悶々もんもん・・・。

テレビで「こんなところに日本人」という番組を見ていたら、遠いアフリカのルワンダという国のゴミ処理場で
大きな島のようにでっかいゴミの山でゴミ処理の仕事をしている男性がいました。

元環境省のお役人でルワンダには国の仕事をして来たのだけれど、今は公務員を辞めてほぼボランティアとしてゴミ処理の仕事をしていると言ってました。日本人の奥さんと子供さんも一緒でした。

私が思ったのは、すごいことやっている人がいるんだなあ、ということと、この凄まじいゴミの山!
これが紙だったら、この大山は半分もないんだろうなあ、ということ。

時にテレビに映るフィリピンのゴミの山を見ても同じことを思います。

ビニール、プラスチック、カンカン、片付けにくいものばかり。

この間高知に行った時、夜の懇親会の最後に行った屋台のギョウザ屋さん。高知だから冬の夜に屋台のギョウザが食べられるということも驚きだけど、真夜中近い時間だというのに、並んで待つくらいお客さん
が入っているということ。

私たちもだいぶ待って座らせてもらいました。人気メニューはお酒の後のギョウザとラーメン。ギョウザは
皮パリパリで大変美味しいけれど、私がギョウザより心惹かれたのは、目の前でお兄さんが手品のような
早業でギョウザを包んでは置く木の台。台じゃないんだけど台のような入れ物。

昔ビニールやプラスティックなどない頃には包むものは紙(新聞紙)、入れ物は木でした。ギョウザ入れは薄ーい台のような箱で木枠がついてた。欲しいなー、と思ってみてました。お餅を入れたい。

いまどきこんな箱を手に入れようと思ったら、売ってないから高いお金を払って作ってもらうしかありません。
作ってくれる人もおいそれといないと思う。

こうして考えると私たちは便利便利と言いながら、ずいぶんいろんなものを失くしてしまったんだなあ、と
思います。

四万十の梅原デザイナーは、自宅の傍を流れる日本一の清流と言われる四万十川の清掃で、川でゴミと
なっているのは上流から流れてくるビニールだったことから、イトウのおばちゃんに「新聞で袋作ってくれんか」と頼んだことから今の新聞バッグに進化したとお話ししてくれました。

 

今日は午後から高知会議の海山報告会をやりました、

「新聞バッグコンクールをニューヨークでやろう」という高知会議で進展して決まったことを海山のみんなは どう受け止めるかという話し合いです。

そこで浮かび上がってきたのは、東北と東北以外の人々の大震災に関する心の大きな違い。
新聞バッグを作る。コンクールをする、ということでさえも大きな違い。東北新聞バッグのお師匠さんである
しまんと新聞バッグはエコの新聞バッグ。東北新聞バッグは被災した人たちを支えた心の意味でもお金の
意味でも再建を目指す新聞バッグ。作る意味合いが全然違う。

 

高知でOKでも東北では全然OKにならない。
「これはえらいこどだっちゃ!」と兜の紐を締め直して仕組みを作り企画をしなければならない。

 

悶々です。悶々もんもん!!

 

 

 

 

 

 

NPOとお見舞い

気温が上がったみたいで、なんとなく近辺ビチョビチョしています。雪は真っ白に積もった時はきれいなんだけど、溶けかける時は汚い。土と混じってどろどろ。

今日見た田んぼの中の白鳥とマガンは見事にどろどろに汚れてましたっけ。

1月も終わろうとする近頃の夕方の空には、近くにあるラムサール条約指定地である蕪栗沼や化女沼のねぐらに帰るガンや白鳥がコウコウと鳴き交わしながら編隊を作って飛んでます。あのVの字を率いて先頭を
飛ぶ白鳥の姿を見上げていると、なんとなく感動します。そして毎回不思議だなあ、と思う。

土曜日。
仙台の市民サポートセンターへ。いろは塾というのがあって、NPO設立に関してお話しが聞けるそうなので、NPOというのがどんな団体なのか、詳しくうかがうことにしました。これまで任意団体として3年近く活動してきた海山ネットもやっている仕事がだんだん大きくなって込み入って来たので、ちょっと整理する時期に
来ている感があります。

NPOというのは「難しいよー」と聞いてきたけど、団体の仕組みそのものは難しくなくて、多くの市民からその
団体の公共性をきちんと見てもらうという形にするための書類作りが大変なんだ、とよーく理解できました。

そしてNPOになってからの事業内容の報告をする書類作りがまた大変なんだ、と解かりました。

でも当然だよなー、と納得し、ドサッというくらいの分厚い書類を頂いて帰ってきました。

がんばろうー!!

