Nさんのサンタクロース

今日は何日かぶりで晴れだったけど、風が強くて折れた竹の枝が道路を飛んでました。
でもとりあえずは雪が溶けたので助かりました。

もうすぐクリスマス、そしてお正月。
買い物で黒豆が目に止まって、「今年は黒豆煮ようかなあ」と買いました。昨年はおせちを作る気には
なれなかったけれど、大震災から2年近く経った今、今年は少し作ってみようか、という気持ちになってます。

木口版画家の岡澤加代子さんがクリスマス用のハンコを作ってくれました。

新聞バッグにつけてみました。黒いハンコは海山のロゴ。どんどん押したかったので押してみました。

新聞バッグのポケットに入っているのはドーン先生からのお手紙。
黒の新聞バッグはフィギュアスケートのユズル選手。かっこいいですねえ!

 

道の駅の生産者仲間のNさんは、鳴子温泉のもうちょっと先の雪深い中山平の出身です。

子供の頃、サンタクロースはいるんだ、と心の底から信じていたそうです。でも、なぜか何軒かの
よその家にはサンタクロースは来るらしいのだけれど、N少年のところには来ない。何故来ないのか
不思議で不思議で・・・。煙突がないから来ないのか、と考えるけれど、煙突がなくても来るところには
来ている。じゃあ雪が深いからか、と雪を掻いたそうです。靴下も新しいのは履かないでクリスマスまで
大事にとっていたんだ、と。

 

Nさんのところは子だくさん。昔は6人7人兄弟は普通でした。そんな歳が何年も過ぎてある時
サンタクロースはいないんだ、と知ったそうです。お父さんもお母さんも切なかったろう、と。               それからサンタクロースが大嫌いになった。だから子供にもサンタクロースがいるなんて言わなかったよ。

そう私に話してくれました。

道の駅でNさんとお話しするようになってから10年余りになります。10年通して、彼は大変に働き者で
心優しい人だと思ってきました。そう、どんな時でも手伝ってくれるし、手伝ってくれなかった時はないです。

小学校の時には学校に上がらない妹たちを連れて学校に行ったそうです。かわいそうに思って先生たちが
弁当のおかずをくれて有難かった。中学に上がったら、牛乳を配る仕事を始めた。最初にもらったお金を
お母さんにあげた。「おふくろは涙を浮かべて喜んだよ」
そして牛乳の仕事をしたお金で自分で中学を卒業したそうです。
お父さんのお仕事は炭焼きだったので、みんなと遊ぶことはなく、1日何キロもの遠い道のりを兄貴と二人で背中に炭を背負って往復した。それで5円だか50円もらえるのがとても嬉しかった。兄貴に負けたくなくて、おんなじくらい
の袋の炭を背負っていたから、後ろから見ると炭俵が歩いているみたいだったと思うよ。あはははは・・。

 

カンカン拾って売ったよ。そのうち知恵が回るようになって缶の中に石入れて売ったら、ばれてうんと怒られた。
あはははは・・。おれ、苦労はまったく平気。子供の頃のことを思えばなんだってできるよ。

Nさんは東京で働いていたこともあります。そして今は町でお店をやってます。
その話を聞いて、Nさんがどうして優しいのか、とても忙しいのに、お米作ったりブルーベリー植えたりイチジク植えたりと好奇心が赴くままにいろんなことやって、刺繍も大好きで、という明るさと強さがあるのか。その源がわかったような気がしました。子供の頃からの辛抱が今の彼を作っているのだと。                          そして数十年前の東北の農業の暮らしの厳しさも垣間見せてもらえた気がします。

 

私は福岡の市街地の生まれ育ちだけれど、戦後でやっぱり貧しかった。サンタクロースなんていると思っていたかどうかさえ覚えてません。
「Nさんのサンタクロース」は素敵なお話しでした。忘れたくないので書きました。