。おいしそうなのでクロちゃんと二人食べることにしました。
ベンチにかけて食べようとしたところに、向こうからやってきたのは南三陸から当地に家を借りて避難中のノンちゃん。ノンちゃんはよっちゃん農場が忙しい時の重要スタッフです。

きのうは我が家に、お父さんのショウエイさんが南三陸から持ってきた獲りたての雲丹を届けてくれました。
夫に言わせれば、茶碗いっぱいの生雲丹は、雲丹を30個獲っても足りないほどの量だそうです。
自然のままだけれど、海の塩味がします。

 

「ショウエイさん、今、どこいるの?」と聞いたら、時々南三陸の海、そして時々梅農場だそうです。
梅農場で仕事をしていれば海が恋しくなって海に行き、海で仕事をしていれば山が恋しくなって梅農場へ。

なんと贅沢な!まさに、海彦山彦じゃないですか。

ショウエイさんは、元は遠用漁業の「突きんぼ」(カジキマグロなどを突いて獲る)などをした15の時から船に乗っている漁師さんで、大震災以降、避難してきた内陸の私たちの町に一家で住んでくれています。

復興して元の海の仕事に戻れるまではまだまだ長い時間がかかるでしょうが、娘のノンちゃんから、ショウエイ
さんが海彦山彦のように仕事をしている、と聞くと、なんだかホッとします。

新鮮雲丹はササニシキのご飯を炊いて美味しく頂きました。
お釜ドーナッツもおいしかった。

 

もの凄い人出と聞いて午前中は敬遠して、午後、クロちゃんと4歳孫と鳴子温泉の食楽市へ。
海山は出ませんが、よっちゃんなんばんが出店しています。

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けっこうな人出だとは思うものの、場所が広いからでしょう。さほど混み合ってる感じはしません。
都会はもっと凄いから。

秋の紅葉には来るけど、緑の中の鳴子峡を見るのは初めてかもしれない。

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鳴子峡の下のほうを走るJR陸羽東線。秋には紅葉が見られるようにゆっくり走るんだそうです。
私は車で来るのでまだ乗ったことはないです。以前は人間も鳴子峡に沿う遊歩道を歩けたのですが
落石が増えてからは歩けなくなりました。

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今夜は8時32分に今年のうちで月がもっとも地球に近づくスーパームーンということで、庭に出て月の写真を
撮ってみました。私の目には大きな月に見えるんだけど、写真に撮ればこんなに小さい。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

素人に月の写真を撮るのは無理、ということだろうけど、でもスーパームーン記念に・・・・。
来年は8月11日だそうです。

 

 

 

 

 

 

 

新聞バッグで東北を強くしよう

なんとか天気はもち直し、今日は晴れ。
昨夜松島に海釣りに行った4歳孫から電話があり、「バーチャン、釣れたよ! 11匹くらい釣れたよ」と。

「一番に釣ったの誰?」
[Tちゃん!」
「えーッ! Tちゃん1番に釣れたの!」「そう!!」
松島の魚は4歳に釣られるくらいゆっくりしてるんですかね。

「1番たくさん釣ったの誰?」
「ママ」
娘は子供の頃から釣りが上手でした。

じゃあジーチャンは?
せっかく行ったですが、釣りだけが趣味の夫には魚が寄りつかなかったようです。

今仙台港から岩手のほうに向かっては、釣り場を探すのが難しい。防波堤が無くなったところが多いので。
でも松島でやれたのですから、次には気仙沼の大島で、と思ってますが、大震災前、女川で釣りをしていた
夫は女川に行ってみたいようで、近いうちに防波堤が残っているのかどうか探索に行ってみます。

 

さて、私のほうは、朝、お餅仕事を終わらせた後は、古川の観光公社で市の職員とともにJTBの方との
修学旅行の提案会議。関東の有名な高校ですが、現在の復興の状態を提示するのは思いのほか難しいので
自分が見聞き体感する具体的事実をしゃべりまくって2時間。、被災地に何が必要かをこちら側から提示ではなくて
あちら側からも事実の中から汲み取って頂こうと。

そのまま明日、遠田郡美里町のイーストファームみやぎで開催予定のイーストファーム直売所開店1周年
で販売するための、新聞バッグや手拭い、てぬぐいあっぱっぱを持って美里町へ。

例会はいつも夜なので、昼間はあまり見たことがなかったのですが、改めて昼間にイーストファームに
向かってみるとけっこう遠くて驚きました。もしかして、ここ石巻の近くじゃない?
そう、石巻まで10分ですって。

こじんまりした直売所ですが、赤坂社長のイーストファームは東北コットンプロジェクトの本拠地でもあります。
日本航空が協賛している東北コットンプロジェクトは、パンフレットまでかっこいい!!
「コットンで、東北を強くしよう」と冒頭に書いてあります。

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いいなあー。私たち海山ネットも、こんなふうにお世話になった方々や会社のロゴを並べたい。
いつか必ずやろう!!
ここに負けないくらいたくさんのロゴが並ぶと思います。

「新聞バッグで、東北を強くしよう」なんてネ!

