修学旅行と新聞バッグ作り

毎日、快晴。
快晴は有難いようなもんですが、有難いことばかりでもなくて、雨が降らないので畑の家の裏にある小さい池の
水が干上がってきました。大きくなっていた金魚や、何かわからないけど、勝手に繁殖していた小魚がこのままでは
死んでしまいそう。

水を入れてやったりしたけど、とても間に合わない。畑への切り花の定植も雨さえ降れば手間がかからず終わるん
ですが、ホースで水を入れてもすぐに乾くので気が揉めます。

そうだ! 熊の足跡の写真と撮りました。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

山から下りて来る順路?は草が寝倒れているのですぐにわかります。大体同じところを降りてくる。
で、畠を縦に歩いたり横切ったり、背中をゴシゴシしたりして、隣との境の竹藪の下に下りていくようです。

ついでにエリンジュームも食べとこうかなあ、と食べたんだろうか。
切り花を採るために、昨年植え付けて枝茎が6、7本経ったエリンジュームの茎がない姿。

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とうもろこしの時は仔熊の足跡もあったけど、ことしは今のところは大きい熊です。
ここに来た時、駐在のSさんが「真山の熊はイタズラしない良い熊だ」と言っていたけど、そう願いたいものです。

 

昨年からお話しを頂いていた、首都圏の中学校の修学旅行のプログラムに新聞バッグ作りを組み込むという
打ち合わせのために下見に見えた先生とお会いしました。

このお話しについては、だいぶ前にお話しを伺った時点からずーっと考え続けています。

私の学校時代も、私の子供たちの学校の修学旅行の時も、あまり修学旅行の形は変わらず、京都や奈良に
日本古来の建築物を見に行くとか、ディズニーランドに行くとか、今自分がいるところにはない文化や人の暮らしを
見たり知ったりする修学旅行だったと思うのですが、実態としては楽しい物見遊山のような旅行でした。

その証拠に友達と一緒で楽しかったことくらいしか記憶にない。

でもここのところ修学旅行の姿勢が変わってきたということのようです。
体験型修学旅行、というのか、修学旅行を利用して子供たちに普段の生活では身近に見られない暮らしの体験を
させる。それ自体は大変良いことだと思うので私は大賛成なんです、が、、、、。

 

今回、修学旅行先に東北地方を選んで頂いたということは、

当然、生徒たちが体験することの中には、東関東大震災のその後がテーマになるでしょう。
家や学校や商店街や橋や道路などがかつてないほど壊れた内陸部の地震、そして人々の家や命、命を繋ぐ産業
までことごとく壊し、海にもっていってしまった津波。

それがどういうことであったのか。そこから人々はどう立ちあがって元の生活を取り戻そうとしているのか。

そこを伝えるということだろうけど、とても難しい。

私が首都圏から宮城県北部の農村地帯に移住して10年あまり。都会は私が生まれ育った場所であり、農村は
全く未知の場所でしたが、10年暮らせばだいぶわかります。思い違いも多々あるけれど。

都会はお金がベースで衣食住、お金でモノを買って暮らしが成り立ちます。
ここはお金はあまり役立たない。最低限のものは買うけど、住むも食べるもまず自分の手や体を使って目的を   達成することがとても多い。
人手が足りないからと言って、人がいないのでお金をいくら積んでも誰も来てくれないけれど、人と人と良い関係の
中ではただでも手伝ってくれます。お金は大事だけど、暮らしのベースではない。

先日来た福岡の友達が、「みんなものすごく働くんだね」と言ってましたが、その通り、みな、もの凄く働きます。
私も越してきた時、「農業の人はこんなにも働くのか!」と衝撃を受けました。

このことすら伝えるのが難しい。
都会と農村の暮らしの違いだけでも、距離がとても遠いのです。いつの間にか遠く遠く離れてしまっている。

ましてや未曽有の大災害で叩きのめされた東北と、地震の前と何ら生活が変わらない首都圏。

せっかくの機会ですもの。まだまだ考えます。未来を担う子供たちに、お魚や海藻などがどうなって自分たちの食品になるのか、漁業を生業とする沿岸部を見てもらって、津波の語り部さんのお話しを聴いてもらって、一粒の種が  どうなってお米や野菜になるのか、内陸農村部で農業体験してもらって、そして自分たちの手でモノを作り出すことがこんな風に大切で楽しいんだよー、と新聞バッグを作ってほしい、と思います。

生徒さんより先に先生に体験して頂いたらどうだろう。先生が「よかった!いい体験だった!」と実感されたら、きっと
子供たちにも良い体験なんだと、思うんですけどね。