 

日曜日。

今日は三本木の天然酵母パン工房「青い虹」さんでのパン作りと新聞バッグ作りをコラボしてワークショップの第1回目の日。パン作りの講師は「青い虹」さん、新聞バッグは海山のクロダさん。
案内のチラシなども全て「青い虹」さんのほうで用意して頂いて、海山はただ行くだけになってしまって申し訳なかったのですが、参加者は8名。パンを作って焼いている間に新聞バッグを作り、お昼も出るそうで
楽しそう。私も行きたいところだけれど、お餅の仕事があるので無理。

でも1回行って、パンも新聞バッグも両方作れちゃうというのは、楽しいじゃないですか。お菓子作りも教えてもらって、可愛い新聞バッグ作ってお土産とかプレゼントにしたい。妄想です。

 

午後、

南三陸の新聞バッグエキスパート、けいこさんのところのおじいさんが入院中の若柳市立病院へ。

大震災後、避難先の鳴子温泉で知り合ってからもうすぐ3年。おじいさんにもおばあさんにも実に優しくして頂いて大変お世話になりました。

もうすぐ88歳になるおじいさんは、闘病中であってもとてもしっかりされていて、「せっかく拾った命だから
死ぬわけにはいかん」と。「大きな点滴3本打ってもすぐトイレに行ってご飯も3食しっかり食べる。寝てると身体がなまるからリハビリもやっている。あんまり良くないと先生は言ったがいったんは帰る」ということで
月末にはおうちに帰られるようです。

病院に行く時には雪がなくて、帰ってくる時には雪が降りしきり、家に戻ると雪はやみ、夕方温泉に行く時には「止めようか」と思うほど雪がひどくなり、温泉宿から出てくると止んでました。

今日の温泉は私一人の貸し切り。「ぬまくら」。ほんとにいいお湯です。旅館の方たちも物言いがあったかくて嬉しくなります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

給湯機工事開始&道の駅会議

今日から工事。

いつまでもお風呂なし、というわけにもいかないので、ついに決断しました。

灯油を使う給湯設備から夜間電力を使うエコ給湯へ。ランニングコストは断然電気が安い。でも導入コストは断然電気が高い。ガス、灯油、電気のランニングコストのミレーションをしてもらい、いいとこ悪いとこも説明してもらい、後住んでくれるかもしれない子供のことも考えた結果、灯油とおさらばして、電気に替えることにしました。

この冬は雪はあまり降らないけど、寒さが厳しいです。毎晩しばれます。どこのおうちも近頃高くなった灯油
代で大変と思う。

ちょっと天気が悪くて雪を掻きながらの作業です。冷たい風がピューピュー当たって、申し訳ないような
強烈に寒い作業現場でいつもの電気屋さんががんばってくれています。

 

年度末が近付き、私も会議で大忙し。

1時、出荷組合の会計監査、及び会議のために道の駅へ。

なんと夜7時過ぎまで道の駅にいました。お腹は空くし疲れたけれど、こうして長時間会議したことが活かされて、道の駅に今年たくさんのお客様がきてもらえたら嬉しいんですが・・・。

 

しかし、何をしていてもニューヨークが頭から離れません。

「ニューヨークで新聞バッグコンクール開催」の理由はちゃんとあるんですが、今1番周囲から言われるのが「なんでニューヨーク?」

そうなんだよね。「なんでニューヨーク?」にスムーズに明確に説明できる言葉を今探しているところです。
探し当てたらここに書きます。

全部で10000枚近くもの大きな大きな注文も頂いて、これからこの注文を東北のどの地域まで広げて
作っていくか、それも重要な検討課題。ある地域では電気を使わない仕事を探されていると聞きました。  そういうところで作ってもらえる仕組みを考えなくては、と思ってます。

 

 

 

 

 

 

 

四万十、東北新聞バッグ、ニューヨークへ発進!

