お城の下で

3月11日、久しぶりに朝から雨。

お城はないけど、城跡公園の下の学校駐車場で下校してくる孫を待っていると、
雨音に混じってマイクの声が聞こえてきました。

「黙祷、、、、」

車の中で孫を待ちながら黙祷。

8年、もたったんだ、と思いつつも記憶があの日に戻ると、胸が騒めいてくる。
家の中も外も周りもほんとうに大変なことだらけだったけれども、大震災が
きっかけで始った新聞バッグのおかげで、近くから日本のあちこちの遠いところまで
広がり繋がった方達とのとても貴重なご縁に恵まれました。

でももう8年。
始った頃の役目はもう終わる時期かもと、心のどこかでは思っているのだけれど、
それでも確実に大震災以来、定期的に新聞バッグを注文し続けて下さる方々がまだ
います。

大震災以来、少しだけれどと年金をもらう月ごとに、必ず支援金を講座に振り
こんでくれる私の友人がいます。もうみんな普通の生活に戻って行ってるから
「もう充分なのよ」と断っても送り続けてくれます。

そのお金がまとまると、少し自前を足して震災遺児を育てる会に送るのももう習慣
になりました。
きっと彼女は自分でできる間は、何年経っても送り続けてくれるのだろうと思って
います。

 

先日、仙台の女性の方から「新聞バッグの作り方を教えてほしい」とのお電話が
ありました。元は石巻の方で津波被害でご自宅を失われ、今は仙台にお住まい
とのこと。
仙台まで行けば費用がかかるし、教える相手が少人数ならば講習費用も割高になる、
と説明したのだけれど、新聞バッグの物語も読んだので、それでもいいと仰る。

そんなわけでご自宅に伺う約束をしましたが、そういう要請があると、「もう
新聞バッグの当初の役目は終わったかなあ」という8年後の今の心境とは裏腹に
まだお役に立つこともあるのかな、と嬉しい気持ちにもなるのです。

菊栽培の摘芯作業開始の時期で、1年の作業の無事を願って花作り女子メンバーで、
栗ちゃんちの集落のお不動様に行くことにしました。
昨年の秋、仕事納めにもお参りした山深い鬱蒼とした杉木立の中のお不動様です。

普通乗車は入れないので栗ちゃんの軽に乗せられて行きます。
去年初めて来た時には、凄い山の中だと思ったけど、やっぱり相変わらず一人で
来るのは躊躇われるほどの山の中。

秋には屋根も地面も降り注ぐ黄金色の銀杏の葉に覆われて、輝くように見えた
お不動様は、早春の今、大きな大きな深い杉の木立に囲まれてひっそりと静まって
いました。

林道に沿って立つ石の鳥居の下で、栗ちゃんの号令がかかります。
「邪念を払って一礼!」

 

小さいお堂にぎゅうぎゅう詰めに座って、またも栗ちゃんの号令。
みんな1年間、無事に作業が進むことを願ってお札をいただきました。

お堂の後ろは渓谷。水の流れまでの10メーターほどの高さは写真ではどうしても
表すことができない。なにせ怖くてへっぴり腰での撮影です。

水の勢いで岩が削ぎ落とされてしまっている渓流。

そして草の中に置かれたお狐さま。

黙祷を済ませ、春のお不動さんにもお参りして、こらからまた1年歩みを進めます。

 

そして春は別れの時でもあり、一緒に山に登り、音楽会を主催した柿の木バンドの
ボーカルオサム君は、晴れて仙台の会社に入って新しい仕事に挑戦します。

来月には8年間苦労を共にした新聞バッグの仲間とのお別れの日もきます。

寂しいけどいいことだ。オサム君、がんばれ!

 

 

 

菊栽培の1年

今期最後の道の駅出荷組合花卉部会が今日終わりました。
長年務めてきた部会長の役目を新しい部会長、副部会長に渡して本日終了。
並行して務めてきた組合理事の役目も終了します。

直売所で販売するお盆の花を、仕入れることなく自分たちで作る地場の花で賄おうと、盆と彼岸菊の栽培を始めたのが2年前。3年目に入る今年は大変大切な時期、ではありますが、このまま続けて次に任期終了時には79歳になっていることを考え、終わらせてもらうことにしました。

最初は苗探しから始まった菊栽培。

入手しにくい菊の苗をどこで手に入れるか試行錯誤しながら、結局譲渡をお願いできたのは、東日本大震災の際に鳴子温泉に避難して来られていた南三陸の菊栽培の師匠、小野寺氏のお世話。

お盆用4000本、彼岸用4000本をお花屋さんから譲ってもらって部会員に分け、栽培が始まりました。

整枝をしたり、脇芽を摘んだりと何かと手がかかるうえに、油断をするとすぐ病気にかかる菊。やったことない者が、菊栽培者の先輩がたにに教わりながら試行錯誤で菊を育てた1年でした。

2年目に入るところで、グループで菊栽培というのは珍しい試みなので県のほうでも応援しましょう、と宮城県農業普及所よりのお申し出があり、以来、農業普及所花担当の水戸氏から苗作りから開花、販売促進までさまざまなご指導を頂けるようになりました。

仕事熱心な水戸氏の先導で勉強に次ぐ勉強。

1年目は花のできも問題あり、だったけど、それでもできた花は完売。
道の駅にお盆の花を買いに見えるお客様には、道の駅直売所の地場産の盆花というアピールができたと思います。

そして花が終わった後、2年目の苗を作るにはまだ力不足なので、昨年春には再度8000本を入手。同時に他直売所との交流を深めて品種を多く知ることも始めました。

息も吐かせぬ勉強会の成果で昨年の夏はどこの圃場でも立派に菊が成長しました。が暑すぎで開花抑制されて花が咲かなくてヤキモキ。
自然現象に左右される花栽培の一番つらいことこでろです。

