子狸と水芭蕉

朝!
朝に事件は起こります。

「狸がいるよ。車の横にボーッと座ってる。怪我してるのかな」
直売所に持って行くお餅を車に運んでいたうちの者が知らせにきました。

えーッ?!怪我した野生動物と出会うのはほんとに困るんだ。触われないし、怪我がひどくて触われるに
してもどこに運ぶ?動物病院に連れて行ったら、病原菌持ってるかもしれないので怒られそうだし。

でもこの辺りに野生動物保護センターってあるのかしら。

どんな具合?と見にいったら座っていました。痩せてボロボロの子狸。お腹空いてそうー。
犬、猫ならともかく狸はなんと呼んだらいいんだろ。
チッチッチと舌をならしてみたり、コラコラと呼んでみたりするうち、子狸はなんだ、このおばさん、と思ったのか
立ちあがって、よろよろもせず上の家のほうに登って行きました。

下に下りたら道路で車が走るけど、上なら山だから心配なし。でもお腹空いてそうー。
母親とはぐれたみたい。

とぼとぼと去る後姿。
元気で生き抜けよ!

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朝のNHKのニュースで一迫の水芭蕉が5分咲というので、夫と孫を車に乗せて行ってみました。

一迫は隣町です。農村です。

国道398号線から一迫川のほうに下りて行った一角に水芭蕉公園がありました。
植栽された水芭蕉が5、6分咲で咲いていました。
尾瀬沼とか尾瀬ヶ原の野性的で強靭そうな水芭蕉とは全然違う、こじんまりとしてかわいらしい水芭蕉。       野生の水芭蕉は反対側の隣町加美町の奥地に行くと見られます。

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この水芭蕉園の広いこと。たぶん町の活性化のために作られたのでしょうが、広くて眺めがよくて
トイレも四阿もきちんと作られています。
子供用の遊具もあるので、うちの4歳はウルトラマンになりきって滑り台を登ったり下ったり。

 

一周の散歩道をゆくジーチャンと孫。

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走るわ走るわ。ジーチャンのいる高台に向かって一直線。
追いつけません!

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斜面に咲くイチゲ。イチゲはいろんな種類があるのでなんというイチゲかわからないけど、一面に自生しています。
キクザキイチゲかなあ。

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この一帯は5年前の朝起こったマグニチュード7.2、震度6強の宮城内陸地震で、完璧に傷めつけられました。
398号線に沿う山々は崩れ落ちて、この道の駅路田里はなやま(自然薯の館)から先は2年間不通になりました。
ここが自衛隊の前線基地で、お風呂もここに作られていました。

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一迫川にはまだ5年前の崩落の跡が残っています。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

いったん壊れてしまったものが元に戻るということはないのだけれど、でもずるずるずるずる岩や砂が落ちるのを
止めて、落ちた土砂を片付けてまた新たに普通に水が流れるようになるまでには、月日がかかるものだ、と
改めて認識させられます。

この道の駅から国道を秋田方面に進むと栗駒山に至りますが、崩壊で一部がなくなってしまった栗駒山の
森林を切り開いて2年で道路が再開された時には、人の叡智と努力に感動しました。
路田里はなやまは宮城内陸地震の苦難を乗り越えた象徴のような道の駅です。

自然薯といわれる長芋と蕎麦が名物です。1度寄ってけらいんよ!!

 

 

 

 

 

魚釣り

朝から珍しく雨。

小雨ではなくて普通くらいに降る雨ですが、昨日から夫と4歳の孫、そして娘夫婦が出かけて行った山形の
海では晴れで暖かいようで一安心です。

若い頃から釣りが唯一の趣味の夫は、東関東大震災でこれまでたまに通っていた女川や石巻の好みの
釣り場を失くしました。岩出山からローカル電車に乗って、小牛田で仙石線に乗り換えて、一人でのんびり
行くのが好きだったのですが、大震災以来ピッタリ止めました。

大好きな南三陸の海は津波でずたずたになっているということもあり、電車がなくなったということもあり、
釣り具屋さんも餌もないし、泊まる宿もない、ということで行こうったって条件は整わないのですが、
ぴったり止めた原因は、行く気持ちがなくなったという心の問題だった、と思います。

行きたいなら車で行こう、と何度も言ってみたのですが、「いや、海で魚を釣る気持ちにはなれない」の
一点張りでした。

 

この間、南三陸のショウエイさんと話した時、今の海の話になりました。
「今海の中はもの凄くきれいなんだよ。これまでいなかった魚がいるようになっている。ただまだ理由は解らないが ワカメの色が薄い場所と場所とがある」
というような話でした。

