お城の下で

3月11日、久しぶりに朝から雨。

お城はないけど、城跡公園の下の学校駐車場で下校してくる孫を待っていると、
雨音に混じってマイクの声が聞こえてきました。

「黙祷、、、、」

車の中で孫を待ちながら黙祷。

8年、もたったんだ、と思いつつも記憶があの日に戻ると、胸が騒めいてくる。
家の中も外も周りもほんとうに大変なことだらけだったけれども、大震災が
きっかけで始った新聞バッグのおかげで、近くから日本のあちこちの遠いところまで
広がり繋がった方達とのとても貴重なご縁に恵まれました。

でももう8年。
始った頃の役目はもう終わる時期かもと、心のどこかでは思っているのだけれど、
それでも確実に大震災以来、定期的に新聞バッグを注文し続けて下さる方々がまだ
います。

大震災以来、少しだけれどと年金をもらう月ごとに、必ず支援金を講座に振り
こんでくれる私の友人がいます。もうみんな普通の生活に戻って行ってるから
「もう充分なのよ」と断っても送り続けてくれます。

そのお金がまとまると、少し自前を足して震災遺児を育てる会に送るのももう習慣
になりました。
きっと彼女は自分でできる間は、何年経っても送り続けてくれるのだろうと思って
います。

 

先日、仙台の女性の方から「新聞バッグの作り方を教えてほしい」とのお電話が
ありました。元は石巻の方で津波被害でご自宅を失われ、今は仙台にお住まい
とのこと。
仙台まで行けば費用がかかるし、教える相手が少人数ならば講習費用も割高になる、
と説明したのだけれど、新聞バッグの物語も読んだので、それでもいいと仰る。

そんなわけでご自宅に伺う約束をしましたが、そういう要請があると、「もう
新聞バッグの当初の役目は終わったかなあ」という8年後の今の心境とは裏腹に
まだお役に立つこともあるのかな、と嬉しい気持ちにもなるのです。

菊栽培の摘芯作業開始の時期で、1年の作業の無事を願って花作り女子メンバーで、
栗ちゃんちの集落のお不動様に行くことにしました。
昨年の秋、仕事納めにもお参りした山深い鬱蒼とした杉木立の中のお不動様です。

普通乗車は入れないので栗ちゃんの軽に乗せられて行きます。
去年初めて来た時には、凄い山の中だと思ったけど、やっぱり相変わらず一人で
来るのは躊躇われるほどの山の中。

秋には屋根も地面も降り注ぐ黄金色の銀杏の葉に覆われて、輝くように見えた
お不動様は、早春の今、大きな大きな深い杉の木立に囲まれてひっそりと静まって
いました。

林道に沿って立つ石の鳥居の下で、栗ちゃんの号令がかかります。
「邪念を払って一礼!」

 

小さいお堂にぎゅうぎゅう詰めに座って、またも栗ちゃんの号令。
みんな1年間、無事に作業が進むことを願ってお札をいただきました。

お堂の後ろは渓谷。水の流れまでの10メーターほどの高さは写真ではどうしても
表すことができない。なにせ怖くてへっぴり腰での撮影です。

水の勢いで岩が削ぎ落とされてしまっている渓流。

そして草の中に置かれたお狐さま。

黙祷を済ませ、春のお不動さんにもお参りして、こらからまた1年歩みを進めます。

 

そして春は別れの時でもあり、一緒に山に登り、音楽会を主催した柿の木バンドの
ボーカルオサム君は、晴れて仙台の会社に入って新しい仕事に挑戦します。

来月には8年間苦労を共にした新聞バッグの仲間とのお別れの日もきます。

寂しいけどいいことだ。オサム君、がんばれ!

 

 

 

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