これほど多量の菊を育てながら加代子さんはこんなに素敵な色のトルコ桔梗も。

菊栽培をする部会員も徐々に増えました。

追われるように多忙な日々の中でも、女子会を結成してたまには
食事&お喋り会をを開いたり、花盛りのガーデンを見学に行ったり。
息抜きと親睦の場も必要です。

秋には農業普及所のお力添えで念願のハンギングバスケット講習会を開催。

気がつけば同じ集落の80歳を超えられた男性部会員も菊作りをしたりハンギングバスケット講習まで参加されているのを見て感激。

そしてもうひとつ自主的な花のワークショップを開催というのもありました。以前にはなかったことなので、これも嬉しいできごとでした。
こういうのは是非続いてほしい。
お客様にも喜んでいただけると思います。

彼岸も終わって初冬に入り、1年の仕事の締めくくりは菊栽培の先輩、クリちゃんちに近いお不動様へ。ご利益のある素晴らしいお不動さまだそうな。

林道のような細い山道を辿るとこんなところにと思うような木々の中に石の鳥居がありました。『そこで一礼」クリちゃんの号令の元、頭を下げて鳥居をくぐり、急な石段を下ると屋根も地表も舞い散った銀杏の葉に覆われて黄色に輝くような小さい祠がありました。

祠の向こうは渓流。

小さい祠にぎゅうぎゅうに並び座って、「2令2拍手1礼」のクリちゃんの号令のもと、全員で邪念を払ってお不動様にお礼を申し上げ、お札を頂いて1年間の作業を終えました。

 

3年目に入る今年は、いよいよ初めての相互協力による苗の自給を開始。
ハウスを持たない者はハウスがある栽培者に親株を育ててもらって春には苗をとる、というやり方ですが、親株を育てる栽培者には相当プレッシャーのはず。
ハウスがあるもの、ないものそれぞれに、ハウスの中に親株を埋け込んだり、プランターに植えたりトンネルかけたりの実験開始です。

私のハウスも置いていた自転車を出して伸び放題の竹を切り、親株圃場にしました。

もう今年の親株管理の点検視察は既に始まっていて、先日の報告では全員の親株が健全に育成中だとのこと。

事始めの景気づけに、先日は第一回目の女子ご飯会を開催。
隣町の道の駅でバイキング昼食を視察味見見聞をし、その後はイチゴ狩りに。今頃イチゴがなってるなんてすっかり忘れてた。

なってた、なってた、いっぱいなってました。
このイチゴ農家さんは道の駅オープン当初あたりでイチゴを納品してくださっていた方。何年ぶりかの再会でした。

30分間食べ放題というんだけど、30分なんて食べられません。
15分もかけて15個食べてもうお腹いっぱい。

ビニールハウスの中に掲げられたみっつの経営理念の下で、「おれはほんとうにいい仕事をしていると思うんだ」というご主人の言葉が耳に残りました。

次はお不動様に新年のご挨拶に伺うのだそう。世話役は持ち回り。    「あけまして、、、」というのはちょっと遅い気がするけれど、自然と繋がっている私たちの仕事は、年度始めのご挨拶をしてから3月始めの穂を採る作業に入りたいという気持ちもわかる気がするのです。

 

 

 

今年も続けます。

あっと言う間にもう1月も終わりに近い。

この冬はたぶん暖冬なんだろうけど、雪が少ない。
と言いながらも今日は久しぶりに大雪。先ほど温泉に行っての帰り道は、視界ほぼなし。ライトに浮かび上がる白い路面のみを見つめてのろのろのろのろ
帰ってきて、家の入り口を通り過ぎそうになってっしまいました。

もうお正月気分も抜けて、昨年から引き続いてのお勉強を開始する時期。なのにエンジンがなかなかかからず、洋服縫いかけて中断したままの洋裁教室はまだ未開講。

でも今年もやります。洋裁教室。
昨年の初夏から始めて、1月1回の教室で私が作った洋服は自分のが3枚、お友達用2枚で合わせて5枚。
全部同じデザインしか作れないのに、なぜか意図せず全部長さが違うという実力で終わりました。2度同じことやれと言われてもできません。それでも襟をつけたり、ボタン穴作ったりできるようになるつもり。

他のみんなは凄かった。最初は色柄違いで全員同じデザインの簡単服を着ている有様だったのが、着物をほどいてのリフォームドレス、帯をほどいてのバッグ作り、パンツにモンペ作りなどに進化しました。

そして秋が過ぎ、夏物が冬ものに変わった途端に機織りに脱線。
洋裁の先生の本職が機織りだものだから、何度か石巻の先生の工房に通っているうちに、機織りやってみようかなあと・・・。これやってみるとかなり原始的な作業で、一織り一織り無心に筬を通して織るうちに布ができてくるのが嬉しい。

パーシモンの千代さんは喫茶店稼業の合間にマフラー3本織りました。
私は今裂織りに挑戦中。
今年は洋裁に加えて機織りも続けます。

そして、続けなければならないものは菊栽培。
これは道の駅出荷組合の花卉の部会活動で、県の農業普及センターの応援を受けて今年で3年目に入る「盆菊の生産拡大プロジェクト」。

昨年の秋に個人的にも相当数の菊の親株をハウスに埋め込んだので、今年は2月半ばから採穂、育苗と忙しくなります。

あとは自分の仕事。
これはもう工夫を続ける。の一言。もう10年もお餅を生業にしてきたのに、今頃になって「豆はこうして蒸すのか」などと本職さんの仕事を見て感心したりしているのだから今更のように自分の勉強不足が情けない。精進、精進。