高知市で催されたしまんと、東北新聞バッグtoニューヨークの企画会議に参加してきました。

20日、21日の二日間にわたる、会議もお昼ご飯も夜の飲みもって会も2次会も(最終は屋台のギョーザとラーメンも)極め付きの濃厚な高知滞在でありました。

宮城から高知は遠い!
前々日に新幹線で東京へ。空港近くで一泊して朝の飛行機に乗り、竜馬空港に到着後に市内に入り会議、
という順序になります。

しまんと新聞バッグtoニューヨークの実行部隊のキャプテン梅原真氏を始め、四万十チーム、全国から
集まったインストラクターのみなさん、そして数社の報道機関の記者の方々、2日目は銀行さんも
参加されての、新聞バッグコンクールをニューヨークで開催するための数々の提案の続出で、一言も聞き 漏らすまいと緊張した頭はパンパン!

大変に疲れましたが、楽しかった!

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壁に貼った白い紙に、参加したどの人の口から発せられた言葉でも、ひとつも聞き落とすことなく、整理して紙の上に文字と絵で描いていく名ファシリテーターの畠山ともこ姉さん。実に凄腕でこういう仕事があるんだなあ、と感心します。

濃密な会議が終わった後は、高知の海山の美味しいもの全開のようなお店での夜の懇親会となりましたが、これもまた会議の続きのようなもので、これまで新聞バッグに関わってきた方々が、どれほど新聞バッグを大切にされてきたかが伝わってきました。

 

会議2日目終了後、飛行機に乗る前に高知市内が一望できる五台山に案内してもらいました。なんとここには牧野植物園と記念館があって(日本の植物学の第一人者といわれる牧野富太郎博士)、花を作って売ってきた私としては、ここに一泊して牧野植物園を堪能したい。

カフェから見る高知の海。

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そして高知は暖かく、もう水仙が咲いていました。

DSCF1345

食べ物の写真というものを撮ることはほとんどないのですが、会場のお隣りでお昼に食べた定食が
あまりにも見事だったもので、撮りました。

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鰹ご飯にコリンキーの漬物。地場で獲れる魚や栽培しても料理しにくい野菜を上手に使った彩が美しい、
そしてお値段も手ごろな美味しい定食。

帰ってきましたが、もうあと1週間もすればまた次の会議です。がんばります!

 

 

 

 

 

 

高知へ

あっちこっちで雪が降るので、ちょっと心配なのですが、今日から高知で行われる東北新聞バッグコンクールINニューヨーク、に向けてのミーティングに行ってきます。

どんな話が出てくるのかドキドキ。

お正月が終わって少しのんびりしていましたが、大きな注文もいくつか頂いて、のーんびり、という具合には
いかなくなってきました。

帰ってきたら、今度はこちらのミーテイング。

みんなで心と力を合わせてひとつひとつ進めていきます。

留守の間チビがきがかり。娘たちが見てくれますが・・・。

 

 

 

 

幸運にも・・・

昨年の春に、要請されて東京自由ヶ丘の産経カルチャーセンターで春の一期だけ、新聞バッグ講座を
させて頂いたことがあります。一期3か月、月に一度というプログラムでしたが、遠いし、交通費は嵩むし、
ということで最初はご遠慮したのですが、担当者のMさんが熱心に誘ってくださるのでやらせて頂く
ことにしたのでした。

その時最初の時間から新聞バッグを作りにみえた方の中で、横浜在住のSNさんという女性から、お仕事
なさっている職場に「ドイツの新聞があるので送りましょうか」と言って頂いたことから、帰ってからも時々
メールや手紙のやりとりなどをするようになりました。

お話ししてみれば奇遇にもご実家は福岡ということで私と同郷の方でした。前はドイツに住まわれていたということで、その後に訪ねられたドイツには、「作った新聞バッグを持って行ったら、ドイツの友人たちに大変
喜ばれた。作りたいというので一緒に道具を買いに行った」などと、ドイツと新聞バッグを結ぶ楽しいお話し
を帰国後に知らせてくださったりしました。