かろうじて回復の途上にある海産物の養殖とは違って、魚を獲る漁業のほうは未だ先は読めません。
大震災前にあった釣り船というのはまだないけれど、養殖の方々が使う船では収穫時期ではない時に時々魚を釣ることもあるそうです。

そんな話をしたら、突然夫が釣りに行くと言いました。
被災地の海で釣りをするなんてそんな無礼なことはできない、と思っていたが、そんな形で船に乗せて頂ければ  ありがたい、という気持ちになった、ということでした。

 

季節がよくなったらお願いして釣りをさせていただきたいな、と思ってます。

抗がん剤の投与後でちょっと体力的に不安でしたが、暖かい日に恵まれて、釣果は1日で小さい魚1匹。
陽射しは暖かくても、日本海はまだ水温が低いんだろうな、とのこと。
4歳も釣り糸を垂らして熱中し、帰らないと大騒ぎしたそうです。

海から帰ってきたら、即刻商売のお餅つきが始まりました。

いつの日か、ジーチャンと孫が並んで南三陸の波止で魚を釣る日が来ますように・・・。

 

 

 

 

 

 

 

基本に戻る

昔、子供が小学校だった頃、班ごとで貰うシールの獲得数がうちの子供のトロさで伸びない、とかの理由で、
うちの子供だけ教壇の上に机を置かれて勉強する、という状況になったことがあります。

うちの子供は学校に行きたがらなくなりました。

「のんびり」が班の足並みを引っ張るのは解かるけれども、だからといって教壇の上で子供が傷つくのは
見過ごせない。という訳で学校に行って先生とお話しをすることにしました。

ところが出てきた先生は最初っからまるで私が喧嘩でもしに来たように防御姿勢で凝り固まって、「子供は
ウソを言うので、子供を連れて来なければ話さない」などと仰る。

で、私は「文句を言ってるわけじゃないんだ」「子供がウソを言ってないのは母親だからわかるんだ」
「文句じゃなくて今のやり方では子供が傷ついて学校に来たくなくなるだけなので、相談に来たんだ」と説明する  のですが、先生のカチカチ防御態勢はなかなか崩れません。

で、私はその時思ったんですよ。

「目標は同じじゃないの?親も先生も。子供をちゃんとした心豊かな大人に育てたいという目標は。
敵同士じゃないんだよ」
言葉はこのとおりじゃないけど、そんなことを言ったら先生の肩の力が抜けました。

それからはちゃんと話を聞いてくれて、子供は元の班に戻り、卒業まで先生とはよーくお話しをしました。
そんなことがあったから、あれから40年近く経ったのに、先生のお名前もお顔も覚えています。

 

昨日、道の駅で会社と出荷組合の会議がありました。
会議の間、ふーっと、その時のことを思い出していました。同じだなあ、と思って。
道の駅の中に付随する私たち町の住民の生産物を販売する農産物直売所がオープンしてから12年。
その歴史は、私がこの土地に越して来た年数と重なります。

越してきた年の秋に町役場の方が見えてこう言いました。                                 「この地方ではずーっとお米を作ってきました。来春道の駅がオープンするのですが、ここでは野菜や花は
家庭消費用くらいしか作っていないので足りないのです。花を出してもらえませんか」
庭に放置したままの前の仕事の花卉資材を見て来られたようです。

町役場の方は1軒1軒農家を回って、出荷を頼まれてました。

越して来るまでは、道の駅ができてその直売所で花を売るなんて、考えたこともなかったのですが、
それからタネを蒔いたり苗を買ったりして準備をしました。

最初の出荷者数は約90名。これでやっていけるのか、と不安になるほど皆不慣れ。管理運営は道の駅の会社に
お願いして10年余り。場所もよかったのでしょうが、会社には細々とお世話をして頂き、出荷者も季節毎の野菜
作りなど努力をして、時が過ぎるうちにたくさんのお客様に来て頂くようになり、出荷者も3倍くらいに増えました。

規模が大きくなると、いろいろ問題も出て来ます。

場所が狭い、とか大勢のお客様のニーズに応える品揃え、とか放射能問題とか、いろいろです。           時勢は変わり、大震災や放射能問題などの突発的事故も起こり、組合員は高齢化し、若い生産者は数少ない。
やたら寒かったり雪が多かったりやたら暑かったり、気候の荒々しさが起こす問題も深刻です。

そこを見ながら管理のお世話をして頂いている会社と、生産に携わっている組合員は話し合って良いお店
作りをしていかなければならない。昨日は生産側からお願いしての会議でした。会社も快く応じてくれました。

 

会議ではともすれば末端の事例に捉われて、本来の目標が何だったのか忘れそうになることが多いです。
みんな一生懸命だということです。

地域振興のために国のお金で建てていただいた立派な道の駅の施設。大切に使わせてもらって、お客様に
喜んでもらえる新鮮野菜や品揃いの良いお店になるように、しっかり考えて次の会議に臨みたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

びっくり!蒸気機関車が。

今朝はびっくりしましたよ!!