 

今年からだいぶ長い間離れていた花の仕事に戻って、栽培したいのはガーデン用の宿根草。離れている間にこれで仕事になるのかしらと恐ろしいほど花の名前を忘れてしまっているのだけれど、頭の体操、ボケ防止と心して花の名前を思い出すことから始めます。

大震災以来3月で8年目に入る新聞バッグは、昨年の冬に新聞バッグコンクールが終わりましたが、今年はまた春から仕事が続きそう。

と「今年も続けます」と続けたいことを羅列はしたものの、80歳に近いこの年齢でどこまでできるのか、まずは体力の維持と頭の維持を続けねば。
途中で終わることもおおいにあるかも・・・なあ。

 

 

 

新年おめでとうございます

平成31年。あけましておめでとうございます。
昨年はみなさま方に大変お世話になりました。
本年もよろしくお願いいたします。

昨年の秋は、来たる新聞バッグコンクールの心の準備やら、道の駅花卉部の菊生産拡大計画やら、風邪ひいてこじらせてダウンするやら、コトが多過ぎてブロクまで
エネルギーが続きませんでしたが、コンクールも終わって冬に入ってお正月を迎えて少しゆっくりなりました。

ブログを再開して、秋から起こったことなど、ゆっくりとお知らせしていこうと思います。

今年のお正月は12月末に降った雪がまだ残ってはいるものの、穏やかな珍しいくらいの晴天続き。

元旦は家族でお正月を祝い、2日は集落の新年会。

この毎年恒例の新年会、一時は部落の人が減るばかりでどうなるかと思っていたのだけれど、なんとここにきて人口増加。3年ほど前に黒田さんが来て、その後子供さん2人の若いご家族が来て、昨年からは亡くなられた区長さんの弟さんが関東からみえ、その若い息子さんたちがしょっちゅう農作業にみえて、一挙に小さい子供たちが増えて平均年齢も新年会も若返りました。

若返ると活気が感じられて、こういう変化はほんとうに嬉しい。
未来に希望が持てます。

 

3日は思い立って初詣と前から行きたかった石巻のサンファン館へ。
初めて東北を訪れた時に、期待していた瑞巌寺が閉館で見られず、お隣の薔薇寺で支倉常長がヨーロッパから持ち帰ったというガラスの器を見せてもらって以来、一度は見たい、乗りたいと思っていたサンファンバウティスタ号。

なかなか行く機会がなく、今日はやっと見られると勇んで行ったのですが、なんとまあ休館日でがっくり。
31名の乗組員を乗せて月の浦から出航していったという、サンファンバウティスタ号は静かな海に渓流されていましたが、思ったより小さいのにびっくり。
こんなに小さいので行ったの!と驚く小さな帆船でした。

 

ついでに私たちの洋裁と織物の先生、加納さんのお宅に寄って、女川街道から石巻の市街地に入ったところで、街の中を突っ走るカモシカに遭遇。びっくりしたわ!

最初、その色からイノシシかと思ったけれど、よくみれば鹿、カモシカ。カモシカもビックリ顔だけれど、こっちもビックリでした!

 

初詣は、これまで行ったことがない柳津虚空蔵尊。
「日本三所の秘仏」といわれる弘法大師由来の南三陸奥州柳津虚空蔵尊ということだけれど、立派な鳥居がある珍しいお寺。
山深い小さなお寺かと思いきや、立派な杉木立ちに囲まれた境内には天神堂や稲荷堂、弁財天の祠や石の鳥居、撫で牛や撫で虎なども鎮座して、神様と仏様が両方いらっしゃるような大きなお寺でした。

 

 

平穏な日々を祈願して初詣を済ませ、また明日から通常に仕事をはじめます。

本年もよろしくお願い申し上げます。

 

 

 

 

高知へ

高知2日目。

「前は急げ」ということで、早々と朝食を済ませて一同、梅原デザイン事務所に向かって出発。梅原さんには事前連絡なしなので、お忙しかったら即刻退散します。

梅原デザイン事務所は、物部川の流れをを見下ろす高台にあります。
前回の台風ではだいぶ水が上まで上がる様子をテレビで見て心配したけれど、川は普段に戻って緑豊かな広がりを見せてくれていました。

この右下に写るのは、本日の訪問でたまたま出逢ってしまった、梅原事務所のこれから作るガーデンを設計施工なさるガーデナーさん。

先日北海道で昼食をとる時間もないくらいにガーデンからガーデンをめぐり歩いた野田さんと
私は、ガーデナーさんの動きに気をとられ、時折大切な梅原さんのお話しを聞きもらしそうになったりしました。
このお庭ができた頃にまた梅原さんのお宅にお邪魔したい。外から庭だけでも見せていただきたい。そんな心境になりました。

丁度事務所におられた梅原さんは、突如玄関のガラスの外に現れた高橋君の顔を見て、びっくりなさったと思いますが、憧れのデザイン事務所にあげて頂きました。

四万十新聞バッグコンクールin東北まであと2ヶ月。
もう待ったなんて言ってられる時間はないのですが、今回開催地としてご協力することになった私たち東北在住ウミヤマは、東北で四万十新聞バッグコンクールをやる意味がいまひとつ掴みきれてません。ません、ということはモチベーションが上がらない。

今日はひとつ率直に率直に梅原さんの新聞バッグに対するお気持ちをうかがってみたい、というのも、この突撃訪問の目的なのでした。

午後4時から梅原さんのご著書の新刊本「おいしいデ」の出版記念パーティを控えられた梅原さんはお忙しいにも関わらず、時間をかけて説明してくださり、理解できた私たちは胸のつかえがおりて、新聞バッグコンクールの準備に臨みます。

