六次産業化の仕事

台風一過で、今朝から真っ青な空が広がっています。

当地に台風が来るまでの雨や風が強かったので、どれほど木や花が倒れることかと覚悟していましたが

背の高い鶏頭とやたらに枝が伸びたスモークツリーが折れたくらいで終わりました。でもあちこちでたくさん

の犠牲が出て心痛みます。

 

葬儀の時のことを少し書きたいと思います。

私が住む集落に新栄建設という建設会社を営む三浦さんという社長がおられます。

この地に移住してきた12年前、毎年正月2日に集落の集会所で行われる新年会に家族全員お招き

頂き、部落の皆様に紹介してくださったのが最初の出会いです。

その時みえていた集落の方々から「よーくこんな田舎に来てくれましたね」と言っていただいたことが

鮮やかに記憶に残っています。

 

3年ほど経って、福岡に住んでいた私の父親と母親が私を頼って宮城に来ることになり、敷地の一部

を削って両親が住む離れを建てました。その時に山が崩れるようなことがあってはいけないからと、

法面工事をお願いし、それはそれは丁寧なお仕事をやって頂きました。

 

当地では12月の終わり頃から雪が降ります。だいたい20センチくらい。車で出入りするにはさほど

困ることはないのですが、時々それ以上降ることがあって、そんな時には別荘地の少ない住民で

力を合わせて雪かきをしていたのですが、みんな歳をとって自力雪かきができなくなってきました。

その頃から市の仕事で県道の除雪をなさっている三浦社長が、仕事の合間に別荘地の私道にまで

上がってきて除雪をしてくださるようになりました。

 

3年くらい前には、いよいよ除雪が苦しくなって、「ここにはもう住めないんじゃないかなあ」と思っている

ところに、市のほうから15センチ以上の積雪の場合には除雪車が入ります、と三浦社長からお話しが

ありました。

せっかく住んでくれたのだから、住み続けられるようにと三浦社長自ら、そして当時の区長さんが

市のほうに陳情してくださっていたのだそうです。

三浦社長や区長さんや近隣の方々の助力があって初めて、私たちのような都会の人間がここで

不安もなく暮らさせてもらっているのだ、と常に感謝しています。

 

亡くなった夫は三浦さんのことが好きで、何かあるとお話しをしに行ってました。個人としての自分よりも

社会人としての自分を優先させたい夫は、ここで何をすれば集落がよくなるのかなど、三浦さんとお話し

するのが楽しかったのだと思います。

 

葬儀の前日、三浦社長から実は「葬送の言葉を読みます」ということで、お話しする時間がありました。

その時に知ったのですが、なんと三浦氏は昨年秋に仙台メトロポリタンホテルで行われた仙台銀行

ビジネスクラブの講演会に仙台銀行のお客様として来られていたとのこと。

仙台銀行さんからは新聞バッグをたくさんご注文頂いて、そのうえ、ホールの入り口前にはここぞ

とばかり、たくさんの新聞バッグを展示した中で、ウロチョロする私を見かけられて、こういうことに

関係していたのかと大変驚かれたとのことでした。

 

「葬送の言葉」の中には私とともに海の手山の手ネットワークの最大の理解者であった夫のことが

入っていて、「俺は見ているだけで何もしていないのに」とこそばゆかったと思います。でも夫が1日も

休まず続けたお餅を作る仕事を「ここではなかった六次産業化としての仕事」と仰って頂いたことは

「値段が安いお米をできるだけ買って、加工、販売を工夫しなければお米は売れない」と言っていた

夫の言葉と一致して、大変光栄に嬉しく思いました。ありがとうございました。

 

もう明日は初七日です。早いものです。

穏やかな明るい陽射しの中にいて、「痛い?」「苦しい?」とドキドキしていた日が嘘のようです。

オトーサンのために買う食材はないけれど、お花をたくさん買いに行ってきます。

 

 

 

 

 

六次産業化の仕事” への2件のコメント

  1. 台風の被害が少なくて何よりでした。
    もう初七日ですね。まだ3日くらいしか経っていないと思うくらい、日が経つのが早くて、おいていかれそうです。お葬式までの間、史さんの次に泣いてしまっていたと思います。それくらい、私にとってもつらいお別れでした。
    別居で好き勝手にさせていただいている身で、本当にたまにしかお会いしていなかったのに、よくお話をしていただきました。私にとっては興味深いお話もたくさんありました。
    我が家でも写真をプリントして飾っています。お葬式で使った写真で、たいちゃんといっちゃんと一緒で嬉しそうなお顔です。たいちゃんの言うようにきっと天国で座っていらっしゃるんでしょう。
    まだいろいろな雑事があって大変だと思いますが、お手伝いしますのでいつでも言ってください。本当にありがとうございました。

  2. 三浦さんの葬送の言葉は心がこもっていて感動したけど、お父さんは褒め過ぎというかも知れないね。

    そちらに皆が集まってた時は賑やかで気が紛れたけれど、帰路について普段の生活に戻った時からお父さんの死がしみじみと心に染みこんでくるようです。
     僕は帰りの車で泣きながら運転し(危ないよね:笑)、聡子さんもお母さんのブログを読んで泣いてました。
    でも故人を想って涙するのもよい供養になると和尚さんが仰ってたのでそれもいいかと思ってます。

    もう初七日とは信じられない気もするけど、
    こちらでもお父さんの写真を飾って偲ぼうと思います。

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