昨年のクリスマスには、ドイツにいた時に周囲のお母さんたちと一緒に作るのが楽しかった、という
糸やストローや紙紐やリボンなどで作った手作りの、それは素晴らしいクリスマスツリーの飾りものを
送ってくださいました。

そして時折頂くお手紙は、ペンギンや白鳥などの折り紙の写真の葉書でした。初めてお会いした時に
折り紙をなさる、とはうかがっていたけれど、そのペンギンや白鳥の生きているような姿に驚き感動
しました。作者は吉澤章氏。

調べてみると、日本の折り紙を「ORIGAMI」というアートにまで高め、世界に広げた日本の創作折り紙の
第一人者、とあります。2005年の94歳のお誕生日に亡くなられていて、その時まで精力的に折り紙の
活動をなさっていたそうです。

今日頂いたお手紙によれば、SNさんは吉澤章氏に直接折り紙の指導を受けられていた吉澤先生の
生徒さんであるということ。そして今は吉澤氏の奥様と妹さんから指導を受けているということでした。

今年、ニューヨークでの東北新聞バッグコンクール開催に当たって、梅原先生がいつも仰る
「四万十生まれのエコの新聞バッグ+東北の大震災後の手仕事として始めたー生きる糧ーとしての
新聞バッグ+日本のモッタイナイ文化と昔から伝わるオリガミの美意識を合わせて、新しい価値のある   モノを入れる新聞バッグ」に展開させたいと、「ORIGAMIを教えて頂きたいので一度東北にお越しください」
とお願いしたことから、そんなお返事がきたのです。

びっくりしました。
海山ネットとして新聞バッグ作りを始めてから、想像もしなかったような方との出会いが度々ありますが、
SNさんとお会いしたことも、神様から用意されたような幸運な出会いだったと思います。

仕事場で新聞が溜まる度にドイツの新聞紙を送って頂いていますが、これからもこのご縁を大切に
して新聞バッグに新しい息吹を吹き込みたい。そう思います。

 

春には静岡で展示会があるとのこと。写真で見た吉澤章氏作のあの凄いオリガミの世界が直接見られる
なんてほんと、ワクワクします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東京は超寒かった!!

今日は世田谷ボロ市の最終日。

大震災の年の12月と翌年1月の世田谷ボロ市での新聞バッグ販売をお誘い頂いてはや3回目。

この厳寒の時期に1日外に立っているだけでも大変なのに、毎回それはそれは丁寧に気仙沼や南三陸で
作られた商品を本田美奈子基金のブースを借りて販売してくださっているチームワンネスの皆さま。

その中でも会社の社長さんというお仕事の傍ら「これはボランティアですよ」と仰って、海山の新聞バッグ
その他の値つけから販売、発送、代金の計算まで全てをやってくださる代表の大谷さんにお礼のご挨拶と
売れ残り分の発送と片付け等お手伝いしたくてとんんぼ帰りで東京に行くことにしました。

朝出かける時は雪。

でも東京だからね。東京はあったかいからね、と楽しみにして向かったのですが、東京駅に降りてから
「なに! この寒さ!」
普段帽子など被ったことがないのに、もしもと持参した毛糸の帽子を被り、手袋をし、マフラーをぐるぐる
首に巻いてもまだ寒い。普段車に乗ってドアツードアの生活をしているので、宮城より寒い。がっかりでした。

世田谷ボロ市は路面を走るレトロな電車世田谷線に乗って世田谷駅とか上町という駅で降りるのですが、
東京駅からは行きづらい。山手線で渋谷に出て田園都市線に乗り換えて三軒茶屋で降り、世田谷線に乗り換えるという順路ですが、東京駅から1時間半もかかりました。

そしてやっと到着した代官屋敷。

寒空の下でもそぞろ歩く人はいっぱい。

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乳母車に乗ったワンちゃんもいましたよ。

しかし年数が経つうちに売れる商品も変わってきます。今日は寒いのもあるけど、売り上げは低迷状態。

 

夕方5時の閉店までいて代官屋敷を後にしました。

世田谷ボロ市は江戸時代から続く歴史の古い市だということですが、もう町の全部の道や路地のことごとくが屋台のお店に埋め尽くされているような感があります。

 

それにしても寒かった。
東京までのとんぼ帰りは疲れるかなあ、と思っていたけど、乗り物に乗っている時は殆ど寝ているのだから
逆に元気よく帰ってきました。

 