思いがけず、梅原さんのお宅の檜舞台を見せて頂けることになり、プライベート空間に上がらせて頂いて、奥様の和香さんにもお目にかかれました。

梅原さん宅の檜舞台は、外と中のあわいが定かではないようなお部屋の前の広い自然の中に作られていて、物部川が一望できます。ここはお宅の3階です。

突然のアポなし訪問で梅原さんには大変ご迷惑をかけてしまいましたが、直接向き合ってうかがう梅原さんのお話は、常に意外性に満ちて、目からウロコ。
なるほどなあ、と腑に落ちます。とても大きな視点で物事を捉えられていることがよくわかります。良い時間をいただきました。

梅原さん訪問の後はもうひとつ行きたいところが。

こちらもお約束はとっておらず、どころかお住まいの場所もわからない。
でもおお会いしたことはある川村一成さん。

fbで毎年暮れに作られる門松が盛大にお宅の庭いっぱいに並んだ写真を見たことがあるのですが、それくらいしかわからない。家がどこの地区にあるかはわかるので、探しながら行くことにしました。

が、探せるような集落ではなかった。うねうねうねと高みに登る山道を、fbで見たような家を目標に進むのですがわからず。人にも合わず、でだいぶ奥まで進んだところで男性一人に遭遇。ありがたいことに川村一成さんのお隣の方でした。

ベンツは全然はいれないので、徒歩で川村さん宅へ。

とうとう見つけ出して伺った川村さん宅。
丁度お昼のお食事中。突然の訪問で本当に驚かれたと思うのですが、ご親切にお食事の後、栽培なさっている四方竹の圃場へ連れて行ってくださることになりました。

圃場は自宅から少し離れていて、交通手段は軽トラ。

川村さんは孟宗竹の栽培もなさってますが、秋の今からは竹の茎が四角い四方竹。高知のお料理やさんではこの四方竹のお料理がよく出ます。秋に筍が食べられるなら、是非宮城にと思うのですが、生育には寒すぎるとのこと。残念。

よく手入れされた四方竹の圃場で竹についてのお話をうかがいました。

川村さんの孟宗竹は生食と缶詰用で消化し、間伐材はとっておいて門松用に使う。無駄なものは残さない、という回し方できれいに竹が循環するという、私たちがそうありたいと願うお仕事をなさっていました。

60代半ばでサッカー現役。いつも柔らかな笑顔を絶やさない、ほんとに若々しい自称お百姓さんです。毎年12月は門松作りの月。今年の12月にはよっちゃんが弟子入りして、今奮闘中のしめ縄プラス門松ができたら、いつか岩出山の町の正月はよっちゃん手作りの門松が風物になるのかもしれません。

ここでの農業はほんとに体力勝負。機械が入らないところだから。

 

午後からはパーティの会場で、新聞バッグコンクールの短時間打ち合わせ。

その後のパーティ会場では、梅原さんがこれまでデザインなさった商品が勢ぞろいして並びました。
もちろんよっちゃん農場くま納豆も新聞バッグも。

そして出版をお祝いする今日のメインの新刊本は。

 

最終日はうどんデー。

野田さん、高橋君の計画では帰りしなに香川で6軒のさぬきうどん屋に行く。
6軒なんて食べられるわけない、と私は思うのだけれど、それが「食べられるのだ」とは野田さんの弁。

1軒目。普通の小さいスーパーマーケットの奥の製麺所に空のお椀を抱えて並びました。順番がきたらひと玉か二玉か食べたい麺を入れてもらう。
かけるのは醤油と細かく切った小ねぎをドサッ。
てんぷらなどほしかったらスーパーのレジ横で買う。買ったら外に出て、立ったままかあちこち座って食べる。というかって経験したことがないうどんの食べ方。なんですが、これがおいしいのッ!
うどんは食べない私ですが、全部食べた。200円。

2軒目。
たらいの中のうどん。少し柔らかめだけど、やっぱり美味しい。
博多のうどんとは全然違って、麺のこしが強いけど食べられる。
一緒に販売されているおはぎもまたおいしい。うどんとおはぎの組み合わせがどうよ、とは思うのですが、、、。

うどん屋に興味が出てきたところで、時間がなくなり3軒目以降は割愛となりました。
が、せっかく四国に来たのですから、お遍路の気持ちも少しは味わいたくて、うどん屋の近くの第七十六番霊場へ。

 

新聞バッグコンクールの成功を念じて、宮城に帰ります。

 

高知へ

北海道から帰ってきたと思ったら、今度は高知に行くことになりました。

目的はふたつ。
ひとつはデザイナーの梅原真氏の新しい本「おいしいデ」の出版記念パーティに出席させていただくことと、もうひとつは12月8日に鳴子温泉で開催する予定の「四万十新聞バッグコンクールin東北」についてのミーティングをすること。

という大事な用なので、久方ぶりに海の手山の手フルメンバーで、、

往路は春に行った時と一緒で、仙台から伊丹空港へ空路、伊丹でレンタカーに乗り替え、淡路島経由で徳島入り。

野田さんの遊び心と実用性を兼ねて借りたこのレンタカーが、これまで私が乗ったことがない白い大きなベンツで、故に後々四国の狭い山道を走るのに去就はいかに。 乗り心地はよかったけれど、、、