朝、直売所にお餅を出しての帰り道、国道47号線は古川から鳴子温泉、新庄に向かうJR陸羽東線の線路に沿って
いるのですが、向こうの方からもくもくもくもくと白い煙が見えたかと思うと、ボッボーッと大音量で汽笛を鳴らして
蒸気機関車が走ってくるではないですか!

 

いやー、びっくりした。思わずブレーキ踏んだ。

近頃新聞バッグ作りに忙しくて、まともに新聞なんぞ読んでいたかったもんだから、地元のニュースは全く
知らなくて、近々陸羽東線を蒸気機関車が走ることになってるなんて、全然知りませんでした。
今日は試運転だそうです。

そうやって古川と鳴子だかの間を何回も試運転して、たくさんのお客さんを乗せる本番に臨むのだそうです。
ゆっくり走ってよく見たら、田んぼの畦道だとか土手下に車だとか人が何人もいて過ぎ去る列車を見送って     いました。

知ってる人は知ってるんだねえ。
その後向かったあやさんの仕事場である鳴子温泉の駅傍の老舗喫茶「玉子屋」さんでは、あやさんが
「私本番で乗るんだー」と自慢してました。

大丈夫です。私も1度4歳の孫を乗せたことあるけど、喜ぶのは蒸気機関車の外見だけで、中に入ったら
興味をなくしてしまいました。だからもう乗せない。

 

蒸気機関車などというものは、昔をしのぶ大人のお祭りみたいなものかもしれないです。
廃線になった電車はもうひとつあって、それは「くりでん」と呼ばれるくりはら田園鉄道。文字通り緑一色の     田園の中を1両で走る電車で、最終日までに乗りたい、乗りたいと思っていたけど果たせませんでした。

 

栗原側の終点は細倉マインパーク駅。1200年の歴史がある細倉鉱山跡を利用したテーマパークがあります。
86歳で大都会福岡から父と共に東北のこの地に移り住んだ私の母は、筑豊炭田飯塚の生まれ育ちでした。
92歳でなくなりましたが、初めて細倉鉱山跡に連れて行った時、「久しぶりに炭鉱を見た」と喜んだ姿を
思い出します。

近くにはリリーフランキー氏原作、映画「東京タワー」のロケで撮影したキキキリンさん演ずる「おかん」の
家などあります。

蒸気機関車を見てびっくりして、そのほかのことまで思い出しました、の巻でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

産経学園カルチャーセンター自由が丘教室、新聞バッグ講座初日

早朝起きでお餅仕事を終え、東北新幹線「はやて」号8時15分発で東京へ。
昨日まで留守だった今日の主役あやさんは仙台から合流乗車の予定。

と、ここでとんだハプニングが。
土曜日の朝の満タンのはやて号の私の予約席に親子連れの子供が座っているではないですか。
お母さんと小学生5、6年生くらいの男の子が二人。

あやさんの席は私のひとつ前で両方とも3人がけの真ん中シートなのです。
親子の真ん中になんて入れません。

うーん、どうしよう。東京まで立ったままも嫌だけど、やっぱ言えない。
突っ立ったまましばし考え込んでいると、仙台であやさんが乗りこんできました。状況を見てとるや
「私どこか探してくるから」と座席探しに行き、ついに1席みつけました。JRに知れたら叱られそうだけど
これで一件落着。

 

でも古川より北のほうから乗ってきたお母さん。1席で二人が座るには子供が大きすぎる。今日は
気付ないまま東京で降りていかれたけど、次回はちゃんと切符を買われたほうがいいと思います。

 

さて、初めてのカルチャーセンター講座です。産経学園カルチャーセンターは日本で最も早く開講した
ところで、たっくさんの講座があります。
このセンターで海山に声をかけてくださったMさんは、横浜の新聞博物館で始めて私たちが作った
新聞バッグをご覧になり、お電話をくださったそうです。