さて、今から仕事です。

 

 

 

 

 

 

 

苦心惨憺のチケット予約&新しい温泉

今月20日、21日に高知で行われる東北バッグコンクールinニューヨークの企画会議に出席のための飛行機
予約をするために、今日は半日以上奮闘。

まだ終わっていないけど、まあー、高知便の航空運賃の高いこと。安いのをとろうと探せば探すほど
情報の迷路に迷い込みこんだようで頭がくたびれます。

私一人の旅は、どこの航空会社にでもあるシニア割引を利用して、空席さえあればそれに乗るのだけれど
今度行くのは3人。それも会議の開始時間や終了時間、ホテルのパックやレンタカー予約などに縛られながら安いチケット、安いチケットと探すのは「こんなに手間かかるの!」と思い知りました。

ましてや頭が古びているんだもの。パソコンが下手なんだもの。情報過多なんだもの。

 

日中少し寒気が緩んで、鳴子方面でも行けそうな雰囲気になってきたので、午後からドイツの新聞紙を  届けに鳴子温泉の奥にあるあやさんの家へ。

鳴子まで行くと、やっぱ雪の量がはんぱなく違います。どこもかしこも真っ白けの雪原。ちょっと足跡かなんかをつけてみたくなるような真っ平で真っ白などこまでも続く雪原。                          あやさんの家の前はてんこ盛りの雪の山でした。                                    家の屋根が雪の山越しに見える状況。やっぱり冬は大変だねえ。

あやさんの家はみなし仮設住宅だけど、行く度によくまあこんなところに空き家を見つけたもんだ、と思い ます。冬は安心して家を空けられないと思う。帰ったら雪で家に入れないかもしれないから。

とり急ぎやらなきゃいけないミーティングの話などして、帰りにはせっかくここまで来たのだからまだ入って
いない温泉へ。

そして今日の温泉は最高でした。前から一度行ってみたかった川渡温泉の旅館ぬまくら。

お風呂は広い。横にふたつ並んだ熱い湯とぬるい湯の浴槽の縁の木を見るとそれなりに古さは感じますが
手入れが行き届いてとても気持ちがいい。浴槽の向こうは大きな1枚ガラスの窓で、松やその他の樹木が
すっぽりと雪を被ったお庭が見渡せます。灯篭には灯が灯り、もう十五夜が近い真ん丸のお月様が窓から
見える空の真ん中に。不思議なことに月明りの中で雪が舞っています。

なんと気持ちがいい温泉だ!と一人で喜んでいたら、もう一人ほとんど毎日入っているのよ、というご婦人がみえました。「このお湯のおかげで元気にしていられるのだと思っているんですよ」というお話でした。
ちなみに料金は500円。夜は8時頃まで入れるそうなので、私はこれからここに来ます。

 

帰って今度はパソコンの前で高知行きの予約を続行。パソコンの調子が悪いので、えい、面倒だと深夜0時にホテルに電話をしたら、普通に昼間と同じように人が出たのでびっくり。そして、よっちゃんが予約した
飛行機チケットの確認ファックスが翌朝6時過ぎに入ってきたのにもびっくり。

こういう仕事の方たちは夜は寝ないのですか?今の時代は。 おどろいた!

 

 

 

 

 

 

 

お友達と

女優の淡路恵子さんが食道がんで亡くなった、とテレビで見ました。

私が若い頃に映画にたくさん出ていた、日本人離れした容貌のじつに綺麗な女優さんだった。

でもその人生は離婚して再婚して男の子4人の子供に恵まれたけれど、ご主人の萬屋錦之介の莫大な
借金を背負い、難病のALSに罹ったご主人の看病をし、あげく他の女性と仲良くなってしまったご主人と
再び離婚をし、3男をオートバイの事故で失くし、4男も自殺で失くすという、実に過酷な悲しみの多い
運命を生きた女性であった、ということでした。

テレビの報道ではさかんに「壮絶な人生」と言ってましたが。

愛する人たちとの関係の中で起るさまざまな出来事に翻弄されながらも、起こった出来事を自分の運命だと受け入れ、向き合い、自分を見失わずに自身の生き方を貫いた潔い女性であった、と私には思えます。