瀬戸内海の波静か。お天気は上々、なんだけれども台風接近中で、吹き出す前になんとしても四国を離れようというのが全員の共通認識。

淡路島が玉ねぎの名産地だとは知りませんでした。

前回の徳島経由で高知入りを、今回は少しコースを変えて、帰路の金比羅参りなども考慮に入れながら、香川県を走って高知入りすることに。

しかし、やっぱり四国は山の国。
生まれ故郷の九州の山々ともまたまったく様子の違う山また山また山。トンネルまたトンネルまたトンネル。山また山また、、、。車窓の風景の流れの中に時折り山と山の狭い沢筋に埋まるように点在する民家を見つけては、災害が起こりませんように、台風が来ませんように、と祈りたくなります。

新しい発見。それはベネッセ直島。小豆島や直島を含む瀬戸内海の小島が芸術とアートの拠点として、今や外国人観光客の宿泊が1位なのだそう。友人の版画家、岡澤加代子さんが度々小豆島に通うわけを納得しました。私も是非行きたい。

午後高知到着。
播磨屋橋近くに宿をとり、夜はさきなちゃんのバイト先の料理屋さんで、夕食。
久々に腹を割っての意見交換。この先の新聞バッグコンクールに向けての相談諸々。

翌日の予定は今回の訪問のメインイベント、梅薔さんの出版記念パーティに出席することではありますが、会場集合は午後4時。
それまで何をするかということで、朝のうちに梅原デザイン事務所を見に行くことに決定。

もうひとつ四方竹を栽培されている、南国市の河村一成さんのお宅も訪ねてみたいのですが、こちらは住所もどんなところにお住まいなのかもさっぱりわからず、到達できるかどうか、、、不明。探しに行きます。

 

 

 

 

お花畑とガーデン

最終日。
朝ごはんぬきの7時半出発で麓郷の再奥、共済農場へ。

富良野で私が一番好きな場所です。

といっても、何があるわけではなく、遥か前方に芦別岳をのぞむ広大な暖傾斜地に、先が見えないほどの長ーい畑にラベンダーや夏の花々が植えられていて、丘の頂上に展望用の東屋が一軒あるのみ。

ラベンダーは花の時期には一帯を青色に染める花を、花がない時期には刈り込まれて整列した姿を見せてくれるのですが、私がこの農場で好きなのは、野生化したルピナスとあふれんばかりに咲く芍薬と終わりが見えないハマナス群。

 

 

 

楽しみしていたルピナスは花の時期を終えて、伸びた夏草に葉を埋もれさせていました。
芍薬も同じ姿。ハマナスは咲いた花の数だけのローズヒップを実らせています。

 

共済農場の次はカンパーナ六花亭。

広大なぶどう畑に囲まれた丘の上に建つ六花亭の富良野ショップです。
独特のアイスありお餅あり軽食、スイーツもありますが、お値段が低く抑えられています。
地震の影響で空港店が開いてないので、ここでお土産を購入。

六花亭の次はドライフラワー視察のために富田ファームへ。

ラベンダーで有名な富田ファームには、毎年デザインが変わるドライフラワーの館があります。今回はラベンダーよりもドライの花を見たい。

温泉熱を利用してドライフラワーを作りたいのだけれど、富田ファームのドライフラワーはハードルが高すぎて参考にするのが難しくただ、ハア〜!
と見とれるだけ。

 

 

そして次、富良野町営スキー場へ。
ここは国道に沿った町の中心的スキー場ですが、雪のない今は花畑です。
鳴子温泉のスキー場も夏場のスキーができない時期にはこんな風にできないのかと考えるらしい野田さんは、暑い中花畑に入ったままなかなか降りてこない。

富良野の花畑視察を終えて次は美瑛へ。

美瑛のあちこちに寄ってる時間はないので、国道を走りながら道沿いの花を見るだけにして、道の駅に寄って北海道特産の赤えんどうを購入。
この赤えんどうで、豆大福など作ってみたいのです。

その後結構な距離を走って旭川の上野ガーデンに到着。

上野ガーデンは昨日富良野でのトークショウでご挨拶だけ交わした上野砂由紀さんが経営するガーデンです。

園内全てを周るのに1時間半。ショップあり食事をできるところもありのこの大きなガーデンの全てをとりしきっている上野さんは、昨日お会いして感じたとおり、やはりお若くて可愛らしくて華奢なお母さんでいらっしゃることに改めて驚きました。

 

このガーデンは、雪が深い時期を除く春夏秋の全ての季節に花が見られるように設計され植物が植えられています。一つが咲いて咲き終われば違う花が咲き、その花も終われば次の花が咲く、というように。

 

上野ガーデンで上野さんといろいろお話しさせて頂いて、今回のガーデン訪問は終了です。

 

実に忙しくハードで充実した北海道の3日間でした。
食事もゆっくりとる時間がなかった。
けれど、今回見たものが、東北で役立つ時がくればとても嬉しい。

帰りの新千歳空港はレストラン部門を除いてお店がオープンしてました。

 

 

ガーデンを歩く

北海道第1夜の宿泊は、初めて訪れる町、帯広。

十勝地方の中心の町帯広は、想像していたよりも車も人も少ない落ち着いた静かな街でした。
夕食の場所を探しながらぶらぶら夜の街を歩くと、呑み処、食べ処の屋台が連なる独特の風情。

飲まないので十勝の農家野菜レストランで夕食。

その後野田さんは帯広に来たらどうしても入らねばならないという天然温泉アサヒ湯へ。
なんでもコーラのようなお湯なんだそうですが想像がつかない。

 

北海道ガーデン街道の8つのガーデンのうち、十勝地方にあるのは5個。

野田さんが見たいのは、北海道の有名なお菓子の老舗、六花亭が運営する六花の森。
大変広大な風景式庭園で、園内には六花亭の包装紙にある六種類の花を中心にさまざまな花や樹木が植えられていて、6種類の花に囲まれて六花亭本社の建物があります。