今日講習を受ける方は10人。
東京では初めての新聞バッグ教室なので、海の手山の手新聞バッグ、海の手山の手チラシ、「聞いてけさいん
新聞バッグのはなし」の冊子、大崎市のガイドブック、4月13、14日梅農場で開催する「ほっかぶり市」のチラシ。
等々、取り揃えて、最初に海山ネットのはじまりからお話ししました。

回を重ねるにつれてあやさんの教え方も手馴れて来ました。が、毎回気づきがあり、反省があります。

今日の講習生の方々は大変熱心で、一人残らず見事なトート型とマチ付小バッグが完成しました。
よかった!

そして今日のみなさんへのお土産は。

ミニよっちゃんなんばんと、あやさんオリジナルのお道具入れ新聞バッグ。
フランスパンを入れるのにピッタリでしょう?

みなさん、気に入っていただけたでしょうか。

 

版画家の岡澤さんと四万十のインストラクターJさんがわざわざカルチャーセンターまで来てくれました。
そして岡澤さんはこのカルチャーセンターで、版画とケシゴムハンコの講座を始めることになりました。

そしてもうひとつうれしい話。
今日来られた講習生のSさんは職場(大学)で廃棄していたドイツの新聞をくださるそうです。そしてSさんは
折り紙をなさる方で、これから良い深いつながりができそうな予感がします。

東京まで出てくるのは大変だけど、来ればこうして新しい出逢いに恵まれることが嬉しく楽しいです。

「被災地まで行かれました?」と岡澤さんに訊ねたMさん。
「行きましたよ」という岡澤さんの答えに「今度一緒に行きましょう」とおっしゃっていました。

次は5月29日です。
またよろしくお願い致します。

 

 

 

 

 

 

 

明日は初講座

昨日、いったんは東北新聞バッグプロジェクト用新聞バッグの発送は終わりましたが、その間待って頂いた分
新聞バッグ作りが大変で、うちのテーブルはこんなことになってます。

 

あるものを使って作る、というのが海の手山の手流。ということで紙抑えに使っているのは虫刺され薬のキンカン。 キンカンは今私にとって大事な新聞バッグ作りの小道具になってます。食品スーパーに行くと、ちょっと細身でどっしりして多少重みがあって、小さいビンを見ると気になって気になって。今日は小さいソースの瓶がほしかった。

取っ手をまきまきするのはコーヒーの缶。中味が入っているほうがいいのか空のほうがいいのか、使って間なくに
ペコペコに凹んできます。だからしょっちゅう変えなきゃいけない。

そして止めつけるのは洗濯バサミ。これもどれでもはよくない。先っぽはちゃんと挟むけど、挟んだ跡がつかない
洗濯バサミ。これは今からも探し続けます。

 

そしてこれらの小道具を持って、明日は東京自由ヶ丘の産経学園カルチャーセンターで初めての新聞バッグ
作り方講座に行きます。

なんか捨てるようなものばかりで恥ずかしいような気もするんですけどね。

でも講習生の方々に差し上げる新聞バッグは新デザイン、どこにもないあやインストラクターのオリジナル     バッグ。差し上げるのが楽しみです。

 

大震災から2年。2万枚近くの新聞バッグを海の手と山の手で折ってきましたが、まさかまさか、東京のカルチャー
センターで講座を持つ日が来ようなんて、まったく考えたこともありませんでした。
自由が丘の産経学園のMさんから遠い宮城までわざわざ声をかけていただきました。

素敵な新聞バッグを楽しく作って、何時の日か東北にも足を運んでいただけるよう、東北の観光大使のような
気持ちで行ってきます。

 

 

 

 

 

発送完了!!東北新聞バッグプロジェクト高知銀行さん2714枚!

本日は、高知銀行さんより発注して頂いた新聞バッグ2714枚の3回に分けた最後の発送日です。

でも夫を病院に送らなければならないし、加工場の更新間近で保健所には行かなければならないし、古川で
Cちゃんが作ったモジャクリ新聞バッグを受け取りに行かなければならないし、病院に迎えに行かなければ
ならないしで、かなり時間がキュウキュウ。

でも今日に向かって海の手山の手1丸になってがんばってきた東北新聞バッグprojectの完結の日なので
せめても数が足りない、というようなヘマはしたくない。

 

という訳で、昨日は深夜まで、これまで作ってもらった新聞バッグの検品を集中的にやりました。
新聞バッグをめぐる作業の中で、1番心身ともに疲れるのは検品作業かもしれない。