 

 

 

 

 

 

第3回目宮城モノづくりネット例会at土田畑村

朝からザーザー雨降りです。

明日は夫、娘夫婦、4歳孫が松島まで釣りに行くというのに。なんてこった、と嘆いていたら、昼過ぎ
あれほどひどかった雨が止んで陽が射してきました。徐々に暑くなってきた。

今日は宮城ものづくりネットの3回目の会合です。1日バタバタ動いて私のうちから車で50分ほどの宮城県
遠田郡美里町にある土田畑村に30分以上も遅れて到着。

前回まではものづくりネットが始まったという雰囲気ではなく、まだ顔合わせをしているようだったのが、今日は
グッと締まっていかにもミーテイングという感じになってました。

進行役は副代表のハツコ元先生。小牛田農林高校とのコラボで作るラベンダー栽培の中心人物です。
私はラベンダー目当てで、この会に来たのだけれど、今ではだんだん方向が拡散してラベンダーだけが目的
ではなくなっているのを自覚しています。

最初に先週、今週、みんなが何をやっていたかを発表する。そしてこれから何をやるかも発表して、お互い連動
して助け合えることは助けあう。ということになっているのだと思います。

イーストファームみやぎの赤坂社長からの発表は
来たる6月22日に行われるイーストファーム直売所の1周年祭にみんなしてよってがいん!ということ。
東北コットンプロジェクト商品が20から30%offだそうです。

24日にラベンダーの穂刺しがあって、月末にはこの間ボランティアさん100人余りでタネを蒔いた東北コットンプロジェクトの綿の幼苗の間引きをするそうです。もうあれから、一月なんですね。これは行きたい!!
綿のタネから葉が出て実をつけ、収穫して糸に巻き、染めるまでの一連の行程を見てみたいです。

赤坂社長から、展示してみんなに見せて、と言われながら、今はいい。もっと後でと遠慮しているのが織り屋さん。

彼女は石巻の被害のひどかった渡波の方です。家屋の1階は水に浸かったけれど2階には上がらず、保管
していた織りの道具や糸が生き残った。織りの仕事はずいぶんやらず、他の勤め先で仕事をしていたのだけれど、
東北コットンプロジェクトと関わったおかげで、また織り物をするようになった。

染めは薔薇染め。薔薇だけではまだ試験段階なので草木染めも一緒に入っているのよ、と織り屋さんはほんとに
織ることが楽しそう。「織り始めたら寝ないでしょ?」と言ったらニッコリ笑って「寝ない」

そうしてできあがったのがこれです。

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本当にどれもこれも柔らかく素敵な色です。

母が生きていたら買ってあげたいなあ、と思いました。母はこういう美しい物が大好きでしたから。
こういうきれいなものが好きな友人たちに紹介してあげよう。

秋に仙台長町のららがーでんで展示をするのだそうです。

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それぞれに発表して、情報交換をして薬3時間で終了しました。
私の前の席におられるのは、ヤマイモ作りに挑戦なさっている元校長先生。周りにつられて私まで「校長先生、
校長先生」と、これから海山ネットで始まる修学旅行に新聞バッグ作りをどう組み込むか、という課題について
質問させていただきました。

被災地の学校の生徒も一緒にどうでしょう、と言ったら「学校も家もまだ仮設みたいなもんで、それどころではないだろう」と言われました。が、そうだろうけど、でもでもでもでも・・・・。

22日の一周年祭、是非よってがいん!!

 

 

 

 

 

 

修学旅行と新聞バッグ

あれやこれや、どこやここやで動きが多く、決定することも多いので、急遽梅農場でよっちゃん、3代目、私の山の手
3メンバーでちょっと会議のはずが、午前11時から始めて気づけば2時近く。

梅の実はまだこれくらいの大きさです。
いっぱい地面に落ちているのがもったいない!