そして今90歳を超えられた紫竹あきよさんが運営する紫竹ガーデン。
「花」と「食」と「農」がテーマの十勝ヒルズ。
60年前から運営され、26000坪の広大な土地に日本庭園、西洋式庭園、風景式庭園を有し、日本初のコニファーガーデンでも知られる真鍋庭園。
そして日高山脈の麓に広がる十勝千年の森。

私が行きたいのは真鍋庭園なんだけれども、どれひとつとして寄れる時間がなく、ただ一つ寄れるの走る道沿いにある「十勝千年の森」のみ。

環境貢献活動「カーボン・オフセット」(炭素の相殺)を起源として1000年続く森作りに取り組む、十勝毎日新聞社運営の千年の森。

入り口入ったところで、もうリスを発見。
うちのリスより蝦夷リスのほうが少し大きく見えるけど個体差か。

この千年の森の中に、日高山脈を背景とする圧倒的なスケールで広がるアースガーデン・大地の庭。

 

森の中を歩くフォレスト・ガーデン、森の庭。

自生種と園芸種を混在させたメドウ・ガーデン、野の花の庭。

ヤギ、ヒツジ、を放牧して飼育するファーム・ガーデン、農の庭。

あとデザイナーズガーデンもあって、そこでは野の花や木の実が素敵に飾られていました。

ハーブが植えられたキッチンガーデン。

 

緑波打つ美しい十勝平野を抜けて、富良野へ。

富良野の風のガーデンでは、倉本先生の舞台「屋根」のヒロイン、しの役を演じた森上千枝さんが待っててくれました。

有難くも風のガーデンを案内してくださるとのこと。

「風のガーデン」は10年前、倉本先生の連続ドラマ「風のガーデン」が放映された時に作られたガーデン。

ドラマ用のガーデンだから数年後にはもうないだろうという私の予想は大きく外れて、実際に数年後に訪れた時には花々が大きく育っていて驚きました。

それからまたさらに時間が経過してさらに大きく育った風のガーデンの植物群。

最後の華やぎを見せる秋の花々と実の庭。

そして今回初めて訪れる薔薇の庭。
これまで何度が風のガーデンに訪れましたが、薔薇のお庭があるとは知りませんでした。

ここにある薔薇はほとんどが原種。
この薔薇の庭は大変貴重で素晴らしいお庭だと思います。

花を切らないので、大きく育った薔薇にはその木その木で特徴のある薔薇の実、ローズヒップが紅く実っています。

 

午後は富良野演劇工場で行われる、旭川、上野ガーデンの経営者である上野砂由紀さんと風のガーデンのトップガーデナー、六条さんのトークショウを聞きます。

ドラマ「風のガーデン」は上野さんをモデルにして作られたとか。

ゴルフ場の3番ホールを利用して作られた「風のガーデン」を設計して、植物を植え込み、たくさんの客が訪れる庭園を作り上げ、自宅がある旭川では一回りに1時間半もかかる上野ガーデンを一から作り上げた上野さんは、いかにもガーデナーという雰囲気ではなく、とても小柄でかわいらしい40代半ばの女性。二人のお子さんを子育て中のお母さんと聞いて驚きました。

たまたまのことから倉本先生にガーデン作りを依頼され、作っているうちに先生の中でドラマが出来上がって行った経緯など、楽しいお話を聞きました。

 

移動に移動を重ねた本日の予定はこれで終わり。

そんなつもりではなかったのですが、たまたま富良野訪問が一緒になった倉本先生の舞台をいくつも上演されてきた静岡県磐城市の実行委員の方々からのお食事を一緒にとのお招きを受けて、厚かましくも会食の場へ。

初めてお会いする倉本先生の舞台上演を応援される実力者の方々と、舞台上演の苦労話や楽しい話をさせていただき楽しい時間を過ごしました。

最後にインプットを重ね、情報でパンパンに膨らんだ頭と心をほぐしに、野田さんお気に入りのソーズバーで、最後の時間を過ごして終了。

 

翌北海道最終日は、さらなるハードな行程になるのだそうで、いや、恐ろしい。

 

 

 

 

初秋のガーデンへ

久しぶりの呟きです。

ひょんなことからコトが動いて、北海道のガーデンに行って来ました。

これまでガーデンというのはただ一つ、宿根草や木が組み合わされてデザインされた庭がガーデンだと思っていたのだけれど、今回のガーデン行脚で、ガーデンにもいろいろあるのだと知りました。

イギリス風にきっちり木をカットして形を整えるイングリッシュガーデン、自然をそのままに残したイングリッシュガーデン、大自然を背景にした自然の森、他にも針葉樹ばかりを集めたコニファーガーデンなどなど。
共通しているのは植栽する植物が宿根草だということ。

 

私も長年宿根草の仕事はやってきたけれど、私ができるのは栽培だけ。タネを蒔いたり株分けして増やして植えたりしても、地形のデザインはできないので
植物を並列に並べた畑になるだけ。

なので地形を活かしてデザインされた宿根草のガーデンを見てみたいのですが、これが東北にはない。昔私が田舎に住んでハーブガーデンをやりたいと夢想していた頃は、いくつかあった東北のハーブガーデンもすっかり数を減らして今は見に行けるところが無くなりました。

今ガーデンを観光の目玉にしているのは北海道でその名も「ガーデン街道」
大雪ー旭川ー富良野ー十勝を結ぶ約250キロに8つのガーデンとその他にも
ガーデン街道に参加していない庭園が点在しています。

ということで行くなら北海道。まとめて見るなら「ガーデン街道」ということで、行く前に倉本先生のお芝居以来交流が続いている富良野の谷山さんに連絡したら、ガーデンに行く順番、その他のご提案を頂きました。