せっかく一生懸命に作ってくれたんだものなあ。どれもこれもOKにしたい。でもたかだか新しくない新聞紙で作った
紙のバッグといえど、お客様の手に渡る時は商品なんです。手順は単純なのだから、いかに丁寧にきれいに
見えるように作るか。それだけなんですが、それが簡単にそうならないのが苦しい。

 

たくさん作ってくれたうちのたくさんを弾きました。検品をしながら、農業は商品作りとは縁遠い物作りだと
改めて認識しました。農産物は、採りたて、掘り立てが最高ですものね。

 

今日を迎えて、この2年間、南相馬のあやさん、南三陸のインストラクター部隊のけいこさんやしんこさん、女川のSさんの新聞バッグ作り、そしてむっちゃんたちの布もの作りの腕は凄かった、と改めて感服します。

 

ちょっと疲れていて頭茫然としてますが、お世話になった方々、ありがとうございました。

高知銀行さま、ありがとうございました。

そして四万十チームの皆さま、本当にありがとうございました。
そして四万十のインストラクターのみなさん、お世話になりました。ありがとうございました。
この回は終わりましたが、末永くよろしくお願い致します。

 

 

 

 

 

 

 

想定外

朝のお餅仕事を終えてから、福島の病院に行く夫を車に乗せて東北新幹線古川駅へ。
戻る途中で一か所お餅の出荷をして、大急ぎで帰宅。
といっても、もうほぼ12時で、昼食の支度も気になるが新聞バッグも気になります。

東北新聞バッグproject、高知銀行さん行き新聞バッグ2700枚の最終発送日を明後日に控えて
気が急く、気が急く。数、足りるのかなあ、間に合うかなあ、と何やってても頭から離れない。

その上に別の受注分がいくつか重なっていて、そっちも納期が迫っています。

お客様のほうにも流れがあっての発注だと思うので、新聞バッグを思い出して頂いただけでもありがたく
お約束の日までに間に合わせたい。と常にそう思って注文を受けるのですが、主力のインストラクターに
用事ができて留守になる、というのは想定外だった。

それも一人ではなくて2人、3人と入れ替わって同様の状況なので、高知銀行さん分以外の新聞バッグ
については、私ががんばらざるを得なくなりました。

 

という訳でこの2、3日時間がある限り、新聞バッグをおり続けているけれど、お餅屋なのであんこ作りも
もち米洗いもあって、まーーーあ、大変!!

必死の最中、「新幹線に乗ったよー」と夫から電話。
ええ?、もう帰って来るの?

ヤマトで送る荷物を持って、途中で寄ることになっているインストラクターに渡す英字新聞も持って、
ジーチャンを迎えに行くのを楽しみにしている4歳の孫を後ろの座席に乗せて、再び新幹線の駅へ。

 

支援の枠を超えて、手で作る商品としての新聞バッグを販売しようと、企業との提携第1弾として東北新聞バッグプロジェクトが始まりました。そしてもうすぐ終わりの日を迎えようとしています。
でもね、大量生産ではなく、手で作るモノを一時にたくさん作る、というのはけっこうきつい。              作れば作るほど、頭は使うし体も使う。知恵も湧くし、アイデアも湧くし、手にも馴染む。                 けれどもきついことはきつい。

 

だからといって、機械で作ったほうがいいよー、とは決して思いません。ボケ防止にはなっているはず。

 

さて、ちょっと手を休めたので新聞バッグに戻ります。
えらいことです。間に合うか。

 

 

 

 

 

 

 

 

新聞バッグワークショップ第2回目

今日は日曜日。

朝のテレビで毎日曜日にやる食材の番組やってました。今日は「サバ」。
青魚の鯖です。鯖は栄養的にも大変優れていて、今東京の料理屋やレストランなどでも注目されていて、
浸けとか鍋とか、鯖ご飯とか、こんなにいろいろ食べ方あるよー、と。

一口食べては、「おいしいー!」「うまーいッ」と嘆声を上げる出演者を見ながら、「ふーん、そんなものかね」
と不思議な気持ち。

私は鯖育ちです。福岡では鯖は普通に生で食べます。床屋だった私の母はいつも忙しくて、食事の支度が
できない時には近くの魚屋で鯖を買って、刺身にしてごま醤油に浸けてご飯にのっけて食べてました。