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いやーあ、話すこと多々で全然終わりません。

新しく仲間になってくれたクロちゃんのこと、家探し、事務所探し。近々買い取り予定で海山商品の納品が決まった某道の駅のこと、先だってモノ部門で頂いたロハス大賞のこと、贈答用の袋として新聞バッグを使ってくださることが決まった仙台の某企業さんのこと、そして近頃多くお話しを頂く新聞バッグワークショップに、来年に迫った修学旅行
のこと。

この中でも話し合うべき重要課題は、このところ次々に問い合わせが来る修学旅行の新聞バッグ作り体験。
中学生でも高校生でも被災地ではない遠い町から東北を選んで修学旅行にきてくれて、スケジュールいっぱいの
貴重な時間の中で新聞バッグつくりを体験してくれるのです。

ただの新聞バッグつくりで終わらせたくないではないですか。

震災直後から2年余り。避難中の鳴子温泉で出会った津波で家や仕事を失くした人達と一緒に、ただ人から支援
してもらうのじゃなくて(衣類その他はたくさん支援していただきましたが)、とにかく仕事は自分達で作り出そう
と必死で考え、動きました。

大体梅農場での最初の梅見の会の時から、よっちゃん、梅農場の3代目、そして私の3人は自分たちで思いつき、
自分達で企画しながら、200人以上にもふくれあがった参加者のあまりの大人数に手が足りなくなって、初めて
会った避難者の方たちに食事作りを手伝ってもらいましたっけ。

旅館で3食ご飯を食べて温泉に入っていた避難中の方たちは、久しぶりだー、と大喜びで包丁もって野菜を切り
刻んでくれました。

人って、人間って、やっぱりどんな時でも働きたいんだねー、ってその時思いました。

何もかもなくなって手しか残ってないから、会の名を海の手山の手と名付けたけれど、何か使えるもの、その辺に
あるもので何か使えるものがないかと、3人で必死に探しましたっけ。

南三陸のSさんともう一人の年配の男の人と一緒によっちゃんちの竹を伐り出して、湧き水で洗って、輪切りにしてバインダーで磨き、植木鉢を作り、うちのハウスの花を植え、その辺にある苔を採ってきて根元を苔で覆って植えました。竹を伐る時、怪我するんじゃないかと心配で心配で。でも手伝ったら仕事にならないから、とよっちゃんは
手を貸すのを我慢してました。

よくあんなもん売ったもんだと、今になると笑いが止まらなくなりますが、その時は必死でした。ヨモギ茶を作ろうと
思いついたら、広い広い梅農場の草むらを埋め尽くすほどある蓬が気になって気になって、3代目が乗用草刈り
機でガーッと刈ってしまうまでに採りたいもんだと本気で思ってました。

見るもの見るもの何かに使えるのではないか、とそればかり考えて、梅農場の基準に合わない梅の実を30㎏も  もらって、大なべでジャムを作って売ったこともあります。

そんなこんなの中で避難所でも仮設住宅でもできる仕事として、読み終わった新聞と糊だけでできる新聞バッグ作りを始めましたが、2年も過ぎた今、まさか子供たちに体験してもらう日が来ようとは夢にも思いませんでした。

今もう一度やれるか、と聞かれると、いやあ、ちょっと・・・と答えをためらいます。

でも今災害が起こったら、すぐにスイッチが切り替わって、前よりもっと確かな目で使えるものを探し、もらうお金と
張り合える良い商品を作って売ると思います。作り方もわかったし、売り方もわかった。一人じゃどーにもならん!!
というのも実体験でよーくわかった。

全てをなくした最初は、働き先なんてないのだから、自分でモノ作って売るしかないもの。少しづつモノ売って態勢整えていくしかないもの。自分でモノを作ると成り立ちもわかるし、壊れても治し方も解る。今の機械文化じゃ治すより
買い変えろと言うじゃないですか。それじゃパーツしかわからない。世界が狭まる。

 

何にもなくとも手と頭を使って何ができるのか。
そこがちゃんとわかっていれば、災害が来ようが、就職が厳しかろうが、自分の手で仕事は作り出せる。
お父さんとお母さんの力にもなれる。

新聞バッグつくりを体験してもらうなら、そこから何が伝えられるのか。説教くさいのは嫌だから楽しく体験して
その時はわからなくても、後になっても心に残る。修学旅行の子供たちとそんな交流できないかなあ、と
妄想しています。

 

真面目な3人。よっちゃんも3代目もきっと夢の中でも修学旅行と新聞バッグのことを考えてると思います。

 

夕方、4歳孫の要望で、畠に行って自転車の練習。

まず、自転車練習ロードの確保。
なんでも自分でやらなくちゃ。

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花の資材が片付いたところで、行きます!
ターンもできるようになりました!