で、その通りに動く決意で、菊栽培以来植物栽培に目覚めた野田さんとともに
9月半ばの早朝、まだ震度7の地震災害の記憶も新しい千歳空港に降り立ちました。

観光客少ない。空港のレストラン、売店は開いてない。売店のみは今日明日には開く模様だけれど、日頃の外国人観光客が溢れる空港とはうってかわった静かさ。
どれだけ走るか分からない長距離移動に備えて、野田さんが予約してくれた車は大型で助かった。

最初に目指すのは十勝にある大森ガーデン。
新千歳からガーデンがある紋別まで途中休憩をとってほぼ4時間のロングドライブ。紋別は「なんにもない春です〜」と森新一が歌い上げる名曲「襟裳岬」の海に近い、北海道の自然の厳しさを感じる小さな町でした。

ガーデン街道に参加していない大森ガーデンは、ガーデンに植える植物の生産、販売、ガーデンデザイン施工などのお仕事を主とし、その花々が植え込まれた美しいガーデンとショップ、Cafeが楽しめるところです。経営されているのは大森社長。花の世界大会で最優秀植栽賞を受賞されています。

思いがけなくもその大森社長が谷山さんからの連絡を受けて駐車場まで出迎えてくださいました。
いや、本当に私達のようなド素人がお会いしてお話を伺えるような方ではないのです。そんな杞憂を吹き飛ばすかのように、大森社長はとても物腰が柔らかく、お優しいお人柄そのままにお話をしてくださるので、すっかり安心してしてしまい、3時間もの長い時間をガーデンやナーサリーで過ごしたのでした。

巡らして頂いたガーデンは、白樺やその他の樹木に囲まれた広大な敷地に春歌秋冬、全ての季節に植物や自然を楽しめるように奥様の手で設計されています。春は球根の花々、終わると色鮮やかな春の花々、そして夏の花、秋の始まりの今は、晩夏に咲く花々に混じって紅い木の実や金や銀、銅色や白のグラス類が彩っています。

 

 

 

十勝の大原野の中で何棟も立ち並ぶ育苗ハウス。
案内して頂きながら、北海道の自然の厳しさ、超低温の中で燃料を炊きながら苗を育てるお話を伺うと、東京から北海道に移住されて以来40年の大変なご苦労が身に沁みて偲ばれます。

今野田さんが課題として取り組んでいる温泉の熱資源の利用が低価格で農業に利用される日が来るなら、東北の農業にとって播種、育苗がどれほど楽になることだろうと夢想します。

 

詰め込むだけ詰め込んで頭も心もパンパンに膨らんだ大森ガーデン研修を終えると、既に日も落ちかけた5時過ぎ。
初めての土地で初めての海を見るのも悪くなかろう、とあてどなく海方向へ。

 

到着地は十勝港。農業王国十勝に於ける唯一の港であり、ここから農業生産物を最短距離で首都圏に運び、農産物以外を受け入れる重要港湾である、らしい。夕暮れ時だからか、行き交う車は少なく、建物も少なく、なにやら寂しい気持ちになりそうなのだけれど、北海道に更なる道路が整備され発展したら更なる重要な海への玄関口になるのでしょう。

せっかく来たのだからともちょっと足を伸ばして襟裳岬方向へ。
到着地は十勝と日高を結ぶ交通の難所336号線の黄金道路。

見晴らしが素晴らしいからの命名で黄金道路ではなくて、荒波打ち寄せる海を前方に、崖上から湧水が流れ落ちる日高連峰山塊を背に、開通までに黄金を敷き詰められるほど莫大なお金がかかったので黄金道路と呼ばれるようになった、と説明にはあったけど、それよりなによりこの道路から見る海の荒々しさ!

福岡生まれで博多湾の内海で泳いで育った私は、背中までぞくそくするようなこの海の荒々しさにすっかり恐れをなして、すぐに退散。

帯広に戻り一泊して、明日もまた、十勝平原、富良野、旭川へのガーデンのお勉強を続けます。

 

 

それぞれに…..

このところ、10月に行われる音楽祭で、合唱曲のピアノ伴奏をする小4の
孫に付き合って、ピアノレッスンの付き添いが度々。

付き添いは構わないけれど、合唱をする子供たちの代わりに歌えと言われて
歌えなくて四苦八苦している合唱曲はWith You Smile.

小4の孫にとっては伴奏も大変そうな曲だけれど、合唱のほうも途中から高音と
低音に分かれて半音部分も多く、何回歌おうとしても挫折して孫にため息をつかれて
いる日々。
でも先生のご指導のお陰で、孫はこの難しい曲をしっかり弾けるようになりました。

問題は私だ。
がんばります。

お盆は終わったけれど、野田さんの菊もいよいよ最終段階に入ってきました。
花栽培の経験などなく、「やってみたら?」と余剰の菊苗300本を手渡されて
先輩のクリちゃんに教わりながら、たどたどしく始めたお盆菊の栽培ですが、
今では花切り、花の結束、袋入れまですっかり手慣れて、畑にあるあらかたの
菊は販売しました。

この経験をして、この先も菊の栽培は続けてみたいとのこと。
クリちゃんもオッケー。来年も畑を使っていいよ、と言ってくれました。
秋から冬にかけて来年の苗作りが始まります。これも是非学んでほしい。
若い花作りの農業者が育つことは、私たち年寄りの念願なので。

 