だから後々大阪や東京で生活するようになってから、、鯖は刺身では食べられないんだと知って驚きました。
鮮度が落ちるのが速いからなんですって。

でも今日のテレビの話では、そこをクリアして刺身で食べられるようになってきてるんだそうです。
「鯖を食べるときれいになりますよ」
と言っていたけど、そりゃないでしょう。

 

さて、今日はアレンジエッグでの海山主催の新聞バッグワークショップ第2回目でした。

実際にやるのは3回目なので、3度お会いし続けの方もいます。続けて来てくださると嬉しいです。
会場の都合で定員は10名ですがほぼ定員いっぱい。

1回目は小バッグだったので、今日2回目は中バッグのマチ付とトート型のバッグを作ります。
中バッグは新聞2枚を使うので、1枚で作る小バッグよりもちょっと手間がかかります。

みなさん熱心に取り組んでくださっています。

インストラクターのあやさんは教え方がだいぶ手馴れてきました。
近頃では時間さえあれば新聞バッグを折り続けている私も、ちょっとはインストラクターらしく
教え方のお手伝い。

お母さんとお子さん2人が作った新聞バッグ。
素敵でしょう?!  親子一緒にこんな風にエコバッグを作るなんて。
お母様はパン屋さん。いつかこんなバッグにパンを入れてお店に置いてほしいなあ。


ワークショップが終わったら、今度はよっちゃん、みっちゃん、私の新聞バッグの作り方おさらいタイム。

それなりにしっかり疲れてワークショップ終了。
アレンジエッグさんには時間オーバーも快く了承して頂きました。ありがとうございました。

来月の第3回目はいよいよ、新聞紙5枚で作る大バッグに進みます。
お時間のある方、お近くの方、是非どうぞご参加ください。

 

しかし、帰りは寒かった。
家に帰っての最初の言葉は「さむーーい!!」
なんでこんな寒いの? 桜どころか梅だって咲かないくらい寒いです。

 

そうだ!!

今日あやさんが新聞バッグのすごいのを作ってきました。
今月末の東京での新聞バッグ講座用に、普段は使用しない大きさの英字新聞紙を使って何かを作って
みようと、試行錯誤の結果の作品です。

色といい絵柄の使い方といい形といい、「ええーーッ」と驚く出来栄えでした。
よっちゃんがまだ写真掲載をしないというので私も合せてちょっとの間秘密。
全国からいろいろな英字の(ドイツ語も英字というのかしら)新聞紙を頂きますが、大きさや形がまちまちで
この形が違う新聞紙を使って、何かできないものかと常々考えていました。
あやさんの努力でこうした新しい作品が出来上がると、「そう、わたしらがやりたいことはこういうことなんだ」
と心から感動します。

これからもそういうことをやっていきたい。そう思います。

 

 

 

 

 

 

 

春がきた

東京、福岡、高知などではもう桜が満開だとか。
例年より10日も早い開花だと言ってますが、よほど暖かいんでしょうね。

ここは日中は陽射しが強くて、家の中から窓越しに外を見ると「あったかそうー」に見えるんだけど、
外に出ると風が冷たくてやっぱりダウンを着たくなるような気候です。

昼間はまあ温かいけど、朝はマイナス4度とか5度だもんね。

でも今日はちょっと家周りを見てみよう、と冬が終わって初めて庭というか敷地の中を歩いてみました。

至るところにボキボキ折れた木の枝。去年の冬ももの凄い風で庭中折れた木の枝だらけになったけど
今年も同じ。この枝を片付けるのが大変です。

今日も風が強かった。
ガソリンスタンドでセルフでガソリンを入れていた時、強烈な風で体が吹き飛ばされるようで、このまま       ホースを離したらどうなるんだろう、と恐ろしくなりました。

枯れた木の枝の下からのぞいているのは斑入りのフッキソウです。

植えたわけではないけど斜面の下のほうではクロッカスが満開。

温度は低いけどハウスの中ではそれなりに苗が育っています。

チェッカーベリーは秋からずーっと赤い実をつけっぱなし。
白い小さい可愛らしい花が咲きます。             花が咲きながら実をつけているのでチェッカーベリーというのですって。

我が家の外猫、自由猫のシロリン。
寒い日は倉庫の中の暖かい寝床から1日出て来ないけど、暖かいと場所を変えて日向ぼっこします。

そしてうちの4歳は1日中、玄関扉が壊れそうなほど家から出たり入ったり、ハウス周りを忙しげに
歩き回っています。

お彼岸を過ぎて、これから日が長くなります。
今日はお盆の菊の苗も注文しました。また新しい1年の始まりです。