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それにしても凄い環境だねえ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ほっかぶり市&サゼさんとの再会

毎月第3土曜日はこの町の次世代農業生産者が主催する「ほっかぶり市」。

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ほっかぶりメンバーではない海山ネットは普段は参加しないのだけれど、四万十生え抜きインストラクター、クロちゃんが来たということで、今日はワークショップをやらせてもらうことにしました。

朝、クロちゃんをほっかぶり市に送り込んで、私は道の駅、その他のお餅仕事を終わらせ、用事で古川へ。
その後、会津若松からはるばるほっかぶり市を視察にみえた経営者の方々の中のお一人、前東北村村長の
サゼさんにお会いするためにほっかぶり会場へ。

サゼさんは会津若松の老舗、餡のおおすかの社長さんでいらっしゃるのに、何時お会いしても気軽で気さくで優しくて、お話しし易い方です。

なんとまあ、ほっかぶり市ではシンガーソングライターの方がほっかぶりソングを作ってくださったそうで、行った時、  ちょうどそのソングの初披露中。生の歌を聴く機会など滅多にないので、ギターを抱えてしっとりと聞かせてくださるほっかぶりソング、そしてそれ以外の曲もじっくりと楽しませていただきました。

市が終わった後は、よっちゃん宅に移動して、会津若松で六次産業化を目指して講演会をしたり研修をしたり   なさっている会員の経営者の方々のお話しをうかがいました。

そして今日、日曜日は鳴子温泉にある老舗喫茶店「玉子屋」さんでサゼさん一行に合流。               実ははここで働くインストラクターのあやさんに用事があったのですが、あいにく古川に行って留守なので、サゼさんはじめ会員の方々と玉子屋さん名物のおいしいケーキと珈琲をいただきながら、会津若松の歴史のお話しなど
聞きました。

お別れする前のサゼさん。
どの社長さんもみんな明るくて楽しそう。存分に皆さんご一緒の旅を楽しんでいらっしゃるようです。

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家に戻ってからは草刈り。

いろんな花が咲いてきました。

うつぎが咲きました。何うつぎだったかなあ。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

そしてまたウツギ。違う種類のウツギ。ものすごくでっかくなってしまって、どうしよう。

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忍冬。ハニーサックルともいいます。

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ロニセラ

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赤いハニーサックル。つきぬきにんどうともいいます。

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父の形見の紅藤の子供。福岡から持ってきた紅藤のタネをとって蒔きました。

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いろんな花が咲きすすむと、季節の移ろいを感じて[ああ、終わっちゃう、終わっちゃう」と寂しい気持ちに      なったりもします。

 

 

 

 

 

クロダさんがやってきました。

月日が流れるのは早いもんで、「四万十での契約終わったら、宮城に住んで海山の仕事を一緒にやろうかなあ」と
妄想していた、四万十ドラマの生え抜きインストラクターであるクロちゃんが、遂にホントにやってきました。

宮城県大崎市の岩出山という小さな町に移住してくれる人は滅多にないので、感激です。
家を借りることも車を買う手配もまだ済んでいないのに、一昨日の到着早々から仕事、仕事で申し訳ないと思い
つつも、今日は朝から道の駅のホールでプチミーティング。

ワークショップの要請をいくつも頂いているので、その打ち合わせです。

なにせ、海の手山の手ネットワークの新聞バッグ作りは、大震災後に何もかも流れてなくなって、手しか残って
いない沿岸部で被災した方々と避難先の鳴子温泉で出会ったことから始まった手仕事です。
作り方は四万十ドラマに教えて頂いたものの、ワークショップとか講習とかの正式なことは何も解からないまま
今日までやってきたので、これまで本職だったクロちゃんには聞きたいことばかり。

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これまで、聞きたい、解らないと思っていたことを思う存分質問して、お昼にミーティング終了。

昨日は昨日で、7月から始まる英字新聞の運搬についての日本郵便さんとの打ち合わせにも同席して
もらいました。全日空海外便の英字新聞が成田空港から送られてくることになります。

日頃、手紙を出したり、お金の出し入れくらいしか用事のない、郵便事業の方とお話しするのは実に
興味深かったです。郵便局は身近な場所にあるにも関わらず、知らないことがいっぱい。もっと利用しなきゃ
ダメなんだなあーと実感しました。よく知るといいことがいっぱいありそう。

明日はほっかぶり市でワークショップ。
明後日の日曜日は、仙台長町のひふみよマルシェで ワークショップです。
新聞バッグを作ってみたいなあ、と思っていらっしゃる方は是非のぞいてみてください。

 

町までの行き帰りに、見かけるヤギ。
初めて見た日、夕方に雨に濡れて座り込んでいたので、どうしたのかなあ、と気がかりでした。
もしかすると捨てられたヤギ?

もう一度通ったら、場所を違えて繋いであって、せっせせっせと自分の周りの草を食べてました。
捨てられヤギだったら、連れて帰りたいと思っていたんだけど。

昔からヤギが好きで飼いたいなあと憧れてました。

かわいいでしょう!

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前にしゃがんで草をやると近寄ってきて食べてくれる人懐こいヤギでした。
ヨモギは嫌だって。タンポポの花の先っぽのほうも好みじゃないって。
スギナと藤づるは美味しいそうです。