 

昨日は大崎市内で天然酵母のパンを作っているお友達と長ーいお話しの時間を持ちました。

毎日毎日凍りつくような寒さの日が続いて、何かやろうたってやる気になれないこんな時は、ストーブの前で温かいお茶を飲みながらおしゃべりができる大事な時間です。

お友達は私よりも10歳くらい若く、パン作りの歴史が長いパンを作るプロフェッショナル。
お仕事は長い間やってきたけれど、そろそろご両親の介護が必要になって来ました。既婚や未婚の子供
さんたちがいてまだ完全に安心という状況ではなく、自分もだんだん体力的に無理がきかない状況に
なってきて、誰でもそうだと思いますが身辺なかなか大変な時代に突入していきます。

私も同じでした。家族という人間関係の中であっちの心配をしたりこっちの心配をしたり、90歳を越えて
身体は動かないけれど口は達者な両親が交代するように骨を折ったり病気になったり、右往左往するうちに時が経って、両親は相次いで亡くなり大切な家族だったラブラドール2頭も亡くなり、夫も亡くなり、子供
3人はみな世帯を持って暮らしていて、実質私は一人になりました。

 

お友達も今から10年くらいはなかなか大変。でも人の食べ物を作るという重要なお仕事があります。
ものを作る仕事は終わりがありません。作っても作っても次の課題がみえてくる。

これからいろんなことがあると思うけど、ものを作るという仕事に助けてもらいながら、また周りの人々にも助けてもらいながら、揺らがないで体を大事にしてこれからの10年を通りぬけよう!
と盛り上がりました。

久しぶりに楽しいいい時間でした。

 

海山のワークショップを合同でやります。パン作りと新聞バッグ作り。パンを焼いている間に新聞バッグを作って、焼き上がったパンは新聞バッグに入れて持って帰っていただきます。

 

今、外の寒暖計はマイナス5度。雪は積もってませんがしばれる、シバレル。

犬の飲み水。こんなです。1日中溶けずこのまま、ゴロンとしてます。
犬は別の容器で水を飲んでますが、でも置くとすぐ凍っちゃう。

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寒気団、早くどこかに行ってほしいー!

 

 

 

 

 

 

 

 

寒ーい日

昨日から寒ーい! しばれてます。

我が家は温度が下がらない作りの家なので、どうにか生き長らえてますが、昔ながらの農家作りの家は
はんぱなく寒いだろうなあーと思う昨日今日。

外に置いた犬の飲み水が毎回犬が出る度にパリパリに凍っています。その都度お湯をいれてやらなきゃならないので、ほんと面倒。でも家の中では絶対飲まないんだなあ、これが・・・。

よっちゃんちも給湯器がダウンしたようですが、うちはお湯が使えなくなってはや10日を過ぎました。

鍋にガスでお湯を沸かして洗いものや消毒をして、温泉に入る生活にだんだん慣れてきたとはいえ、この
ままというわけにもいかないので、今日はお世話になっている築館の電気工事屋さんに来てもらって、
給湯器修理の相談をしました。

給湯器は使用15年を超え、寿命だそうです。今のうちの給湯設備は灯油で賄われているけれど、これから灯油は高くなりそうだし、どうせ替えるならガスとか電気とかに替えるとかいうのもどうだろうか、と訊ねてみたら、ランニングコストは電気が一番廉いと聞いてびっくり。

へえー、そうなんだ。電器が一番高いのかと思ってた。一番コストがかかるのがガス、次に灯油、それから
電気という順序だと。

電気での給湯は今はエコ給湯といって電気代の廉い夜にお湯をわかしといて、お昼に使うようになっているそうで、お昼に使いすぎたら沸かしたお湯がなくなっちゃう。

知ってる人は知ってるんでしょうが、私は何も知らないので、うん、賢いなあと感心しました。

 

沸かしたお湯を考えなしにジャンジャン使うとなくなっちゃうから、これからは水でもお湯でもやっぱりちゃんと考えて使わなきゃいけない。
ちゃんと決めて工事をしてもらうまで、鍋での湯沸しと温泉通いを続けます。

 

しかし、寒いわ。雪は降ってないけど、しんしんと冷えます。