パン工房「青い虹」のじゅんこさんが、お店を夏休みにしたからと、岩出山を
訪ねてくれました。

じゅんこさんの日常は、息子さんと一緒にパン工房のパンを焼きながら併設の
パンレストランを経営し、90歳半ばのお母様の介護にあたるという超ハードな
日々。

一緒にどこかに行こうとか、何かを学ぼうとか今はできる状況ではないので、
あつかましくも「私が作ってあげる」と洋服作り新米の私が、先週ミシンと格闘
して仕上げたチュニック(まあ昔で言う簡単服)を着て来てくれました。

よく似合っていてひと安心。

「荷物を整理していたら*行きたいところリスト*というのが出てきたの」
と笑うじゅんこさん。
まだまだ行きたいとこリストの実行は叶わないけれど、餡子を利用したり、饅頭の
包み方を極めたり、一緒にやりたい、やらねば、がいろいろ。
話がつきない楽しい時間でした。

 

そして一昨日は、パーシモンお休みの千代さんと一緒に石巻の加納さん宅を訪問。
早いもので、突然思いついて始めた洋裁教室ももう5回目で、それぞれに上着を
作ったり、ズボンやモンペを作ったりで実績が上がったのかどうか。
作った数だけは増えてきました。

今回の教室で思わず3枚1度に布を裁ってしまった私は、無理やり作り上げて通算
5枚。それぞれに長さが違うという恐ろしさ。でも着られます。着られると思う。

洋裁教室で先生をやってくれている加納さんの本業は石巻の織り屋さん。

工房で初めて織物の現場を見た千代さんは、さっそくホームスパンのマフラーに
気持ちを惹かれ、「自分で作ったら」と言われてすっかりその気に。
作ってもらいたいです。私の分まで。

 

加納さん宅を辞して復興なった女川へ。

名店このりで名物の穴子の天ぷら丼を頂き、山ほどの魚を買って帰路に。

途中、東松島のコットンファーム赤坂農園に寄りました。

お餅や米飯を商品とする会社、イーストファームの赤坂社長が大震災後、塩害で
傷んだ土地に塩に強い綿の種を蒔いて始められた東松島コットンプロジェクト。
7年経った今では、綿畑は最初の頃よりもずっとずっと大きくなって、棉についで
広大なラベンダー畑、ハーブの畑も拓かれて、年間5000人ものお客さんやたくさんの
ボランティアが農作業の手伝いに訪れる、名が知られた農園になっています。、

なんと、誰もいないだろうと立ち寄った農園に作業着姿の赤坂社長がいました。

白いふわふわの綿の花はまだ咲いていて、咲き終わりにピンク色になった花から
丸い緑の綿ボールに変わりつつある時期。

写真は撮ったけれど、残念、パソコン、アイホンのどっちがどうなったか判らない
けれど、写真がここにUPできません。

この緑ボールが弾けて白い綿に実るのは秋。
11月には盛大に収穫祭が行われます。紅葉の時期の日曜日はお餅の仕事も最盛期。
なかなか綿の収穫には参加できないのですが、一度は来て収穫してみたい、と
広大な綿畑に立つと思わせられます。

収穫した綿は大阪の紡績会社に出荷され、その後アパレル各社によって、布や服や
ジーンズなどになるのだそうで、私はそのサークルの完成に感動します。
作ったものは最後まで役立ってほしい。
種を蒔き育てて見て終わりではつまらないので。

 

そして週の中間では、7月半ばから福島で開催されている倉本聰点描画展に倉本
先生が来られ、一緒に谷山さんもみえると連絡が入り、急遽福島へ。

月末にみんなで点描画を見ようと予定していた福島行きは反古になり、谷山さんに
用事がある野田さんと二人で福島中央部にあるとうほう文化センターへ。

この点描画展、先生の点描画だけではなく、これまで書かれた数々のテレビドラマ
の作品や北の国からの関連資料などなどなどなど、もの凄い量で驚きました。
みごたえあります。倉本聰という人の仕事の凄さに胸がふるえます。

是非たくさんの人に見てほしい。

そしてまた帰りには猪苗代のハーブ園に寄って視察。
昔私が田舎に行ってハーブ園をやりたいな、などと老後の夢を追っていた頃には
まだたくさんあったハーブ園は、その後にどんどん数を減らしました。
その中で猪苗代は今も隆盛のハーブ園ですが、まあ、夏の終わり花も終わりという
時期でもあるので、大きいけれど花も人影もまばら。

目立つのは、というより確実に記憶に刻まれるのは、ハウスの中、天井いっぱいに
枝葉を広げ濃いピンクの花を咲かせているブーゲンンビリア。
こんな年数の経ったブーゲンビリアを見られるのはここだけじゃないだろうか。

忙しい1日の役目を終え、遠い町なみが眼下に広がるハーブ園のベンチで休めば、
涼しい風が吹き抜け、右手には長く裾を引く青紫色の磐梯山が眺められる美しい夕方の
風景に心が休まります。

 

そして最後は昨日。
岡山大学大学院の藤井先生と高知大学の佐藤先生が岩出山を来訪。
ご一緒に鳴子温泉の鈴木みきさんのcafeさとのわで昼食をご一緒にということに
なりました。

1年に2度ほどお会いする藤井先生の研究のテーマはこの大崎の農業ということ
であるらしく、毎回たくさんの取材をして帰られます。
今回は、今道の駅出荷組合花卉部会で進行中の「岩出山の菊生産拡大プロジェクト」
に題材を絞ってお話しました。

言ってしまったことはやらなきゃならないので、自分へのモチベーションアップも
兼ね、これから進めなきゃならないこと、岩出山を菊の生産地にしたいこと等々。

できるかどうかはともかく、県の応援を頂きながら営々とやっていればなんとか
先が見えてくるのではないかと、、、。

 

忙しい1週間でした。
来週は少し静まるのかどうか。

なにはともあれ、写真をUPできるようにします。